祝言 中編

 犬山城から出陣した恒興は鵜沼城、猿啄城、加治田城と進軍し、奥美濃への道に入る。

 途中、関城からの攻撃が懸念されたが城主の長井隼人は出陣しなかった。

 どうやら稲葉山城と同じ状況に陥っている様で、恒興の予想通りだった。

 こちらは後回しにしてまず奥美濃の鶴尾山城へ向かった。


「ようやく勝三も結婚か、結構時間掛かったな」


「だニャー、もう少し早く決まると思ってたんだけど」


「それは池田家の規模が急に大きくなったのにも一因があるさ。そこらの武家の娘では明らかに釣り合わなくなったから」


 池田家の身代は1年ほど前までは1千5百石しかなく、役目も領地の維持と信長の近習しかなかった。

 これくらいの規模であればどの武家の娘でも正室になれたであろう。

 だがこの1年で池田家は急成長してしまい、いまでは犬山城主で10万石(まだ開発中)を治めている。

 最早大豪族でも大きいレベルに達しており、嫁の成り手に大きく制限が掛かってしまった。

 これも恒興の正室が決まらない原因であっただろう。


「何にせよ目出度い!あとは嫁さんがどれくらいの美人かだな。まぁ、松には及ばないだろうがな、ハッハッハ!」


「まだ会ってもいない嫁をけなすんじゃねーギャ、ぶん殴るぞ!」


 利家は自分の妻を引き合いに出して笑う。

 特に他人を貶(おとし)める意図がある訳ではない、ただ自分の妻の松が一番だと本気で思っているだけだ。


「しかし長井が出て来ないとは少し意外だよ」


「それな、ちょっと拍子抜けだぜ」


「ま、向こうさんは徴兵が上手くいってないし、そもそも兵糧が足らんからな。出撃は賭けになる、敗ければ破産だ。乾坤一擲の場面でもない限り出てこないニャー」


 恒興は長井隼人が出陣しなかった理由を『兵糧不足』と見切っていた。

 この状況で出陣すれば勝利以外では破産となる、引き分けや膠着状態でも敗けに等しい。

 そして兵糧を無駄に消費すれば籠城も出来なくなる。

 つまり出撃自体が大きな賭けになっているのだ。


「・・・勝三、意味解んねーよ。何で秋に兵糧が足りねえんだ?」


「稲葉山城も関城も侍が抜けてるからニャー。侍の仕事は徴兵だけじゃない、徴税もやるんだ。つまり侍が減って徴税業務の遅れが深刻ニャんだよ」


 斎藤家では鵜沼の敗戦後、侍が抜けておりあらゆる業務に支障が出ていた。


「更に言えば前の鵜沼戦で大量の物資を消耗しているしニャ。動きたくても難しいだろ」


 鵜沼戦において龍興軍が持ってきた物資は鵜沼の町に置き去りとなり、実は恒興に接収されている。

 なので恒興は財政的に余裕があり、相対的に長井隼人は余裕がなくなっていた。


「そこにニャー達が挑発する様に関城の鼻先をかすめて行軍した訳だニャー。防御の兵士を集めるだけでも大変だっただろうニャ」


 恒興が徴兵を始めれば、当然斎藤家も徴兵を始める。

 いざ恒興が攻めてきた時に兵士がいませんでは話にならないからだ。

 だが攻撃側と防御側の徴兵にも差というものがある。

 恒興側は最初から計画して余裕のある農村からしか徴兵しないし、勿論見返りも約束している。

 だが長井隼人側は急遽手当たり次第に集める、それこそ農村の都合はそっちのけである。


「しかも急遽兵士を集めたのに戦はありませんでしたとなった訳だニャ。ニャーが関城を無視したから。さて、無駄な徴兵をやられた農民はどう思うだろうニャー。まだ忙しい農村もあったろうし。それを抑えなだめるはずの侍も減っているんだよニャー」


 農村の都合を無視して無理矢理徴兵した挙句、戦はありませんでしたで村に帰される。

 農民達が不満を抱くのは当然と言えるだろう、忙しければ尚更だ。

 実はこういった計略はある大名が多用しており、恒興はそれを見習っているに過ぎない。

 因みにその大名家は中国地方で覇を唱えている。


「・・・」


「・・・」


「ニャんだよ?」


「さすがにえげつねえ!」


「勝三のえげつなさは知ってたけど、改めてドン引きだよ」


 そして恒興は『えげつない』と言われる破目になるのだが、そろそろ慣れてきた。

 だからと言って反論しない訳ではないが。


「やかましいんだよ!テメエら!じゃ何か?美濃者相手に正面から当たりたいってのか!?冗談じゃないニャ!そんな事したら池田家の兵にどれだけの被害が出ると思ってんだニャー。ウチの兵士をなるべく死なせたくないから頭使ってんだよ!ニャーには城主としての責任があるんだっ!!」


