日の本仏教の問題点with弾正様漫遊記 最終回

 筒井城制圧から数日経過し、恒興の軍団は既に撤収準備を終えた。あとは恒興の代わりとなる織田家代官の塙直政の到着を待つばかりとなった。それも先程、到着の報せがあったので恒興は自ら城門まで出迎えた。


「やあ、恒興君。待たせたね」


「塙殿、よくお越しくださいましたニャー。これでニャーも近江戦線に戻れます」


 塙直政とその家臣と従者、諸々100人あまりが到着。これにより恒興は大和国において御役御免となる。近江国小堤城を出て2週間程、そろそろ甲賀もいい感じになっている筈だ。時間を置いた事で最初の勢いだけの交戦ムードが落ち着き、話し合いという選択肢が産まれている頃だ。そこに『池田恒興が筒井家を制圧』と聞けばどうなるか。恒興は戻るのが楽しみなのだ。


「まあ、途中でお客を拾ってしまったので少し遅れた。済まない」


「ん?お客って誰ですニャ?」


 恒興が聞き返すと、塙直政の後ろからズイッと濃い顔の老人が出てくる。


「お初にお目にかかる。わしは多聞山城主の松永弾正少弼久秀と申す。池田殿、この度はわしの・・・援軍かたじけない」


「ああ、こちらこそお初で御座いますニャー」


(いろいろ有りすぎて存在を忘れとったニャー。ていうか、もう面倒だから会いたくなかったんだけど)


 その老人は松永弾正少弼久秀。恒興が大和国に来る原因を作った者だ。当初はキレてぶん殴ると心に決めていた恒興もいろいろ有りすぎて存在ごと忘れていた。そのいろいろの中に筒井家の保護大名化や筒井順慶の犬山行きなどとんでもイベントが多かった為、気にしている暇がなかったのだ。


「いやはや、池田殿の神速に驚きっぱなしで、わしの鈍足では追い付きませんでな。やっと追い付きましたわい。……それで、何時頃に筒井城を引き渡して頂けますかな?」


「引き渡しですか?何故、そんな話になるのですかニャー?」


「何故なら、わしは織田信長殿より大和国の支配権を約束して頂いておりましてな。戦い続きの貴殿が知らないのは仕方がない事かも知れんが」


「はあ」


 松永久秀は織田信長と面会した時に大和国に対する支配権を承認されている。恒興はその場には居なかったので、どういう話し合いが為されたかは知らない。だが恒興の前世でもそうなっていたので予測はしていた。


「貴殿が主君の決定に逆らうのはよろしくないと思いますぞ?自分の戦果を他人に渡すのが惜しいという感情は理解出来なくはないですがなぁ」


「まあ、信長様の決定であればニャーに異存は御座いません」


「そうでしょう、そうでしょうとも。それで何時頃で?」


 満面の笑みで時期を聞いてくる久秀。松永家はこの後も織田家の力を借りながら大和国制圧に勤しむ……筈だった。もう状況は前世とは違うのだよ、と恒興は思う。ある一人の男によって状況は激変させられたのだから。


「お言葉を返す様で恐縮ですがニャー。何故、織田家の保護大名である筒井家の本拠地を松永殿に渡さねばならないので?」


「ですから、貴殿の主君がそう決めたからで……ん?今何と?」


「何処を繰り返しますかニャー?」


「さ、最初で」


「では最初から。『何故、織田家の保護大名である筒井家……』」


「そこーっ!!何で筒井家が織田家の保護大名なんじゃーっ!?」


 激変させられた状況。それは筒井家が既に織田家の保護大名だという事実。恒興の前世ではもっと後年の話で、現在ならガチ抵抗中の筈だ。

 保護大名というのは文字通り大名を保護している状態で領地保全も織田家の責任になる。傘下従属は織田家を支持して、戦争になれば織田軍として部隊を派遣するという感じだ。だが保護大名となると更に内政干渉や外交制限などもあるので結構キツイ。その代わり織田家の責任も傘下従属よりかなり重いものとなる。

