祝言 前編
「我々は郡上八幡城を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!」
奥美濃鶴尾山城の広間で城主(仮)である遠藤六郎左衛門慶隆(14歳)が二人の女性に対し熱弁を奮う。
城主(仮)とあるのは本来彼は郡上八幡城主だからだ。
「木越城主の遠藤胤俊に比べ我が遠藤家の勢力は半分以下である。にも関わらず今日まで耐え抜いてこられたのは何故か!諸君!我が遠藤家の正統性が正しいからだ!」
慶隆は拳を握り熱く演説する、一方でそれを見せられている二人の女性は反応に困ってしまう。
何せ大多数の豪族や家臣は抱き込まれ、郡上八幡城は速やかに制圧されたからだ。
さして戦いも無く慶隆達は追い出されただけなのである。
なので耐え抜くも何も戦い自体は発生していない。
それは郡上八幡城を抑えた遠藤胤俊が戦をしなくても戦力差で慶隆が軍門に降ると思っているからである。
「一人の英雄(父・盛数)が奥美濃の最重要拠点・郡上八幡城を築いて2年、城に住む我々が家督を宣言して、何度遠藤胤俊に反抗されたかを思い起こすがいい。我が家の掲げる、私の家督相続のための戦いを、斎藤家が見捨てる訳は無い」
奥美濃は東家(とうけ)という遠藤家の主家が支配する国だったが、応仁の乱などで勢力が減退する。
更にこの東家の当主の息子が盛数の兄で遠藤家当主胤縁を暗殺するという事件が起こり、盛数は仇討ちとして東家を滅ぼし遠藤家が奥美濃を支配するに到る。
郡上八幡城はこの時攻略拠点として盛数が築いた城である。
その時に盛数の後援を受けて父・胤縁の跡を継いだ胤俊であったが、遠藤家惣領の当主の座はなし崩し的に盛数に奪われたのである。
これを不満に思った胤俊は度々反抗する様になり、『両遠藤』と呼ばれ人々から別家と認識される様になる。
そして彼は盛数の死後、行動を起こし遠藤家惣領の座を取り返したのである。
胤俊としては遠藤家は一つで当主は自分と思っているので、従兄弟の慶隆に対し余り強攻策は採らず降伏を促していた。
因みに斎藤龍興に慶隆を助ける余裕は既に無い。
「私の城、我らが愛した郡上八幡城は奪われた、何故だ!」
この戦国時代において、若年相続は争いの種でしかない。
父親や実力者の後見の元、嫡子として家臣団を構成し、実績を積んでおかないと防ぐのは難しいのである。
「戦いは落着いた。豪族達はこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか?しかし、それは重大な過ちである。遠藤胤俊は聖なる唯一の郡上八幡城を己の物にしようとしている。我々はその愚かしさを遠藤胤俊の偽遠藤家に教えねばならんのだ」
奥美濃の豪族にとってどちらの遠藤家が正統なのかは大して問題ではない。
何しろ遠藤家が大勢力になったのは遠藤盛数からで、東家から下剋上したからと言えるためだ。
この場合必要なのは自分に奥美濃を治める実力があると見せる事である。
正統性はその次である。
「郡上八幡城は、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために奪われた!戦いはこれからである」
聴いている二人はやはり微妙な顔しかしていない。
この二人は姉妹で慶隆の姉と妹である。
姉は美代という名で16歳、妹は千代という名で6歳である。
「我々の軍備はますます復興しつつある。遠藤胤俊とてこのままではあるまい。我々の叔父も従兄弟も、遠藤胤俊の無思慮な説得の前に寝返っていったのだ」
因みに遠藤慶隆と遠藤胤俊は従兄弟なので、慶隆にとっての叔父や従兄弟は胤俊にとっても叔父や従兄弟である。
なので別に寝返ったという話にはならない。
