毛利さんちの裏事情

 吉川元春は父親である毛利元就を背負って、彼の私室まで来た。後ろからは弟の小早川隆景と甥の毛利輝元も付いてくる。彼等は部屋に入ると木戸を厳重に締め、光を遮断する。父親を寝かすのだから当然だ、周りからはそう思われる筈だ。

 ……周りからそう見える事が重要なのだ。

 部屋の中に明かりを灯し、戸締まりが完全になったところで元就が一言呟く。


「もうよいぞ、元春」


 短いが先程のボケた感じなど微塵もない鋭い口調であった。その様子に元春も安堵して父親を降ろす。


「やっとか、親父。何でまたボケた振りなんかしてるんだ?」


 そう、元就のボケた振る舞いは全て演技である。過去にも何回かボケた振りをしており、隆景が「また」と言ったので元春も理解したのだ。


「輝元、いったい何があったのです?」


「実はお祖父様がいきなり『あの若い庭師は間者に違いない』と言い出しまして、あんな感じに」


 元春の問いに答えない元就を置いといて、隆景は輝元に問い質す。すると輝元はあっさりと答えた。

『あの若い庭師は間者に違いない』。これが元就がボケた振りをしていた原因であった。それを聞いて元春と隆景の兄弟はまたなのかと頭を押さえた。


「またか!……前は『新人の女中が怪しい』だったか?」


「違いますよ、元春兄さん。前は『御用商人の荷物持ちは忍び』です。その前が『新人の女中が怪しい』で、更にその前は母上の法事に来たお坊さんを『アレは刺客の筈だ』でした」


 こういうのは今に始まった話ではない。あの者は怪しい、その者は怪しいといきなり言い出し、今回の様にボケた振りをする。ボケた振りは老人になってからだが、壮年の頃はドジの振りだったりバカの振りをしていたらしい。


「いい加減にしてくれよ、親父」


「どんだけ人間不信なんですか。いきなり父上のボケに付き合わされる我々の身にもなって下さい」


「いいや、あの鋭い眼光、わしを見る眼差し。ヤツは名うての間者に違いない。わしには判るんじゃ!」


 元就は自分の見立ては間違いないと主張する。100%、彼の直感だけで証拠は何も無い。話は今回の庭剪定作業に見知らぬ庭師がいて、親方から紹介された時にそう感じたらしい。そこからボケた振りをし始めたというので、確実に気違いだと思われただろうと隆景は思う。親方は慣れているから良しとしても、若い庭師には言い含めておかねばならない。何せ、これからも庭師として専属で働いてもらうのだから。


「……有名な間者なんているのか?隆景、庭師というのはそんな怪しいヤツがなれるのか?」


「そんな訳ありません。庭師は言わば専属の家臣の様な者。この邸宅の庭と城の木々を全て整えるんですよ。身元は厳重に調べているに決まってます」


 当たり前の話なんだが、庭師は専属の家臣の様な者。池田家で言えば従者と呼ばれている者達の中に庭師が居る。庭師は専業で侍ではないので「家臣の様な」と曖昧な言い方をする。そんな主君の日常の近くにいる者を厳重に調べていない訳がないのだ。


「だよな。だいたい何で毎回ボケた振りなんだよ?」


「『あの毛利元就がボケた。これは好機じゃね?』と敵が思ってくれたら儲けものじゃろ」


「そんなバカはとっくの昔に親父が全員滅ぼしただろ」


 元就の振りに引っ掛けられた迂闊な者達が未だに生きている訳がない。そのための『振り』なのだから。それで現状で安芸国、備後国、出雲国、石見国、周防国、長門国と中国地方6ケ国を統べる大大名を誰が侮るというのか。


「そうですよ。父上の名前を聞いて油断するアホなんて存在しませんて。本当に父上は小細工がお好きですよね」


「その小細工で毛利家をここまで大きくしてみせたが?」


「はいはい、尊敬しておりますよ」


 謀略というものは結果が出てからそう呼ばれるが、謀略とは云わば小細工の積み重ねである。毛利元就が『謀聖』とまで讃えられるのは結果を出したからだ。彼のやってきた事を一つ一つ分解して見れば、何という小細工の数かと驚く事間違いない。

