三河からの流出
秀吉の浮気騒動が終了した数日後、秀吉は人が変わった様に働き出した。
というものの当初は相変わらず浮気相手達に声を掛けていたらしい。
だが秀吉の趣味趣向は物凄く方向が変わっており、浮気相手の方が引いて逃げていった様だ。
そこに到って秀吉は自分を充たしてくれるのは寧々だけだと気付いた様で、彼女に褒められるべく仕事に励んでいるとのこと。
恒興にとっては池田家の女性陣が怒り出さない事と、墨俣築城が進めば文句はない。
墨俣築城はほぼ秀吉に丸投げして、恒興は中濃攻略と龍興への止めを刺そうと計画しているからだ。
ただ今恒興の目の前に座る土屋長安は別件で来ている。
津島会合衆の様子や北伊勢の発展具合、座(市場)の利権調整の報告等を受けていた。
そしてもう一つ。
「殿さん、例の件調べてきたっすよ」
「おお、どうだったニャー?」
「結果は残念、見付からなかったっす。虎之助も市松も」
「そうかー、ご苦労だったニャー」
恒興は近江の国で脇坂安治に会った事で『賤ヶ岳七本槍』を思い出し、その中でもツートップ的存在だった加藤清正と福島正則を部下に出来ないかと考えた。
恒興は堺から帰った後、土屋長安に命じ捜索させていた。
だが恒興自身が彼等について曖昧にしか覚えておらず渡せる情報も少なかったため、捜索は難航し長安も打ち切りを決めた。
何しろ加藤清正については加藤姓と幼名の虎之助と元美濃侍の子供、福島正則については幼名の市松と町人の息子くらいしか判らず生家や年齢すら知らなかった。
(しょうがないか。ニャー、アイツらの事気にして調べた事なかったし)
年齢で言えばまだ産まれていない可能性すらあるので、長安が見付けられなかったとしても責める気はなかった。
「すまなかったニャー、無理を言って。ま、詫びに茶でも点てるので飲んでいけ」
「ゴチになるっす。あ、でも全くの無駄足って訳でもなかったっすよ」
加藤清正と福島正則の事ではないが、長安にとっては他の収穫があったらしい。
それは以前に言っておいた長安の部下捜しの方だった。
「その捜索中に出会った人を家臣にしたっす。伊奈忠家と忠次の親子っす。これがまた街道整備や町割りに詳しくて、役に立つんすよ」
長安が見付けたのは伊奈忠家と伊奈忠次という親子だった。
年齢的には伊奈忠家は34歳、伊奈忠次は12歳とのこと。
現在16歳と年若な長安に御せるか心配ではあるものの、恒興が一番気になるのはそこではない。
(伊奈?伊奈、伊奈・・・もしかして三遠奉行の伊奈忠次か!ニャんで松平家から流出してんの?)
恒興は頭をフル回転させて、前世での知識を掘り起こした。
そして伊奈忠次が三河や遠江の奉行を歴任し、『三遠奉行』と呼ばれた男だと思い当たった。
前世の恒興は大名として領地経営に励んでいたもののあまり成果は上がらず、他家の優秀な内政官の話を聞いては羨ましいと思っていた。
その中に伊奈忠次の名前もあって思い出した訳で、いきなり当たりの家臣を得る長安は侮れないなとも思う。
「その親子、松平家の家臣じゃなかったかニャ?」
「よく知ってるっすね。なんでも伊奈親子は三河の内乱で主家に逆らって出奔したって言ってたっす」
伊奈親子は三河出身なのだから、当然松平家の家臣だろうと恒興は思った。
そんな奉行になる程に有能な人物が流出している理由は三河における内乱が原因だった。
そして恒興もこの内乱は有名なので知っていた。
「三河の内乱!?『三河一向一揆』か!?」
三河一向一揆。
これは織田家と同盟し西三河を制した松平家康と、西三河に広く勢力を持っていた浄土真宗本願寺派の戦いである。
事の発端は寺衆の特権である『寺内不介入』を家康が守らなかったとか、寺に協力する農村から無理矢理兵糧を徴収したとか言われている。
ただ家康は本願寺派とは何れ戦わねばならなかった。
何しろ彼等に三河各所の利権を松平家没落のどさくさに紛れて持っていかれたからだ。
また、今川義元が三河の支配を固める為に気前良くばら蒔いたということもある。
つまり家康は持っていかれた財産を取り返す戦いを始めたということだ。
更にこの戦いを寺側に焚き付けて家康から三河を取り返そうとしているヤツもいる。
三河吉良家当主・吉良義昭である。
元々吉良家は三河守護で今川家の本家筋であったのだが、西条吉良家と東条吉良家に別れ家督を奪い合った結果、両者没落。
