外伝 お客の半兵衛くんが縦横無尽すぎて困ってます
北近江坂田郡鎌刃城。
この城を本拠とする堀家は危うい立場に追い込まれていた。
以前に起きた竹中重治との戦で磯野員昌の軍が壊滅した事で、堀家は浅井長政から疑念を持たれる事になる。
更に磯野軍が壊滅した事で国境線の『佐和山城』が六角家の手に落ちた。
このため鎌刃城は最前線の城となってしまい、長政の内圧と六角家の外圧に晒される事になった。
堀家家老の樋口直房はこの事態に有効な手段を採れず、何時どちらから攻撃されるか気が気ではなかった。
堀家当主は未だ4歳の幼児であり、家老の直房はこの局面を一人で乗り切らなければならなかった。
そう彼が頭を悩ませていると、この件のもう一人の当事者である青年が大荷物と共にやってくる。
それは稲葉山城から脱け出した竹中半兵衛重治であった。
彼は稲葉山占拠の責任をとって隠悽するので、軒を貸して欲しいと願い出た。
現在の堀家の局面を導いたと言える人物が目の前に現れたのだ、直房は文句を言わずには居られなかった。
「半兵衛殿、この事態をどうしてくれるのだ!」
「どうと言われましても磯野軍に勝った後の事までは知りませんよ」
「う、・・・しかしだな、君が磯野の軍勢を壊滅などするから」
「そうせよと言ったのは樋口殿の筈ですよ。私は別に相手は誰でも良かったのですから」
そう、磯野軍を相手にするというのは直房が決めたのである。
彼が佐和山城に援軍要請を出して、誘き寄せたのは間違いない。
重治は別に相手は誰でも良かったのだ、たとえ浅井長政であったとしても。
「うう、・・・それは、そうなのだが・・・」
「とは言え私も責任は感じております。なのでこの事態の解決案を提示したいと思います」
あっという間に論破され直房は意気消沈していく。
彼自身も解っていた事ではある、重治を責めても仕方無いと。
それでも直房には重治に期待するところがあって話をしているのだ。
そしてその期待に応える様に重治は解決案を持ってきていた。
「おお、一体どの様な解決案を?」
「長政と六角家の圧力が問題なのでしょう。ならば六角家に寝返ればよろしいのです。これならば圧力は半分になります」
確かに現在の堀家には長政の圧力と六角家からの圧力が掛かっている。
六角家に寝返りをすれば掛かる圧力は長政のものだけとなり半分になる。
単純な引き算でしかないのだが、・・・ホイホイ寝返れと言われても直房は困るだろう。
「・・・それは怒り狂った浅井方から攻撃されるだけでは?」
「撃退すればよろしい」
さらっと回答する重治。
一方の直房は顔面蒼白である。
「浅井家は今の状態でも1万近い兵士を徴兵してくるのだぞ!対してこちらは2千と少しで限界だ!」
「相変わらず狂気の徴兵数ですよね」
石高14、5万程度の浅井家が1万に近い兵士を揃えてくる。
どう考えても限界徴兵数オーバーであり、これで破滅しないのが浅井家の強さとも言えた。
近江国は琵琶湖の水に恵まれ、かなり農業が盛んで近江国全体で70万石程ある。
だが穀倉地帯は南に固まり、南近江は約50万石ほどあるのに対し北近江は20万石ほどしかない。
更に浅井家の勢力圏は北近江の半分しかなく、どう多く見積もっても15万石で限界だろう。
それ以下の可能性の方が高いのだ。
「もうダメだー!御先代、申し訳有りませぬ!この直房が無能なばかりにー!うおおおぉぉーーん」
直房は床に突っ伏して泣きわめく。
無論演技であり、重治から更なる案を出させるためである。
「止めてください、そういう泣き落としは。言ったでしょう、『責任は感じている』『撃退すればよろしい』と」
「おお、では!」
「ええ、この竹中半兵衛重治が浅井長政を追い払ってご覧に入れましょう」
重治は宣言する、自分がやれば浅井長政を撃退出来ると。
直房はこの言質が欲しかったのである。
彼はこと戦争に関して重治の才能を高く評価しているのである。
「しかし1万の軍勢に勝てるのか?こう言っては何だが鎌刃城は北側からの攻撃に弱いのだぞ」
「問題有りません、1万も徴兵してくるから容易に勝てますとも。鎌刃城には触れさせませんよ」
