外伝 関東戦国 其の六

 本陣から出た風魔小次郎は俯いて歩いていた。その顔は暗く生気が無い。自分は任務に失敗してしまったのだ。その咎は風魔衆全体に及ぶ。

 忍の世界は結果至上主義だ、過程など評価されない。結果として北条軍は関宿城攻略を失敗して撤退。玉縄衆は北条綱成負傷という被害を出してしまった。全ての責任が風魔衆にある訳ではないが、相応の報いはあるだろう。それは風魔の里を衰退させる事になるかも知れない。


(このままじゃ風魔の立場が……)


 風魔の忍には主家の役に立って、風魔の里に恩恵をもたらす義務と期待がある。それを自分は裏切ってしまった。その自責の念がどこまでも小次郎をさいなんでいた。


(確かにもっと早く伝える事は可能だった。でも玉縄衆は間に合ったかどうか)


 もっと早く報せるべきだったとは、小次郎も思う。だが玉縄衆の速さは想定以上であり、多少急いだくらいでは変わらなかったはずだ。拙速を尊ぶ北条綱成の強さと統率力が、今回は仇となった感じだ。


(小太郎兄ぃの治療をしなければ、なんて言うつもり?そんな……)


 一番時間を要したのは兄である風魔小太郎の治療だ。しかし治療をしない訳にはいかなかった。自分以上に医療が出来る忍は風魔衆にはいないのだ。相手が悪過ぎた、真壁氏幹はそれ程の強さをしていた。


(小太郎兄ぃ、大丈夫かな)


 小次郎は兄の状態が気になった。骨は軽く見ても2、3本は折れていた。血止めはしたが傷もだいぶ酷かった。置いてきた兄の所には風魔衆の誰かが駆け付けたとは思うが、小次郎は一刻も早く見舞いに行けねばと思う。

 そう考えている彼女の前に一人の男がやってくる。


「お嬢、ここに居ましたかい。心配しやしたよ」


 その男は風魔衆の忍で嘉助という。立場的に下忍であり、風魔衆の長の屋敷の雑色でもある。小次郎とは主の娘と使用人といった気安い関係でもある。もしかしたら小太郎の事を知っているかも知れないと思った小次郎は嘉助に尋ねる。


「嘉助か。兄さんは?」


「……」


「嘉助?」


 小次郎の問いに嘉助は黙って俯く。その様子を見て小次郎は焦って再度尋ねる。


「残念ですが、もうダメでやした……」


「……っっく!」


 ダメだった。その言葉に小次郎は愕然とする。彼女の中でいろいろな物がガラガラと音を立てて崩れていく。やはり離れるべきではなかった。しかしそれでは任務放棄になってしまう。

 結局、何が正解だったのか。自分は任務に失敗して風魔衆の信用を失墜させた。その上で兄まで失った。何故こうも世の中は自分を苛む。誰のせいだ?そうだ、全てを狂わせたのはあの男だ。アイツさえ、アイツさえいなければ、こんな事にはならなかった。


「あ、お嬢、何処へ!?」


「決まっている!あの男、菅谷政貞を殺す!」


 もう覚悟は決まった。自分に失うモノなど何もない。その目に狂気を宿して少女は標的の名前を口に出す。


「無茶ですよ!」


「無茶じゃない。奴等はきっと戦勝に浮かれている。奴を殺せば御本城様の悩みの種も減るというもの。良い事づくめよ」


「しかし」


「このままでは風魔衆の地位も危ういわ。私はやる。嘉助は報告だけしておいて」


「あ!お嬢!」


 小次郎は走り去る。彼女が本気で走れば嘉助では追い付けない。もう何も失うモノが無い自分だ。ならば最後に北条氏康の役に立って死のう。菅谷政貞がいなくなれば、きっと氏康も喜んでくれるだろう。兄の仇討ちにもなって、一石二鳥ではないか。

 敵はおそらく何処かで酒宴でも開くだろう。そこに給仕として潜り込むのだ。男ならば厳しく調べられるだろうが、女は緩い。忍道具や毒は持ち込めないだろうが、刃物でも現地調達すればよい。もう小次郎の頭には菅谷政貞を殺す以外の思考は無くなっていた。


 ---------------------------------------------------------------------


 関宿城の戦いの後、菅谷政貞は利根川 (現在の江戸川)の河口部にある葛西城に来ていた。今回の戦勝を祝ってくれるとの事で菅谷政貞は息子の政頼と佐竹義重、太田資正を連れて来ていた。今回は里見家が参戦出来なかったので、里見義堯が企画したのだ。参戦は出来なかったが里見家も同盟を主導する立場だと内外に示したいのだろう。突っぱねて仲間外れにしても不利益しかないので招待を受ける事にした。

