外伝 ウチの姉上が軍神すぎてツライ

 関東上野国。

 この地では現在長尾軍8千VS北条軍3万の攻防戦が繰り広げられようとしていた。

 長尾軍は騎馬隊を前面に出して突撃態勢なのに対し、北条軍は十二段からなる横陣を敷いて受け止める構えだった。

 北条軍としてはここで長尾軍を叩いておかねばならない理由があった。

 越後統治者・長尾景虎は関東侵攻に際し、山内上杉家当主・上杉憲政を盟主に担ぎ関東諸大名に出陣を要請していた。

 そのため反北条の関東大名が参集しつつあったのだ。その数10万を超える。

 この動きを止めるには長尾軍を早急に追い払うしかなかったのである。

 先に動きを見せたのは長尾軍だった。

 北条軍は元々防御陣を敷いているので動かないのは当然と言える。

 長尾軍は前面の騎馬隊が突出し『鋒矢の陣』を形成する。

 鋒矢の陣とは弓矢の鏃の形に兵を配する。強力な突破力を持つ反面、一度側面に回られ、包囲されると非常に脆い。

 通常この鏃の形の後部に大将を配置して敵に対するものだが長尾軍の陣形は違った。

 鏃の先端に位置する場所、即ち最先頭に一人の女性がいる。

 黒い大鎧で身を包み、白い頭巾、白いマフラー、白い陣羽織を着用し、愛刀『姫鶴一文字』を抜き放って北条軍に突撃する者。

 その者の名を『長尾景虎』と言った。


「部隊と部隊の・・・隙間ぁ!!」


 彼女は北条軍の槍衾のほんの僅かな隙間を見つけ突撃していく。

 その彼女が切り開いた道に騎馬武者が押し寄せ、部隊に開いた隙間を広げていくのだ。

 だが防御陣を敷いている北条軍にとってはこれ以上なく有利な展開となった。

 敵の動きを受けることで止めて、その後全体をVの字を描く『鶴翼の陣』に変更。

 敵の両側面を挟み込んで殲滅という戦法だったのだ・・・が誤算が一つだけあった。

 先頭を走る人物が全く止まらなかったのである。

 鋒矢の陣とは最先頭が進み続ける限り、どこまでも突破することが可能である。

 ただ最先頭が開いた道を進めばいいのだから。


「ええい、何をやっておる!敵の動きを止めぬか!!」


 北条軍本陣で総大将らしき人物が叫んでいた。

 彼の名は北条左京大夫氏康という。

 氏康は焦っていた、計画も布陣も完璧だったはずだ。

 兵数は敵の4倍を揃え、相手の突撃陣形を鶴翼で迎え撃つ。

 戦略面でも戦術面でも上回ったはずなのに・・・もう十二段の防御陣は十段目まで突破されていたのだ。

 氏康も『川越夜戦』など幾多の戦場を勝ち抜き、北条家の勢力を拡大した名将である。

 その彼の本能が訴えていたのだ、これはヤバイ、あの長尾景虎は常識で計っていいレベルではないと。


「御本城様、お逃げくだされー!じ、陣がまもなく突破されます!!」


「っ!?」


 彼の悪い予感は現実となる、氏康は一目散に馬に飛び乗って本陣から脱出しようとする。

 だが時すでに遅く、陣幕を破って白馬に白装束の女性が乗り込んできた。


「うっじやっすく~ん・・・遊びましょーーー!!」


「イヤーーーーーー!!!」


 本陣にいた北条の武将達が飛びかかり、何とか時間を稼いで氏康は脱出することが出来た。

 氏康は考える、今回は負けはしたが北条家がこれで終わるわけではないと。

 必ずや立て直しリベンジせねばならないと。

 それに敗走したとはいえ兵の損害は大した事ないはずである。

 なぜなら包囲殲滅されたわけでも城ごと焼かれたわけでもないからだ。

 北条軍3万強の内、戦死者は1千もいってないはずだ。

 ならどこかで再集結させて再び挑む、再集結には時間がかかるので何処の城を防衛線とするべきかと考える。


「おのれ、長尾景虎!このままでは済まさぬ・・・ぞっ!?」


 氏康は捨て台詞を言い終わる前に気づいてしまった。

 白装束に腰まである長い黒髪をなびかせて脇目も振らず氏康を追ってくる存在に。


「鬼ごっこかしら?じゃあ私が鬼ね!楽しみましょ!!」


「イヤーーーーーー!!!」


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 ここは戦場を見渡せる小高い丘に作られた長尾軍本陣・・・いや総大将がいないので本陣とは言い難いのだが代わりの人物は置いてある。

