二虎競食 前編

「何故、このわしがこんな目に・・・」


 あばら屋と化した廃寺で寝藁にくるまり、独り言ちる。

 彼は近江京極家前当主・京極長門守高吉という。

 高吉の人生を一言で表すと『翻弄』である。

 彼は父親の京極高清から後継者に選ばれたが、それを不服とした兄・京極高延や浅井亮政と争う事になる。

 結果、戦で敗け北近江を父親と共に追放される。

 その後南近江の六角家を頼り再起するが、その頃に京極高延と浅井亮政が対立した。

 このため高吉は新たな京極家当主として迎えられ、兄の高延を追放するに到る。

 しかし実権は浅井亮政をはじめとする豪族に握られ只の傀儡であった。

 これを不満に思った高吉が反抗的な態度をとると浅井亮政は容赦なく追放した。

 その後、高吉は将軍・足利義輝に仕え勢力を取り戻そうと画策する。

 そしてまた六角家と手を結び『野良田』において浅井家の若年当主・浅井長政に挑む。

 だがこの『野良田の戦い』は長政に倍以上の兵力差を跳ね返され大敗した。

 その後は長政によって小谷城京極丸にて軟禁される事になる。

 これが長政による京極家の家督強奪の第一歩であった。

 産まれたばかりの高吉の息子・小法師に京極家の家督を強制的に譲らせたのである。

 あとは小法師が成長したら浅井家から嫁を出したり養子を入れて、浅井家そのものが京極家になる、そういう計画なのだ。

 浅井長政は京極家を乗っ取る事でこの近江の支配権を手に入れようとしていた。

 そして小法師が産まれ、用済みになった京極高吉は放逐され北近江を放浪した。

 六角家からは野良田の敗因として嫌われ、支援者もおらず高吉は乞食と化したのである。


「小法師、わしの小法師・・・なんという人生だ、こんな、こんなものが・・・」


 自分の人生を振り返り涙を流す高吉。

 小法師は高吉が50歳を過ぎてようやく手に入れた息子であった。

 それを直ぐに長政によって取り上げられ高吉は放逐、高吉の長政への恨みは大きいものがあった。


「おのれ、長政、おのれぇ」


「おいたわしや、京極様」


「だ、誰だ!?」


 高吉は突然の声に驚き寝藁を撥ね除け起き上がる。

 野盗の可能性もあるので刀を探したが、既に売り払ってしまった事を思い出した。

 そんな風に慌てて武器になりそうな物を探す高吉に再び外から声が掛かる。


「夜分申し訳ありません。私は近江金森の金森五郎八長近と申します。現在は尾張織田家に禄をむ武士であります」


 高吉は金森の名に聞き覚えはなかったが、相手の物腰は礼節整ったものなので警戒は解く事にした。


「尾張織田家・・・?その織田家の金森がわしに何の用か?まあ、入られよ」


「失礼致します」


 廃寺の歪んだ戸を開け、長近は一礼する。

 そこで長近が見た高吉は疲れ切った老人そのものだった。

 刀も無く、京極家伝来の家宝も一切持っていない。

 普通の老人と違うところは服だけであろう、破れてボロボロになっているが武士の礼装の袴である。

 大分着替えてないのか汚れてしまっているが、京極家の家紋『平四つ目結』も確認できる。


「それで何用か」


「はっ、この度は京極様を織田家にお迎えに上がりました」


「?何故に織田家がわしを?」


「織田家では亡き将軍・義輝公の弟君・義秋様を次期将軍にとお助けするべく京への上洛を企図しております。その上洛に際し京極様にもご協力頂きたいと我が主より言付かっております」


 既に信長の計画では上洛は目前である。

 南伊勢攻略計画が開始され無事に制圧できれば、後に残るのは稲葉山城のみである。

 そして稲葉山城が攻略出来れば即上洛となるため、信長は既に上洛の準備に入っていた。


「公方様の上洛か」


「はっ、京極様にもご支持頂きたく」


「・・・協力したいのは山々ではあるのだが、わしにはもう公方様をお支えするだけの力は残っておらんのだ」


 高吉は俯いて肩を落とす。

 その言葉の通りで今となっては高吉に合力する豪族は一人もいないのである。

 所領も全て奪われ、頼る者も無い高吉は全ての自信も喪失している様だった。

 だが支持者が皆無という訳ではない、旧京極家臣の一部は密かに食べ物を持ってきてくれる者はいる。

 それはおおやけに支援すると浅井長政に攻撃されるので密かにやっているのだ。

 その高吉の様子を見て長近は語気を強めて話す。

 まず彼のやる気を起こさせなければならないと判断したからだ。


「何を申されますか!源頼朝公を挙兵から支え続けた佐々木定綱公を思い出されませ。足利尊氏公に味方し続けた佐々木道誉(京極高氏)公を思い出されませ。京極家は天下人の傍らに仕える家のはずでしょう」


