激突 稲葉彦vs島左近

 池田軍団別働隊は街道を外れて東へ進む。稲葉彦が率いる別働隊は総勢5600。本隊である池田恒興の軍団が総勢2400と少々歪な軍団編成になったが、待ち構えている筒井軍主力は総勢4000程なので仕方がない。筒井軍は総勢でも5000強と松永弾正からの報告にあったので、伏兵となった兵数は1000〜2000と推測される為だ。

 彼等が進むその先に敵軍が居る訳だが、相対する前に別働隊指揮官の稲葉彦は軍議を開いて状況を説明する。


「地形は山間にある平野部。両側は山が連なっておる。この奥で敵軍が展開し、我等を待ち構えておるようじゃ。今のところ、敵に動きは無い」


「急に狭くなっている谷地形って訳か」


「戦略上で言う『隘路あいろ』ですね。大軍を少勢で迎え討つには向いています。だからここに陣取ったのかも知れませんね」


 軍議の出席者は佐藤紀伊守忠康に岸勘解由信房。佐藤衆1000と岸衆600を率いる。


「とはいえ、万を超す軍団でもない限り難渋はせぬ。今の規模なら展開は可能。ただし両翼が山に差し掛かる為、橫撃は難しいじゃろうな」


「お互い正面から当たるしかないって訳ね」


「玄蕃ちゃん、両脇の山に敵の伏兵が居る可能性も考えなければなりませんよ。その辺りの対処はどうなっていますか、稲葉殿?」


 肥田玄蕃に肥田家の家老で伯父でもある肥田兵内ひょうだい。肥田衆1200を率いる。……主に肥田兵内が。


「心配は要らぬ。我等には打って付けの者達が居るではないか」


「なるほど、我が奥美濃衆の出番か」


 伏兵の対処には遠藤六郎左衛門慶隆の奥美濃衆1200が当てられる。彼等は山林戦を得意とする為、今回は武功の稼ぎ所となる。


「陣割を申し渡す。陣形は『鶴翼』。左翼に佐藤衆と岸衆、右翼に肥田衆、遠藤衆は後陣とする」


「左右のバランスが少し悪いな」


「そうですね。肥田衆の負担が大きいかと」


「知っておる。故に稲葉衆から400人ほどの別働隊を右翼に出す。部隊長は我が兄、重通じゃ」


 左翼に1600、右翼に1200と少しバランスが悪くなる為、彦は稲葉衆から400程を庶兄である重通に預けて派遣する。ただ、そうすると要の中陣が稲葉衆800と薄くなり過ぎるため、肥田玄蕃は懸念を示す。


「それは助かるけど本陣は大丈夫?」


「うむ、非常に不本意で非常に予定外の援軍がおるからな。非常に予想外じゃが」


「ま、任せなさいって」


 そして何故かココに居る前田慶。この時、全員がやっと認識した。居るはずのない人間が居る事に。

 普段から彦と慶は結構一緒に居たので気付くのが遅れたのだ。


「……そうだよ!何でお慶がここに居るのよ!?お慶は本隊でしょ!」


「えー、あたしも武功稼ぎたいしさー」


「やべぇ。コレ、御大将おんたいしょうは激怒してんじゃね?」


「当たり前ですよ。怒られるだけで済めばいいのですが」


 佐藤紀伊と岸勘解由は戦々恐々とする。あの池田恒興がどれ程怒るだろうかと。


「どう思う、兵内伯父さん」


「開いた口が塞がりませんね。しかし肥田家には関係ないので知らない振りをしましょう。玄蕃ちゃんも真似しないでくださいね」


 玄蕃に問われた兵内はニコニコとした笑顔を崩さずにキッパリと答える。関わるなと。


「流石の私でもしないよ!だいたい家老の奥村さんは賛成した訳!?」


「助十郎なら小堤山城に置いてきたけど?何か将が足りないんだって」


 犬山前田家の家老・奥村助十郎永福は現在、小堤山城に居る。留守居の武将が足りない為の臨時の措置ではあるのだが、それは同時に前田慶を止める者も抑える者も居ない事を意味している。