 利根川に大きな屋形船を浮かべて会場としている。川を眺めながら談笑しようという趣旨らしい。船上で里見義堯は一行を笑顔で迎えた。


「菅谷殿、今回は非常に助かった。感謝している」


「いえいえ、里見殿も無事な様で何より」


 里見家が動けなかったのは家臣の反乱があったからだ。こちらにも北条家の調略が展開されていたらしい。その鎮圧で里見義堯は動けなかった。更には親北条家勢力である千葉家も動いていたので時間が掛かった様だ。全ては関宿城に里見家を来させない為の謀略だろう。


「佐竹殿も大活躍でしたな。あれ程の鉄砲を揃えているとは度肝を抜かれましたぞ」


「いつまでも北条氏康を調子に乗せておく事は出来ませんから」


「佐竹家嫡子がこれ程頼もしいとは、御父君の義昭殿が羨ましい限りだ。これからも里見、佐竹、小田が中心となり関東を守りましょうぞ」


「ええ、もちろん。若輩の身ではありますがよろしくお願いします」


 次いで里見義堯は佐竹義重を褒め称える。義重は他所行きのスマイルで答える。ちゃんと他所行きの外交顔が出来るんだなと政貞は驚いた。格好も男装の麗人という感じで、これが常陸国に戻ると男の娘になるとか信じられない。というか、最初からそれで応対してくれと政貞は心の中だけでツッコミを入れておいた。

 挨拶を済ませると船内で談笑食事会となった。菅谷政貞はちょっと飲み過ぎたなと席を立つ。そこに太田資正が話しかけてきた。


「よう、政」


「資正殿か。息子さん、捕まえたんだってね」


 今回、関宿城南側で戦った太田資正は息子である太田氏資が率いる岩槻衆を撃破した。その際、逃げ遅れた息子を捕縛したのだ。現在は太田資正預かりで小田城に送られている。


「ああ、俺の預かりにしてもらって済まないな。あんなんでも息子だからな、しっかり反省させるつもりだ。しかし岩槻城は流石に押さえられたが」


「氏資殿もはっきり理解ったと思うよ。氏康くんが欲しいのは彼じゃなくて岩槻城だけだったって」


「バカなヤツだ。捨て駒にされてるのに気付かないとは」


 太田氏資を捕まえる事には成功したが、北条氏康は迅速に岩槻城に兵士を送り制圧してしまった。名目は城主不在につき治安維持を引き継ぐとなっている。普通に制圧されたと見ていいだろう。実力行使以外では返ってこない。


「これからどうすんの?もし良かったらこのまま小田家の客将でいるかい?」


「有難い話だが、葛西城の太田康資殿の厄介になろうと思う。岩槻城奪還の策を練りたいんだ。それは小田家の迷惑になりかねん」


「そうかい」


「だが小田家が北条家と戦うなら様なら呼んでくれ。力になるぞ」


 太田資正は岩槻城を取り戻す為に、葛西城の太田康資を頼る様だ。つまりこのまま残るという事だ。自分が居る事で北条家の名分になりたくないのだろう。ただ対北条家であれば協力してくれると約束してくれた。


「その時は頼らせてもらうよ。さて」


「何処かへ行くのか?俺は里見殿の馳走に預かるつもりだが」


「ん、ちょっと外の風に当たってくるわ。持ち上げられ過ぎて肩が凝った」


「ははは、後で来いよ。北条撃退の主役が居ないんじゃ白けるからな」


「まだ人を肴にしようってかい。やれやれ」


 外の風に当たってくると政貞は資正に別れを告げる。船内から甲板に出ると菅谷政頼が立っていた。彼は宴会に慣れていないのか、居所無さそうに立っていた。真面目な彼はあまり馴染めないのだろうか。


「親父、何方へ?」


「頼か。ちょっと夜風に当たりたいだけだ」


 政頼に軽く会釈して政貞は甲板に出る。外は既に夜、大きな満月が煌々と甲板を照らしていた。それを船際で見つめながら政貞は一人思考に耽る。


(ふぃー。ギリギリだったが何とかなったな。しかし圧倒的不利には変わりがない。やっぱり強いよ、北条家は)


 今回の関宿城攻略戦は勝った。いや、北条氏康が一旦諦めただけだ。しかし、また彼が関宿城を狙う事は分かっている。今度はどんな計略を使ってくるのか、次も防げるのだろうか。心配の種は尽きない。


