水は綺麗にしましょう
犬山中心部。
ここには順慶が考案した戦国フードコートが存在している。朝飯時、昼飯時には人がごった返す程の人気を博している。徐々に店舗も増えて選べる品目も増えてきている。それこそ、順慶が発案した料理の他にも餅や団子を提供する店もある。津島会合衆傘下の飲食店で加藤図書助の勧めだ。なので朝食の軽めなもの、昼食のガッツリなもの、ちょっとおやつに摘みたいものまで取り揃えている。店舗も増えて客席も加藤図書助の倉庫を改装した程度では足りず、周辺も恒興が買い取って拡大中である。
「これが『風土古都』か。凄い人気だな」
「何だ、清良。来た事なかったのか」
この場所は筒井順慶が『フードコート』と呼んでいるので和風に『風土古都』と漢字を当て嵌めた。『風土』は地方という意味がある。なので地方の都風な文化的施設、という感じで人々から認知されている。その賑わいを眺める男が二人。池田家臣の土居清良と渡辺教忠がいた。
風土古都が出来て以来、渡辺教忠は何度もここを利用している。というか、風土古都の警備は教忠の刺青隊から出しているので、彼は割りと入り浸っている。しかし土居清良は初めて来た様だ。
「最近は小牧の地質調査に行ってたんだよ。一度、中止命令が出た時に手掛けている調査だけ終わらせようとしてたら再開命令が出たんだ。それで、何があったんだ?と戻って来たところなんだよ」
「ああ、例の米騒動の件だな。殿が米を買い込んで中止命令が出たっていう。その直ぐ後に筒井順慶様が考案した風土古都が始まったって訳だ」
本願寺に端を発する米騒動の時、土居清良は小牧の地質調査に出ていた。どの辺りが田畑に向くのか、どの辺りに水路を引けば便利か、など開発の事前調査をしていたのだ。しかし米騒動により中止命令が出て、清良は今やってる調査だけ終わらせて戻ろうとした。その調査が終わらないうちに再開命令が出た為、犬山で起こっている詳細を確認しようと戻って来た。
「まあ、来て見て理解した。この盛況振りなら、買い込んだ米も上手く消費されるな」
「今回だけじゃなくて継続するらしいぞ」
「これを維持するのか!?」
「それだけじゃない。信長様まで計画に乗ってきたみたいでな、岐阜、安土、清須にも店を出すらしいぞ」
「信長様まで!?凄い大事になってるな」
清良は恒興が買い込んだ米の総量について報告を受けていた。それを聞いて彼は小牧の開発中止もやむを得ない措置だと納得した。しかし風土古都の賑わいを見た事で、それも解消されるだろうと感じる。
しかも風土古都は一時的な措置ではない。既に織田信長の命令により継続が決定している。それだけではなく、信長まで計画に乗ってきた事で岐阜や安土、清須などの経済的発展が見込める町にも拡大する予定だ。熱田や津島にも拡大する予定だが、こちらは商人主導となる予定だ。
「なんで私達の故郷はこういう事が出来ないんだろうな」
「言うなよ。織田家が革新的過ぎるんだ」
「やはり重要なのは『人』って事か。これを思い付く筒井様も凄いという事だな」
清良は風土古都の賑わいを見て西土佐の故郷を思い出す。これが故郷にあったならば、と。教忠は織田家が革新的過ぎると評した。それもそうかと清良は納得する。風土古都を維持出来るだけの流通と国力、それを実現するだけの人材を集積しなければ夢想というものだ。そして風土古都を発案した筒井順慶という人物も必要だと。
土居清良の口から筒井順慶の名前が出たので渡辺教忠ははたと気付く。
「お、噂をすれば、だ」
「ん?」
「ほら今、店に入った方が筒井順慶様だぞ」
「丁度いい。挨拶しておこう」
教忠は店に入って行く順慶を発見したのだ。風土古都の警備をしている教忠は順慶と顔見知りの様だ。これは丁度良いと感じた清良は、教忠に自分を順慶に紹介して貰おうと考えて店に向かった。
順慶が入ったのは、風土古都にて『天丼』を提供している角吉の店だった。
「やあ、角さん、順調みたいだね」
「これはこれは、順慶様じゃないですか。お陰様で繁盛してます」