更に応仁の乱でもこの二家は戦いに明け暮れ、勢力的に名前だけの存在に成り果てる。
そして今川義元の力で東条吉良家は潰され、吉良家は統一されるも桶狭間の戦いで義元が討ち死に。
後ろ楯を失った義昭は三河守護に返り咲くために寺衆を焚き付けたのである。
だが当初からこの動きは家康の思い通りであった。
家康としても三河の支配権を狙う吉良家を排除する理由になるし、寺衆に奪われた利権も取り戻さねばならない。
西三河を制した家康は入念な準備をしていただろう。
だがここで家康の予想外の事態が起こる。
なんと松平家臣の一部が反旗を翻し、一向一揆に加わってしまったのだ。
主家が没落しても付いてきてくれた者達が、どんな厚待遇で誘われても固辞する忠義の士達が信仰の前では家康にすら逆らうのである。
ここで家康は宗教の恐ろしさを垣間見た。
一時は一揆勢に本拠の岡崎城まで押し込まれ危機に陥るも、別方面から援軍を得て一揆勢を撃退。
その援軍を使い、相手に分断工作を仕掛けて勝った。
その援軍というのが浄土真宗本願寺派の宿敵『浄土真宗高田派』である。
・・・つまり同じ浄土真宗同士で殺し合いをしているのだ。
しかも三河だけでなく加賀でも現在進行形で殺し合っているくらいには宿敵である。
家康が行った分断工作は一揆勢を本願寺派から高田派に鞍替えさせるというものだった。
一般民衆には本願寺派と高田派がどう違うのかは解らず、同じ浄土真宗であるから宗旨変えにならないため効果は高かった。
家康の後援を受けた高田派は勢力を伸ばし、逆に本願寺派は勢力を失って家康と講和するという結果になった。
今頃は「家康のせいで寺が荒れた。元に戻せ」と上から目線で言われた家康が「ああ、元の原っぱに戻してやるよ!」とトンチのきいたブチギレ方をして寺を焼き払っている頃だろう。
これとは対照的に逆らった家臣に対しては、「不問にするから戻ってこい」と呼び掛けて大半は戻った。
だが一部の者達は「今更おめおめと殿の元には戻れない」と三河を後にしていたのだ。
この三河一向一揆の経緯や結果は恒興にとってはどうでもいい、恒興に松平家のやり方をどうこう言える立場にはない。
重要なのは『人材が流出した』、この1点である。
(キター!有能家臣獲得待った無しだニャ!たしかこの乱で・・・そう、本多正信が出奔したはずだ。後年、家康の懐刀となった知恵者を部下にするチャンスだニャー!)
この内乱で結構な数の松平家臣が流出している、とは言うものの流出したのは主だった家臣ではない。
後年知らぬ者はいないほどの人物になる者はいるものの、現時点では小者と言わざるを得ない。
本多正信もそんな一人である。
今の彼は家康の鷹匠の一人であり、顔と名前を家康に覚えてもらえているかは微妙なラインである。
なので正信が出奔しても家康は何とも思っていないであろう。
だがそこにこそ恒興は手を出す価値がある。
家康にとっては大した家臣ではないので、恒興が召し抱えても何も言わないだろう。
何しろ重要な家臣の流出は食い止めているのだ。
だからと言って家康は流出した家臣に死んで欲しい等とは考えていない。
でも勝手に出奔した家臣を援助することは出来ない、示しがつかないからだ。
なので恒興は出奔した三河武士を大々的に集めても家康は何も言わないと踏んだのだ。
出奔者が友好大名である織田家の世話になる事はベストではないがベターというべきだからだ。
「長安、三河からきた侍達は探しだして丁重にもてなすニャー」
「・・・なるほどっす!そうやって手懐けて家臣GETっすね、任しといてくださいっす!」
恒興の言葉に長安は隠してある下心?を一瞬で見抜き了承する。
彼は完全に正しく恒興の思惑を見抜いた。
まあ、恒興が常日頃から「家臣足りねー」と言い過ぎているのが原因だが。
「人聞きの悪いことを言うニャ。ニャーはただ松平殿の友好大名である織田家の家臣として当然の事をしようと言ってるんだ。彼等は明日からの当てがあって出奔したわけではないし、松平殿だって家臣に餓死してほしくないはず。だから我が織田家が彼等の宿り木になるのニャー。・・・そこに私心はない、本当の本当だニャー」
「見え透いてるっすよー、殿さん。でも伊奈親子もそうっすけど、彼等は何れは三河に戻りたいと思ってるっすよ。家臣になるかは微妙かも」
「構わんニャー。何れ松平家に戻るとしてもニャーは不問とする。この条件を付けて誘うニャ。じゃないと即座に断られそうだし」
