不遇なる者
こんにちは、恒興ですニャー。
無事に祝言が終わりニャーとしても一安心といったところですニャー。
それで問題の初夜の件なんですけどね、美代は失敗で藤は成功といった具合です。
美代はまだ覚悟が出来ていなかった様で、結局添い寝して終わりました。
藤は一年も前から池田家にいて既に覚悟済みで、二人の母親を喜ばせたいと思っていた様子。
早く子供が出来ればいいなとニャーも思います。
まあ、美代もこの家に馴染めば、そのうち覚悟が決まるでしょう。
こういうのは気持ちの問題ですから急いてはいけませんニャー。
時間を掛けてゆっくり馴れていくものだとニャーも思います。
・・・
・・・・
・・・・・
・・・・・・そんな悠長な事言っとる場合かー!!
このままじゃニャーは出撃出来ないじゃん!!
何とか、何とかしないと。
何かこう、一気に仲が良くなる様なイベントはないものかニャー。
「友よ、何か重大な考え事かい?出直そうか?」
「おお、長近。来たのか。スマン、気付かなかったニャー」
考え事に耽る恒興は長近の来訪に気付かなかった。
長近は外から声を掛けたが返事がなかったので心配になって入ってきたのだ。
「呼びつけて気付かないとは済まない事をしたニャ。もう大丈夫だ」
「構わないよ。それで用件は?」
「ああ、ちと捜して連れてきて欲しい人物がいてニャ。因みに長近はまだ近江の縁は使えるのか?」
「まあ、故郷の金森(南近江)に縁者はいるからね。近江にいる人かい?」
「ああ、その通りだニャ。名前は『京極高吉』。近江の何処かをほっつき歩いとるはずだニャー」
「!?・・・京極家当主だね」
京極高吉という名前は長近も聞いた事がある。
彼は北近江の大名だからだ。
だが大名と言っても実力は欠片も無く、守護としての資格があるというだけの存在だ。
この戦国乱世を資格だけで渡って行ける訳がないのだ。
「一応、『元』京極家当主だけどニャ。今は産まれたばかりの嫡男に家督を譲らされたはずだニャー。この男を説得して織田家に連れてきて欲しい」
「そうなんだ。しかし元当主で役に立つのかい」
京極高吉は妻である浅井長政の姉との間に娘と息子がいる。
高吉は息子の『小法師』が産まれると、浅井長政により京極家の家督を強制的に譲らされた。
そして高吉は出涸らしを捨てるかの如く放逐された。
もう彼を必要とする者など一人もいないと思ったからだ。
そしてこの小法師に長政の娘を嫁がせたり息子を養子に入れて、京極家の家督を浅井家の物にする。
ゆくゆくは浅井家が京極家を取り込み近江守護になる。
これが浅井長政による京極家乗っ取り計画なのである。
そのために姉を高吉に嫁がせたのである。
長政にとっては京極高吉も嫁いだ姉も産まれた小法師もただの道具に過ぎないのだ。
「役に立つか立たないかは問題じゃねーギャ。要は公方様の上洛に名家京極家が参加しているという箔を付けたいんだニャー。つまり居るだけで十分だ」
「成る程、了解したよ。早速人をやって捜させるよ」
「ああ、頼むニャー」
現在の高吉には支援者はいない。
一時は協力関係にあった六角家にも見放されており、近江内の豪族も腫れ物を扱う様に近づかない。
これは正に長政の思った通りなのだが、恒興は京極高吉に別の価値を見出だしていた。
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恒興は未開地の視察に出ていた。
領地の開発というものは通常賦役の内に入り、領地の民衆を徴集して行う。
だが織田家では違う。
周辺から流れ込んでくる流民を傭兵として雇い、兵士としては使わず土木作業に従事させるのだ。
戦える傭兵は兵士として扱うが、大半は戦えないし戦を好まないのでこういう使い方をしている。
