池田家女性陣の本気
合議から戻った山内一豊はまず、家臣の五藤為浄の所に顔を出す。自分は直ぐに出掛けるので、山岡景隆の小者役を代わってもらう為だ。
「お帰りなさいませ、殿。如何でしたか?」
「為浄、交渉の話が出たからお前の言う通りに立候補したら死にかけたぞ!」
一豊が合議にて発言したのは為浄からの入知恵があった。織田家との交渉事があれば立候補すると良い、と。少しでも功績を稼いで出世に繋げたい一豊はこれに乗った。その結果、殺されかけたのも事実。
「死んでないじゃないですか。上手くいったのでは?」
「ま、まあな。交渉役じゃないけど。連絡役ってとこか」
「なら家臣を数人お連れください。一人じゃ格好がつきませんから」
為浄は死んでないとあっさり返す。多数の人間が集まる合議で刃傷沙汰などそうそう起こらない。必ず誰かが止めるはずだと踏んでいた。
「この仕事を終えたら家臣の皆に少しは酬いてやれるかな。皆、少し前までは元気無かったし。……そういえば最近は元気が戻った様に思うんだけど、何かあったのか?」
「我々も殿をお支えする覚悟を改めて固めたからですよ」(池田様から臨時収入を貰ったからですけどね)
一豊は今までの苦労を思う。家臣達と南近江の各地を放浪した日々を。何処へ行っても余所者は色眼鏡で見られる。旅費を稼ごうと日雇いの仕事などを探しても地元民優先でなかなかありつけない日々。地縁が無いため尾張に居た時ほど上手くは行かなかった。このままでは全員で行き倒れる破目になるかとも思ったが、家老の五藤為浄が何処からか資金を工面していて事なきを得た。資金の出処を為浄に聞くと4時間にも渡る事情説明を展開し、結局聞いている内に何の話をしているのか解らなくなり、それ以来聞かない事にした。何にしても為浄のおかげで全員助かったのだから。
そして京の都に入る前に現在の主君である山岡景隆と出会った。瀬田川の唐橋に検問所があり、一豊達はそこで捕まった。そこは20人程の侍の集団を問答無しで素通りさせたりはしない。そして事情を説明するうちに彼等は意気投合。一豊は山岡家に仕官する事になった。
仕官出来たからといって、これで安泰という訳ではない。一族家臣の多い山岡家において一豊は完全な外様衆だ。ここで上手くやっていくためには、他の家臣と仲良くなっていく必要がある。その方法は主に『軍談』などに誘って歓待する事だ。資金力が無い一豊は難しいと思っていたが、ここも家老の五藤為浄が何処からか資金を工面してきた。これはおかしいと思い、一豊は今度こそと為浄を問い詰めたが、また4時間に渡る事情説明を展開され、聞いているうちに何の話をしているのか解らなくなった。いつの間にか
だが為浄のおかげで上手くやってこれたのも事実。頑張ってくれた為浄や家臣達のためにもと一豊は気合を入れ直す。
「そうか。なら、頑張って出世に繋げないとな!為浄、ちょっと行ってくるわ。山岡様の雑務は頼んだぞ」
「行ってらっしゃいませ〜」(我々が望んでいる出世は山岡家のものではありませんけどね)
五藤為浄は笑顔で主君を送り出す。腹黒さを感じさせない屈託のない笑顔で。
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山内一豊は二人の伴を連れて、早速にも小堤山城を訪ねた。門番は山内一豊を訝しげに見ていたが、来訪は直ぐに伝えて貰えた。
程なく加藤政盛が現れ、一豊達は客間へと通された。
「殿、山内一豊殿が参っております。」
「分かったニャー。通せ」
「はっ、連れてまいります」
政盛が山内一豊の来訪を告げると、恒興は直ぐに会うと返事した。現在、家老の土居宗珊と囲碁の対局中ではあるが、暇潰し程度でやっているので中断は容易い。まあ、いつも通り恒興が負けているので中断に躊躇いさえなかった。
「やっと来たのか。結構掛かったニャー、アイツ」
「これで甲賀攻略戦も終盤ですな」
一豊と会う為に広間に向かう恒興に土居宗珊も追従する。甲賀攻略戦が始まって一ヶ月程、漸く終わりが見えたかと宗珊は胸中で安堵する。