恒興は三河武士を誘うのに当たって『松平家に戻るのは自由』という条件を付ける事にした。
何しろ彼等はどんな厚待遇で誘われても固辞する者達だからだ。
だからこそこの条件は必須だと恒興は考えた。
(まぁ、本当に有能のヤツは厚待遇にして逃がさんけどニャー。三河武士ってヤツは『怨』を忘れないが『恩』も忘れないからな)
そして裏で一度家臣に出来ればコッチのもの的な打算もしていた。
「その件は了解っすよ。頑張って集めるっす」
「頼むニャー。報告は以上か?実はこれから清良の相談を受けることになっているから行かねばならんニャ」
恒興はこれから未開地の視察とその整備に当たっている土居清良と会う予定だった。
未開地の整備と入植について報告を受けるためだ。
「あれ?奇遇っすね。俺もそうなんすよ」
「そうニャのか、じゃ一緒に行くか」
「はいっす」
長安を伴って部屋から出た恒興は途中の厨房に寄っていく。
そこでは藤が中心となって女中が昼食の仕度に励んでいた。
ここにいる女中達は池田家従者の家族が主で、少数ではあるが小者や奉公人もいる。
藤には未開地の視察に行く旨を伝えてあり、弁当を持たせてくれるとの事なので取りにきたのだ。
「はい、お弁当。今回の『だし巻き』は旨いで。今日は遅なるん?」
実は恒興の好物は『だし巻き』である。
このため藤は母の養徳院に教わり、出汁巻き作りを練習していた。
最近になると手慣れてきたのか彼女流の工夫が入る様になり、恒興も楽しみにしている。
「ありがとうだニャー。うーん、話次第だが夕方までには帰れると思う。未開地に泊まる場所はないし。何かあれば使いを出すニャー」
「わかったわ。あ、長安はんもお弁当。旦那様の事、よろしく頼むで」
「これはどうも、有り難く戴くっす」
厨房で弁当を得た二人は藤に見送られ、犬山城の屋敷を後にした。
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恒興は長安を連れて犬山の領地内にある未開地に向かう。
未開地と言っても雑草くらいしか生えていない整備前の更地である。
何しろここは最近まで洪水の範囲だったため小規模の沼地が多数有るだけの場所でしかなかった。
それが大谷休伯の堤防で洪水が無くなり、沼地から水が抜けそろそろ開拓可能になってきた。
そこで一番暇そうな土居清良に開発準備をさせていた。
これから鉄砲隊を組織しなければならない彼が何故暇なのかと言うと、鉄砲に使う訓練用の『玉薬(火薬)』の調達が遅れているのと恒興の指示によるものだ。
恒興は鉄砲隊の訓練は織田家の鉄砲隊の共通認識を育てる為に各所合同で行おうとしていた。
したがって暇になった清良は開発事業に回っていた。
既に入植が始まり村がポツポツと出来始めた地域に恒興と長安が来ると、それを見付けた一人の青年が駆け寄ってくる。
「殿、長安さんご足労ありがとうございます」
「応っす。来たっすよ」
駆け寄ってきたのは件の土居清良であった。
未だ15歳ながらしっかりとした面持ちの好青年である。
彼は家老の土居宗珊によって推挙され恒興の家臣となった。
現在はまだ鉄砲隊の訓練が始まらないので、宗珊の指示の元で働いていた。
「それで相談って何ニャ。何か問題でも起きたのか?」
「はい。それなんですが、実は未開地で農地に適さない場所が有りまして」
清良は農地に適さないと言うが、この未開地に農地などまだ殆ど無い。
開発前だからなのだが、何故この段階でそれが判るのか恒興は不思議だった。
「・・・?適さないも何もまだ農地は出来てないだろ?何でそんなことがわかるニャ?」
「はい、それも併せてご説明させていただきます」
清良は一冊の本を取り出し説明を始める。
「土質には大きく3種類あり、上・真土、中・音土、下・疑路となります。その中で紫真土・油音土・紫狐真土・黒真土・石音土・真疑路・白真土・風音土・山疑路の9段階に分け土質を見極め、どんな作物に適しているか判断します。更に18の要素を鑑みて農地に適するかを見ます。この18というのはゴミ(埃や土に還りにくい草木)や石、砂といったものが当てはまります。この中でも疑路に当たる土地は耕作地としては向かず・・・」
清良は説明を続けていくものの、恒興にとっては新しい単語の連発であり全く理解出来なかった。
この感覚は以前長安を津島奉行補佐に任命した時のやりとりに似ていた。