また、砦や陣地の構築部隊も作られており、敵地での素早い拠点構築を目指している。
なので出来上がった開墾地には流民の中から働きの良かった者に与えられ、村を構成し土着していく。
犬山でも次々に新しい村が出来ており、担当の土居清良はかなり忙しそうだった。
近く増員してやらねばと恒興は思う。
外は既に冬らしい寒さが到来しつつある。
この冬の訪れまでに今年の移住者の家屋が全て完成したという報告を受け取り、恒興は満足して屋敷に帰った。
そして帰って直ぐに熱い風呂に入るべく浴場に向かう。
まだ本格的な冬ではないが、外に居たため体が冷えていたのだ。
因みに風呂は出掛ける前に沸かしておくよう伝えておいた、今日は寒いと分かっていたからだ。
「おお、寒い寒いニャー。今年は寒くなるのが早いニャ。こういう時は熱い風呂に限る。まずは掛け湯っと・・・」
桶に湯を入れ、手に掛け暖を取ろうとする恒興。
この冬の寒さが恒興に一刻も早い暖かさを求めたのかも知れない。
だがその水の温度は恒興の予想とは全くの逆であった。
「・・・冷たい。沸いてないじゃニャいか!」
恒興は手拭いで下半身を隠して、浴室にある勝手口から出る。
出て直ぐ傍に風呂焚き用の釜戸があるので様子を見る事にしたのだ。
そこには14、5くらいの少女が番をしていた。
恒興はその少女に見覚えはなかったが池田家従者の家の娘なのだろうと思った。
池田邸で働く女中や小者は池田家従者の家族が多いからだ。
ここは信用出来るかどうかが問題となる。
「おい、何やってるニャー!風呂が沸いてないぞ、どうなってる?」
「えー?おっかしいわね、私はちゃんと沸かしたわ」
恒興はおそらく釜戸の番をやっている少女に事情を聞く。
少女は否定するが本当に冷たいのだから調べなければならない。
「いや、実際冷たいって。火が消えてるんじゃないのか?」
「そんな事ないって。釜戸、見る?」
「ん?ああ、見るニャー。全くウソだったら承知せ・・・」
恒興は釜戸を開けて中を覗く。
そこにはやはり火は点いていない・・・だけではなかった。
火が点いていない釜戸の中にはとても達筆な字が書かれた1枚の板があった。
その板に書かれていた言葉がコレである。
『アホが見ーる、ブタのけーつ』
ここにきて恒興は自分がからかわれている事をハッキリと認識した。
「いい度胸してるじゃニャいか。ニャーが誰だか判らん訳ではニャいだろうに」
恒興は脅しを掛ける様に凄みを利かせるが、少女は全く意に介さない様な笑みを浮かべる。
「アハハ、アホが見ーる」
そして指を指しながら笑う。
その挑発行為にブチギレた恒興は少女を捕まえようと走り出す。
「テメエは
「待てと言われて待ってるアホはアンタくらいよ。じゃあねー」
ここに少女と恒興の追い掛けっこが始まった。
キッチリ
だが恒興は根性で少女と同じぐらいの速度を出して見せた。
そんな感じで庭を爆走していく二人をある人物が目撃する。
「あら、あの子は・・・」
廊下を歩いていた恒興の母親・養徳院である。
彼女は逃げる少女と追走する裸に手拭い一丁の恒興を目撃してしまう。
養徳院は少女に見覚えがあり直ぐに理解した、またイタズラかと。
だが直ぐに彼女が恒興にイタズラを仕掛けるは何故だろうと思う。
彼女は決して理由の無い相手にイタズラをしたりはしない筈だと。
そして養徳院はある人物を思い浮かべ、確認のために池田家従者を使者に出すのだった。
行き先は前田家、前田利家の正室である松の所であった。
因みに恒興が手拭い一丁で走り回っている件に関しては見ていない振りをする事にした。
恒興の名誉のために。
止めようにも既に走り去ってしまったという事情もある。
「アッハハ、遅い、遅い!」
「待てやあああァァァー!!いてもうたるニャァァァー!!」
