渡辺教忠くん奮闘記

 初夏の頃、ある山中を歩く一団がいた。

 総計7、80人で殆どの者達がまたぎの様な格好、悪く言えば山賊の様な見た目をしていた。彼等は一様に籠を担ぎ、何かの荷物を運んでいた。余程、重要な荷物なのか籠を担いでいない者達はかなり周辺を警戒している。

 その男達の中には商人らしき人物もいる。おそらく彼が荷物の主で山賊風の男達は荷物運びで雇われたのだろう。

 そして彼等は深い山林の中をひたすら歩いて行く。その彼等が美濃国に入ろうかというところで異変は起きた。


「チッ、またコイツらか!」


 彼等は突然、武装した集団に襲われたのだ。事前の警告も無く、待ち伏せていたかの様に到る所から武装兵が襲い掛かる。


「何で何処もかしこも網を張ってやがる!どうなってんだ!」


 山賊風の彼等は以前からこの武装兵に襲われていた。その度に逃げおおせては、また荷物運びをしていのだ。だから何度もこの武装兵とは顔を合わせている。

 一応、彼等も毎回道を変えるなど対策をしているものの、何故かこの武装兵は到る所で出現している。それは正に網を張るが如しだった。


「お、おい、お前ら。大丈夫なんだろうな」


 山賊風の男達に雑ざっている商人は心細い様で、男達の頭目に問い掛ける。

 だがその頭目は迫り来る武装兵を見詰めるだけで返答はしなかった。


「どうします、お頭?」


「退く。全員に伝えろ」


 部下らしき男の問い掛けに頭目は短く答える。その言葉を聞いた男は即座に走り出し、全員に伝えに行った。


「ま、待て!?約束が違う!何のために高い金を払って雇ったと思っているんだ!」


 その決断を聞いた商人は頭目に猛抗議する。当然だろう、退くとは逃げるという事だ。つまり商人が大切に運んでいた荷物は捨てられる事になる。重い荷物を担ぎながら多勢の武装兵から逃げられると思うほど、彼等は慢心していないのだ。

 だがで一稼ぎしなくてはならない商人にとっては捨てられない物なのだ。

 そんな商人の様子を余所に頭目は冷たく言い放つ。


「悪いが俺達は運びの代金しか貰ってないんでな。命までは懸けられん」


「そ、そんな……」


「ざっと見ても完全武装の兵が2、3百人。対して此方は軽装で百人足らず。分が悪過ぎる。……という訳だ、頑張って生き延びろよ」


「お、おい!?待ってくれ!置いて行くな!」


 それだけ言うと頭目の男は山林の道無き道を驚く様な速さで逃げて行った。山賊風の男達もそれに続き武装兵達をあっという間に突き放す。

 後に残ったのは商人の男だけだったが、逃げようとしたところを武装兵に取り抑えられた。


「おい、テメエ!オラを覚えているか!」


「し、知らん!わ、私は何も知らん!助けてくれ!」


 商人を取り抑えた武装兵の一人は激昂して、商人に掴み掛かる。自分を覚えているかと。

 商人は全く知らない顔だったので、命乞いの言葉と共に否定した。


「ああ、覚えてねえだろな。テメエにこの道を歩かされて売られた荷物の一部なんかよ!」


「な、何だと!?じゃあ、お前は『小作人』か?わ、私にこんな事をして、ただで済むと思っているのか!」


 そう、この武装兵の男はかつてこの商人によって『小作人』として売られた一人であった。彼はその時の道を覚えており、この商人がまたこの道でやって来るのを待ち伏せしていたのだ。

 商人は武装兵が『小作人』と知って脅してみるが、武装兵の男は気にした風は無かった。


「へえ、やってみろよ。オラ達が仕えているのは犬山城主・池田恒興様だ。池田様はテメエみたいのが一番お嫌いなんだと。覚悟すんのはテメエの方だ!」


 この元『小作人』の武装兵の主は池田恒興。そう、彼等は池田家特別傭兵部隊『刺青隊』であった。刺青隊の任務は人買い商人を狩る事、つまりこの商人は人を売り捌く商人なのだ。