恒興は適当な広間で山内一豊と面会する。その表情は固く、まるで見知らぬ人でも見るかの様だった。
「あ、あの〜、お、お久し振りです」
「そんな下らん挨拶しに来たのかニャ、お前は?」
恒興は突き放す様に応える。目下の者とはいえ、恒興にしては珍しい態度だと宗珊は思う。若干、怒っている感じもあり、一豊はそんなに遅かったのだろうかと疑問に思う。
「あ、いえ、そうではなく。甲賀合議衆の意向で来ました。甲賀は和睦交渉をお願いしたいとの事でして」
「口上は理解した。甲賀との交渉の席を用意するニャ」
恒興は短く答え、交渉に到る経緯諸々も聞かなかった。まるで一豊に聞かなくても知っているといった風である。
(ふぅ、良かった。これで任務達成か)
「ただし、交渉人は此方で指定する。元瀬田城主・山岡景隆殿だニャ」
「は?え?何故に殿を?」
「……何でお前にそんな理由を話さにゃならんのだ。お前はただの伝言役だろうが。さっさと伝えに帰れニャ」
(やっぱり嫌われてるよ〜)
恒興の方から一豊の現在の主君である山岡景隆が交渉人に指名される。山岡景隆は甲賀豪族ではない。甲賀出身豪族という先祖のルーツが甲賀地方にあるだけだ。それが何故、甲賀代表の交渉人になるのか?自分が仕えている事が加味されているんだろうか?と疑問は尽きない。だが、そんな一豊の疑問を恒興は一蹴する。
恒興は一豊の疑問に一切答える事はなく、彼を追い払う様に下がらせた。
一豊が帰った後、一連のやり取りについて土居宗珊は恒興に尋ねる。
「少し義弟殿に厳しいのでは?此方の思惑通り、交渉を持って来たのですから、少しは
「ああ、それニャ。実は今回の出陣前にこんな事があってニャ」
恒興は遠くの空を眺める様な素振りで、思い出しながら語り始める。
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恒興に幸鶴丸とせんが産まれて、にわかに出陣準備が始まった頃。縁側に居た恒興は千代の質問攻めに遭っていた。その内容はいつも山内一豊についてだった。
「ねぇ、お兄ちゃん。一豊様はどうなってるの?為浄君は来てないの?」
「特に聞いてないニャー」
前回に資金を渡してから五藤為浄は来ていない。恒興が悟られない様に動けと指示したからだ。その中には犬山に来る事も含まれている。
「一豊さんは今どこに居るんです?」
「南近江瀬田の山岡家に仕官したみたいだニャー」
嫡子の幸鶴丸を腕に抱えて、日向ぼっこしている美代も一豊の行方について質問する。
「一豊様、帰ってくるんだよね」
「ニャーにそんな事言われてもニャー。帰って来る来ないはアイツの意思だし」
「ええー、帰って来ないのー。これは私が行くべきかも」
「ちょ、ちょっと待ちなさい、千代。そんな事ないですよね。ちゃんと帰れる算段をあなた様が付けているんですよね?」
千代は一豊が帰ってくるのか分からないと聞くと、ならば自分が一豊の下に行かないとと気合を入れる。そんな妹を見た美代は慌てた。以前、一豊の下でどんな生活をしていたかを知っているのだから当然と言える。前回は犬山に居たから間に合ったが、南近江となれば手の届く範囲ではない。千代を守りたい美代は一豊に帰ってきて欲しかった。
「そんな事言われてもニャー、幸鶴丸ー」
恒興は美代の腕の中で眠る我が子の頬をつんつんと指で突いてみる。弾力と張りがあって中々心地よい。だが美代は気に入らない様で、幸鶴丸を恒興から離す。
「幸鶴丸は寝ています。起こさないで下さい」
「まあ、あれだ。帰って来る来ないは山内一豊が決める話で、ニャーが強制する話じゃないんだよ。強制的に家臣にするなんて出来ないだろ」
「えー……」
「それはそうでしょうけど」
帰るも帰らないも山内一豊次第。彼の意思が無ければ池田家に仕えるという話も無理だ。と、恒興は語る。その言葉は一般論であり常識だ。
だから美代も千代も黙るしかない。そのくらいの常識は彼女らも分かっているのだから。