 という訳で、恒興は一歩も譲歩する気が無い。まあ、したくても出来ないが。

 それは久秀も分かっている様で、丁寧な口調が消えて素に戻るほど驚いている。三好家にも保護大名は居たので、家宰だった久秀もその重みは理解していると思われる。


「そんな事を言われましても、既に信長様も承認済ですニャ」


「い、何時?」


「一昨日」


「筒井城の引き渡しは?」


「ある訳ありませんニャー」


「えー?」


 矢継ぎ早に質問を重ねる久秀に淡々と答える恒興。既に筒井家の領地と確定している場所は織田家の保護対象となるので、一切の切り分けを拒否する。当然、筒井城は筒井家所有なので渡せない。


「因みに保護大名の条件として当主の筒井順慶殿を織田家で預かりますので撤回は有り得ませんニャ」


「はいー?」


 筒井家は保護大名化するにあたり筒井家当主を人質に出す。これは他から見ると強烈に厳しい措置である。保護大名でも当主を連れて行く例はあるにはあるが、極度に少ない。残された家臣達が怒り出す事が多いからだ。なので当主を連れて行く以上は、保護大名化を撤回出来ない。少なくとも織田家側は。


「筒井家にはこちらの塙直政殿が代官として派遣されておりますのでよろしくお願いしますニャ」


「ひゅいー?」


 恒興はついでにと塙直政を紹介しておく。久秀は恒興の言葉が出る度に「わし理解出来なーい」みたいに返すだけになってきたが、恒興は最後までたたみ掛ける。


「という訳でして、大和国支配は『筒井家抜き』でお願いしますニャー」


「そんな所が何処にあるんじゃぁぁーっ!?」


「南に何か居ませんでしたっけ?えーと、何だっけ?」


「『越智家』な!あんな所に行けと言うのかーっ!」


 越智家。

 大和国南部の大豪族で現在の当主は越智家増。越智家の所領の場所は日本史上でも有名でやんごとなき方々が何かあると毎回拠点にする『吉野』の隣である。この『吉野』の隣というだけでもの凄く面倒くさい、主に寺社関係が。因みに恒興は最初から行く気が無い。

 越智家は筒井家にとって鎌倉時代から抗争を続ける敵である。戦国時代にも四度ほど合戦に及び、結果は圧倒的多勢の筒井軍が攻め切れず敗北。越智家は全て防衛した。

 ならば敵である筒井家の敵である松永家はどうかと言うと、越智家にとって敵だった。というか、三好家の頃から敵である。敵の敵はやっぱり敵だろというバーサーカーな豪族である。


「では、頑張って下さいニャー」


「そんなバカなーっ!?バカなっ…! バカなっ…!なんでこんなことがっ……!なんでこんな……あってはならないことがっ……!どうして……なんで……こんな……こんな……」


「父上、お気をたしかに!」


 久秀は断末魔の呻きを上げながらグニャグニャし始めたので、付き人の様に後ろに居た松永久通が介抱する。

 とりあえず恒興は話が終わったなと確信した。


「だ、大丈夫かなー……」


「塙殿、あの松永久秀ニャんですが」


「松永殿が何かな?」


 頭を抱えて呆ける松永久秀を放置して、恒興は塙直政に耳打ちする様に小声で話す。一応、松永久秀には聞かれたくないので。


「あの男、筒井家の家臣や豪族からかなりの人数を人質に取っているみたいニャんです」


「ん?それはどういう事だい?」


「アレですよ。家臣や豪族も領地持ちですから。領地に侵攻されたくなかったら人質を出せって脅した訳ですニャー」


 松永久秀は筒井家の家臣や豪族から人質を取っている。手法は簡単で人質を出さないなら領地に攻め込んで焼き払うぞと脅したのである。

 敵対はしていても領地を焼かれたくない家臣や豪族は人質を出すしかなかった。領地を焼かれないための一時凌ぎであったとしても。

 この様な敵対大名に人質を出すスタイルは同じ国内に大名が存在し敵対している場合によく起こる。大名間で在地豪族の取込み合戦をしているという事だ。この場合の人質は常識的に殺されない。殺したら在地豪族が二度と味方にならないからだ。


「成程ね。そして松永家で人質を養育して、後で家を継承させて味方にするというヤツか。意外と遠大な計画をお持ちの様だね」


 松永久秀の考えは人質を松永家で養育し、自分の家臣や信奉者になる様に仕向ける事だ。その後、現在の当主を力尽くで隠居させて、人質の方を当主に据える。これで武家を丸ごと味方に付けようという策なのである。この手法は割と使う所が多い。

