外伝 敵方の半兵衛くんが献身的すぎて困ってしまう
西美濃曽根城。
その廊下を早足で進む少女が一人、ある部屋の前で止まる。
真っ赤な袴に身を包みウェーブがかかった長い髪を頭の後で結っている少女、曽根城の主・稲葉良通の嫡子である稲葉彦六貞通であった。
そして声も掛けずにいきなり障子戸を開いて叫ぶ。
「どういうことじゃ、兄上!」
「うおっ!?なんだ、彦か。驚かすな、あと無作法だぞ」
部屋の主は稲葉勘右衛門重通。
彼は稲葉家の庶長子であり、彦の腹違いの兄に当たる。
母親の格が違うので妹の彦が嫡子で重通が庶子となっている。
何しろ彦の母親は京の都の公卿・
「作法などどうでも良いわ。丸めて犬にでも食わせておけ。それより織田家の使者を追い返したとはどういうことじゃ」
「俺に言うな。親父殿がそう判断したんだよ」
それはつい昨日の話、織田家の使者として来た木下藤吉郎秀吉を会いもせず門前払いにしていた。
無論決めたのは彼等の父親の稲葉家当主・稲葉右京亮良通であり、当然これが稲葉家の総意となる。
「一体親父殿は何を考えておるのじゃ。このままでは、このままでは・・・」
「やっぱりお前も心配だよな。稲葉家の行く末が」
稲葉家の庶長子である重通もこれからの先行きには不安しかなかった。
既に織田家に喰われかかっている斎藤家はどうでもいいが、織田家との敵対はマズイ。
直近の『関城の戦い』では犬山城主・池田恒興が1万1千を動員してきた、これで織田家の一部隊でしかない。
おそらく織田信長が総動員を掛ければ、総数は4万を超えているかも知れない。
更に鉄砲も多数揃えている。
頑張って徴兵しても3千程度が限界の稲葉家では相手にならないだろう。
「妾の戦場が遠のいてしまう!一体何時になったら戦場に行けるのじゃ!」
「そっちかい!?少しは家の事考えろ!」
彦は頭を抱えながら喚きだす。
彼女の不満は最初から戦場に行けないことであった。
「やかましいわ。そんなものは親父殿が考える事。だが織田家に付かんとはどういう判断か、今更斎藤家に戻る訳でもあるまいに」
「だから俺に言うなよ。俺だって困惑してるんだ」
「はっ、そうか!織田斎藤両方と戦をする訳じゃな。流石は親父殿じゃ!」
「ねーよ!どんだけ兵力差があると思ってんだ」
前述したが兵力差は10倍を遥かに超えている。
しかもその半数は精強な美濃者で構成されている上に、鉄砲という最新武器まで多数ある。
まあ、その前に既に寝返り済の安藤家、氏家家、不破家が来るであろう。
寝返りの手土産的に襲ってくるかも知れない。
「だがこのままならそうなるじゃろうな。望むと望むまいと」
「うう、もう一回くらいなら織田家の使者が来るかも」
「甘い考えじゃ。聞けば昨日来た織田家の木下
その可能性は多分にある、重通もそう思う。
重通はやはりお家の先行きに深いため息をつくのだった。
その様子を見ていた庭掃除の小者が世間話程度に話しかけてくる。
最初に彦が部屋の障子戸を全開にしたため、外の庭から丸見えだったのだ。
「ああ、彦様に重通様。聞きましたか」
「む?何をじゃ?」
「今日もまたあの織田家の木下何とかが来たそうですよ」
その世間話は何と昨日門前払いされた木下秀吉が来たというものだった。
「何だと!それで親父殿はどうしたのだ?」
「また会いもせず門前払いしたとか」
そして昨日と同じように会う事もなく、良通は門前払いにしていた。
「
「俺の部屋の畳で転がるなー!」
彦はまたも頭を抱えて兄の部屋で暴れる様に転がった。
この時代の畳は高級品である。
畳自体はかなり昔からあるものの、今の様に畳を床に敷き詰める様になったのはここ最近の話である。
これは応仁の乱の後に足利将軍・義政が完成させた『書院造』がきっかけとなっている。
畳を床に敷き詰めるのが当たり前になってくるのは『茶道』と一緒に茶室造りが流行ってからである。
なので畳自体の生産がまだ少なく、高価なのである。
その畳の間が妹によって荒らされていく、重通は悲鳴を上げた。
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次の日。
稲葉家当主・稲葉良通は領内の統治報告書に目を通していた。
そこに家臣の一人が報告にやって来る。
「殿、また織田家の木下秀吉なる者が殿への面会を求めてきました」