だが、それに異を唱える人物が現れる。
「とても悠長な話をしていますね、恒興」
「お義母様」「養徳院様」
恒興の娘であるせんを腕に抱いた母親・養徳院桂昌である。現在、せんの母親である藤が寝込んでいる為、彼女が代わりにせんの面倒を見ている。というか、彼女が他人に譲りたくないだけで、赤ん坊の世話は女中全員でやる。
養徳院の登場に美代と千代は恒興を説得してくれるのではと期待する。
「母上、悠長とか言われましても一豊にその気が無いなら無駄ですニャー」
「恒興、貴方なら強制する術を持っているのでしょう」
「ギクッ。そ、そんな事ないかも知れないじゃないですかと思う次第ではないのかも知れませんニャー」
「面倒なのですか、恒興?」
恒興なら強制出来る。養徳院の指摘に恒興は言い澱む。このままだと核心部分まで踏み込まれる可能性がある。そう感じた恒興は急いで会話を切る事にした。
「そうじゃないですが、母上。これは武家同士の話です。干渉は止めて頂きますニャ」
「……」
「ニャーは出陣の準備がありますので、これにて」
一方的に言い放ち、恒興は縁側を後にした。恒興のいきなりの豹変に美代と千代は呆然と見送った。
「急にどうしたんでしょうか」
「あれは拗ねていますね」
美代と千代は恒興が何故に態度を急変させたのか、見当もつかない。だが、母親である養徳院には解る。恒興は怒ったのではない、踏み込まれたくないから急いで会話を切っただけだ。恒興が一豊に対して抱いた負の感情を他人に悟られたくなかったからだ。それすらも養徳院は見通し、恒興の感情を『拗ねている』と評した。
「え?拗ねてるというのはいったい?」
「おそらくは一豊殿を誘ったのに断られましたから、根に持っているのでしょう」
「それはたぶん、木下秀吉さんの誘いを断ったばかりだったし」
恒興が拗ねている理由。それは自分が直々に家臣に誘ったのに、一豊はにべもなく断ったからだ。
一豊にも事情はあった。織田信長の織田弾正忠家は山内家の主家である織田伊勢守家を滅ぼした仇敵。そして山内家も滅ぼして、一豊の父親も自刃して果てた。これだけやられて織田信長を敬えというのは無理がある。だから一豊は木下秀吉の誘いを断った。
しかし一豊には家臣達が残った。彼等の生活を考えれば、織田信長に迎合するのも已む無しとは思う。意地だけでは飢えて死ぬだけだ。そんな折りに義兄となった恒興に呼び出された。暮らしの厳しさで千代に苦労をかけてしまい恒興が怒ったのだ。そこで恒興から仕官の誘いを受けた。一豊の心中はだいぶ揺れていたが、仕官の旅をする事になる。
ただ、何れにしても断られた恒興は不快であった。表情にすら出さないが。
「事情はあったのでしょうが、あまり悠長にはしていられないと思いますよ」
「一豊さんが、ですか?」
「ええ、たしか一豊殿には20人程の若い家臣が付いているはずですね」
「はい、その通りです」
養徳院の問いに美代が答えていく。たしかに一豊には若い家臣が20人程付いている。高齢老齢の家臣や女性、子供などは犬山に残っている。名目上は『千代の護衛や世話係』となっているが、仕事は恒興から出している。
「一豊殿は山岡家で小者をしていると聞きました。では、その家臣の方達は何をしているのでしょうか?一豊殿が小者なら同格の小者という事はないでしょう。それに山岡家の規模は分かりませんが、豪族が20人程の余所者を一息に雇い入れる事はほぼ無いのです」
「それはそうですね。遠藤家でも地元縁者が優先ですから」
「なので家臣の方達は山岡家に雇われていない野侍の状態です。一豊殿を手伝いながら日雇い仕事で糊口を凌いでいるでしょうね」
山内一豊は山岡景隆の小者となった。だが他の家臣は山岡家に仕官出来た訳ではない。以前に犬山に来た五藤為浄も小者の部下、野武士と大差ないと嘆いていた。
「みんな、苦労してるんですね。じゃあ、私が行って手伝わないと」
「だから待ちなさいって、千代」