「御大将、最高にマズってんな。コイツの首輪外してどうすんだよ」


「胃がキリキリしてきました」


「何よ、みんなして!アンタ達だって抜け駆けくらいするでしょ」


「おいおい、今は我先にな源平合戦の時代じゃないんだぜ。基本、抜け駆けは軍令の範囲内でやるもんなんだよ」


「だいたい慶さん、貴女は豪族ではなく池田家臣でしょう。主家の言う事聞かなかったら最悪放逐ですよ」


「え?ウソぉ?」


 源平合戦の頃はたとえ軍議で決めていても、出し抜く者は多数居た。宇治川の戦いにおける梶原源太景季と佐々木四郎高綱の先陣争いはその典型と言える。両者ともに抜け駆けだがこの件が問題になる事はなく、見応えのある先陣争いと記録されたのみである。日の本の戦いにはそういう風潮があった。

 しかし時は降り戦国期に入ると大名による統制の下、抜け駆け行為は軍規の範囲内で最終目標に沿う様に行うのが常識化してくる。


「はぁ、もう少し思慮してから行動せよ。今回は妾から主殿に言うておいてやる」


「うえぇ、マジでー」


「それはいいのだが」


「何じゃ、慶隆?」


「我が奥美濃衆が後陣とはどういう事だ?侮っているのか?」


「……命令は出さぬ、勝手に動くがよい。やる事は分かっておるな?」


「フッ、そういう事か。よかろう、任せて貰おうか」


 遠藤慶隆は奥美濃衆が後陣に回された事に不満を述べる。両側の山の伏兵対処の話は何処へ行ったのだと。だが彦が命令を出さないと言った事で慶隆は察する。その意味は好きに動けと。しかも後陣と言う事は前陣に居る味方をブラインドにして密やかに動ける。慶隆はどの様に動くか思案した。


 -------------------------------------------------------------


 両軍は正面から激突した。稲葉彦率いる池田軍は鶴翼の陣、島左近率いる筒井軍は横陣である。戦いは開始序盤から池田軍は少しづつ押されていく。


「姉貴、コレ、徐々に押されてない?」


 鶴翼の陣とは鶴が羽根を拡げる様を表した陣形で『∨』の字の形になる。一番下の尖った部分に本陣がある。この陣形の利点は本陣前まで敵を誘い込めれば左右と本陣で優位に攻撃出来る点だ。

 対して筒井軍は横陣で『一』の字の形なのだが、『一』と言っても実際は長方形であり兵士が密集している。本来は防御陣形という事もあり、ジリジリと前進する強撃陣形としても機能する。

 押される理由は陣形の差であろう。鶴翼の陣をくの字に曲がった鉄板とするなら、横陣は大きな漬け物石。鉄板の上に漬け物石を乗せれば何処がひしゃげるか。答えは両側の先端からだろう。池田軍の鶴翼の陣は両翼の先頭付近が特に押されているのだ。


「……勢いが強いか。兵の力だけではないな。将も一廉ひとかどの者かも知れんのぉ。じゃがな、このままとは行かぬ。そろそろ、からのぅ」


 両側の先端が押されるのは彦にとっては予想の範囲内だ。相手の実力を測る試金石だと考えていた。それに相手が押していた方が好都合な事もある。彼等が前進した分、奥美濃衆が早く目的地に到達するからだ。


 筒井軍が押している事は島左近にも分かっていた。このまま敵本陣に到達するまで押してやろうと思った矢先に松倉右近が敵襲を報せに来る。


「このままなら押し切れるか」


「左近!後ろから敵だ!このままでは包囲されるぞ!」


「何だと?まさか、この短時間で山を踏破したのか!?伏兵は置いたはずだが……」


「結果が全てだろう。突破されたとしか」


「侮ったつもりはないが想定以上の強さだったか」


 島左近も両側の山は警戒していて、伏兵を配置しておいた。だが、池田軍はその伏兵すらもあっさり撃破して筒井軍の裏側に出て来た。この速さは島左近の予想をかなり上回っていた。


「どうする、左近?」


「右近、『鏑矢』を撃て」


「ま、待て、それは退却の合図だぞ!?」


「そうだ、包囲が完成する前に撤退する」


「早くないか?」


「だからこそだ。敵もこれは予測出来まい。常識的には包囲されない様に後ろに下がるものだからな。その常識をあえて裏切る。部隊を崩壊させ包囲を抜ける為の『分散突撃』を前方と側方に掛ける」


