稲葉参陣

 私室にて、恒興は加藤政盛から提出された資料を元に算盤そろばんを弾いて計算していた。しかしどうにも上手くいってない様で頭を抱えていた。

 算盤が使えないという訳ではなく、資料から割り出した計算結果が思わしくないので悩んでいるのだ。


「うーん……う~ん……ニャー」


「どないしたんです、お殿様。算盤弾いて」


「ん?ああ、弥九郎かニャ。いやニャー……」


「僕で良かったら聞きますよ」


 それをたまたま見掛けた小西弥九郎は恒興の元へやってきた。恒興が算盤を弾いているのは犬山の財政情況ではないと見たからだ。犬山の財政情況は右肩上がりなので悩む事ではない。

 ならば何らかの物資が不足しているのではないかと弥九郎は当たりを付けた。それなら小西屋で調達出来るだろう。父親である小西屋当主・小西隆佐なら。

 恒興もダメ元で弥九郎に話してみる事にした。


「まあ、あれだニャー。ニャーが信長様から犬山を戴いた時は7万石だった。その時の馬の保有数は500頭前後ニャんだ」


「ふむふむ」


 この500頭の馬は元々、犬山に配備されていたもの。つまりは織田信清が城主の頃から居た。領地が7万石ならこの数でも不足は出なかったという事だ。


「今は全体で14万石ほど。つまりは倍増したんだニャー」


「えらい事ですねー」


「で、現状の馬の保有数が……500頭前後ニャんだよね」


「増えてませんやん!」


 恒興は犬山着任後、犬山の領地開発を熱心に推し進めた。大谷休伯の堤防造成により、水害の地は田畑に変わった。そこに流民傭兵だった者達を移住させ、多数の新しい村を作った。働きによって各家臣も加増されているが、犬山池田家は領地が倍増している。……なのに馬の保有数がまったく増えていなかった。


「そうニャんだよ。ちょこちょこ買ってはいるんだがニャー。戦で死んだり、ケガしたりで使えるのが減ってるんだニャー」


「あー、それは父に言うても難しいかと。西国は馬生産しとる所が少ないですよって」


 日の本の馬産地は東の山地に偏っている。これは昔からの話で、昔と言っても古墳時代まで遡る。


「そうだろうニャー。そいつは古代の日の本の政策だからニャー」


「そうなんですか?」


「ああ、馬っていうのは元々、日の本には居なかったんだニャー。だから敵から奪ってきたんだ」


「敵からですか?」


 日の本に元々の原産馬が居たかどうかは定かではない。たとえ居たとしても縄文人の狩りで絶滅した可能性の方が高いだろう。

 それが故に日の本の馬は最初から外国産馬となる。とは言え、これは馬だけに限った話ではない。牛、豚、鶏、蚕なども外国から来たのだから。


「日の本が『大和朝廷』と名乗っていた頃かニャー、その頃に朝鮮の『百済くだら』と同盟を結んで『高句麗こうくり』と敵対していたんだニャ。だが高句麗はその頃で重装騎兵を揃えている強国だった」


 日の本で馬が大注目される切っ掛けとなったのが朝鮮半島の三国時代、高句麗と百済と新羅しらぎの戦争に大和朝廷が乱入した時である。所謂、『神功皇后の三韓征伐』だ。

 征伐と銘打ってはいるが、別に大義名分などは無い。ただ技術と鉄を求めて攻め込んだだけである。渡来人は既に居るので、半島の情報も彼等の優秀さも知っていたからだ。つまりこの征伐は『技術欲しいから人拐ってくね。因みに返事は聞いてない』となる。弥生時代の人々に道理など説いても無意味である。

 当然ではあるが攻め込まれた百済や新羅は応戦した。そしてあっという間に両軍は撃破される。しかしてここからが百済の柔軟な所。大和朝廷が鉄と技術を求めて来た事を知ると一転して同盟交渉に入る。百済にはもっと逼迫した問題、高句麗と新羅との戦争があったからだ。この戦争対策に大和朝廷が使えると見たのだ。

 かくして大和朝廷は鉄と技術、そして更に高度な技術を持つ中華王朝への橋渡しを条件に百済と同盟を結ぶ。ここに大和&百済VS高句麗VS新羅の戦争が始まる。


「重装騎兵とは……騎兵無しでは対抗できまへんのでは。最低でも長槍があらへんと」


「……何をどうやったのかさっぱり分からんが、日の本は剣と盾の軽歩兵だけで渡り合ったらしいニャー。しかも高句麗の領土まで攻め込んだニャ」


「その頃の日の本はどんだけバーサーカーなんです!?」


 この頃の高句麗は北方の騎馬民族と中華王朝の武器文化が合わさって出来たハイブリッド国家であった。騎馬技術に優れた武器防具が合わさり無類の強さを誇っていた。これに対して大和は短い剣と盾だけの軽歩兵しかいなかったのだが、何故か対等に渡り合う。高句麗に恐怖を与える程に。

 おそらくではあるが、兵器兵科の質の低さを覆せる程の兵の質がそうさせたのだろう。訓練の質で上回ったのではない、必死さで有り得ないほど上回ったのだ。

 何故、大和が海を越えてまで『三韓征伐』したのか。その答えは飢餓である。

 弥生時代は人々に農耕文化が広まった時代だと言われている。つまり食料の安定供給が出来始めた時なのだ。縄文時代の様に獲物を求めて移動する事が無くなり、ある程度集住する様になる。この過程で集落の長が誕生し、それが大きくなって豪族と化す。そして豪族同士が寄り集まり政権を作った。

 それはいいのだが、『食料の安定供給』『集住と定住』が為されるとある事が起きた。それが『人口爆発』である。人がどんどん産まれ余ってきたのだ。

 それなら新田開発をせねばならないと思うが、これが遅々として進まない。何しろ道具が進化していないからだ。更に農業技術も進歩していないので収穫高を上げる事も出来なかった。

