土居宗珊

 摂津国堺津。

 西側に海、南北東を土居川・内川という人工の堀で囲まれる防衛機能を備えた都市。

 昔から貿易港として栄え、今では南蛮貿易の一大拠点となっている。

 堺は瀬戸内水運の湊でもあるが実はもう一つある。

 それは琉球方面から土佐湾を通って直接堺に来る南蛮船の航路である。(海難事故が多く、後年騒乱の種になる)

 この国内の水運と海外の海運により堺は日の本一の商業都市に発展した。

 それ故色んな勢力から狙われるが堅牢な堀と傭兵によって守りきっている。

 現在の堺は多数の豪商達が軒を連ね『堺会合衆』を形成し自治を行っている。

 今の堺に攻撃を仕掛けると商人から取引してもらえなくなるので、誰も手が出せなくなっている。

 恒興と藤は無事堺に到着。

 堀に架かる橋から入口に設けられた検問へ、ここで簡単に調べられ堺の中に入れる。


「ここが堺やで。どや、旦那様」


「おお、商家で一杯だニャー。道も整備されて整ってるし綺麗だ」


「お武家さんの感想やなー。もっと店の品がきらびやかやとか美味しそうな匂いがするとかないんか」


 一応恒興は前世で堺に来ているので目新しいということはない。

 ただ津島で慣れすぎているため、差を感じずにはいられないが。


「六兵衛さん達は天王寺屋の倉庫に行くんやて。うちらは先に店に行こ、お爺様も待っとるで」


「そうだニャー。まずは挨拶、見て廻るのはその後だニャ」


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 藤に案内されてきた場所には一際大きな商家があり、天王寺屋の看板がとても目立つ様に掲げられていた。

 そして客には見えない人ばかり沢山出入りしていた。


「ああ、あの人達は小売りの商人やねん。ウチに仕入れに来とんのよ」


 恒興が不思議そうな顔をしていたのが解ったかの様に、藤が回答する。

 藤が言うには此処は天王寺屋の取引所になっており、小売りの店舗は別にあるらしい。

 そんな説明を受けながら店に入ると、待ち構えていたように天王寺屋の当主・津田宗達が出迎えてくれた。


「おお、よくおいでに下さった、婿殿。お藤も元気やったか?」


「お初にお目にかかります。池田勝三郎恒興と申します」


「お祖父様、お久しぶりです。うちは元気でやっとるで」


(・・・いや、ニャーはあんたの婿じゃないんですけど)


「まあ、まずは旅の疲れを落とすとええ。婿殿には後でワシの刀剣コレクションを見せたるで。この手の話をお藤にしても反応がつまらへんからなぁ」


「当たり前やん、それ。何でうちが刀見て喜ばなあかんの。旦那様も適当に付き合うとき」


「あはは・・・」


(こっちの人って矢継ぎ早に喋るから付いて行くのが難しいニャー)


