蜜柑

 熊野の神官達に先導され、誠仁親王とその家臣達は熊野速玉大社へと進んで行く。この段階になると沿道で見守っていた熊野の民衆は徐々に船に近付いて来る。分かっているのだ、次に出て来るのが民衆に施し品を配布する者達である事を。


「ようし、ニャー達も行くぞ。船は空にして帰るんだから、気合い入れて配れニャー!」


「はい!」


 池田恒興の方も家臣の加藤政盛に指示を出し準備は着々と進む。加藤政盛はこの為に自分の弟達や商家から取り立てた元商人の部下を連れて来ていた。

 そして荷物を荷車に満載して船から順次降ろしていく。これらは配布品であって、熊野大社に納める品は別に用意している。

 荷車を降ろすと民衆が群がって来て、配布も開始される。まるでバーゲンセールの様な騒ぎだ。これを加藤政盛と部下達は難無く捌いて品物を渡していく。恒興も負けじと気合いを入れて品物を配布していた。


「はいはいはい、殿下からの心付けだニャー。持ってけ持ってけ。押すな押すな。急がんでも大量にあるからニャー。ほれほれ、酒も持ってけ。餅も干物もあるぞ。だから押すニャって。焦らんでも大丈夫だから。服とか要るか?持ってけ持ってけ、遠慮すんニャ、子供の分まで持ってけって。……だから押すなって言ってんだろニャアアアァァァァァァーーーっ!!!」


 もう周辺は押し合い圧し合いである。商人としてのスキルが無い恒興はそこそこでキレた。とりあえず恒興の周辺を政盛が急いで捌き、そして一言。


「殿、配布は我々がやりますので監督だけして貰えますか?」


「スマン、政盛。任せたニャー」


 恒興は政盛に任せて、その場から離れる。監督してくれと言うのは、ハッキリ言うと『邪魔』という意味だ。まあ、恒興に大量の民衆を捌くのは無理だろう。加藤政盛やその弟達、元商人の家臣達は慣れているからか、これを難無く捌いている。これからはああいうスキルを持った家臣も必要だなと恒興は思う。


「いかんいかん、張り切り過ぎたニャー」


「いや、配布なんて殿が張り切るもんじゃないでしょうに」


「ま、そうだニャ。政盛の家臣は商家出身者が多いから、ああいうのは慣れてるだろうし、任せておくか」


 恒興は親衛隊と共に沿道の方に出る。今回連れて来たのは隊長の可児才蔵と隊員20人程。この者達も商人スキルなど無いので、恒興と一緒にお役御免である。


「我々はゆっくり景色でも楽しみましょう。ほら、あの木に成ってる蜜柑なんて美味そうですよ」


「いきなり食い気に走るな。採るなよ、熊野で騒動は御免だニャ。しかし蜜柑なんて珍しいニャー」


 才蔵は蜜柑の木を見付けて欲しそうにしている。だが、流石に蜜柑は特産品だ。誰かの所有物である事は間違いない。熊野で騒動を起こしたくない恒興は才蔵に自重を促す。

 この時代の蜜柑は酸味が強く甘みは強くない。そして全ての蜜柑が種有りである。現代人がよく知る甘みの強い種無し蜜柑は存在していない。それは江戸時代中期に突然変異で生まれた物だからだ。しかし、戦国時代では貴重な甘みである事には変わりない。

 恒興や才蔵の出身地域である濃尾で果物と言えば柿か栗くらいだ。たまに桃が手に入る。だから蜜柑はほぼ口にする機会はない。才蔵が気になるのも仕方がないだろう。

 現代ではフルーツの代表の様になっているりんご、梨、ぶどう、蜜柑など。これらは日の本にあるにはある。しかし育成が難しい、酸味ばかりで甘くないなどの問題でほぼ流通していない。梨に至っては『救荒作物』に挙がる程、不味い果物だったらしい。現在、我々が甘いフルーツを味わえるのはここ200年程の先人の努力の結晶である。敬意と感謝を。