「千代、池田家の女がそんな迂闊に動いてはなりませんよ。これは恒興の言う通り武家の話ですから、私達に出来る事は少ないのです」
「は、はい」(私の所属は池田家になってたんだー)
千代は一豊の所に行って手伝うと気合を入れたが、養徳院に窘められる。美代も千代を引き止めたい。養徳院の一言で千代が素直に返事をしているのを見て、説得力が違うなぁと美代は養徳院を頼もし気に思う。自分も養徳院の様にならねばと。
実際のところ、千代の所属は山内家で次は遠藤家になるはずだが、養徳院の中では遠藤家ではなく池田家になっている様だ。いつの間にやら千代は池田家の一族扱いされているのだが、千代にとっては実家より頼れるので異議を唱える気は無い。
「私が言いたいのは一豊殿が危ないという事です。今の現状に一豊殿は良くても家臣の方達は長く堪えられないでしょう。そうなると家臣離散の恐れが高く、一豊殿を害する恐れすらあります」
「そんなー、一豊様は大丈夫なんですか!?」
今の現状に山内一豊の家臣達はいつまで堪えられるのか、という話だ。小者でしかない一豊の給料では彼等を養うなど不可能。日雇いなどの仕事をして生活費を稼ぐ必要がある。それでいて一豊の手伝いもしなければならないので、追い詰められるのは時間の問題だと養徳院は見ている。
一応、恒興は歓待費用として為浄に多額の資金を渡している。いくら歓待に使うにしても半分以上は残る計算で渡したので、残った資金は家臣達の生活費になると予測している。それくらいの運用は家老の五藤為浄がするだろうと期待している。ただ、これは恒興しか知らないので、養徳院は知る由もない。
「今はまだ大丈夫でしょうが、急ぐ必要はありますね。それに一豊殿は一門衆に最適な人物。恒興の計画でもそうなっていると思っていたのですが」
「一門衆、そう言えば池田家には居ませんね。珍しいと言いますか」
「恒興に男兄弟が居ませんし、家督相続の際に親族は出奔しましたのでね。今は信長様の守護と恒興の実力で一門衆無しでやっている訳です」
現在の池田家には一門衆が存在していない。恒興は父親の池田恒利が早世した為、3歳という年齢で家督を相続した。当然なのだが3歳児に武家の当主が務まる訳がない。だから親族達は
恒興には織田信秀が自分の息子として庇護を与えていたし、織田信長とも兄弟の様に育ったので、信長の贔屓もある。
それに池田家は大身の武家ではない。恒興が相続したのは1500石で、現在は15万石くらいに増やした。これは信長の贔屓だけでは不可能、恒興の実力と功績で獲得した。故に後年の歴史学者には「尾張池田家は池田恒興から始まった」とまで言われる。恒興以前の経歴がサッパリ解らないという意味でもあるが。
現在、恒興の家臣団は池田家創業を支えた家臣と言える。池田家の拡大と共に家臣自体も恩恵を受けている。恒興から利益を得ている彼等は忠誠心も高く裏切りの可能性は無い。だからこそ恒興に一門衆など不要なのだ。
「なら一門衆無しでも大丈夫という事でしょうか?」
「美代、一門衆が居なくて困るのは幸鶴丸ですよ。当主の最後の護りとなる者達ですから」
「こ、この子ですか!?」
「小さい武家は一門のみが多いですが、大きな武家となれば一門衆と外様衆の混合です。現在の池田家は外様衆のみなので、これはそのまま下剋上の種になります。または幸鶴丸が傀儡にされる未来もあります」
「そんな、どうすれば……」
一門衆が居なくて困るのはその実、次代の幸鶴丸である。現在の家臣達が恒興に謀叛する可能性は無くても、次代の幸鶴丸にまで絶対の忠誠を誓うかは分からない。今の家臣にその気は無くとも、彼等の子や孫になればどうなるか分からないのである。
養徳院は家臣を疑っている訳ではない。ただ、人は環境が揃うと犯罪だとしても手を染めるものなのだ。だから犯罪や裏切りに走れない環境を整備するのが大切なのである。『環境が人を悪人にする』所謂、『性善説』である。