鎌刃城とは元々佐和山城がある辺りの街道を見張るために建造された山城である。
そのため佐和山城がある西側は守りが固く、北側からの侵入に対してはあまり強い造りにはなっていない。
因みに南と東は山地であり軍勢は通れない。
「・・・相変わらず何故そういう結論に到るのかさっぱり解らんのだが」
「説明、要りますか?」
「いやいい、どうせ理解出来んのだろう。もう君を信じるしかない」
直房は説明されても多分理解出来ないと思った。
既に「1万も徴兵してくるから容易に勝てる」の段階で意味不明なのだ。
浅井家が兵糧切れを起こしているならわかるが、そんな情報は来ていない。
「六角家との繋ぎは有りますか?」
「六角家筆頭家老の後藤殿と連絡が取れる。心配は要らんよ」
後藤但馬守賢豊。
六角家筆頭家老でもう一人の家老の進藤賢盛とで『六角家の両藤』と呼ばれる六角家の柱石である。
思慮深く豪族や家臣から信望を集める人物として六角家当主・六角左京大夫義賢から全幅の信頼を受けている。
更に佐和山城代として彼の次男である後藤喜三郎高治が赴任しており、直房は彼から寝返りを打診されていたのである。
最前線の調略合戦はこの時代の日常である。
「それは素晴らしいですね。では決まったら長政に教えてやりましょう」
「ま、待て!半兵衛殿、それでは六角家の援軍が貰えんぞ。兵を集めるにも時間が掛かるし、六角家が直ぐに援軍を出してくれるかも分からんのだ」
たとえスムーズに寝返りが叶ったとしても即座に援軍が貰えるかは交渉次第である。
ただ兵の多少は判らないが、六角家も大名としての矜持があるので援軍を出してはくれるはずだ。
その上で兵を集めるにも時間が掛かるので、ある程度秘密裏に進めるのが定石だ。
だが重治はそんな定石はまるで無視していた。
彼は知っているのである、浅井長政の性格を。
彼は多少無理をしてでも直ぐに出てくると。
それならば自分の予測の範囲にいて貰った方が都合がいい、そう重治は考えていた。
「要りませんよ。それに単独で撃退すれば堀家の武威も上がります。まあ、お任せください」
こうして堀家は兵を集め始め、竹中重治は菩提山城から自分の兵を呼び寄せる。
そして樋口直房は六角家に寝返りの打診をするのだった。
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北近江の小谷城において、戦仕度に追われる浅井長政の元に堀家の寝返りの情報が届く。
長政は秋という農繁期が来る前に佐和山城を取り返すべく、電撃的に攻め込む予定を立てていた。
佐和山城は前は浅井方の城だったので、構造や縄張りの弱点が解っており改装される前に取り返したかったのである。
そしてこの動きは六角家には気付かれておらず、奇襲は成功すると思われていた。
そんな時にこの凶報が届いたのである。
「何!?堀家が寝返りを画策しているだと!?」
「長政様、流石にこれは許してはおけませんぞ」
横に控える者が発言する、その彼の名は海北善右衛門綱親という。
長政を幼年の頃から世話してきた最側近の老人である。
「真偽は調査中ですが、どうやら堀家にはあの竹中半兵衛重治がいるとの事。磯野殿の件はやはり堀家の策謀と見るのが正しいかと」
赤尾美作守清綱。
浅井家に属する重臣豪族の彼がこの報告を長政の元に持ってきていた。
そして即座に細作を放ち、ある程度の情報を収集していた。
「あの竹中が!?ならば最早疑いの余地はないな。磯野軍の敗走させ佐和山城を失陥させたのはヤツなのだからな」
長政にとって竹中重治は大罪人である。
磯野軍を壊滅し佐和山城を六角家に渡る切っ掛けを作ったのだから当然である。
その人物を長政の許可無く堀家が置いているのは、翻意有りと見られても仕方ないであろう。
「兵を集め始めたのは幸いだったかも知れませんな。迅速に出撃出来るでしょう」
「ああ、秋前に佐和山城を取り返す計画が狂ってしまったがな。まあ、佐和山城の縄張りくらいは解っているし、次でいいだろう」
「では諸将には鎌刃城攻めを指示致します」