「この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを郡上八幡城は奪われる事で我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、遠藤胤俊に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、父上への最大の慰めとなる。兵士よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ兵士!私は諸君等の力を欲しているのだ。郡上八幡城・奪回!!」
慶隆は握った拳を天に突き上げ郡上八幡城の奪回を宣言する。
とりあえず長々とした演説は終わった様なので二人は拍手しておく。
そうしないと慶隆が拳を振り上げた体勢で止まっていそうだからだ。
「という感じで士気高揚の演説をしようと思うのだがどうかな、姉上、千代?」
「素晴らしい演説です。・・・お家の先行きが不安になりました」
「凄いね、お兄ちゃん。凄い・・・バカっぽーい」
「二人して毒を吐いてくるなー!」
美代と千代の二人共虚ろな瞳で辛辣コメントを返してくる。
大体兵士に遠藤家の内情を話してどうなるというのか、それこそ「頑張って郡上八幡城を取り返そう」でいいのではと二人は思っていた。
「大体、戦いを挑んで勝てるのですか?」
「向こうはウチの四倍って聞いたよ」
「戦いは数ではないのだ!」
慶隆のいる鶴尾山城で集められる兵力は5百程、それに対し郡上八幡城を抑えた木越城主の遠藤胤俊は2千程の兵力が集められる。
この兵力差を物ともせず勝利出来るなら彼は後の世まで名将と讃えられるだろう。
因みにどちらも奥美濃兵で地理を知っているため、奥美濃で奇襲伏兵などは効きにくい。
「・・・」(可哀想な子供を見る目の美代)
「・・・」(頭の出来が既に末期な人を見る目の千代)
「スイマセン、数大事でした。お願いなんでそんな目で見ないで欲しいんですけど」
二人の非常に冷ややかな視線を浴びて、慶隆の威勢も少ししぼむ。
「それで私達にそんな演説を聴かせてどうしたいのです?戦の事を聞かれても解りませんよ」
「ふっ、本題はこれからなのだよ、姉上。まずは戦において数は必要だと解って貰いたかったのだ」
「一番解ってないのお兄ちゃんでしょ」
「うるさいぞ、妹」
女性である二人が戦場を知っている訳がないのは当然である。
というより戦場で戦った女性は非常に少なく、有名なのは木曽義仲に随行した『巴御前』か船で出撃した『大祝鶴姫』くらいではなかろうか。
他に戦った女性というのは全て籠城戦での話なのである。
武家という物の権力構造は一般的に当主の次は妻が来るため、夫が城から出撃すると妻が城主代行になって城を守るのが普通なのだ。
『女は家を守る』の日本的発想はここから来ているものと推測される。
ただ女性なので戦えない人も多数いるため息子や家臣が指揮する事が多いだけで、城主代行はあくまで妻である。
なので武家にとって正室が居るかどうかは重要になってくる、正室は当主の代理になるからだ。
「つまり今、我々が少数であるなら援軍を喚べばいいのだ」
「では斎藤家から援軍が来るのですか?」
「あ、いや、要請したけどそんな余裕無いって断られた」
「お兄ちゃんダメダメね」
「私がダメみたいに言うな」
この時には鵜沼において龍興は大敗北をしてしまい、更に俸給不足も手伝って家臣が次々と抜けていた。
豪族も順次調略されており、斎藤家はとても戦える状態に無かった。
「なに、問題はない。斎藤家がダメなら織田家から援軍を貰えばいいのだ」
「何を言い出すのですか。織田家が見ず知らずの遠藤家のために援軍を出してくれる訳ありません」
「お兄ちゃん、妄想と現実をごっちゃにしちゃダメだよ」
