信長の戦略
「あ~、あかん、焦がしてもうた~」
「大丈夫よ、お藤。慌てないで焦げてない部分を移しましょう」
「はい、お義母様」
現在池田家の厨房ではひと組の母娘が料理に励んでいる。
正確には娘はまだ許嫁なのだが。
結局信長からの裁定案として恒興が正室を迎えたら同時に祝言を挙げるというものだった。
天王寺屋としては織田家との取引、尾張の拠点作りが目的であるのでこれで問題はない。
後は約束を反故にされないように娘を花嫁修業名目で池田家に置いておくことにした。
「それじゃニャーは清洲城に登城してくる。夕刻には戻るニャ」
「あ、そこまで見送ります」
お藤は料理の手を休めて出ようとする恒興に付いてくる。
「早速にも馴染んだようで安心したニャ」
「だって、お義母様、ええ人やん。最初は不安やったけど上手くやっていけそうや」
(ああ、母上も世話する人間が増えて喜んでるよ)
恒興が思うに母・養徳院とは母性の塊の様な人で、嫌っている人間が存在するのだろうかと思うほどである。
そしてその立場もあって恐ろしい程に顔が広く、恒興でも把握しきれない。
まあ、なんにせよ池田家に嫁いびりの可能性は0なのでこのままお藤も馴染んでくれるだろうと期待する。
「犬山攻略の後になるけど、一度堺の実家に挨拶に行こうと思うニャ」
「ほんまに、嬉しいわぁ。よしっ、ウチも堺の案内したるで・・・あ、でも刀とか武具が欲しいならおじい様にゆうた方がええかも」
お藤の話だと天王寺屋現当主宗達は有名茶人でありながら、大変な刀剣コレクターとしても有名らしい。恒興にも欲しい刀はあるものの、恒興自身の身代がまだ低いため手に入りそうにないが。
「いや、お藤に紹介して欲しいのは『甘味処』だニャ」
「ん?甘味好きなん。まあ、色々知っとるけどな」
「別にニャーが好きなんじゃなくて、お土産に買って帰らないと確実にシバかれるニャ」
「・・・誰のことか一発で分かってもうたわ」
・・・お土産を買ってこなかったぐらいで恒興をシバける人間などそうそういない。はっきり言うなら義兄である。
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登城した恒興の行き先は清洲城台所奉行の藤吉郎のところだ。
彼もごく最近嫁が決まり犬山攻略戦直前に祝言の運びとなる。
相手は浅野家の養女『寧々(ねね)』である。彼女は浅野家、実母の反対を押し切って林佐渡の元に単身立候補してきた。
それを受けて林佐渡が浅野家と協議し、浅野姓を名乗らない事を条件にこの婚姻が実現した。
そうなると苗字の問題が出たがねねの実父・杉原定利から案が出された。
定利自身も杉原家の婿養子であり、実家の木下家の姓が浮いていたのだ。
それでこの木下姓の使用許可が出たのだ。
さらに丹羽長秀から『秀』の字を偏諱され、幼名の日吉の『吉』で木下藤吉郎秀吉と名乗ることが決まった。
因みに浅野家はねねの妹『彌々(やや)』の夫・安井弥兵衛が婿養子となることで後継が決まった。
藤吉郎は味噌の入った桶を入念に数えていた。
これらは常備しておく味噌にしては多すぎる数だ。だから彼は入念に数えているのだ、不足があっては兵が敵地で飢えてしまうから。
そう、これらは犬山攻略戦に使う兵糧の一部なのだ。
「精が出るな、藤吉。兵糧は無事集まっとるかニャ」
「池田様っ!すみません、気付かず失礼を!」