そして浅井軍は数日で出陣準備を終え、進軍を開始する。
この時点では六角家はまだ徴兵も行っていなかった。
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鎌刃城の麓に有る『三吉砦』に竹中重治は兵と共に入った。
彼と菩提山城から来た5百人である。
砦主の小屋の中で地図と向かい合っていた重治の所に、弟である竹中久作重矩がやってくる。
彼は兄から言われた仕事を果たし報告に来たのである。
「兄上、予定通り噂を流してきました。あの分だと浅井軍は直ぐに来ますよ」
「ほう、何故ですか?」
「どうも浅井家も戦の仕度をしていた様です。目標は佐和山城ではないかと」
「それは好都合ですね」
重矩はついでに小谷城の様子も調べており、長政が佐和山城攻めの準備をしていたことを察した。
このため出撃が早まり重治の計画に支障が出る可能性を危惧していたが杞憂であったようだ。
その兄の口から好都合などという言葉が出てきたからだ。
「しかし大丈夫なのでしょうか?1万近い兵を2千5百で迎え討つなんて」
彼の懸念は最もである。
通常城攻めでは三倍の兵力が必要とよく言われるが、浅井軍は既に四倍である。
更に鎌刃城前の最終防衛拠点がこの三方を山に囲まれた『三吉砦』なのだが、普段から使っていないのでガタがきており防御力はお察しのレベルであった。
だが重矩は目の前の兄から更なる絶望の一言を聞かされるのであった。
「2千5百?いいえ、我が方は竹中軍5百のみですよ」
「・・・え?堀家の兵士は何処へ?」
「解散させました。今頃は家でゆっくりしているでしょう」
重治はこの戦いのために集められた堀家の兵士を全員家に帰していたのである。
なので現在『三吉砦』及び『鎌刃城』の戦力は竹中軍5百のみとなる。(一応鎌刃城には常駐の侍が居る)
「えーと、言ってる意味が解らないです」
「久作、お前は耳まで悪くなったのですか?それとも痴呆ですか?」
「酷い言い様です、兄上」
「ふふ、冗談ですよ。確かに浅井軍を撃滅するには5百では足りません。ですが撃退するだけならこれで十分なのです」
「はあ、そうなんですか」
そう宣言して重治は床に広げていた地図の一部を閉じた扇子で指し示す。
そこが示す場所は浅井軍の行軍路と推測される場所であった。
「久作、お前は兵を3百ほど連れてこの辺りで浅井軍に夜襲を仕掛けなさい。矢を撃って逃げるだけの簡単なお仕事です」
「3百人で1万人にケンカを売るんですか?とても簡単ですね、分かります」
「逃げる時は東側の山を登りなさい。途中に落石の罠を仕掛けてあるので逃げ切れるでしょう」
「ガン無視ですか、酷いですよ」
「くだらない事言ってないで行動しなさい。私の兵を死なせたら承知しませんよ」
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浅井長政は堀家の寝返りを知ってから急いで軍勢を準備した。
それが終わると即座に出陣し、明日には三吉砦に攻め掛かれる場所まで進軍した。
だがその場所で夜営をしようとした時、伏兵に襲われることになった。
「何があった!?」
「どうやら伏兵のようです。ですが小規模の様で既に追い払いましたぞ」
兵士達の叫び声や喚声を聞きつけ、長政は最側近の海北綱親に詳細を尋ねる。
どうやら竹中軍の奇襲があったが浅井軍の兵士は冷静に対処し現在追撃中であった。
「そうか、ならばいいが」
「しかしお気をつけ下され。あの竹中めは伏兵戦術を多用するとの事。磯野殿もそれでやられておりますので」
「うむ、周囲に斥候を放ちつつ進軍するとしよう」
長政は竹中重治とまともにぶつかれば勝つのは自分であると考えている。
浅井軍の方が多勢であるし、兵士も精強である。
となれば一番怖いのは伏兵と奇襲であろう。
だが伏兵と奇襲は分かってしまえば何も恐ろしいことはない、備えるなり叩き潰すなりすればいいのだ。
そのため長政は斥候を放ち、慎重に進むことにした。
一方で奇襲を仕掛けた重矩は山中を3百の兵と共に逃げた。