「あれ、お母さんは?どこ行ったん?」


「ああ、お彩さんか。何でも助五郎が桑名にデカイ倉庫を造る言うてな。暫く帰れん言うから桑名へ行ったで。入れ違いやったなぁ」


「そっかぁ。ま、桑名ならええわ。近いし」


「そういえば桑名の件、婿殿が助五郎に教えてくださったんやろ。助かりましたで、ホンマ」


「あ、いえ、お役に立てたようでなによりですニャ」


「旦那様、はよ奥行こ。家の中、案内するで」


 藤に家の中を紹介されたが、かなりの広さがあり覚えきるのは難しい。

 最低限、滞在部屋と厠の位置が解ればいいだろう。

 そして夕食後、義祖父の宗達が自慢の逸品を嬉しそうに説明するのを恒興は大人しく聞くことにした。

 最初こそ聴いているだけだったが、かなりの逸品揃いで恒興も興奮してしまった。

 特に『古備前鶯丸』まで所有しているには驚いた。

 その中に恒興が愛刀とした同じ古備前の『備前包平』はなかったが、宗達は探しておくと言ってくれた。


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 次の日は藤の案内で堺を廻ることにした。

 恒興には手に入れておかないといけない物があるからである。


「コレなんかオススメやで」


 藤と入った店で出てきたのは外側が茶色く、中が黄色い物だった。


「南蛮のお菓子、『カステイラ』や」


「ほほう、カステラか。・・・甘っ!?あ、でもお茶と合うニャー」


「せやろ、お茶請けとしても人気なんや」


 コレは是非とも買って帰らねばと恒興は思う。

 ただ賞味期限の問題もあるので最終日に買おうと決めた。

 後は砂糖菓子の金平糖や砂糖飴の有平糖なども購入することに決定した。

 砂糖は日の本には無い調味料で、『甘い』という味自体珍しいものだ。

 これくらい土産物を持って帰れば大丈夫だろう、無論信長の分だけではなく家族や家臣に配る分も購入しておく。

 一先ずはこれで任務の一つを終わらせた二人は土居川沿いを天王寺屋に向かっていた。

 歩いている途中何かが落ちる大きな水音がして、近くの人達が騒ぎだしていた。


「た、助けて!!」


 恒興と藤が声のした方へ行ってみると数人が寄って来ていた。

 その場所の堀に幼い少女が落ちているのが確認出来た。


「あ、あの子、溺れとる!?」


 堀はかなりの高低差があり、集まった町人達も手をこまねいている様だ。

 恒興は柵を乗り越え、飛び込む構えを取る。


「任せるニャ!今行くぞ!」


「旦那様、あかんで!今行ったら・・・」


「"庄内川の河童"と呼ばれたニャーに任せろ!とうっ!」


 恒興は幼少の頃から信長に連れられ、いたる場所で水練に励んだ時期がある。

 それ故、泳ぎには人一倍自信があった。


「やばっ、お嬢ちゃん!"足着くで"!!」


「「え?」」


 この藤の一言で少女は落ち着きを取り戻す。

 そして川底に足を着けて立ち上がる。


「あ、ホントだ」


 土居川は流れが殆ど無いので少女は流れに足を取られることもなかった。

 で一方の恒興だが・・・川底に頭から落ちた。

 何しろ身長1mに満たない程度の少女の膝上くらいまでしか水位がないため、水面から川底まで30~40cm程度であろう。

 明らかに高所から飛び込んでいい水位ではない。


(おかしい、何故こうなるニャー)


 幸いなのか藤の一言を恒興は素早く理解した。

 なので咄嗟に受け身の体勢をとって前転の要領で衝撃を緩和出来た。


「旦那様ー、大丈夫やった?」


「お、おお。とりあえず上に登るニャ」


 恒興は少女を背負い堀を登ろうとするが結構な傾斜があり上手く登れなかった。

 まあ外敵進入阻止のためにあるのだから当然だが。

 結局近くに住んでいる人が縄を持ってきてくれたので登ることが出来た。


「ゴメンな、もっと早ゆうとくべきやった。土居川はな、川やないんや」


「流石にニャーにも解った、水がショッパイからな。これは海水だギャ。堀に海から水を引いているのか」


「そうなんよ、だから土居川には満ち潮と引き潮があるんよ。今は引き潮やったから」


 だから藤には少女が立てると解った訳だ。

 それで恒興を止め損ねたことを謝罪していた。


「いや、別にお藤のせいではないニャ、完全にニャーの先走りだ。・・・で、お前は何で堀に?」


 恒興が少女に問い掛ける。

 少女はおそるおそる口を開いて喋り出す。

 どうやら怒られると思っている様だ、当然説教は必要だろうが。


「お爺ちゃんに買ってもらった簪が落ちて、それで」


「危ないやん、あかんで。あの堀は深いんよ、満ち潮やったらホンマに溺れとるよ」


 珍しく藤が怒った顔をしている。

 彼女が怒っているのを目にするのは恒興も初めてかも知れない。


「・・・だ、だってぇ・・・だってぇ・・・」


 藤に叱られて少女は涙ぐむ。

 恐らくこの様子では簪は拾えてないだろう。

 溺れていたのだし当然だが。


「まあまあ、お藤。ニャーがもう一回降りて、簪探してくる。引き潮の内にな」


「本当!ありがとう、ニャー侍さん」


 恒興がそう提案すると、先程まで泣きそうだった少女の顔がパッと明るくなる。

 余程大切な簪なのだろう、そして恒興は全く別の事が気になっていた。


(だから何で10歳以下はニャー語を・・・)


