恒興の嫁取り・・・未遂
「はぁ、気が重いニャ」
恒興はため息をつく、とうとう来てしまったのだ。
津島会合衆との茶会が。
誰が来るか、何があるか予測もつかないので不安になるのは当然だろう。
恒興は加藤政盛を伴に付け向かっていた。
その様子に心配した政盛が声を掛けてきた。
「殿、大丈夫ですよ。取って喰われるわけではないんですし」
「気楽に言ってくれるニャよ、政盛。この役目、失敗したらと思うと」
二人は既に津島の入り口に来ていた。
津島は町全体が塀に囲まれており、入り口が制限され関所のようになっている。
入り口では屈強な男達が出入りする人間を調べていた。
また、町中にも警備員のように巡回している者もいる。
彼等は津島に雇われた傭兵である。
平常時はこういう仕事をして、緊急時は町を守るわけである。
信長はこういった関所の撤廃を推進しているが、津島はほぼ独立勢力なので彼等の好きにさせている。
関所で調べると言っても簡単にであって、余程怪しくなければ入場を制限されない。
恒興達も下馬して入り口に入る。
「津島奉行の池田勝三郎恒興だニャ。津島会合衆に招待されているニャ」
「はっ、お奉行様。お話は承っております。どうぞ中へ」
関所の傭兵はそう言って一礼する。
傭兵に制服はないため、どこぞの山賊みたいな格好なのだが言葉は意外と礼儀正しかった。
そして恒興は関所をくぐり津島に入る。
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この津島は『津島神社』の鳥居前町(門前町に相当)として市場が栄えたのが切っ掛けで形成された商人自治区。
尾張一の市場として昔から有名だった。
だがそんな美味しい獲物を野盗、山賊、大名、豪族が放っておくわけがなかった。
過去に何度も襲撃を受けているため、津島は城のように塀で囲まれ傭兵がいる。
この時代の商人は決して無力な存在ではないのだ。
津島の町中は道が整備され、荷運びの人間が忙しく往来を行き交う。
おそらく各地の市場に運ぶのであろう、現在の津島は商人の拠点、物資の集積地の意味合いが強く、買い物客より荷運びの人間の方が多いくらいだった。
「おっ、来なされたな」
会合衆の茶会会場に行く途中で数人の男達が待ち構えていた。
どうやら真ん中の商人風の男が主人で他は丁稚や使用人のようだ。
恒興と面識のある人間ではないのだが何故か見分けがついているみたいなのだが。
恒興のことをどうやって見分けたのだろうか。
別に特別な服装はしていないし、津島で侍姿が珍しいというわけでもないはずだ。
答えは直ぐにわかった。
「親父!何でここに!?」
恒興の後ろに付き従っている加藤政盛が声を挙げる。
「何でも何もワシは会合衆の一人だからな。別におかしくはあるまい」
「政盛、ニャーに親父殿を紹介してくれないか?」
これは渡りに船だと恒興は思った。
これから見ず知らずの中に一人で行かねばならなかったのが、知己を得て一緒に行けそうなのだ。
一人でも知己がいれば心強さが違ってくるものだ。
しかし世間は狭いものだと感じる、まさか政盛の親が会合衆の一人とは。
「あ、はい」
「いや、息子に紹介されるまでもないですな。ワシは加藤
「おお、貴殿があの熱田一の豪商と名高い加藤図書助殿か。お初にお目にかかる。ニャーは池田勝三郎恒興と申す」
(政盛ー!!お前の親父は大人物じゃねーギャ!!これは先に言っとけよー!!)