「池田様はやめろ、侍になったお前はニャーと対等。同じ奉行だ、勝三でいいニャ」
これは事実である。
まず秀吉が侍になったことで身分の差は無くなる。
さらに奉行に差はないため、これも対等。
例にすると織田家株式会社の社長が信長で奉行は部長といったところ。
つまり食材部の部長が秀吉で津島外交部の部長が恒興である。
この場合、家老達は専務兼別会社社長といったところか。
部将クラスの家臣達は自分の会社(家)を持っており、織田家株式会社の傘下会社ということになる。
本来恒興も別会社の社長なのだがこれは信長と恒興の特殊な関係のため無視しても良い。
というよりこれを無視されていることこそが恒興が特別である証明でもある。
はっきり言うと家の当主が奉行になるのは会社を解体されて部下にされるに等しいので降格と取れる。
普通の豪族家臣なら耐えられないだろうが、信長の役に立つことを至上命題とし絶対の忠誠を誓う恒興は気にもしない。
(藤吉は役に立つ、信長様の雄飛に欠かせない男だニャ。いや役立ってもらわにゃ困る)
「しっかり頼むぞ、織田家の軍団が戦えるかどうかはお前の肩にも掛かっとるんニャ」
この時代で織田家ほど兵站に気を使っていた大名はいないだろう。
それはこの時代の軍政が関係している。
何しろ鎌倉時代は戦争をするには完全に武家の手弁当で参加しなければならなかった。
だから『元寇』で破産する武家が大量発生した。
元寇は防衛戦で恩賞に渡す土地が得られなかったからだ。
この戦国時代、その軍政から大して変わっていなかった、武家が無理しなくなっただけである。
だから兵糧は各家の持ち出しで賄われるのが一般的だった。
だが織田家はその成り立ちから傭兵が多く、コイツラが兵糧を持っていないことなど明白なのだ。
それどころか武器防具も持っていない。
信秀の代は必要に応じて傭兵を雇っていたが、信長はこのやり方は変えた。
清洲城下に長屋を作り住まわせることで傭兵を常備兵にしたのだ。
そこで訓練することで精兵を錬成しようとしているがこれはまだ上手くいってない。
この長屋を『足軽長屋』といい秀吉の住居は此処にある。
因みに織田家に復帰した利家の新居も此処だったりする。
「は、はい!勝三・・・様」
「様はいらんニャ」
「すいません、勝三殿・・・で勘弁してください」
「しょうがねえな、まあいいか。それより祝言が決まったらしいニャ、何時だ?」
「あ、はい。祝言は三日後で仲人は又左さんが引き受けてくれました」
「又左・・・利家か、アイツちゃんと出来るのか?まあ、お松ちゃんがいるから大丈夫か」
恒興にとって三日後は都合が悪かった。
また津島へ行かなければならなかったのだ。
こちらも犬山攻略戦準備で武器防具の受け渡しがあるのだ。
「すまんな、ニャーは仕事で参加出来そうにない。今のうちにおめでとうと言っておくよ」
「いえ、ウチの汚い長屋でやるので申し訳ないです。気にしていただいただけで十分ですよ。ありがとうございます」
恒興は秀吉が管理している蔵を見渡す。
所狭しと味噌桶が置かれており強烈な匂いになっている。
(しかし味噌を見ただけでも多すぎる。今回の行軍規模は9千非戦闘員は1千の1万だ。それを考えてもこの量は3・4ヶ月分はあるはず。落ちかけの犬山にそんな時間がかかるわけ無い、兵力だってオーバーキルだニャ。・・・まさか信長様はそのまま美濃攻略に?)