『いてもうたる』とは関西弁で『逝って貰う』と『いてこます』が合わさったものだという、本当だろうか。
二人のデッドヒートは激しさを増し、遂には池田邸を飛び出す。
庭先で仕事の相談をしていた加藤政盛と飯尾敏宗もその光景を目の当たりにして驚く。
何せ自分達の主君が手拭い一丁で城下町へ走って行こうとしているのだから。
「ちょ、殿!?」
「殿、その格好はマズイですぞ!?」
政盛と敏宗は慌てて恒興の後を追い、何とか捕まえる事に成功した。
だがその間に少女の方は何処かへ走り去ってしまった。
「おのれぇ、何処の娘だニャー」
二人に止められた恒興もようやく冷静さを取り戻す。
確かにこの格好で城下町を走ったら大惨事になりかねないし、城主の面目にもキズが付きかねない。
「政盛、今の娘を知っているか?」
「いや、見たことないな」
「え?従者の家族じゃニャいのか?」
釜戸の番はいつも従者の家族だったので、あの少女もそうなのだろうと恒興は思っていた。
「殿、従者の家の者達は把握しております」
「私も敏宗もこの屋敷の警備を担当しておりますので」
昔から政盛と敏宗はこの池田邸の管理をしているので従者の家族も把握している。
政盛は主に恒興の取次や伝令を担当し、敏宗は警備を担当している。
となると外部の人間が入り込んでいたという事になるので捜査は難航しそうだと恒興は思う。
同時に警備体制の強化を政盛と敏宗に言い渡すだった。
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池田家で騒動があった翌日、養徳院は訪れた先の寺で前田家正室の松と会う。
昨日の一件の事情を聞くためである。
「養徳院様、まずは彼女の行いを詫びさせて下さい。大変申し訳ありませんでした」
「いいのですよ、それほど害は有りませんでしたし。でもイタズラはイタズラなので後で『般若心経』の書き取りでもさせましょうか」
「それで彼女の事ですが、実は前田家の事情も絡んでおりまして・・・」
松の口からは現在の前田家の状況が語られる。
それは恒興が焚き付け、利家が前田家を継承したことに始まった事である。
一応佐々成政も同罪なのだが、有名税なのか恒興の名前ばかり強調される破目となっている。
「成る程、前田家の内情はそんな感じなのですか。恒興にしては迂闊な事をしたものですね」
「それでどうしたものかと。このままでは取り返しがつかない事になりそうで」
「そうですね。それでは一芝居打つとしましょうか。お松、協力して貰えますか?」
「は、はい。もちろんです」
養徳院は一計を案じた。
自分、恒興、前田家、そしてあの娘にとってこれが最善となるだろうと考えたのだった。
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後日、利家が松と少女を伴って池田邸を訪れた。
利家達を座敷に通し、恒興、母・養徳院、妹・栄、そして美代と藤で出迎える。
何故栄や美代、藤まで来たのかは恒興にも謎だが、よく知る利家と松だからいいかと思う。
利家と松、そしてつい最近見た少女が恒興に対し土下座で謝罪していた。
と言っても少女は利家に頭を押さえ付けられ強制的にであったが。
そう、その少女はあの時釜戸で恒興をからかった者であった。
「スマン!勝三、この通りだ」
「又左、そいつはもしかしてお前の縁者かニャー!」
「お前も頭を下げて謝れ!」
「うるっさいわね!触んないでよ、バカが移るでしょ!」
利家が隣に座る少女の頭を押さえ付け下げさせようとする。
そのとんでもなく気の強そうな少女は押さえ付ける利家の手に抗っていた。
一見して年の頃は13~15歳くらいと見える。
だが利家でも押さえ付け切れない力はある様だ。
(誰ニャんだろ?利家に妹っていたっけ?)