「問題はない!見ず知らずがダメなら見ず知らずでなければいいのだ。・・・そこで姉上には織田信長に嫁いでもらう!あと、千代は少し黙るように」
そこで慶隆が考えた起死回生の一手が『姉を信長に嫁がせる』であった。
何しろ中濃の佐藤家が織田家に付いた事で奥美濃への道が開かれ、援軍も到達可能になったのである。
長井隼人の関城が近いという難点もあるが稲葉山城と同じ状況らしいので大丈夫と思われる。
慶隆は信長と縁戚となることで奥美濃の支配権と援軍を得ようとしていたのだ。
「少し驚きました。ですが慶隆、私には許嫁(いいなずけ)がいるのですよ?」
「顔も知らない会った事も無い許嫁だろう。来るわけがない、彼の家はもう潰れているのだから。・・・姉上はこのまま来ない許嫁を待って、行かず後家になるつもりか」
「そんなつもりは・・・」
「ならば今、遠藤家の未来のために役立って頂きたい」
「けどこの婚約は父上の遺言でもあるのですよ」
16歳の美代には同い年の許嫁がおり、約束を交わしたのは10年前の事だ。
その頃の織田家と斎藤家は濃姫の輿入れもあり、良好な関係であった。
盛数も親交のあった織田伊勢守家の家老に将来息子と娘を結婚させようと約束していたのである。
だが信長の当主就任により事態は一変、尾張の反信長勢力は次々に潰される事になる。
これは信長がそうしたというより、信長を若年当主と侮ったら反撃されて潰された様な感じである。
そして織田伊勢守家の滅亡と共に許嫁の家も潰されてしまったのである。
盛数は許嫁とは必ず結婚し、彼の家の再興のため遠藤家が協力するよう遺言していた。
「それで我が遠藤家が潰れては、元も子もない。父上も納得されるはずだ」
「・・・わかりました。遠藤家の当主は慶隆なのですから、その言葉に従います。ですが織田家の側がそれを受け入れるのですか?」
「問題は無いだろう。あの信長という男は大層な女好きと聞く、側室を3人も同時に娶るほどのな。私はこれから小牧山城に行ってくる。胤俊の使者が来たら病気で寝込んでいるとでも言うように」
側室というのは正室に子供が出来ないから貰うというのがお題目で、それ以上に娶る者は『女好き』と言われてもしょうがない。
実際は本人の趣向もあるのだろうが、傘下豪族や家臣が大名との結びつきを求めて送り出す『人質』の意味合いも含まれている。
この場合遠藤家は後者であり、慶隆は直接交渉するため密かに小牧山城へ向かった。
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「お姉ちゃん、お嫁に行っちゃうの、大丈夫なの?」
「大丈夫よ、千代。心配しないで」
美代は許嫁の事を少し考える。
許嫁の名は『山内一豊』、織田伊勢守家の家老山内盛豊の嫡子である。
本来であれば去年あたり輿入れという手筈だったのだが、2年前に起きた『浮野の戦い』で織田伊勢守家が滅亡し彼の家も無くなってしまった。
浮野の戦いの後、一豊は何処かに落ち延びた様だが行き先は掴めなかった。
慶隆は彼が既に死んでいるのだろうと考え、今回の話を決めたのである。
美代にとっても名前以外知らない人なので感慨の様なものは浮かんでこない。
故に遠藤家のために織田家に嫁げと言われれば仕方がないと思えてしまうのである。
(父上、遺言破りになりますがどうかお許し下さい)
だがこの結婚は美代本人にとってはあまり良い意味は持っていない。
何故ならばこの婚姻での美代の立場は完全に『人質』だからである。
更に織田信長には多数の側室がおり、下手を踏むと彼女等相手に寵愛争いをする破目になるかも知れない。
そう考えるとゲンナリしてしまうが、立場が人質のままでは息苦しいだろう。
これから訪れるであろう息苦しい未来に美代は少し嘆息する。
「でも織田家は超が付く大金持ちなんだって。玉の輿かぁ、いいなぁ」
「・・・む、難しい言葉を知ってるのね」