「っ!!・・・確かにその通りだ」


 佐々木定綱は平安末期の武将で近江国蒲生郡佐々木荘の人。

 彼は平治の乱で源義朝に付いて敗北し関東に逃れる。

 暫くして源頼朝の挙兵に合流し石橋山で敗走するも、安房で再び頼朝と合流。

 以降は順調に戦功を重ね近江、長門、石見、隠岐の守護へと任じられた人物である。

 この佐々木定綱が京極家、六角家の祖であり、沢山の大名・武将の祖先でもある。

 因みに織田家では佐々成政が佐々木定綱を祖先だと言っている。


 佐々木道誉(京極高氏)は鎌倉末期の大名で婆沙羅ばさら大名としても有名である。

 足利高氏(後の足利尊氏)とは同名であった事から、お互いを見知り仲良くなったという。

 初めは鎌倉幕府に仕えるが、後に後醍醐天皇の綸旨を受け倒幕の兵を挙げた足利高氏に合力する。

 やがて武士の支持を得られなかった後醍醐天皇の『建武の新政』から離れ、尊氏と共に南朝勢力と戦う。

 その後尊氏の開いた室町幕府において政所執事や6ヶ国の守護を任じられ京極家の最盛期を作り出した。

 因みに『婆娑羅』とは社会秩序や身分秩序を無視し名ばかりの権威を軽んじるやからのこと。

 そして佐々木道誉は皇族が住職を務める天台宗・妙法院を『木の枝を折らせてくれない』という理由で焼き討ちした事がある。


「公方様と貴殿の邂逅は正に尊氏公と道誉公の出逢いに例えられるでしょう。それが我等織田家にとっても無形の力となるのです」


「・・・フム、成る程な」


(わかるぞ、織田信長の思惑が。つまり京極家を公方様に従わせる事で公方様の正統性を高め、武力上洛を正当化したいのであろうな)


 この高吉の読みは大当たりである。

 何しろ今の公方・足利義秋は実は『一介の素浪人』と何ら変わらないのである。

 兄・義輝存命時には僧籍にいたのだから、幕府内に立場や役職がある訳がない。

 そして弟だからというのは別に理由にはならない。

 つまり足利義秋という男は『血筋』以外何も持っていないのである。

 何せ義秋は別に将軍に指名された訳ではないし、『血筋』だけでいいなら足利の縁者など巨万ごまんといる。

 簡潔に言うと信長が担ごうとしている神輿は・・・神輿にはならないのだ。

 これを担いで武力上洛というのはかなり無理があると言えるし、大義名分も薄弱すぎるのだ。

 だからこそ義秋には必要なのである、名声の高い名家が後押ししているという事実が。

 そう、有力大名に推されて将軍になった者はいるのだ。

 義秋の祖父である足利義澄が正にそうだ、何せ彼は伊豆の堀越公方の子供だからである。

 6代目将軍足利義教の孫とは言え義澄が将軍になれたのは管領・細川政元や日野富子、伊勢貞宗(政所執事)らが支持したからである。

 しかもこれは10代目将軍足利義材が在任中に起こったクーデターで『明応の政変』と呼ばれている。

 つまりは有力大名や名家の支持があり京の都を抑えれば、指名など無くても将軍になれるという事である。

 有力大名としては織田家は力があるが、名家の格となるとそうはいかない。

 織田家は今でも斯波家の部下だからだ、斯波家当主・斯波義銀は既に追放済みではあるが。

 だからこそ京極家の格が上洛に必要なのである。

 神輿にならない義秋を神輿にするために。


「話はよくわかった、金森殿。そこまで言われるのならば、わしも公方様を出来る限りお支えしよう」


「はっ、ご決断恐悦至極に存じます。では宿を取ってありますのでそちらへ。着替えも食事も用意して御座います」


「うむ、よろしく頼む」


(このわしを利用しようという訳か・・・いいではないか。利用されてやろう、どうせわしに失う物はもう何も無い。むしろ織田家の力で取り返させて貰う。小法師、待っておれ、必ず迎えに行くぞ)