「慶次!お前というヤツは!とっとと謝らんか!!」
「け、慶次!?お前、前田慶次郎利益ニャのか!?」
「人のこと、フルネームで呼んでんじゃないわよ!はっ倒すわよ!」
前田慶次郎利益。
前田蔵人利久の養子で滝川一族と言われている。
本来なら前田家の後継者となるはずだったのだが、利家の当主就任によりその話は無しにされてしまった。
そのため彼女はそれを主導したと噂される恒興に仕返しをしたと言うのが今回の件らしい。
「それで利家殿はお慶にどの様な責任を取らせるのですか?」
今回の事件の真相と動機は解ったので、養徳院は慶に下される罰を利家に問う。
流石にここまでやって無罪放免はないだろう。
「そ、そうですね。まず土蔵に放り込んで飯を抜いて1週間反省させ・・・」
「利家殿、それは女の子にする対応ではありませんよ」
「そうですよ、あなた。お慶ちゃんが可哀想です」
利家が行おうとしている罰の内容を聞いて養徳院は眉をしかめる。
どうやら彼女は利家の行動を容認出来ない様だ。
更に利家の妻である松も養徳院に賛成する。
「いや、コレは女の子なんて生易しいものじゃ・・・」
「利家殿がそういう態度だから、お慶も反抗的になるのですよ。もっと彼女の事を考えるべきです」
「いや、コイツ元々反抗的ですし・・・」
養徳院の言葉に反論する利家。
利家としては池田家当主である恒興に手を出した慶を厳しく罰しなければ、恒興の面子に関わると思い言っているだろう。
だがどうにも論点が違うなと恒興は思う。
利家は慶への罰を言っているだけだが、養徳院は慶の扱いについて論じている様に聞こえる。
次第に利家を見る女性陣の目が冷めたものに変化しているのを恒興は感じていた。
そして反論を続ける利家に対し養徳院は少し溜め息をつく。
「ふう、そうですか。ではお慶はこの池田家が預かり、立派な淑女に育てましょう」
「まあ、それは良いお考えです、養徳院様。お慶ちゃんも安心できるでしょう」
「うむ、流石母だ」
養徳院の提案に松と栄が賛意を示す。
美代と藤は慶と面識がないので意見は言わないが賛成の様である。
おそらく利家の対応が不満なのだろう。
だが突然話が明後日に向いて全力疾走しだしたので恒興は驚愕する。
(何ぃぃぃーーー!!?どっからそんな話が出てくるニャァァァーーー!!って言うか隙あらば他人の娘養育しようとするの止めてぇぇぇ!ここは当主であるニャーがハッキリ言わねば!)
「母上!」
「恒興、よもや反対だとは申さないですね」
反論しようとする恒興に養徳院の目がギラリと光る。
その眼光に恒興は本能的に畏縮してしまう。
「はい、・・・母上様の御心のままに」
(ヤバイィィィーーー!!条件反射的に勝てねぇぇぇーーー!!)
恒興が母親に勝てる訳が(ry。
だがこれは親子だからが理由ではないのだ。
「お言葉ですが養徳院様、これは前田家の問題であります。前田家当主たる、この利家の手で厳しく罰し
利家が珍しく持って回った言い回しで養徳院の提案を断る。
珍しく強気な利家に恒興は仄かに期待する。
(おお、又左が珍しく頼もしいニャー!がんばれー!)
恒興は心の中だけでエールを送り、養徳院vs利家の激戦が幕を開ける。
「利家殿、貴方は私に借りが有りましたよね。今すぐ返して頂いてもよろしいでしょうか?」
「ぐふぅっっ!!?」
そして一瞬で撃沈した。
利家は以前、織田家勘当中に松とお腹の中にいた娘共々池田家で世話になっていた事がある。
その時に必ず恩を返すと養徳院に誓っていたのだ。
(あ、ダメだニャ。又左じゃ普通に勝てんな。ていうか織田家中で母上に勝てるヤツなんているのか?下手を打つと最終的に信長様が出てくる訳で、どう考えても織田家最強ニャんですけど)
恒興の母親である養徳院桂昌は織田家先代信秀の側室で、現当主信長の乳母でもある。
そして信長は幼少から実母である土田御前に可愛がって貰えず、更に弟の謀反の影響により関係は未だに疎遠となっている。
そのため信長に『母親の愛』を教えたのは養徳院であり、彼女の事を実の母親以上に慕っているのである。
信長が養徳院に対し色々と贈り物をしているのもそのためだ。
そして養徳院も信長の贈り物は受け取る様にしている、それは純粋な好意だからだ。
因みに恒興がよく借りている母親の茶器一式は信長からの贈り物である。
なのでもし養徳院が助けを求めれば、信長は即座に動いて彼女の味方になるだろう。
つまり養徳院桂昌という母親は恒興がどれだけ頑張ろうが最初から勝てる相手ではないのである。
「よろしいですね、利家殿?」
「しかし、そのぉ・・・」(助けてくれー!勝三ー!)