 恒興が知っている者でも人質を出している家がある。松倉右近である。彼の十歳にも満たない幼い弟と妹が人質に出されている。

 恒興の前世でいけば、松倉右近の弟と妹は処刑される。筒井家が織田家と松永家相手に頑強に抵抗した為、裏切らない筒井家臣達に業を煮やした松永久秀が人質を処刑したのだ。この時にかなりの数の人質が処刑された様だ。ただ、この所業はまったくの逆効果で筒井家臣は更に団結して抵抗を続けた。その当時でも十歳にも満たなかった弟と妹を殺された松倉右近は『真の松永絶対殺すマン』への進化を果たしたかどうかは定かではないが、より一層暴れ回った様だ。

 だが今世ではどうだろうか?織田家と松永家への抵抗を決めた『本来の筒井順慶』が居らず、代わりに『転生者の筒井順慶』が居る。そのため彼は同じ転生者である恒興を見つけ、あっさりと織田家に降伏した。これにより筒井家と松永家は共に親織田家となり、松永久秀は手が出せなくなった。

 つまり松永久秀にとって人質自体が無駄な存在となってしまった。いや、そのまま人質の保持を続けると「何でウチが保護してる筒井家から人質取ってんだよ?」と信長から睨まれる話だ。


「もう人質なんて必要ありませんよニャー。お互いに親織田家な訳ですし。それで塙殿には松永久秀に人質の返還交渉をお願い致したく」


「恒興君じゃなくて、私が?」


「はいですニャ。是非に」


 恒興は塙直政に人質返還交渉を依頼する。信長の寵臣とも言える塙直政なら上手くやれると恒興は確信している。もし松永久秀が交渉に応じなければ、織田信長に直接報告出来る人物だからだ。

 恒興に「是非に」と勧められて、塙直政は自分が交渉した場合の結果を皮算用する。予測出来る成果に塙直政は顔がニヤけてくる。


「それはそれは。大変重要だね〜。人質を取り戻して家族の元に返せば、筒井家の人々はグッと織田家に心を寄せるだろうね~。そして私の筒井家における存在感も大いに増すと」


「流石は塙殿。分かってらっしゃいますニャー」


 人質の返還交渉を塙直政が担当し、人質を全て親元に帰らせる。筒井家からは『筒井順慶』という特級の人質を貰っているので他の人質など必要ないのだ。

 すると何が起こるか。まず親子の感動の再会となる。となれば、このドラマを演出した織田家に筒井家臣達が感謝する。それまで『織田家なんかどうでもいい』と思っていた筒井家の人々が『織田家サイコー!』となるのである。筒井家内の親織田派が急速に勢力を拡大する事だろう。そしてこの交渉を担当した塙直政の株は長期間、最高値を更新し続ける。

 このような予定を恒興は計画している。


「いやいや、人質の事を知っていて残してくれている。君は本当に何処まで計画しているのか」


「ニャーは情報収集だけは欠かしませんから」


「……出世する訳だ。有り難く承ろう」


「よろしくお願いしますニャー」


「さて、それでは前交渉と行こうか。松永殿と話してくるよ」


「はい、塙殿。あとはお任せします。ニャーは軍団を纏めて近江へ戻りますので」


 恒興はにこやかに塙直政を見送る。そして恒興が話し終わるのを見計らう様に一人の男が恒興に挨拶する。


「相変わらずのご健勝の様で」


「ん?お前は……本多正信か?何でここにいるんだニャ?」


 そこに居たのはかつて犬山で行き倒れたのを助けた事がある本多正信だった。ただ前と違って、かなり逞しい感じに変わっていたので、本多正信と確認するのが遅れてしまった。


「お久し振りです。現在は松永弾正様にお世話になっておりまして」


「石山に行くんじゃなかったのかニャ?」


「行きましたよ。そして加賀国にも行きました」


「ほう、それはそれは」


 加賀国にも行ったという報告を聞いて、恒興はさぞかし良い経験をしただろうなと思う。謀略を目覚めさせる絶望を積み上げたはずだと。本多正信の眼光は以前の夢幻ゆめまぼろしの理想を語る甘い人間のものではなかった。


「……知っておられたんですね。石山の現状を」


「知ってたニャー。大きいお寺さんの上の方なんて、あんなもんだ」


「……やはりそうでしたか。薄々、そうではないかと思っていました」


 石山寺の現状は『救世』という甘い理想を持った正信が思い描いた場所ではなかった。眩い程のカリスマを持つ法主に集まる敬虔な信者。そして集まった信者から搾取し続ける坊官達。正信に「救世とは何だ?」と考えさせるには十分だった。更に本願寺の将となり加賀国へと行った事で救世どころか地獄を味わってきた。