 人は増える、食料は足りない、新田開発は進まない、近隣に戦争仕掛けても奪える食料が無い、もう働き手にならない子供は殺すしかない。このどん詰まりの地獄を指して、現代の人々は『弥生時代』と呼ぶ。

 そして山に囲まれ気候が比較的穏やかで大きな川もある『大和盆地』に食料を求めて豪族達が集まってくるのは必然と言えた。その豪族達を取り込み大和朝廷という一大組織が誕生したのだろう。彼等の目的は「明日を生きるための技術が欲しい」だった。渡来人は既に居るので海の向こうに欲しいものがあるという情報は持っていたのだ。そして神功皇后が西国の豪族を蹴散らしつつ北九州までを制圧、朝鮮半島へと攻め込んだのである。

 この神功皇后は本名を『気長足おきながたらし姫尊ひめのみこと』といい、気長とは息長おきなが氏の事で近江の古代豪族である。つまり近江国も既に大和朝廷の一部だという事だ。

 おそらくは装備も訓練も充実していた高句麗軍は大和軍を見て貧相だと笑っていただろう。だが大和軍側は騎兵の恐ろしさなど知らないし、何が来たところで前に進んで叩き殺す以外にはない。逃げれば自分の親兄弟家族子供が犠牲になる世界なのだから。この点で必死さがまるで違うのだ。楽勝だと踏んでいた高句麗軍は遮二無二突撃してきて一歩も引かない狂戦士集団に恐怖しただろう。とはいえ、流石に強国の高句麗は多大な犠牲を払いながらも撃退に成功する。

 ここから朝鮮の三国時代に大和朝廷は長く戦い続ける事になる。 仁徳天皇の時には新羅の首都を包囲したり、高句麗本土まで攻め入った事が『広開土王碑』に書かれている。というか、しつこい程に大和の事が書かれている、百済と新羅の事は殆ど書かれてないのに。トラウマにでもなったのかもしれない。


「まあ、騎兵の強さは思い知ったみたいでニャー。敵の馬を鹵獲して国策として生産した。だから馬産地が東に集中したんだ。未開拓で土地が余っていたから牧場を作り易かったんだニャー」


「なるほど、それで馬産地が東に偏っとるんですね」


 この様な経緯もあり、神功皇后が技術を持つ人材と良質な鉄を大量確保。日の本は無事に古墳時代へと突入する。その基準となるのが『馬具』と『埴輪』である。ここから馬具が大量に出土する様になるため、馬が脚光を浴びた事が判るのだ。更に貴人になると愛馬を殉葬する事もあった様だ。これに関しては勿体ないと思ったのか馬の埴輪に取って代わられる。

 そしてこれらを生産出来る技術、人材を大量に連れてきた事も窺える。渡来人とはその大半が『渡来させられ人』という事になる。

 そして馬は当時開拓中だった信州から東の地域で生産されるようになる。


「はぁ、もっと馬欲しいニャー。ニャんか馬商人、犬山を避けてるんじゃないかって気になるニャー」


「そ、そのうちに来ますよって……」


 因みにだが馬は弥生時代あたりからいる。渡来人が家畜として連れてきたからだ。その他、牛、豚、鶏、蚕なども一緒に渡ってきた。

 だが馬はそれほど注目はされなかった。何故なら同時に牛が居たからだ。馬も牛も農作業で力を発揮するのは一緒なのだが、差が着いたのは『乳』である。馬乳より牛乳の方が量が多いのだ。

 このため乳牛はとても大切にされ、馬は細々としか飼われなかった。だから高句麗との戦争でその評価が一気に変わり、集中生産の為に信州を含む東側が選ばれたのである。

 そして弥生時代に一緒に来た豚だがどうやら絶滅した可能性がある。天武帝の食肉禁止令を皮切りに朝廷が度々『生類憐れみの令』に似た法令を何回も出した結果、日の本の人々は食肉をしなくなり、家畜としての豚は意味を失った。(一応だが法令に豚は含まれていない)

 野生に帰ってイノシシにでもなったのだろうか。


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 しばらくして弥九郎は外に出た。今日は家老の土居宗珊が地方巡察に行ったので、飯尾茂助と遊ぶ約束だったのだ。本当なら加藤孫六も誘おうという話だったのだが、彼は昨日居なかったため誘えなかった。

 二人で何処に行こうか話していると、昨日は見付からなかった孫六が犬山の外に続く道を歩いて行くのを発見した。二人は駆け寄って孫六に声を掛ける。


「おーい、孫六」


「ん?何だ、茂助に弥九郎じゃないか」


「何処行くんや?みんなで遊ぼかってゆうて探しとったんやけど」


「ああ、可児に馬商人が来てるから見に行こうと思ってさ」


 孫六は可児に来ている馬商人の所へ行く途中だった。流石に馬を買いに行くという訳ではなく、ただ馬が見たいだけではあるが。孫六はそのために可児まで一山越えるつもりであった。


「馬商人が?もしかして昨日もいなかったのは……」


「行ってた」


「どんだけ馬が好きなんや」


 孫六は昨日も馬商人の所に行っていた。茂助と弥九郎が探しても見付からなかったのはそういう理由だった。


「よし、僕らも今から見に行こう!」


「えー、なんでやー」


「弥九郎だって武士になるなら馬くらい選べる様にならないとダメだろ」


「馬なんて走ればええわ」


「そんな考えをしているヤツは馬に振り落とされるぞ。馬は頭がいいし、そういうのを感付くんだ」


「まあ、いいから行こう」


「えー……」


 弥九郎は心底面倒だなと思った。だが孫六と茂助は既に行く気満々の様で、断りきる事が出来なかった。これから一山越えるのかと思うとゲンナリしてくる弥九郎であった。

 結局は親の影響なのだろう。孫六の父親である加藤教明や茂助の義父親である飯尾敏宗は部隊を率いる武将なのだ。馬に乗って出陣する父親達を見てカッコいいと思っているし、自分もいつかああなりたいと願っている。だからこそ良い馬を選ぶ目を養いたいと思うのだろう。つまりは憧れている訳だ。