「またか!何度来られても会わん!追い返せ!」
「は、ははっ」
いい加減しつこいと良通は思った。
彼の心はとうに決まっているのだ。
良通は安藤や氏家の様に自分の都合で主を変えるなど出来なかった。
それは斎藤龍興への忠誠などではない、稲葉家に裏切り者のレッテルを貼られるのが嫌なのだ。
稲葉家の先祖に申し訳が立たないと思っているからだ。
だがこのままでは稲葉家に未来が無い事も重々承知している。
だから彼は織田家と一戦交える覚悟だった。
その戦場で良通が討ち死にし、貞通が跡を継いで織田家に降伏すれば良いのだ。
そう、彼は考えていた。
そんな父親の思いを知らぬ重通と貞通は部屋で今回の顛末を話していた。
もう3度も織田家の使者を門前払いしてしまった、重通はうなだれて凹んだ。
「また親父殿は追い返したそうだ。はぁ、これで稲葉家の織田家入りは無くなったか」
「そうかじゃろうか」
「いつになく冷静だな、彦」
いつもなら喚き散らしているくらいの話題なのに何故か冷静な妹に重通は首を傾げた。
まあ、畳を荒らされないのは幸いとすべきだが。
「あの木下という男、相当じゃぞ。門前払いされとるのに3日連続で来た」
「確かにその通りだが、親父殿が会わんではどうにもならん」
「甘いのぉ、親父殿は頑固ではあるが冷血ではない。これは面白い事になりそうじゃ」
彦は父親の頑固さを知ってはいるが、それは根気があるという意味ではない事も知っている。
ただ単に一度決めた事を覆すのが嫌なだけなのだと。
だからその頑固さを覆そうとする存在にその内我慢が出来なくなるだろう、そのように彼女は読んでいた。
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その次の日。
良通は刀の手入れをしていた。
その刀は南北朝時代の越中の刀工・郷義弘の作で無銘ではあるが良通はとても大切にしている。
郷義弘は有名な岡崎五郎入道正宗の弟子で、師と同じように刀に銘を切らないため良通の刀も無銘なのである。
これが後年『稲葉江』と呼ばれる事になる。(郷が江に変わる)
良通は先端に丸い布が付いた棒で刀を軽く叩いていく。
これは『打粉』と呼ばれる作業で、布の中に仕込んである砥石の粉を塗している。
この粉が刀に塗ってある油を吸収する働きがある。
刀に塗ってある防錆の
古い油を取り去った後は新しい丁子油を塗る訳である。
そしてそれが終わった頃に家臣が報告にやって来る。
「あのー、殿、また織田家の木下秀吉なる者が来たのですが」
「・・・何回来るつもりだ!ええい!」
またかと思い、良通は立ち上がり城門へ向かった。
しつこいにも程がある、こうなったら直接言って追い払ってやると良通は考えたのだ。
そして城門の上から下にいる織田家の侍を睨みつける。
「おお、稲葉殿ですかな。私は木下藤・・・」
「いい加減にせんか、貴様!帰れっ!」
「うひょわぁ、今日も癇の虫の居所が悪いようで。ではこれにて退散いたす」
「二度と来るな!・・・全く」
一喝されて秀吉はあっさり引き下がった。
そして城への道の途中で弟の木下小一郎長秀と義弟の浅野弥兵衛長吉と合流する。
二人も城門でのやり取りを見ていたようで秀吉に意見する。
「義兄上、これは流石に無理ではないでしょうか」
「弥兵衛の言う通りだ、兄者。これじゃ話もできん」
「何を言うとるんだ、お前ら。やっと一歩前進したところだろ」
「「え?」」
これに対する秀吉の答えに二人は困惑した。
これは無理だという二人に対し、秀吉は当たり前だと言わんばかりにここがスタートラインだと言い切った。
「この4日、通いつめて顔も見せんかった稲葉が遂に顔を出した。もうひと押しといったところよ」
(凄いなぁ、義兄上の
長吉は自分の義兄の根気を見習いたいと素直に思った。
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それからも執拗に秀吉は曽根城を毎日訪問、来るたびに良通が城門の上から帰れと叫び秀吉退散。
この展開が5日間続く事になった。
そして10日目には良通の方が根を上げて秀吉と面会することになった。
秀吉が通された広間には嫡子である彦と庶長子の重通、他家臣数名も同席していた。