 蜜柑に関しては育成の問題で、日の本だと瀬戸内と九州南西部辺りしか産地が無い。だから恒興であっても蜜柑は今までで数個しか食べた事はない。


「そうですねー。あ、また蜜柑。って蜜柑、蜜柑、蜜柑。周り蜜柑だらけなんですけど!?」


「ええぇ、マジで蜜柑ばっかだニャー。熊野は蜜柑の産地だったのか」


 恒興は周りを見渡す。そこには黄色い様な橙の様な実を付けた蜜柑の木がたくさんあった。とりわけ、山の斜面に多い様で、平地には畑や田んぼがある様だ。この時、恒興も才蔵も熊野が蜜柑の産地である事を知った。


 後年の江戸時代中期初頭、この紀州蜜柑を船で大量に運び大富豪になったのが、かの有名な紀伊國屋きのくにや文左衛門ぶんざえもんである。架空人物説まで出てしまう大成功であったが、彼の物語が示すのは『栄枯盛衰』。驕れる者も久しからず、である。その後の事業で彼は失敗し、全てを失って世捨て人になったという。


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 誠仁親王は熊野速玉大社での儀式を終えた。明日は神宮湊の各所を巡り、詩を詠んで過ごす予定だ。明後日に熊野本宮大社に向かい儀式を行う。その次の日はまた自由。その次の日に熊野那智大社に向かう。つまり『熊野三山』を巡る旅程である。一応ではあるが、参拝に順番があり、正式には熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社となる。とはいえ、現在の熊野別当である堀内氏虎は熊野速玉大社に本拠地を置いているので、彼を尊重した結果である。支配者によって力関係が変わる訳だ。

 恒興も同行し施し品を配る予定である。神宮湊で半分以上を配ったので、それなりに量は減っている。しかし恒興達だけで運べる量ではないので、暇のある熊野の民衆が手伝ってくれる事になった。多すぎて困る事はないと誠仁親王に豪語しておきながら、自分が困る恒興であった。

 恒興が待ちに待った時は夕方に訪れる。堀内氏虎の指名で呼び出されたのだ。


「お初にお目に掛かります、池田上野介恒興で御座いますニャー」


「よく来てくれた、上野介殿。今回の熊野詣では貴殿が尽力してくれたと親王殿下から聞いてな。一言、礼を言わねばと思ったのだ」


 恒興は熊野別当の堀内氏虎に呼ばれ会見する事が出来たのだ。誠仁親王から今回の熊野詣で恒興が尽力したと言って貰った効果だろう。氏虎も機嫌が良い様で、恒興の第一関門突破は上手く行った様だ。

 ここからは第二関門、『交渉』の時間である。熊野の事情を聞き出し、こちらの情勢を考慮しつつ、解決策を探していく事になる。流石に恒興でも熊野の状況は「困窮」以外は分かっていない。一つ一つ探って行かなければならないだろう。相手が上機嫌なら口も軽くなるはずだ。


「有難きお言葉に感謝の念が絶えませんニャー。ところで別当殿、熊野水軍が志摩国への侵攻を計画していると噂で聞いたのですが」


「うむ、既の所すんでのところで止める事が出来た。戦争が起これば親王殿下は熊野に来れなかったであろう」


 堀内氏虎はあっさり志摩侵攻を話す。まるで他人事である。テメーが計画したんじゃないのかよ、と恒興は少し不快に感じる。それはそうだろう。攻撃を受ける側としては堪ったものではない。あと一歩違えば、二人の関係は加害者と被害者になっていた訳だ。


「では、この先は如何でしょうニャー」


「それは問題がある。結局は民草の生活が苦しいのが原因だ。一時的に収まっても時間の問題だろうな」


 水軍とは通常、内海や湾内に縄張りを持っている。それは美味しい漁場を占有する他に、海域を通る商船から通行料金をせしめる為だ。だが熊野の場合、前者は一緒だが後者はない。何故なら熊野灘を通る商船など存在しないからだ。誰が海賊が居て難所だと分かっている外海の熊野灘なんぞ通るのか、という話だ。だから熊野水軍の場合、海賊行為は通行料金をせしめるのではなく、船を襲うか沿岸を襲うというガチの海賊である。鎌倉時代まではこれで良かったと言える。しかし時代が室町時代になるとある人物が登場する。最優秀足利将軍の足利義満である。彼の登場で熊野はじわじわと追い詰められる。