「な、何故、お前みたいなのが……」


「なんならオラがこの手であの世に送ってやろうか」


「ヒ、ヒイイィィ」


「止めんか、馬鹿者」


 刀を抜き凄みを利かせる刺青隊の男。その様子に上等そうな鎧兜を身に付けた男が止めに入る。


「あ、隊長、すいません」


「気持ちは解るが捕らえるにとどめろ。どうせコイツの末路など決まっている」


 その男の名前は渡辺教忠、伊予国出身で刺青隊の隊長を務めている。彼は恒興の命令で刺青隊を創設、既に人買い商人を30人ほど捕らえていた。そして人買い商人の荷物にされていた人々を解放、志願者を仲間にしていった。

 その甲斐もあって刺青隊の規模は一千名を数える程に成長し、教忠は一千石に加増され備大将の地位に昇進した。


「へい、分かりました。しかし護衛のヤツラにはまた逃げられちまいましたね」


「ああ、乱波者はすばしっこいからな。気にするな」


 あの山賊風の男達の正体は『乱波者』。『忍』と『乱波者』の違いは難しい。どちらも特殊な訓練を積んでいて、一般人には出来ない技を使う。あえて違いを述べるなら大名の依頼を黙々とこなして報酬を得るのが『忍』、大名の依頼の合間に勝手な非合法行為に手を染めるのが『乱波者』というところだ。

 つまり性質は同じだが性格が違う。

 そしてこの両者は山岳森林戦に特化しているので、今回の様な山林で追い付くのは難しいのである。


「ア、アンタが隊長か?い、幾ら欲しいんだ?」


「舐めるのも大概にしろよ。人の命売って稼いだ金なんか触りたくもない。覚悟するんだな、信長様も殿もお前の到着を手薬煉てぐすね引いて待ってるぞ」


 賄賂で懐柔を試みる商人に教忠は静かな怒りを顕にする。その目には怒りと憎しみがあり、商人は射竦められてしまう。それでも商人の男は助かりたい一心でなおも食い下がる。


「ま、待ってくれ!私には津島会合衆の会員が知り合いにいるんだぞ。私を殺したりすれば……」


 それを聞いて教忠は反応する。その様子に商人は助かるかと期待したが違っていた。何故なら教忠の目は更に冷たいものになっていたからだ

 そう、この商人は口を滑らせてしまったのだ、『津島会合衆の誰かが人身売買に関与している』と。

 教忠もおかしいとは思っていた。濃尾勢が広いとはいえ織田家と津島会合衆が目を光らせているのにどうやって人を売り捌いているのか?当たり前だが朝廷や幕府が禁じている品を扱うのは津島会合衆でも許されていないし、会合衆の大店も取り締まっている。なのに人は小作人として大富農に売られているのだ。その販売方法及び濃尾勢での販売ルートが分からなかった。

 その答えを今、掴んだのだ。『津島会合衆内の大店に人身売買を仲介している者が居る』という事に。

 これはどんな手段を用いても聞き出さねばならない、教忠の目はそう物語っていた。


「成る程な、それは後でたっぷり聞かせて貰おう。連れていけ!」


「おらっ、コッチ来い!」


「ヒ、ヒイイィィ」


 商人の男は引き摺られる様に連れて行かれた。ひと仕事終わって溜め息をついた教忠の元に別の兵士が走ってくる。また何かあったのだろうかと教忠は思った。


「隊長ー!大変ですー!……はぁはぁ」


「どうした?息を切らせて」


「今回のヤツが運んでた者達なんですが、なんつーか大変で」


「要領を得ないな。何があったんだ?」


「とにかく来てくだせえ」


「まったく、何があったと言うんだ。いつも通りにやればいいだろうに」


 とにかくと言われ、教忠はその場所に向かう。手馴れている部下がここまで言うのだから余程の変事があったのかも知れない。

 教忠のいつも通りというのは売られそうになった人々を解放し、帰りたいと願う者は帰れるだけの食料(主に日保ちする乾物)を支給する、仲間になりたいと言う者は受け入れる、働きたいと思う者は犬山で職を斡旋するといった感じだ。