「いやはや、池田殿に会えるのを楽しみにしておりました。息子を救っていただいた恩もありますが、犬山の仕掛けをなさったお方ですから。犬山の市場にはワシの支店がありますので、戦禍が小さそうで何よりですわー。あっはっはーっ」
(何か放っておいたら何時までも喋っていそうだニャ。しかし犬山の件が一人歩きしてるみたいだニャー)
「もういいだろ、親父。殿、申し訳ございません」
「いや、構わんニャ。政盛が図書助殿の息子だという方が驚いたニャ。商家は継がんのか?」
「商家は兄貴が継ぐので。私は武士として立身したいのです」
政盛は図書助の三男なので家は継げない。
基本的にどんな身分でも当主になれるのは嫡男、長男、次男、三男・・・の順番になる。(嫡男は設定されていればだが)
これは農家や商家でも変わらない。
農家は後継の総取りとなるが、商家なら家に残って働くという道もある。
農家は後継以外の兄弟は追い出されて流民となる。
「おお、立派な事を言う様になったものだ。ワシのコネで武士になったくせに。あっはっはっ」
「う・・・」
「まあまあ、政盛は役に立ってくれていますニャー。新しい領地の徴税業務を任せようと思っていますニャ」
恒興が治める”池田庄”は大庄屋によって運営されているといってもいい。
それは徴税業務や村々の仲裁を務めることが出来る家臣がいなかったからだ。
なので新しく加増された五百石については大庄屋は置かず、政盛に運営させることにした。
因みにもう一人の家臣・飯尾敏宗は各村々を廻り、戦時に徴兵される若者達を鍛えている。
「それは大役、政盛、しっかり努めるのだぞ。・・・と、いかん。皆を待ちぼうけさせていましたな。では参りましょう」
「よろしくお願いしますニャ」
図書助の案内で会場に向かうことになった。
道中で今回の茶会について話してくれた。
茶会の会場となっていたのは津島商人の大橋屋の邸宅で、主催者も大橋屋の主人らしい。
今回は会合衆の中から五人が参加していると図書助は説明する。
会合衆は持回り制で常時15人が選ばれ自治を行っている。
この為昔は『津島十五頭』と名乗っていたが、熱田の商人も合流したことで『津島会合衆』と改めたそうだ。
津島の名前は外せないらしい。
図書助は一人特別な客がいることも教えてくれた。
「実は今回、堺は天王寺屋の若旦那・助五郎殿が来てましてな。当主の宗達殿にも勝るとも劣らぬ辣腕だとか。この津島にも進出したいのでしょうな」
「それを津島の商人は許すのですかニャ」
「特に扱う品が競合しなければ問題ありませんな。それに信長様が仕入れよとお命じになっている鉄砲も天王寺屋さんなら大量に仕入れ出来るでしょう。東国の交易が中心の津島熱田の商人では中々集められませんからな」
「なるほど、織田家にとっても大事にするべき人物ですニャー」
(そうか、津島会合衆は東国に顔が利くのか。なら、折角の縁だし図書助殿にアレの仕入れを頼んでみるかニャ)
恒興の顔が微かに緩む。アレを沢山仕入れておけば、後々信長が大喜び間違いなしなのだ。
これも恒興の前の記憶がなければ分からない事でもある。
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今回の茶会は顔合わせ程度のもので主人の大橋屋が皆を持て成し、他の者がお茶を回し飲みするくらいで終わった。・・・帰れるわけではないが。
(さっきから茶器がどーだの、茶入がどーの、床の間の掛け軸がー・・・って、ニャーは何時帰れるんだ?)
茶会の後は座談会の場へと変化していた。
まあ、大橋屋の主人も自慢の逸品を出した様なので基本褒めておけば問題はないだろう。
「池田殿ならもっといい茶器をお持ちなのでは?」
「いえいえニャー程度ではここに並ぶ程の逸品は手に入らないですニャ」
当時、陶器はまだ値が張る高級品で、恒興の家でも椀や皿は木製の物を使っている。
銘もない器でも高級品なので銘のある茶器など手が出るわけがなかった。
事実、現在の池田家にある茶器は母親の物だ。
「それはあきまへんな、池田はん。茶の作法をよく知っておられる方が、自分好みの茶器をまだお持ちになってへんのは。何でしたらワテが探してきまひょか」
今発言したのが天王寺屋助五郎である。
歳の頃は30代後半の笑顔が素の表情と言えそうな人当たりのいい中年男性である。
「お好みの柄や形があるなら聞きまっせ。高麗物とか唐物とか、茄子と肩衝はどちらがええでっしゃろか?」
「まあまあ天王寺屋さん、池田殿も自分好みは実際見んとわからんでしょ」