今回の織田軍の規模は約1万。対する犬山城は2千以下、いや家臣の逃散が続いているので上手く集まるとは思えない。
桶狭間の時3千だったのにいきなり1万に増える理由は豪族のせいである。
桶狭間の戦いに際し彼らの半数以上が戦争拒否を起こして日和見に回ったからだ。
故に桶狭間の際に清洲城に参集した者たちこそ信長が信頼する家臣と言える。
その後桶狭間を大勝利で終わらせた信長は彼らを潰す・・・ことはせず、寛大に帰参を許した。
その彼らが汚名返上を兼ねて多数参加しているのだった。
とはいえ現状での美濃攻略は無謀の一言なので、もしそうなら止めねばならない。
恒興はそう思い自分の仕事に戻るのだった。
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「恒興、準備は出来ていますか?」
夜、夕食を三人でいただいていると養徳院が恒興に質問してくる。
流石に突然準備と言われても何のことか分からない。
恒興が怪訝な顔をしていると養徳院は続け様に話す。
「ほら、三日後でしょう、祝言。」
何故この母が祝言のことを知っているのか、恒興は愕然とした。
そんな情報を知っているということは・・・。
「まさか参加するつもりですか!?」
「当然よ、おねの祝言だもの。お藤と一緒に行ってくるわ」
(どんだけ顔が広いんだニャ、この母は)
「やめてくださいニャ。母上が参加すると新郎と新婦の差が酷いことになります」
「新郎の藤吉郎はん?は農家の出やろ。なら気にしてもしょうないで。新郎の縁者は気後れして出てこんと思う」
この場合の差というのは祝言に来る客の差である。
お藤の言う通り秀吉の縁者は皆農民なので既に不参加を伝えていた、武家が集まる場に行きたくないという正に気後れだった。
なので秀吉の客は仕事場での部下だけだった。
とはいえねねの方も十全に縁者が集まるわけではない。
今回の結婚は浅野家が望んだものではないからだ。
殆ど駆け落ちに近い上に主君信長の命令になってしまったこの結婚には浅野家の親族は歯がゆい想いをさせられた。
このため浅野家側からは少数の参加に止まる。
「いやいや、これ以上酷くするわけには・・・ニャっ!?」
「恒興、私は参加すると言いました。それでも私を止めるというなら・・・本気出しますよ?」
この母親の本気は大変危険である。
何しろ織田家先代の側室で現当主の乳母である彼女はノーアポで信長に会える人間なのだ。
もし彼女が信長に訴えたら、とんでもない雷が恒興に落ちてくるだろう。
やはり恒興はこの母親には勝てなかった。
「・・・結婚祝いを用意します」
「お願いね♡」
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祝言を間近に控えた秀吉の長屋の前に荷車を止める。
かなりの重量になったため恒興だけでは運べず、加藤政盛、飯尾敏宗、池田家従者数人で運んできた。因みに大谷休伯は出張中。
さすがの大荷物に秀吉と利家が驚いて長屋の前に出てきた。
「か、勝三殿、これはいったい」
「結婚祝いだ、受け取れ」
恒興が持ってきた贈り物は荷駄に載せられた米俵5俵、餅多数、酒大樽2つ、干し柿、魚の干物、蒲鉾、筍など相当数である。
少々嵩張ったが実用性を重視したラインナップとなっている。
「これはまた奮発したなぁ。どういう風の吹き回しだ、勝三よ」
「おね殿の分も入っとるからな、ほれ」
恒興が示す先には祝言を喜ぶ養徳院、ねね、松、藤の4人が談笑していた。
この時代女性は中々学問を学ばせてもらえない。
そんな中、養徳院は手習いと称して無料で子供たちの勉強を見ていた。
ねねも松も同時期に手習いを受けていたそうだ。
「又左、すまんがニャーは津島に行かねばならん。政盛を置いていくので母上とお藤のことを頼む」
「任せろ。しかし酒は助かるな、餅も皆に振る舞おう。よし、政盛殿、手伝ってくれ」
「は、はい」
「勝三殿!本当にありがとうございます!」
「気にするニャ。行くぞ、敏宗」
「はっ、お供します」