 そう、今回の様な日常から既に謀略は始まっているのである。


「いやー、わしとしては大友あたりが掛からんかなーと思うてな」


「まあ、あのアホ当主なら有り得ん話じゃないが、大友家は家臣団が優秀だからな」


「家臣の妻が美人だからって、夫を無実で手討ちにして妻を寝取るとか、どういう神経をしてるんですかね、あのアホ当主。それでその家臣の弟に謀叛を起こされてるんですから始末に負えない」


「高橋鑑種な。あれで家臣に団結力があるところが信じられん」


「鎌倉以来の名家の実力ってヤツですかね。家臣団の統治機構がしっかりしてるのかもですね。当主がアホで許されるくらいには」


 毛利元就の目的は大友家にあった。現在、大友家の支配下にある都市が狙いなのである。

 それと同時に大友家には崩せそうな隙きもある。それは当主の大友義鎮がすこぶる評判が悪いという事だ。隆景が言った様に大友義鎮は一萬田親実を呼び出して殺し、付いて来ていた三男の弟や親族も皆殺しにした。一萬田親実に罪は無く、重臣は皆反対したが、義鎮は強行した。その上で義鎮は一萬田親実の妻を直ぐ様・・・側室にした。生き延びたのは次男の一萬田親宗(高橋鑑種)と幼い親実の息子だけだという。それでも彼は大友家で活躍し城主にまで出世し、そして毛利家に寝返った。これはまだ水面下での話なので、元就としては早いところ九州に行って寝返りを確定させたい。筑紫家、宗像家、秋月家も味方に付けて『博多』を支配したいのである。

 だが、大友家の重臣の結束が強固で、門司城の戦いで勝利してもまだ優勢とは言い難い。

 因みに息子の大友義統も他人の妻を寝取ろうとして未遂に終わる。その夫に殴り飛ばされたそうだ。


「ふむ、当面は『博多』制圧を念頭に動かなければな。その辺りの報告を聞こうか」


「俺からか。尼子家の残党がしつこい。これをどうにかしないと、九州方面に兵士を回すのが難しい」


「元春でも無理なのか?」


「尼子家の残党を裏から支援している奴等が居る。どうやら山名家らしい」


 一刻も早く博多制圧に動きたい元就ではあるが、現在はまた尼子家の残党が暴れ出しているので吉川元春が動けない。調べたところ、山名家が尼子家の残党に力添えしているとの事。


「そりゃそうですね。尼子家の残党がやられたら、次は自分達だと思うでしょうから」


「山名家まで相手にするのは骨が折れるのう」


 西に向かいたいのに、逆方向となる東側の問題に元就はやれやれと頭を押さえる。


「次は私からですね。安国寺恵瓊殿からの報告で幕府は概ね毛利家を歓迎している模様。ただし今回の幕府体制は歪との事」


 小早川隆景は京の都に派遣した安国寺恵瓊からの報告を伝える。それによれば幕府は毛利家を歓迎しているとの事。少なくとも以前と同じくらいの待遇だろうと予測出来る。

 ただ気になる事が一つ。それは幕府体制の歪さだと安国寺恵瓊は報告していた。


「歪?どういう風にだ、隆景?」


「政治は幕府、軍事力は織田信長で完全に分かれている様です」


「別に変わった事に思えないがな。前の三好長慶だって軍事力は個別だろ」


 隆景の言う歪さを変わった事ではないと言う元春。それはそうだ、足利幕府とは他人の軍隊でしか戦争が出来ないのだから。そもそも初代将軍の足利尊氏でさえ自分の軍隊は持っておらず、御連枝大名の軍事力で戦争していた。だから幕府も軍事力を持つ大名に役職を与え幕府内に取り込む事で幕府の軍事力としていたのだ。