6歳の妹がませてる事に美代は苦笑した。
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この日、遠藤慶隆が数名の伴廻りと共に小牧山城に到着する。
信長は家老の林佐渡と佐久間出羽、そして美濃の事を一番調べている恒興を呼び寄せた。
遠藤家への対応を決めるためである。
「遠藤家の当主がいきなり小牧山城に来たんだがどう対応するべきか」
「臣従の使者だろ。松平家といい、当主自ら来るのはどうかと思うけどね、アタシは」
「思い切ったものだな」
林佐渡は思い出したくもない過去を思い出した様で、苦虫を噛み潰したような顔になる。
一方で佐久間出羽はただ頷いているだけだった。
「恒興はどうだ?遠藤家も調べているんだろ」
「はい、奥美濃の遠藤家は『両遠藤』と呼ばれており、二つの遠藤家がありますニャー。この二家が惣領権を争っており、遠藤慶隆は大分劣勢の様です。臣従と同時に援軍を求めに来たのでしょう」
恒興は目標であった中濃制圧が終わったので、上洛前の詰め作業に入っている。
西濃は木下秀吉に任せ、残る奥美濃と南伊勢に注力しているのである。
なので当然奥美濃は調べている。
「成る程な、寝返りの名目も整えないほど追い詰められている訳か」
「東濃中濃は制圧完了、西美濃も順調とくればそろそろ奥美濃に手を出してもいい頃じゃないかな。アタシは渡りに船だと思うよ」
「ワシも意義ありませんな」
「よし、じゃあ慶隆の臣従を認めるとしようか。まずは接見だな、行くぞ」
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信長は二人の家老と恒興を伴い、慶隆の待つ座敷に入る。
今回は慶隆本人が秘密裏に小牧山城に来たので、公式の使者を出迎える広間は使わない。
もしも織田家への臣従が早めにバレると遠藤胤俊が軍事行動に出る可能性もあるからだ。
既に臣従を決めている慶隆は信長に深々と礼をし挨拶を述べる。
「信長様におかれましては御機嫌麗しく・・・」
「そう気を遣うな、コイツは非公式な接見なんだからな。用件を聞こう」
「はっ、まず我が遠藤家の織田家への臣従をお願い致したく参りました」
これは予想済みの答えである、それ以外で慶隆が来る事はないだろう。
問題は遠藤家が織田家に付く理由の方である。
「許す、だが大義名分を整えなくて大丈夫か」
「はっ、そのため我が姉を信長様の側に置いて頂ければと思います」
(成る程、そうきたか。姉をオレの側室にして名目の確保にきたか。ま、常套手段ではあるが)
この場合、世間に対しては姉が側室なのだから織田家に付くのは当たり前だという見方になる。
だが信長にとっては慶隆の姉は遠藤家が裏切らないための『人質』である。
(しかし側室か。オレはつい先日に吉乃を亡くしたばかりなんだぞ・・・代わりを求める様に側室をなんて冗談じゃねぇ。誰もアイツの代わりにはなれねぇよ)
吉乃という女性は信長が最も愛したとされる側室である。
吉乃は徳姫を産んだ後に産後の肥立ちが悪く亡くなるのだが、それまで信長はあらゆる手を尽くして彼女を救おうとした。
しかしその甲斐無く吉乃は亡くなり、信長はこの頃は気持ちがかなり沈んでいた。
そして信長という男は確かに側室は多いが、見知っている気に入った相手しか側室にしていない。
何故か未亡人が多いため、部下から奪っている説が出ている。
因みに吉乃も未亡人である。
(しかしここで頑なに突っぱねても悪影響しかねぇな。・・・そうだ!)
「殿?」
「いや、何でもねぇよ、佐渡。慶隆、悪いんだがオレは今は側室を娶る気は無くてな。それで・・・」
(何ぃーっ!姉を側室にする気は無いだとーぅ!バカな、信長様は無類の女好きではないのか!このままでは我が遠藤家の行く末が!!)