池田家が小身の頃は家臣も一族ばかりで、恒興の家督相続に『3歳児』『女系嫡子』『後見人無し』が重なった為、お家騒動へと発展した。家臣を悪の道に走らせるレールを敷いてしまったからだとも言えるのだ。彼等も普段は悪人などではなかったと、養徳院は昔の己の失態を思い出す。
現在の池田家は大身なのだが、外様衆ばかりで一門衆が居ない。特に恒興の次に勢力を持つ家老の土居宗珊は単独家老であり脅威と言える。恒興が早世したとして、彼が幸鶴丸を立ててくれるのかという話だ。良くて傀儡、悪くて下剋上。彼に対抗出来る存在が居ないから、恒興が早世したら悪の環境が整ってしまう。無論、養徳院は土居宗珊を疑っている訳ではないが、他人の善意に全力で期待するのは愚かだと考えている。
この一門衆と外様衆のバランスこそがお家安泰の鍵となる。バランスが偏るとお家騒動や下剋上に繋がりやすい。
「だから一門衆が必要なのです。外様衆を牽制し当主を守る為に。幸鶴丸にとって一豊殿は叔父。恒興の次に近い近親者です。もちろん幸鶴丸が立派に育つまで恒興が後見すべきですが、世の中往々として上手く行かないものです。人の寿命までは測れませんからね。保険という意味でも一豊殿は必要ですよ」
「お義母様、その〜、一豊さんは頼りになるんでしょうか」
「美代、一豊殿だけではなく山内家全体という意味です」
「なるほどです。山内家の人達は頼りになる人が多いですね」
故に養徳院は山内一豊に期待するところが大きい。単独家老に対抗出来る一門衆を今のうちに育てて行かなければならないと考えている。
美代の一豊評価はあまり高くはない様だ。まあ、妹の千代に苦労を掛けた分、低いのだろうと思う。しかし養徳院からすれば一豊評価は少し違う。織田伊勢守家が滅びた『浮野の戦い』から4年が経過しているにも関わらず、山内家臣は未だに一豊を立て続けている。一豊が普通の凡人なら既に見捨てられていてもおかしくないのに、誰も離れようとしない。これは山内家臣が強烈な忠誠心の持ち主なのか、一豊が人を惹き付ける何かを持っているかのどちらかだろう。山内家臣全員が強烈な忠誠心の持ち主というのは考え難い。ならば後者なのだと養徳院は思う。彼女が一豊に期待しているのはこの部分だ。もちろんそれは家臣の統制にも役立つであろう。
「一門衆の形成を一から取り組まねばならない池田家にとって一豊殿の池田家仕官は既定路線だと思っていたのですが、どうにも恒興の良くない癖が出ている様です。少し根に持つと言いますか」
一門衆の形成は池田家の至上問題となっている。そんな事は恒興が一番知っているはずだ。それなのに恒興は一豊を迎える事を明らかに渋っている。自分で計画しているはずなのに、自分の感情だけで否定する矛盾状態にある。
「それじゃ一豊様は戻って来れないんですか?」
「それは池田家としても困ります。幸鶴丸は池田家が
「奥の手ですか?」
「ええ、美代、千代。協力をお願いしますね」
「「は、はい」」
3人にとってこの状態はよろしくない。池田家の安定を考える養徳院、我が子である幸鶴丸の将来を心配する美代、一豊を想う千代は団結して、この事態に対処する事にした。
その日の夜の事。晩御飯を頂くために恒興は大広間の上座に座る。池田家では御飯を家族皆揃って頂く作法がある。恒興が犬山城主になってからは忙しいため、皆で集まるのは晩御飯のみとなっている。そして恒興が犬山城主となってからは面倒を見ていた娘達が全員、恒興の養女となったので総勢で20人以上が集まる事になる。当然、部屋は大広間でないと無理である。
今日の献立は知っている。メインに鮎の塩焼きがあるのだ。旬からは少し外れてはいるが、ご馳走には違いない。部屋中に漂う良い薫りに恒興は胸を踊らせ席に着く。そして自分の御膳を見て驚愕する。
「あれ?ニャーのご飯、オカズと漬物が無いんだけど?」
そこに鮎の塩焼きは無かった。それどころか大盛りのご飯と大サイズの味噌汁しかない。いつもなら付いているはずの漬物ですら無い。
それに応える様に千代が恒興の前に進み出る。