角吉は調理に励みながらも笑顔で順慶を出迎えた。現在は昼食時、かなり忙しい様だが角吉は受け答えする余裕はある。当初は角吉と嫁さんだけでは客を捌き切れず、順慶や弟子達の中で暇がある者が手伝って何とか維持していたものだ。順慶は新規で店を開く事の大変さを知ったくらいだ。
余裕が出てきたのは角吉が慣れてきた事、風土古都に店が増えて客足が若干ながら分散した事、角吉の弟と妹が故郷の村から出て来て店を手伝ってくれている事が要因となっている。
「夢みたいですよ。オラが皆の腹を満たしてやれるなんて」
「夢が叶って良かった良かった」
「故郷の村じゃ満足に食べれるヤツなんて居ませんでしたから」
夢が叶ったと喜ぶ角吉。彼は故郷での生活を思い出して遠い目をする。満足に食べられなかった頃を。
角吉の過去を何も知らない順慶は首を傾げる。
「ん?なんで?」
「オラがまだ小さい子供だった頃、飢饉があったんですよ。それで田畑の回復は遅れるわ、税の取り立ては厳しいわで食べる物が少なかった訳でして」
「キキンか……。大変だよね」(たぶん)
角吉の村では過去に飢饉があった。その為に田畑が荒れ回復は遅れ、それでも税はキッチリ取られた。なので彼の幼少期は満足に食べれる者など存在しなかった。そんな彼は皆が満足に食べれる世の中を願っていたのだ。
因みに順慶は飢饉が何なのか知らないが、大変なんだろうと予想した。まあ、現代日本で飢饉を感じる事はないし、転生してからも3歳で筒井家当主となった彼が飢餓など感じた事もない。
「オラの村は大きな川が近くにあるんで被害が少なくて済みましたが」
「川があるといいの?」
「そりゃあ、まあ、水は手に入りますから」
「そうなんだ」(水?)
飢饉があったとはいえ、角吉の村の近くには大きな川があったので割りとマシな方である。しかし順慶にはいまいち理解出来ない。水くらい何処にでもあるじゃないか、と。水が無い世の中など想像も出来ないからだ。
その時、順慶は店に入って来た男に声を掛けられた。
「何の話をしてるんです、順慶様?」
「あ、渡辺さんじゃん。警備の増員、ありがとね」
「お役に立てて何より。教忠で結構ですよ」
「昼食?」
「まあ、そんなところですな」
池田家特別傭兵部隊『刺青隊』の隊長である渡辺教忠だ。教忠は風土古都の拡大に対して警備の増員などで順慶と何回か会っていた。
順慶と談笑する教忠に後ろの男が文句を言う。
「おい、教忠。喋ってないで私を紹介してくれ」
「分かってるって」
「あれ?そっちの人、何処かで会った気がするんだけど」
「それはおそらく筒井城でしょう。あの場に列席しておりました土居清良と申します」
文句を言う土居清良を順慶は何処かで見たと言う。それは筒井城の謁見の間だろうと清良は答える。順慶が飯尾敏宗に捕らえられ池田恒興の前に引き出された時だ。あの時、土居清良も諸将の列に並んでいたのだ。あの場で順慶が諸将を確認している余裕などないので仕方がないと思う。
「清良は民政を担当してますので、これから会う機会もありますよ」
「あ、フードコートを仕切る人って恒興くんが言ってた土居さんか!」
「私も清良でいいですよ。お見知り置き下さい」
土居清良は池田家内の民政を担当している。なので民政に大きく関わる事になる風土古都についても彼の担当になる。そう、恒興から順慶は聞かされていた。
「それで何の話をしてたんです?首を傾げてたみたいですが」
「実は……」
順慶は角吉から聞いた飢饉の話を二人に聞かせた。飢饉と聞いて、清良も教忠も顔を曇らせる。この戦国時代は飢饉が各地で頻発し、戦争の原因や農村の口減らしの原因になっている。
「飢饉ですか。毎年の様に頭を悩ませてますよ」
「尾張国は大きな川が幾つもあるんで、他よりマシだと思いますがね」
「その分、水害が昔から問題だったのですが、堤防のおかげでかなり解消されてます」
「やっぱ大谷殿は偉大だな」
こと尾張国に限れば飢饉は水害の問題と言える。つまり水害をどうにか出来れば豊かに暮らせる恵まれた国で、その水害をどうにかしてしまったのが大谷休伯という訳だ。織田信長から直接、出撃禁止令が出される池田家臣である。現在は木曽川から取水を試みる工事の指揮を採っている。
「そっか。やっぱ『水』が大事なのかー」