「・・・」(諦めろ、どうしたら母上に勝てるのかニャーが教えて欲しいわ)
という訳で恒興は利家を見捨てた。
勝ちの目が一切無い戦いに挑むほど『謀将』池田恒興は愚かではない。
うん、愚かではないのだ。
「利家殿?」
「・・・は、はい。よろしくお願いします・・・」
利家はそう発言するだけでやっとという感じで
「お慶、よろしいですね。戻ったら荷物を纏めて犬山に来なさい、部屋は用意しておきますよ」
「はいっ!養徳院様、お世話になります!」
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早朝、雲一つ無く、寒い冬に珍しく麗らかな日和。
鳥達の
恒興はこの一時を大事にしたいと願う。
この豊かで、自由で、贅沢な時間を大切にしたいと・・・・・・思いたい、目の前の庭で頭に美を付けてもいい少女と池田家一の暴れ馬が格闘していなければ。
「浜風、今日こそアンタを私のものにしてみせるわ」
慶は横から浜風の首にネックロックを仕掛け、そのまま地面に抑え込もうとしている。
浜風はそれに何とか抗い立ち上がろうとしているが、徐々に抑え込まれつつあった。
(しかも14の少女の方が勝ちそうだなんて・・・朝っぱらから何ちゅうもんを見せるんだニャー)
「慶お姉ちゃん!浜風が死んじゃうよ!」
「ちょっと、孫六!危ないでしょ!」
厩舎の方から孫六が走ってきて、慶と浜風の間に入り込もうとする。
おそらく出勤して浜風が厩舎にいない事に気が付いただろう。
ただ幼児である孫六が慶と浜風の格闘戦に巻き込まれると危険なので恒興は止める事にした。
「はいはい、二人共(と一頭)、そこまでだニャー」
解放された浜風はゼェゼェと荒い呼吸で孫六の元に辿り着く。
彼の前でうつ伏せに倒れ込んだ浜風を、孫六は優しく撫でる。
「おお、よしよし。浜風、よしよし」
「あと少しだったのに」
「慶お姉ちゃん、やりすぎだよ!」
珍しく孫六が声を荒げる。
それくらい浜風を心配しているのだろう。
弱々しく孫六に甘える浜風を見て恒興も心配になってくる。
「そうだぞ、お慶。大体浜風はニャーの馬だ」
「どうせ乗れないじゃない」
「うっせーニャ。孫六、浜風を休ませてやれ」
「はい、お殿様。おいで、浜風」
孫六は浜風を引いて厩舎へ連れていった。
厩舎の寝藁で寝かせるためである。
「やり過ぎだ、お慶。孫六に嫌われても知らんぞ」
孫六は馬に好かれている、浜風だけではなく池田家にいる全ての馬に。
今や孫六は池田家厩舎において一番居て欲しい人物になっている。
「何よ、浜風から私に突っ掛かってきたんじゃない。だからどちらが上か教えてやろうと思ったのよ」
「その発想が既に少女じゃねーギャ。全く一体どんな力をしとるのか」
「なら勝負してみる?私が勝ったら浜風を頂戴するわ。そっちが勝ったら何でも言うことを聞いてあげる」
「別に興味ないニャー」
(面倒くせぇニャ。ニャーは昔よりも頭脳労働派だから腕っぷしに自信ないし)
前世においては武功を自らの手で稼いでいた恒興ではあるが歳を取って気付いた。
部隊長以上になると武芸以外にもっと身に付けなければならない物があると。
その記憶をここに持ってきてしまったために恒興はあまり武芸を磨かなくなってしまっていた。
今は強い護衛を探して雇いたいと思うほどである。
「そういう事なら!殿、この俺がお相手しようと思いますが如何でしょう!」
突然二人の前にゴツい男が現れる。
まるで言い出すタイミングを計っていた様に。
「誰よ、コイツ?」
「池田家親衛隊長の渡辺教忠だ。通称『池田家一影が薄い男』」
「通称が酷い!」
渡辺教忠。
土佐一条家の一族で、南伊予西園寺家攻略の布石として渡辺家の養子となった。
・・・が、一条家当主兼定が毛利元就&小早川隆景を相手にして大敗北、九州大友家まで逃げたため後ろ楯を失う。
その後、反一条家となった西園寺家より追い出され戻るも一条家は崩壊、土居清良と共に尾張に来た。
「ま、何でもいいわ、コイツに勝ったら浜風くれるのね」
(そんな約束した覚えもニャいが、・・・ニャーの静かな朝を取り戻すためか。教忠の腕っぷしを見るいい機会かもニャー)
恒興はまだ教忠の強さを見たことが無かった。
部隊指揮が良いのは知っているが、親衛隊なのでいざという時には武芸も必要だ。
今回はそれを見極める良い機会だと思った。
「わかった、勝てたらニャ」
「よし!約束よ!」
「フッ、この渡辺教忠に勝てるかな?」
教忠はファイティングポーズを取り、軽やかに慶との間合いを詰める。
そして必殺の闘法を頭の中で組み立て実行に移す。
(ふっ、合法的に美少女とくんずほぐれつくんずほぐれつ!!合法的に寝技に持ち込む!!)