(ナイスアシスト、図書助殿。実際好み言われても分からんニャ。刀なら欲しいのあるけど)
「確かにその通りやな。ワテも今使てる高麗茶碗見つけた時は体に雷でも落ちたんかて言うくらい衝撃を受けましたからなぁ。ま、高うつきましたが」
「そうですニャー。まだまだ未熟者ですので名物は早いですニャ。ゆっくり探していこうかと」
「道理ですな、その際には我々津島会合衆もお力になりますので宜しく御引き立て下さい」
「宜しくお願いしますニャ。本日はお招き頂きありがとうございました」
「いえいえこちらこそ」
今回、恒興は礼を第一とし振舞ったので悪印象は持たれていないという自身はある。
商人だって織田家の人間をバカにしようという意志があるわけではない。
あくまで関係はWIN-WINであり、恒興が礼を失しない限り、商人達も恒興を侮辱したりはしない。
これなら何とかなりそうだと恒興は安堵した。
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茶会が散会になった後、図書助は自分の屋敷に客を招いていた。
今後の取引で仲良くしておきたい人物、天王寺屋の助五郎だった。
天王寺屋が津島に拠点を作るのは東方交易のためで尾張における小売販売のためではない。
彼らの地盤はあくまで堺であり、東方の品を堺に持っていきたいのだ。
なので図書助は天王寺屋から尾張にない珍しい物を仕入れて販売を拡大させたかった。
「いかがですかな、池田殿は」
「中々の好人物と見ましたわ。礼節も整おとるし、信長様の義弟やけど織田家一門衆やない。犬山で示した知略といい、これは奇貨とすべきですわ」
天王寺屋は利益を殖やすため東国との交易路の開拓を望んでいた。
その拠点として選んだのが津島であり織田家だった。
津島に関しては上納金と競合品の調整程度の問題しかない。
あとは織田家との距離感である。
なるべく当主である信長に近い者に取り次ぎしてもらいたいが、近過ぎると害になる。
信長の一門あたりと結んでしまうと天王寺屋が織田家の傘下と見られ、他家との商いに支障をきたす恐れがあるのだ。
その点恒興は信長の義弟ではあるが、織田家一門ではないし身分的にもまだ重臣とは呼べない。
つまり恒興は信長に非常に近いのに適度な距離を保てる最適な人物だった。
「となると、やはりあの手を使われますか?」
「丁度ええのがおるんでそうしよかと。もしかして加藤はんと競合してまいました?」
「いえ、ウチは息子が家臣として仕えているのでこれ以上は。宜しければ場を用意しますぞ」
「・・・加藤はんともええ商いが出来そうや。是非宜しくお願いしますわ。そうと決まれば善は急げや、一週間くらいで戻りますさかい宜しゅう頼んます」
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「殿、本当に申し訳ありません」
加藤政盛が恒興に謝る、彼は今朝からこの調子なのだ。
その理由は父親から政盛に恒興を図書助の屋敷に招けと命じられたからだった。
それで政盛が心苦しく恒興に報告、恒興は快諾したということ。
恒興にとっても図書助との関係を深いものにしておきたいので渡りに船だったわけだが。
「構わんニャー。顔見知りの図書助殿と助五郎殿なら気が楽だニャ」
今回も天王寺屋の若旦那である助五郎が客として来ているという。
尾張に拠点を作るので顔見せに回っているのかも知れない。
忙しい事だなと恒興は思う。
だが堺の豪商である天王寺屋と仲良くするのは、織田家にとって願ってもないことだ。
鉄砲に舶来品、各種名物など信長が欲しい物を沢山仕入れることが出来るはずだ。
「おお、池田殿。よくお出でくださいました」
「池田はん、お久し振りでんな」
「図書助殿、助五郎殿、一週間振りくらいですニャ」
客間に通された恒興と政盛を主人である図書助と先に来ていた助五郎が挨拶で迎える。
恒興は気軽に応じて着座、そして気づく。
この部屋にもう一人いることを。
年の頃は15・6で恒興と変わらないと見られる女性が助五郎の横にいた。
(?女房か?若すぎる様には思うが年の差婚など珍しくないしニャ)
その女性は髪は肩くらいまであり、顔立ち良く美人だと思う。
体型はスレンダー系だが痩せているという印象はない。
女性にしては身長がありそうなのでそのためだろう。
ただその女性の恒興を見る目が多少熱っぽいのは気のせいだろうか。
とりあえず助五郎にその女性の紹介を求めることにした。
「そちらの方の紹介を伺ってもよろしいかニャ」