 足利義満は熊野に何をしたのか?それは『別に何もしていない』だ。……順を追って説明しよう。まず、熊野は漁業の他に海賊行為で船や沿岸を襲い食料や衣料品を奪っていた。熊野では食料や衣料品以外は無価値なのである。

 足利義満は歴史の教科書に必ず載る業績がある。それは『日明貿易』である。この時に義満が明朝から積極的に購入したのが、『永楽銭』だ。これは明朝の外国向け貿易通貨であった。この通貨を大量輸入して、義満は日の本の貨幣経済発展を図ったのだ。その試みは成功し、ある者達が力を付ける。それが『商人』である。商人が力を付けた事により物流は加速し、ありとあらゆる物が貨幣によって取引されるようになった。

 すると熊野にも変化が訪れる。海賊をしても食料や衣料品ではない事が増えてしまったのだ。船を襲っても貨幣が積んであったり、鉱石が積んであったりと。貨幣経済が無い熊野ではこれらは売買不可能だった。次第に海賊は儲からなくなった。そして痩せ衰える熊野から脱出者が増えていった。この辺りで九鬼嘉隆の祖先も熊野から志摩国へ脱出したと言われている。「何もしてないけど勝利した」とかいう足利義満の凄さである。孫子もビックリだ。

 このままではジリ貧だと感じた熊野は志摩国への攻勢に出る。志摩国に拠点を造って日の本の商人に不用品を売り払いたかったのだ。海の上では志摩水軍を圧倒した熊野水軍。しかし拠点を築く陸戦ではコテンパンにされて帰った。熊野は海戦では無敵でも陸戦では雑魚だったのだ。まあ、水軍全てが陸戦は雑魚なのでしょうがない。

 それからは真綿で首をギュンギュン締められる生活に突入。今に到るのであった。


「最近に何かありましたのかニャ?」


「実は木材を細々と売っていたのだ。大きな取引を出来る伝手はないのでな。なかなか良い値で売れるので熊野を何とか潤していた。しかし日の本の木材相場はこの十数年、下落を続け、とうとう二束三文という状態になってしまった。もう売るだけ損にしかならぬ、人件費や運搬費用も掛かるのだからな。熊野から売れる物も無く、売り先となる拠点も無い。木材が金にならなくなった以上、志摩国侵攻を容認せざるを得なかったのだ」


 熊野は何とか生きる道を模索した。その過程で日の本の材木問屋と繋がる事が出来て、木材を売って糊口をしのいでいた。木材が売れる事は遥か昔から知っていたからだ。その木材の代金分だけ食料や衣料品、生活必需品等を交換していた様だ。熊野には貨幣経済が無い為に未だに物々交換だったりする。しかし、この十数年程は木材価格は下落を続けており、買い取り価格も下落。二束三文という状態になって赤字まで出始めた。

 窮地に追い込まれる熊野は再び志摩国侵攻に踏み切らざるを得なかった。


(ニャる程ねー。それで経済的に追い詰められた、と。理由は理解ったけど、激しくおかしな部分があるニャー。聞いてみるか)


 熊野の事情は理解した。しかし話におかしな点があるのを恒興は認識した。目の前で嘆く男が『嘘』を言っている様子は無い。ならば『嘘』を使っているのは誰なのか、確かめる必要がある。


「あのぅ、別当殿、一つお伺いしてもいいですかニャー?」


「何かな?」


「取引の明細や報告書などは御座いますかニャ?」


「おお、それなら前の取引目録がここにある。ふむ、たしかこれの筈だ」


 堀内氏虎は自分の横に置いてある机の硯箱を開ける。光沢が美しい硯箱、おそらくは漆器であろう。流石に熊野別当となると良い品を持っているな、と恒興は思う。いや、待て、何で漆器がある?と恒興は疑問を持つ。海賊の戦利品なのかも知れない。後で聞いておこう。