(局地的に勝っても、まるで意味がない。関宿城で勝っても北条家はほぼ無傷。それどころか戦果的には北条家の大勝といっていい。やはり北条家を倒すには圧倒的な力が必要、か。結局、上杉殿が動けるかどうかがカギになってしまうな。はあ、嫌になってくるね)


 局地的に勝っても北条家との差は埋まらない。それどころか着実に離されている。小田家をはじめ反北条家連合は未だに防戦一方だ。結局、戦況を覆すには強大な力が必要なのだ。そして、それを持つ人物は現状では上杉景虎、ただ一人だ。

 自分達がどれだけ頑張っても北条氏康には勝てそうにない。八方塞がりな現状に政貞は宴会という気分にはなれなかった。


(どうやったら氏治ちゃんを守れるのかねえ。……ん?)


「政貞様、里見様からです。御一献どうぞ」


「あー、俺、酒はいいわ。里見殿には礼だけ言っといて」


 一人思考に耽る政貞に徳利とっくりを持った少女が酒を勧めてくる。どうやら里見義堯かららしい。あまり気分が乗らない政貞は勧めを断るが、少女はお構いなしに近付いて来た。


「そう仰らないで下さい。末期まつごの酒ですので!」


「あ、あれ?」


 少女が徳利を落として身体をぶつけてきたと思ったら、脇腹の辺りに焼ける様な激痛が走る。一瞬、何が起こったのか政貞には理解出来なかった。


「菅谷政貞、兄の仇だ。死ね」


「き、君はあの時の……」


 政貞は気付いた。この少女はあの時の毒使いの忍であると。脇腹を短刀で刺された政貞は力無く後ずさり、甲板から川に落ちて行った。


(ああ、俺はまたやっちまったのか。やり過ぎれば恨みを買う。あの娘を絶望に堕とす程に。だが俺は他にどうすれば良かったんだ?いったい誰が悪いんだ?俺か?あの娘か?小田家か?北条家か?それとも時代なのか?もう分かんねえよ)


 川に落ちた菅谷政貞はこれが自分の最期かと悟った。小田氏治を守る為に頑張った挙句がこの最期なのかと。自分は何処で間違えたのか。自分はどうすれば良かったのか。善悪すら判らず、自分は最期を迎える。誰が良く、誰が悪いのかも分からない。時代が悪いと言ってしまえば、それが一番楽だとさえ思う。


「ははは、あはははは。やった、やったよ、小太郎兄ぃ」


「貴様、女ああぁぁぁ!よくも親父を!!」


「ぎゃああっ!」


 風魔小次郎は狂気に満ちた嗤い声を上げていた。それ以外を気にする事も無く。だから怒りに満ちた菅谷政頼の接近に気付かず、無抵抗のままに背中から斬られた。そして彼女も川へと落ちて行った。


(馬鹿野郎、頼、斬るんじゃねえよ。その娘がそんな目をする様になったのは俺のせいなんだよ)


 政貞は甲板の上で刀を振るう政頼を見た。何かを叫んでいるが、もう聞こえない。力も入らない。政貞はただ背中を斬られて落ちる少女の事だけが気になった。


(神様でも仏様でもいい。この娘だけは生かしてやってもらえんかね。頼むよ……俺はもう疲れちまった)


 川の流れの悪戯か、娘の身体は政貞の近くまで流れてきた。薄れる意識の中、政貞は娘の袖を掴んで引き寄せた。既に意識のない娘を抱きかかえ、政貞は流れに身を任せた。そこまでが彼の限界でもあり、二人はそのまま利根川に流されて行った。


「誰か!手を貸してくれ!親父が川に落ちたんだ!!」


「何だと!?手の空いてる者は川舟を出せ!必ず見つけるんだ!」


 菅谷政頼は川に飛び込もうとしたが、既に政貞の位置が分からなくなっていた。これは人手が要ると判断し、助けを求めた。政貞が川に落ちた事を知った太田資正や他の武将も急いで川舟を出して大捜索を行った。しかし菅谷政貞の行方はようとして知れなかった。


 ---------------------------------------------------------------------


 江戸湾某所。

 北条家との戦が一段落した事で房総水軍も平常運転に戻った。とはいえ、溜まっていた荷物を急いで運ばねばならず、彼等は大忙しだった。房総水軍の岡本随縁斎も大事な取引先へ荷物を運んでいる最中であった。

 戦の影響もあり、今回の荷物は遅れに遅れていた。このままでは取引先の商人から怒られかねない。今回の相手は特に勢いのある商人で金払いも良い。絶対に失いたくない取引先なのだ。多少、寄港先を減らしてでも急がねばならない。そんな風に彼が焦っているというのに、何故か船が停まった。しかも海のど真ん中で。