 高吉は利用される事ぐらいは解っている、だがそれは織田信長もある程度高吉の願いを聞かねばならないのである。

 何しろ高吉が仕える相手は名目上は義秋だからだ。

 故に義秋を神輿にする信長は高吉を無下には扱えない。

 無茶でなければある程度願いを聞いてもらえるはずなのだ。

 高吉の表情には己の境遇に悲しむ無力な老人の面影は無く、やるべき事を悟った武士の顔つきであった。


 ----------------------------------------------------------------


 伊勢国桑名城。

 ようやく出来上がった新しい城の一室で笑い声が響き渡っていた。


「アハハハ、本当に池田殿はお人好しが過ぎるな、ハハハハ」


「あのー滝川殿、ニャーはあんまり笑い事じゃニャいんですが」


「全くだ、他人の功績の面倒を見る将など珍しいにも程があるわい、ガハハハ」


「九鬼殿もやかましいんだニャー!これはニャーの母上の陰謀なんだよ!」


 笑っているのは桑名城主の滝川一益に九鬼水軍頭領・九鬼嘉隆である。

 彼等は今回の作戦概要を聞くために恒興の話を聞いていた。

 今回の作戦には柴田勝家が急に加わることになったので、それも合わせて恒興は説明した。

 つまり何故恒興が勝家に功績を稼がせなければいけないかをである。

 ・・・それで事の顛末を話したら二人から大笑いされてしまったという事である。


「ふう、笑った笑った。しかし家中でも信望の高い養徳院様がそんな事していたとは」


「あの人、昔からニャーにだけは遠慮が無いんですニャ。まあ、それはいいとして作戦ですが」


「一度安濃津城で合流だな。しかし権六に功を立てさせるって言っても5百人しかいないんじゃ無理がないか?」


「今の柴田衆は少し規模が増えて7百人くらいですニャー」


「そんなに変わっとらんではないか」


 柴田勝家の自前の兵士は3百人程であり、他4百人は姉婿の佐久間盛次ら佐久間衆である。

 今回の作戦では恒興の中濃軍団が1万、一益の北伊勢軍団が7千と神戸家と関家の援軍が3千で合計約2万の大軍になる。

 7百人では明らかに一部にもなっていない。


「問題ニャい、兵力の多少なんぞ問題にもならないですニャ。とりあえずお二人には計画通りに動いて頂きたい」


「ああ、構わないとも。池田殿に借りを返すつもりで協力するさ」


「応!任せておけ!」


 嘉隆は勢いよく返事をして、自分の船団の編成に出て行った。

 九鬼水軍は陸戦を期待されていない、あくまで海からのサポートが役目なのだ。

 ここらへんは完全な住み分けである。

 嘉隆としても苦手な陸戦など部下にやらせたくないので、作戦がサポートだけなのは安心した様だ。


「池田殿、因みに信長様の出陣はあるのか?」


 残された一益はある疑問を恒興に聞いてみる。

 それは信長の出陣だ。

 今回の作戦は長野家制圧だけに留まらない、恒興が1年掛けて育てた謀略の果実を一気に刈り取る時なのだ。

 その総仕上げなのだから一益は信長が出てくると思っていたが、作戦説明の時に信長の名前が出なかったのでおかしいと思ったのだ。


「ありませんニャ。当初は出る予定だったんですけど、ある方が来られるので」


「ある方?」


「公方様ですよ。越前から足利様が来られるので動けなくなりましたニャ」


 それは現在越前に避難している公方・足利義昭が信長の元に来るという話だった。

 そろそろ上洛の準備が出来つつあるので、色々打ち合わせしておこうという事だ。

 そしてこの来訪は朝倉家が動かないと義昭が悟ったという事でもある。


「ん?何で名前を強調してるんだ」


「公方様って実は元服してなかったんですニャー。それでついこの間、朝倉義景が烏帽子親になって元服し名前を改めたそうです。そのせいで信長様の機嫌が物凄く悪くなりまして・・・それでも呼びます?」