 今回の様に両翼から延びる様に後ろに回られた場合は、部隊を後ろに下げるのが正しい。何故なら真後ろはまだ開いているからだ。完全に包囲される前に真後ろを確保出来れば戦いは四分六分まで持って行けるだろう。前面の部隊から追撃を受けるので不利は不利だが、完全包囲されるよりはマシだ。

 しかし、島左近はその常識をあえて無視する。彼はこの段階で撤退命令を出すという。撤退命令が出た場合、兵士は自分の命を優先する為に『撤退突撃』を行う。『撤退突撃』というのは生き残れそうな隙間目掛けて兵士が殺到する事をいう。だいたいは敵軍の両翼端辺りだろう。島左近はそれに乗じて前方への突撃も企図していた。


「……たしかに良い手だ。我々は『陽動』、踏ん張る必要はないからな。で、俺達はどうする?」


「『中央突破』だ。それ以外ないだろ?」


「ハハッ、そう来なくては!」


 意見を聞いて松倉右近も賛同する。彼等は『陽動』である為、何が何でも勝たなくてはという事はない。出来る限り敵軍を引き付けておけばよいだけで、それは既に達成されているのだ。

 松倉右近は中央突破と聞いて笑い出し、部下に鏑矢を撃つ様に指示した。そして彼等は自分達が鍛えた精鋭部隊と共に戦場の中央をひた走った。


 放たれた鏑矢はキュオーンと甲高い音を立てながら空を奔る。当然ではあるがその音は筒井軍のみならず池田軍にも聞こえる。池田軍別働隊指揮官である稲葉彦はこのタイミングで放たれた鏑矢を訝しげに思う。


「何じゃ?何の鏑矢じゃ?」


「彦様、敵が散開を始めております。総崩れになったものかと……」


「何?……筒井家は想定よりも弱いのじゃろうか?包囲され掛けているとはいえ早い様な……よし、全軍に押し上げ準備を通達せよ」


 敵軍は未だに本陣であるここには来ていない。それなのにもう崩れているという。

 彦は奇妙なほど呆気ない筒井軍に不審を抱くが、それならそれで鶴翼の陣を押し上げて奥美濃衆と挟み撃ちにする指示を出す。だが、間髪入れずに慶は彦に警告する。


「違うよ、姉貴。この戦気は違う。来るわ」


「お主はもう少し明瞭に話せ。何が来るんじゃ?」


「……前田衆、備えなさいっ!!敵が『突撃』して来るわ!!」


「何じゃと……しまった!稲葉衆、構えよっ!!『中央突破』を許すな!!」


 慶が『突撃』と言った事で彦も気付く。敵は包囲を抜ける為の『分散突撃』を開始したのだと。彦は自分の失策を悟る。彼女は敵軍が後ろに下がるだろうと予測して、主力となる両翼に兵士を多目に割り振った。だが筒井軍は殆どの部隊を囮に使い、精兵のみで本陣破壊に出たのだ。勝負を捨てた様に見せて乾坤一擲を狙っている、それを彦も理解した。