「お兄ちゃん、失礼しますね」
「え?」
呆気にとられる恒興を置いて、千代は大サイズの味噌汁を持ち上げる。お椀を持ち上げた右腕の袖を捲り、高々と掲げる。そして手を返し、恒興のご飯の上に急降下した。
「そぉい!」
「『そぉい!』ってニャんの掛け声!?……って、あの、ニャーのご飯が『汁ぶっ掛け飯』になってるんだけど?」
「お夕飯です」(ニッコリ)
それだけ言うと、千代は自分の席に戻る。そして恒興の目の前には『汁ぶっ掛け飯』だけが残された。この暴挙とも思える千代の行動に周りは……誰も何も反応しなかった。
だから恒興は気付いた。池田家には遥か昔からの伝承があるのだと。
(はっ!これはまさか、池田家に代々伝わる一嫁相伝の秘技『私怒ってるんですよ、分かっているんですかアピール』の計か!?かつて父上が母上を怒らせた時、一ヶ月に渡って汁ぶっ掛け飯が出て来たという。さすがの父上も土下座して謝ったという、あの伝説の……てかさ、コレ、絶対母上から始まっただろ。なにが一嫁相伝だニャー。一嫁相伝を千代に伝えてんじゃねーギャ!……ウチの養女まで全員が使えるんじゃねーだろな、この秘技)
その伝承とは池田家の嫁が怒ると夫が謝るまで汁ぶっ掛け飯が出されるという恐怖の秘技『私怒ってるんですよ、分かっているんですかアピールの計』である。池田家の男がちっとも料理が出来ない事を逆手に取られた究極の計略なのだ。
だが恒興はこの計略は母親から始まったのではないかと看破していた。いくら池田家でもここまで出来るのは自分の母親くらいしかいないと。という訳で横に座っている母親をチラリと見てみる。
(ほら、やっぱりそうだよ。他の女性陣がニャーから目を反らしている中、母上だけがニャーをガン見してるもん)
恒興が養徳院を見ると目が合ってしまった。他の者達が全て恒興から目を反らす中、唯一恒興を見ている。この事からも『私怒ってるんですよ、分かっているんですかアピールの計』で間違いないと恒興は確信する。
(この秘技を千代にやらせるって事はアレですよニャー。一豊を早く連れ戻せという。……あの野郎、遂にニャーにまで実害が出始めたぞ。くそぅ、ニャーも鮎の塩焼き食べたかったのにー!この母上の策略を跳ね返す術は……ダメだ、何も浮かばねぇ)
『私怒ってるんですよ、分かっているんですかアピールの計』を千代が実行する。その意味は『山内一豊を連れ戻せ』で間違いないだろう。恒興が一豊の事を不快に思っていたのを看破されていたのだ。
この計略を跳ね返す策を恒興は考えるが何も思い浮かばない。状況が悪過ぎるのだ。女性というのは同性で団結しやすい。そして池田家には信長の乳母を務めた養徳院桂昌というカリスマが居て、彼女を中心に織田家中の女性が横連帯で繋がっている。池田家は完全な制圧下だと言える。更に池田邸も9割方女性陣に制圧されていると言って良い。恒興が自由に出来るのは私室と庭くらいだ。当然、厠と風呂は別である。そして最後に、恒興は料理が出来ない事だ。『焼く』くらいしか出来ない。まあ、焼けばだいたい食べれる様になるが。
この事実を認識して恒興は愕然とした。
(ニャーは最初から
とりあえず諦めた恒興は汁ぶっ掛け飯を一心不乱に食べた。無駄に美味しいのがまた癪だった。
恒興は当時3歳だったのであまり覚えていないが、池田家のお家騒動は激しいものだった。あの頃の池田家は1500石で大した事がない様に思うかも知れない。しかし戦国時代では千石で億万長者扱いになる。そのため当主の座を巡る争いは激しいものだった。
何しろ当主となる恒興は『3歳児』『女系嫡子』『後見人無し』と三拍子揃っている。恒興さえ居なければ池田家当主になれそうな人物は何人も居たのだ。恒興さえどうにかすれば当主の座が手に入る。そして恒興を退かす理由なら幾らでもある。誰もがそう思い、一族同士で争った。
この出来事は養徳院に深い絶望を与えていた。今まで忠臣だった者、仲が良かった者、真面目で頼れる者、池田家の根幹を支えてくれていた者、ありとあらゆる者達が当主の座を望んで争い憎み罵り合った。
