報告と新たな任務
伊勢より犬山に戻った恒興は軍団を解散した。
今回の伊勢攻略戦の第一戦功は柴田勝家。北畠家老・鳥屋尾満栄を捕らえ、北畠家との外交口を確保した事。他、大小合わせて68の城を攻略した事である。
第二戦功は肥田玄蕃。肥田軍による大河内城大手門突破、城内一番乗りに先陣となる。このため彼女が望む元領地の加増は叶うと思われる。肥田家が差し出した木曽川未開地には既に堤防が築かれ人も入植しているため、肥田家としては何としても欲しい場所でもある。簡潔に言うとこの農民は国人衆の色が付いていないので容易く自分の民にする事が出来るのである。国人衆を後ろ盾にして一々逆らう農民と、後ろ盾を持たず肥田家を頼る農民と、どちらが欲しいかなど語るまでも無いのだ。こう言う者達を増やす事で大名豪族は自らの地盤を強固にするのである。
第三戦功は佐々成政と前田利家。佐々衆と前田衆はセットであるし、この援護射撃は大河内城の反撃を殆ど封殺した。また利家は勝家を救い、柴田衆と飯尾隊の崩壊を止めた功績も加味している。
他は順位を着けず同率となる。従軍の功はあるので褒美はちゃんと出る。
また総大将の恒興の功績はここには数えない。総大将の功績を判定するのは信長であり、総合的な結果で下されるものだからだ。
軍団を解散した恒興はそれを信長に報告する前に、美代と藤を見舞う。流石に1ヶ月近く、家を空けていたので心配になったからだ。
「うーん、分かんニャいなー」
「まだ2ヶ月くらいですし」
「せや、お義母様も4ヶ月くらいにならんと分からんって言うてはったで」
座る美代のお腹に耳を当てる恒興。そろそろ赤子の様子が分からないかなと思ったのだが、結果は何も聞こえなかった。だが二人のお腹は順調に大きくなっている様で、赤子は問題無く育っている様だ。
「それは残念だニャー。まあ、二人共安静にな」
「でもちょっと暇を持て余してます」
「仕事しよ思うてもな、女中さんが走って来て奪い取られるんや」
「当たり前だニャ。お前達の無事は池田家の将来に関わるんだから」
美代と藤は何もする事がないとボヤく。これは当然で池田家全体の女中が目を光らせている。もしも何かあってお腹の子が流れてしまったら目も当てられない。
「あとはこの『腹帯』や。きつうて敵わんわ」
腹帯はかなり昔からある風習である。その締め方は結構きつ目に締めるため、現代においてはあまり推奨されていない。理由は胎児が圧迫を受けるからだ。ただ腹帯はお腹を圧迫しなければ保温やお腹の支えとして活躍する。
「でもそれしてないと難産になるって言われてるんだニャー」
「そんな訳あれへん。農家の嫁が腹帯しとるとこなんか見た事無いで」
「武家の風習だったのでしょうか、コレ。私は常識なのかとばかり」
この腹帯をきつく巻くのは、お腹を押さえればなるべく生まれてくる子が小さく生みやすくなると信じられていたからだ。つまり迷信ではあるが、胎児が大きいと難産になって母子共に死の危険が高くなると考えられていた。
起源としては神功皇后が腹帯を着けて戦争に行き、帰ってきてから安産だった事に因むとの事。この時に産まれたのが応神天皇であり、全国に約4万4千社ある八幡宮の総本社である宇佐神宮の主祭神でもある。つまり武士の神様と言うべき『八幡神』の事である。
腹帯を用意できるのはある程度裕福でないと無理なので、貧しい農家ではしている者は少ない。
「と、取り敢えずニャーは小牧山城に報告に行って来るニャ」
「「行ってらっしゃいませ」」
これ以上ここに居ると二人の愚痴を延々と聞かされそうなので、恒興は小牧山城に行く事にした。
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小牧山城に来た恒興は早速信長に謁見を申し込む。信長の方も恒興を待っていたので速やかに私室に通される。