「そりゃそうですよ、順慶様」
「失礼な事を言うな、教忠。順慶様は大名なんだから飢饉の事情を知らないのではないか?」
暢気な感じで水が大事なのかと言う順慶。教忠は順慶が何故、その程度の事が理解っていないのかと言いた気だ。それを見た清良は教忠を咎める。順慶は大名なのだから知らないのではないかと。
「そ、それだ!俺はそういう場所に行った事なくてさ」
「あー、そっか。大名だからこそ、か。うんうん」
清良の援護に順慶も乗っかる。自分が理解っていないのは大名だからだ、と。まあ、実際にその通りなのだが、周りと自分の温度差に理由付けが出来たのは良かった。そのままだと、また気狂い扱いされるかもと順慶は恐れていたのだ。
「順慶様、飢饉には二種類あるんですよ。一つは『長雨』による水害と作物不良です。しかし長雨なら水は手に入りますから、山や海の恵みで堪える事は出来るんですよ」
「成る程」
飢饉には種類がある。まずは『長雨』による天候不良で日照不足からくる作物不良。更に水量過多による水害の頻発だ。これには解決策が無い。現代でも不可能だ。日光の不足など人間にどうにか出来る筈もなく、増え過ぎた水量は現代でも水害を起こす地域がある。しかし水があるだけでも食べ物は手に入る。稗や粟といった救荒作物、山で採れる粗食、海の幸など生き延びるのは何とか可能だ。
人々にとってもう一つの飢饉の方が大問題となる
「もう一つが問題で『日照り』や『干魃』なんです。こちらは最悪で水が手に入りません。小さな川や池は干上がるからです」
「ああ、水が無いと作物が枯れちゃうからもんね」
「……。いやあ、干魃飢饉が酷くなるのはソコではなくてですね。『飲み水』が手に入らないからなんですよ」
「え?井戸水は?」
「枯れますって」
「うそぉ……」
もう一つの飢饉。それは日照りや干魃といった降雨不足である。降雨不足は山が蓄えている水の絶対量が無くなり、小さな川や池は干上がる。山が水を蓄えていないとなると、水の帯水層も下がる。その為、水の帯水層に穴を開けて水を取り出している井戸も枯れてしまうのだ。
「なので干魃飢饉になるとどんな水でも飲まねばなりません。例え泥水でもです。人間、渇きには勝てませんから。その泥水から病気になる者が後を絶たず亡くなるのです。となれば、遺体は荼毘に付すなりしなければなりませんが、既に周りの者達にも体力はなく、放置された遺体から流行り病が発生します。そして大量の死者を出すんですよ」
水が手に入らない。これが災厄をもたらす。人間、誰しも飢えにはある程度堪えられても、渇きだけは堪えられない。故に人々は汚れた水でも飲まなければならない。食料不足から人々は体力を失い、汚水から病気を発症する。そして人々はバタバタと亡くなっていく。
当然なのだが、人が死ねば遺体は焼くなり埋めるなり処理せねばならない。しかし、その頃には周りの者達にも体力は無く、遺体は放置される。そして放置された遺体から更に病原体が発生し、人々を死に至らしめていく。さながら地獄の様な風景がこの世に現出する。
これが干魃飢饉が特に酷くなる要因である。だから皆、口を揃えて『水があるだけマシ』と言うのだ。
「そこまで理解っているのに、何も出来ないもんかなー」
「俺が聞いた話だと、殿は飢饉に備えて新米は売らずに保管してるみたいな事言ってるんだとか。全ての領主がそうならいいのにって思いましたねー」
池田恒興は何時来るか分からない飢饉に備える意味で領地で採れた新米は保管している。緊急事態以外では使われず、戦争の時でさえ恒興はこの新米は出さない。兵糧は別に確保している。そして一年が経過し新たな新米が来て古米となったタイミングで市場に放出していた。これからはこの古米も風土古都に回されるだろう。
水は木曽川からふんだんに得られる犬山なら、食料さえあれば飢饉も乗り越えられると恒興は考えているからだ。新米を出すのは最終手段とせよ。恒興はこれを池田家法に加えて厳守している。
「角さんの村もそんな感じ?」
「オラの村は大きな川が近くにあっただけ、まだマシだったかと。少し離れた村だとかなりの死者が出たって話ですよ」