 その代わりの人物とは長尾卯松(6歳)である。

 その隣には弟分である樋口与六(3歳)もいる。

 普通戦場には元服を済ませないと来てはならない。

 若年で当主に成らざるを得ない様な者であれば仕方がないが、基本代理を立てるものだ。

「なのに何故!6歳の俺が!当主である姉上18歳の(本人は永遠の14歳と言っている)!代理を務めねばならんのだ!!」と、卯松はこの世の不条理を痛感していた。

 だが逆らえるわけがないし、何より彼は嫡男(後継)設定されていた。

 そうして戦場を連れ回されているのだが、やることなど毎回戦場を眺めているだけであった。


「なあ、与六っち。あの北条軍のど真ん中の真正面の何処に隙間があったんだ?」


「さあ?ぼくらにわかるれべるではないのでは?」


 卯松は隣に侍る弟分に声を掛ける。

 彼は嫡男設定された卯松に付けられた附家老樋口兼豊の長男だ。

 3歳にしては鋭い意見を言うし、大人まるけの本陣で話せる相手が欲しかったので連れてきた。


「いやいや、おかしいだろ。あれで何で槍衾に当たらねえんだよ。ウチの姉上は」


「そういわれても、ほんとにいつもむきずですし。それよりうまちゃん」


「何だい?」


「ほうじょうがた、にげはじめましたよ」


「・・・姉上、また本陣まで突撃したな。マジで無敵かあの人」


「あれ、かげとらさまですよ」


 与六は小さい手で崩れようとしている北条軍の陣の後方を指す。

 そこには白馬に跨がる白装束の武者とそれから必死に逃げる見知らぬ武者がいた。


「確かにあの白装束は姉上だな。じゃあそれから逃げてんのは・・・北条氏康か?姉上一人で敵の総大将追撃とかマジで狂気のレベルだろ」


「あっ、おにこじまさんがついていきましたよ」


「おお、さすが鬼小島だ」


 鬼小島とは小島弥太郎貞興のことで大変武勇に優れるので”鬼”小島の異名をとる。


「姉上は一体どこまで行くつもりなんだろう。鬼小島以外全員が置いてきぼり食らってんだけど」


 だから卯松は思うのだ、あの単体で戦術兵器として完成している人に兵士など必要なのだろうかと。

 前にこんなことがあった。

 長尾家重臣の北条きたじょうが敵に城を包囲され、姉上が3千の兵で援軍に行った。

 その時到着した姉上はたった一人、馬を遊ばせるようなスピードで城の城門まで行ってしまったのだ。

 無論邪魔した奴は全員ぶっ飛ばされた。

 これにより敵の戦意は一気に挫け逃げていった。

 もうアイツ一人でいいんじゃないかを地で行く人なのだ。

 それに長尾軍の得意陣形が鋒矢の陣だと思われているようだが、これは違う。

 姉上が一人で突撃するからそこから全軍が引っ張られて結果的に鋒矢の陣を形成してしまうのだ。

 だがこれに疑問を持つ人間はほとんど俺一人になりつつある。

 なぜなら勝つからだ、姉上が野戦で負けるところなど誰一人として見たことがないのだ。

 そして姉上は家臣から非常に人気が高い。

 その理由は奪い取った領土にまっっったく執着心が無く、家臣に分け与えてしまうからだ。

 戦に出れば確実に勝ち、褒美はたんまり貰える。

 我と欲の強い豪族家臣でも姉上を『軍神』と崇めているくらいだ。

 だが俺に言わせればそれは違う、姉上はただ奪い取った領土を内政で治めるのが面倒くさいのだ。

 煩わしいから他人に上げて「お前らやっとけ」で終わらせているのだ。

 こんなことをしていれば長尾家の財政は大丈夫なのかと思われるかもしれないが、姉上は莫大な収入をもたらす領地があるので問題ない。それは『貿易港』の存在だ。


 この戦国時代の海運は大きく分けて3つある。

