木曽川と堤防

いよいよ季節は夏に入り、もう少しすれば台風がやってくる雨季となる。

 その雨季が来る前に村人達を集めて堤防の直しに励んでいる。

 今年通算五度目の作業であるが、あまり進んでいるとは言い難い。

 何しろまず設計図も作業図も無く、農民達が適当に動いている。

 恒興は一応監督という立場なのだが頑張れくらいしか言えない。


「嵐が来る前に堤防の補修。皆、頑張るニャー」


「おー」


 ある晴れた日、川沿いの盛り土の上で号令を出す。

 これから堤防の補修、出来るなら強化を行うのだ。

 8月になると頻繁に台風が来て、必ず木曽川が氾濫するのである。

 恒興の所領"池田庄"は清洲の更に西、勝幡という場所にある一千五百石である。

 この地域は洪水地帯で毎年川の水が押し寄せ、周辺は沼地ばかりだった。

 池田家の所領も8割が沼地で残った2割に村と田畑があるのみだ。

 つまりこの8割は毎年水没しているのだ、堤防は毎年決壊させられているに等しかった。

 なので水没する8割は開発できず、何とか2割の村と田畑を守る工事を続けている。

 この時代木曽川流域全てこんな体たらくなので、よく言われる尾張57万石は流石にこの時期には無い。

 そして開発出来ない土地に住む人はおらず、基本流域付近は漁師と渡し舟業の者しかいない。


「もっと良い堤防が作れる知識を勉強しておけばよかったニャー」


 恒興は大名時代の知識はあるものの、その中に堤防に関する知識はなかった。

 だがそれは仕方がないだろう、堤防の知識を持った大名など存在しない。

 信玄堤で有名な武田信玄とて別に堤防造りに詳しかった訳ではない。

 指示と資金、人手を出しただけである。

 それは『Q・安土城を造ったのは誰でしょう』『A・○大工(岡部又右衛門も可) ×織田信長』というものだ。

 大名に必要な知識に堤防造りなど無いだろう。

 故に勉強する機会はなかったと思われる。


「殿、向こうの堤防なのですが前の大雨で壊れたようです」


「ニャー、そだなー、土嚢積んで強化しといてくれ」


「ははっ」


 恒興は家臣に命令を出す。

 今恒興に話しかけてきた者は新しい家臣で名前を飯尾源右衛門敏宗という。

 武働きを得意とする筋骨隆々な男だ。

 新しい家臣はもうひとりいて加藤弥三郎政盛という者もいる。

 こちらは計算を得意としており算盤も扱える。

 この二人は実は先日木曽川で捕まえた犬山城の家臣だ。

 本当に家族と一緒に逃げてきたので、約束通り恒興の所領で匿った。

 その後信長から帰参が許され、現在主な家臣が存在しない恒興の下で働くことになった。

 恒興はいろんな場所に行って、現状を見て指示を出していく。

 今回は池田庄の村から都合のつく若い衆を徴収し工事をさせている。

 これを賦役という。

 形は違えど大体全国的にある。

 今回の賦役は池田庄の農民全ての生活に関わるのでサボる者はいない。

 それに賦役をサボると最悪、村八分な目にあうので注意が必要だ。


(毎年破られているのだから、土嚢積むだけではダメなんだと思うけど)


 ダメだとは恒興も感じているのだが他に思い付くこともなかった。

 とはいえ無駄という訳ではない、少なくとも水の勢いを弱め今ある田畑は守っていた。

 あとはもう運だろう、巨大台風が来ないことを祈るしかない。


「殿、ひとつ報告が」


「ん、何があったニャ」


 二十歳前後の若い家臣が恒興の元に走ってきた。

 件の加藤政盛であった。

 飯尾敏宗に比べるとひょろっとした風貌をしているが、口が達者で農民たちを上手く統率していた。

 恒興はこの間拾い上げた二人は中々の拾い物だったと感じていた。

 彼には現在北側の工事を任せていたのだが何かあったようだ。


「実は北側の堤で変な奴がいまして」


「何でそれをニャーに言いに来たんだ?追っ払えんのか」


「・・・どうも尾張の人間じゃない様で」


「(間者か?)・・・わかった、すぐに行くニャ」


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 北側の堤に行ってみるとある男が農民相手に熱弁を振るっていた。