『側室を娶る気が無い』と聞いた時、慶隆の計画が音を立てて崩れていった。
慶隆の姉である美代を側室に入れるのは彼の計画の大前提なのである。
寝返りの名目、援軍要請、遠藤家の後見と奥美濃の支配権が姉の側室入りに掛かっているのだ。
故に慶隆は諦める訳にはいかなかった。
「お、お待ちを!我が姉は絶世の美女という訳ではありませんが、それなりの器量良しですよ!」
「おい、落ち着けよ」
「そりゃ時々痛烈なツッコミと毒を吐いてきますが、胸はそこそこ大きいですよ!」
「いや、だから落ち着け。っていうかお前は何言ってんだよ」
「安産型ですからーっ!!ついでにちっこい妹も付けますからーっ!!」
「落ち着けっつってんだろが!!」
微妙に誉めているのか貶しているのか判らない姉アピールであったが、信長の一喝でようやく止まる。
「・・・」
「・・・」
「申し訳ありません、取り乱しました」
「ったく、話は最後まで聞けよ。オレは側室を娶る気は無いが、オレの義弟にまだ正室がいなくてな。犬山城主・池田恒興の正室だ、どうだ?」
そして突然矛先が恒興に向いて飛んできた。
さすがに恒興も予想外過ぎて驚いた。
(はいーっ!?いきなり無茶振りが飛んできたんですけどーっ!?いったい何の話ですニャー!!?)
驚く恒興を横目に見て、落ち着きを取り戻した慶隆は静かに信長の提案を吟味する。
(池田恒興、中濃軍団長で犬山城主か。ふむ、考えてみれば良い話かも知れん、中濃なら奥美濃の隣な訳で援軍を貰いやすい。遠藤家と池田家なら家格に差も無く付き合いやすいな)
池田家は織田家の家臣で、遠藤家も元は東家の家臣なので家格に大した差はない。
因みに東家とは『幕臣』であって、美濃を支配した斎藤家や土岐家とは関係は無い。
(姉上にとっても沢山いる側室の一人より、池田家の正室の方が立場がある。肩身もさほど狭くならないだろう)
正室というのは家の奥を取り仕切り、一般的には当主の次ぐ権力者となる。
一応常識的な建前であり必ずそうなる訳ではないが、正室とは武家においてかなり重要であり立場はもちろんある。
正室が当主より先に亡くなると継室(次の正室)が立てられるのはその為である。
(そして実力も実績もある池田殿なら、私が兄と仰ぐに問題は無い)
美濃伊勢攻略に多大な功績があり、他国にも名が知れている恒興なら慶隆の後ろ楯となるのに問題ない。
「そのお話、お受けさせて頂きたく」
「よし、決まりだな」
「殿も突然だねぇ。まあ、遠藤家なら相応しいと言えるね」
多少驚いた林佐渡ではあったが、直ぐにその利に気が付く。
池田家の正室に慶隆の姉が入るのだから、慶隆は恒興の義弟になる。
その上で奥美濃を慶隆に治めさせ、それを中濃軍団に取り込ませる。
そうする事で一息に奥美濃を織田家の勢力圏にしてしまおうという事だ。
「恒興、お前はどうだ?」
「もちろん信長様のご意志に従いますニャー」
(多少驚いたけど、これで奥美濃を縁戚で獲れる、悪い話ではないニャー。さしあたっては慶隆の後ろ楯にニャーがなって奥美濃全域を治めさせ中濃軍団に組み込むってところか。・・・それに両方の母親(義母親)から正室はまだですかコールがしつこくなってきてるんだよニャー)
冷静になった恒興もこの婚姻は意味のあるものだと認めていた。
理由は林佐渡の考えと同じものではあるが、恒興の個人的事情も絡んでいる。
母親である養徳院と藤の母親である彩から
藤が池田家に来てから一年ほど経つので焦れてきている様だ。
恒興は大して気にしていないが、さすがに藤はまいってきている様なので早めに解決しなければと思っていたところである。
「援軍はどの程度必要なんだ?」
「はっ、郡上八幡城を奪った遠藤胤俊はおよそ2千、対して我らは5百でして」
つまり奥美濃全体で2千5百人程徴兵出来る訳で、遠藤胤俊の側に奥美濃の豪族や家臣が8割付いている事になる。
「恒興、中濃軍団は動かせるのかい」
「農繁期は終わりましたので犬山の3千5百は行けますニャー。しかし長井道利の関城が健在なので中濃豪族は動けません」