 伊勢湾から駿河、三崎、房総半島を結ぶ『東国水運』。

 北九州から瀬戸内、堺を結ぶ『瀬戸内水運』。

 そして日の本最北端十三湊から土崎湊、柏崎、直江津、魚津、岩瀬湊、輪島湊を廻り敦賀へ至る『北陸(日本海)水運』である。

 長尾景虎はこの北陸水運の柏崎、直江津、魚津、岩瀬湊を所有していたのである。

 そして「麻布と言えば越後青苧えちごあおそ」というくらい全国的に有名だった青苧を扱う『青苧座』を完全に支配しており、所有する貿易港から出荷していたのだ。

 このため長尾家はかなりの大富豪であり、これ以外の領土は必要としなかった。

 だからこそ周りの大名は長尾景虎が理解できなかった。

 領土欲や支配欲が無いのに、何故戦をするのか解らないのだ。

 彼女は自分を頼ってきた者を全て受け入れて、それを口実に戦争を開始する。

 そして奪い取った領土は全部頼ってきた者に与えたり、家臣に与えたりしている。

 苦労して奪い取った領土を惜しげもなく他人に与える姿は「長尾景虎は義や道理でしか動かない無欲の人」という評判になってしまった。


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 結局姉上は北条氏康を追い続けて相模国『小田原城』まで行ったらしい。

 北条家の本拠地にしてかの名将『北条早雲』が大改修し難攻不落の名城と名高い。

 北条氏康は姉上の魔の手から辛くも逃げ切り小田原城に篭った。

 そして小田原城の城門を破れず、姉上は門に蹴りを入れて帰ってきたとのこと。

 まあ、姉上を撃退するにはこうするしかない。

 野戦で勝てない以上、城に堅く篭って姉上が飽きるのを待つしかないのだ。


 それで長尾軍8千+10万を超える関東諸大名軍が急いで鎌倉に参集。

 途中の城はほぼ戦わずして開城となったので2日で姉上に追いついた。

 現在は鶴岡八幡宮で上杉家継承を行い、この後北条をどうするかという軍議が持たれている。

 だがこの軍議はやるだけ無駄だ、なぜなら関東諸大名軍に兵糧が殆ど無いのだ。

 近年の関東は『永禄の飢饉』と呼ばれる凶作に見舞われている。

 なので関東は戦争をやっている場合ではない。

 そんな中、北条家だけが内政を充実させ余裕で戦争が出来たのである、だからこそ北条家は勢力を急拡大できたのだ。

 まあ、そういう理由があるからこそ城攻めやるなら長尾軍だけでとなるのだが、姉上ももう飽きているはずだ。


「全く、これでより一層姉上の男日照りが加速するじゃないか。北条も罪作りなことだ。なあ与六っち」


「・・・のーこめんとで」


「えっ?」


 突然ズドンと凄い音がして、卯松の顔の横1cmほどの壁に刀が打ち込まれる。

 やったのはいつの間に来たのか分からないが彼の姉・長尾いや上杉景虎だった。


「ああ、卯松、死んでしまうとは情けない」


「ちょ、姉上、やめてー!抜き身の刀、危ないから!弟虐待反対ー!!」


「大丈夫よ、例え刺さっても毘沙門天の加護でワンチャンあるから」


「そんなの、姉上だけだからー!!」


 景虎は壁に突き刺した愛刀『姫鶴一文字』を抜き鞘に収める。

 そして可愛らしく科を作って卯松に言う。


「もう、卯松ったら。変なこと言ってるとヤっちゃうぞ☆」


「姉上、その”ヤる”にはどんな漢字が当てはまるのでしょうか?」


「この中から好きに選びなさい」


 そう言って彼女は手に持っていた紙を見せる。

 そこにはこんな文字が並んでいた。


 ”殺・切・犯・磔・殺・斬・吊・潰・壊・轢・殺・絞・斷・殺・殺・殺・・・”