 だからこそ思う、路銀まで援助して快く送り出してくれた恒興は最初から知っていたのではないかと。そして恒興は事も無げにそうだと返事した。


「それを確かめて、お前はどうするんだニャ」


「それを認識した時、私は一つの疑問がある事に気付きました。その疑問を貴方にしたいと思いまして」


「ニャんだ?」


「何故、貴方は石山の現状を知っていて、私を支援してくれたんですか?本願寺派との関係改善も言っておられたが、おそらくはその気も無い。となれば、私を支援するのはおかしい。あの時に私を見捨てても誰も貴方を責めなかった。……いったい何が目的なんですか?」


 本多正信の疑問は『池田恒興は何故、本多正信を支援したのか』である。石山寺の現状を知っているなら正信を行かせる意味が無い。本願寺派との関係改善も視野に無いなら尚更。というか、ほぼ部外者である正信に期待する方がおかしい。そして勝手に行き倒れた正信を助ける必要もない。路銀まで出して送り出す理由がまったく理解出来ないのである。


「お前が頭良さそうだからかニャー」


「そんなとぼけた答えを信じろと?」


「いや、別にニャーは嘘なんか言ってねーギャ。お前は見た筈だ、仏教界の上層が『黒いもの』で巻かれている様を。頭の良いお前はそれをどうにかする方法を考えてるんじゃないのか?」


「……」


 恒興の答えはやはり理解出来ないものだ。だが正信は恒興の言う『黒いもの』は確かに感じた。それを見て、ああするべきだ、こうするべきだと考える事は多々あった。


「ニャーがお前に期待しているのは正にソコだ。大抵の武家は面倒過ぎて焼いた方が早いって考えるからな。でもそれじゃ何も変わらねえ」


 恒興が正信に期待しているのは仏教界をどうにかする事を考えさせる事だ。要は恒興の考えと違う物を考え出せればいい。

 恒興は信仰心など無い武士だ。だから今のところ焼く以外の方策を持っていない。相手が武力を持っているのだから、こちらも武力で対抗する以外にはないと考えている。ただ、それでは昔から同じ事の繰り返しになる。だから信仰心を持ち、恒興と同じ謀略の力に目覚めるであろう本多正信に期待した。自分とは違う答えを導き出すのではなかろうかと。

 謀略とは後ろ暗い事をする時もあるが、未来を思い描く力でもある。思い描いた未来に辿り着く為に策という積み木を積んでいく行為なのだ。


「貴方はその『黒いもの』が何かご存知で?」


「当たり前だニャー。そんなもの『武家坊主』共に決まってるニャ。アイツラは武家の性格そのままに坊主の皮を被った。寺に武器を持ち込み、僧兵団を組織し、欲しい物は仏の名を盾に力尽くで奪う。『黒いもの』の正体はアイツラから発せられる『武家の欲望』だ」


 恒興が言う『黒いもの』の正体とは『武家坊主』が放つ『武家の欲望』そのものである。『武家坊主』というのは二種類あり、一家の当主が隠居する際に得度する場合と武家が余った子息を寺に送る場合がある。恒興が言う『武家坊主』は後者である。

 武家が嫡子以外の息子を寺に送る事が多いのだが、その子らは『武士』として生きてきた。その彼等がいきなり寺に送られて僧侶になれと順応出来る者はどれ程居るのだろうか。案の定、彼等が僧兵の先駆けとなり武力で欲望を叶える様になる。そのやり方は武家そのもので、更に神仏の名前まで盾にしているので厄介なのだ。


「仏教から武家坊主を排除すれば、かなり清浄化されるかもニャー。だが、こいつがとんでもなく難しい。何しろ僧侶全体における武家坊主の割合は8割を超えてるんだからニャ。諦めて全部焼こうとするヤツの気持ち、少しは解るか?」


 寺に武家のやり方を持ち込んだ『武家坊主』を排除出来れば、仏教界はかなり清浄化するのではないかと恒興は言う。だが、それが強烈に難しいのも知っている。何しろ、武家の子息送り込みは平安期からずっと続いている。そのため『武家坊主』自体が仏教界を埋め尽くす勢いで、その割合はおそらく8割以上と見られている。