 何事だ!と怒声を上げながら、岡本随縁斎は甲板に出た。


「くぅおらぁぁ!テメエら!何を勝手に船停めてやがる!」


「あ、親分、実はですね……」


「誰が親分だ!『カピタン』と呼べ、カァァピタゥゥーンと」


「かぺたん?何ですかい、それ?」


「かぺたん、じゃねえ!カァァピタゥゥーンだ!南蛮言葉で『船の長』を意味するんだ!」


「さすがは親分、博識ですなー」


『カピタン』というのは船長を意味するスペイン語である。イタリア語なら『カピターノ』、英語なら『キャプテン』と変化する。


「だからカァァピタゥゥーンだっつってんだろ!それで、何で船を停めた?」


「あ、それなんですがね。海に人が浮いてたんで」


水死体どざえもんなんか拾ってんじゃねえよ」


 身元不明の水死体は昔から土左衛門どざえもんと隠語される。名前に意味は無く、一般的な名前を付けて呼称しているだけだ。英語圏でも身元不明な男性の遺体を『ジョン・ドゥ』、身元不明な女性の遺体を『ジェーン・ドゥ』と呼称している。これと同じ話だ。


「いや、それが、動いたって言うヤツがいて。拾ってみたら本当に生きてまして。どっちも重傷ですけど」


「は?二人もいんのか?」


 岡本随縁斎は素っ頓狂な声を上げてしまう。ここは海のど真ん中だ、そこに重傷の人間が浮遊して生きていた。しかも二人。説明を聞いても信じられないくらいの奇跡だ。どう考えても生きている様な状態ではない。

 随縁斎は物珍しさと好奇心、水夫が嘘を言ってるのではないかと疑いながら見に行った。甲板の水夫達が集まっている中心に見知らぬ男女が寝かされていた。


「コイツらか」


「へい」


 随縁斎は二人の首筋に手を当てる。たしかに息をしている感覚が手に伝わってくる。


「驚いたな、本当に生きてやがる」


「どうしましょう、親分。もう一回、海に放り込みますかい?」


「バカヤロウ、それじゃ俺達が殺した事になるだろうが。手当てしてやれ。あと俺の事はカァァピタゥゥーンと呼べ」


 二人の生存を認めた随縁斎は水夫に治療を命じる。男は脇腹に短刀が刺さったままだ。これが栓となって失血を防いだと見られる。生きているという事は短刀は奇跡的に臓腑を傷つけなかったのだろう。引き抜けば出血すると思われるが、治療体制と整えてからなら大丈夫な筈だ。

 女は背中に斬り傷。だが出血は少ない様で、しかも傷口が塞がろうとしている様子だった。


「いいんですかい?」


「ああ、それに見ろ、この刀を。コイツはかなりの名刀に違いない。これだけでも船賃としてはお釣りがくるわな」


 彼とて慈善事業をするつもりはない。男の腰にある刀を見て取り上げる。その刀を僅かに抜いて、随縁斎はほくそ笑む。これは自分の持つ刀よりずっと上等な物だと一目で分かったからだ。調べてみないと詳細は判らないが、おそらくは名刀の類。彼の主君である里見義堯に献上すれば喜んでもらえるだろう。そう思うと随縁斎の顔も緩んでしまう。


「成る程、じゃあ何処かに寄港しますかい、親分」


「馬鹿野郎、ただでさえ荷物が遅れてるんだ。これ以上遅れたら加藤の旦那に怒られちまう。ソイツらは手当てして船倉にでも放り込め。生きるか死ぬかはソイツら次第だ。だからカァァピタゥゥーンと呼べっつーの!」


「へい、そのように」


 とはいえ、彼に時間は無い。この船の荷物を待っている商人がいるのだ。加藤図書助という熱田の豪商が。金払いの良い上得意先なので、これ以上怒らせる訳にはいかないのだ。二人は治療だけして船倉に放り込む事にした。


「おら、とっとと船動かせ!熱田に急ぐぞ!」


「「「へい、親分!」」」


「カァァピタゥゥーンだーっ!!テメエら、呼ぶ気ねえな!!」


 船の甲板に岡本随縁斎の絶叫が響き渡る。誰も自分の事を『カァァピタゥゥーン』と呼んでくれない悲しみの叫びが広い海に木霊した。


 ---------------------------------------------------------------------

【あとがき】


 や、やっと終わった、ニャー。_(:3 」∠)

 7、8話になる勢いでしたが、随所を短縮しました、ニャー。あと1話残ったけど、それは『閑話』として後に書きます、ニャー……_(:3 」∠)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る