 だが弥九郎の父親である小西隆佐は別に出陣しないし、馬も商売道具でしかない。馬に憧れる程の親しみは弥九郎にはなかった。とは言え、宗珊塾生3人の内2人が行くと言ってるので付き合わされる破目となる。

 元気に山道を越えて行く2人に、弥九郎は何とか付いて行った。

 そして山を越えて辿り着いた野原に沢山の馬が居た。馬が逃げない様に誘導している人や馬を群れに戻す様に訓練された犬なども居る。馬達は思い思いの場所で草をみ、自由にしている。時折、武士らしい者達が馬商人と交渉しているのも見える。

 その中を孫六は迷う事なく進み、中心地辺りで腰を下ろして休んでいる壮年の男に近寄る。


「親方、来たよー」


「おお、孫六か。昨日は手伝ってくれてありがとな。今日は友達も来たのか」


「「お邪魔します」」


 孫六は昨日の時点で馬商人の親方と知り合い仲好くなっていた。経緯は草を食もうと藪をつついた馬が蜂に襲われ暴れ馬と化したのを、見物に来ていた孫六が飛び乗って落ち着かせたのである。親方から凄い技量だと誉められ、馬商人全員から感謝されていた。


「あれ、馬達を纏めてる。移動するの?」


「ああ、ここらじゃ売れないみたいだからな。関の方へ行ってみようかと思ってる」


「馬、売れないんですか?」


「うーん、思ったよりはか。織田家は景気がいいって聞いてたんだがなー。300頭程連れて来たのにまだ殆ど売れてない。信濃で待つ皆に何て言えばいいか」


 馬商人というのは普段は馬飼いと仕事をしていて、本式の商人という訳ではない。良い馬が揃ってきた頃に数村纏めて売りに出掛けるのである。そのため時期は未定であるし、商路というものも無い。

 故に販売方法は大体売れそうな場所に馬を連れて行って、品評会の様な催しを行う。実際に乗ってもらって気に入ったら買ってもらうという庭先取引の様な販売方法だ。

 となるとだが、確実に売れる訳ではない。それこそ親方が需要の無い場所に行けば余ってしまう。馬飼いの親方は商人ではないため、売れそうな場所を知っている訳ではないのだ。

 いつもなら20~100頭くらいが連れてくる目安となるのだが300頭は明らかに多い。それだけ織田家の繁栄に当て込んでいたのだが、実際は殆ど売れずに親方は落胆していた。

 この馬達は十数軒の牧場から親方に販売委託されたもの。更に護衛や馬の管理に馬飼い仲間を多数連れて来ているので、彼等の給料も掛かっている。馬の餌代も掛かる。売れませんでしたでは彼も帰れないのだ。

 なので彼等は場所を変えながら京の都を目指して売り歩くのである。


「えー、いい馬ばかりなのに」


「僕は場所が悪いと思うよ。だって、ここ、可児だもん」


「ん?可児はダメなのかい?」


「だって可児は久々利家の領地だから」


 茂助は可児が久々利家の領地だから場所が悪いと断言する。元々、この近辺で育った茂助には久々利頼興の噂は届いているのだ。

 それを聞いた弥九郎もああそうかという顔で納得した。


「あー、せやなー。久々利はんはケチで有名やし」


「な、何ぃ!?そうだったのか……」


 可児の大豪族・久々利頼興は自分の趣味にはお金を使うが、それ以外はケチる人物であった。とりわけ、家臣の給料までケチるのでこの辺の侍の大半は余裕が無い。馬を買う余裕も無いだろう。

 結局、馬を買いに来ている客の殆どが可児六郎の家臣だったり、可児村周辺の養蚕で儲けている者達ばかりだったりする。


「てゆうか、馬は犬山で売ったらええんや。お殿様ゆうてはったで。馬商人来ないかニャー、いつかニャーって」


「本当か!?」


「僕はお殿様付きの小姓やで。そういう愚痴も聞こえてくるんや」


「そうだった。弥九郎はお殿様の家で暮らしてるんだった」


 そこで弥九郎は馬商人が来ないと悩んでいる恒興を思い出す。

 犬山城主の小姓だという少年の言に馬商人の親方は顔を明るくする。彼等とて馬が早く売れてくれるに越した事はない。馬が減れば旅路も楽になるし、餌代も軽くなる。彼等も早く家族の元に帰れるだろう。相応の利益を持って。


「よし、それなら犬山に行こう。皆に報せてくる」


「じゃあ僕らはお殿様呼んできますから、犬山に来てよ」


「おう、頼むわ!」


 馬商人の親方は犬山に向かう事にした。その事を全員に伝えに行った。馬は既に纏め始めていたので今日中にも犬山に行けるという。

 孫六、茂助、弥九郎の3人はその事を恒興に伝えるべく犬山へ急いだ。


「ニャに、馬商人が来てるのか?何処だニャ?」


「もうすぐ犬山に来ますよ」


「よし、買いに行こう。今すぐニャー」


 待ちに待った馬商人の到来に恒興は喜んで直ぐに買いに行くと宣言。孫六と茂助と弥九郎の3人を伴って急いで支度をする。


「僕がいい馬選びますよ」


「ああ、頼むニャー」


「あれ、殿?お出掛けで?」


「おう、教忠か。今から馬を買いに行くんだニャー」


 恒興達が池田邸を出たところで、丁度報告に来た刺青隊隊長の渡辺教忠と出会う。今から馬を買いに行くと伝えると、彼は思い出した様に同行を申し出た。


「あ、それなら俺もいいですかね?実は刺青隊にも馬が欲しくて」


「あー、いつも政盛に借りに来てたニャー」


「伝令の度に借りるのも申し訳なくなってきまして。1、2頭買っておこうと」


「ふむ、今の刺青隊の規模だと必要になるのは当然だニャー。よし、その分もニャーが買ってやる」


「いいんですか!?」


「必要経費だニャー。ほれ、行くぞ」


「ははっ、お供します」


 恒興は教忠も伴い、馬商人が来るであろう場所へ向かった。

 恒興達が意気揚々と犬山の郊外まで出向くと、広い野原に沢山の馬が居るのが見えてくる。既に可児から馬商人が移動してきていた。そして孫六の案内で恒興は馬商人の親方を紹介され、買い付け交渉に入る。