 彼等を排除する見込みは立たないし、普通の僧侶と武家坊主を分ける事も難しい。だいたい武家の考え方を捨てて、普通の僧侶になる者もいるのだ。それをすべて仕分ける事など不可能だ。

 だからあらゆる武士は丸ごと焼く方を選択するのだろう。或いは、その寺という器自体が悪の温床だと割り切っているのかも知れない。


「貴方もそう考えていると?」


「ニャーは天才じゃねぇ。英雄でもねぇ。ましてや神でも仏でもねぇ。出来る事と出来ねぇ事があんだよ。焼きたくねぇって駄々捏ねても、このままならいつかはやらにゃならん時が来るニャ」


「……」


 池田恒興はやれる事だけをやってきた。そして実現不可能な事は最初からやらない。源義経の様に不可能を可能にしてみせれば、天才だの英雄だのと讃えられるのだろう。或いは神仏の如く崇められるか。

 何れにしても恒興は成功確率の高さを選ぶ。堅実を取り、博打など打たないのだ。だからこそ彼は楽天的に物事を考えない。


「その時にやらにゃ、己が大事にしてる何かを手放さなきゃならんだろうニャ。そうなるくらいなら、ニャーは焼く」


「成程、それが貴方の決意ですか」


「ある程度とは仲良く出来ても、全ては無理だニャ。いや、今は仲良く出来ても、何れは焼く破目になるかもニャー」


 やらなければならない時が来たらやる。恒興は自分の覚悟を語る。でなければ、己が大切にしている何かを失うかも知れない。対価を支払う破目になるという事だ。

 恒興の決意が堅いと見た正信だったが、どこか嫌そうだなとも感じる。彼はもしかしたら自分を否定して欲しいのかもと。正信はまだ確信に到れない考えを言ってみる事にした。もしかしたら恒興が欲しいのはコレかも知れないと思ったからだ。


「仮にですが」


「ニャんだ?」


「仏教を法の内側に戻す事で抑えられないでしょうか?」


「どういう意味だニャ?」


『仏教を法の内側に戻す』という本多正信の言葉を恒興は理解出来なかった。内側も何も日の本に多数存在しているではないかと。


「彼等は現在、法の内側にはいないのです。だから寺内法を勝手に制定し好き勝手出来る状態であると私は見ます」


「……続けろニャ」


 これは正信の言う通りだ。この頃の仏教寺院は全て法の下に居ない。いや、法があるのかと言う話かも知れない。本来の立法機関であるはずの朝廷は鎌倉時代に全ての力を奪われ、建武の新政で立て直しを図るも失敗した。それ以降は『在る』だけの存在となる。

 鎌倉幕府というのは武家の法『御成敗式目』を制定した。この法律は源頼朝の頃には既にあったが、公表したのは北条泰時である。これを公表しなかったのには源頼朝なりの考えがあった。理由は簡単で公表すると人は『法の抜け道』を必ず見つけるからだ。案の定、抜け道を多数見付けられ、鎌倉幕府の滅亡の一因となる。特に農民の納税に関する法律に不備が有り過ぎて、簡単に脱税が出来たらしい。

 では、戦国時代の基本法は何か?それは『御成敗式目』である。……おい、と言いたい気持ちは解るが、足利幕府は立法機関ではないのだから仕方がない。まあ、『御成敗式目』をそのまま使うと問題が多いので、問題箇所に修正を加えて使っている。これを『分国法』または『家法』といい大名家ごとに名前が違う。有名なのを挙げると『今川仮名目録』や『甲州法度之次第・信玄家法』が代表となる。ベースとなっているのが『御成敗式目』という事だ。

 この戦国時代の法律には武士、町民、農民までしか含んでおらず、寺社は範囲の外なのである。そのため寺社では独自の法律を『自分達の都合』だけで制定していた。『寺内不介入』などはその典型。他にも『仏物私物の法』などもある。

