上洛編

天下布武 前編

 1561年夏。

 織田信長は美濃斎藤家の本拠『稲葉山城』を攻略した。斎藤家当主・斎藤龍興は何処かへ逃亡、独立大名としての斎藤家は滅亡した。

 信長は攻略した稲葉山城を『岐阜城』と改め、本拠として使用することに決めた。それに伴い新・井ノ口の町も名前を『岐阜』と改名した。『岐』は中国の岐山の事で、周王朝の基礎を築く文王がここから天下を定めた事に因む。『阜』は孔子の生まれた曲阜の事で、これらは沢彦宗恩たくげんそうおん和尚の発案だという。

 ここで信長は『天下布武(天下に武をく)』を表明する。これは御輿の足利義昭に対して必ず上洛するという意志表示なのである。

 何故こんな意思表示をわざわざ行わなければならないかというと、上洛開始が遅れるからであった。何しろ上洛準備は全て小牧山城で行っていたため、準備した物資を岐阜城へ移さなければならなかった。それに伴い家臣や傭兵の引っ越し作業も発生し、直ぐに上洛する事が出来なくなってしまった。更に季節が過ぎれば秋が来るので余計に動けない。秋でも動ける常備兵の傭兵は数で虚仮威すしか出来ないので、そもそも戦力としては微妙だ。なので足利義昭が焦れてしまわないように宣言しておく必要があった。ハッキリ言ってしまうとこの岐阜城移転は無駄以外の何物でもない。小牧山城から上洛しても問題はないし、上洛開始を遅らせてまで移転する必要性は感じられない。

 この岐阜城移転は信長の『楽市楽座』に対する熱意と恒興の進言によるものだった。だから縁起の良い改名とリップサービスが必要になったのである。日の本の人々は昔から縁起を担ぐ事を重要視するし、お世辞にも弱いからだ。

 因みにこの移転によって小牧山城は廃城となる。面倒なので取り壊しはせず放置するだけではあるが。

 また他にも意味はある。実は朝廷に対するリップサービスにもなっているのだ。

『天』とは天皇の事であり、その『下』にあるのは京の都である。その場所に『武』を『布』くという事は『天皇の御座所の治安を回復しまーす。そのための上洛でーす』という意味になる。つまり上洛の大義名分にもなっている。

 一見して建前以外の何物にも見えない発言だが、当の織田信長はかなり本気だった。何故ならこの織田信長という男はかなりの勤皇家だからだ。信長にとっての上洛は自身の野望を叶えるためではなく、天皇と将軍を立て、在るべき秩序を取り戻す事が目的であった。まあ、功名心が無い訳ではないが。

 そのため信長は岐阜城にて上洛準備の最終作業に取り掛かり、織田家中は本拠移転に伴う引っ越し作業に追われていた。そんな家中の忙しさを余所に、恒興は津島会合衆相手に余裕で茶会を開いていた。


「この通りで御座いますニャー。どうか岐阜の町での楽市楽座を認めてくださいますよう、お願いしますニャー」


「「「……」」」


 いきなり恒興の土下座から始まる茶会なのではあるが。

 この茶会の目的は岐阜の町で行う新しい『楽市楽座』に対する津島会合衆への根回しである。集まった商人達は各々に顔を見合い困惑していたが、それを見越した様に加藤図書助が口を開く。


「フゥ、まあ良いのでは?まだ岐阜の座長は決まってない訳ですし」


「しかし周辺の座にも影響は出るでしょうね」


「せやな。さしあたっては西隣の安藤はんの座には大きな影響が出そうやな」


 図書助に続き大橋清兵衛や天王寺屋助五郎も賛同する。津島会合衆Top3が賛同した事で他の者達からは特に反対意見は出なかった。


「え~とぉ、因みに安藤家の領地の座長は誰ですかニャ?」


「ワテやで、婿殿」


(ギニャー!?よりにもよって義父殿だったー!!)