「「スミマセンでした!」」


「解ればよろしいニャー」


 恒興が何のために計略を使うのかと問われれば、損害を減らすためである。

 味方の被害を減らし、占領地の商業や農業の損害を減らすためなのだ。


「しかし又左よ、お前の部隊は大丈夫ニャのか」


「心配いらねーよ。実戦からは少し遠ざかったが、元々精鋭揃いだからな」


「いや、ニャーは別にそんな事は気にしてニャいが」


 前田家は前田城と荒子城の二つの城を持つ尾張の土豪であるが、勢力的には中豪族くらいと見るべきである。

 それ故尾張国内での戦闘経験は豊富であり領地を守り通してきた実績がある、信長に干されるまでは。

 因みに利家の前田家は分家であって、他に前田本家が存在している。

 この本家を『前田与十郎家』といい代々の当主は『与十郎』を名乗っている。

 利家の前田家は『前田蔵人家』といい代々の当主は『蔵人』を名乗っている、現在蔵人は利家の兄・利久が名乗っている。

 だが本家といっても力関係が逆転してしまったらしく、現在は利家の部下になっている。

 この前田与十郎家は『下之一色城』という城を持っているので、前田家は実質前田城と荒子城と下之一色城を持っていることになり徴兵人数は1千人に達していた。

 石高で考えれば3~4万石あるものと思われる。

 こんなのが清州城の直ぐ南に居たのである、信長が潰したいと思うのも無理はない。


「ん?じゃ何が気になるんだよ?」


「言わなきゃ分からんのかニャー」


「何だよ、勿体ぶるなよ」


 恒興は何故分からんのだという顔つきで利家に問い掛ける。

 だが利家は本気で思い当たらない様子だった。


「わかった、じゃハッキリ言っとくぞ。もしお前の兵士が奥美濃の民衆に乱暴狼藉を働いたらニャーがぶち殺しに行くので覚悟しておけ。織田家の軍規を知らないじゃ済まさんからニャー」

「え?あっ!あああっ!!」


 利家は途端に思い出した様で、焦った声を上げる。

 恒興が心配しているのは前田家の兵士がこれまで信長に従った事がないので、信長が新たに作った軍規を知らないのではないかという事だ。

 この軍規は信長が上洛の際に京の都で行った事で有名だが、信長は当主になったら直ぐに作っている。

 規則というのは前もって実践して初めて効果があるもの、上洛してから行っていては効果が薄いのである。

 なので信長は『焼き働き』『刈り働き』などの略奪行為を特に嫌い、最初から全軍に徹底させている。

 ただ刑罰が死罪となったのは京の都に行ってからである。

 織田信長という人は無駄な行為を嫌う傾向にある。

 そのため信長の侵攻政策は『焼き働き』や『刈り働き』の様な中間的なものが無く、両極端になってしまうのである。

 抵抗しない武家や民衆にはキチンとした統治と開発を、抵抗を止めない者には殲滅をとなるのだ。

 他の大名の『焼き働き』『刈り働き』の回数と被害に比べれば、信長のやり方は十分優しいと言えるのだが何故か『殲滅』の部分だけ強調されている。


「もしそんなヤツ見付けたら、引きずって連れてきてお前に首斬らせるからな。部下殺しをしたくなかったら徹底させとけニャー!」


「だだだ大丈夫さー、きききキッチリ教えたしー、ででででも心配だから確認してくるよー」


「言い訳しなくていいから早く行きなって、又左」


「行ってきますっ!!!」


 恒興はコレを容赦する気はない、何しろ奥美濃はこれから恒興が縁戚で傘下に組み込むのだ。

 そんな場所で織田家の兵士が乱暴狼藉を働き住民のヘイトを買ったら、何のために援軍に行くのか分からなくなる。

 それは信長の思惑も恒興の思惑も破壊する行為となるのだ。

 その恒興の言葉を本気と感じた利家は急いで自分の部隊に戻った。


「・・・やっぱり忘れてたよニャー」


「・・・だね。これまで部隊を率いる身じゃなかったしな」


「けど、それじゃ済まされんニャ。上洛を目の前にして軍規の徹底は信長様が一番気にしている事だしニャ」


 信長は軍規の徹底を何度も促してはいるが、やはり違反者は少数は出てしまう。

 だが信長は上洛が現実的になってきた事で、軍規の徹底と刑罰を強めているのである。

 現段階では内容によっては死罪が有り得る。


「でもそう言うって事は奥美濃で戦いは無いのかい?」


「遠藤胤俊次第ではあるんだがニャ。でもニャーの読みが正しければ胤俊という男は計算高いヤツのはずだ」


 遠藤胤俊は行動を起こすのに遠藤盛数の死去まで待っていた。

 それは数々の戦場で武功を挙げた盛数が相手では分が悪いと見たからだ。

 なので表面的には反抗しつつ、怒らせ過ぎない様にある程度妥協もしていた。

 そして水面下で動き自分の賛同者を集めていた。

 盛数の死去という待っていた時が到来すると、大半の豪族や家臣を味方に付け慶隆を郡上八幡城から追い出したのである。

 これは胤俊が上手くやったというより盛数が下手を打った感じだろう。

 盛数は次代当主の基盤作りをしていなかったのである、恐らく自分の死期を計れなかったのだと思われる。

 豪族や家臣達は盛数は怖くて逆らえなかったが、慶隆は若年で実績も無く何も怖くなかった。

 つまり慶隆は舐められているのである。


「だから初手の行動は非難から始まると思うニャ。何で遠藤家の問題に織田家が介入するってニャー」


 この問題は遠藤家の内紛であり、遠藤家に縁を持たない武家が係わる事は出来ない。

 なので織田家は基本的に介入出来ない事になる。

 だから遠藤慶隆は姉を嫁がせるという手段に出た。

 婚姻によって無理矢理介入の口実を作るためである。


「成る程ね、だけど遠藤胤俊は納得するかな?向こうは遠藤家の家督が欲しいんだろ?」


「話の持って行き方次第かニャ。胤俊は多分惣領権を奪った盛数が許せないのと、その息子の慶隆が気に入らないんだと思う。何が何でも惣領権じゃない気がするニャー。ま、使者は派遣したしニャー達が鶴尾山城に着く頃に胤俊も来るだろ。来なかったら戦争になる事くらいは解るはずだニャ」