 この『仏物私物の法』は元々、寺に悪僧が現れて寺の財産を悪用しない様に作られた。内容としては「一度、仏の物になったら二度と人の物にしてはいけない」である。これにより寺の財産の不正利用を防ごうとしたのだが、時代が下ると見事な曲解をされる。『仏物』の適用範囲が土地から米の一粒にまで及び、貸付けた米や銭は仏の名の下に暴利子も苛烈に取り立てた。「仏の物を返さぬ罰当たりめ」と悪僧がかなり暴力的に取り立てたという。それなら『仏物』を人に貸すなという話だが、その時は貧民救済の為とか言い出す。更には土地所有に関しても適用された。昔、寺の荘園だったから返せといろいろな大名に言っているのもこの法のためだ。たしかに昔に荘園を横領したのは武士なのだろう。だが、その武士を力で滅ぼした武士に、その言い分は通用するだろうか?力で奪った物だ、力が無いヤツは黙れ。普通の武士ならこう言うだろう。

 これが織田家と延暦寺がいきなり争っている理由でもある。六角家が延暦寺と争っていた土地所有権をそのまま織田家の領地にしたからだ。


「はい。では何故、彼等は法の内側に居ないのか?これは過去に朝廷が彼等を投げ捨てたからに他なりません。そもそも僧侶は国家の役人だったのですから。それが財政難で捨てられ、生きていく為に武家と結び付いた。これが罪だと仰るなら、貴方は最初から仏教に滅びろと言っているのと同義です」


「なかなか手厳しい事言うニャー」


 仏教僧侶は昔、朝廷の役人であった。遣唐使が行われていた時代の事である。その頃からなのだが、仏教は布教を禁止されていた。日の本全土にある末寺の大半が天台宗、真言宗、法華宗、浄土真宗などの比較的新興宗派であるのは、この朝廷による布教禁止令が関与している。つまりこれらの新興宗派が確立した時にはもう僧侶は国家の役人ではなかったので、布教禁止令をガン無視したという事だ。それに比べると法相宗興福寺や華厳宗東大寺が入る南都六宗の末寺は布教禁止令の影響もあり、かなり少ない。

 そして朝廷はどんどんと力を失い、代わりに武家が実効支配し始める。寺社はこの在地の武家と結び付いた。特に武家から人気が高かったのが『土地の寄進』だ。平安末期、武家が力を持ち始めたとはいえ朝廷への税金はあった。そして寺社は非課税である。(現代でも非課税)そこに目を付けた武家は領地を寺社に寄進したのだ。統治するのは武家、名義は寺社、税金は朝廷より安く。こういう構図が出来上がり、実に日の本の半分が寺社領になったという。もちろんだが、この事態は大問題だったので源頼朝は地頭を全国に配置した訳だ。それから現在に到っても武家と寺社の諍いが絶えない。


「すみません、話を続けます。こうして仏教寺院が武家化していったとなれば、ある程度『武家法』というものが適用出来るのではないかと私は思うのです。つまり武家が受け入れ易い法は寺院も受け入れ易くなっている。本願寺派の『王法為本』などその典型です。言っている事は『主君に仕えろ』とこれだけです。大変、武家らしい」


「ニャるほど。武家の法を寺にも適用する、か」


 正信は寺社に武家の子息が入り続け、寺社の武家化がかなり進んでいるなら、考え方そのものも武家に寄っている筈だと言う。ならば『御成敗式目』を基本とした武家法を適用する下地があるという事だ。


「絶対条件としては強力な政権を樹立して立法機関を立ち上げる事ですね。武家化しているなら力は必ず必要です。あとは立法機関に高僧を招いて、寺院の面目を立たせる事かと。面目を汚されると『武家』は怒り出しますから」


「めんどくさいニャー、『武家』ってヤツは、ほんとに」


 立法機関であった朝廷は有名無実化し、鎌倉幕府は消滅した。織田信長が上洛して再建した足利幕府はそもそも立法機関ではない。

 となれば、誰かが新たな立法機関を建てなければならない。それも諸大名が従う様な強大な物でなければ、寺社に法を施行する事は出来ないと正信は言う。その上で立法に高名な僧侶を招くべきと。

 そこまでしてやらないといけない、武家は面倒くさいなと恒興は笑う。


「と、偉そうに語ったのですが、まだこの程度ですよ。どんな法が有効か、誰を招けばいいのか、何より強力な政権は何処だとツッコミ所が絶えない机上の空論ですよ」


「いや、やっぱりお前はスゲーよ。ニャーは焼く事しか考えてなかった。そうか、法の内側に居ないから、律する事が出来ていないから。これが根幹の問題ニャのか」


 従わないなら焼くしか手はない、そうとしか考えてなかった恒興は正信の意見を素直に褒めた。彼等は法の内側に居ない、つまり彼等は国の内側には居ない『まつろわぬ民』。国家が彼等を捨てたからまつろわぬ破目になった。