 この筒井軍の動きに両翼も戸惑っていた。突然、敵軍が散開し始めた事を見た肥田玄蕃は隣りにいる肥田兵内に尋ねる。


「あ、あれ?兵内伯父さん、何かおかしくない、コレ?」


「……しまった!?『分散突撃』だ!左右に兵を送れ!重通殿、本陣に戻るんだ!おそらく、敵の本命は『中央突破』だ!」


「スマン、兵内殿!稲葉衆、続けーっ!本陣に戻るぞ!」


 暫く考えた兵内は敵の思惑に気付き、稲葉重通に戻る様にと叫ぶ。重通も即座に意味を悟り、手持ちの兵士を連れて本陣へ駆け出した。

 左翼を担当した佐藤紀伊も敵が中央突破を狙っている事に気付く。だからと言って目の前の敵を放置して本陣に行く事は出来ないので、共に右翼を担当する岸勘解由に依頼する。


「これはヤベぇぞ、勘解由!頼めるか?」


「ええ、私は本陣に行きます!紀伊に任せてもよろしいか?」


「応!早く行け!」


「岸衆、続きなさい!本陣に急行します!」


 岸勘解由も手持ちの兵士のみを連れて本陣に向かう。敵の本命は本陣だと分かっていた。

 この散開の様子は戦場より高所に居た遠藤慶隆にはよく見えていた。やられた、と彼は歯噛みした。


「殿、敵が……」


「見えている!おのれ、我が奥美濃衆の動きが呼び水になるとは!……このままでは済まさん、本陣に向かって突撃せよ!挟み撃ちにしてくれよう!」


 遠藤慶隆は自ら先頭を切って突撃を開始する。これに奥美濃衆も雄叫びを上げながら続く。


「敵も遅まきながら気付いたようだぞ、左近」


「遅い、遅いな。もう本陣だ」


「本陣は稲葉と……知らん、どこの家紋だ?」


「誰でもいい。行くぞ、右近!」


「応!」


 右近は本陣に稲葉家の『折敷に三文字』と前田家の『梅鉢紋』を確認する。ただ前田家の梅鉢紋はかなり珍しいため、右近はその家紋を知らなかった。前田家は『菅原道真』を先祖だとしているので、彼が愛したとされる梅を家紋としている。ただ、あまりポピュラーな家紋ではない。

 二人は構わず敵兵を吹き飛ばしながら突き進む。


退けぃっ、雑魚共が!」


「キサマ等では我等の相手にはならんわっ!」


 この二人を先頭に道を切り開いている、その様子は彦や慶からも見えていた。あの者達は侍であり毎日、己を鍛えている。普段は農作業に従事している一般の兵士では相手にならない。

 現代風に言えばケンカは強い学生と鍛えている自衛隊員の勝負になるだろうか。戦い方はバーリトゥードでよい。侍と農民ではそれくらい実力の差がある。

 いくら稲葉衆や前田衆が精兵だと言っても、それは兵士の中での話だ。普段はだいたい農作業に従事している農民のため、訓練の時間はあまり取れない。

 それを考えると恒興の親衛隊は恐ろしい強さを持っている。全員が侍で毎日の様に鍛えているからだ。それを編成したのは織田信長ではあるが。


「ふむ、強者が2人。出で立ちからしても将じゃな。兵士では止められんか」


「じゃ、捕まえて手柄にしましょ」


「うむ、行くぞ」


 二人の武者が着用している鎧兜から名のある武将と見た彦と慶は駆け出す。あの二人に損害を増やされるのは好ましくないし、討ち倒せば手柄になる。


「止まりなさいよ!」


「これ以上は進ませぬ。身柄を明け渡すがよい」


 彦と慶は二人の前に立ち、道を塞ぐ。島左近と松倉右近も真紅の鎧兜を身に纏う彦と赤鎧にトラ柄の草摺を着けた派手な出で立ちの慶を見て、武将が出てきたなと足を止める。


「左近、どうやら将のお出ましのようだぞ」


「ならば聞くがいい!我等こそが筒井戦隊『松永絶対殺すマン』!!」


「筒井レッド!島左近ーっ!!」


「筒井ブルー!松倉右近ーっ!!」


 島左近と松倉右近はいつも通りに名乗りを挙げる。筒井戦隊『松永絶対殺すマン』の名乗りを。……相手は織田家なのではあるが。


「……何じゃ、その『れっど』とか『ぶるー』とかは?」


「戦隊って何よ?」


「フッ、無知な者め。それはな……我々も知らん!」


「いやな、順慶様から敵味方識別の符号と聞いたが、正直役に立っている気はしないな」


 答えを聞いて彦は呆れる。二人が言った『レッド』や『ブルー』は彼等の主君である筒井順慶が作ったもので、彼等自身は意味を知らなかった。とりあえず敵味方識別の符号(合言葉)と言う話だが役には立っていなさそうである。

 合言葉による敵味方識別はたしかに存在する。『阿吽あうん』などはその代表的な言葉だろう。戦場で向き合った時に片方が『阿』と発すれば、もう片方が『吽』と応じれば味方と判る訳だ。


「……お主等、ただの阿呆か。まあ良い、稲葉家当主・稲葉彦じゃ。ここは通さぬ」


「前田慶よ。その首置いていきなさい」


「まさかお前達は!」


「あの池田軍団の『巴板額』か!!」


「誰が巴なのよ!」


「誰が板額じゃ!」


 二人は巴板額扱いされた事を全力否定しながら間合いを詰める。お互いの立ち位置から稲葉彦は島左近と、前田慶は松倉右近と対峙した。


 彦は刀を抜き放ち左近に斬り掛かる。左近はそれを難なくいなして余裕の表情を見せる。なおも踏み込み攻める左近は適切な間合いを取り続け隙は見せない。左近には彦が焦っている事が感じられた。そして直感的にこの軍団を率いていたのはこの少女かと理解した。