追撃は掛けられたが重治が用意していた落石の罠を斜面の道に落とし逃げ切っていた。
「重矩様、伏兵部隊引き揚げ完了です」
「ああ、ご苦労。下がって休んでください」
「はっ」
(これでいいんですよね、兄上)
重矩達はこのまま山中を隠れながら逃げる事になり、三吉砦には合流出来そうになかった。
これで重治は2百人の竹中軍で浅井長政率いる1万の軍勢と対峙することになったのである。
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翌朝、浅井長政は意外な報告を斥候から受けた。
「三吉砦に誰もいない?どういうことだ?」
「ふーむ、鎌刃城での籠城のため放棄したのですかな?」
「確かにあの古い砦では我等に抵抗するのも難しいでしょう。罠がないか確かめてきます」
「ああ、頼む」
竹中重治がいると目されていた三吉砦は完全な無人となっており、赤尾清綱は陣頭指揮を採るため駆け出していった。
特に伏兵を多用する重治を警戒し清綱は入念に調べさせる、そして自分の目でも確かめなければ安心できなかったのである。
「しかし愚かなことだな。三吉砦から沢を登れば直ぐに鎌刃城に着くというのに」
「ですな。この分なら鎌刃城も直ぐに落ちましょう」
「・・・このまま佐和山城攻めも悪くないかもしれんな」
この三吉砦は鎌刃城の水源となっている沢を防衛するために存在している。
つまりこの水源を辿られるといきなり鎌刃城本丸の直下まで来られてしまうのだ。
それ以前に水源を抑えられると飲み水の確保が困難になり殆ど籠城出来なくなる。
だから鎌刃城は北側からの攻撃に弱いのである。
そして長政はその事をよく知っている、城の構造や縄張りを知られると城は落ちやすくなるというのはこういう事である。
長政は早期に鎌刃城が落ちればそのまま佐和山城も攻略しようと考え始めていた。
その日の夜、明日からは鎌刃城攻略戦が始まろうという夜中に変事が起きた。
突如、三吉砦を囲む三方の山から大量の篝火が現れ、大喚声と金物を叩く音が鳴り響いたのである。
誰の目から見ても推定3万の規模であり三吉砦を東西南で半包囲していた。
これを見た長政は信じられない気持ちであったが、現実に自軍の三倍はいるであろう軍勢はいると認めなければならなかった。
「バ、バカな!?これ程の兵を何処から!?」
「長政様、もしかすると六角家の援軍が到着したのでは有りませぬか!?」
「この砦が無人だったのは我等を誘い込む罠!このままでは危険です!」
「くっ、北だ!北側の宮川まで引け!急げ!!」
海北綱親と赤尾清綱はこの砦が無人だったのは、全て誘い込むための罠と認識した。
このまま北側まで塞がれると最早脱出は不可能、更にこの防御力の低い三吉砦では防げる訳がないのである。
長政は即座に北側への突破を指示するのであった。
こうして浅井軍は夜に寝ることもままならず逃避行する破目となった。
そして長政は鎌刃城より2里半(約10km)北方の宮川(現在の長浜市)まで退却し、陣を布き直す。
「斥候からの報告は?」
「はっ、我等が引き揚げた後、竹中が兵2百人程で砦に入ったとの事」
「2百?少な過ぎですな。やはり罠と見るべきです」
浅井軍本陣で長政は疲れた顔を上げて報告を求める。
綱親から返ってきた報告は竹中重治が2百人程で三吉砦に入ったというものだった。
当然、あの3万の軍勢は何処だという話になる。
結論としては重治がまた伏兵を使ってくるという意見が大勢を占めた。
「左様、あの竹中重治は伏兵を多用します。まず伏兵を見付けて叩くのが上策かと」
「そうだな、更に斥候を放ち伏兵を探せ。探索範囲を広げる様伝えるのだ!」
長政も重治がまた伏兵を使ってくるのだろうと思った。
でなければあの3万の軍勢が見えない理由が説明が付かないからだ。
彼は斥候の人数を増やして伏兵を捜すように指示を出した。
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浅井軍がいなくなり重矩は単身、三吉砦に帰還した。