 硯箱から一通の書類を取り出した氏虎は恒興に手渡す。それを恒興は両手で恭しく受け取る。


「拝見してもよろしいですかニャ?」


「貴殿は日の本の経済に詳しいと親王殿下から聞いている。意見を聞かせて貰いたい」


「では、失礼致しますニャー」


(……予想通りとはいえ、何じゃこりゃ。酷いニャー)


 堀内氏虎は『嘘』を言っていない。ならば『嘘』を言っているのは商人の方だ。恒興は書類に記載されている内容で直ぐに理解した。価格の部分を見れば一目瞭然である。


「別当殿、ニャー、大変申し上げ難いのですが」


「貴殿の忌憚の無い意見が欲しい。熊野の為にもな」


「では申し上げますニャー。コレは詐欺です」


「……詐欺……?」


「はい、木材の価格は下落し続けていると仰いますが、ここ十数年は上がり続けております。また昨今の建て直し事業で木材は日の本において供給不足、まだまだ高騰する気配で御座いまして下落など有り得ませんニャ」


「……」


 恒興の見解は商人側の『詐欺』。買い取り価格が相場よりかなり低い。本当に二束三文だ。

 そもそもだが木材の価格が下がる筈がないのだ。日の本は戦国時代であると皆が認識しているが、今は戦国時代後期であり、戦も大名の下でしか行われない様になってきた。小豪族でも戦争を起こし、足軽共が略奪破壊を繰り返した無秩序の極みの様な戦国時代初期ではない。

 つまりある程度、戦争は大名が宣戦布告してから行われる秩序ある計画的なものになってきた。だから日の本各所で復興の動きが加速している状況だ。復興で一番優先されるのが『建物の再建』である。住む場所が無いと人が暮らしていけない。人が居ないと他の復興が進まない。そして『建物の再建』に最も必要な材料が『木材』である。三好家もいろいろと再建していたし、織田信長も再建の動きを急加速させている。美濃国や伊勢国の木材を大量投入している。それでも木材は供給不足という有り様だ。

 それで、木材の相場が下がるなど有り得ない。木材の価格は恒興だって知っているくらいに上昇を続けている。おそらくだが、商人は熊野側が日の本の相場を知らないのをいい事に、嘘の相場を伝え木材を買い叩いていたのだ。しかし恒興は詐欺と言うが、商人が相手の足元を見て買い取るのは、それほど責められる話ではないだろう。

 恒興が『悪い』と思うのは商人の行いというよりは相手が『悪い』という事だ。商人の僅かな小遣い稼ぎの為に志摩国侵攻が起こるところだった。

 詐欺だと聞かされた堀内氏虎は真顔で硬直した後、顔がみるみる紅潮していく。


「……そうか、私は、詐欺に掛けられたのか……。ならばっ!!!」


 鬼の様に険しい顔になった堀内氏虎はダンっと床を鳴らして立ち上がる。


「あの商人と拠点の町には死の制裁を与えてやらねばなぁぁぁぁっ!!!!」


(ギニャー!?無茶苦茶怒ってるー!?)


 堀内氏虎は先程まで上機嫌でいた人物とは思えないほどの豹変をして猛る。熊野に詐欺を働いた商人とその拠点の町を襲撃すると宣言する。

 恒興はしくじったと感じた。バカ正直に言ってしまったために、相手が激昂してしまったのだ。もっと虚実を織り交ぜて話すべきだった。恒興は氏虎がこんなにも喜怒哀楽が正直で激しいとは予想してなかったのだ。これは急いで宥めないといけないと焦る。


「ま、待って下さいニャー!ニャーと組んで頂けたら、この程度を取り返すなどそう時間は掛かりませんニャ!」


「貴殿が私を詐欺に掛けない保証でもあるのかぁぁぁっ!!!」


「ニャーが殿下のお顔に泥を塗ると仰るかっ!?」


「……」


 氏虎は激昂そのままに、恒興も詐欺を働くのだろうと糾弾する。それを聞いて恒興も立ち上がり、誠仁親王の名前を出して反論する。自分が支えている親王を汚す真似をするものか、と。

 堀内氏虎ははっとした顔をして黙り込む。そして悟った様に笑い出す。


「く、ははは。そう言えばそうか。貴殿が殿下のお顔に泥を塗るなど、出来よう筈もない。これ以上ない保証があったか、ははは」


「ご納得頂けた様で幸いですニャー」(誰だニャー、こんな超が付く危険人物を詐欺りやがったヤツは。マジではっ倒すぞ!)