「くっ!」(此奴、ただの阿呆ではない。腕は立つか)


「フ、焦っているな。流石に分散突撃は読めなかったのだろう?」


「……」


「スマンが我等には包囲を堪えなきゃならん理由が無くてな。行き駆けの駄賃に負けて貰おう」


「ほざくでないわ!」


 彦は気合いを入れ直して島左近に斬り掛かっていった。

 一方の慶は朱槍をブン回して松倉右近に打ち掛かる。だが力任せの大振りの為、難なく防がれるか躱されていた。


「その軌道、見切った!」


「こんのぉ、ちょこまかして!」


「大した力ではあるが技や身のこなしはまだまだの様だな。その程度で私の相手は務まらん。出直す事をお勧めしよう」


「あっそ。ふううぅぅぅぅ……」


 相手にならんと言われてカチンときた慶は朱槍を後ろに構えて最大限に力を溜め込む。得物は槍ではあるが『居合い』の様な態勢を取る。それを見た松倉右近はまたかと嘆息する


「ふん、馬鹿の一つ覚えめが」


「うおりゃあぁぁぁ!!」


 慶の裂帛の気合いと共に朱槍の横薙ぎが繰り出される。それも松倉右近からは見え見えの行動だ。あの居合いの態勢からは横薙ぎ以外は出来ないと分かっていたのだ。


「そんな見えすいた横薙ぎなど!軽くいなして斬り返しをくれてや……グボオァァッ!?」


 慶の大振りに余裕の表情で迎え打つ松倉右近は突然苦悶の声を上げた。島左近が振り向くと、さっきまで右近が居た場所に彼は居なかった。左近が目で追うと彼は身の丈5倍はあろうかという上空に飛ばされ、そして落ちて転がった。

 慶の渾身の一撃は松倉右近を『防御ごと』ぶっ飛ばしたのである。更に当たった瞬間に横薙ぎを剛力で跳ね上げていた。


「巫山戯てんじゃないわ。何が技よ、何が身のこなしなのよ?そんなもの、あたしの力で丸ごと吹っ飛ばせばいいだけでしょ」


 転がり落ちた松倉右近は身動みじろぐだけで立てなかった。左近は彼が重傷であると判断し、その場所に駆けつけようとした。


「いかん、右近、今行くぞ!」


「余所見をしておる場合か?余裕じゃのう!」


「くそっ、邪魔だ!」


 だが向かい合う彦がそれを許すはずはない。この機を逃すまいと彦は攻勢に出る。


「左近、……ゲホッゲホ……私はいい、構うな……」


「はん、両方逃がす訳ないでしょ。……はっ!?」


 余裕の足取りで右近に近付く慶はふと空を見て気付く。自分に向かって十数本の矢が飛んできているのを。


「ちょ、何よ!?」


 飛んできた矢を後ろに下がりながら、慶は全て打ち落とす。その矢は右近達より更に後方の兵士達から放たれていた。


「うおおー、左近様と右近様を救えーっ!!撃て、撃てー!」


「バカな!我が稲葉衆と前田衆が抜かれたじゃと!?」


 矢を放ってきたのは筒井軍の兵士。彼等は島左近と松倉右近が鍛えた兵士達で精強で知られる稲葉衆や前田衆を突破して来ていた。

 矢は稲葉彦にも放たれる。それらを切り落としながら、彦は右近の所に行こうとする左近を追おうとする。だが一瞬、彼女の動きが鈍る。


「しまった!?紐が……」


 打ち落とし損ねた矢が一本、彦の鎧紐を絡めて木に刺さっていたのだ。これにより足を止められた彦に、十数本の矢が更に襲い掛かる。彦は躱し切れないと判断し、腕を顔の前で組んで致命傷を避けようとする。