そして砦主の小屋の中で寝そべりながら本を読んでいる兄・重治を発見する。
「暇そうですね、兄上」
「久作ですか、お前に預けた部隊はどうしたのですか?」
「山の中で斥候狩りしてますよ。・・・まだ2里先に浅井軍1万が布陣しているのに、よく読書してられますね」
「起きない戦闘を怖がってどうしようと言うのです?時間は有効に使うべきでしょう」
「そろそろ種明かしをしてくださいよ。長政は動かなくなったのは、伏兵を捜しているからで解ります。問題はあの山々に現れた3万人規模の伏兵です。あれは何なのですか?」
重矩も遠くから見ていたのである。
あの突然現れた3万人の集団を。
だがあれが六角軍でない事は重矩にはよくわかっているのだ、何しろ堀家の寝返りはまだ交渉中であり援軍が来るなどという話にはなっていないのだから。
そう、重治はフライングして寝返り情報を長政に教えたのである。
だからこそ重矩はあの軍勢が何処から湧いたのか全く解らなかった。
なので兄である重治に説明を求める。
「堀家の兵士の皆さんですよ」
「いやいやいや、堀家の兵士は2千前後のはず。明らかに数が違うじゃないですか」
「だから家族一族総出で来て頂きました」
「えっ?」
「最初に堀家の兵士を解散させて、家族を連れて山に来る様に伝えましたから」
竹中重治は集められた堀家の兵を即座に解散させた。
そして兵士一人一人に金目の物を渡し、浅井長政が砦を占拠した夜に山に家族を連れて来る様に命じたのである。
合図と共に篝火を焚き、喚声と金物の音をたてて帰るだけで危険は一切無いと説明していた。
そうして集まった数が約3万人なのである。
そして彼等は依頼された仕事を果たし、家でゆっくりしながら次の市で何を買うか話し合っている事だろう。
長政が捜している伏兵はこの者達であり、既に見付かる訳が無いのである。
「兵士に配る金目の物って・・・堀家にそんな余裕あったんですか?」
「いいえ、稲葉山城の蔵から頂戴した物です。今頃、龍興は配下の給料が払えなくなって、お家崩壊の危機かも知れませんね」
「兄上、アナタ鬼ですよね。マジで」
実は重治は稲葉山城から退去する際に大量の永楽銭を持ち出して鎌刃城に持ってきていた。
これは巧妙にカモフラージュされていて、龍興が気付いたのも家臣に俸給を払う段になってからだった。
そして給料を支払って貰えなかった稲葉山城の侍達は斎藤利治の下へ次々と抜け出していた。
「堀家の領民、それがあの伏兵の正体だったのですか」
「ええ、『楠流兵法 偽兵の計』です。もう長政は動けません、居もしない伏兵を捜し続けるでしょう」
「いや、流石に時間が経てば動くのでは?」
「その前に秋がきますよ。時間切れです」
これこそが重矩に浅井軍を攻撃させた理由でもある。
即ち、『竹中半兵衛は伏兵を使う』と認識させるためである。
そのため、浅井長政は確実に伏兵が居るはずだという思考に陥ってしまったのだ。
長政は伏兵が居ない訳がないという思考に囚われ、時間を浪費してしまう破目になる。
浅井家の兵士は殆どが農民であり、農繁期となる秋には帰らねばならない。
これに関しては税収に関わる話なので長政も絶対に拒否できないのである。
つまり重治の完勝が既に決まっているという訳だ。
重矩は前々から疑問に思っていたことを重治に聞いてみることにした。
何故浅井家を攻撃するのかである。
「兄上は浅井長政が嫌いなのですか?」
「?私は彼に意趣は有りませんよ。面識もありませんし」
「じゃあ何故攻撃するんです?」
「邪魔だからです」
重治には長政に対する好悪などないという、その代わり返ってきた返事は『邪魔だから』であった。
「・・・」
「・・・」
「えっ?理由それだけなんですか?」
「ええ、そうですよ」
(邪魔というだけで攻撃するって、もう狂犬染みてるんですけどー。少しは大義名分辺りを気にして欲しいんですけどー)
重矩は泣きたい気持ちをぐっと堪えた。
そして天に向かって「少しはまともな兄をくださいよ」と叫びたかった。
重矩も昨晩は寝ていなかったので、仮眠を取りますとその場を後にした。