 年の頃は30~40代といったところ。

 一緒に来た加藤政盛よりもひょろっとしている。

 外套を羽織っているところから旅人と思われる様装をしていた。


「ええとですね、堤を垂直にしてしまうと・・・」


「垂直ってなんじゃ?」


「さあ」


「あー、つまりですね、壁のようにしてしまうと水の力を思い切り受けてしまうので・・・」


「水の力?」


「水神様のことか?」


「すまねぇ、わしらにはあんたが何言っとんだかわかんねがや」


 とりあえず怪しい雰囲気まではなさそうだが、あのままだと工事は遅れる一方なので恒興は割って入ることにした。

 ただでさえ遅れている上に木曽川に対しては効果が薄いのだ。

 このまま未完成で雨季に突入したら残る2割の田畑も被害が出るかも知れないのだから。


「ほら、お前ら。作業が遅れるだろが。さっさと戻るニャ」


「あっ、池田の殿様」


「池田様?」


「ここらの領主様だがや」


「そういうことだニャ、話ならニャーが聞く。政盛も作業に戻れ」


「はっ」


 政盛が農民たちと作業に戻っていったため、この場には旅人の男と恒興だけが残る。

 とりあえず他国の人間であることは間違いない。

 恒興は旅の雲水から他国話を聞くような気軽さで話を聞こうと思った。

 基本この時代は他国の動静はとても手に入りにくく貴重なのだ。


「ニャーは池田勝三郎恒興。他国の話を聞かせてもらえると嬉しいニャ」


「初めまして、私は大谷休伯といいます」


 軽く自己紹介を終えた二人は落ち着いて話せる場所、池田邸に向かって歩いて行った。


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「実は私、上野国出身で山内上杉家の家臣だったのです」


 関東上野国。

 長年この地を治めてきた守護・山内上杉家は関東で急拡大していた北条家と衝突した。

 山内上杉家は扇谷上杉家と古河公方足利家と手を組み、北条家をフルボッコにしようとした。

 そうして集まった8万という大軍で河越城を重包囲したのだ。

 ・・・だが、鎧を脱いで音も無く忍び寄ってきた北条家当主・北条氏康の軍勢8千に奇襲され大敗北を喫した。

 世にいう『河越夜戦』である。

 因みに大谷休伯はこの時、開墾、堤防造りに勤しんでおり、戦場には行かなかった。

 その後、扇谷上杉家は滅亡、古河公方足利家はいるだけの存在と成り果てる。

 この時から上杉憲政は暴走を始める。

 彼は北条家に圧迫される中、北信濃への侵攻を開始。

 そんな動きを甲斐信濃国主・武田信玄が許す筈もなく、上杉憲政はフルボッコにされて帰る羽目になる。

 そして帰って来て見れば家臣の殆どが北条方に寝返り、上杉憲政は幼い息子を置き去りに越後へ亡命した。

 因みに大谷休伯はこの間、開墾、堤防造りに勤しんでいた。


「ニャる程、主家の滅亡で出奔したと」


「いやー、実はあまり関係無かったりします」


「無いの!?」


 その後、上杉憲政は亡命先の越後で置き去りにした息子が北条方に捕まり処刑されたことを知る。

 息子を失なった憲政の怒りと悲しみは深く、彼は北条への復讐鬼と化す。(置き去りにしたのお前やん、とか言ってはいけない)