「それなら成政と利家を連れて行け。戦になるかどうかは相手次第だが手は抜くべきじゃねぇからな」
関城は長井隼人佐道利の城で位置的には稲葉山城の東、西濃や中濃、奥美濃へ向かう街道上に存在している要の城である。
ここには大体3千程の兵が集まるので石高的には犬山城に匹敵する。
この近辺にある中濃豪族は自領防衛のため兵を動かす事が難しい。
それに奥美濃に行くなら関城の鼻先を通らねばならないので、犬山軍3千5百だけだと迎撃されるかも知れない。
なので信長は佐々成政の佐々衆6百と前田利家の前田衆1千を附ける事にした。
「佐々衆と前田衆をお貸し戴けるなら、ついでに関城も落としますニャー。・・・稲葉山城が兵を集められるかの試金石にもなるかと」
「よし、委細任す。ただし関城はオレの直轄にするぞ。美濃制圧後は利治の城にしたいしな」
「はっ!お任せくださいニャー!」
秋という農繁期が終わり晩秋に差し掛かる頃、犬山城で兵を整えた恒興は奥美濃へ出陣した。
合流した佐々衆と前田衆を加えた約5千の規模であった。
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恒興が出陣した後、犬山に来客があった。
対応したのは犬山城留守居役である大谷休伯である。
普段であれば恒興が戻った頃に出直す様言うのだが、客の方に事情があったので養徳院と城主代理の栄に報告しにきた。
「養徳院様、少しよろしいでしょうか?」
「大谷殿ですか?何かありましたか?」
「休伯殿、入るといい」
「はっ」
栄は母親である養徳院から書の手ほどきを受けているところで、二人共一緒の部屋にいた。
「実は殿に来客でして」
「恒興に?どなたですか?」
「はっ、柴田勝家様です。何でも殿に贈り物を持参したと」
来客の正体は柴田勝家であった。
だが養徳院は柴田勝家の名前は知っているが他は何も知らなかった。
彼は恒興と疎遠な上、信長とも疎遠であったため養徳院も係わりになる事が無かったからだ。
それに恒興は友達となった者は直ぐに自宅に連れてくる傾向にある。
比較的新しい友達の佐々成政も既に何度も池田邸に来ているくらいだ。
なので一度も池田邸に来た事が無いというのは、恒興と疎遠である証明なのだ。
その彼が恒興に贈り物を持ってくる事が何故なのかよく分からなかった。
となれば贈り物は賄賂、つまり政治的な話かも知れないと養徳院は思う。
政治的な話には彼女は係わりたくなかった。
「兄は不在、出直してもらうのがいいかも」
「私もそうお伝えしたのですが、贈り物に生鮮品があるので受け取りだけはしてほしいと頼まれまして」
「成る程、贈り物だけ受け取って帰しては失礼というものですね。分かりました、私が応対しましょう」
そういう事情であれば仕方ないと養徳院も思う。
さすがに受け取って会わずという失礼を働く訳にもいかない。
あとは政治的な話でない事を願うばかりであった。
「母上、私も一緒に行くのか?一応、城主代理だし」
「お栄、嫁入り前の女が妄(みだ)りに人前に出るものではありませんよ。ここは母に任せなさい」
嫁入り前の女性が男性の応対にはあまり出ない。
家柄が高くなればなる程、そこは厳しくなるものである。
まだ9歳の栄を出す訳にはいかないので、養徳院は自分で応対する事にした。
「お待たせしましたね、柴田殿」
「突然押し掛けてしまい申し訳ありません、養徳院様」
勝家は深々と頭を下げ、礼を失しない様に丁寧な言葉を心掛ける。
養徳院はただの女性ではない、織田家先代当主の側室で信長の乳母なのだ。
勝家としても不興を買いたくない相手である。
「しかし贈り物と聞きましたが
「それはこの間の猿啄城攻略戦の折り、功績を譲って頂きまして。今回の贈り物はそのお礼にと」
女性である養徳院でもかなり違和感を覚える話だった。
さすがに彼女でも戦場の功績争いが如何に激しいかくらいは想像出来る。
下手を打てば奪い合いの殺し合いに発展することもあるのだから。