 前の足利義秋というのはただの還俗した時の仮の名前であり、一時的なもので正式な武士の名前では無かった。

 なので義秋は朝倉義景を烏帽子親にして元服し『義昭』と名乗る。

 おそらく朝倉義景を烏帽子親にすることで上洛軍を出させようという意図があったと思われるが無駄だった。

 それほど朝倉家内部の派閥争いは激しいものになっていた、当主義景の統制が全く効かないほど。

 ここまできて義昭も朝倉家の助力を諦め、尾張に向かうことにしたのだ。

 だがこの事実は信長の不快感を刺激してしまった。

 簡潔に言うと「元服式ならウチでやってくれればいいのに、何でよりにもよって朝倉家なんだよ!」という嫉妬である。

 朝倉家は織田家と同じで斯波家から下克上した家なので、信長は同格だと思っている訳だ。

 なのに何も出来てないくせに義昭に気を使われる朝倉家が気に入らないのだ。

 ・・・まあ、そもそも両家は仲が悪いが。


「ようしっ!戦争だ!俺たち二人で頑張ろうな、池田殿!信長様の手を煩わす程じゃないしな、アハハ!」


「・・・頼もしいですニャー」


 恒興としても不機嫌だと解っているのにわざわざ呼びたくないのは同意である。

 それに信長を呼ぶという事は織田家の弱体を義昭に晒す行為と同義なので絶対に出来ないのだ。

 故に恒興は義昭に対し強い織田家を見せなければならない。

 どうせ彼は戦場を見聞などしないので、精々派手な戦果報告だけを送り届けるだけである。


 ----------------------------------------------------------------


 その後、恒興は密かに桑名に来た分部光嘉と面会する。


「待たせたニャ、分部殿」


「いえ、お構い無く」


 分部光嘉は長野家の家老で現在13歳である。

 13歳で家老が務まるのかという疑問はあるだろうが、そもそも家老職とは世襲制が殆どである。

 武家の規模が大きくなると功臣に地位を与えるため無視されがちではあるが。

 なので長野家の家老は細野家と分部家が世襲してきたという事だ。

 仕事に関しては大体部下がやるので、光嘉は大して困らないのである。


「早速で悪いが進捗状況を聞かせて貰おうかニャー」


「はい、長野家内部は8割が内応済みです。長野家先代当主の娘も確保しましたので、例の作戦は何時でも可能です。池田殿の方は如何ですか?」


 例の作戦というのは分部光嘉が企画した長野家先代当主・長野藤定の娘と織田家からの養子を婚姻させて長野家の家督を奪おうというものだ。

 そのため作戦の開始には長野家先代当主の娘の確保が必須となっていた。

 これも長野家の家臣や豪族が裏切り者と罵られずに織田家への鞍替えをするための大切な行為なのだ。


「問題無い。信長様は弟の信包のぶかね様を長野家の養子に出すとの事ニャ。信包様と先代の娘が結婚すれば長野家制圧は完了か。・・・で、お前の兄貴はどうなっているんだニャー?」


 織田三十郎信包。

 信長の同母弟で現在13歳の少年である。

 既に初陣も済ませ軍事教練も一通り受けてきたので、信長から一門衆筆頭武将としての活躍が期待されている。


「・・・実は説得は出来てません」


 長野家内部は8割が内応済みである。

 では残り2割は誰なのか、それは長野家の家老・細野藤敦とその周辺の与力豪族達だ。

 分部光嘉は分部家の養子であり、元は細野家出身で細野藤敦の実の弟である。


「おいおい、作戦が始まっちまうニャー。どうするんだ?」


「だから・・・見捨てます」


「いいのか?」


「そう言われましても八方手を尽くして説得したんですよ。やれ織田家には付きたくない、やれ北畠家は先代の敵だ、やれ長野家の現当主は気に入らない・・・一体誰の味方なのかですよ」


 細野藤敦は実の弟である分部光嘉の説得にも耳を貸さなかった。

 彼は最初から織田家は伊勢の侵略者と決めて徹底抗戦するつもりだった。

 そう、恒興が伊勢を経済封鎖する前からずっとである。

 そこからどんなに状況が変化しても一切考えを改めていないそうだ。


「先見の明が無いのもいい加減にして欲しいです。そんな我が儘に付き合って長野家を滅ぼす訳にはいかないんですよ」


「実の兄貴に厳しいのな。本当にいいのか?ニャーは細野家を滅ぼすぞ」


「構いません、ご存分にどうぞ。それに池田殿は安濃津が欲しいのでは?」


 光嘉は恒興の思惑を見抜いていた、恒興は安濃のみなとを欲しているだろうと。

 実際には津島会合衆、特に大湊の商人達ではあるが。


「よく分かっている様だニャー。実は津島会合衆から安濃津を抑える様に強い要請が出ててな」


「兄は商業、いえ商人の事を舐めてますからね。安濃津が大きな湊なのにイマイチなのはそのせいです。選民意識まで強いので困ったものですよ、はぁ」


 細野藤敦の選民意識は商人だけではなく農民にも及んでいるため、かなり人気が無いらしい。

 特に統治が優秀だった父親の細野藤光と比べられているので尚更だ。

 そこに恒興の経済封鎖が重なり、強訴一揆が目前だと光嘉は話す。


「おいおい、今お前らを追い詰めてる力が何か、判ってニャいとか言わないよな。お前の兄貴は」


「・・・」


(成る程ニャー、角屋殿が言っていたのはコレか。状況が解っていないにも程があるニャ。だから早く細野藤敦を排除したい訳だニャ、津島会合衆は)