角吉が幼少期に遭った飢饉は干魃飢饉の方だった様だ。それ故に川に近かった角吉の村は何とか凌いだが、遠くの村ではかなりの死者が出たと聞いていた。
「問題は『飲み水』ですから。天候は人間にはどうにも出来ません。天の配剤とはいえ酷いものですよ」
清良は儚げに呟く。『天の配剤』である、と。天の配剤とは天は善行には幸を、悪行には災をもたらすという意味で人間にはコントロール出来ないという事だ。ならば自分達はそんなに悪行を積んでいるのか?と嘆きたい様だ。
そもそも善行とは何か?人間の善行と大自然の善行は別物である。そう説いたのは仏陀だ。これは善行を積んで、人間への輪廻転生を目指す弟子達に言ったとされる。古代インドでは善行を積めば人間に、悪行を積んでいると虫などに生まれ変わると信じられていたからだ。
「ふーん、そっか、『水』か。ねえ、清良さん、教忠さん。ちょっと手伝って欲しいんだけど」
「俺達ですか?いいですけど」
「私も構いませんよ。殿から順慶様の手伝いをする様にと仰せつかっておりますので」
「よっしゃ!じゃあ屋敷に戻ろう!角さん、頑張ってね!」
「順慶様、またいらしてくだせえ」
順慶には哲学的な話は理解らない。しかし水が必要なのは理解した。なら試してみたい事がある。そう、考えた順慶は清良と教忠に手伝いを要請した。
順慶の要請を清良と教忠は承諾。昼飯は後でいいかという判断だ。二人の返事を聞いた順慶は上機嫌になり、角吉に別れを言って自宅に急いだ。
「お帰りなせえ、順慶様」
「お帰りなさい」「お帰りなさーい」
順慶の屋敷には源二郎と娘の乃恵と乃々の三人が庭の草むしりに精を出していた。そして土居清良と渡辺教忠を引き連れて帰って来た順慶を出迎えた。
「ただいま。源さん暇?ちょい手伝ってよ」
「はあ、ええですよ」
「それで順慶様、我々4人で何をするんです?」
手伝いに源二郎も巻き込んだ順慶。四人は円陣を組む感じで並び、順慶からの指示を待つ。
「じゃあ、教忠さんは『金網のザル』を買って来て。これくらいの大きさの」
「順慶様の腕周りくらいですか。分かりました、工房で探してきますよ」
「数はとりあえず5個ね」
「5個も、何をするんです?」
「出来てのお楽しみさ」
「分かりました。調達して来ますよ」
まずは渡辺教忠にザルを注文する大きさは順慶の両腕で輪を作れる程度。木枠に金網が張ってあるタイプを5個である。教忠はそんな物をどうするのか、怪訝な顔をしたが、順慶の言う通りに物を揃える事にした。
「清良さんは『紙』を買って来てほしい。ザルに入れるくらいの大きさでさ。丈夫で水が直ぐに染みる様な粗い感じがグッド!」
「ぐっど?まあ、分かりました。複数枚、必要ですね?」
「そう!」
「では調達して来ます」
土居清良には紙の調達を依頼する。ザルに敷けるくらいの大きさで、丈夫で粗い感じと注文を付ける。清良にはその様な紙に心当たりがあるのか、直ぐに調達して来ると走っていった。
「よし、源さん。砂とか石とか岩とか集めよう!いい感じな物を俺が選ぶから」
「へい、お任せくだせえ」
「あ、私もやります」「乃々も手伝うの」
「ありがとう、乃恵さん、乃々ちゃん」
順慶と源二郎は砂や石集めである。これに乃恵と乃々も加わり、4人で行う。彼らは順慶の指示で手頃な石を集めて回った。
暫くして渡辺教忠はザルを抱えて帰って来た。彼だけではなく、順慶の見知らぬ男もザルを抱えて教忠に付いて来た様だ。
「順慶様〜。ザル、調達して来ましたよ」
「順慶様、教忠が帰って来た様です。ん?何で勘三郎殿まで手伝わされているんだ?」
「いや、普通に考えろよ。俺一人でザル5個も持って歩いてたら、途中で落とすだろうが。勘三郎殿に手伝って貰ったんだ」
「工房が忙しいだろうに」
教忠に付いて来た、というか手伝わされていたのは金物工房を経営している勘三郎だった。伊勢国桑名の刀工『村正』の息子である。教忠がザルを買うついでに、勘三郎に手伝わせた。一人でザルを5個も担いでいると落とすからと。問題は重さよりバランスだ。