 それをもう一度、法の内側へと戻す。仏教の清浄化はそれからの話だ。恒興は正信の意見で『焼く』以外の選択肢が朧気ながら見えた気がした。


「これからも、いろいろと見聞を深めてより良いを探ろうと思いますが」


「そうか。旅費の追加、要るか?ニャーはお前に投資すべきと感じたから出すぞ」


「足りなくなったら貰いに行きます」


「そういう遠慮のないところ、ニャーは結構好きだぞ。じゃあ、また聞かせてくれ」


「何れ、貴方の下でも学ばせて貰えますか?」


「おう、何時でも来い。客分の席なら用意してやるニャー」


 恒興は正信と再会を約束し別れた。正信も現在の主である松永久秀の介抱に向かった。

 予期せぬ再会を果たした恒興は満足気に笑った。あの時、助けておいて良かったと。これが『情けは人の為ならず』なのだなと思った。

 正信の策が使えるかどうかはまだ分からない。としても、恒興は止まる訳にはいかない。撤収作業を終えた池田軍団の諸将が待っている。まだ戦いは終わってないのだから。


「戻ろうかニャ。甲賀へ」


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【あとがき】


 大友さんの言い訳


 大友「俺の父は家臣に殺されたんだ。だから1mmでも怪しい(気に入らない)ヤツは即殺す。で、可哀想な未亡人は引き取る。どうだ?俺ってば優しいだろう」


 大友「寺はカネカネうっせーからキリスト教にする。寺は焼いて壊して弾圧する。資産没収財産没収、これで大友家の財政は大黒字だ。どうだ?俺ってば賢いだろう」


 結果、領内反乱と家臣の謀叛が止まらなくなる。


 小原高橋原田秋月宗像筑紫立花「やってられっかー、謀叛したらー!」


 大友「あれれー?おっかしいーぞー?」


 臼杵戸次吉岡吉弘「御当主、いい加減にしろよ」


 某謀聖様「上手く行き過ぎて、わしビックリした」




 宗「あれ?何か俺が暗君みたいになってない?いやいや、分国法の『大友家政道条々』とか制定してるし!有能だろ!」

 親「いや、代々やってるよ。だいたい時代に合わせて変えてる程度じゃないか」

 宗「あ、貴方は御先祖様!?」

 親「そう、大友家法といえば私。大友家二代目当主・大友大炊助親秀だ。まあ、偉そうな事を言ってしまったが、私の代であの問題だらけの御成敗式目が制定されてな。運用するにあたって手直しに奔走したんだ」

 宗「俺には想像出来ませんがそれは大変でしたね」

 親「大変なんてもんじゃない。これを見ろ」


 第5条:「集めた年貢を本所に納めない地頭の処分について」

 年貢を本所に渡さない地頭は、本所の要求があればすぐそれに従わなくてはならない。不足分はすぐに補うこと。不足分が多く、返しきれない場合は3年のうちに本所に返すこと。これに従わない場合は地頭を解任する。


 宗「ほうほう。年貢は納めろよ、不足分が多いなら三年待つよと。なるほど、これが問題なんですか、御先祖様?」

 親「問題しかない!意図的に渡さないヤツへの言及が無いんだよ!横領天国じゃないか!」

 宗「……こりゃ酷い!俺でもこんな法律は作らないぞ」

 親「更にこれだ」


 第42条:「逃亡した農民の財産について」

 領内の農民が逃亡したからと言って、その妻子をつかまえ家財をうばうことをしてはならない。未納の年貢があるときはその不足分のみを払わせること。また、残った家族がどこに住むかは彼らの自由にまかせること。


 親「これは逃散した農民が残したものを指しているのだが」

 宗「なかなかの温情措置ですな」

 親「現在逃亡中の記載が無いんだ。だから納税時期になると逃亡するヤツが激増した。安心して逃げれるってな。これは手直しではなく、新たに法度を追加したよ」

 宗「お、お疲れ様です」

 親「大友家ではこの様に御成敗式目を基礎に手直しを続けてきたのだ。これは代々当主の義務とも言える。だからこそ戦国時代において大友家は強固な統治体制を確立していたのだ」

 宗「流石です、御先祖様!……あれ?別に俺のフォローじゃない様な」

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