恒興の頭の上には?マークが浮かんでいても可笑しくない表情であった。
なので恒興はこの説明を打ち切る事にした、理解出来ない話を続けても仕方がないのだ。
「清良、スマンがニャーには理解出来ない話なんだけど」
「そ、そんなぁ」
一方で話を打ち切られた清良はショックを受けた。
そんな彼を見て長安が助言入れる。
何しろ彼にも経験のある事だからだ。
そして長安はそんな感じの恒興でもちゃんと意見は聞いてくれる事も知っていた。
「ダメっすよ、清良殿。殿に専門的な話したって無理っす」
「うるせーギャ、そういうお前は理解出来たのかよ!?」
「それなりにっす。要は農地にしてもダメな場所が有る、別の活用法を考えるべきってことっしょ。なるほど、それで俺が呼ばれたって訳っすね」
長安にも農地における専門知識はない。
だが清良が最終的に言いたい事は把握出来た。
そして津島奉行補佐の自分に声が掛けられた理由も見当がついたのだった。
「そうなんです。その活用法で長安さんに相談しようと思いまして」
「場所はどの辺っすか?」
「犬山城の東側、堀川の沿いで広さは1万石相当かと」
「い、1万石も使えないのか!?そんニャー」
清良の報告に愕然とする恒興。
何しろ恒興の給料となるべき土地が1万石も使えないといわれたのだ。
開発が終われば6万5千石だったはずなのに、いきなり15%減となってしまった。
恒興が泣きそうなくらいしょげていると、それまで考え込んでいた長安が閃いたように発言した。
「いや、殿さん。これは好機っすよ、やるなら今しかないっす!」
「え?何をだニャー?」
「犬山は尾張の商業の中心である清州と大きな街道で繋がり、木曽川沿いで水運にも恵まれているっす。なのに商業規模が小さ過ぎるっすよ、勿体ないっす。更にこれから美濃が織田家のものになれば、美濃の商業開発を考えなければならないっす。その時には津島や熱田のような巨大な市場と物資の集積基地が必要になり、犬山は東濃中濃に接続出来る最高の立地っすよ。何しろ水路も陸路も使えるんすから、期待値は相当なものっす。その使えない1万石の土地で、1万石なんて遥かに超える売上を挙げてみせるっすよ。そうと決まれば図書助殿に相談してくるっす。俺の手で津島や熱田を造り出す好機!早速伊奈親子には町割りと街道整備を計画させるっす!という訳で行ってくるっすよぉぉぉー!」
「そうと決まればって、お前。ニャーはまだ何も言ってない・・・って、もういねーギャ!」
長々と説明染みた発言を言い終えた長安は即座に走り出し、恒興がツッコミを入れる頃にはもういなかった。
恒興は何も許可していないのではあるが、よくよく考えてみれば長安の言う通りである。
1万石もの広さの土地を遊ばせる訳にはいかないし、出来れば1万石分を補填出来る収入になって欲しい。
そして長安は出来ない話はしない男であり、商業開発においての実績は既にある。
だから恒興は長安に任せておけば大丈夫かと思い直した。
それに一番納得がいったのは美濃の商業開発の事である。
現在北伊勢の商業開発が盛んになってはいるが、上手く行っていない場所もある。
あくまで商人視点の都合だが。
それは物資の集積拠点が神戸家の領地にない事だ。
神戸家の領地には鈴鹿の湊があるものの小規模で物資の集積には向かない。
このため神戸家や関家の周辺の市場に効率よく品物が行き渡っていないのだ。
それより北部は滝川一益の桑名が拠点となっているので問題はない。
このため津島会合衆からは鈴鹿の少し南にある『安濃津』の湊を占拠するよう、要望が来ていると長安から報告があったばかりだ。
この様に僻地の商業開発には拠点となる商業都市兼物資集積拠点が必要となる。
揖斐川と近江路に直接接続している西濃は何も問題はない、既に開発されているので商人達も旨味は少ない。
だが東濃や中濃はまだまだ商業未開地で、津島会合衆もてぐすねをひいて待っているだろう。
何しろ信濃へ続く東山道は船と海路の発達とともにかなり前から廃れているからだ。
その商業開発の拠点に犬山が成れれば、どれ程の利益を生むか分からないという訳だ。
「げ、元気な人ですよね、長安さんは」
「ああ、そうだニャー。とりあえず使えない1万石は長安に任せて、他3万石の入植を頼む」
「はい、お任せください」
清良は民政家としても優れているとは宗珊からも聞いていた。