 岐阜の西隣にある北方城安藤家の領地にはかなり影響があると予想される。岐阜は北側は山、南は木曽川となり東隣は関城となる。

 関城主は信長の義弟・斎藤利治なので文句は出ないだろう。そもそも関は中濃東濃奥美濃に向かう分岐点なので商業的価値は最初から高い。

 なので被害は安藤家の領地が一番酷いと予測される。当然そこの座を取り仕切る商人に被害が出るのだが、その商人は堺会合衆と津島会合衆の大物にして恒興の義父・天王寺屋助五郎だった。


「あの~ですニャー、義父殿。織田家は決して義父殿をないがしろにするつもりは……」


「……」


(ヤバイィィィ!会合衆の中で一番怒らせたくニャい義父殿に被害がー!)


 ダラダラと冷や汗が止まらない恒興は恐る恐る助五郎に言い訳する。それを助五郎は無表情で聞いていた。


「ま、ええわ」


「え?」


 焦る恒興を見て助五郎はフッと笑うと怒ってないというところを見せる。


「こうなったら岐阜の座の管理も面倒やろ。ワテが引き受けよう思うとるんやがどないや?」


「まあ、天王寺屋さんなら」


「ワシにも異存はありませんな」


「あの、いいんですかニャ?岐阜は楽市楽座があるので儲けが薄くなると思いますが……」


 助五郎は岐阜の座も引き受けると宣言する。恒興としてはこれ以上天王寺屋に被害を被せたくないので警告するが。


「せやけど必要やから仕方ないで。婿殿、まさか楽市楽座で全ての需要を満たせると思うとるんか?」


「それは無理ですニャー、はい……」


「せやろ。楽市楽座に来る商人は所詮、その場限りばっかや。売り終わったら、ホナさいならやで。今日は大根が売ってへん、味噌が手に入らへん、こんなんが続いたらどないなる思うてんのや」


「高い確率で強訴一揆ですニャー……」


 楽市楽座に出店する店というのは商路を確立出来ていない商人が多い。そのためその場限りの販売が殆どである。

 商人といっても遠方の者や濃尾勢に拠点を持たない津島会合衆外の者ばかりになる。会合衆に縁を持つ商人は出店を憚るからだ。下手に楽市楽座への出店を行うと会合衆の大物商人に睨まれる方が余程怖いだろう。

 となれば濃尾勢に商路を持っていない者達なので、商品の安定供給は不可能である。

 そうなると塩や味噌などの生活必需品ですら事欠く破目になりかねない。これが続けば生活へ不満は高まり続けるし、最終的に強訴一揆へ発展するだろう。

 だからこそ助五郎が岐阜の座を取り仕切るというのだが、これも苦労が多い。

 まず価格競争では勝てないため楽市楽座の有る町の商品は売れなくなる。つまり在庫を抱える事になってしまう。

 だからと言って取り扱いを止める訳にもいかない。楽市楽座は何時供給が止まるか判らないからだ。そういう意味で楽市楽座周辺の座では悩ましい在庫調整をせねばならない。

 だから皆、楽市楽座がある町の座長などやりたくもなく、助五郎の就任に反対する者は皆無であった。


「解っとる様やな。ワテらが一番警戒しとんのはその一揆の方や。一揆は商路も市場も滅茶苦茶にするさかいに。利益も大事やけど、今は二の次やな」


 商人が最も嫌うもの、それは一揆である。一揆は平穏、秩序、商路や安全といった商売に大切なものをイナゴの大群の如く食い荒らす。だからこそ一揆を誘発しそうな楽市楽座に反対したのである。


「そうなのですか。ニャーはてっきり大反対されるものかと思いましたニャー」


「池田殿。代案も出さず、対策も考えず、ただただ反対だけをする者は愚か者というべきですな。ワシらとて先の清州の楽市楽座は調べ上げておりますぞ」


「加藤殿の言う通りです。楽市楽座には我々にとって負の側面も有りますが、流通の活発化や遠方の商人の来訪による珍しい商材の入手など良い面も有りました。あとはどの様に折り合いを付けるかでしょう」