「ご苦労だったな、恒興」
「ははっ!」
「ここまで来りゃ養子を入れて、北畠の名跡を乗っ取る事も可能だ」
「ご次男の
「そうなるな」
茶筅とは信長の次男の茶筅丸(後の信雄)・3歳の事である。彼の名は茶筅丸ではあるが、その名で呼んでいいのは信長や家族のみとなる。他人は『丸』を付けて呼ばないのが通例となる。
『丸』とは犬の呼び名を表す。故に『丸』を付けて呼ぶのは、その相手を犬扱いしているのと同義になる。有名な『森乱丸』も信長と家族以外が彼の事を乱丸と呼んだら斬りかかってくるはずだ。人を犬扱いするのかと。
では何故子供に犬の名前を付けるのかと言えば生きて欲しいからである、名前にあやかりたいくらい幼児の死亡率が高かったのだ。まず犬には破邪の力があり、吠える声には退魔の力があるとされていた。犬が家の門を守るのは魔から家を守護するためとされていた。その力にあやかり病魔を退け、犬の子の様に逞しく育って欲しいと言う願いである。
また『丸』は便器の『おまる』の事で『汚物』を表すと言う論もある。病魔も汚物には付かないだろうという意味があるという。
どちらにしても恒興が主君の子供を『犬』だの『汚物』だの呼べる訳がないのである。
そしてそれを利用して信長は子供の名前で遊んでいる。特に嫡男の『奇妙丸』(後の信忠)・5歳は悲惨である。彼は人から呼ばれる時に『丸』が付かないので『奇妙様』と呼ばれる事になる。傍から聞けば『おかしい人』と言われている様なものだ。
信長は結構面白がりな性格をしているのだが、子供からしてみれば堪ったものではない。
「信長様、和議の条件に『北畠家は木造家と田丸家に対する惣領権を放棄する』という条件を加えてくださいニャ。でないと親織田家である彼等が粛清される上に北畠が力を取り戻します」
「道理だ、加えておく」
当然ではあるが木造具政と田丸直昌はどう言い繕っても裏切りと北畠具教に受け取られる。なのでここで北畠家から切り離す。こうすることで北畠という大名を分割し、小振りな三つの大名家に変える。北畠家は勢力を失い、織田家に逆らう力も失うのである。
惣領権の放棄は後継者決定権を失う事で、北畠家が木造家や田丸家の後継問題に介入出来なくなる。よって木造具政と田丸直昌を暗殺したとしても具教は北畠家に都合の良い後継者を立てられず、木造家と田丸家を北畠家側に取り込めなくなる。この条件を北畠家が飲めば木造具政と田丸直昌を暗殺しても意味が無くなるのである。
これにより木造家と田丸家は北畠家の傘下大名から独立し、新たに織田家傘下の大名として北畠家の監視及び養子に入る茶筅丸の補佐となる。
「ようやく伊勢が片付いたか。茶筅が南伊勢北畠家なら三七は北伊勢神戸家あたりがいいかな。これで伊勢の織田家支配は磐石だろ」
三七(後の信孝)は信長の三男で現在3歳。茶筅丸と同年の産まれである。
「止めておいた方がよろしいですニャー」
「何故だ、恒興」
「茶筅様と三七様は同い年ですニャ」
「そうだな」
「なのに出される家に差がありすぎると、後に不和の種になりかねませんニャ。神戸家は関家の庶流で、北畠家の養子を迎えているので北畠家支流でもあります。神戸家の養子に行った時点で三七様は茶筅様の下と決定付ける事になりますニャ。ご兄弟間の仲が悪くなるかと」
更に付け加えるなら北伊勢の最大勢力は既に滝川家であり、神戸家及び関家は抑える必要性が無い。そして堤防や街道の工事をこの両家は受け入れている。信長も出資しているので神戸家と関家は恩を感じているだろう。