「一応、三好家は幕府の軍事力という体裁はありましたよ。けれど織田信長は幕府の役職を一切拒否したので幕府の軍事力と見做すかは議論のあるところらしいですね」


「成程のう、幕府の役職を拒否か。……成程とか言ってみたがまるで理解出来ん。何の為に上洛したんじゃ?」


「うーん、趣味とか?つか、分からん」


 だからこそ幕府役職を貰わなかった織田信長を幕府の軍事力と見做すか見做さないかで議論がある訳だ。信長自身はこれを認識出来ていない。自分が担いだ神輿だから役職無しでも命令は聞くよと、考えているのはこの程度だ。

 元就も元春も信長の行動が理解出来ない。上洛には莫大な経費が掛かったはずだ。京の都の建て直しにも巨額の資金が必要なはずだ。現状で織田信長は大損では済まされない金額を消費している、他人のために。なのに『甘い汁』が吸える役職は要らんという。

 人は欲望に生きるものだ、武士とはそこから産まれてきた。欲しいなら奪え、稼ぎを奪え、利益を奪え。毛利家と大友家が博多を巡って争っているのもそのためだ。『欲しい』からだ、他に理由など要らない。

 だから彼等に織田信長は理解出来ない。貨幣経済の育成、流通経済の育成、経済圏の育成という遠大な理想が理解出来る者は少数なのだから仕方がないが。


「まあ、幕府が信長に命令は出来るみたいですから、しばらくは大丈夫かと」


「そのうち破綻すると言うとる様なもんじゃ。わしとしては都に関わりたくないのう」


「破綻したら毛利家に兵を出せと言ってくるかも知れんな。その時はどうするんだ、親父?」


「その時は快く『出す』と返事すればよい」


「いいんですか?」


 意外な答えに元春も隆景も驚いて聞き返す。さっきから博多博多と言っている父親が京の都に兵を出すというのだから驚いたのだ。


「よい。……何時、出すかはこちらが決める話じゃからな」


((出さないつもりだな))


 ああ、そういう事かと二人は納得した。無料ただのリップサービスだけしておけという話なのだと。

 そこに普通の意見を言う普通人が一人。


「え?あの、お祖父様。それは幕府に対する不義なるのでは?」


「輝元は黙っとれ」

「輝元は黙れ」

「輝元は黙りなさい」


 どうでもいい普通の意見を聞いた毛利元就、吉川元春、小早川隆景の三人は首を45度回して輝元に黙れと3コンボを決めてくる。


「……はい」(僕、何か間違った事言ったのかなー?というか、何故三人息ピッタリで言うのさ)


 三連撃を受けた輝元は部屋の隅で凹む。

 それは放っておいて三人の会議は進んでいく。


「しかし博多攻略までは遠いのう」


「なら、こういうのはどうでしょう」


 博多攻略に取り掛かるにも障害が多いと嘆く元就に隆景が提案する。彼はこの現状を利用して運ぶ策を思いついたのだ。


「我々の内に力が足らないなら、幕府に出して貰うんです」


「は?何言ってるんだ?さっきお前が幕府に力は無いって言ったんじゃないか」


「元春兄さん、力なら織田信長が持ってますよ」


「成程な、幕府から命令を出させるのか。破綻していない今なら有効という訳じゃな」


 幕府に力は無いが織田信長には力がある。そして幕府は織田信長に命令出来る。ならば幕府に命令させて織田家から軍事力を出して貰えばいいと。


「はるばる博多まで来て下さいってか?無理だろ」


「そこまで来られても迷惑ですよ。彼等には『山名家』の懲罰をしてもらうんです」


 元春の言う通り織田軍に博多まで来てもらうのは現実的ではない。それは隆景も望んでいない。協力したのだから博多の権利の一部を寄越せと言われても迷惑でしかない。だから織田家には毛利家が今は相手にしたくない山名家を懲罰してもらう。適当な理由とそこそこの貢物を出せば幕府は乗るはずだ。


「ふむ、それなら山名家は尼子家の残党を支援しとる場合ではなくなるのう」


「お、それなら奴等を叩けるな」


 当然、懲罰を受けた山名家に余裕は無くなる。尼子家の残党の支援など無理だ。そうなった時に兄の吉川元春が尼子家の残党に攻勢を掛けるという策である。

 この策の良い所は山名家は織田家に占領されない事だ。幕府の懲罰とは『罰』なので受けて終わりである。基本的には占領まではされないが、それはただの建前で占領された事はある。とはいえ、幕臣にならない織田家を安易に拡大させないとは期待している。