 既に恒興は遠藤胤俊に援軍到着を報せていた。

 遠藤家の今後について話し合いたいという内容なので、警戒はしながらも来ると思われる。

 それは戦をする事自体が敗北そして滅亡だと胤俊は計算出来るはずだと恒興は予想していたのである。


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 遠藤慶隆は恒興より一足先に鶴尾山城に戻った。

 姉の美代に結果を報告するのと兵を整えるためである。


「姉上、千代、今帰ったぞ」


「おかえり、お兄ちゃん」


「おかえりなさい、慶隆。それでお話はどうでしたか?援軍は貰えそうですか?」


 姉の美代と妹の千代が慶隆を出迎える。


「問題ない。犬山から池田恒興殿が5千の軍勢を率いて来てくれる。明日には着くだろう」


「5千!すごい、さすが織田家だね」


 6歳の千代でも5千が如何に多勢かは分かっている。

 何しろ現状の鶴尾山城は5百人しかいないのだから。


「これでほんの一部なのだからな。やはり時代の風は織田家に吹いているのだ。フハーハッハッハ!」


「慶隆、無理に演技掛かった言葉で当主らしさを出しても伝わりませんよ」


「言い回しが寒いだけね、お兄ちゃん」


「これも一つの努力なんだよ!」


 この慶隆の尊大な喋り方は実は演技であり、そのため時々素が出てきてしまう。

 そして美代や千代からは受けが大変悪い。


「それで私の輿入れは何時頃になりましたか?」


「あー、それなのだが、姉上。少々予定が変更になった。だが嫁ぎ先としてはこちらの方が良いと私は思う」


「?」


 姉の美代の一番の関心事はやはり自分の輿入れである。

 慶隆もこの変更を伝えるために早目に戻ったと言える。


「姉上の嫁ぎ先は犬山池田家・池田恒興殿の正室となった。つまり今援軍を率いている大将という訳だ」


「あの池田恒興様の正室なのですか?最近よく噂を耳にする方なので奥方はいるものと思ってましたが」


「よく空いていたなと私も思う。因みに池田家は10万石近い領地を持っていて、恒興殿は中濃軍団長だ。実力も実績もあるので私が義兄と仰ぐに遜色はないし、姉上にとっても良い話だと思う」


「そ、そうですか。分かりました」


(まさか池田家の正室とは・・・確かに良い話です。慶隆、私のために交渉してきてくれたのですね。見直しました)


 正室と側室というのは差がかなりある。

 と言うか側室というのは別に居なくても誰も困らない。

 なので嫁いだ先の家中での扱いやその家の家臣からの対応はそれ程良くない、人質としての意味合いが強ければ尚更だ。

 それ故家中で尊重される立場を得るには子供を産む事だろう、嫡子なら尚良い。

 だが正室は常識的に立場が当主に次ぐ2番目に位置するため家中でも尊重されるものだ。

 そして嫁ぎ先が自分の家と同レベルの家の正室ならかなりの幸運と言える。

 美代は慶隆が頑張って交渉してくれたのだと思って、弟の事を少し見直した。


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「義兄上、援軍に来ていただき誠にかたじけない」


「いや、計画通りに来れたので問題無いニャ」


 池田軍は何事もなく到着した。

 何しろ中濃から奥美濃に到る山道には多数の関所が設けられているが、全て遠藤慶隆の管理する関なので簡単に通り抜けたのである。

 とりあえず後で関所を破壊する手筈を整えようと思う恒興であった。


「こちらが我が姉の美代に御座います。姉上、挨拶を」


「お初に御目に掛かります。遠藤盛数の娘・美代に御座います。この度は遠藤家の危機を救っていただき感謝いたしております。これから誠心誠意お仕え致しますのでどうぞよろしくお願いいたします」


「お、おう。ニャーは池田家当主・池田勝三郎恒興だ。こちらこそよろしく頼むニャー」


 慶隆の隣にいる女性が深々と頭を下げて挨拶する。

 その女性が恒興の正室となる慶隆の姉の美代であった。

 髪は長いストレートで腰の辺りまであり、顔立ちも整っている印象だ。

 この時代の女性は髪の毛を伸ばす傾向にある、髪は女の命という考え方は既にあるからだ。

 ただやはり家が裕福でないと難しい、何らかの作業を行う女性では長い髪の毛は邪魔になるからだ。

 裕福な商人の娘である藤が髪を肩の辺りまでしか伸ばしていないのも、彼女が活発に活動するからという事でもある。

 それに手入れも大変で特に寝る時など髪箱を使用しなければならない。

 髪箱とは寝る時に髪を入れて傷まない様にする箱で、芸術品の様に装飾され高価な物が多い。

 なので比較的高貴層の女性は伸ばしている感じである。


(意外としっかりした挨拶だね、見た目はぽやっとしてる印象だけど)


(おお、中々いいんじゃないか。ま、松には及ばんがな)


 成政は彼女の見た目をぽやっとしていると評した。

 恒興もそんな印象を受けていた。

 藤が狐目でキツネっぽいのなら、美代はタヌキっぽいかなと若干失礼な事を考えていた。

 因みに慶隆が言っていた『そこそこ大きい胸』は着物で分からなかった。


「ニャー達は今作戦行動中だ。これが終わったら祝言を挙げるので準備しておくように」


「畏まりました。御武運をお祈り致しております」


 顔見せも終わり美代は退席した。

 ここからは戦の話になる様なので、居ても邪魔になるからだ。

 美代の恒興への第一印象はこの一言だった。


(・・・ニャー??)