 納得した氏虎は落ち着きを取り戻し、その場にすとっと座る。それを確認した恒興も元の場所に座る。

 恒興はこんな超危険人物を詐欺に掛けた商人を必ず探し出してやると誓った。その商人は排除しないと、また熊野に近付いてくる可能性がある。つまり恒興の最終目標である『熊野の危険性の排除』の障害になると認識したのだ。


「熊野の富が不当に掠め取られたと聞いて、頭に血が登ってしまった。許されよ」


「心中お察し致しますニャー。しかしニャーが言った事は嘘ではありません。ニャーと組んで頂ければ、真っ当な商人を紹介出来ますし、織田家は湊も確保しておりますニャー」


「織田家、織田信長か。噂では勤王の志を持つ人物だと聞く。貴殿を見れば、それは真実だろうな。頼る相手としては適当か。宜しくお願いしたい」


 ぃよしっ!と恒興は心の中でガッツポーズする。自分の流した噂、誠仁親王からの推薦、熊野詣での成功などが作用し、堀内氏虎は恒興を信用した様だ。

 ならば次の一手を打つ。熊野の危険性はまだ排除し切れていない。武力で制圧しコントロールする事が不可能ならば、経済で雁字搦めにしてコントロールするのだ。

 この手法は現代でも盛んに行われている。何故なら民衆とは今ある生活水準が落ちる事には堪えられないからだ。だから経済制裁や輸入輸出規制で他国に圧力を掛ける。狙いは他国を政情不安に陥れ、武力や経済で制圧し易くする事だ。砲火を交えるだけが戦争ではない。戦争も外交も政治手段であり、全てに謀略が絡む事はご承知頂きたい。そう、全て謀略だ。

 熊野に至っては貨幣経済を浸透させる事だ。未だに物々交換とかやってる場所である。熊野から出される品物を貨幣に変える。その貨幣で日の本の品物を買って貰う。これだけでいい。熊野の民衆は貨幣を何でも手に入る魔法のアイテムと思い有り難がる事だろう。何しろ物々交換だと交換基準が曖昧だし、交換して貰えない事も多い。欲しい品物の持ち主が交換品を気に入らなければ交渉が成立しないからだ。その点、貨幣は基準をハッキリさせるので、満額出して手に入らないという事は基本的に無い。あらゆる欲しい物と交換して貰える貨幣に万能感を覚える事だろう。

 これぞ人間が創り出した偽りの概念『貨幣』である。この偽りの概念を創出する事こそ人間と獣を隔別する決定的な差となる。即ち、『人間以外では理解出来ない』概念だからだ。

 ここまで行けば恒興の最終目標は達成されたも同然だ。戦争をすれば熊野の品物を買って貰えず、欲しい品物を売って貰えない事くらい、誰でも理解するからだ。


「ところで、その硯箱は何処で手に入れられたのですかニャ?なかなかの逸品の様ですが」


「これかね?これは熊野の工房で造られた物だ」


「熊野で?」


 恒興は熊野の工房で漆器が造られている事に反応する。これは売り物になるかも知れないと思ったのだ。熊野別当の傍にある硯箱を見れば、なかなかの逸品である事は明白だ。熊野側からも売り物になりそうな物を出して貰わないと貨幣経済は浸透しない。

 それを知ってか知らずか、堀内氏虎は得意気に語り出す。


「ああ、何時になるかな。赤松円心という者が西側に攻めてきた。その時に雑賀や根来から漆器造りをしていた僧侶が逃げ出し、熊野で匿ったのだ。それ以来、熊野で細々と漆器を造っているのだよ」