秀吉は深々と頭を下げ、恒興を見送る。
そんな様子を一人の少年が物陰から見ていた。彼の名は安井弥兵衛という。
今年13歳で秀吉の義弟(予定)である。
私の名は安井弥兵衛といいいます。
今日は私の許嫁の姉の祝言なのですが、はっきり言って私はこの結婚は反対でした。
なぜなら私の義兄となる者が農民上がりなのです、気に入るわけがありません。
義兄となれば関係も深くなります、私としてはもっと出世に繋がるような方を義兄としたかったのです。
そう思っていたんですけど・・・。
「祝言の仲人が”槍の又左”こと前田利家様!『秀』の字を”米五郎左”こと丹羽長秀様からもらう!?結婚祝いの品を”信長様の義弟”池田恒興様から贈られる!!?私の義兄はどんな大人物なんだ!!」
最早私には彼が農民上がりの幸運者には見えません。
これだけの人に評価されているのですから、只のラッキーでは説明できないのです。
彼に付いていけば、彼をもり立てれば私自身の出世に繋がるのではないかと。
浅野家の人々は口々に彼のことを悪しく言いますが、私はとりあえず付いていこうと思います。
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「これで取引成立でんな、婿殿」
「御苦労様ですニャー、義父殿も。しかし鉄砲300丁もよく揃えたもので」
「ま、奮発したちゅうのもありますがな。正味の所は幕府と三好家の争いがなくなって在庫が増えたっちゅうとこや」
「ほう、ではこのまま畿内は治まりそうですかニャ」
「いやー、きな臭いですわ。三好家のあの事件、知ってはりますやろ」
この事件とは三好家当主・三好修理大夫長慶に降りかかった身内の災難である。
まず四男の弟・十河一存が落馬して事故死する。
次は次男の弟・三好実休が戦死。
さらに嫡男・義興が不可解な急病で亡くなる。
これ等でまともな判断力を無くしたのか長慶は三男の弟・安宅冬康を謀叛の疑いありと処刑してしまう。
その後直ぐに謀叛は冤罪だったことが判明し長慶は深く後悔、政治に興味を無くし寝込むようになった。
「で、当主に代わって三好家を差配し始めたのが松永弾正はんと三好三人衆ですわ」
松永弾正とは通称で三好家家宰・松永弾正少弼久秀のことである。
そして三好三人衆とは三好政康、三好長逸、岩成友通の三人のこと。
今の三好家はこの4人により運営されていた。
このためこの4人が長慶とその兄弟嫡男を陥れたのではないかと噂になっていた。
「実際はどうなんですかニャ?」
「ワテはクロかと、証拠はおまへんけどな。ま、証拠なんて出たら長慶はんが処刑してますわ」
助五郎が噂ですけどと前置きして話す。
まず武芸に秀でた十河一存が落馬した上に即死は怪しいという。
次に三好実休が戦死した時は敵の畠山軍に突然紀伊国の鉄砲傭兵の雑賀衆、根来衆が来援したという。
この畠山と傭兵を結び付けたのは誰かということ。
さらに嫡男義興は急死する数日前に松永弾正に会っており、安宅冬康謀叛の訴状は松永弾正と三好三人衆の連名だったらしい。
見事にグレーである。この4人が三好家を手に入れるためにやったと言われてもおかしくない状況である。
「この4人が三好家と和解して勢力を盛り返した足利将軍義輝様と対立しとるんですわ。特に松永はんは将軍様を嫌い抜いておりますよって」
「足利将軍家を担いでいる三好家の家宰が?」
「松永はんとは茶会で何回か席を共にしとりますのでわかるんですわ。あの方は明確な強い力に従うのは良しとするんですけど、あやふやな権威とかはお嫌いなようで」
つまり松永弾正なる人物が三好家に従っているのは、三好家にそれだけの力があると認めているからである。
それに比べ幕府には力がない、というより幕府が使っている力というのは三好家を背景にした力で完全に『虎の威を借る狐』である。
これについて将軍義輝を責めるのは酷である、
足利将軍家とは最初からこうであり、幕府を運営するのに足利御連枝(親族)の力を必要とした。
そして今川家が凋落し、力ある足利御連枝は残っていない。