 このため上杉憲政は歴史上驚くべき決断をする。

 日の本最強の戦術兵器、越後統治者・長尾景虎を養子にして上杉家の名跡と関東官領の職を譲り関東に投げ込んだのである。

 家督を譲られた長尾景虎は嬉々として電光石火の進軍を開始する。

 因みに大谷休伯はこの時、妻の縁で館林城赤井家で働くことになり防風林造りを頑張っていた。

 ・・・と、ここまで戦と関わりを持たない大谷休伯だったがこの後翻弄されることになる。

 瞬く間に上野国を席巻した長尾景虎は赤井家を北条方に与した罪で叩き潰す。

 そして上野国は至るところで北条軍と長尾軍の戦いが起き、休伯が心血を注いで造った堤防や防風林は破壊されてしまったのだ。

 大谷休伯は諦めたくはなかったが戦禍が酷いのとスポンサーがいないことで諦めざるを得なかった。

 なので一念発起して京の都の偉い方にスポンサーになって貰おうと出国した。


「ですが京の都は荒れ果てていて、支援者探しどころではありませんでした」


「ああ、ニャーも前に信長様のお供で行きましたが、偉い公家があばら家に住んで家の明かりにすら事欠く有り様でしたニャ」


 更に言ってしまえば、京の都がそんな状態でも幕府と三好家の争いが続いており復興にはまだ遠かった。


「ですので途方に暮れていたのですが、取り敢えず帰ろうと思いまして。その途中ここにお邪魔した次第で」


「そうでしたか。では帰ってから、また作業をされるんですかニャ?」


「そうしたいのはやまやまですが長尾と北条の争乱が収まるまでは無理でしょうな。他国の縁者を頼ろうかと」


 これはチャンスだ、恒興は心の中でそう叫ぶ。

 この時代、内政に長ける者というのは得難い。

 どこもかしこも武働きばかり重視され、内政官は地位が低い者ばかりなのだ。

 結果重臣は脳筋ばかりで内政能力のあるやつは基本足軽並みの待遇しか得られない大名家が大半なのだ。

 そんな中、内政能力を重視して他国出身者だろうと頑張って集めていたのがこの織田家ともうすぐお隣で独立する松平家(徳川家)だ。

 そして恒興自身も内政官の重要性を理解している。

 後の織田家が広大な領土を治められたのは彼らが居てこそだった。

 決して戦で勝ち取ったからではないことを知っていた。


「それであればニャーの部下になって貰えませんか。実は堤防や開墾に関する知識を持った人を探していたのですニャ。どうかお願いしますニャ」


 頭を下げて頼み込む恒興。

 以前の自分はこんな風に頭を下げることなどなかったなと思い出す。

 信長の義弟である自分が頭を下げることは信長の権威を傷付ける行為だと考えていたからだ。

 だがそれは恒興の勘違いであり、考えすぎだとわかったのは大分後の話だった。

 むしろそのせいで若い頃は大分損をしていたのかもしれないと今の恒興は考えていた。


「そんな、お止めください。これから主君になる方に頭を下げられては私の立つ瀬がありません」


「じ、じゃあ」


「はい、この大谷休伯、殿のお力に成れるよう頑張ります。・・・あ、切り働きは期待しないでくだされ」


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「では、皆さん。この図面の通りに作業を開始してください」


 流石に図面を理解するとなると最低でも文字が読めなければならない。

 池田家従者の中から10人ほど選び出し敏宗と政盛の補佐に付け、北側南側に分けて作業させた。

 恒興と休伯は一緒に各現場を回り、指示書通りに行っているかを確かめていた。

 堤防本体に関しては基礎は既にあるので、これを改良して造ることにした。

 池田庄はそこまで広いわけではないので、図面の作成に時間はかからなかった。

 あとは堤防を壁の様にするのではなく、ある程度傾斜を付けて水の力を受け流せるようにする。


「流石に基礎があると手早く出来そうですね」


「休伯のおかげだニャ。図面が有ると無いとでは大違いだニャ。進捗状況もよくわかるし」


 もう一つ、休伯は実験的な堤を考案し木曽川に作ることにした。

『羽衣堤』と名付けられた堤は洪水を防ぐ役割は持たない。

 陸地から羽衣の如く飛び出したその堤防は、木曽川の増水時に水を受け流して流れる方向を本流側に向かわせる役目を持っていた。

 これにより堤防本体に当たってくる水の力を弱めようというものだった。


「来年、再来年あたりは避水湖や灌漑用の水路も造りたいですな。ま、木曽川の力を測ってからですが」


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 8月9月と何回か台風が来て木曽川沿いは大いに氾濫した。