 とりあえず気を取り直した恒興は堀に降りるため集っている町人達に協力してもらうことにした。


「そこの人たち、スマンが縄を頼むニャ」


「お侍さんが行くんか?」


「ああ、もうずぶ濡れだからニャ。もう一回濡れても変わらん」


「傾いてるねえ、お侍さん!」


「うるせーニャ。お藤、刀だけ預かってくれ。あんまり濡らす訳にはいかん」


 恒興の刀は勢州村正という刀である。

 値が張る訳ではなく、安い部類に入るがその割りに質が良いと評判である。

 この刀を作る刀鍛冶『村正一派』は伊勢国桑名を拠点にその周辺で刀を売っていた。

 なので全国的にはマイナーで『地域で愛用されている』程度の知名度しかない。

 言ってしまえば無印良品である。

 愛用者は尾張・伊勢・美濃・三河の下級武士に多い。


「まかしとき、しっかりな」


 その後縄で堀に降りた恒興は川底を探る。

 流れは殆ど無いので流されてはいないはずだが見付からなかった。

 上から藤と少女と町人達が見守る中、恒興は捜索したがそれらしい物はなかった。

 そして恒興が諦め顔を上げた時、土手に刺さっている簪を見つけてしまった。

 恒興は川底を探していた自分は一体何だったのだろうと考えてしまうが、そもそも川に落ちたとは誰も言っていない。

 また自分の早とちりかと恒興は凹む。


(なんか今日はいいとこ無しだニャー)


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「ありがとー、お侍さん」


 堀から上がった恒興が簪を渡すと少女は嬉しそうに受け取る。

 そして少女は恒興にお礼を言うと駆け寄って来る人物を見付ける。


「あ、お爺ちゃんだ」


「申し訳ない、孫を助けて頂いた様で。町の方から聞いて参りました」


 少女の祖父は坊主頭に豊かな髭を蓄えた人物で、年齢的には50代くらいと見られる。

 おそらくは既に出家しているのであろう。


「ああ、御祖父殿ですか。気にしないでくださいニャ」


「お嬢ちゃん、もう堀に落ちたらあかんで」


「うん、ごめんなさい」


 藤は少女の頭を撫で、優しく言い聞かす。

 少女も素直に謝り、一見して仲の良い姉妹に見える。

 ・・・藤自体が若いので母親には見えない。


「まあ、保護者も来たことだしニャー達も帰ろう。・・・て言うか体が冷えてきた、風呂入りたいニャ」


「せやな、お嬢ちゃんも風呂入るんやで」


「お待ちくだされ。後でお礼に伺いますのでお名前を・・・」


「天王寺屋で池田の名を出せば分かるニャー。そこの世話になっとるから」


 恒興は軽く居場所だけ伝えて、藤と家路を急ぐ。

 日差しが暖かくなってきたとはいっても、まだ泳ぐには早い。

 風邪をひかない内にさっさと風呂に入るため、その場を後にした。


「天王寺屋か」


 恒興達が去った後、少女の祖父が独り呟く。


「お爺ちゃん、どうしたの?」


「いや、何でもないぞ。早く帰って風呂にしよう」


「うん」


 彼もまた少女を抱えて家路を急いだ。


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 翌日、宗達の茶室に客が来ているとのことで恒興も宗達と客のもとへ急ぐ。