「何度も来られて申し訳ないがこの稲葉良通、裏切り者と蔑まれては稲葉家の祖先に申し訳が立たんのだ。悪いが諦めてくれ」
「おや、これは異な事を。誰が何を裏切ると申されるのですかな。この戦いは斎藤利治様と斎藤龍興の相続争いでありましょう?つまり斎藤家の内紛ではございませんかな」
「む?」
秀吉は何故良通が会わないか、その理由は大体察しがついていた。
情報収集で得られた成果から稲葉良通の人となりを推測したからだ。
彼は利より道理を重んじる男だと。
なので秀吉はそれに対する答えを幾つも用意してからここに来ていた。
「信長様はただ道三公の筋目を正すべく、義弟の利治様を推しているに過ぎません。別に裏切るという話にはならないのでは?」
「それは詭弁だ。現に織田家は美濃の各所を制圧しているではないか」
「これが詭弁であっても何も問題はありません。何故なら美濃の大半の豪族や民衆はそのように考えているからです。でなければ今頃美濃では大規模な一揆が起きている筈ですよ。織田家がただの侵略者だというのなら。どうですかな?」
「む、むう」
織田家の美濃侵攻の名目は『斎藤利治こそ真の斎藤家当主』なのである。
これがあるため美濃の豪族達は難なく旗色を変える事が出来る。
更に美濃の民衆も信長の到来による安定した美濃統治に期待しているため、寝返った豪族達に対して何も言わないのである。
ここらへんは斎藤龍興が民衆から見限られているというのも大きい。
なので稲葉良通がここで寝返ってもそれを非難する人間はいないのだ。
(劣勢だな、親父殿)
(親父殿はあまり弁が立たんからのぉ。相手が悪い)
「それでも裏切りを気にするというのなら『楽毅』に倣われませ」
「楽毅だと?」
楽毅は大陸の春秋戦国時代の燕の武将。
彼は当時の強大国であった斉を打倒するため周辺国と連合し『合従軍』を組織した。
そして合従軍を率いて斉を滅亡寸前まで追い込む。
だがその最中に燕の昭王が亡くなり恵王が即位する。
この恵王は以前から楽毅が気に入らず対立していた。
そこを斉の将軍・田単に突かれ離間の計に嵌まり、楽毅を解任して呼び戻す。
楽毅は戻れば処刑されると考え、趙へ亡命した。
これで楽毅がいなくなり合従軍は崩壊、斉は再び田単によって全て取り返されてしまう。
流石にヤバイ事になってしまったと悟った恵王は楽毅に弁明の使者を出す。
そこで楽毅は「自分が亡命したのは讒言で罪人となり処刑されては、重用してくれた昭王の名を汚す事になるからだ」と返書した。
その返答に燕の民衆は楽毅を使いこなせなかった恵王を笑う事はあっても、楽毅を責める者は皆無だったという。
「つまり稲葉殿を使いこなせなかった龍興に問題があるのであって、貴殿の利治様への鞍替えは仕方が無いということです。現に大豪族である安藤家、氏家家、不破家はその様に認識されております」
「・・・」
「龍興に当主たる器が無い事は最早自明の理。この上は利治様の元に集い早期に美濃を安定させる事こそ、稲葉家が取るべき名誉ではございませんか」
(親父殿の負けじゃな。これは反論が出来ん)
(ふう、良かった。このまま行けば稲葉家は無事織田家入り出来そうだ)
「・・・木下殿の話はよくわかった。すまんが少し考えさせてくれ」
「もちろんですとも、良い返事を期待しておりますぞ」
こうして良通と秀吉の会見は終わった。
広間には良通と嫡子の彦、庶長子の重通が残った。
そして良通は自分の子供たちに意見を求める。
この時点で良通の頑固さはかなり崩れている、彦はそう感じた。
「彦はどう見る」
「潮時じゃと思うし、断る理由が見当たらん。龍興が当主の器でない事など明々白々じゃ」
「重通はどうか」
「稲葉家が龍興に殉じなければならない理由はありません。筋目の観点から言っても利治様こそ当主でしょう」
「・・・そうか、わかった。下がって良い」
そして彦と重通は静かに一礼して広間から退出する。
この後、稲葉良通は秀吉の案内の元、斎藤利治と会い織田家入りを決めた。
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首尾よく稲葉良通を説得した秀吉ではあったが、実情はかなり追い詰められていた。
そもそも秀吉が西濃豪族を説得して回っているのは織田家に付けるためではない。
秀吉を中心とした西濃軍団を構築するためなのである。