「これはこれはお殿様、よくおいでなすって。馬がご入り用で?」


 終始、笑顔で迎えた親方は両手を腹の辺りで合わせゴマすりの様なポーズをとっている。馬が売れるので嬉しいのだろう。大柄な体に髭面、山賊の様な様相で商人の真似事をされても商人らしく見えないなと恒興は思う。

 とは言え、それは仕方ない。彼等は普段は馬飼いをしていて山間部に居るため、動きやすい格好をしているし、整った格好が出来る様な富貴ではないのだから。


「うむ、結構な数だニャ。何れくらい居るんだニャー?」


「だいたいですが300頭ほどおります。お好きなのをお選びなすって……」


「よし、分かったニャ。全部くれ」


「「「……」」」


 恒興の言葉に一堂が言葉を失う。恒興は至って平静であったが馬商人の親方をはじめ、渡辺教忠も孫六、茂助、弥九郎の3人も唖然となった。馬300頭など大人買いにも程がある値段になるからだ。


(全部?全部って……全部だよな?)


(あれ?僕がいい馬を選ぶという話は何処へ?)


 恒興はさも当然という風でしかなかった。何しろ馬が必要なのは農作業においてだからだ。

 池田家の領地は恒興が犬山城主になってから倍増している。なのに馬の保有数が変わっていないのはかなりマズイ事態である。馬は春の田起こしが始まると農村へ貸し出さなければならないのだ。

 現状でも出来ないとは言わない。ただ馬に余裕が無くなり酷使する事になるだろう。ある程度大きい村では自前で牛や馬を保有している所もあるが、2、3頭が限度となる。餌代も掛かるため、比較的余裕のある農村でなければ飼えない。しかもこれで全ての田畑を起こすのは負担が大き過ぎるし時間も掛かる。更に犬山には新規の開拓村が多いため、馬も牛も保有してない村が多数有る。

 だからこそ恒興は馬を全部買う事に決めていたのだ。このままでは今居る馬達をかなり酷使する事になる。そしてこれが最も大きな問題となるのだが、……自分達が上洛戦で乗れる馬が連れて行けないのだ。上洛戦が春までに終わってくれれば問題はないが、近江経略まで予定に入っているので無理だと恒興は見ている。

 簡潔に言うと、現状だと上洛戦の兵糧まで兵が担いで歩かなければならなくなる。馬がいないと荷駄が使えないからだ。もしも馬を戦に駆り出すのであれば犬山の農業に大ダメージを与える事になり、民衆の恒興への信頼が一気に失われるであろう。ダメージ次第では餓死者が出る事態にもなりかねない。そんな淵に恒興は居たのである。

 だから恒興にとって300頭は絶対に買い逃せないのだ。馬商人など何時来るのか分からないのだから。


「まあ、300頭も買うんだニャ。少し値段に……」


(来た!大量買いだから値引きしろ交渉。ここで負けては故郷で待つ家族や仲間達が!)


 値段と聞いて親方はビクッとする。やっぱり来たかという感じで。

 実際の話となるのだが、馬は京の都周辺まで行けば売れる。武家ではなく商人が買っていくからだ。京の都より西の商人達は馬を買い付けては瀬戸内海水運に乗せていろんな西国大名に高く売りつけているのである。馬は農業に必須だし、武家の将が徒歩では格好もつかない。買わない訳にはいかないのだ。

 なので馬は京の都周辺まで行けば商人が張り切って買ってくれる訳だが、商人とて利益は欲しい、出来る限り。大名には最初から高値で卸しているのだから増額は難しい、ならば馬商人に値引きさせようとしてくる訳だ。

 馬商人の親方は本式の商人ではない、普段は馬飼いをして過ごしている。故にいつも値引き値引きと言われて辟易しているが、家族一族の生活のためにはそうも言っていられない。300頭売りの単価を下げられてはどれほど損が出るか分からない。彼はいつも以上に気合を入れて交渉に臨もうとするが。


「……色付けて買うニャー。だから全部くれ」


「え?いいんですかい?」


 そんな予想に反して恒興は更に上乗せすると宣言した。何しろ馬を誰よりも欲しているのが恒興なのだ。このままでは上洛戦でマズイ事態になりかねないし、下手に交渉して「じゃあ他で売ります」と言われたら目も当てられない。だから値上げで機先を制した、必要あったかは別として。