「……こ、これは!?」


 そして部下と共に来た教忠は目の前に居る者達を見て絶句した。


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 渡辺教忠は人買い商人を憎んでいた。土居清良がそうであった様に、彼にもそういう経験があったのだ。だからこそ同じ痛みを感じていた二人は親友となった。

 幼少期の教忠の家は一条家の親族とは言え没落していた。だから敵対していた伊予国西園寺家傘下の渡辺家の養子に出された。養子とは名ばかりの人質で、何時殺されても構わないという扱いだった。

 ただ渡辺家の養父が優しい人だったのは彼の救いであった。

 そんな富貴ではない幼少の頃の彼は農民の子供達とよく遊び交流していた。貧しいが故に自前で畑もやっていたし、領民も有志で手伝ってくれていた。手伝いに来た農民の子供とよく遊んでいたのだ。

 大名家の子息ともなると領民と交流する事はあまりない。事故や暗殺の方が怖いからだ。

 だが勢力規模が低くなればなる程に、身分の垣根を無視する様になるものだ。生活していくのに侍だなんだと言ってられない訳だ。あとは家の事情によるだろう。関東の大名や大身の豪族には盛んに領民と交流し、意見を統治に反映させる所もある。

 故に幼少の教忠は貧しくとも友達は沢山居たと言える。

 だがその領地にも不運がやって来る。不作である。この時代の農業は天候不順一つで不作になる。現代においても天候不順は大打撃になるので、戦国期だとこれだけで大量餓死者が出る。

 こうなると各農村は『口減らし』を行う、全員餓死を避けるためだ。とりわけ働き手となっていない幼い子供が犠牲になる事が多い。そしてその匂いを嗅ぎつけて彼等がやって来る。厭らしい笑みを浮かべた『人買い』商人達だ。彼等は老人以外なら買っていく、需要はそこら中にあるからだ。

 目の前で手首に縄を掛けられ繋がれる友達を教忠は見ているしか出来なかった。彼自身は侍で領主の息子であるため連れて行かれる事はない。だが連れて行かれる友達を見て、自分が如何に無力か思い知った。みんなから「若」「若様」と呼ばれ尊重されていたにも関わらず、彼には皆を救う財力も人買い商人を追い払う実力も餓える事のない豊かな農地も何も無かったのだ。

 あの時の友達の目が今も教忠をさいなむ、あの目は「助けて」と言っていたと。その横で幾らぐらいで売れるか計算している人買い商人が堪らなく憎かった。

 堪えきれず教忠は「皆を連れて行くなー!!」と叫んで人買い商人に飛び掛った。だが結局は商人に届く事はなく、周りの大人に押さえ込まれた。彼はこの無力感を忘れないと誓った。


 だからこそ教忠は自分が恒興から貰った300石の領地では善政を敷こうと誓った。だがそれをあざ笑うかの様に領地は不作に見舞われた。税を取り立てれば領民は生活出来ない。そうなればまたあの厭らしい笑みを浮かべた人買い商人がやってくるだろう。それだけは絶対に嫌だった。

 だからといって税を取り立てなかったら、教忠自身が生活出来ないし部下の給料も払えない。恒興が言い渡す命令も実行出来なくなるだろう。

 追い詰められた教忠は元の上司である家老の土居宗珊に相談した。この頃の教忠にとって頼れる上役は恒興ではなく同じ出身の宗珊だった。元々宗珊の推挙で恒興の家臣となったので余計にかも知れない。

 この時の宗珊の返答は「殿に相談しなさい。お前の上司は殿なのだから」というものだった。宗珊は教忠を突き放した訳ではない、教忠の上に居るのは恒興だと諭したのである。その後、宗珊に連れられ教忠は事の次第を恒興に報告する。