それを視線だけで見送った重治は心の中で独白する。
(浅井長政・・・貴方自身に意趣などは有りません。ええ、有りませんとも。しかし貴方の家が行っている事を私は認める訳にはいかないのです)
竹中重治に浅井長政との接点は無い。
むしろ彼は六角家と繋がりを持って、浅井家に対抗していたとされる人物だ。
それは斎藤家と浅井家が同盟を結んだ事への対抗策と見られている。
では、そこまでして浅井家を攻撃したかった理由は何だったのか。
斎藤龍興に対する嫌がらせなら度を超していると言わざるを得ない。
(浅井家がやっている事は『民衆皆兵』とでも呼称すればいいのでしょうか。石高の上限を明らかに超えた徴兵数はその賜物、民衆自体が意志を持って戦っている証拠なのです)
『民衆皆兵』、現代で言えば『国民皆兵』の事である。
これは民衆自身が自分の意志で自分の国を守るために戦っている状態である。
これを浅井家は半ば成立させつつあるのだ。
普通戦国時代の兵士は大名や豪族の都合で戦っている者が大半で、戦争を自分の事と捉える民衆は少ない。
手を抜いている訳ではないが必死さは全く違うのだ。
浅井家の兵士達はその異常な徴兵数が示す通り、戦争を自分の事と受け止めて戦っている。
自分の家、土地、家族を守るため自ら志願して徴兵に応じているのである。
このため兵士の士気が高く死力を尽くすため、『江北武者は精強』との評判を得る。
これをもたらしたのが『浅井家の権力の弱さ』なのである。
意外に思われるかも知れないが、そもそも『国民皆兵』は王権の弱体化あるいは抹殺が必要なのである。
王の権力が強い状態では戦争はやらされていると感じてしまうからだ。
つまり北近江の民衆は浅井家は当てにならない、自分達の国は自分達で守らないとと感じているのである。
(その行き着く先は『統制の取れた加賀国』なのであり、更に先には国同士の総力戦が待っているのです。そうなれば戦場は武士(もののふ)の功名の場から陰惨な屠殺場に変わるでしょう。私にはそれが許せないのですよ)
この『民衆皆兵』を素で為し遂げたのが『加賀国』である。
ここには武家による権力そのものが抹殺されて、民衆そのものが殺戮者の群れと化している。
この惨状は『一向一揆』が起きてからずっと続いており、毎年冬になると越前、能登、越中を数十万規模で襲ってくるのである。
もしもこの『加賀国』が日の本全体に拡がってしまった場合、戦争は国同士の総力戦となり国そのものを破壊し尽くすだろう。
支配階級である武士は排除され、重治が実力を誇示したい戦場はただの殺戮場となる。
彼にとってそれは許しがたい事であった。
この『国民皆兵』は後年、2つの世界大戦を引き起こす要因として有名である。
その世界大戦の死者がとんでもない数になったのは国家同士の総力戦になったからだ。
国家の方針に従う者には地獄を、従わぬ者には殺戮を与えたのである。
ドイツ帝国の『大モルトケ』は「英雄は去った」と評し、イギリスの『ウィンストン・チャーチル』は「戦場は輝きを失った」と評した。
竹中半兵衛重治は今の時点で彼等と同じ意見を持っているのである。
(なので今の内に退場して貰いますよ、浅井長政。後は加賀国を統制出来る者が現れたら排除しなくてはなりませんし。ああ、忙しいですね)
竹中重治にとって人物の好悪や意趣などはどうでもいいのである。
ただ自分の嫌な物を排除するのに善悪、正義、道理、理由、遺恨、愛憎は介在していないという事である。
それが竹中半兵衛重治という男であった。
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【あとがき】
『国民皆兵』のやり方~フランス編~
王族をギロチンにかけます
権力者をギロチンにかけます
新たに権力を得た人をギロチンにかけます
国民皆兵軍『大陸軍(グランダルメ)』を作る人が現れるまでひたすらギロチンにかけます
以上ですニャー
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