「流石は隆景じゃ。この方針でゆくぞ。隆景は必ず幕府から織田信長に命令を出させるのじゃ。多少の金子を使って構わん」


「はい、承りました、父上」


「元春は山名家が懲罰されると同時に尼子家の残党の件にケリを着けよ。一気呵成にな」


「おおよ、任せてくれ、親父」


 元就は隆景の策を是とする。隆景には策の実行を命じ、元春には攻勢準備を命じる。


「わしは引き続き、ボケた振りをして大友義鎮あたりが罠に掛かるのを待つとしようか」


「だから何でボケた振りなんだよ」


 そして元就はボケた振りを続けて誰かが引っかかるのを待つと宣言する。即座に元春から抗議の声が挙がる。


「だいたい、今も新しい側室から私達の弟妹が産まれてきているのにボケたはないでしょう」


「それな。そのうち俺の孫より若い弟妹が出来そうで怖いぜ」


 現在までに毛利元就には八男まで産まれているが、この後も産まれる予定である。彼がこれほどに子供を作る事に熱心なのはある理由があった。


「やかましいわ。この戦国時代、信用出来るのは血を分けた一族じゃぞ」


「結局、親父の人間不信から来てんのかよ。他人が信用出来んから子供増やそうって魂胆か!?」


 どこまでも他人が信じられない男、それが毛利元就という英傑である。というよりは謀略の力の弊害というべきか。謀略を使う時、根幹にある考え方が『人は裏切るもの』を基本としているからだ。だから謀略を使えば使う程、人が信じられなくなる。『人は裏切るもの』だからだ。

 そうなると人は安心できるものに縋る。元就にとってそれが『自分の子供』であった訳だ。


「もういいんじゃないですか、元春兄さん。父上が元気なら毛利家は安泰ですから」


「ま、それもそうか。よし、それじゃ俺が親父好みの女性を探してやるか」


「元春兄さんの女性の趣味は特殊ですから、父上には合わないと思いますよ」


 ここで空気が凍り付く。皮肉屋の隆景が発した一言は元春には聞き捨てならないものだった。この男は何より自分の妻をバカにされると怒り出す。それはもう一瞬で沸騰する。


「あ?何お前?もしかして俺の嫁、バカにしてんの?ケンカ売ってんの?いいよ?やるよ?買うよ?死ぬよ?」


「落ち着け、元春。お前の妻である新庄は類稀なる性格絶世の美人ではないか。あれ程、気立ての良い嫁はなかなかおらんぞ。容姿などどうでもええわい」


 元就は怒り出した元春を宥める為に、彼の妻を褒める。容姿などどうでもよくなる程に性格が美人であると。すると今度は別の方向が沸騰した。


「は?何すか、父上、それ?それじゃあウチの嫁は顔だけって言ってる様なもんすよ?何すか、それ?何すか、それ?謝罪と釈明を要求してもいいっすかねー?」


「あーっ、もうお前ら、めんどくさいのう!こんなの一人でツッコミきれるか!隆元、帰ってきてくれ〜」


 隆景まで怒り出して面倒になった元就は、今は亡き息子に帰ってきてくれと嘆く。一癖も二癖もある弟達を誰よりも上手く御していた毛利家前当主を。それを聞いて輝元は自分をアピールしてみる。


「お祖父様、輝元ならココにおりますよ」


「輝元は黙っとれ」

「輝元は黙れ」

「輝元は黙りなさい」


 どうでもいい普通のアピールに毛利元就、吉川元春、小早川隆景の三人は首を45度回して輝元に黙れと3コンボを決めてくる。


「……はい」(やっぱり納得いかなーい。僕は毛利家当主なのにー。あと何でここだけ息ピッタリなのさ!?)


 三人からちっとも当主扱いされない毛利輝元9歳は世の中の理不尽さを噛みしめていた。


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【あとがき】


 腹黒謀略家の祖父

 腹黒武闘派の叔父

 腹黒軍略家の叔父

 思考が常識人な輝元君

 超頑張れ

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