 件の家臣の紹介である。

 その者は宗達が匿っている中でもかなりの大人物らしく、「婿殿もびっくりするで」と自信満々だった。


「婿殿、お風邪などは召さんかったか?」


「ご心配をお掛けしましたニャー。お陰様で大丈夫でした」


「それはええことや。お客人の前で風邪では格好付きまへんよって」


 恒興は帰ってから直ぐに風呂に入れたおかげで風邪をひくことはなかった。

 だが土居川は海水だったため、刀の手入れはかなり面倒になってしまった。

 そんな感じの話をしながら二人は茶室に到着し、中に入って客に挨拶する。


「お待たせして申し訳ありまへんな、宗珊殿」


「いえ、お構い無く・・・むっ!?」


「お初にお目に掛か・・・あれっ!?」


 恒興も顔を見た途端に気付く、昨日の溺れかけた少女の祖父だった。


「どないしたんや、二人共」


「貴方は昨日の・・・池田殿でしたな」


「は、はい。ニャーは織田家家臣池田勝三郎恒興です」


「土居宗珊と申します。土佐一条家の元家老で現在は隠居爺をやっております」


 土居宗珊、土佐一条家家老。

 一条家にその人有りとまで言われる才人で、土居一族の大人物として大変人望がある。

 兵の統率から内政外交に至るまでをこなし、正に家の大黒柱と言える人物である。


「なんや、二人は知り合いやったんか」


「宗達殿、実は昨日・・・」


 昨日の顛末を宗珊が宗達に説明する。

 つまり何故恒興がずぶ濡れになったかである。


「成る程やでぇ、それで婿殿がずぶ濡れで帰ってきたんか。ワシも得心がいったで、ハッハッハ。こりゃ紹介の手間が省けましたわ」


 それを聞いた宗達が破顔して笑う。

 恒興は自分の早とちりで堀に飛び込んだとはとても言えなかったため誤魔化していたのだ。

 なので恒興はちょっと恥ずかしかった。


「それでどないでっしゃろ。ワシは宗珊殿がこのまま埋もれていくのは惜しい思うてんのや。どうかウチの婿殿の力になってくれへんやろか」


「実は仕官の件ですが、断りにきたのです」


「あきまへんのか?」


 宗珊は神妙な面持ちで語りだす。

 その表情はよく考えた末に出した答えであることを如実に表していた。


「某は土佐一条家家老として全てを賭けて励んだつもりでした。ですが結局は兼定様の信頼を得られませんでした」


 土居宗珊は幼年で一条家の当主になった兼定の教育係として彼を指導してきた。

 だが兼定は成人しても口うるさく指導してくる宗珊を次第に疎む様になる。

 そして宗珊の反対を押し切って伊予へ侵攻、仲の良い宇都宮家に合力し河野家と相対する。

 だが河野家は中国毛利家から援軍を得て迎撃、一条・宇都宮連合軍は完膚なきまでに敗北した。

 これを見た長宗我部元親が一条家から独立、犬猿の仲である本山家への攻勢に出る。

 更に南伊予宇和郡の西園寺公広が兼定の退路を遮断。

 兼定は土佐には帰らず正室の実家である九州大友家まで逃げた。


「え?しかしですニャ、まだ本拠地は落とされてませんよね?」


「ええ、某も防戦の準備をしていたのですが。どうも敵方から某が裏切ったと流言を流された様で」


 恐らくは毛利家の離間策だろうと宗珊はいう。

 そのことを他の一条家家老達に咎められ、さらに平素から長宗我部元親と親交があったことも災いして家中の統制権を渡す様に迫られた。


「それからは城を明け渡し、ここで匿って頂いた訳です」


 現在の一条家は三人の家老によって運営されていたが専横が過ぎ、家臣の反乱で家老が討たれるなどグダグダの極みだという。

 そして長宗我部元親は喜び勇んで勢力拡大に勤しんでいる。

 宗珊の退去に当たって長宗我部元親からは熱心な勧誘を受けたが固辞したようだ。


「某が主家を潰したも同然。武士として生きていく自信を失ってしまったのです。お話は有り難い事ですが、どうか他の方に・・・」


(宗珊殿は家老として相応しい実力があるはず。恐らくだが彼が一条家を仕切っていれば当主の帰還まで粘れただろうニャ)