 それにこの300頭を買えたとしてもまだ足りないのだ。ならばこの親方には気持ちよく帰ってもらって、仲間も呼んで来てほしいとも考えたのだ。


「不服ニャのか?」


「いえいえ、いいえ!とんでもござんせん。ありがとうございやす!故郷の仲間達も喜びます!」


「ではよろしく。また来いニャー」


 馬商人の親方は厳つい顔を綻ばせて頭を下げる。これで大手を振って故郷に帰れると。

 恒興は交渉を終わらせ4人を連れて戻る。馬の受け取りと代金支払いを加藤政盛にやらせないといけないなと思いながら。

 そんな恒興の横顔を見ながら、孫六は問題となりそうな事を質問してみる。


「厩舎は大丈夫なんですか?」


「まあニャー、元々馬は増やすつもりだったからニャー。幾つか建ててある」


「でも馬飼い人が足りてませんよ、今でも」


「う、そこは募集して何とかしないとニャー。教忠、刺青隊にも20頭は渡すから馬飼い人は探しておくんだニャ」


 そう、厩舎は建てれば済む話なのだが、馬の世話をする人間は未だに足りていなかった。厩舎で働いている孫六はその現状を指摘する。

 とりあえず恒興には募集する以外の手立てはない様だ。

 そして刺青隊にも20頭渡す事にしたので、教忠も馬飼い人探しには苦労するだろうと恒興は思う。だが彼から返ってきた返事は喜びのみであった。


「20頭ですか、ありがとうございます。まあ、問題ありませんよ。俺の幼馴染みの小吉は子供の頃、親の手伝いで馬の世話してたし。そういうヤツ、ウチには結構多いんで……って、何で首絞めるんですか、殿!?」


 刺青隊の構成員は皆、元百姓である。馬や牛を保有している村から来た者も少なくない。それらの世話を幼い頃からやっていた者も居る訳だ。親達は農作業に忙しいので、戦力にならない幼子は生き物の世話係を任せられる事が多いのだ。

 だからこそ教忠は馬飼い人なんて隊内から探せば簡単に見付かるという。

 それを聞いた恒興は即座に教忠の首を絞めておいた。


「お~ま~え~は~、ニャーが馬飼い人足りなくて困ってるの知ってるよニャー。なのにそんな技術持ったヤツラがお前んとこで傭兵やってんだニャー!!今すぐニャーの元に連れて来い!さもないと刺青隊解体するぞ、ゴラァァァーーー!!」


「す、直ぐに行ってきまーす!」


「あははー、強権発動やなー」


「これが豪腕当主というものか」


「いや、何か違うぞ、茂助」


 恒興の血涙を流さんばかりの凄まじい気迫に、教忠は一目散に刺青隊屯舎へと走っていった。その恒興の様子に子供達は三者三様の感想を持つのであった。


「でも僕がいい馬を選ぶ話はどうなったんでしょう?」


「何を言ってるニャー。それはこれからじゃニャいか」


「え?」


「今回、買った馬の中からニャーに相応しい良い馬を選んでくれるんだろ。ニャーの乗騎にするために。……浜風はお慶に取られたし」


「それならいい馬には目星が着いてます。連れてきますね」


 そう言って孫六は馬商人の元に戻り1頭の馬を引いてくる。かなりガッチリとした体格の良い鹿毛馬であった。


「どうです、この鹿毛馬」


「おお、鹿毛というより赤毛と言ってもいいニャー。まるで呂奉先の赤兎馬って感じだニャ。よし、『赤兎』と名付けるか。早速帰って試し乗りだニャー」


「はい!」


 恒興は『赤兎』と名付けた馬を池田邸に連れ帰り、馬具を装着させる。思えば愛馬となるはずだった『浜風』をお慶に取られてからというもの、恒興は乗り慣れた池田庄時代から居る年老いた馬に乗り続けていた。良い馬ではあるのだが、いかんせん年老いているため、あまり無理は出来なかった。恒興としても初陣からずっと頑張ってくれたのでそろそろゆっくりとした余生を過ごして欲しいと思っていたのだ。

 そして恒興は乗る前に新たな愛馬に声を掛ける。


「よし、赤兎よ。浜風の代わりにお前がニャーの愛馬となるんだニャ……て、痛ぇー!?」


 そう言いながら近寄った恒興の足を赤兎は思い切り踏んだ。いきなり予想外の痛みに恒興は飛び上がってのたうち回る。


「ニャんでいきなり足を踏んでくるんだニャ!?」


「お殿様が『代わりに』とか言うからですよ。代わりなんて言われたら不快でしょ」


「え?ニャーの言葉を理解するの?」


「いえ、馬は感付くんです」


 馬も生き物であり感情がある。馬という生き物は結構鋭く人の感情を読むため、「あ、コイツ、オレの事バカにしてるな」と感じたら踏んでくる事もある。まあ、そこは気性次第ではあるが。

 恒興が抗議の声を上げているといつの間にか真っ赤な袴に身を包みウェーブがかかった長い髪を頭の後で結っている少女が立っていた。


「ほう、流石は池田殿。良い馬じゃの。妾の引き出物に用意してくれたのかの」


「お前は!?……えーと……」


「妾を忘れるとは無礼な。西美濃最強・稲葉家次期当主・稲葉彦とは妾の事じゃ!」


 この少女は曽根城主・稲葉右京亮良通の嫡子・稲葉彦六貞通である。美を付けてもよい顔立ちはしているが、余裕の表れか常に嗤っている様な表情をしているので恐ろしさもある。


「は、はあ、その西美濃最強さんがニャんでニャーの屋敷に来たんだニャー?」


「挨拶じゃ。これから稲葉家は池田家の軍団で戦うのじゃからな」


「ニャんでそうなる!?」


「妾が加わってはおかしいか、池田殿」


「いや、彦殿の稲葉家は西濃だよニャ。西濃の軍団長はニャーではなく、木下秀吉ニャんだけど」


「知っておるわ、あと呼ぶ時は彦で構わぬぞ」


 稲葉家の領地は西濃にある。そこを担当するのが木下秀吉となるはずだったのだが、ある一家を除いて全ての豪族に断られた。端的に言うと「農民の子に頭を下げろとかバカにするな!」という事だ。