「ええ、勿論ですわ。コレはワテの娘のお藤いいますわ」
「藤でございます。どうか末永く宜しくお願いします」
「そうでしたか、ニャーは池田勝三郎恒興と・・・今何て言った?」
「藤でございます」
「いや、その後」
「末永く宜しく」
「そこ!・・・助五郎殿、もしかして」
恒興は気づいた、今回は茶会として招かれたのではないことを。
「突然で申し訳ありません。ですがこれからの織田家と天王寺屋さんの関係を考えればこれが最善と見ました故」
「親父、何てことを!」
図書助はすかさずフォローを入れる。
このことは彼も承知の上でこの場を取り持ったのだろう。
「池田はん、別に難しく考える必要はおまへん。側女の一人として置いてくださればええんです」
恒興は少々驚きはしたものの冷静に思考する。
結婚に対し忌避感があるわけではないし、武家にとって後継者を得るためには避けられないことでもある。
相手の見目も良さげで文句もない。
また織田家としても天王寺屋との縁は願ってもないことだ、主君信長も二つ返事で返すだろう。
ここでこの縁談を突っぱねた方が不利益が大きい。
信長にとっても、図書助と助五郎にとっても、そして恒興にとってもだ。
特に信長の落胆は酷いものになる可能性大だ。
天王寺屋は鉄砲の大量発注先に利用しようと計画中なのだ。
信長の不利益が大きいとなれば、義弟たる恒興に断る理由などない。
ないのだが・・・恒興でも何ともならない問題があった。それは・・・。
「あの、ニャー、まだ正室もらってないんですけど」
「「「・・・え?」」」
そう、恒興はまだ結婚してなかった。
問題は正室(正妻、本妻でも可)がいないことだ。
この場合お藤は商人の娘なので武家の正室になるには身分が足りない。
武家の正室になるには武家以上の家柄が必要だった。
然るに側室については制限が無い、娶りたいなら農民の女性でも構わない。
だが正室がいないのに側室をもらうのはOUT。
側室とは本来正室に子供が出来ないのでもらうのであって、側室からもらうのは常識外れと言わざる負えない。
まあ正室は適当に置いといて、好きな側室を囲う大名はが多いことは否定しないが。
あともう少し後年になるとこれも乱れて正室がいないのに側室がいる大名が存在するが今はまだOUTです。
「ええ!?まだ正室がいらっしゃらない!?本当か、政盛!」
「本当だよ、殿はまだ結婚してないよ」
「なんでお前はそんな大事な事を言わないのだ!役に立たん奴め!」
「聞いてもいないのに勝手なことぬかすな、くそ親父!」
「ちょっ、お父さん、話ちゃうやんかー」
「あれー、あれー、ど、どないしよ、どないしたらええんや?」
この狭い座敷で2種類の親子喧嘩が始まってしまい、恒興は一人居場所を無くし心の中で呟く。
(これ、どうやって収めたらいいのかニャー)
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「という相談を恒興から持ち込まれたのだが。どう思う、佐渡」
呼び出された林佐渡は話を聞いて顔面蒼白になる。
林佐渡が藤吉郎の嫁を探しているように、家臣の嫁取りの件は大体林佐渡の仕事だった。
・・・本来は信長の仕事だが。
「ごめん、殿。アタシの手落ちだ、恒興の相手探すの忘れてた!い、今から探してくるよ、何、直ぐ見つかるさ。娘が池田家の正室になれるなら大体の武家が応じるはずだ」
「まあ待て、佐渡。別にお前を責めてる訳じゃねぇよ。大体恒興はオレの義弟、相手はオレが見つけるつもりだったんだ。出来ればオレに利する家と結ばせたいと思ってな」
信長が恒興の婚姻の相手を見つけるのは当然である。
というより主君が家臣の嫁を世話するのは惣領権の一部であり、織田家が池田家を傘下にしている証でもあるのだ。
なので恒興は勝手に正室をもらうことは出来ない、最低でも信長の許可は必要である。
側室については自由で信長は口出ししない。
「例えば?」
「んー、西美濃の稲葉とか」
「嫁が出てくるわきゃねぇだろが!!本当に出てきたら美濃攻略なんざ成ったも同然だ!!」
この稲葉とは西美濃三人衆の一人稲葉良通のこと。
西美濃三人衆とは西美濃で勢力の大きい三家の豪族安藤、稲葉、氏家を指す。
特に稲葉家は西美濃最強と名高い。
「まあ、もう少し考えようってことだ。天王寺屋の娘は必ず恒興に娶らせる。そのように伝えて先方に待ってもらうぜ」
結局藤は花嫁修業という名目で池田家に残ることになった。
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