しかし土を見ただけで農地に向くか向かないか判るというのは相当な知識がないと無理だろう。
普通は田畑を作ってから判るものではないのかと恒興は思う。
しかし農家には土を口に含んで良し悪しが判る人もいるという、会ったことはないが。
それがこの土居清良には見ただけで出来るということだろう。
「清良、一つ聞いておきたいのだけど、土質の改善は可能ニャのか?」
「はい、可能ではありますが時間と費用がかかりますので、今回はお薦め出来ませんが」
清良によれば土質自体の改善は時間と費用が掛かるが可能との事。
となれば広さの割りに収穫が少ない場所を清良に見てもらえば解決策が出てくるかも知れないということだ。
流石宗珊が目を付け推挙するだけの事はあるなと恒興は感じた。
そして推挙されたもう一人の人物である渡辺教忠も既に親衛隊を統率し訓練に励んでいる。
こちらも飯尾敏宗が中々出来るとほめていたくらいだ。
宗珊に推挙された二人は直ぐに活躍を始めていた。
「あ、いや、聞いただけだニャー。いつかやってもらうかもと思っただけだから」
「分かりました。今回の土地が商業地として発展しましたら、また提案したい事がありますので・・・」
「おう、いつでも言うといいニャー」
今回の件により恒興は土居清良をかなり使える家臣として記憶した。
もしもこの未開地開発を他の人間がやって全部農地にしていたら、確実に1万石分の開発費と人員が無駄になったであろう。
これだけでも既に清良は池田家にかなりの利益をもたらした訳である。
恒興はこの若者の今後が楽しみになっていた。
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清良と別れた恒興は伴った長安がいなくなった事で、自由に未開地を視察することにした。
季節は夏に入り未開地は雑草ばかりの草原の様相である。
だが恒興はこの広い草原が来年の秋には一面黄金色に輝く様を思い浮かべた。
それはきっと恒興が土蔵に納めている『金塊』よりも美しい金色に違いないと恒興は思うのだ。
その様を想像するだけでもとても興奮している自分がいることを恒興は否定することは出来ない。
願わくばこの想いが時を止めた様にずっと続けばいいと本当に願いながら、・・・現実に戻る事にした。
その現実というのは今現在進行形で行き倒れている人間が恒興の目の前にいる事だ。
(何でこんな所に・・・。町中で行き倒れろよニャー)
ここは未開地である、故に人はまだいないし道も無い。
なのにこの男はわざわざ道から外れた野原でうつ伏せに倒れている。
そこに馬に乗って草原を走っていた恒興に発見された訳だ。
因みに生きている事は判っている、背中が上下して呼吸しているからだ。
血の匂いも無いので外傷はないと思われる。
という事は野盗に襲われた線もなさそうだ。
あとは流行り病の可能性もあるが、恒興は本人を起こして聞くことにした。
「おい、起きるニャー。何があった?」
恒興は馬から降りて、行き倒れの男を揺さぶる。
すると男は目を覚まして呟いた。
「・・・おお、孫六か?父はここまでの様だ、お前は強く生きるのだぞ・・・」
「誰が孫六だニャー。息子がいるなら尚更死ねんだろうが。原因は何だ?怪我か、病か?」
この時点で男の意識は覚醒したようで、恒興の事を認識した様だ。
この男は体つきが大変しっかりしており行き倒れたにしては元気な様だ。
また、腰に刀を差しており彼が侍である事を示していた。
「そ、それは・・・」
「それは?」
あとは倒れていた理由なのだが男は話そうとしなかったが、代わりに応えたものがある。
ぐううぅぅぅっと大音量で彼の腹がなったからである。
「・・・」
「・・・腹が減ってただけかニャ」
しょうがないと恒興は手持ちの食糧を探す。
見付けたのは・・・藤が作ってくれた弁当だけだった。
(スマン、お藤。緊急事態だニャー)
恒興は心の中で藤に謝りながら、荷物を探り弁当を男に差し出す。
「ぐっ、他人の施しは受けん」
「行き倒れているくせに施しは要らんとか、お前は三河武士か?」
「な、何故判る!?」
「そんな面倒くせえヤツはここら辺じゃ三河者くらいだニャー!」
三河者=面倒くさい頑固者という図式が成り立つ事くらいは有名である。
三河者達は鎌倉時代に主君だった足利家の親族『世良田氏』が北条得宗家に潰されたのを延々と恨み続けたという。
