毛利さんちの事情

 吉田郡山城よしだこおりやまじょう

 毛利家の本拠地であるこの城は山一つを丸ごと城にした要害である。完全な山城ではあるが、ここにはある特徴が存在する。それは当主館が本丸近くに存在するという事実だ。小さな砦や城ならそういう事もあるだろう。吉田郡山城ほどの規模で当主館と政務所が本丸近くにあるなど、かの防御力最低の観音寺城を思い起こすかも知れないが、それは間違いである。こちらはガチで難攻不落の城だ。それは毛利家の歴史が証明している。

 毛利家の発祥は大江広元の四男で鎌倉御家人の毛利季光が安芸国吉田荘の地頭職を得た事に始まる。その後は安芸国の在地豪族と化し、近隣と戦をし合う豪族として生き抜いた。安芸国の一豪族程度でしかなかった毛利家は度々近隣からの侵攻を受けた。だが、この堅牢無比な吉田郡山城は全ての侵攻を跳ね返した。

 それは毛利元就であっても同様だ。何せ、尼子家の大軍に包囲された地獄の攻城戦も、この吉田郡山城と耐え切ったのだ。

 だから毛利元就は吉田郡山城を居城として動かない。その内部、山の上に住んでいる。政治がやりにくいのも理解している。高い防衛力がある事からも相当登りにくいだろう。しかも標高は390m、88mでも嫌だと言ってる猫がいるというのにだ。それも分かっている。それでも毛利元就は吉田郡山城から動く気は無かった。それ程に信頼しているのだ。

 だがこの山城を登って当主館に行かねばならない者にとっては毎日が地獄だ。何しろ観音寺城と違って登りにくい上に曲輪の数は大小270にも及ぶ。朝、登城したら当主館に着く頃にはお昼になっている事だろう。

 その事を現在、痛感している人物がいる。毛利元就の三男で安芸国高山城主・小早川隆景である。


「はあっ、はあ、何で、はあっ、毎回、こんな、はあっ、はっ、山登りをせねば、はあっ、ならないんですか、はあっ、はあっ、まったく!」


 悪態をついて隆景はついに座り込む。そこは坂が急過ぎて馬が登れない箇所である。所謂、逆落しの仕掛けである。


「根性ですぞ、隆景様。これも筋肉修行の一環と思えば苦になりませぬ」


「宗勝、鬱陶しいので私の横で筋肉見せながら励ますの止めてくれますか?」


「ふんぬらば!」


 登ろうとする敵を上から落石で攻撃する為にある逆落しの坂を小早川家臣の乃美宗勝は軽々と登る。ついでに自らの筋肉を誇示しながら、主君である小早川隆景を励ます。

 その励まし方は隆景に身体を鍛えろと言われている様で疎ましかった。別に自分はヒョロガリのモヤシではない、並程度には鍛えていると。


「まったく!何故、父上はこんな山の上に住み続けているのやら。周りに敵など存在しないのですから、さっさと拠点を政治向きな物に変えればいいのに」


「大殿も身体を鍛えておられるのでは?」


「父上を貴方と一緒にしないで下さい」


 この吉田郡山城は毛利家の本拠地である。当然、その周りは信頼出来る親族や譜代家臣で固めている。何処からどう見ても吉田郡山城に攻め込める敵勢力など存在しない。

 それならばもっと政治向きの場所に住むべきだ。拠点を変えるなり、麓に当主館を構えるなり。隆景はそう何度も進言した。しかし毛利元就は頑として吉田郡山城本丸近くから当主館を移さないのである。おかげで当主館に通う者は限られた数人の重臣のみ。若手の家臣の中には毛利元就を見た事がないという者まで居る始末。この辺りの侍の人気仕官先上位に吉川家と小早川家が並んでいる理由の一端ではないかとさえ思う。

 当主館の問題点を頭の中で列挙しながら、隆景は何とか本丸近くの当主館に辿り着く。そこで家臣の乃美宗勝と別れて父親である毛利元就の部屋に行く。

 庭が見える廊下を歩いて向かう訳だが、今日は騒がしいなと感じる。それもそのはず、今日はちょうど庭の剪定作業が行われている様だ。顔馴染みの親方の指揮の下、若手の剪定師も作業している。