なのでこの時点で秀吉は恒興や森可成、滝川一益と同格になるはずであった。
だが秀吉は西濃の殆どの豪族から傘下入りを断られてしまう。
理由は木下家の家格の低さと秀吉自身の出自の低さが問題なのだ。
家の家格は上げていく事は可能ではあるが、それにしても限度がある。
はっきり言うと木下家自体出自が怪しすぎて元が判らないのだ、何しろ源平藤橘のどれかも定かではない程だ。
そして秀吉がよく話のネタに語っている『農民出身』も問題だ。
これは秀吉が積極的に広めていた話で、織田家は自分の様な出自でも出世出来ると宣伝するためでもある。
そして秀吉の下には出自が低かったり怪しかったりして取り立てて貰えない才人が集まり、旧織田伊勢守家臣の様な仕官先を失った者達が集う事になる。
だが西濃豪族の様な家格も出自もしっかりしている者達からすれば、秀吉に仕える事は己の家の矜持を粉々に砕く行為なのである。
なので大豪族である安藤家、氏家家、不破家からは即座に断られ、稲葉良通からも「貴殿の事は個人的に気に入っているが家の事は別問題だ、済まない」とやんわり断られた。
つまり秀吉は西濃軍団長なのに西濃の戦力を一切傘下に出来なかったのである。
これではどう考えても軍団長失格で信長に剥奪されても仕方の無い結果と言わざるを得ない。
それ故秀吉は追い詰められていた。
そんな折に部下から報告が入る、菩提山城主の竹中重治が戻っていると。
秀吉は起死回生の最後のチャンスと思い竹中重治に面会を申し込んだ。
「木下殿、ようこそいらしてくださいました。竹中家当主・竹中半兵衛重治と申します」
「ご丁寧に痛み入ります、織田家臣・木下藤吉郎秀吉です」
面会は即座に承諾され、秀吉は菩提山城の広間で竹中重治と顔を合わせる。
この広間には重治の弟や家臣達も同席している。
「用向きは存じ上げております。竹中家の織田家入りですね。もちろん承らせて頂きます」
「有り難い。竹中殿程の名将が味方となれば信長様も大いにお喜びになるでしょう」
「持ち上げすぎですよ、木下殿。私は勝つべくして勝ったに過ぎません」
「ご謙遜を。それが出来る方を名将と呼ばずして如何がなさいます。だからこそ世の人々は貴方を『今孔明』と呼ぶのでしょう」
秀吉はいつもの調子で相手を持ち上げに掛かるが、重治相手にはあまり効果が無いように思えた。
それは重治の表情が少しも動かないからだ。
「・・・自分でそう名乗った覚えはありませんよ。それでご用の向きはそれだけですかな?もしよろしければ宴会の席を設けようと思いますが」
重治は無表情であったが僅かに不快そうであった。
マズイと感じた秀吉はこの持ち上げ方はやめようと思った。
この竹中重治は安いおべっかは通用しないと感じたのだ。
ならばここは飾らずに単刀直入に行くべき秀吉は覚悟を決めた。
「待ってくだされ、竹中殿。実はもう一つ用件があるのです」
「お聞きしましょう」
「竹中殿、どうかこの木下秀吉の部下になって頂きたい!」
この秀吉の発言には竹中家の家臣達が一様に驚く。
どの家臣も秀吉の噂ぐらいは耳にしている、『農民出身』だと。
農民が武士を従えていいはずがない、それくらいは常識だと。
この時代の出自による偏見はかなり厳しい、それは秀吉が侍の身分を獲得しても続いていくのである。
「今差し上げられる物は殆どありませんが、功を立て出世したら必ず報いますのでどうか!」
既に後がない秀吉は座礼から正座しての土下座にまで切り替え頼み込む。
この様子に広間に居並ぶ竹中家臣からも苦笑が漏れる。
竹中家が木下家の家臣など報酬を先に貰っても有り得ない事だというのに、彼は報酬は出世払いだという。
重治の近くに座っている弟・竹中久作重矩もこれはないと確信していた。
(この発言は流石に竹中家を舐め過ぎですよ。絶対に兄上は断るはずです)
しかし重矩や家臣達の嘲笑を他所に、重治は当主の座席から立ち上がって秀吉に駆け寄る。
そして家臣一同が驚愕する言葉を出してしまうのだった。
「頭をお上げください。木下殿の心意気、この竹中半兵衛重治
「え?本当ですか?竹中殿」
「もちろんですとも。殿、私相手に敬語など止めてください。呼び名も半兵衛か重治でお願いします」
「おお、半兵衛、本当にありがとう」
(ええええぇぇぇーーー!!!?何でそうなるんですか、兄上ぇぇぇーーー!!!)