そして足利高氏が六波羅援護のため京に登る途中、三河に立ち寄る。
そこで三河者達は当時の三河の統治者である吉良貞義に倒幕の直談判をさせたという逸話があるくらいだ。(太平記では高氏から貞義に倒幕を打診して賛意を得ているのであくまで逸話である)
そんな逸話が語られるほど三河者の一途さや面倒くささは有名だということだ。
そしてこの行き倒れ男も例に漏れず三河者だということだ。
「三河から出奔してきた松平家臣ニャんだろ。いいから食え」
「だから施しは・・・」
「お前はニャーに怨みでもあるのか?ニャーの領地で松平家臣が餓死とか、ニャーは松平殿に何と言えばいいんだニャ。そんなに松平殿に迷惑を掛けたいのか?」
拒み続ける男に恒興は切り札を見せる。
即ち『お前の主君の迷惑になるぞ』である。
さすがにこれを言われればこの頑固者も音を上げるだろうと恒興は踏んでいる。
「い、家康様の迷惑に?」
「当たり前だろうが、織田家と松平家の仲にヒビを入れかねん事態だニャ。わかったら食え!」
そして男は俯き申し訳なさそうな顔で、ようやく恒興の弁当を受け取った。
「・・・申し訳ござらぬ」
最後にそう言うと、男は一心不乱に弁当を食べた。
そうとう空腹だったのだろうが、飯を掻き込み過ぎて喉を詰まらす。
それ見た事かと恒興が水の入った竹の水筒を差し出す。
「一気に掻き込むニャ。ほれ、水だ」
「ゴホっ、誠に申し訳ござらん」
そして男は恐ろしい速さで弁当を平らげた。
それは見事なまでに綺麗さっぱりと食べ尽くされていた。
「大変美味しゅうござった。感謝いたす」
「そりゃ、ニャーの昼飯だからな」
(ああ、ニャーのだし巻きが・・・ぐすん)
だし巻きだけでも避けておけば等と無駄な後悔をして、泣きそうになる恒興であった。
一方の行き倒れ男は食べ終わった後、その場で恒興に向き直り深々と礼をして自己紹介をし始めた。
「私はお察しの通り松平家家臣で足軽大将を務めておりました。名を加藤三之丞教明と申す」
足軽大将というのは軍制における役職名である。
軍制自体はそれぞれの大名家によって違うが、足軽大将は50~100人程度を統率する。
これを集めて500~1000人程度を備大将(侍大将とも)が統率する。
これ以上になると総大将や軍大将が統率することになる。
例でいうと信長がいる場合は信長が『総大将』で、この場合恒興は『軍大将』となる。
そして恒興の指揮下に金森長近が『備大将』で長近の部下が足軽大将を務める訳だ。
信長がいない場合は恒興が『総大将』となり、『軍大将』は置かない。
今の池田家の規模なら不用だからだ。
これが軍編成の基本でこれに特殊な役割を持つ者を加えていく。
土居清良の『鉄砲大将』、渡辺教忠の『旗大将(親衛隊長)』、土屋長安の『荷駄大将(補給部隊長)』、飯尾敏宗の『先手大将(先鋒の備大将)』、加藤政盛は『軍目付(情報収集や軍功の記録)』に相当し、土居宗珊は恒興の補佐役なので『副将』や『軍監』と言ったところ。
金森長近と滝川一盛はそのまま『備大将』である。
因みに大谷休伯は出撃禁止令が信長から出ているので、恒興が出撃すると犬山城の留守居役になる。
またこの他に軍師の役割を持つ『軍奉行』や主君の一門衆が就く『脇大将』もある。
松平家における足軽大将なら大体だが長近の家臣くらいに相当するだろう。
給料的には20~100石程度と見られる。
「はぁ、何でそんなに意地を張るニャー。松平殿も戻ってこいと言ってるんだろ。行き倒れるくらいなら戻ればいいのに」
「皆が信仰より殿を取る中、私は信仰を取ったのです。今更どの面下げて殿に会えるかと」
教明は本願寺派の僧侶に恩があり、それを仇で返す事は出来なかったとのこと。
真に浄土真宗の信徒として参加したわけではないというところは恒興を安堵させた。
加藤教明が誰かは知らないが松平家の足軽大将を放っておく手はない、恒興は既に彼を誘う気でいたからだ。
もし信仰心で参加していたのなら、後々厄介な事になるので避けたところだ。
「それでこれから行く当ては・・・聞くだけ無駄か。あればこんな所で行き倒れてはいないかニャ」
「はい、息子は馬飼い衆に預けましたので、私は京の都まで行って仕事を探そうかと」
「何で人は困ると京の都へ向かうのか。そこに救いはないニャー、向こうの人々も自分で手一杯だし」
「うう、それはそうですが・・・」
日の本の人々の傾向の中に、困ると京の都に行くというものがある。