故に三好家の力に頼らざるを得ないのである。
だが現将軍義輝は意欲的に大名の争いに介入し幕府の権威を取り戻そうと頑張っていた、三好家の力で。
松永弾正はこれが気に入らず、また三好三人衆も自分から積極的に動く御輿は担ぎたくない様で両者の間は抜き差しならないものになっていた。
「ようやく京の都の復興も始まったばかりやのに、また戦かと思うとやりきれまへんな」
「成る程ニャ。中央はそんな情勢ですか。他の地方はどうですかニャ」
「ワテの知る範囲では尼子家が毛利家に潰されましたな。尼子家とは銀の取引があったさかいえらい打撃ですわ」
安芸の小豪族に過ぎなかった毛利家は毛利元就の代で急成長し、中国地方の戦国大名として名乗りを挙げた。
厳島で大内家家老・陶晴賢を下し、大内家を併呑する。
その後石見銀山を完全に手中にし、尼子家を滅ぼすことに成功する。
ただその代償は高くつき、この後の毛利家は停滞期に突入してしまう。
「後は土佐の一条家が伊予での戦で負け、当主が九州に逃げたくらいやな。その隙を突いて長宗我部家という豪族が勢力を拡大しとるらしいで」
土佐国長宗我部家。
この家も現当主長宗我部元親の代で急成長を遂げる。
そもそも長宗我部家は土佐一条家の家臣で土佐七豪族の一つでしかなかったが、『一領具足』と呼ばれる軍政を敷き勢力を拡大。
他の七豪族の香宗我部、吉良、津野に養子を送り込んで乗っ取り急速に戦国大名化していた。
そして主家である一条家は当主が中国毛利家との戦で敗れ、九州の大友家まで逃げてしまったそうだ。
このため空白となった一条家の領地を侵食し、拡大しているとのこと。
「いい情報をありがとうございますニャ」
(何処も早回しで勢力拡大が始まると見ていいニャ。美濃攻略に8年掛けてたら置いて行かれて、織田家が大勢力に成れない可能性まである。ヤバイニャ)
それに恒興には懸念がひとつある。
今回の犬山攻略は他に目的があるということだ。
それは多すぎる兵数と兵糧が物語っている。
もしも信長が余勢をかって美濃攻略までやるのなら止めねばならない。
現段階では美濃勢に勝つのは難しいからだ。
それは織田家が抱える問題のひとつ、兵の弱さである。
『尾張兵は東海最弱』と聞いたことはあるだろうか、これは尾張兵そのものを指しているのではなく弱すぎる織田家の兵を指している。
つまり織田家の『傭兵』のことなのだ。
コイツらは銭で雇われているためすぐ逃げる、「銭で命が捨てられるか」とあっという間に逃げる。
そして織田家が傭兵を募集するといけしゃあしゃあと戻ってくるのだ。
だから信長は苦心した、どうしたらこの傭兵達は逃げ出さず戦うかを。
常識はずれの長槍を作ったり、鉄砲を導入したり、長屋に住まわせて訓練したりと色々やっているのはこの為だ。
だから『一所懸命』で命知らずの美濃侍とでは戦力の差が最初から酷いことになっているわけだ。
昔、織田信秀は2万5千近い兵数で美濃に攻め入り、斎藤道三率いる5百に完敗したことがある。(朝倉家の兵も信秀に含む)
奇襲だし極端な例かも知れないが兵の強さそのものはかなりの差がある。
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「何だ、恒興。言いたい事ってのは」
清洲城謁見の間。恒興は津島から戻ると信長の真意を聞くため謁見を申し入れた。
「今回の犬山城攻略の件なのですが・・・。」
「・・・恒興、鷹狩りに行くぞ。準備しろ!」
「え、あ、はいですニャ」
信長は突然立ち上がり鷹狩りを宣言すると着替えに行ってしまった。
恒興も待機している近習達に声を掛け用意させる。
準備が終わると信長は恒興と近習20人、鷹匠1人を伴い出かける。
行き先は小牧という清洲城と犬山城の間にある場所だった。
鷹狩りというのは人が森に入って獲物を追い立て、獲物が森を出たところで鷹を放って狩らせるものである。
獲物としてはウサギあたりが丁度いい。
信長の放った鷹が追い出されたウサギを捕らえる。
さすがにウサギも抵抗するが直ぐに駆け寄った近習によって仕留められる。