「・・・おるぁぁっ!!」
だがそんな思惑など微塵も知らない慶の気合いの一言と共に繰り出された正拳突きは、恐ろしい速さで教忠の
端から見れば少女が繰り出した正拳突きなど大した威力ではないと見えるだろう。
だが教忠の体は『く』の字に折れ曲がり、そのままの態勢で吹き飛ばされて庭の端の土壁の塀に激突した。
そして教忠は「あふぃゅぅ」とかいう、よく分からない断末魔の言葉と共に果てた。
「ちょっと、コレが親衛隊長なの?流石に冗談でしょ!」
「その冗談で面白いところは、それが冗談ではないってとこかニャー」
恒興は明後日の方向を見ながら冗談にならない冗談を口にする。
この結果は恒興にとっても全く笑えない。
「まあ、いいわ。これで浜風は私のもの、初陣が楽しみね」
「は?お前が出陣する?何でだニャー?」
「何でって、そのために池田家に来たんじゃない。あのバカ叔父の元で戦いたくないのよ。大体武功を稼いでも全部バカ叔父に持っていかれるでしょ」
慶にとってここで世話になるために池田家に移籍することは正に願ってもない事だった。
彼女は前田家の後継候補だったので利家にとっては要注意人物なのだ。
だから利家は養徳院に抗っていたのだ、慶次を自分の監視下に置き続けるために。
「いやいやいや、他家からの預り娘を戦場に連れていく訳にはいかんニャー」
「ふーん、池田家の親衛隊長さんよりは強いつもりよ」
(・・・教忠、テメエ一発KOなんてされやがって。しかもニャんか邪念に満ちた顔してたし。宗珊に言い付けて鍛え直してもらうか)
「はぁ、わかったニャ。しょーがねーニャー、無理すんなよ」
「よっし!じゃ、欲しい槍と具足があるんだけど、お金出して」
慶が欲しがっているのは『皆朱の槍』である。
柄が全て赤い「皆朱の槍」は戦場でかなり目立つため、家中において最も武勇に秀でた者だけが持つ物とされる。
これを慶が持てば池田家の猛者が慶次に勝負を挑むだろう、初陣すら済ませていない者が『皆朱の槍』など許されんと。
まぁ、もれなく教忠と同じ目に遭わされるだろうなと恒興は思う。
ただ『皆朱の槍』は家中の最強が持つべき高級品なので前田家の居候に過ぎない慶に買える訳がない。
「何でニャーがそこまでせにゃならんのニャ!」
「酷いわ!女の子を丸腰で戦わせる気なの!?養徳院様ー!」
「ニャアアアァァァ、母上を喚ぶんじゃねえええぇぇぇ!!分かった、わかったから!!」
恒興が母親である養徳院に勝てる可能性は限りなく0ではなくただの0である。
そのため彼女を呼び出されたら確実に負けるだけなので恒興は降参した。
「毎度あり。ありがとね」
「うう、余計な出費がー」
「心配しなくても損はさせないわ。まぁ、見ててよ」
恒興は知っているのである、この慶が如何に強いか。
年齢はかなり若いが強さ自体が全く変わっていない様なので、出費分は戦場で返してもらえばいいかと思う。
そしてもう一つ知っている事がある、これも恒興の前世の記憶だ。
それは利益の不遇さである。
実は前田慶次郎利益は晩年になるまで武功が殆ど無いのである。
早くから活躍し織田家中でも上位にいる武辺者と皆から認識され、槍を片手に暴れ回った利益に武功が無いなど信じられるだろうか。
その答えは前田家にあって利益の武功は一切記録されず、全て利家の物になっているのである。
それは利家にとって家督継承候補だった利益に活躍されると困るからが理由の一つ。
派手な活躍をされると利益を担ぐ人間が現れるかも知れないのだ。
特に利家と相性の良くない家臣ならそうするだろう。
また、信長が寵臣である利家可愛さにその行為を容認していたという事もある。
普通は部下の武功を正当に認めないのは一家の当主失格だし、騒動の種にも成りかねない。
だが家族一族なら話は変わる。
家族であるなら武功を当主のものにして優遇措置だけ貰うという図式は成り立つ、これが理由の二つ目。
豪族や家臣の一族はそうやって惣領の当主に武功を集めて、お家の発展を図るのである。