 これは秀吉の生まれなのでどうにもならない。この事が後年でも祟り、度重なる謀反へと繋がるほどである。この戦国において生まれの問題はそれほど重大だったりする。


「だったら……」


「貴殿は我が稲葉家に木下家の下に付けと言うのか?いくら何でも舐めすぎであろう、妾達は半兵衛の様な戦が出来れば良いという人間ではないぞ」


「だ、だから信長様の直轄になったのではニャいので?」


「それは戦に呼ばれるのかのぉ。信長様は豪族をあまり信用しておらんじゃろが。稲葉は武功をもって稲葉と名乗る。自分の領地で安穏としておる安藤や氏家とは違うのじゃ」


「は、はぁ」


 信長は基本的に豪族を信用していない。自分の窮地の時にはあっさりと見捨てていく事が判り切っているからだ。既にその窮地を一度体験しているので尚更だ。そう、「桶狭間の戦い」という窮地を。あの時、尾張の豪族は全て信長の参陣要請に応えず日和見していたのだから。

 だからこそ信長は豪族の力を信頼している家臣の下に付けて軍団長とした。こうすれば信長は家臣に命令しているだけでいいのだから。恒興もその一人である。

 だが西濃は秀吉が取り込みに失敗したため、信長直轄とせねばならなかったという事情がある。そんな信長の感情を読み取り、稲葉家は池田軍団への編入を申し出た。このままでは戦場に行けなくなるとまで危惧したのだ。


「だからといって木下家の様な出自も解らん家の下に付くことは出来ぬ。そこで信長様に頼んで中濃軍団配属としてもらった訳じゃ」


(別にニャーの池田家だって出自がハッキリしてニャいんだけど。美濃か摂津らしいけど)


 実の所を言えば、恒興の池田家も出自が美濃か摂津かはっきりしていない。何せ祖父が早世し、父は婿養子でしかも恒興が3歳の時に亡くなっているので池田家の系譜は失伝してしまったのだ。だがいずれにしても遡れば最終的に摂津源氏にたどり着く。

 美濃が出自の場合は話が簡単でただの移住となるだろう。

 では何故、候補に摂津があるかと言えば幕府が関係してくる。幕府では政争に敗れて立場を失い、地方に活路を見出す人が結構いる。かの有名な関東北条家の祖・伊勢宗瑞(北条早雲)もその一人だ。彼は室町幕府政所執事である伊勢家の縁者だ。だが応仁の乱を経て伊勢家は没落、彼自身は姉(妹?)が正室になっている駿河今川家へと赴いたという経緯がある。

 他にも地方大名が上洛して使える人材を紹介してもらうという事もある。天下りの様なものだ。

 摂津は幕府の影響力が強い地域だった。そのため政争に敗れた池田家の人間が尾張に来た、あるいは斯波家、織田大和守家共に何回か上洛しているので幕府から紹介されたという可能性が有る訳だ。


「妾が求めるは戦場の赤、それは美しい色、女を飾る紅、恋の熱情!さあ、戦場よ!妾にもっと赤を見せておくれ!!」


「ニャー、あの娘、怖いんだけど」


「いや、僕らに言われても」


「遠慮したいといいますか」


「堪忍や~」


「という訳で挨拶に来た。用事は終わったので引き出物を貰って帰るとしよう。ゆくぞ『紅蓮』、戦場の彼方へ!」


「ちょ、それ、ニャーの赤兎ー!?」


 こうして稲葉彦は言いたい事だけ言って帰っていった。赤兎と名付けられた馬を勝手に紅蓮と改名し、そのまま走り去っていったのである。

 後日、馬の代金を持って稲葉家当主・稲葉一鉄(良通から改名した)が恒興を訪ねた。娘の無礼を平謝りするその様に、恒興は苦労してるんだなぁと感じ取り、馬の件は不問とした。とりあえずは本人の働きで返してもらう事にしたのだ。

 そして何故か一鉄にシンパシーを感じてしまう恒興であった。


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 後日、土屋長安は忙しそうに部下に指示を出していた。急造りとはいえ、中々の出来栄えに自分を褒めたくなるくらいではある。

 彼が急いで造ったのは市場である。ただの市場ではない、馬を商うための交渉市場なのだ。とりわけ馬を放牧状態に出来るくらいには広さが必要で、傍目には柵で囲まれた野原にしか見えない。

 そんな満足気な長安の元に一人の男がやってくる。桑名に支店を構える天王寺屋助五郎である。


「盛況でんな、長安はん」


「あ、助五郎さん。来てくれたんスね」


「そりゃ、こないな事されたら来るしかあらへんて。まったく、婿殿はとんでもない奇襲するんやから。ワテらは嬉しい悲鳴やわ」


「ほんと解っててやってんのか天然なのか、よく判らないんスよ、殿さんは。300頭も連れてきた馬飼いも大概スけど、それを即決全購入する殿も大概ス。おかげで噂を聞いた馬飼い達が必ず犬山に来る様になったっスよ」


「そんで長安はんは金の匂い嗅ぎ付けて、こないな大きい馬市場を作った訳でんな」


 全ての原因は恒興にあった。彼は300頭と言わず、もっと馬が欲しかった。だからこそ値上げまでして馬を買ったのだ。

 そして案の定、故郷に戻った馬商人の親方から犬山の情報が伝わり、周辺の馬商人達も犬山にやってきた。これは恒興の目論見通りでもあった。……のだが。

 噂は伝播し続け、信濃は言うに及ばず、甲斐や関東からも馬商人が来るほどであった。

 最初こそ喜んで買っていた恒興であったが買い切れる訳がなかった。既に馬の保有数は2000頭を超えていたのだ。そうなるであろうと一早く察知した長安はこの馬商人が売買するのに最適な市場を建造し、馬を欲しがっているであろう天王寺屋に連絡を入れたのだ。