「姉貴、危ない!」


「済まぬ、お慶。助かったのじゃ」


 彦に向かっていた矢は危機を察した慶が文字通り、飛ぶ様なスピード駆け付け薙ぎ払う。


「右近、退くぞ。掴まれ!」


「悪い……ゲホゲホ……」


 完全に彦を引き離した左近は右近の腕を取って肩に掛ける。左近の助力を得て右近も漸く立ち上がり、然程重傷ではないというところを見せる。


「逃さないわよ!……って、おわぁっ!?」


「お慶、無理をするでない」


 慶は二人を逃すまいと間合いを詰めようとするも、そうはさせじと矢が飛んでくる。彦は迂闊に動かない様に慶を止めた。


「たしかにお前等は強い。戦力差でも劣る我等が勝てる道理は無い。だがな!最後に勝つのは我等、筒井家よ!」


「はあ?負け犬の遠吠え?情けないわね」


「ふ、我等は囮。お前達はまんまと引っ掛かったのだ。今頃は池田恒興の本陣を仲間の筒井イエロー・森志摩守が襲っているだろう」


「べらべらと、自分達の作戦をよく喋るのぅ」


「もう間に合わんからな」


 島左近は捨て台詞を吐く様に自軍の伏兵の存在を明かす。つまり恒興が予測した通り、本隊を襲う伏兵が居るのだと。その言動に前田慶は焦り、事前に知っていた稲葉彦は特に動じなかった。

 彦は自分達の作戦を明かす左近を冷ややかな目で見ていた。言う必要も無い余計な事だからだ。とはいえ、左近の言う通りで既に間に合わないだろう。

 知らなかった慶はかなり焦っている。何しろ自分がここに居る事で本隊は戦力が減っているのだから。


「ヤバっ、姉貴、戻らないと……」


「要らぬ。妾も一つだけ教えてやろう。お主等は池田恒興を舐め過ぎじゃ。アレはそんな生易しい性格はしておらぬ。お主等が囮である事くらい最初からお見通しじゃ」


「フン、小細工ばかり弄する弱将が美濃衆の力無しに勝てると?」


「あの男の本質は『武人』じゃ。普段はそれを抑えて策を弄しておるに過ぎぬ。ま、直ぐに分かるじゃろうがな」


「……引き上げだ」


 彦は少しだけ左近に付き合う事にした。この男は何か池田恒興を勘違いしている様だから。

 稲葉彦は見抜いていた、池田恒興が策を弄しているのは戦いを避けている訳ではないと。ただ単に見ている目標が常人と違う為、そう見えているだけだ。戦った方が目的に叶うなら、彼は武力行使を躊躇わないと。

 そして本隊の戦いは既に終わっているかも知れない。彦は恒興の勝利を疑っていない。何故なら分かっている伏兵に負ける訳がないのだ。もしこれで負けたならば、池田恒興の評価を格段に下げねばならないが。

 言いたい事を言い終わった島左近は松倉右近と兵士達を伴って北西方向に退却していった。


「姉貴、アイツラ追う?」


「それも要らぬ。兵を追い散らす方が先じゃな。将が居ても兵士がおらねば無力じゃ」


「将も捕えた方がよくない?」


「この後、主殿は筒井城まで行くのじゃろうな。ならば、なるべく兵を減らして籠城出来ぬ様にしてやる事こそ肝要じゃ」


 稲葉彦にはこの先の展開が見えていた。陽動に4000、更に伏兵が居る事も確定した。つまり筒井軍は全兵力を使い果たし、多聞山城は包囲されていないだろう。というか不可能である。

 ならば恒興は多聞山城には行かず、そのまま筒井城に行ってこの戦のケリを着けるはずだと。

 そうと分かれば、稲葉彦のやる事は一つ。筒井軍兵士の方を追撃して、彼等を追い散らす事だ。こうする事で筒井城に戻れなくし、筒井城自体を籠城不能に追い込むのである。


「なるほどねー。先を見据えて、か」


「そういう事じゃ。他の援護に回るぞ」


「ええ、任せて!」


 前田慶と共に追撃へ駆け出した稲葉彦だったが、悔しさに唇を噛んだ。自分の戦術を島左近に読まれた上に意表まで突かれた。慶が居なかったら気付くのに遅れて大損害を被った可能性もある。自分の未熟さを思い知らされたのだ。


(……くっ、してやられたか。完勝するつもりがこれでは。主殿と親父殿に叱られそうじゃの……はぁ)