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 恒興が鶴尾山城に着いて次の日には新たな来客があった。

 遠藤胤俊が血相を変えて鶴尾山城にやってきたのである。

 これを鶴尾山城の広間にて恒興は慶隆と共に出迎えた。


「よくぞ参られた、遠藤胤俊殿。歓迎いたしますニャー」


「そんな事より一体どういうつもりなのかご説明いただきたい!」


「フム、と言いますのは?」


 胤俊は幾人かの豪族や家臣と共に来ており、おそらく彼らと一緒に恒興の行動を非難しに来たのだと思われる。

 そこには織田家が奥美濃に介入する理由は無いという自信があるのだろう。

 顔を合わせた当初はかなり強気であった。


「おとぼけは無しにして貰いましょう。何故織田家が遠藤家の内情に首を突っ込むのかです。これは当家の内紛であり織田家は関係ないはずです」


「確かには関係ありませんニャー。は」


「何?」


 戦をする時に大義名分が必要なのは何処でも一緒である。

 兵力が勝っているから攻め込むという真似は大抵の大名はしない。

 まあ、大義名分そのものが只の言い掛かりレベルなのも多いが。

 この場合、織田家が奥美濃に関わるには遠藤家と縁を持つか、或いは東家の人間を担ぐという方法がある。


「何か勘違いをされている様ですが、ニャー達は『池田家』の軍勢ですよ」


「詭弁を!どちらにしても関係無いはず!」


「ところがそうは行きませんニャー。ニャーの妻、池田家の正室は遠藤慶隆の姉なのですよ。つまりニャーは義弟である慶隆の支援に来たのですニャ。妻の実家を支援してはいけないので?」


「なっ!?」


(しまった!慶隆にしてやられた!姉の婚姻で援軍を引き出したな!つ、詰めを誤った)


 胤俊は自分の外交の後れを悟った。

 というより若年の慶隆にそんな外交が出来る訳がないと、高を括って失念していたのである。


「胤俊殿、ニャーは慶隆を遠藤家の惣領にするつもりですニャー。しかしそれでは貴殿が納得出来ないのも承知しております」


「・・・」


(納得は出来ない。だが戦って勝てるか?現状であの名将と呼ばれる池田恒興が5千を率いて来ているのだ。このままいざ戦となれば豪族や家臣はこぞって慶隆の元に走るだろう。元々慶隆に後ろ楯も実力も無いから離反したのだ、池田恒興という強力な後ろ楯が付けば戻るだけ。おそらく勝負にならん)


 胤俊は考える、現状での勝率を。

 恒興と慶隆の軍勢は5千5百、対して胤俊は2千。

 これだけでもかなり不利だが、数の差については大した問題ではない。

 この奥美濃においては地の利という武器を胤俊が持っているので、戦をするならゲリラ戦術でかなり戦える筈である。

 では問題は何か。

 2千の兵士が、豪族や家臣がそのまま付いてきてくれるかである。

 今彼等が胤俊に付いてきているのは忠誠などではない、慶隆が当主として頼りないからだ。

 これで恒興が言い掛かりめいた大義名分で奥美濃に来たのなら豪族や家臣も必死に抵抗したであろう、それこそ侵略者を追い払えという感じで。

 だが恒興はキッチリ大義名分を整えてきた。

 慶隆の姉を娶り遠藤家と縁戚になった恒興が、常識的に慶隆の後見になれない訳がないのだ。

 慶隆がこれ程強力な後ろ楯を得たとなると、胤俊の元から離れる豪族や家臣が多数現れる。

 故に胤俊は勝ち目無しと判断した。


「そこでニャーが折衷案せっちゅうあんを考えました。奥美濃遠藤家は慶隆が当主となり織田家の傘下に入る。その後、武功を稼いで奥美濃以外の領地を得たら胤俊殿が分家として独立する。ニャーが立会人となり約束を履行させましょう」


 胤俊は恒興の案を吟味する。

 結局、既に戦での勝ち目は無いに等しい。

 変に意地を張れば胤俊の遠藤家は無くなり、慶隆の遠藤家が惣領権を得るだけだろう。

 おそらく慶隆による奥美濃統治と織田家の傘下入りは既に織田家の規定路線なのだ。

 胤俊に出来るのは恒興が交渉に応じている間に、規定路線内で最大の利益を取る事くらいだった。


「・・・ならば3万石で手を打ちましょう。奥美濃の外でそれだけの領地が貰えるなら堪えましょう」


「何をバカな事を!現状でお前の領地は1万石程度だろうが!それを・・・義兄上?」


 激昂した慶隆を恒興は手をかざして抑える。


「いいでしょう、遠藤家が奥美濃以外で3万石得たら胤俊殿の領地とし独立を認めますニャー」


「ならば念書を戴きたい」


「ええ、直ぐに用意致しますニャー」


(ここら辺が落とし所か。意地を張り過ぎて滅ぼされては敵わんしな)