「助五郎さんこそ、ただ見に来た訳じゃないんスよね」


「連絡もろたその日から動いとるで。堺会合衆の商家向けに馬卸そ思うて注文取ってきたんや。もー、ワテは大忙しや」


「きっちり金の匂いを嗅ぎ付けてるっスね」


 畿内の商人は何処も馬を欲しがっている。だが東国まで買い付けに行くのは難しかったし、経費も掛かり過ぎていた。かといって、馬商人が来るのも不定期だし、数も揃わなかったりする。ずっと困っている状況であったが戦乱で武家を統率するはずの幕府にも力が無く打開策も無い。

 そんな商人泣かせの現状でこの犬山の情報が天王寺屋に舞い込み、助五郎は即座に動いた。堺の本店を指揮している父親の天王寺屋宗達と連携して畿内の商人向けに馬の卸売りを計画したのだ。馬商人が集まる犬山を起点とし、桑名の助五郎が買い付けて堺に送る。そして堺の宗達が各商家に卸し、そこから西国大名に売るという商路を確立させるために。この方法で行けるなら天王寺屋の儲けは薄くてもいい。多売によって稼げる上に需要が尽きない『金の成る木』なのだから。


「馬買い付けに信州や飛州に行けたらなぁって考えてたら、あちらさんから犬山に向かって来るやなんて予想外もええとこや。お陰様で天王寺屋は馬商いが出来るで」


「助かったスよー。俺も織田家中から注文集めてたっスけど、供給の方が大きくなりそうっスからね」


「せっかく集まる様になったんやし、維持してかんとな。よっしゃ、ワテも気合い入れてうてくるわ」


「行ってらっしゃいっスー」


 腕まくりまでして気合を入れる助五郎を長安は笑顔で見送った。

 因みにだが、恒興はこの過程で新しい愛馬を手に入れていた。『浜風』に続き『紅蓮(赤兎)』までも奪われたからだ。

 新しい愛馬は黒鹿毛の馬で力は有るが気性は大人しい馬だった。額に白毛の筋があったので、恒興はこの馬を『影月』と命名したそうだ。


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【あとがき】

恒「そして勝手に話を増やすべくのすけであったニャー」

べ「条約は破らせるためにある。約束は違えたくはないけど仕方ないよねー忘れてたんだテヘペロのためにある。べくのすけですニャー」


べ「今回は考えてさせられるコメントを戴いたので、それの考察をしていこうと思いますニャー」

恒「どんなのだニャ?」

べ「『山岡家は甲賀53家に入ってないし、六角家重臣に三雲家があったから甲賀衆の指揮権は三雲家か同じ53家の山中家にあったのでは?山岡家が甲賀の指揮権を貰ったのは信長時代では?』というコメントさ」

恒「言ってる事は正しいと思うけどニャー」

べ「まあね、山岡家が織田家でやっていた事をそのまま六角家でもやっていた事にしようという小説上の設定だからね。こういうコメントが来るのは必然と言えるし嬉しいね」

恒「じゃあ、何が考えさせられるんだニャー?」

べ「ここで考えさせられるのは『重臣』って何さ、だよ。そんな役職は無い。なのにwikiあたりには『重臣』という言葉で溢れている」

恒「いや『重要な家臣』の意味だろ。普通に考えてニャ」

べ「織田家で考えようか。恒興くんは家臣?」

恒「当たり前だニャー!」

べ「今の池田家は15万石ほどある大名だよ」

恒「それでもニャーは信長様の家臣だニャ。信長様が犬山返せって言ったら返さねばならんニャー」

べ「じゃあ、木下軍団に配属になった生駒さんは?」

恒「ソイツは家臣じゃない、豪族だニャー。うちの佐藤、岸、肥田、遠藤、久々利と同じ立ち位置だニャー」

べ「でも織田家だよね」

恒「生駒家の領地は織田家から与えられた物じゃないからだニャー。つまりは土地に根付いた豪族『土豪』という存在ニャんだ。惣領権も裁量権も自前で持ってるニャ。ま、今の織田家の勢力規模なら力で潰せるけどニャー」

べ「そう、豪族であって家臣じゃない。この分別が我々は曖昧になってるんじゃないかという事を考えさせられたのさ」

恒「ニャにが言いたいんだ?」

べ「本題に入ろう。三雲家と山中家は六角家臣かな?」

恒「う、そういう事か。そいつらは……豪族だニャ。裁量権を己で持っている独立した存在だニャー。厳密には家臣じゃないニャ」

べ「そう、これの解釈が難しいんだ。家臣であるならば領地の取り上げが出来るはずだ。領地替えも容易い。家臣なんだからね。でも六角家は出来ない。何故?コイツラは家臣じゃなくて豪族だから。惣領権も裁量権も六角家に渡してないんだ。これを『重臣』と言ってるから混乱するんだよ。重要なのは解るけど家臣かと言えば疑問符が付くんだ」

恒「しかし六角家に属しているのは本当だニャ。偏諱されたヤツもかなりいるはずだニャー」

べ「そこら辺が大名の甘い所さ。偏諱したから家臣でしょ、なんて思い込んでいる。実態は野放しだ。彼等の領地に六角家は干渉出来ない。ただ偏諱という繋がりはあるから用事があれば来るし呼ばれれば来る。でもだいたいは自分の領地にしかいない。我々はこれを『重臣』と呼んでいる。何かおかしくないかい?」

恒「六角家内にあまり関わってニャいと言いたいんだニャ。でもそれなら後藤賢豊はどうニャんだ?自分の領地を持っているし、惣領権も裁量権も持っているはずだニャー」

べ「その通り。彼も豪族と呼べる立場なんだけど、同時に『六角家家老』なんだ。家老は歴とした役職なんだよ。その立ち位置は織田家における林佐渡守さんの様なものさ」

恒「ニャるほど。佐渡殿は那古野城主でありながら織田家全体の内政もやっているからニャー。かなりの頻度で岐阜城にいるし」

べ「両者の違いと言えば主家から領地を貰ったかになる。このため林佐渡さんは家臣だと言えるね」

恒「家臣なのか、豪族なのかが重要だと言いたいんだニャ」

べ「その辺の厳密な線引きがないから、引っ括めて『重臣』と言っているんじゃないかと思ったのさ。まるで考えるの面倒だから大名家に属して勢力が大きいヤツは重臣でいいやってぶん投げられた印象なんだよ。誰が重臣なんて言葉を作ったのかは知らないけどさ。そういう意味の無い言葉は結構ある。『宿老』という言葉もそうだ。だよね、織田家の四宿老さん」