「売りましょうニャー!」


「ふうむ、売れるのかね?」


「そこは商人の審美眼もありますので一概には言えませんが、きっと売れますニャ」


「それは嬉しい話だな。分かった、私から話を通しておこう。そんなに大きな工房ではないのだがな」


「売り物になるのなら、商人の方で投資しますニャー」


 その漆器は紀伊国の雑賀や根来で漆器を造っていた僧侶の作品らしい。室町時代初期に足利幕府の熊野制圧戦に巻き込まれて熊野に逃げたという。それからは熊野で小さな工房を建て、生計を立てていた。今はその技を受け継いだ弟子の子孫達が細々と造っているとの事。根来といえば『根来塗』という漆器が有名なので期待出来ると恒興は考えた。

 これで漆器も売買品目に出来た。そしてアレも聞いてみる。恒興がここに来る途中で見掛けたあの『果実』の事だ。


「そう言えば、来る途中で蜜柑をたくさん見たのですが、熊野は蜜柑の産地ニャのですか?」


「おお、蜜柑か。ふむ、蜜柑が何故、熊野にあるのか知っているかね?」


「いえ、流石に知りませんニャー」


 話題が蜜柑に移ると氏虎はぱっと明るい顔になる。どうやらまた・・自慢話をしたい様だ。まあ、相手が上機嫌なら大人しく聞いておこうと恒興は思う。


「あの蜜柑は天皇家からの贈り物なのだ。いにしえの天皇が蜜柑の育成に適した土地を探す様に命を出し、候補に熊野が挙がった。それで熊野に蜜柑を植えて、今では我々に欠かせない物となった」


 熊野の蜜柑はかなり前から存在している。神話級の話になると西暦61年に中国大陸から持ち帰ったという。真偽は定かではないが、普通に考えれば東晋に使者を送っていろいろな物を持ち帰った雄略天皇期か、遣唐使が妥当だろう。

 江戸時代に入るまで熊野の蜜柑は日の本に出回らなかった。だから日の本の誰も熊野が蜜柑の産地だと知らなかった。それこそが熊野が日の本の支配を受けずに独立していた証明にもなる。もしも、熊野が日の本の支配下であり盛んな交流があったのなら、商人達が蜜柑を見逃すなど有り得ないのだ。そう、熊野が日の本の一部になったのは、徳川家康が紀州徳川家を置いた江戸時代からなのである。


「あのぅ、その蜜柑を売りませんかニャー?」


「ハッハッハ、蜜柑が売れる訳ないだろう」


「ダメですかニャ。そうですか、はぁ……」


 ダメだ、と言われて恒興は露骨にションボリする。恒興の頭に猫耳の様に尖っている髪の毛さえも一緒にへたってしまう程だ。恒興としては濃尾方面に蜜柑を卸して欲しかったのだ。

 ダメだと言った堀内氏虎の方は恒興の反応を見て、少し困惑する。彼が予想した反応とはかなり違ったため、自分は何か言い間違いをしたのでは?と感じた。


「いや、そういう意味ではない。蜜柑など日の本にありふれているのだろう?だから熊野に渡された訳で、大した値段など付かないのではないか?」


「そんな訳ありませんて。蜜柑は立派な特産品ですニャー。濃尾方面ならバカ売れ間違いないですニャ」


「ハッハッハ、そんなバカな。上野介殿は冗談が上手いな」


「いえ、あの、冗談じゃニャいんですが」


 堀内氏虎が言ったのは、日の本に蜜柑はありふれていて売り物にならないだろうという意味だった。売らないのではなく売れないという事だ。

 しかし恒興は蜜柑は特定の産地からしか採れない特産品であると言う。濃尾方面には産地が無いので、そちらに卸せば売れるという。


「……ほ、本当なのか?蜜柑は売れるのか?」


「是非、売って欲しいですニャ」


「そうか、そういう事だったのか!」


「はい?」


 蜜柑は売れると聞いた氏虎は感極まった様にまた立ち上がる。その目には光る水滴まであった。


「天皇家は知っていたのだ、熊野が何れ苦境に陥る事を!だから予め熊野に蜜柑を渡していたのだ!何という先見の明!これぞ大いなる愛ではないか!!か、感動だ!」


(そんな訳でニャいじゃん。蜜柑が育ちそうな場所を探しただけだニャー。とはいえ、これは言わぬが花か)