「そうやな、ワテなんか清州の楽市楽座で羽州酒田の商人と知り合うたで。おかげでええ鷹が手に入ったわ。一番ええのは信長様に献上予定やけどな」


 清州の楽市楽座に関しては恒興だけではなく、商人達もその効果を測っていた。不利益だけを主張するのではなく、その中から新たな商売の可能性を模索していたのである。

 特に遠方の商人が物珍しそうにやってきていた事は利点の1つ。そういう商人の品物が楽市楽座で完売出来る訳はないので、在庫を余らせていたところを、津島会合衆の商人達が買い取ったりしていた。そして新たな縁を作り、新たな商売を画策していたりする。これが転ばされても、ただでは起きない商人のバイタリティと言うべきか。

 因みに出羽国は名鷹の産地として有名である。


(ああ、そういえば信長様も楽しみにしてたっけ。しかし羽州か、あの最上家のぼんぼんは元気かニャー。……はっ、思い出した!アイツ、ニャーに酒代返してねえ!絶対に取り立ててやらニャいと!)


 恒興は羽州と聞いて京の都で出会った最上家の嫡子を思い出した。そして彼が飲み食いした分の取り立ても同時に思い出す。とは言え出羽国は遠く使者を派遣するだけでも費用が掛かり過ぎるので今はしないが。


「婿殿、そうゆうこっちゃで。ワテら商人は平和が一番儲かるんや。楽市楽座に反対しとったのは今有る平穏を壊す可能性があったからや」


「なのでワシら商人の意見も入れて楽市楽座を運営して頂けると助かりますな」


「あとは場所を限定してもらうくらいですね。我々も利益が無いと破産しますので。その旨、信長様にお伝えください」


「承りましたニャー」


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 茶会の後は散会となり、商人達はそれぞれ納得した顔で帰って行った。

 その中で天王寺屋助五郎は池田邸に残り、娘にして恒興の側室・藤を見舞う。


「お藤、元気か?お腹の子はどないや?」


「あ、お父さん。元気やし順調やで」


 彼女のお腹は大分大きくなってきている。秋には臨月が来ると予測されている。

 顔色も良く、元気そうだったので助五郎は安堵した。余程安堵したのか、助五郎はつい軽口を冗談半分に叩いてしまう。


「そら良かったわ。しかしお前、少し太うなったか?」


「いややわー、お父さんったら。そないに壁に埋められたいやなんて」


 それを聞いた藤は瞬きの間に助五郎へ詰め寄り、片手で彼の首を掴んで壁に押し付ける。そこには男である助五郎でも逃げられない程の力が込められていた。あと藤の顳顬こめかみに血管が浮いていた事も特筆しておこう。


「あだだだ、痛い痛い。なんやコレ、力強うなっとる!」


「いけませんよ、お藤様!そんな……」


「あ、女中さん達に見つかってもうた」


 そんな様子を見て、池田邸で働く女中達が数人駆け寄って来る。一見して藤が池田家の客人に対して無礼を働いている様に見えるので止めに来たのだろう。

 だが、彼女達から出た言葉はそういうものではなかった。


「そんな重労働は私共にお任せくださいまし!キッチリ埋めておきますので!」


 池田家女中はただ妊婦である藤に負担を掛けさせないために集まってきただけだったりする。


「ほな、よろしゅうな」


「婿殿!助けてーな!」


「あのー、皆様。義父殿は一応賓客なので勘弁して欲しいニャー。て言うかお願いします」


 恒興は申し訳なさそうに低い物腰で女中達を止める。

 彼女達は大抵、母親の養徳院の指揮下にあり、恒興の幼少の頃以前から居る人間が大半なのであまり高圧的には出れない。これも女性の権力が強い池田家ならではか。

 何故こうなったかは恒興の父親・恒利が早世したのが大きい。当時、恒興は3歳であり名目上は当主だが当然の事ながら何も出来ない。そこで池田家の家政を取り仕切っていたのは母親の養徳院だ。