 家老として相応しい実力というのは能力だけではない。

 一族や部下を沢山持っていることも条件の一つだ。

 例えば林佐渡や佐久間出羽は一族惣領として多数の一族・部下を持つ。

 それを林家や佐久間家のためだけではなく、織田家のためにも使っている。

 つまり林佐渡と佐久間出羽は大派閥の長でもあるのだ。

 家老とはこういう人物でなければ務まらない、個人的な才能や技能よりも部下を扱う能力と人数が重視される。

 その上で家老本人が優秀であるに越したことはない。

 だからこそ恒興は宗珊を説得しようと思った。

 彼は西土佐や南伊予に広く土着している『土居一族』の大人物なのだ。

 恐らく彼が声をかければかなりの人数が集まるだろう。


「宗珊殿は主家を潰した等と仰るがニャーの意見は逆です。宗珊殿が頑張ったからそれまでお家が保てた、そう思います」


 毛利家で離間策の様な謀略を使ってくる人物は恐らく毛利家当主・毛利元就ぐらいだと恒興は思う。

 つまり戦場に来てすらいない宗珊を恐れたのだ、宗珊なら一条家を立て直すと。

 また後に四国一の大名になる長宗我部元親も宗珊を欲しがった。

 ここからも彼の高い能力が窺える。

 もし一条兼定が彼を信頼していれば一条家はもっと発展していたかも知れない。


「一条家のご当主は宗珊殿の話にもっと耳を傾け、危険を避けるべきだったと思いますニャ。まあニャーもあまり人の事言えた立場ではありませんが」


「せやな、婿殿も短慮で堀に飛び込んだらあきまへんで」


「そうでしたな、貴殿も意外と無茶をなさる方だ」


 孫娘の事を思い出した様で宗珊はフッと微かに笑った。


「・・・この戦国乱世に幼子一人救うために堀に飛び込む殿様とは稀有な方にお会いしたものだ」


「宗珊殿、ニャーは未だ未熟者です。どうかご指導頂き支えてほしいのです」


「この宗達からもお願いしますわ。どうか婿殿を支えてやってはくれへんやろか」


 宗珊の表情に変化が現れた事で、恒興は頼み時と判断した。

 深く礼をして教えを乞いたいと願う、それを見た宗達も恒興に続いて礼をする。

 少し考え込むような仕草をした宗珊はやがて意を決したように返答する。


「・・・良いでしょう。孫を救ってもらった恩もありますし、ここまで買われては断れませんな」


(やった!!翻意させたニャ!・・・しかしあの早とちりの飛び込みがここまでの縁になるとはだニャー)


「では、これより殿と呼ばせて頂きます。堺での身辺整理が出来次第、尾張に向かいます」


「池田家の家老として迎えるニャー。給料は一千石出すので、出来れば部下を集めてくれると助かるニャ」


 恒興にとってはかなりの出費と言えるが、それだけ宗珊が集める人材に期待しての禄高である。

 どちらにしても大庄屋がいない分の千8百石は管理不能、なのでこれが8百石になれば、現状でも何とか管理可能だろう。

 あとは宗珊がどれほどの部下を集めてくれるかにかかっていると言える。


「了解しました。故郷の元部下達に声をかけます。・・・とその前に。殿の御身は玉体なのですぞ、軽々しく堀に飛び込むなど言語道断。それで病気や怪我などをされては・・・くどくどくど」


(あ、はい。お説教からなんですね)


「ワ、ワシは店が気になるんで、ほな」


(義祖父殿が逃げたニャー!?)


 2時間後


「・・・いいですか、殿の身に何かあればお家は存亡の危機なのですぞ。一刻も早く正室をお娶りなさって後継者を・・・くどくどくど」


(長ぇ、何時まで続くんだニャー。あと正室の問題はニャーのせいではないんですけど)


「殿、聞いておりますかな!?」


「はい!聞いておりますですニャー!」


 この後更に2時間続いた。恒興は兼定の気持ちが少しだけわかった気がした。


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 大和国信貴山城

 この城の城主・松永弾正少弼久秀は奇妙な客を迎えていた。

 奇妙というのはこの人物は摂津の城に軟禁されていた筈だからである。


「弾正殿、このままで良いのでおじゃるか?手をこまねいておれば取り返しのつかない事態になるでおじゃるよ」


「いきなり来て何を言っとるんじゃ、お主は。摂津で幽閉されとるのではなかったのか」


 一体誰がこの男を解放したのかも気になるが、ここに来た以上何時でも捕らえることが出来る。

 久秀は特に焦ることもなく受け答えしていく。


「もう誰もそんな事気にしておらんでおじゃる」


「わしは気にするわい。送り返してやろうかの」


「そして三好家は足利義輝のいいように使われていくと言う訳じゃな。そちらがお望みなら仕方がないでおじゃる」


「ぐっ・・・まだ、そうと決まった訳では」


 晴元の指摘に久秀は言葉を詰まらす。

 晴元の言う事に心当りがあるからだ。

 それは三好家の後継者・三好義重の事である。

 彼は三好家相続の証として現将軍足利義輝から『義』の字を偏諱され義重と名乗る事になった。


「松永弾正ともあろうものが『偏諱』の意味を知らんのでおじゃるか?あれは本来『烏帽子親』の事でおじゃるよ。つまり三好家の新当主は義輝を親とせねばならんのでおじゃ」


 男子が成人に達して元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親に為って貰い、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例とされていた。

 この仮親を烏帽子親と呼び、被せられた成人者を烏帽子子と呼んだ。

 また、烏帽子親が新たな諱を命名する場合があった。

 その諱を烏帽子名という。

 その名は烏帽子親からの偏諱を受けることが多くなった。

 これが偏諱の元であり、この儀式を『加冠の儀』という。

 平安期からある因習なのだが戦国期には偏諱だけが多用されている。

 あと加冠の儀を行うのは大名の嫡男くらいになっている。


「世迷言を・・・。そんな古臭い因習が通用すると思うか」


「その古臭い因習を利用せねばならないのは新当主の義重殿の方でおじゃ。何しろ彼は元服したばかり、実父も養父も存在しておらんではないか。確たる地盤も家臣団も持たぬ若造がどうやって三好家を統べるのでおじゃる」