 胤俊は現実的な判断を下し、一時的に慶隆の部下になる事を承諾した。

 胤俊が奥美濃を離れる事にしたのも、慶隆が遠藤家の惣領になるなら一緒にはやっていけないと思ったからだ。

 慶隆はまだ納得していない様だったが、関城攻めの兵士を整えるため胤俊は自分の城に戻っていった。


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「義兄上、何故あんな要求を飲んだのか。ヤツにあそこまで譲歩しなくてもいいのではないか」


「慶隆、これは過去を清算しお前が真の遠藤家当主になるための必要経費だニャ、我慢しろ。それに何処の領地を貰おうが織田家の傘下には違いないしな。まあ、分家が他の土地に土着したくらいに思えばいいニャー」


 激昂する慶隆を恒興は宥める。

 どうも胤俊が郡上八幡城を奪ったのが許せない様だ。

 恒興は将来の加増地より惣領権の確保の方が重要だと諭す。


「確かに一番重要なのは私が遠藤家惣領になる事か」


「それより今から奥美濃兵を纏めて関城攻めに加わって貰うニャー。いいニャ」


「フッ、任せて貰おう!」


 恒興は犬山軍団5千を鶴尾山城から南下させ、一路長井隼人の関城へ向かわせる。

 その後ろを遠藤慶隆が率いる奥美濃軍団が2千の規模で進軍する、因みに遠藤胤俊も加わっている。

 時を合わせるように中濃軍団も動き出した。


「みんなー、私たちの織田家デビュー戦だよー!張り切って行こうねー!」


「「「おおー!」」」


 中濃肥田玄蕃軍1千。


「玄蕃ちゃんは元気だねえ」


「我々も負けてられませんが」


 中濃佐藤紀伊軍1千、同じく岸勘解由軍8百。


「フハハハー!皆この俺様に付いてこい!」


「「「お前が仕切るな(仕切らないでよ)!!」」」


 東濃久々利三河軍1千2百の合計4千であった。

 恒興の中濃軍団は総勢1万1千の規模で関城付近で合流した。


 これに対して関城の長井隼人佐道利は対応どころではなくなっていた。

 それは関城周辺の村々である騒動が起こっていたのである。


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 関城から派遣された侍が徴兵の御触れを伝えたところ、村長や村の若者数人と問答になってしまった。


「村の若者を出せないだと!?何故だ!?」


 関城に務める侍が村の村長らしき老人に問い質す。


「申し訳ございませんが、先頃の徴兵に応えたばかりなのでご勘弁を。稲刈りは終わりましたがまだ脱穀が遅れているのです」


「バカを言うな!織田軍が攻めてきたら暢気に脱穀などしていられんぞ!略奪されるだけだ!」


「・・・これをご覧くだされ」


「何の紙だ?・・・これは!?」


 秋は稲の収穫があるのだが幾つか作業がある。

 まず稲刈りである、ここが収穫のスタートとなる。

 次に束ねた稲を稲架はざという柵に掛けて、日と風によって乾燥させる。

 これを稲架掛はざかけ、稲掛いねかけ稲架とうかという。

 ここまで終われば後は家での作業になるので、ひとまず余裕が出来る。

 次は脱穀という作業になる、これは稲穂からもみを取る作業でかなり手間が掛かる。

 まず唐棹からさおという棒に稲を括り付け、叩いて大雑把に籾を落とす。

 この後、竹製の扱き箸こきはしを使用して籾を取る、竹製の箸で稲を挟んで米粒だけ飛ばす感じである。

 これが大変手間と時間が掛かるのでまだ終わっていない農村が結構あったのだ。

 この後は籾摺り、そして精米となる。


「これを織田家の方が撒いていったのです。ワシらは字が読めませんので寺の住職様に読んで頂きました。これによれば織田家は無抵抗の民衆に対する暴行、強盗、押し買い等を堅く禁じているとの事、ワシらはこのまま脱穀作業に入ろうと思います」


「こ、ここが織田家の物になったらお前達の暮らしも壊されるのだぞ。それをさせないために今まで斎藤家が守ってきたのだ。徴兵はひいてはお前達自身の暮らしを守るためなのだ」