「いえ、いいんですよ。最近は新人が増えて人手不足が解消に向かってますから。それよりあの『順慶様』に会えるとなれば、手伝いでも何でもやりますよ」
「何処かで会ったっけ?ごめん、俺、忘れたんかな」
「いえいえ、初対面ですって。私もウチの者も皆、『風土古都』にいつもお世話になってますんで、一目お会いしたかった訳です。何でも手伝いますよ、鉄鋼関連なら任しといて下さい」
「鍛冶屋さんか!これは頼もしいなぁ」
順慶に会いたかったと話す勘三郎。彼や工房の職人達も風土古都で食べて、仕事へのやる気を上げている。なので、風土古都を考案した筒井順慶の役に立とうと教忠を手伝った訳だ。
順慶は新しく知り合った人物が鍛冶屋だと知って頼もしいと感じた。鉄を加工出来る人物を味方に付ければ、いろいろと出来るかも知れないと思ったからだ。
「それで順慶様。何から始めます?」
「まずは最下段から作ろう。ザルに紙を敷いて、その上に細かい焼砂を載せる」
「焼砂?」
「うん。この屋敷に砂は無いから恒興くんの庭から貰って来た。お藤さんには困惑した顔をされたけどね。それを鍋に入れて焼いたんだ」
「はあ……」
「そりゃ、お藤殿も困惑するわな」
最下段となるザルには細かい砂を入れる。順慶の屋敷には土しかないので、源二郎と一緒に恒興の屋敷の庭から砂を調達した。これを火で炒めて焼砂とした。
その時に恒興の側室である藤から許可を取ったが、かなり微妙な顔をされた模様。突然、屋敷を訪ねて庭の砂を下さいというのは誰でも困惑するだろう。そんな顔をしている藤を清良と教忠は容易に想像出来た。
「二段目のザルにも紙を敷いて、上に粗い焼砂を載せる」
二段目にも恒興の屋敷の庭から調達した焼砂を入れる。最下段とは違うのは少し大粒の砂だという事だ。
「その要領ですか。なら三段目にも紙を」
「あ、三段目からは紙は要らないよ」
「そうなんですか?」
「石がザルの目から落ちなきゃいいんだ」
「成る程、その為の紙ですか」
一連の作業を見て清良はザルに紙を敷こうとするが、順慶は要らないと言う。結局、ザルから砂や石が落ちなければいいのだ。
「三段目には細かい石を、四段目には普通の石を、五段目には大き目の石を載せる」
三段目、四段目、五段目のザルも作製していく。まずはザルの目から落ちない程度の細かい石を載せ、次は普通の石を、最後に大き目の石を載せる。これで渡辺教忠が持って来たザルは全て埋まった。
「出来ましたよ、順慶様」
「ありがとう、源さん。じゃあ、一段目をタライの上に置いて順番に重ねていこうか」
出来上がると順慶は最下段のザルを大きなタライの中に置いた。そして他のザルを順番に重ねる様に皆に指示を出す。
「結構、一つ一つが重いな」
「ウチで作ったザルですが、重みに耐えられるかな、こりゃ」
教忠と勘三郎が二人掛かりで持ち上げるがザルはかなりの重さがあった。勘三郎はザルの底が重みで抜けないか心配になる程だった。
「順慶様、重ねましたよ。これから何をします?」
とりあえずザルは壊れる事なくタライの中に五段が重ねられた。終わった事を清良が伝えると順慶は水が入った桶を持って来る。そしてドヤ顔で宣言する。
「フッフッフ、桶に入れましたのは井戸水です!我々の飲料水!」
「はあ、そうですね」
「これに土を混ぜます。これでは飲めません」
「当たり前ですよ」
順慶はその水にその場にある土を混ぜる。当たり前だが、飲める訳がない。清良も教忠も勘三郎も「だから何なんだ」と疑問の顔をしている。
「これを五段目の上からダバーっと入れます」
「はあ」
「しばらく待ちます」
「「「……」」」
清良と教忠と勘三郎は順慶を見つめる。その顔にはやはり「だから何なんだ」という怪訝な表情しか浮かんでいない。これで何が起こるというのかと言いたいが、とりあえず順慶を信じて大人しく待つ事にした。
そしてしばらくすると、タライの中に水が出始めた。それは透明な土など混ざっていない水だった。
「で、この様に泥が取れた綺麗な水が出て来ます」
「はあ??」
「マジかよ!?」
「じ、順慶様、あの、もう一度」
「じゃあ最初から」