京の都なら何とかなるかもと思うのかも知れないが、これが飢饉になると大量の農民まで京の都に来る。
京の都に大した石高は無いので、飢饉となれば普通に食糧難である。
この辺が京の都周辺で餓死者が多い原因だったりする。
彼等が無縁仏と化すのは当然で、何処から来たかもわからないからだ。
この教明も例に漏れず京の都に向かいながら仕事を探すのだろう。
「ここで会ったのも何かの縁だ。ニャーの所で働け、給料は200石だニャー」
「有り難い申し出にはございますが、私は他家に仕官は出来ませぬ。私は家康様の家臣でございます故」
京の都に向かわれる前に恒興は誘ってみるも、即座に断られる。
だが、そんなこと恒興は最初から想定済みである。
そしてまた対三河武士用の切り札を見せるのだ。
「・・・ニャーはお前が松平殿の元に帰れる道を示しているんだがニャー。お前、このまま野に下り侍としての仕事を何もせず、それで松平殿が喜ぶと思うのか?」
「・・・」
「だが侍としての仕事をするなら他家に仕官する他ない。それ自体難しいが仕えるなら松平家と婚姻同盟を結ぶ織田家が最適ではないかニャ。織田家で実績を積めば松平殿だって戻ってきて欲しいと思うだろうし、その時に移籍するにしてもニャーは何も言わん。松平殿との取り次ぎ役が一人増えるしな」
更に自分の主君の元には何時でも戻れるという条件も提示しておく。
ここまでくればこの加藤教明の心もかなり揺れるであろう。
「侍としての仕事、お役目でござるか」
「野に下ろうが、謹慎しようが、頭丸めようが、そんなもので松平殿が喜ぶ訳がないニャー。どんな主も役に立つ部下を欲しがるもんだニャ」
「成る程、確かにその通り」
恒興の言葉を聞き教明の心もかなり傾いてきた様だ。
それに彼個人としても早く仕事を見付けたいという願望はあるので、傾くのも早かった。
それは他人に預けてきた一人息子の孫六の事だ。
ここで教明が仕官出来れば、彼は堂々と息子を迎いに行けるのだ。
「これからニャーは松平殿の所から出奔した侍を集めるつもりだニャー。お前にはその纏め役をして欲しい」
「松平家の侍を集めて何をなさるおつもりか?」
「ニャーはまだ家臣が少ない。例え後々松平殿の元に戻るとしても、今は力を貸して欲しいのが一つ。もう一つは当家と松平家の家臣の仲の悪さの改善、今回の件はこれにも効果があると見ているんだニャー」
恒興の家臣の少なさはまだ解消されてはいない。
今の犬山池田家を何とか維持している程度の家臣しかいないのだ。
この先犬山以外の城や領地を貰った場合、維持出来ないかも知れない。
なので一時でもいいからと三河武士を誘い、なるべく逃がさないつもりではある。
そして織田家の家臣と松平家の家臣の仲の悪さである。
これは過去に織田家先代・織田信秀が三河に侵攻していたので、恨みに思っている松平家臣が多いという訳だ。
彼等が織田家で働いて松平家に戻れば、それなりに恨みも緩和されると恒興は期待しているのである。
それだけ恒興にとって松平家は重要なのだ。
何しろ彼等に尾張東の防衛を任せて上洛するのだから。
「ここら辺がニャーの偽らざる本音だ。これを聞いてどうするかはお前自身で決めるニャー」
「本当に後で松平家に戻ってもよろしゅうございますか?」
「約束するニャー、何ならニャーから一筆書いてもいい」
「・・・わかりました。何とぞお引き立てお引き回しの程、よろしくお願いし申す」
加藤教明は松平家帰参の件だけは念を押して確認し、家臣入りを承諾した。
見るからに武人然とした教明の家臣入りに恒興も喜ぶ。
何しろ池田家にはどうにも純粋な武官が少ないと思っていたからだ。
しかも現役足軽大将なのだから、即戦力として直ぐに働けるだろう。
「よし!決まりだ。早速部屋を用意するニャー、何なら息子も連れてきたらどうだ」
「そうですな。直ぐに連れて来ますので、後で向かってもよろしゅうござるか」
「ああ、構わんニャー。息子は可愛いものだしな、手元で育てたいだろうし」
恒興は池田邸の空き部屋を貸すことにした。
体を休めるのと息子と落ち着くのがいいと思ったからだ。
住む家はそれから探せばいいと思った。
「はっ、孫六はきっと私を超える武士になると思うのです。親バカに聞こえるかも知れませぬが、あの子が元服したら『嘉明』と名乗らせようと決めており申す」
「既に元服名まで決めとるのか。加藤嘉明か、いい名前だニャ・・・ん?」