 侍は農村を守るためだと説得する。

 だがその言葉を聞いた村の若者達が激昂してしまう。


「嘘だ!村長むらおさ、騙されちゃなんねえ!」


「そうだ!オラの姉ちゃんが佐藤様の領地の村に嫁いだが、佐藤様が織田家に付いたら暮らしが良くなったって言ってたぞ!」


「商人が頻繁に来て、物が半分の値段で買えるって話だ!」


「ま、待て!そんな事ある訳が・・・」


 村長の周りの若者達は次第にヒートアップしていく。

 彼等の近親が直ぐ隣の佐藤家や岸家の領地の村に嫁ぐ事はよくあることなのだ。

 それ故織田家になってからの暮らしがどんなものか、情報が簡単に伝わっているのである。

 先頃の鵜沼での敗戦において多数の兵士が置き去りにされた事、その者達が斎藤利治に救われ帰って来た事。

 織田家の支配下では暮らしが良くなる事、品物が半分くらいの価格で買える事。

 そして先日の無駄な徴兵で彼等の怒りは頂点に達していた。


「お帰りくだされ、ワシも村のもんを抑えるので精一杯なのです。これ以上は身の安全を保証しかねますぞ」


「くっ、後悔するぞ」


 侍は関城に帰り上司に報告すべきだと考えた。

 実は彼は本来のこの村の徴兵担当ではなく今回だけの代理であり、村長及び村の人間とは初対面なのだ。

 故に信頼関係が全く構築されておらず、説得に聞く耳を持ってもらえない状態なのだ。

 では本来のこの村の担当の侍は何処へ行ったのか。

 ・・・家族ごと斎藤利治の元へ逃げてしまった。

 何しろ斎藤利治は義兄である織田信長から全力の後見を受けているため、逃げてきた侍達の給料は楽に支払えるのである。

 このため斎藤家では脱走者が跡を絶たず、各種業務に支障が出ていた。

 普通であれば徴兵拒否を起こした村は制裁される、侍も報告を上げればそうなると思っていた。

 だがそんな彼の思惑を遥かに超える規模で徴兵拒否が起こっていたのである。


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 関城を目の前にして恒興の軍勢は止まり、陣を構築した。

 既に夕刻で太陽が西日になっており、夜が近いので攻勢は禁止している。

 恒興はある報告を待っているため、本陣で暇そうにしていた。

 そこに成政がやってきてある紙を恒興に見せて、見覚えがあるか聞いてきた。


「勝三、このビラに見覚えは?ここら辺の村々にバラ撒かれているらしいんだけど」


「さあー?ニャんだろうニャー?」


「見せてみろよ内蔵助。えーどれどれ『新米が美味しい季節になりました、皆様如何お過ごしでしょうか。さて皆様にお知らせします。織田家では無抵抗の民衆に対し兵士による暴行、強盗、押し買い等を堅く禁じております。皆様におかれましては織田家の軍団が来てもそのままの暮らしを営まれますようお願いいたします。尚、ご不都合やご不明な点、訴え等がございましたら最寄りの犬山城までお知らせ下さい』・・・何だよ『最寄りの犬山城』って、1個しかねーだろ」


「わからんじゃん、もしかしたら他国に『犬山城』があるかも知れんじゃん。そこらへんニャーが気を遣って最寄りって書いといたんじゃん」


 因みに犬山城は現在恒興の居城になっている城以外は見当たらない。


「つまりバラ撒いたのはやっぱり勝三な訳か」


「ちっ、バレたか。内蔵助、見事な推理だニャー」


「こんな事するのお前ぐらいしかいねーだろ。何のためにこんなもんバラ撒いたんだ?」


「言わんでも直ぐに解るニャー。と言ってる間に来たニャ」


 そこに偵察を終えた加藤教明が報告にやってくる。

 恒興が待っていたのは教明の報告であった。


「殿、関城の物見、終わりましてござる」


「おう、教明、待っとったギャ。どうだったニャ?」


「は、長井軍は関城に籠り兵を集めている由。現在までにおよそ5百と見受けられ申す」


「5百!?少なっ!?」


「一体何が起きてるんだ?」


 利家も成政もびっくりする。

 関城といえば3千人近く徴兵出来るはずである、先の鵜沼の戦いでは稲葉山城から4千で関城から3千だった。


「付近の農村で徴兵拒否が起こってるんだニャー」


「このビラの効果ってことなのか?」


「それだけじゃニャいけど、止めの一撃ではあるニャ。戦ってのは刀でぶつかり合う前にどれだけ準備出来たか、どれだけ策を放ったかで勝敗が決まると思っているニャー。現実に目の前の関城を見ろ、美濃者は尾張者よりずっと強いって言われているのにこのザマだ。『算多きは勝ち、算少なきは勝たず』という孫子先生の言葉は正にこの事だニャー。まあ、半数くらいに減ればと思っていたが、予想以上に効いたニャ」


 今回でも恒興は関城を挑発する様に行軍したり、ビラを撒いたりと色々小細工をしながらここまで来た。

 だがこの小細工は普段であれば然程さほど効かない、効果を発揮出来る下地があればこそである。

 その下地が鵜沼の戦いの勝利であり、それに続く中濃三家の織田家傘下入りである。

 つまりこれまで行ってきた数々の計略の集大成が目の前にあるのだ。


「『百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』とも孫子先生は言ってるしニャー」


 なので恒興は自分の計略の効果を直に確かめるために関城にきたのである。

 斎藤家がまだ抵抗出来るかどうか。

 結果は織田軍1万1千vs関城5百という有り様で戦いにもならないと思われる。

 だからといって関城主・長井隼人佐道利が降伏するとは思えないが。


「これじゃ大した戦にならねえ、功績が稼げねーな」


「何言ってんだ、又左。『関城を落とした』は『関城を落とした』だぞ。功績にならねえ訳ねーギャ。・・・部隊長なんだから母衣のやり方は忘れろ」


「まあ、そうだね」


 利家はまだ赤母衣の頃の自分で頸を取って手柄にするという感覚が抜けていない様だった。

 恒興は部隊長は任務の達成こそが功績だと諭した。


「いや、大きな功績になるかどうかがだな」


「お前、関城ってニャーの犬山城に匹敵するくらい豊かな城なんだぞ。美濃では稲葉山城の次くらいに豊かなんじゃないか。更に西濃と中濃と奥美濃を繋ぐ街道の真ん中に鎮座する『関』の城、商業的な発展も大いに見込めるニャー。だから信長様はこの城を斎藤利治様の城にしたいんだニャ」