「・・・・・・」


 三好家新当主の義重は前当主の長慶の息子ではない。

 彼の実父は長慶の弟・十河一存であり、彼が事故死した後長慶が養子として引き取った。

 当初は実家である十河家を継ぐ為に養育されていたのだが、長慶の嫡子・義興の死に際し嫡子となる。

 だが長年嫡子としての地歩を固めていた義興と違い、義重の相続は全くのイレギュラーで何の準備もされてなかった。

 そもそも彼は父・十河一存の家臣団を引き継ぐ予定だったのだから。

 義重は三好家では権力基盤が存在せず、家中の統制などまず無理である。

 ましてや彼は未だ12歳の子供なのだ。

 だから彼は幕府権威を欲しがった、家中の統制のために。

 だがそれは幕府将軍・足利義輝の部下になることでもある。


「幕府権威を欲しがっているのは義重殿、正に義輝の思いどうりでおじゃるなぁ」


「どうしろと言うんじゃ、お主は」


「教えて差し上げればいいのでおじゃ、義重殿に。そんなものは幻想だと、この世は確たる力が支配するものでおじゃると」


 晴元は正に悪魔の囁きの如く久秀に話し掛ける。

 ただ久秀も晴元の狙いは解っていた。

 彼は自分を嫌う義輝を廃し、新しい将軍の元で返り咲こうと言うのであろう。


「麿が力を貸して進ぜよう」


「何を言うかと思えば、今のお主に何が出来るんじゃ?」


「京の都の警備に穴を開けてやるでおじゃる」


「何!?」


「寺衆と交渉して悪僧を派遣してもらうでおじゃ。京の都の至る所で騒ぎを起こさせるでおじゃる」


 悪僧とは悪事を働く僧侶という意味ではない、力自慢の僧侶という意味である。

 そもそも『悪』という字は『力強い』を意味するのであって今の『わるい』を意味するわけではない。

 なので名前の通称に『悪』が入っている武将は力自慢をしていると考えていい。


「その隙に待機させといた軍を入京させて・・・でおじゃる」


「お主に協力する寺があるのか?」


「麿は寺衆とのパイプならいくらでもあるでおじゃるよ。ただ今回は寺衆からも嫌われておる義輝のこと、そんなに難しい交渉ではないでおじゃ。あの男は一事が万事、強引でおじゃるからな」


「いくら寺衆でも将軍殺しの片棒は担がんと思うがな」


「寺衆にとってはただ無軌道な悪僧が京の都で暴れただけでおじゃろう?片棒も何もないでおじゃるよ」


(コイツ、我らだけに泥を被れというのか。・・・だが悔しいがコイツの言う通りじゃ、このままでは三好家の何もかもを義輝に奪われてしまう。やるしかないのか)


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 後日の土佐にて。

 その青年は元の主君であった土居宗珊からの手紙を受け取っていた。


「お前はどうするんだ、宗珊様からの誘い」


 同じく手紙を受け取っている同い年の渡辺教忠から問われる。


「私は行ってみようと思うんだ。ここに居ても何も出来そうにないし」


 土佐一条家の内情は日を追うごとに酷さを増している。

 専横が原因で三人の家老が討ち果たされた事件の後、一条家は仕切るものがいなくなり混迷を極めている。

 なので家臣達は各々独自の行動をとっており、既に大名家としての統制は全く無い。

 その状況の中、長宗我部元親が積極的な活動を開始。

 本山家や安芸家を下し、土佐中部に大勢力を築く。

 今では長宗我部家に付こうという者達も多数現れているのが土佐の現状だ。


「そうかもな、お前が行くなら俺も行こうかな」


「いいんじゃないかな、何人か行くみたいだし。・・・と、じゃあ日記帳も纏めて荷造りしないと」


 青年はその日の出来事や学んだ事等をずっと日記に書き留めていた。

 彼にとってその日記は学んだ大事な事を忘れないための大切なノートであった。


「あの日記、まだ書いていたのか。マメだなぁ」


「意外と便利なんだよ。じゃあ後で合流しよう」


「おう、遅れんなよ」


 教忠と別れ、引っ越しの支度を済ませるためその青年・土居清良は自宅へ向かった。

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