だがこれは表向きの話だ。恒興は堤防造りを進める大谷休伯にある事を毎回命じている。それは地図の作成である、街道を造るにも堤防を造るにも周辺地形の把握は絶対である。恒興はこれに託けて地図を作成し、彼等から地の利を奪い取っている。この効果は誰かが謀反を起こせば証明されるだろう。
つまり神戸家の不快感を買ってまで養子を入れる意義はかなり低い。何の咎もなく養子を突っ込まれれば誰でも不快に思うものだ。
「成る程な、面倒なもんだ。しかしな、北畠に匹敵する名家となるとそう簡単には・・・そうか、京極家だな」
「ハズレですニャー、信長様。京極家に手出しするのは公方様が許さないでしょう」
京極家は確かに名家ではあるが織田家と敵対しておらず、また既に足利義昭の傘下に入ったので手出しは出来ない。と言うより養子を入れる名目が無い。
「くっ!?恒興のくせに生意気な、こうしてくれる!」
「ギニャー!?」
信長は外した気恥ずかしさから恒興のこめかみを両拳で押さえ込む。万力の如くグリグリするアレである。
「で、何処なんだよ。三七に相応しい名家は」
「酷いですニャー。有るじゃないですか。京極家と
「……六角家か。そりゃあいい、少し皮算用かも知れんが」
「どうせ避けては通れませんニャ。近江に対する調略も始めておりますのでお任せを」
恒興の答えは『六角家』である。恒興の前世において織田家の近江経略は時間が掛かり過ぎた。それは近江支配権が確保出来ず、また京極家も信が置けないためあまり活用できなかったからだ。このため度重なる六角親子と現地豪族のゲリラ活動を許し、南近江は浅井・朝倉両家が滅びた後も不安定であった。
(これで未来の仲違いフラグをへし折ると。でもあの二人、元から仲悪いしニャー。大丈夫とは言い切れんが)
茶筅丸と三七は大変仲が悪い事で有名だ。後に家督争いをしたからと思われがちだが、どうも子供の頃からお互いライバル意識があった様である。
「おう、任す。但し、報告は怠るなよ」
「了解しましたニャ」
「あと、浅井家に対する調略も進めろ」
「浅井家ですかニャ?何かありましたので?」
「ああ、京極殿が嫡男を取り戻したいとさ。更に公方様にまで言われちゃあ、やらん訳にはいかねぇよ」
「了解致しましたニャ、お任せ下さい」
信長は先の義昭謁見時に決まった事を恒興に命じる。
まずは高吉の嫡男を奪い返すのが第一目標となる。領地の件はその後でもいい。一応嫡男の小法師が京極家当主であるし、高吉が50歳を超えているため小法師を見捨てると京極家断絶の危機となる。
そして浅井長政が小法師を手放す訳はない。小法師は浅井家長年の悲願である近江の支配権を手に入れるためにどうしても必要なのだから。それを諦めさせるには武力も必要となる。信長の言う調略とは武力行使込みでの委任である。
つまり恒興は近江攻略の責任者となる。上洛軍は信長が総大将として率いる事になるが進軍路、攻略目標、部隊編成などはかなり恒興の意見が入る事になる。現代で言うところの『参謀本部』の役割だ。
「ほう、えらく乗り気だな。また無茶振りだーって泣くかなって思ったんだが」
「それでニャーが泣いた事ありましたっけ。浅井長政からは返して欲しい物があるので丁度良かったですニャ」
これで公然と軍を動かす事が出来ると恒興はほくそ笑む。恒興は前に義父である天王寺屋助五郎から依頼されている事もあるので、立候補する手間が省けたと考えている。
「それで今回の褒美だが、お前には鵜沼3万石を加増する」
鵜沼とは犬山の木曽川対岸にある領地で大沢次郎左衛門正次が治めている領地である。この大沢正次はさる事情から恒興の与力豪族になるのを拒んでいたはずなのでおかしいなと恒興は思う。それを加増という事は与力豪族どころか家臣になってしまう。
「え?鵜沼ですかニャ。城主の大沢殿は?」