一番悪いのは己自身であったと養徳院は思う。夫である池田恒利の死去に際し放心状態になってしまい、恒興の地盤固めを出来なかった。だから一族家臣の前に『当主の座』が見えてしまった。あと少しで『当主の座』に手が届く環境を養徳院は作ってしまった。優しく頼もしく信頼出来る家臣達を悪の道へと誘ってしまったのは自分なのだ。自分がもっとしっかりしていれば、彼等も出奔へと追い詰められる事はなかった。結局、この件は織田信長の父親である織田信秀の介入で収まる。
あの誰も幸せになれなかった地獄のお家騒動を繰り返してはならない。そのためなら彼女は心を鬼にする覚悟がある。それは『謀略』の発現でもあった事を恒興は知らなかった。
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「という訳で、八つ当たりしただけだニャー」
「程々に為さった方がよろしいかとっ!!」
理由のあまりの下らなさに宗珊も語気が荒くなってしまう。山内一豊に期待を掛けているのは何も池田家女性陣だけではない。土居宗珊もその一人だ。今の池田家は恒興無しには立ち行かない体制になっている。特にマズイのが恒興の次の実力者が土居宗珊だという事だ。恒興がいなくなると宗珊を止められる人間がいない。宗珊にその気は無くとも、そう考える者が出てしまう。
武士政治は独裁政治、と思う人は多いのだろうか?実は武士による独裁政治というのは殆どなく、かなりの寄り合い所帯政治が主流である。日本史において独裁が出来た武士と言えば『豊臣秀吉』くらいしか存在しない。足利義教も半ば独裁的だったが、それが元で暗殺された。それくらい日の本の統治体制は独裁を嫌う傾向にある。だからこそ家中の勢力バランスの均衡は重要になる。
現在の池田家は誰か一人欠けただけで崩壊しかねない、危うい均衡の上に成り立っている。その補強の意味でも山内一豊の取込みは必須であると宗珊は考えていた。
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【あとがき】
恒興くんは一豊くんを家臣にする気はあまり無かったのですニャー。1回断られたのが不快だった訳です。ま、人間ですから感情的になっているんですニャー。この辺を恒興くんは口に出さないので解りにくいとは思います。一豊くんの事は利用するだけ利用して、後は放置くらいで考えてました。それを養徳院さんに見透かされてしまった話です。
今回のお題は『性善説』。悪い環境に居れば人は悪に染まると捉えられております。たとえばギャングやマフィアが蔓延る町で育てば、悪に染まるという訳です。
べくのすけは普通の人の目の前に突然、悪に染まれる環境を投げ込めば悪に染まると思いますニャー。これも『性善説』と言えるのではないかなと思います。たとえば戦場の兵士が暴虐を働くのは『悪』でしょう。では、その兵士達は元々『悪』なのでしょうか?彼等も故郷に家族が居るでしょう。自宅に戻れは、彼等も良き父、良き夫、良き兄弟なのです。ただ、彼等の目の前に暴虐に走れる環境を作った人間が居るという事です。『悪』に走れる道を整備されたから『悪』へと堕ちた。戦争の狂気とはここから始まるのだろうと思いますニャー。
祝・太閤立志伝復活
ネコ武将モードでテンションが上がりますニャー。現在、熱中しております。
敵さん「籠城して頑張るぞー!」
信玄公「城門爆破」
謙信公「城門爆破」
家康公「土竜攻め」
秀吉公「城門爆破」
一益くん「城門爆破」
敵さん「城門が溶けるー!?」
本願寺さん「ウチの城門は堅い。城門爆破など効かん!」
風魔さん「雷爆の術」
加藤さん「雷爆の術」
高坂さん「雷爆の術」
柘植さん「雷爆の術」
鵜飼さん「雷爆の術」
本願寺さん「兵士が溶けるー!?」
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