土を混ぜた泥水をザルの上から入れたら、透明な水がタライに出てきた。一同は魔術か詐術にでも掛けられたかの様な驚愕の表情に変わる。清良はわなわなしながら順慶に再度、泥水を入れるように頼む。目の前で起きている事象が信じられない、そんな顔だ。順慶は清良の頼みを快諾すると、もう一度泥水を作ってザルの上から入れる。しばらくするとタライの中に水が増してくる。やはり透明な清水である。
「お、おい、清良。コレ、凄くないか……?」
「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺーーーっ!!???」
「清良が壊れたーっ!?」
驚愕の表情で教忠は清良に尋ねる。しかし清良は教忠の問い掛けには答えられず、訳の分からない言語を発して痙攣し始める。脳が理解の限界を超えて壊れた。教忠は清良の状態をそう感じた。
その少し前、池田恒興は政務所から池田邸に帰還した。そして庭に来てのんびりしようかと思うも気付く。庭の白砂の一部がゴッソリ無くなっている事に。
「な、何でニャーの庭の白砂の一部が無くなってるんだ?誰がこんなイタズラを?お慶の仕返しか?」
「だ、旦那様。その、怒らんといてな。順慶はんがどうしても必要やゆうから」
「順慶か、ニャる程。ちょっと文句言って来るニャ」
恒興は犯人を前田慶かと思った。直近で謀略に嵌めてやったので、その仕返しかと考えたのだ。
しかし、その場に居た藤から犯人は筒井順慶であると伝えられる。相手が順慶だと藤には止められないだろうと恒興は理解する。
恒興は自分で文句を言う為、池田邸を出て順慶屋敷に向かう。まあ、向かい側に有るので大した距離ではない。恒興が順慶屋敷の門をくぐった辺りで何の言語か判らない叫び声が聞こえてきたのである。
「ニャ、ニャんだ!?今の怪鳥の鳴き声みたいのは?屋敷の庭からか!」
恒興は順慶屋敷の庭に急行する。あの変な怪鳥の鳴き声らしき叫び声はそこから聞こえてきたのだ。庭に走ってきた恒興が見たもの、それは。
「ろぱれごけぞむまあちてとにねはやぎばしたあわ いぎくこしせくぎびぬめしゆつこしせたふめざねせのろーーーっ!!???」
「落ち着け、清良!人語、人語を忘れるんじゃないー!」
「ニャんだ、この混沌っぷりは?」
混沌、であった。奇怪な言語で叫び散らす土居清良。彼を羽交い締めにして必死に抑え込む渡辺教忠。ドヤ顔の筒井順慶。固まっている源二郎と娘の乃恵と乃々。同じく固まっている勘三郎はいち早く正気を取り戻し、恒興が来た事に気付く。
「あ、殿。お久し振りです」
「おお、村正の勘三郎か。これはどうした事だニャ?何で清良が怪鳥みたいな叫び声を挙げてんだニャー?」
「ああ、それはですね……」
恒興は勘三郎に経緯の説明を求めるが、勘三郎も理解し切れてない様で困った顔をしている。そこにドヤ顔をした順慶が恒興に気付いて説明する。
「俺が『ろ過器』を作ったんだ。そしたら清良さんがあんな感じに」
「ニャんだ、その『ろ過器』ってのは」
恒興は『ろ過器』を知らないので順慶は同じ様に実演して見せた。そしてまたもタライには綺麗な水が溜まっていく。恒興はその様を冷静に見詰めていた。
「ニャる程、泥水が清水にな。……はあっっっ!!!!!??」
「びっくりした?」
「びっくりした?じゃねぇ!お前、ちょっとこっち来いニャー!」
冷静ではなかった。笑顔で問い掛けるドヤ顔順慶の頭を掴んで屋敷裏に引っ張って行く。恒興には確信があった。絶対に戦国時代の技術じゃないと。詳細を聞く為にも二人きりになる必要があったのだ。
「ニャんだ、アレは?いったいどうなってる?ニャんであんなもんが作れるんだ?」
「む、昔、『
恒興は順慶の胸ぐらを掴んで絞め上げる。泥水が清水に変わる。この事象には恒興も冷静ではいられないのだ。という訳で、順慶はあっさり話した。
やはり戦国時代の技術ではなかった。彼は現代日本からの転生者で幼い頃に『
「ガ◯ケン?意味はよく分からんが作った事あるのか!?だったら作れるに決まってんだろ!アホか、テメエは!!」
「何で怒られてんのさ!理不尽だーっ!」
「コレを筒井家で作ってりゃ、お前は筒井家一の英主って敬われてたわっ!」
「そうなん?いや、肉食えない実家はヤダ!」