-------------------------------------------------------------

【あとがき】


べ「前回の前田慶さんの勝手な行動について補足を入れようと思いますニャー」

恒「アイツ、どうにかしてくれニャー」

べ「この時代の常識として認識しておかねばならない事。それは『手柄を立てれば無問題』なんだよね」

恒「それな。アイツラ、軍隊じゃなくて愚連隊だから。家単位で勝手に動くしさー。頭が痛いニャー」

べ「なので慶さんが手柄を立てて帰ってきたら、恒興くんは褒めなければならない。これをしなかったら将兵は付いて来ない。褒める=褒美が出る、だからね。怒られるという事は褒美が出ないという事になるから、『え?働いても報酬貰えないの?じゃあ支持止める』となってしまうんだ。豪族達は手弁当、つまり自費で戦争に来ている。褒美が出なかったら損しか発生しない。これを怠って滅びたり謀叛を起こされた大名はかなりある。この件に関しては信長さんですら気を使っているくらいだ」

恒「ああ、だから鯰江城の時にニャーは手弁当止める計画を話したんだ。まだ実現出来てニャいけど」

べ「こういうのは何処も一緒でね。有名人だとこの人かな」


平「軍令違反の抜け駆けでござるか?いくらでもしたでござるよ。若い頃はとにかく手柄が欲しかったでござるからな。抜け駆けは戦場の華というものでござる。結果、勝ったのだからいいではござらんか。怒られなかったかと?殿には褒められたでござる。でも、後で呼び出されてグチグチと小言を言われたでござる。全く、面倒くさい殿でござるよ」

家「面倒くさいのはお前だーっ!おかげで作戦が台無しになったわー!このTHE三河武士ー!」

平「そんなに褒められると照れるでござる」

家「褒めてねぇーっ!!」←本多正信と相性が良い人


べ「他にも」


井「ちょっと物見させて貰いますねー」

福「物見だけだぞ。先陣はウチなんだから」

井「分かってますよ……そうれ、抜け駆けだー、先陣いただきぃーっ!」

福「おいーっ!先陣はウチだって軍議で決めただろーっ!徳川殿、どうなってんだ!?」

家「ワシャ知らん、ワシ知らーんもーん」(泣)


べ「家康さんの息子さんに手柄を立てさせる為に勝手にやったらしいよ」

恒「徳川四天王でもこれか……。家康も苦労してるんだニャー」

べ「秀忠さんが大遅刻して後継者争いが加熱してたからねー。この様に手柄さえ立てれば抜け駆けも軍令違反も許される風潮があった訳だ」

恒「ニャーからも一言いいか?」

べ「どうぞ」

恒「お慶、豪族じゃなくて家臣だよニャー?だって、俸給出してるのニャーだもん。減俸に処していいか?」

べ「…………あ、家臣だって忘れてた。そこは養徳院さんパワーで防がせて貰おう」

恒「チクショーっ!!」

べ「人生なんて上手く行かないの連続さ。皆が思い通りに動いて世界も思い通りになんて物語にしてもつまらないじゃないか。予定外にどう対処するのかも面白いと思うんだよ」

恒「この天邪鬼めーっ!」


おまけ


家「何でワシの家臣はこんなヤツラばかりなんだ?」

家臣一堂「「「殿だって丸根砦に抜け駆けしたじゃないですか」」」

家「な、何の話かのう?」(汗)




べ「稲葉彦さんと島左近さんの対決となったね」

恒「僅差ではあるが島左近に軍配が上がるかニャー。包囲完成前に分散したから被害も大した事ないだろ」

べ「という事は彦さんは敗戦を責められると?」

恒「そんな訳ニャい。彦はキッチリ役目を果たした。特に最後の指令はポイント高いニャー」

べ「兵士を追い散らすというところかな」

恒「それな。彦は既に次を考えて行動している。分散した兵士は何処に再集結するかだニャ」

べ「普通に考えて、左近さんの所か本拠の筒井城だろうね」

恒「そうだニャ。左近は西に抜けたから彦がその場と街道を抑えれば戻れない。一番の問題は筒井城に戻られる事だ。だから追撃を掛けて更に追い散らすんだ。これで兵士は戻れないか戻っても役に立たないくらい疲れてるって訳だニャー。つまり彦にはニャーが戦略的に多聞山城に行かず筒井城に向かうと分かっているという事だニャー。戦術的には敗北しても戦略的には勝利したって事だ」

べ「左近さんの分散突撃は結果的に失敗だったと」

恒「微妙なラインだニャー。森志摩守が成功したなら問題は無いんだが……それはニャーが許さんのでニャ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る