恒「そんな役職はねーギャ。庶人が勝手にそう呼んだだけだニャー。だいたいニャーは家老じゃねーし。家老だったのは柴田勝家と丹羽長秀の二人だ。意味の無い名誉職だったがニャ」

べ「名誉職なんだ……」

恒「佐渡殿と出羽殿が追放された後だからニャー。もうその頃の信長様に家老なんて必要ないんだよ。既に隠居してたからニャ」

べ「なるほどねー。しかしそう考えると織田家は本当に特異だね。有名武将の殆どが家臣だ」

恒「だって信長様は豪族を使わねーからニャー。そう考えると信長様直轄の豪族は西美濃三人衆が最初になるかもニャー。……今ふと気付いたが山岡家は六角家臣ニャのか?」

べ「……そういう事にしといて……ニャー」

恒「境目が曖昧過ぎてわかんニャいのか……」


べ「もう一つ気になる言葉が出たので、それの解説もしておこう。『偏諱』について」

恒「ん?偏諱の何が知りたいんだニャ?」

べ「偏諱とは簡単に言うと偉い人の名前の一文字を自分の名前に貰う事。これには法則があるんだ。例えば織田家中で信長さんの『信』の字を貰った人はいるかな、恒興くん」

恒「そんなヤツは居らんニャー。バカにしとるのか」

べ「そう、いない。子供や親族が『信』の字を持っているのは、あくまで織田家の通字を持っているに過ぎない。別に信長さんから貰った訳ではない」

恒「信長様の『信』の字を貰ったと言えば松平信康と長宗我部信親が有名だニャー。『長』の字を貰ったヤツは織田家内では数え切れんニャー。代表としては丹羽長秀や木下長秀あたりかニャー」

べ「その通り。実は信長さんの『信』の字を貰える人は他大名家の子息と決まっている。だいたいは同盟相手の嫡子となる。そして『長』の字を貰える人は家臣となる。これが偏諱の法則性なんだ。ここで偏諱やり過ぎな人を例にしよう。足利家13代将軍義輝さんだ」


『義』


赤松義祐、朝倉義景、足利義氏、尼子義久、大内義長、相良義陽、島津義虎、島津義久、宗義調、武田義信、武田義統、松永義久(久通)、三好義興、三好義継、最上義光、六角義治


『輝』又は『藤』(足利義輝は以前に足利義藤と名乗っていたため。数が多いので有名人のみ)


足利藤氏、一色藤長、朽木藤綱、筒井藤勝(順慶)、細川藤賢、細川藤孝(幽斎)

上杉輝虎(謙信)、小野寺輝道、大内輝弘、朽木輝孝、伊達輝宗、二階堂輝行、毛利輝元


べ「これを見て分かると思うけど、『義』の字を貰った人はかなり若い人ばかりだよね。これは嫡子として貰ったからなんだ」

恒「しかし『輝』や『藤』を貰っているヤツには大名家当主も居るニャー。上杉に毛利に伊達と大きい大名だ。何故だニャ?」

べ「簡単さ。大名扱いされてなくて家臣扱いなんだ。まあ、この中で上杉謙信公は自ら望んだって話だね。何しろ嫡子がいないし」

恒「ここらへんでも家格が物を言ってるんだニャー。毛利家は元々土豪だし、伊達家は伊達郡の地頭の家柄。成り上がりと見なされたかニャー」

べ「毛利家の大本は『大江氏』らしいけどね。ここで重要となるのは『下の字を貰う人は家臣』という事かな。そこで気になるあの人の話題に行こう」

恒「誰だニャ?」

べ「浅井長政さん。彼の初名は賢政という」

恒「『賢』……六角義賢だニャ」

べ「そう、長政さんが元服した時に『賢』の字を偏諱された。つまり浅井家は六角家の家臣だと宣言されたという事さ」

恒「ニャるほど。六角家への悪感情が強い中、お前らは六角家臣だと宣言されて、重臣連中がブチ切れたってとこだろうニャー。それで長政が人質生活から帰ってくるなり強制隠居騒動って訳だ」


六角義賢「元服で賢政には『賢』の字を偏諱しといたぞ。これでお前らも六角家臣だ」(o≧▽゜)o

浅井重臣「おk、久々にキレちまったよ。屋上行こうぜ。まず、ご当主からな」(#・∀・)

浅井久政「ええー」Σ(Д゜;/)/


べ「偏諱されたのが『義』の字だったなら、大名扱いになったんだけどね」

恒「可能性でしかニャいけど、それならある程度、浅井家側は納得したかもニャー」

べ「これも浅井家内部で重臣豪族の力が強すぎるとしたべくのすけ理論に繋がっている。長政さんに騒動を準備する時間が無いんだ。彼は観音寺城に居たんだから」

恒「準備は全部、重臣豪族連中でやっていたと推測した訳だニャ。長政もあっさり重臣連中に同調しているところを見ると、はらわた煮えくり返っていたのかもだけどニャー」

べ「偏諱一つでもいろいろ見えてくる。妄想のし甲斐がある。歴史の醍醐味ではあるね。ところでさ、恒興くん」

恒「ニャんだ?」

べ「長政さんの『長』って……」

恒「信長様の『長』じゃないニャー!そんな事したら同盟組む前にブチ切れられるわ!」

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