 だが池田庄の堤防は一切壊れず凌ぎきり水害0を記録した。

 これを受けて池田庄の沼地から水が抜け始め、少し埋めれば開発可能となったのだ。

 池田庄は8割が開発不能だったことを考えれば、開発すれば6千石近いアップが見込めるのだ。

 この結果には林佐渡もびっくりして池田庄の堤防を見聞しに来ていた。

 そしてこのことは信長の耳にも入ることになる。


「そんなに凄いのか、その堤は」


「ああ、アタシも直に見て、大谷休伯から堤の機能性を聞いてきた。アレを造った休伯は天才だよ」


 林佐渡は池田庄の堤を木曽川沿いに張り巡らせる計画を立て、信長に報告に来ていた。

 流石にやるとなると大事業になるので資金は織田家から出してもらわねばならないのだ。

 信長は報告を受けて計画の有用性を認めると同時に、大谷休伯に総指揮を執らせることを考えた。


「なら、その大谷休伯を直臣として取り立てよう。恒興なら別に嫌がったりしないはずだしな」


「・・・それはやめておいた方がいいと思うけど」


「ん、何故だ?」


「休伯は他所者だからさ」


 他所者という言葉が有る時点でどういうことが起こるかは想像できるのではないだろうか。対義語は地元民だろう。

 織田家が尾張にある以上、尾張出身者が大半となるのは避けられないことだ。

 そして他所者や成り上がり者を嫌うのも避けられないことなのだ。


「佐渡、オレはそんなこと気にはしないぜ。役に立つ奴は取り立てるべきだろう」


「その結果、一益や藤吉郎がどんな目に遭ってるか知らんわけじゃないだろ。アイツ等は向上心も野心もあるから耐えれるだろうけど、休伯は違う。いつかは上州に帰ろうと思ってるみたいだし、話した感じ性格も繊細そうだ」


 信長は出自に拘らず能力のある人間を取り立てる傾向にある。

 信長の性格もあるが、基本織田家は人が足りていないのだ。

 それは信長の代で織田家が急拡大したからだった。

 信長は以前に尾張を支配していた織田大和守家と織田伊勢守家を潰した際、敵対した殆どの家臣を放逐した。

 2家合計30~40万石をキレイに潰したにも拘らず、その部下をほとんど拾い上げなかった。

 だから、少しでも使えるなと見たら取り立てるのだが・・・定着率はお察しだ。


「恒興の部下のままの方がいい。加増だって恒興を通して行えばいい。大体恒興はアタシの部下に出向するんだ。だったらアタシが休伯を使う理由になるだろ。木曽川沿い全域にあの堤防を造らせるんだ。そうすれば・・・10万石増は確実さ!」


 イジメとは基本同じ家の内部で発生するものだ。

 同じ信長の家臣である場合、他所者はイジメられる。

 自分と同列に他所者がいるのは気に入らないということだ。

 だが恒興の部下だと手は出せなくなる。

 例えば信長の家臣が恒興の家臣を虐めれば、当然のことながら恒興が激怒する。

 恒興の池田家はれっきとした豪族家臣であり織田家とは別の家なのである。

 それは今川家における松平家と同じである、松平家臣が今川家に行かないのは初めから別の家だからだ。今川家の部下ではないからなのだ。

 こういった休伯のような立場を”陪臣”と呼ぶ。

 林佐渡はこのままの立場で休伯を守るべきだと言っているのだ。それほどに彼の能力を買っていた。


「そうか、わかったよ。それじゃ恒興の津島奉行就任も早めるとしよう」


「おっ、話がわかるじゃないか、殿」


「犬山攻略の後くらいにしようかと思ってたんだがな」


 こうして季節は秋に変わり、恒興の出向と津島奉行就任が決まったのだった。

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