「本田城に移したぜ。西美濃豪族の監視役って建前でな」
「建前ですか。では本音はニャんでしょう?」
「お前が怖いんだと。大沢の妻(帰蝶の妹)が」
「……」
(鵜沼城攻略戦がトラウマにでもなってんのかニャ)
前述したさる事情とは恒興が大沢の妻を脅かし過ぎた事にある。流石に原因が自分にあるので、恒興も大沢正次が与力豪族にならなくても不問にしていた。だが大沢の妻は恒興を恐れ続け領地の転属を姉の帰蝶を通じて願っていたらしい。それで信長は恒興の加増に丁度良いとして大沢正次を本田城に移した。
「鵜沼城もくれてやるから城主か城代を選んでおけよ。まあ、あの城が必要なのかは微妙だがな」
「どう考えても犬山城対策にしか使えませんからね。造り直すかどうかも含めて考えますニャ」
鵜沼城は位置的に犬山城を監視するために造られている。対岸、それも見える位置に有るのだから当然だ。敵味方に別れていた時なら意味はあるが、今となっては無用の長物だろう。
「もう一つ、コレをやろう」
「太刀ですか。有り難く拝領致しますニャー」
信長は更に褒美として刀を差し出す。恒興は頭を下げつつ、両手を掲げて刀を受け取る。
「お前の腰の太刀が無銘だって聞いてな。抜いてみろ」
「え?いいんですか?御前ニャのに」
「いいからやってみろって」
「はあ、では……ふぬぬ……って、抜けニャい!?」
恒興は普通に刀を抜こうとしたが、刀はギシギシ言って中々動かなかった。刀身が歪んでいるか、鞘が合ってないのか。信長が何故この刀を差し出したのかは不明だが、抜けない刀が褒美と言うのはあからさまにおかしい。恒興が信長の顔をチラ見すると……ニヤニヤと笑っていた。面白がっているのは明白だった。
「やっと抜けた。って、ニャんですか、コレ?凹んでる上に歪んでるんですけど?」
「そいつはお前がやったんだからお前が責任取れ」
「はい?ニャーにそんな覚えは……」
「じゃあ、何でお前の兜は割れてんだよ」
そう言われて恒興は気付いた。つまりこの刀の歪みも凹みも恒興の兜とぶつかって出来たもの。そしてそれは『桶狭間の戦い』で今川義元の斬撃で出来たもの。
「ま、まさかコレって」
「今川義元の佩刀、『
「あれ?義元の刀って『
「義元から分捕った刀は宗三左文字と松倉江の2本あるんだぜ。宗三左文字の方はオレが持っておく」
信長が『桶狭間の戦い』で今川義元から奪った刀は2本ある。
1本は宗三左文字。南北朝時代の作刀で作者は左文字源慶。三好政長(三好宗三)が持ち主だった事からこの名が付いた。現代においては義元左文字と呼ばれる。
もう1本が今恒興が持っている松倉江。南北朝時代の越中の刀工・郷義弘の作で、彼の作刀にしては珍しく『越中國松倉住』の銘が入っているため松倉江という名前になった。
「信長様、面白がってますニャ」
「やっぱ分かるか、ハハハ。お前の反応、中々面白かったぜ」
「……お気に召した様で何よりですニャー……」
「と言うわけでな、ソレはお前を斬りながら生かした刀だ。お前にとっての『活人刀』って訳だ。直して使え」
「はっ、有り難く頂戴致しますニャー」
(この名刀を直せる刀鍛冶か。この辺で有名なのは関か桑名か。……美代と藤連れて桑名にでも行ってみるかニャ。義父殿の店に預けて行けるし、気晴らしになるニャ)
この濃尾勢で一番有名な刀工と言えば『関の孫六三本杉』で有名な関孫六兼元一派になるだろう。更に関にはその兼元と並び賞される関和泉守兼定(
また桑名には千子村正一派が刀鍛冶を営んでいる。彼等も元を辿れば美濃関からの移住者である。
恒興は桑名にある天王寺屋支店に寄るついでに、村正一派を訪ねてみようと思った。
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