 それを部屋から眺める様に座っている父親の毛利元就と甥に当たる毛利輝元を発見した。隆景は直ぐ様、駆け寄り二人に挨拶する。


「父上、輝元、お久し振りです」


「おお、隆景か、よう来たのう。宮島に行く為の舟は調達出来たか?村上水軍は何と?」


「はあ?」


 隆景が元就に挨拶したところ、素頓狂な質問が返って来た。思わず呆気に取られた返事が出てしまう。

 何となく父親は話が出来そうにないので、横に居る甥に事情説明を求める。


「輝元、これはどういう事ですか?」


「隆景叔父上。おそらくですがお祖父様は陶晴賢との戦いの事を……」


「そんな事は聴いていません。私が聴いているのは父上の状態です」


「それは見ての通りです、はい」


『宮島』『舟』『村上水軍』と来れば『厳島の戦い』である事は容易に想像出来る。問題はそれが7年前だという事だが。

 隆景が聞きたいのは元就の状態なのだが、輝元は見ての通りとしか言わない。見るに元就はいつもの凛々しい感じがなく、若干呆けている様な表情をしている。隆景としてもこれが最初ではないので「ああ、またボケたのか」と察した。


「隆景よ。わしの湯呑みを知らんかのお?」


「父上、目の前にあるではないですか」


「本当にコレかのう?わしの湯呑みはもうちょっと違う感じだった様な気がするんじゃ」


「いやいや、父上の湯呑みはソレしかありませんでしたよ。私が前に来た時もその湯呑みです」


「本当かのう?」


「本当ですって」


 ボケが始まった元就はこんな感じの話を繰り返すのだ。隆景も慣れているので無難に対応していく。

 そうこうしていると、廊下をドタドタと音を立てて向かってくる男が一人。ああ、やっと来たかと隆景は思う。このボケた老人を一人で相手するのは疲れるので助かったと。


「親父、遅くなり申し訳ない!」


「おお、隆元。今回は長く掛かったな。尼子家の件は片付いたか?」


「……元春だよ、親父。それから尼子家の件は未だに片付いてないぞ」


 やって来たのは毛利元就の次男である月山富田城主・吉川元春だった。いや、そもそも父親である毛利元就が元春と隆景を呼び出したのだ。計画の進み具合を報告させる為に。

 自分の名前を亡き兄・毛利隆元と間違えられた元春は啞然としながら父親を見た。それを意にも介さず、元就は自分の湯呑みを元春に見せて尋ねる。


「そうなのか。そうか……それで、わしの湯呑みなんじゃが本当にコレなのかのう?」


「……何だ、これは?」


「父上のボケがまた始まった様です」


 元春は短く呟く事で精一杯だった。自分達を呼び出した張本人が何故こうなっているのかが分からない。そこに隆景が正解を伝える。「ボケがまた始まった」と。

 そういう事かと元春も理解した。過去にも何回か同じ事があったのを思い出したのだ。ならば前と同じ対応をすればよいと考えた。


「またか。ほら、親父、今日はもう休もう」


「おお、もうそんな時間か?あまり眠くないんじゃがのう」


「いえいえ、父上。きっとお疲れなんですよ。一日よく休めば頭も身体もスッキリしますって」


「そうか、そうかもなあ」


 時刻は昼前、当然寝る時間ではない。だがボケを発症した元就を回復させるなら、これが一番だという事を元春は知っている。少し渋る元就を隆景も休もうと推め、腕をとって立ち上がる手伝いをする。


「ほら、おぶってやるよ、親父」


 元春は父親である元就の前で背中を見せてしゃがむ。そして背中に乗れとジェスチャーを送る。元就は少しヨタつきながら元春の背中に乗る。


「すまんのう、隆元」


「俺は元春だ!」


 未だに名前を間違えてくる父親に元春は声を荒げて抗議した。


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【あとがき】


 あわせて『裏』もお読み下さいニャー。


 更新が速くなってるって?知っている人は理解出来るかもな理由『古戦場から逃げました』ニャー。

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