 そして恒興は元服するまでは家政に関わる事はなく、信長の傍で成長した。故に池田家の指揮を取り仕切った期間で言えば、養徳院の方が長いのだ。

 当主(夫)がいないから妻が家を仕切る、これは武家において珍しい形態ではない。

 源頼朝の妻・北条政子はその好例であるし、頼朝が大躍進する切っ掛けとなった小山党や比企党を指揮していたのも女性である。石橋山の戦いで敗れ、安房国に逃げた頼朝の元に一族を引き連れてやってきた小山党・寒河尼と比企党・比企尼だ。彼女らは自分の乳子である頼朝を助けるために当主の判断も仰がずに勝手に一族を動かしている。因みに当時の小山家当主・小山政光は在京していて不在、比企家当主・比企能員は比企尼の養子なので逆らえなかった。

 つまり敗けたはずの頼朝があっという間に復活した理由の半分位が彼女達の行いにある。あとは反平家感情の強い関東平氏と関東において広い人脈を持つ足利家を味方に付けた事だろう。

 この池田家中の権力は正室の美代に引き継がれていく事になる。


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「あいたた、えらい目に合うたわ」


「『母は強し』と昔から言いますが、ニャんか物理的に強くなってきてるんですよね。迂闊な発言は控えた方がいいですニャー」


 恒興と助五郎は場所を恒興の私室に移して談笑する事にした。男性陣にとっては一番の安全地帯だからだ。

 池田家の女性陣が日増しに強く逞しくなっていっているのは養徳院のせいではなかろうかと恒興は思うようになっている。淑女に育てると約束したはずの前田慶など武芸に磨きが掛かっている始末だ。

 恒興としては細身の藤はもう少し太っていた方が健康的でいいと思っている。


「しかし失敗した楽市楽座をもう一回やろうやなんて、信長様も中々執念のお人やなぁ」


「義父殿には率先して損な役回りを引き受けてもらい感謝しておりますニャー」


「まあ、婿殿のためやと思えばやな。……でも、後でキッチリ埋め合わせして貰いまっせ」


「ももも、もちろんですニャー!絶対に埋め合わせして見せますニャー!」


 必ず埋め合わせしてもらうと言った助五郎の目がギラリと光る。利益が絡むと商人は恐ろしい程の威圧感を出す、それを受けて恒興は絶対にと約束する。


「なら、ええんや。婿殿は有言実行やからな。ほんま、こんな事言えんの婿殿くらいやで。他の武家なんか大体商人の事を見下しとるさかいに」


「天王寺屋程の商家でもですか。意外ですニャー」


「ワテらは人見て商売しとるからな。面と向かい合うたら解るんや。丁寧な言葉使いでも何処か見下しとるなって。」


 恒興は天王寺屋程の豪商でも見下される事実を意外に思った。確かに日の本の武家には銭稼ぎは卑しい行為という常識が古来からある。

 だが暮らしの上で通商は無くてはならない物だし、この時代になると大分見直されていると恒興は思っていた。

 何しろ現在の幕府将軍家が通商で財を成し、勢力を拡大して天下を取った家だからだ。そもそも足利将軍家とは平安時代から下野国足利で絹を生産していた武家である。そのため商人との交流は盛んで、流通というものを重視していた。現在はその財政基盤を手放しているが。

 恒興は常識は覆し難く根強い物なのだと思うと同時に、商業を重視していた織田家先代・信秀は革新的な考え方の持ち主だったのだなとも思った。


「婿殿には既に頼んどる件もあるしな。調子はどないや?」


「信長様から近江計略の指揮権を頂いていますニャー。六角家を降した後、信長様は直ぐに京の都に入られますので、ニャーは近江に残って攻略を継続する予定ですニャ」


「大丈夫なんか?六角家は強敵やで」


「心配要りませんニャー、既に色々仕掛けてありますので」


(あの謀略が成功したらかなり楽になるはずだニャー。その為に信長様に時間を貰ったんだし。まあ、成功しなくてもやれると思うけどね。だってアイツラ、大軍が来ると直ぐに逃げ出すからニャー)