 感動して涙まで流す氏虎を恒興は冷めた目で見ている。そんな訳ねーだろ、と。誰が千年先を見据えて蜜柑を植えたりするのか。本当に熊野の苦境を考えて蜜柑を植えたのなら、それは先見の明どころではない。予言のレベルだ。

 しかし堀内氏虎の感動に水を差すのも悪手だ。そのままにしておこうと恒興は思う。ただ、恒興はこの喜怒哀楽の激しい男の事がだいたい理解ってきた。


(この人、純朴そうで商売っ気が無いニャー。だから詐欺に気付かないんだよ。ま、しゃーねーか。この人の本職は武家でも海賊でもない、『神官』だもんニャー)


 恒興の堀内氏虎評価は『純朴』である。金儲けに疎く、情報の略取もしない。相手の言われるがままで詐欺にも気付かない。統治者としてどうなんだ、という話だが、それも仕方がないかとも思う。何せ、堀内氏虎は武家ではないし、海賊でもない。本職は神官である。謀略に疎いのも仕方ないのかも知れない。


「蜜柑は売れるのか、何とも嬉しい話だ。今回の攻勢に蜜柑も関係しているのはご存知かな?」


「え?蜜柑が関係あるんですかニャ?」


「あるとも。蜜柑は天皇家から渡されて、我々にとって欠かせない果実となった。だから我々は蜜柑を食す度に天皇家の事を想うのだ。それ故に皇族の熊野詣ではいつも盛り上がるのだよ」


 皇族による熊野詣でが毎回の様に盛り上がる理由。それは蜜柑が存在しているからだ、と氏虎は話す。熊野の蜜柑が天皇家から贈られた物だと、熊野の民衆全てが知っているから皇族の来訪を大歓迎している訳だ。


「今回の熊野詣でまで280年あまり、皇族の来訪が無かった。それ故に熊野では「皇族が熊野に来ないのは武家が暴れているせいだ。武家共を懲罰すべし!」という論調が出ていてな。私も抑え切れなくなったのだ」


「熊野行幸がいつも盛り上がる理由は蜜柑だったんですニャー」(なんつー過激な民衆だニャー)


 熊野に蜜柑があるが故に熊野の民衆は皇族の来訪を心待ちにしていた。しかし、これまで280年に渡り、皇族の来訪は無かった。

 亀山上皇の熊野御幸はあの『蒙古襲来』と時期が被っている。それ以降の鎌倉幕府は極度の財政難なので費用が出せないのは仕方がないだろう。しかし、その後に出来た足利幕府は違う。朝廷を冷遇していたから出さなかっただけだ。これにより熊野の民衆は不満を溜め続け、熊野の財政難で爆発したのが今回の志摩国侵攻の様だ。つまり、今回の件は堀内氏虎の意志ではなく熊野の総意だという事。恒興の熊野詣で企画は正にギリギリだったのだ。


「別当殿、他に取引明細は残っていますかニャ?」


「探せばあると思うが、必要かね?」


「はい、日時から相場を照らし合わせ被害額を算出したいのですニャー。被害額に関しましては少しづつでも熊野にお返し致しますので」


「そこまでして貰えるか。分かった、家の者に探させよう。宜しく頼む」


 恒興は被害額を計算して熊野に返却する事を約束する。というか、加害者が誰か判っているからだ。この詐欺を働いた商人は間違いなく『堺会合衆』の商家だ。何故なら津島会合衆は木材をわざわざ熊野から買わない。美濃国と伊勢国が木材の産地なのだから。それに取引明細に書かれている揮毫きごうは見覚えがある。織田家との約定を結んだ時に堺会合衆から出された書類に同じ物が連名されていた。つまり、熊野に詐欺を働いたのは堺会合衆の商家という訳だ。


「しかし、ここまでして貰って、我々が何も返さずでは申し訳ないな」


「と、言いますと?」


「うむ、織田家に難事有るならば我々が力を貸そう。出来る事は限られているがな」


「よ、よろしいのですかニャー!?」


 堀内氏虎は今回の礼にと織田家への協力を申し出る。熊野に要請したい事は少ないが、水軍に関する事は重要である。これから織田信長は西へと駒を進めて行くだろう。しかし、現状だと志摩水軍が畿内や瀬戸内海に進めないのだ。それが熊野水軍が協力関係になれば西進が可能となる。