作った事があると聞いて恒興はブチ切れる。こんな物が作れるならさっさと作れと。これを筒井家で作っていれば、順慶は筒井家一の英主として尊敬を集める存在にすらなっていたかも知れない。少なくとも、気狂い扱いはされない。
しかし順慶は飲み水に困った事などない。角吉との話の中で思い付くに至っただけで、筒井家では思い付かないし手伝いも得られなかった。どっちにしろ、筒井家で肉は食えないので順慶は実家全否定である。
「とりあえず口裏を合わせろ。ニャーが何とか説明してやるから。分かったニャ!」
「へーい」
事の詳細が理解った恒興は言い訳を練った。まあ、またあのネタで押し切るしかないのだが。
「皆の衆、待たせたニャー。順慶から詳細を聞き出したぞ」
「殿!!いったい何がどうなってああなって何をどうしたらこうなってそうなってしまって何がどうなってああなって何をどうしたらこうなってそうなってしまうんですか!!!?」
「落ち着いたか、清良。いや、落ち着けって」
「はりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりはりいいぃーーーっ!!!」
「落ち着けニャー!」
恒興と順慶が戻った時、土居清良は正気に戻っている……様でいなかった。恒興は大声で清良に喝を入れる。
「……すみません、殿。取り乱しました」
「今まで見た事ないくらいに取り乱してたニャー。とりあえず説明するぞ」
ようやく清良は正気を取り戻す。今までに見た事ないくらいに錯乱していたなと恒興は思った。それも仕方がない。泥水が清水に変わるなど幻覚でも見ているのかと疑いたくなる程だ。
「アレは『ろ過器』と言うんだ。順慶が興福寺で得た知識で再現した大唐の技術の様だニャ」
「成る程。ん?殿、興福寺でろ過器なる物を作っているとは聞いた事がありませんが」
「だよな。あったら既に大評判になってるはずでは?」
恒興が毎回使うあのネタ。それは『興福寺経由の大唐技術』である。そろそろ無断で興福寺の名前を使うのが申し訳ないので、手当てを増やそうか考えてしまう。
大唐の技術と聞いて清良と教忠は納得するも新たな疑問も出る。何故、興福寺はろ過器を作らないのか、だ。作れば絶対売れるし、興福寺は人々から崇敬を集められる筈だ。
「それがニャー。興福寺が大唐から持ち帰った書物の中に解読不能な物があってな。その内の一つを順慶が解読したんだ。それがろ過器だったという訳だニャー」
その言い訳も恒興は考えておいた。それは順慶が未解読の書物を解読して知識を得たからだとした。大唐の書物は大唐の言葉で書かれている。全て解読が必要で中には未解読の物もあるのは二人も納得だった。しかし、やはり新たな疑問が出てしまう。
「順慶様は興福寺でろ過器を作ろうとはなさらなかったのですか?」
「順慶は水が綺麗になる凄さを理解してニャかった。今頃、ろ過器の事を思い出したみたいでニャー」
「ああ、成る程」
「大名だもんな、順慶様は」
順慶は清水の重要性を理解していなかった。これは清良と教忠も順慶と話して感じた事だった。この説明に納得がいったと二人は深く頷く。
説明し終わったところで異変が起こる。作製したろ過器がメキメキと音を立て始める。そして下から木枠が押し潰れる様に崩壊していったのだ。その光景に土居清良しゃがみ込んで嘆く。
「ああ、ろ過器が〜。こ、壊れてしまった。これで幾万の民が救われる筈だったのに……。あああ〜」
「泣くな、清良。コレはただの試作品だニャ。ここに仕組みを理解しているヤツが居るんだから、また作ればいい。今度はもっと頑丈なヤツをよ!」
「えへへ」
「そうですよね、殿。また作ればいいんですよね」
嘆く清良を恒興は励ます。また作ればいい、もっと頑丈な物を、と。その言葉に清良の顔は明るくなる。今度は恒興の力も使って最高の材料を揃えられる事を意味している。
「問題はザルですね。石の重みが限界で、水の重さまで支え切れなかったんですよ。もっと頑丈な枠を、金網も太く頑丈にすべきです。工房で作ってみます」