「・・・何か途中から考えるのがめんどくさくなった感が凄いんですけど。でも一番選びたくないのは”犯”だな」


「まあ、そんな事どうでもいいわ」


「ならそんな紙作らないでください」


 そう言うと彼女は上座に座ってお酒を飲み始める。

 お酌をしているのは与六だ、3歳ながら出来た奴だ。

 俺の部下なのに姉上の小姓扱いになっているのは、ちょっと納得がいかないが。


「前々から言おうと思っていたんですけど、総大将は本陣にいるべきでしょう。毎回俺を代理で置くのやめてもらえませんか」


「はぁ?卯松、あなた、それ正気で言ってるの?」


 何で俺が正気を疑われなければならないんだろう。

 この世の不条理を固めてぶつけられた気分だ。

 大体何処の大名が軍勢の最先頭に立って戦っているというのだ。

 源平合戦の時代じゃないんだぞ。

 俺は時々姉上は源義経の生まれ変わりじゃないのかと疑っているくらいだ。


「たくっ、そんなだから彼氏が出来ないんですよ」


「この火縄銃って面白いわよね。ここから氏康狙えるかしら」


「ちょ、姉上、そこ俺の頭だからー!!氏康いないからー!!」


 とりあえずこのままでは話自体が進んでいかないので俺は黙ることにした。

 どうも性格上ツッコミをしないと気がすまない。

 そのうち姉上にヤられそうなので今のうちに直したいものだ。


「まあこれで関東征伐はおしまいよ。小田原城を落とせなかったのは残念だけど、上杉の名跡は継げたし。それに・・・」


「それに?」


「越後に残した直江から報告が来たわ。武田がまた喧嘩を売ってきたって」


 実は姉上は甲斐の武田信玄と3度ぶつかっている。

 この姉上と3回戦って生きているんだから相当な名将である。

 一回目は北信濃の豪族達が姉上を頼ってきたので出陣、これでもかというくらいに姉上が力を見せつけて終わった。

 信玄は城に篭って耐え続けた。

 二回目は信玄による長尾家家臣の調略に端を発する。

 姉上は裏切り者を何事もなくぶっ飛ばすと川中島へ出陣した。

 だが信玄は真面目に相手せず、四方八方いたる場所から信玄出現の虚報を流して姉上を引っ掻き回した。

 結果疲れて帰ってきた。

 三回目は信玄が越中の一揆を扇動したことだ。

 越中には長尾家の重要財源魚津・岩瀬湊があり、これを脅かすことになった。

 このため姉上は最大級にブチギレた。

 姉上は越中の一揆を何事もなくぶっ飛ばすと北信濃全域を火の海にする勢いで攻め込み、信玄出現の報告があった城は全部燃やした。

 最終的に信玄は深志城に篭って出てこなかった、・・・そこはもう南信濃と言っていいくらいの場所だ。

 そこで足利将軍義輝様から和睦を持ち込まれて終了ということだ。


「前は将軍様に言われたから和議を結んであげたのに、また喧嘩吹っ掛けて来るなんて頭湧いてるのかしらね」


(武田信玄はどう考えても同盟相手の北条氏康を助けるために動いたんだと思う。喧嘩を売られたら必ず買って、相手に地獄を見せる姉上に頭湧いてるとか言われたくないだろうな)


「しかし、かげとらさま。かんとうのごうぞくどもがしんぷくしたとはおもえないのですが」


「あら、与六、鋭いわね。ええその通りよ。既に松山城の上何とかが私に歯向かったから潰しながら帰るわよ」


「上田朝直です、姉上。真っ直ぐ越後に帰ったほうがよろしいのでは?」


「・・・別に、私が行けば大した時間は掛からないわ」


(この人、これ、素で言ってるんだよな。そして本当に有言実行だから恐ろしいんだよ)

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