 対外的には織田信長は熊野を制圧した、と見られるであろう。実態は熊野別当の委任統治となる。織田家の者は熊野に一切干渉しない。現状ではこれ以上無理というものだ。しかし恒興はそれで良いと考える。


「ああ、天皇家を支える織田信長ならば熊野の同盟者に相応しい。水軍の者達には私からよく言っておこう」


「そのお申し出、有り難く受けさせて頂きますニャー」


 堀内氏虎との会見を終わらせ、部屋を出た恒興。その後に堀内家の家人から取引明細を受け取り、加藤政盛が居る部屋に入る。


「政盛、いるかニャー」


「はっ、殿、何か御座いましたか?」


「コレを持って桑名に行ってくれ。大至急ニャ」


「コレは?」


「おそらくだが、堺会合衆の誰かの不正の証拠だニャー。天王寺屋の義父殿に調べて貰いたいんだ」


 恒興は加藤政盛に取引明細を桑名に持って行く様に指示する。桑名に居るであろう天王寺屋助五郎に調べて貰う為だ。予想だが、この取り引きに堺会合衆自体は関与していない。堺会合衆の大店がやるには一回一回の取引金額が小さいのだ。もし、天王寺屋の様な大店がやっていたら、被害額はこの数十倍でなくてはおかしい。おそらくは中規模商家が単独でやっている。数十年の積み重ねなので結構な金額になってはいるが。

 しかし堀内氏虎は堺がやったとしか思わない。もし熊野から襲撃されるとしたら、それは堺の町そのものとなる。こんな事を天王寺屋助五郎が許すとは思えない。


「了解しました。直ちに行きます」


「頼むぞ。お土産の蜜柑はお前の弟達に渡しておくからニャ」


「蜜柑ですか。それは楽しみです。では、行ってきます!」


 恒興は今回の礼にと堀内氏虎から蜜柑を相当数貰える事になった。受け取りは最終日になる為、加藤政盛の分は彼の弟達に渡す事になる。

 加藤政盛は蜜柑が楽しみだと答え、恒興から書類を預かり湊へと走った。


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 それから数日掛けて、誠仁親王の熊野詣では恙無つつがなく終わった。全ての日程を終えて帰る船を見送るたくさんの熊野の民衆。誠仁親王は感慨深く彼等を見つめる。


「熊野、素晴らしい旅路であった」


「詩をたくさん創られた様ですニャー」


「ああ、主上に聞かせようと思ってな」


「左様で御座いますかニャ」(それ、陛下の感情が爆発して今直ぐ行きたいとかならないかニャー?)


 誠仁親王は行く先々の景色を見てたくさんの詩を書いた様である。彼は和歌が達者で、情景豊かな詩を多数創った。あまりにも上手いので、恒興は正親町帝が今直ぐ行きたいと言い出さないか心配な程だ。


「私はまた、熊野を訪れる事が出来るだろうか?」


「必ず、来れますニャー」


「そうか、楽しみだ」


 また熊野に来れるかと尋ねる誠仁親王。恒興は必ずと約束する。そして船は熊野を離れていった。


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【あとがき】


 熊野が蜜柑の産地になったのは江戸時代ですニャー。正確には熊野が蜜柑の産地だと判明したのは江戸時代なんですが。だから歴史の学者さん達は「何故、熊野が蜜柑の産地だと1400年以上も判らなかったんだ?」と首を傾げるそうです。べくのすけの考えがこの話の本になっている訳です。

 熊野が日の本ではなかった事、水軍が強すぎて近寄れない事、熊野灘は難所で行くだけでもリスクが高い事、熊野に商売っ気がない事などが重なった結果と思いますニャー。という事は、織田信長さんと豊臣秀吉さんは熊野に誰も派遣しなかった事になります。そして紀州徳川家が蜜柑を発見したとなるかなーと、べくのすけは考えてますニャー。

 あくまで個人の考えですので、史実ではないとご承知下さいニャー。

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