予想外の展開に重矩も全力で叫ぶ。
声に出さず心の中だけで叫んでいるのは流石といったところか。
「お望みならこの菩提山城ごと差し上げましょう。好きにお使いください」
「そこまで俺に・・・ううっ」
(ちょっとぉぉぉーーー!!!?兄上、何をトチ狂ってるんですかぁぁぁーーー!!!)
豪族が本拠地を差し出すなど、(豪族として)殺してくださいと言わんばかりの行為である。
本拠地を失うことは領地を失うことと同義である。
つまり豪族を豪族足らしめている『一所懸命』が無くなるという事である。
竹中家は豪族からただの侍になるのである。
重矩が自らの兄を狂っていると評してもおかしくなどなかった。
だが感極まった秀吉は涙ぐみ、自分の現状を正直に話し始めた。
「半兵衛、最初に言っとくよ。実は俺、実戦経験が殆ど無いんだ。墨俣築城が最初くらいなもんで。だからかなり迷惑掛けちまうかも知れない」
「構いませんとも。殿から『今孔明』とまで評された力でお助けしてみせましょう」
「ありがとう、半兵衛。ならたった今からお前を木下軍団の『軍師』『軍監』に任命する。色々俺に教えてくれ」
「はっ、謹んで拝命致します」
この時代に『軍師』という役職は無いが、近いのは『軍配者』である。
この『軍配者』は権限は一切無く、主君に求められた時のみ助言を行う存在である。
言ってしまえば外部で雇った専門アドバイザーという事だ。
だが『軍監』はかなりの権限がある。
主な仕事内容は作戦の遂行監視や経過報告なのだが、『軍監』は任命した人間の名代となる。
なので信長が派遣した『軍監』であれば、その発言は信長の意思と同義なので軍団長でも拒否が難しいという訳である。
この場合は秀吉に助言できる『軍師』の役割と、秀吉軍団のNO.2及び秀吉不在時には代理として軍団を動かせる『軍監』の役目を授けた訳である。
(マジですかぁぁぁーーー!!!?それって木下殿は戦素人って事じゃないですかぁぁぁーーー!!!・・・はっ!まさか兄上はこれが目的だったとか?)
重矩は秀吉に実戦経験が殆ど無いと知ってとても驚いたが、そこで気づいた事がある。
もしかしたら自分の兄はそれを知っていたのではないかと。
だから大仰に芝居をして最短距離で秀吉の信頼を掴みに行ったのではないかと。
少し調べれば分かることだ。
木下秀吉はまともな武家ではない。
秀吉の元に集った家臣もまともではない、確実に名のある武将はいない、『今孔明』とまで呼ばれる兄にかなう将などいる訳がない。
そしてそんな秀吉の下に付こうという西濃豪族などいる訳がないのだ。
予想しなくても判る、絶対に断られたはずだ。
つまり竹中重治は西濃豪族で唯一秀吉に従った武家で、実力や名声も軍団内最高。
そしていま秀吉の信頼を掴んで、一気にNO.2になった。
兄はより大きな軍団を動かし、より大きな戦場へ行こうとしているのだ。
重矩は猛虎が翼を得たように感じた。
秀吉に寄り添う重治はそんな『邪悪』な笑みを浮かべている様に思えたからだ。
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