 六角家には大軍で攻められた場合、城を放棄して山中に逃げ込むという戦法をよく使う。六角家現当主・六角義賢の祖父・六角高頼は幕府の追討を2度受けて2度とも山中へ逃げた。そこからゲリラ戦術を駆使して戦争を長期化及び膠着状態に持ち込んで和議を引き出すのである。そしてまた近江の支配者として返り咲くという事だ。

 この戦法は一見情けなく見えるかも知れないがかなり有効である。何しろ敵地で大軍を維持するのはもの凄く大変だからだ。大軍故に兵糧の消費が激しく、ゲリラ的に襲われるため兵の士気は見る見る間に落ちていく。つまり長期戦になればなるほど大軍の方が不利になっていく。

 昔には祖先の佐々木道誉もこの戦法を何度も使っており、六角家は大敵と当たる度にこの戦法を使う。これを駆使する事で六角家は政変激しい京都の隣で勢力を維持し続けたのである。

 なので六角家を倒すなら彼等が逃げ出す前に包囲するか、誘い出して捕らえるかになる。


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 信長の天下布武宣言は京の都にも伝わり、にわかに噂となっていた。だが大半の公家達からは冷笑を持って受け止められている。尾張の田舎大名ごときにそんな大それた事が出来ようはずもないと。

 昔から公家という生き物は実力より家格を重んじるためだ。そのため公家達に侮られぬように、足利義昭は信長に対し主家である『斯波氏』を名乗る様に要請を出したこともある。この話は信長にその気が無かったため頓挫している。

 つまり公家達にとって織田信長は田舎の成り上がり大将であり、取るに足らない存在だと思われている。ここから信長が本当に上洛してくると清々しいまでの手の平返しをしてくるのも公家という生き物だ。

 そんな相手の実力を見ず冷笑ばかりしている公家達の中で一人だけ信長に注目する男がいる。彼は自分の部屋で一人、ほくそ笑む。


「『天下布武』か……。中々吹きおるのぉ、尾張の小倅が。善き哉、善き哉、ホホホホ」


 男は一頻り笑うと重そうな腰を上げ立ち上がる。これから旅支度をするため、使用人達に声を掛けようと思ったのだ。


「どれ、麿が一つ、織田信長のケツでも叩いてこようかのぉ。アレには今川義元の上洛を潰してくれたツケを上乗せして払ってもらわねばな」


 彼は今川家上洛戦である『桶狭間の戦い』の2年ほど前に、今川義元を訪ねている。その時に朝廷への献金を受け取り、義元の上洛を促したのである。

 今川義元は元々、将軍・足利義輝支援と朝廷のために上洛しようとしていたのだが、そこに尾張制圧を組み込んだのが災いした。


「アレの父親に和歌を伝授した縁もあるし大丈夫じゃろ。思えば尾張下向は良い稼ぎになった。織田信長の代になって、織田家は更なる金持ちになったという。期待できそうじゃ」


 その男はかつて尾張の一豪族に過ぎない織田信秀の要請で彼の地に赴いた。その時も一豪族の献金とは思えないほどの資金提供を受けている。その頃で織田家はかなりの金持ちであった。

 そして彼は同僚の公卿・飛鳥井雅綱と共に和歌と蹴鞠を伝授している。飛鳥井雅綱は蹴鞠の達人であり、彼が蹴鞠を指導し、男が和歌を指導した。

 このことは尾張国内で大きな反響を呼び、信秀と敵対しているはずの織田大和守家当主まで学びに来るほどであった。そして彼等は授業料と称して荒稼ぎ出来た。


「三好三人衆は資金繰りが渋すぎてイカン。帝も早期の譲位を考えておられるご様子じゃし、信長からは出来る限り搾り取らねば。さしあたっては『弾正忠』の位でも用意しておくかの」


 その男の名は山科権大納言言継ときつぐ、54歳。

 周囲の者達からは『銭ゲバ公卿』とまであだ名される人物であった。


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【あとがき】

安藤さんが後年、信長さんにより追放の憂き目を被るのは、この岐阜の楽市楽座でやる気を無くしたのが原因じゃね?と最近べくのすけは思います。一応色々転戦しているはずだけど、活躍してないって事はやる気が出なかったのかなと。

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