「お見事ですニャー、信長様。」
「応よ。で、聞きたいのは犬山攻略後のことか?」
「はい、兵糧がやけに多いのが気になりまして」
「そうか、やはり気付いたか」
これは他言するなよと前置きして、信長は自分の考えを話し始める。
どうやら鷹狩りに来た理由は話を誰にも聞かせないためらしい。
確かに鷹狩りなら遊びなので誰も気にしないし、こんな広い草原で聞き耳を立てるなど不可能だ。隠れる場所がない。
「清洲は経済の中心地としてはいいんだが美濃から遠い。これから占領する犬山は逆に近すぎて情報の隠匿が出来ん。だからその間くらい、この小牧に城を造ろうと思ってな」
「多すぎる兵員は築城のためニャのですか?」
「ああそうだ。清洲はかなり開発が進んで手狭になってきてる。足軽長屋を建てる土地も足りねぇ。だから軍事拠点としての新しい城が必要なんだ」
信長が清洲城に入城して以来、清洲の町は商業都市として発展を続けてきた。
それゆえに町割りが商業的で軍事施設などは造りにくかった。
そもそも情報の秘匿が難しく、場所の確保も難しくなっていた。
なので信長は小牧山城を最初から軍事拠点として開発しようと計画していた。
「もうひとつの目的は斎藤家の動きを見ることだ。恒興、最近の奴等の動き、どう見る?」
「まるで鈍亀ですニャ。犬山に援軍のひとつも送って来るかと思いましたが」
犬山城は上手く使えば美濃と尾張の緩衝材として使えるのだ。
それこそ直接援軍を出さずとも別の国境線から尾張を脅かしたり、犬山から近い猿啄城あたりに兵を集めて威嚇したりとやろうと思えばいくらでもやりようはある。
それなのに斎藤家はおかしいほど静かだった。
「それだ、オレもそれが気になってる。だから連中の近くで城を造ってやろうと思ったわけだ。これでも動きが無いなら次は美濃で前線基地を造ってやるかな」
信長自身、美濃侍の強さはイヤというほど分かっていた。
舅・道三を助けるため斎藤義龍と長良川で対峙したことがあるからだ。
結局援軍は間に合わず斎藤道三は討たれ、勝勢に乗る義龍軍を相手にすることになった。
ここからは詳しく説明するまでもない。
斎藤軍の稲葉、遠藤といった戦強者に真っ向から当たられ織田軍は直ぐに崩壊。
さらにこの時織田軍は木曽川を背にしていたため、多数の兵が川に叩き込まれる破目となる。
佐久間出羽と森可成の踏ん張りで信長は脱出できたが、戦死者より逃げ出して溺れた溺死者の方が多いという結果で終わった。
信長はこれを分析して問題点を洗い出していた。
1・兵そのものの強弱 2・行軍距離の長さ 3・毎回川を背にする地の利の悪さである。
「真っ向勝負は分が悪いからな。だが城壁のひとつもありゃあ鉄砲で一方的に攻撃出来る。これなら兵の強弱も問題無くなるってわけだ。結果傭兵共も逃げない。そして小牧に城を造ることで行軍時間を短縮出来る。あとは地の利の悪さをどう解決するかだな」
「成る程、その築城のために豪族を多数動員しているわけですニャ」
「そういうことだ、アイツら桶狭間では日和見しやがったからな。罰としての築城だ、経費はアイツら持ちでな。あの裏切りをこの程度で許してやろうって言うんだ。オレは寛大だろ?」
「まことにですニャ。一族郎党滅ぼされても文句言えない行為ですのに。ですが本拠を変えるとなると反対意見が多数出ると思いますが」
『一所懸命』という言葉がある。
これは武士の心構えといえるもので自分の領土のため命を懸けろという意味だ。
逆にいうと武士は土地に縛られているため、簡単に引っ越しなどと言われても困るのだ。
「分かってるさ。だから一芝居打つ、お前も付き合えよ」
「は、はい。分かりましたニャ」
いきなりの美濃攻略戦はなさそうで恒興は安堵した。
今はまだ勝てる要素が無いのだ、それほどに斎藤義龍が築いた豪族との信頼関係は強いのである。
だからもう少し、もう少しだと恒興は自分に言い聞かせた。
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