「?何故にあの子は功績を柴田殿に譲ったのでしょうか?少し不可思議ですね」
「あ、いや、それは多分・・・」
「何か思い当たりますか?」
「じ、実はワシがお市様に恋慕している事が池田殿に看破されまして。その、それ以前は池田殿は私に素っ気なかったのですが、それを知るや急に協力すると言ってくれまして」
(恒興が柴田殿とお市の仲を?珍しい事もあるものですね)
恒興は別に勝家の恋路のために力を貸したわけではない、あくまで信長の戦力を高め整えるのが目的であった。
だがそれは恒興だけの思惑であり、傍から見ている者にとっては何故恒興が助力してくれるのか見当がつかない話なのだ。
それ故に勝家は恒興が自分の恋路を応援してくれていると感じていた。
「そう言えば柴田殿はお歳はいくつでしたか?」
「28ですが」
「たしか結婚はされてないですね?」
「はい、その通りです」
一家の当主である勝家が28歳にもなって結婚していないというのはかなり珍しい状況である。
いくら柴田家の規模が土豪でも領地を持った武家には違いない。
領地は1千石以上はあり、今では加増されて1万石を貰っているのだ。
嫁のなり手くらいはいるはずである。
この戦国時代というのは1千石あれば現代の億万長者の様に見なされる。
よく『千石取りを目指す』と言われるのがそうで、億万長者になりたいという意味である。
「・・・まさか、お市を想って?」
「・・・(コクッ)」
(なんて一途な!!素晴らしい!!)
養徳院はこの勝家の態度に感激してしまう。
この戦国時代というのは女性蔑視の風潮は強く軽んじられる事が多々ある。
正室が気に入らないので側室を沢山娶る武士が結構いるので尚更だ。
余談だが日の本は古代に遡るほど女性の権力は強かった。
女王卑弥呼に推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇という優秀な女性天皇が存在する。
女性天皇は他に男性の天皇候補がいるにも関わらず即位している点からも、古代は性別より能力を重視する傾向にあったと思われる。
また平安期の貴族でも女性の元には男性が通うルールがあった様だ。
「柴田殿!」
「は、はっ」
「いいでしょう!この養徳院桂昌も貴方に力を貸しましょう!」
「え?えええーっ!!よろしいのですか!?」
恒興の母親である養徳院は『大御乳(おおおち)』と称され、織田家家中から信望を集める存在である。
多数の家臣を支援し、特に女性の教育や手習いには積極的であった。
その反面政治的な話や権力には興味を示さないが。
そして市姫に対しても幼い頃から手習いを受けさせていたため、彼女から『お義母様』と呼ばれるくらいに慕われている。
「ええ、恒興が助力しているのなら構わないでしょう。因みに柴田家の身代はどれくらいなのです?」
「身代と言われましても、そのー、柴田家は土豪でして」
「それはいけませんね、お市を娶るなら最低でも大豪族くらいでなければ」
「うう、面目有りませぬ」
大名家の姫を娶るにはその大名家にとって必要かどうかが最大の焦点となる。
勢力拡大に繋がる大豪族、柱石と言える重要な家臣、同盟保持のため縁組などが有力となる。
この点から見ても柴田家の規模は織田家にとっては有象無象の一つでしかない。
「まあいいでしょう、そちらは恒興に考えさせます。柴田殿は文を書いてください。」
「え、文ですか?誰にどんな文章を書くので・・・」
「お市に恋文です!想いの丈をこれ以上無く詰め込んでくださいね!私がお市に届けますので!」
とりあえず養徳院は家格の問題を恒興に押し付ける事にした。
既に池田家を大豪族レベルにまで成長させたのだから、何かしら方法を考えるだろうと期待する。
恒興はこの事を帰って来てから知ることになる。
(えええーっ!?ちょ、何か話がすごい事になってきたー!)
そして話がトントン拍子で進んでいる事に驚きを隠せない勝家であった。
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