勘三郎はザルの耐久力不足を指摘する。あくまでザルは農作業用で重すぎると耐えられない。ろ過器専用の物を作るべきだと主張する。彼は工房に戻って試作したい様だ。
「土台も専用に作った方がいいな。タライじゃあ直ぐに水が溜まって上に来てしまうぞ」
渡辺教忠からも問題提起が出る。水の流し口や受け止め口を備えた土台を作るべきだと。現状、タライの中に置いているのでは水が取り出しにくいし、溜まると水がザルより上に来てしまう。
「あとはろ過器を使うと汚れが溜まるから、整備が必要かな。日にちを置くとカビが生えるし」
順慶は整備の重要性を説く。仕組みを知っている順慶は汚れがろ過器内に溜まっている事を知っている。それが水気を含んでいればカビや苔が生えてくるのは当たり前だし、汚れが溜まるとろ過に影響がでるかも知れないと心配している。
「改良点は多々有りますね」
「よし、清良。これらの改良点を活かして製品版を作るんだニャ。販売もやるぞ」
「はい!」
恒興はこれらの改良点を盛り込んで製品版を作る様に清良に命じる。製品版、つまり恒興はこのろ過器を販売までやると宣言しているのだ。犬山の特産物として。
「ろ過器を織田家領内に広めるんですな」
「何を言ってるんだニャ、教忠。コイツは全国に向けて販売するぞ。それとも織田家の民だけが助かればいいとか考えてんのか」
「それは……。すみません、殿。俺が間違ってました」(やはり殿はそういうお方なのだ)
渡辺教忠はろ過器を広く織田家の領地で販売すると考えた。しかし恒興の考えは違う。このろ過器は日の本全国で販売するという壮大なものだった。救われる民は織田家領内だけでいいのか?恒興の言葉に教忠は自分の考えを恥じた。そして国境も出身も無視する恒興の姿勢に教忠は己の忠誠を改めた。
「理解したならいいニャー。ま、織田家の家紋は入れさせてもらうけどニャ。全国販売するとなると、商路は……天王寺屋でないと無理だニャ。清良、計画に義父殿も巻き込め。ニャーから話を持っていくから」
「はっ、承知しました」
流石に恒興と言えど日の本全国にろ過器を販売するのは困難である。なので広い商路を持つ商人『天王寺屋』を利用する事にした。嫁の実家なので話も通し易い。
恒興の方針が固まると土居清良、渡辺教忠、勘三郎はそれぞれの仕事に取り掛かる。清良は製品版を作る為の材料確保、教忠は生産に向けての人員確保、勘三郎はザルの試作改良である。そして恒興も桑名にある天王寺屋の支店に向かった。
恒興達が順慶屋敷から散会して、源二郎と娘の乃恵と乃々はようやく動ける様になった。武家の会話に口を挟むのを憚っていたのだ。
「はあ〜、たまげたなあ。順慶様があんな物を作れるなんてな〜」
「本当に。天麩羅といい、凄いね」
「うん」
三人は順慶は凄いとだけ口にした。ろ過器の仕組みは理解出来ないので言える事はあまりないのだ。
(やっぱり、順慶様は『天才』なんだ。村の人達が言ってた。優秀で何でも出来る人は『秀才』、普段は役立たずだけど突発的に誰にも真似出来ない凄い事をする人が『天才』なんだって)
三人の中で乃々は少し別の事を考えていた。それは『天才』と『秀才』の違いだ。『秀才』とは何でも卒なくこなせる人の事。何をやらせても満足いく結果を出す。一方で『天才』とは普段は役立たずだが、突発的に誰にも真似出来ない事を達成してしまう人。つまり限定された分野だけ能力が限界突破している人物を指す。それは正に順慶の事だと乃々は感じていた。
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【あとがき】
ウイニングポストで時間が溶ける溶けるニャー。
順慶くんの知識はべくのすけの中学2年生までの知識を参考にしておりますニャー。べくのすけは小学生の時に『学研』の教材を貰っておりました。その中で『ミニチュアろ過器』なる物があり、ろ過の仕組みも詳しく書いてありましたニャー。他に印象に残っているのは『人工まりも育成キット』とか『形状記憶超合金動力ボート』とかありましたニャー。懐かしい、懐かしい。
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