 この経済封鎖を計画したのは恒興ではあるが、実際に力を振るっているのは商人と水軍衆である。

 だが藤敦は判っていないのか認めたくないのか、内応交渉にも応じようとしない。

 そのため安濃津が早く欲しい商人が説得は無理と断じて、恒興に要請した訳だ。

 このまま待ち続けても細野藤敦は破綻するまで耐え続けるだろう。

 それでは強訴一揆が起きて安濃津が荒れてしまうと津島会合衆が恐れた結果なのだ。


「安濃津が商業的に発展すれば、その内陸にある長野家の豪族や家臣は大いに恩恵を受けられるでしょう。我々の暮らしもグッと良くなります。そして兄は信包様にも逆らい続けるでしょう。・・・もう邪魔なんですよ」


 光嘉が物凄く疲れた顔で淡々と話す。

 その顔からはあらゆる方向から説得を繰り返し、結果意固地という理由だけで説得を拒む兄に愛想を尽かした者の疲労困憊の顔だった。

 それは恒興も前世の記憶で知っている、光嘉の予想通りで藤敦は信包に逆らい続けるのである。

 何しろこの細野藤敦という人間は状況や政情等を無視して気に入らなければ逆らう生粋の反逆者トリーズナーなのである。

 細野藤敦が細野家の当主になった時、北畠具教の息子・具藤は長野家の養子になっていた。

 この頃には既に仲がかなり悪く、更にある事件が起こる。

 長野家当主と先代当主が同日で死亡したのだ、藤敦は北畠家の仕業として更に具藤への反発姿勢を強める。

 今では長野具藤と藤敦の関係は一触即発まで来ている。

 そして彼は恒興の前世での記憶でも織田信包に対して終始反発を続けた。

 当初信包は筆頭家老として藤敦を遇していたが、彼は何を考えたか信包が留守の隙に本拠の長野城に攻め込むという暴挙に出る。

 長野城側もまさか家老が攻めてくるとは考えもしていなかったので簡単に落城する。

 この事件は滝川一益の執り成しにより収まるが、最終的に信包がキレて藤敦を追放し終わるのである。

 そしてこの藤敦は商人からも蛇蝎の如く嫌われており、彼をよく知る大湊の商人が加わった津島会合衆から安濃津占拠の要請が恒興に出された訳だ。

 恒興は津島会合衆の有力商人から妻と側近を貰っているので、彼等の強い要請となると無視する事が出来ない。

 それで光嘉の話を聞いて真相がわかったのだ。

 つまり細野藤敦は現状で織田家、北畠家、長野家、津島会合衆を敵にまわしているということだ。

 周り全てを敵にまわしてよく生き延びてきたものだと恒興は思う。

 ・・・そしてこれほど恒興にとって不利益の塊と言える人物も珍しいなと。


「藤敦を殺すのかニャ?」


「出来ればやりたくありませんよ。でも、本当にもう無理なんですよ。昔から意固地過ぎて・・・」


「そうか、ならばニャーの策に乗れ。上手くやる方法があるニャー」


「本当ですか!?」


 恒興はある策略を思いつく。

 恒興にも織田家にも光嘉にも望むような結果をもたらす策略を。


「要は藤敦と家族の命が無事ならいいのだろう。細野家は次代の当主当たりで再興出来る様にニャーが上手く計らうニャー。ただし、安濃津というわけにはいかんぞ」


「再興させて頂けるなら是非!」


「よし、策を授けるニャー。上手くやれよ」


 長野具藤にしても細野藤敦にしても正攻法で攻めれば確実に篭城して時間が掛かる。

 だが恒興は長野家の戦で時間は掛けたくない、北畠家が動くからだ。

 恒興は何としても北畠家が戦闘態勢を整える前に南下したいのである。

 ならば素早く攻略するにはどうするのか。

 その答えは単純な話ではあるが篭城戦をさせない事である。

 そしてそのために用いる策略を『二虎競食の計』という。


(藤敦、お前は織田家に従う気も降る気も無いのかも知れんがニャ。だがな、お前一人で戦が出来る訳じゃねえって事をニャーが教えてやるニャー)


---------------------------------------------------------------------------------

【あとがき】

当初は20話くらいで美濃制圧して上洛するはずだったのにまだ終わりませんニャー。

どうしてこうなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る