「成る程な、了解だ。で、布陣は決めた通りでいいんだな」


「ああ、だけ開けとけ。それだけで関城の兵士は『死兵』にはなれんニャー」


 兵士が死兵となるには条件がある。

 一つ、希望を消し去る事。

 二つ、生きる糧を消し去る事。

 三つ、退転の道を消し去る事。

 この内の一つにでも触れれば死兵となる可能性がある。

 つまり希望、糧、退路を残せば死兵は生まれないという事なのだ。

 因みに信仰は希望の内に入っている。


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 関城主・長井隼人佐道利は城主の間において、家臣から報告を受けていた。


「そうか、兵は集まらんか。これ程とはな」


「殿、如何致しますか?」


 既に大規模な徴兵拒否が領内で起きており、兵士は全く集まっていなかった。

 そこに恒興が到着し関城の前に布陣した。


「織田軍の布陣はどうなっておるか」


「はっ、東側に池田恒興の本陣があり約5千、鉄砲隊が多数配置されている様です。北側に佐藤、岸、肥田の軍勢約3千、南側に遠藤と久々利の軍勢約3千との事」


「・・・隙は無いか」


 恒興は関城を三方から包囲した。

 東側に本陣を置き、北と南にも部隊を配置した。


「何故か西側が開いております。それで・・・」


「うむ、城内の兵が逃げ始めておるのだろう。姑息な手を使いおる、・・・ここまでか」


「殿・・・」


 関城に集まった兵士も多勢の織田軍を目の前にして西側から脱出を始めていた。

 兵士達は朝になれば織田軍の攻勢が始まると思っているため、夜のうちに出ようとする者が増えていたのだ。

 こうなると長井隼人が何をしても無駄である。


「城内の財と兵糧を集めよ。深夜に西側を抜けて稲葉山城に落ち延びる」


「はっ」


 長井隼人はこの兵士達に紛れて脱出する事を選択した。

 稲葉山城の決戦に備え、少しでも多くの物資を持って行かねばと彼は考えたからだ。


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 朝が来て物見が関城を偵察したところ、誰一人として居らず開城となった。