この場合の優遇措置は当主の胸先三寸となる。
因みに大名のレベルになれば兄弟親族でも真っ当に評価される傾向にある。
これが並び立つ兄弟武将は家臣レベルでは極度に少なく、大名レベルではとても多い理由となっている。
つまり慶は前田家に居る間は邪魔者扱いで如何に武功を挙げても認められないのだ。
ならば前田家を出ればいいのだが、事はそう簡単ではない。
まず間違いなく織田家中での再就職は不可能、皆が利家に憚ってしまうからだ。
そして養父である利久を見捨てて他家に仕官する事も出来ない。
慶は前田家で飼い殺される人生しか残されていなかったのだ。
あの『前田慶次』が晩年、何にも囚われず雲の様に生きたのはこの前半生のせいかも知れない。
何をしても自分は報われない、ならば好きに生きようと。
だが前田家においては武功を数えて貰えなくても、池田家ではそうはいかない。
慶は池田家の一族ではないので、恒興は普通の家臣と同じ様に彼女を評価しなくてはならないのだ。
そしてイタズラの件について問い質す気は既に無い。
恒興が利家を焚き付けたのは事実だし、それを急ぎすぎたが故に前田家では内紛状態に突入しかけているのである。
現在の前田家では荒子城代・
今はまだ利家も話し合いで解決しようとしているし、奥村も武装して立て篭りまではしていない。
なのでまだ前田家臣という立場で派兵には応じてはいる。
だが彼等は前田家の正統な当主は利久で嫡子は慶だという意見を崩していない。
当然利家はそれを認める訳が無いので、最終的には戦になるかも知れないのだ。
利久や慶は奥村達を説得しているがこれも上手く行っていない。
こうなると利久や慶は前田家を出て奥村の大義名分を消した方がお家の為と言えるのだが、彼等の行き先は何処にも無いのだ。
そして鬱屈した日々を過ごしていた慶は、首謀者と噂される恒興にイタズラを仕掛けたそうだ。
確かにこれは恒興の不手際と言われても仕方の無い事だろう。
恒興は前世で利家が上手くやっていたので、前田家の内情を調べずに焚き付けてしまったのだ。
だが松から事情を聞いた養徳院は慶の不遇な運命を無理矢理引き剥がした。
彼女にしては珍しく強権を使ったものだと恒興は思う。
そして養徳院は恒興に松からの情報を伝え、この縁を利用して前田利久も池田家に引き入れたらどうかと提案した。
確かに慶が池田家に居るなら、父親の利久が来てもおかしくはない。
多少強引だが。
そして今の利久は前田家当主でもないので、利家の許可と慶の縁があれば池田家移籍は可能だと思われる。
そして利家に反抗している家臣は抵抗の大義名分を失い、恒興は元前田家当主経験者という得難い人材を手に入れる。
恒興は時々、自分の母親はとんでもない策士なのではないかと思う。
それを知ってか知らずか恒興に損はさせないと言う慶はとても良い笑顔をしていた。
「ああ、そうそう。母上から今回のイタズラの罰として『般若心経』を100回書いて提出するようにってさ。頑張れニャー」
「・・・嘘よね?」
これを聞いた慶はとても良い笑顔がひきつっていた。
「お前はニャーの母上が冗談を言うと思うのか?」
「お願い!手伝ってよ!」
「断固断るニャー!!」
そう宣言して恒興はささやかな仕返しを成功させた。
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【あとがき】
養徳院さんの性格はこの小説の創作です。
本来当主の母はこんなに出しゃばってはいません。(正室は家中NO.2なのである程度OK)
これが遠因となって豊臣家が滅んだとも言えます。
つまり淀君の出しゃばりによって大名の豊臣離れが加速したということです。(細川忠興さんはこれを『お袋様専制』といって批判した)
だけど・・・この小説は歴史じゃなくてファンタジーコメディだからいいよねと開き直るべくのすけであった。
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