(あれ?それってもしかして『賤ヶ岳七本槍』の加藤嘉明なのか!?え?マジで?何という棚ぼただニャー)
ここで初めて恒興は加藤嘉明の存在を思い出した。
その名前は加藤清正や福島正則に劣るものでは決してない。
寡黙で冷静沈着、下す決断は果断で『沈黙の駿将』の異名を取り、陸戦から海戦までこなす万能将軍なのだ。
恒興は教明に早く迎えに行ってやれと急かした。
「では、早速行って参ります!」
「おう、犬山城の場所くらい分かるな。待っとるぞ」
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その日の夕刻、加藤教明は息子を連れて、犬山城の池田邸に来ていた。
彼等の住む家はこれから用意しなければならないので、それまでの数日間は池田邸の空き部屋を貸すことにした。
「殿、お待たせしました。加藤教明、只今戻りましてございます」
「待っとったギャ。その子が息子か?」
「はっ。孫六、殿に挨拶を」
「孫六です!よろしくお願いします!」
その少年が恒興が待ち望んだ加藤嘉明である。
武人然として・・・いる訳がなく、身長1mに満たない可愛らしい、幼児だった。
「これは利発そうな子供だニャー。・・・今、何歳?」
「4歳です!」
「そう、元気な子だニャー」
(・・・今更思い出したけど、『賤ヶ岳七本槍』ってまだ全員幼児じゃないか。全然即戦力にならんニャ。まぁ、未来への投資と考えるかニャー)
この時から恒興は他の七本槍を捜すのを止めた。
それよりも即戦力になる人材を捜すべきだと考えたからである。
ただ孫六はしっかり養育して、恒興に息子が出来たら近習にしたいなと思った。
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加藤親子は別室にて食事中である。
久々の親子団欒なので水入らずにした訳だ。
そして恒興は藤に弁当の事を報告する。
「そういう訳でニャーはお藤のだし巻きを食べる事が出来なかった。すまないニャー」
「すまない事も申し訳ない事もあらへんやん。行き倒れた人を助けたんやし、立派な事やとウチは思う」
済まなそうにする恒興に対し藤は嬉しそうに笑った。
恒興の決断と自分の弁当が人助けになったのが嬉しい様だった。
「そうですよ、恒興。だし巻きはまた作って貰えばよいでしょう」
「そしてちゃっかり家臣を得る兄、抜け目ないな」
そんな様子を見て養徳院も微笑み、栄も茶化しながら笑っていた。
「ちゃっかりってお前・・・まぁいいニャ。結局未開地視察は中途半端になったから、また明日行くニャー」
「うん、わかったわ。次の弁当にもちゃんとだし巻き入れとくな」
「頼むニャー、これでまた行き倒れを拾ったらお笑い草だニャ」
結果的に恒興のだし巻き以外は全て良しという具合だったので、ただの笑い話になった。
養徳院の言う通りだし巻きはまた作ってもらえばいいのだから。
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そして次の日、藤に弁当を貰って意気揚々と視察に出た恒興は目の前の光景に
「だーかーらー何でお前らは未開地で行き倒れるんだニャー!人里で行き倒れろよ!お前は三河武士か!?」
「な、何故それを!?」
三河武士である事を一発で見破られた行き倒れ男は、身を起こして驚くもまた倒れた。
意識はしっかりしている様だが、体格はあまり丈夫そうに見えない。
「こんな所で行き倒れるヤツは三河武士だと相場が決まってんだよ!!ニャーの領地で行き倒れるとか、ニャーに何か恨みでもあんのか!?」
恒興はとりあえず言いたい事は言って、救助活動に入る。
この男も空腹で倒れたのであろう、さっきから腹の虫がぐうぐうと鳴いているのだ。
そして恒興の持つ食糧といえば藤の弁当になる訳で。
(ああ、これでまたニャーのだし巻きがー、ぐすん)
この男も教明と同じ事を言って拒否したので、教明と同じ説得をして弁当を食わせた。
だがこの男は教明のように即復活といかず体力を消耗しすぎていたため、恒興が連れ帰って休ませることにした。
そして池田邸にいた教明によって、この男が恒興の捜している本多正信であることを知るのであった。
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