 恒興は即座に軍勢を城に入れて、関城の落城を信長に報せた。


「結局、長井隼人は逃亡、兵士は逃散、関城は無血開城か。これ程までの徴兵拒否が起きてしまうとはな」


 慶隆は今回の落城を振り返る。

 結局相手が逃げてしまい戦う事は出来なかったためか残念そうだった。

 ただそれを聞いている三人、佐藤紀伊と岸勘解由と肥田玄蕃は特に残念そうではなかった。

 というのは関城は中濃であるため、兵士達にとっては親族同士での殺し合いも有り得たのである。

 なので後味の悪い戦いになるなと覚悟していたが、恒興は攻撃命令を出さなかった。

 そしてそのまま戦が終わったので、三人は若干安堵していた。


「俺は関城周辺の農民の気持ち、分かるぜ。だってよ、俺達だってもう戻れないからさ」


「そうですね」


「戻る?斎藤家にか?」


「そうだけどそういう意味じゃない。正確には前の暮らしにって事さ」


 佐藤紀伊が言う戻れないとは斎藤家にではなく、斎藤家の頃の生活にである。

 佐藤家、岸家、肥田家は領地が全く荒れず織田家に付けたため、直ぐに商人の進出が盛んになっていた。

 また犬山の商業開発が進んでおり、周辺の物流が活発になっているのも大きい。


「簡潔に言うと織田家に属してから、皆の暮らしが格段に良くなったんですよ」


「そうなのよね。関銭は無くなったけど、商人から貰う場所代の方が高額で、市に品物が増えた上に半額くらいで買えるの。一体今までの価格は何だったのよ!」


 織田家に付く条件として関所の破棄は必ずである。

 だが豪族にとって関所から揚がる関銭は金銭収入の生命線だった。

 なので恒興は三人に少しだけ様子を見る様に説得した。

 もしも関銭の方が場所代より高額なら戻していいと条件を付けていたのである。

 そして荒れていない領地と市場に犬山から商人が来て、今までの半額くらいで品物が売っている。

 三人の領地の民衆はこれに飛び付き喜んだ。

 そして品物が沢山売れた商人の利益から割合で出された場所代の金額は関銭よりずっと高額であったのだ。

 この結果に三人は喜ぶ以上に呆然となった、今まで自分達がやってきた事は何だったのだろうと。


「今から前に戻ろうなんて言ったら、我々は民衆から暴動を起こされますよ」


「成る程な、収入が増えた上に出費が半分になったと。それは確かに戻れんな。私の奥美濃もそうなるだろうか?」


「するに決まってるニャー。既に津島会合衆は動き出しとるニャ」


 関城内で休息を取っている彼等の所に恒興が入ってくる。

 既に周辺の農村の制圧(説得)も終わり暇になったので、慶隆と今後の予定を詰めようと思ったのだ。


「これは義兄上」


「ニャんでそうなるのか知りたいか?」


「是非ご説明願おう」


「答えは簡単、斎藤家の商業は認可制だからだニャ。つまり認められた商人以外は商売が出来ず、基本一人の商人が座を独占する。となれば暴利を貪るだろ」


 商売が認可制というのは基本である。

 その座(市場)を支配している豪族、大名、寺社、公家に貢物(賄賂)をして権利を認めてもらうのである。

 だが斎藤家では斎藤道三が座制を廃止し楽市楽座をやろうとしたが、これに美濃の豪族は大反発した。

 楽市楽座は関銭を払えない様な小規模商人がとても増えるため収入が入らず、更に彼等は関所を越えられないため商人自体来なくなる。

 そして関銭を払ってくれる大店の商人は小規模商人との価格競争を嫌い寄り付かなくなるのである。

 そして市場に品物が欠乏すれば民衆の不満は高まり続ける。

 正に豪族にとっては悪循環でしかない。

 これも豪族達が道三を見限り、義龍に挙って味方した要因と見受けられる。

 その証拠に義龍は父親の道三を討つと、直ぐに元の座制に戻した。

 おそらく豪族達から強力な要請があったのではなかろうか。


「売る時にな、関銭と斎藤家への賄賂と貪りたい暴利の金額が商品に乗っかっとるんだニャー。高くなるのは当たり前だし、独占だから高くても売れるしニャー」


「でも織田家も津島会合衆が独占してるんじゃないの?どうしてこんなに差があるの?」


「確かに織田家は津島会合衆の独占ではあるが、そもそも会合衆は商人の連合体。一人が暴利を貪る事は出来ないニャー」


 津島会合衆内で一人が暴利を貪ろうとしても、周りの商人から攻撃されて会合衆から追い出されるだけである。

 むしろそんな隙を見せれば会合衆内の大物商人達が喜んで攻撃してくるだろう。

 その愚か者の担当地域の利権を再分配すれば更なる利益になるからだ。

 今のところはまだ愚か者は出ていない。

 そして織田家と斎藤家では商人の上納金の出し方が違うという事もある。

 斎藤家ではまず貢物を出し関銭を払う、つまり『損』から始まるのである。

 それを必ず取り返そうと暴利を取る様になる。

 対して津島会合衆の上納金というのは完全に利益から割合で出されるという特長がある。

 必ず利益があるため、後は経費を計算すればどの程度の利益が得られるかは直ぐに解る。

 このため津島会合衆の商人は利益を計算し売上数を計る事で無理のない価格で多売を目指すことが出来る様になったのである。


「更に言うと織田家と会合衆が強く連携しているので、経費が節約されてこの価格を実現しとるニャ」


 津島会合衆が利用している織田家の力は何も支配地域の商売権利だけではない。

 織田家支配地域における物流システムそのものを利用しているのだ。

 伊勢湾を使った海上物流における護衛や物流支援に人足の派遣などを九鬼家が一手に引き受け料金を一律化。

 またバラバラだった木曽三川の川並衆も一体化し料金を統一、現在は木下秀吉が統括している。

 更に織田家の開拓事業と共に街道整備も盛んに行われており、織田家の支配地域全域に拡げられていた。

 つまり商人は品物を何処に運べば料金がいくら掛かるか容易に判り、利益がどれくらいか簡単に計算出来る様になったのである。

 その上で支払う上納金や場所代は利益から割合で出されるため、商人は決して損をしない仕組みが出来上がっている。

 どれだけ利益を増やせるかは商人の努力次第なのだ。


「関城周辺の民衆はお隣の佐藤家や岸家の民衆がどんな暮らしになったか知っとるからニャ。遅かれ早かれこうなったという訳だニャー」


 実はこの現象は南伊勢においても起こっている。

 商人の浸透が始まり暮らしが良くなった北伊勢の状況が南伊勢の民衆にも伝わり始めているのである。


「これが織田家の『最強の武器』だニャー。これが有るから織田家は鉄砲を沢山買えるし、流民をいっぱい雇えて開拓事業・堤防造り・街道整備を進められるんだ。大体幸せや豊かさを求める民衆なんて誰にも止められんニャ」


 恒興にとって経済の発展がここまでの武器になるとは予想外で、成り行きで気付いたものである。

 そもそも恒興が津島会合衆と密接になったのは林佐渡が恒興を津島奉行に推薦したからだ。

 そして商人と強い繋がりを持つに到る藤との婚姻も商人側からの提案だし、加藤図書助の息子・加藤政盛を家臣にしたのも偶然の産物だ。

 商人との関わりは偶然であったが、武家と商人が連携する強みには気付き『織田家の武器』にする事を思い付いたのである。

 そして恒興はこの武器をある集団への対抗策にしようと画策している。

 その集団とは高らかに死を謳い、死兵を操る者達。

 上洛後に必ず敵対する事になる者達。

 彼等が死を謳い上げるなら、恒興は生を謳い上げる事で対抗しよう。

 彼等が死兵を繰り出すのなら、恒興は死兵を生み出さない戦い方をしようと決めたのだ。

 だがその一方で恒興はまだ足りないと感じていた。


(これだけではまだ弱いニャ。そもそも希望を奪う方が希望を作り出すより簡単だし。あともう一手欲しいニャー)


 恒興は最近はずっとこの思案に暮れているが、まだ答えは出ていない。

 少なくとも上洛が終わるまでには答えを見付けたい、そう恒興は願っている。


「凄まじい話だ。たかが商売などとはもう言えんな。と、そうだ、義兄上。私はこれから戻り姉上の輿入れの準備をしようと思う」


「応、もう間もなく信長様が派遣した城代が来るはずだから、ニャーも犬山で迎える準備するニャ。紀伊、勘解由、玄蕃も祝言には参加しろよ」


「よし、大将。酒持って参上するぜ」


「酒を持って行きますよ、大量に」


「お酒だね、任しといて!」


「・・・三人共酒かよ。ていうか手ぶらで構わんニャー」


「まあまあ、酒は大量にあった方がいいのよ。みんな、きっと飲みまくるからね」


 この時代の祝言というものは言ってしまえば、新郎新婦を出汁だしにした飲み会である。

 故に三人共色んな酒を大量に持って行こうと決めていた。

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