「取り立てるな、今年は免除してやれ。お前にやった領地は新規開拓地だニャ、土はまだ出来てねえし肥えてもいないニャ。足りない分はニャーの懐から出す」


 これが恒興の返答だった。

 恒興は大体判っていたのだ、新規開拓地がいきなり豊作になる事は無いと。問題は天候より土質なのだ。

 農地という物は耕せばよいという物ではない。年月を掛けて土を農地に適した物に育てていく必要があるのだ。この件は既に土居清良から報告を受けていた。

 ならば最初から免除しておくべきではと思うかも知れないが、それだと人は働かなくなるのだ。どうせ免除だからと。恒興は一生懸命に働いて、それでも不作なら免除という手順を踏みたかったのである。

 つまり教忠は何も悩まず恒興に相談すれば良かっただけなのだが、彼はこの件で恒興を信頼すると共に忠誠を誓った。民を大事にする恒興こそ自分の主であると。

 だから教忠は親衛隊長を外されても腐らなかった。自分の力量が足りなかったと自戒するのみだった。その汚名返上の機会は直ぐに訪れた。『刺青隊』の組織を恒興から命じられたのだ。

 この命令に教忠は意欲的に動き出した。まずは逃げ出した『小作人』を川並衆で捜した、川並衆はよくそういう人間を匿う事があったからだ。大々的に匿う事は出来ないが。

 そして見つけ出した元・小作人を部下に引き入れ、彼等の元居た場所に居る小作人も脱走させて仲間に引き入れた。そうして隊員が百人を超えたあたりで活動を開始。彼等の情報を元に人買い商人を狩って狩りまくったのだ。

 元々生死の境に居た様な彼等は命知らずな強さがあったし、恒興からは潤沢に武器防具や薬が支給されている。やせ細っていた者でも十分な食事と訓練で見違える程強くなっていった。そこには彼等の必死さもある。彼等には此処しか無いのだ、小作人に戻っても搾取され苦しみ抜いた末の過労死しかない。

 そして渡辺教忠は人買い商人をこの上なく憎んでいたため、彼等にとっても理解者と認識され信頼を勝ち取った。

『刺青隊』の速やかな編成と30人ほどの人買い商人の捕縛という功績を挙げた教忠は出世し、一千石に加増された。今年は親友の土居清良が土質改善に尽力した事もあって稲は順調に育っている。


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 人買い商人捕縛から戻った教忠は商人を尋問し、詳細を書面にして恒興に報告をした。その後は『刺青隊』を屯所に戻して解散、今回の荷物にされていた者達の処遇について頭を悩ます。しかし彼では良い方策は思い付かず恒興に相談するため池田邸へと向かった。


「ご苦労だったニャー、教忠。調書は読ませて貰った」


「はっ」


「お手柄だぁな。これで捕縛したのは何人目だ?」


「31人になります。ただ護衛の乱波者が捕まりませんが」


「そりゃあよ、仕方ねえって。山道じゃ追い付けんよ。……おっと、弟子さんよ、甘いぜ」


「ニギャー!?なんつー所に石をー!」


 恒興は白井浄三と囲碁の対局中であった。とりあえずいつも通りに恒興が負けている様だ。その様子を見て部屋に居る他の三人からも声が掛かる。


「婿殿、詰んだんなら話しよか」


「ワシらも調書はじっくり読みましたぞ」


「まさか会合衆の商家大店が1つ、傘下の小店が3つ関わっていようとは……」


 天王寺屋助五郎と加藤図書助、大橋清兵衛の三人である。今回の件は津島会合衆も関わっているため、そのTOP3と言える三人に来て貰っていたのだ。

 人身売買の方法は単純であった。まず津島会合衆の不正商人が大富農から注文を受ける。そして人買い商人が小作人を人目のない山林に連れてきて、不正商人に引き渡す。不正商人は小作人を店の働き手に変装させて大富農の元に送り届けるという感じだった。

 話す三人の顔色は暗い。それもそうだろう、津島会合衆内の商家がこの件に深く関わっていたのだ。


「その商家はアレやなぁ。前に不審な金の動きがあるって報告されとったな」


「ですな。調査中ではあったのですが」


「ニャーはこの事で津島会合衆に罪を問う気はありませんニャ。証言だけで証拠が挙がった訳ではありませんし。信長様も同様のお考えです。……ですので、どうするかはお三方にお任せしますニャー」


「有り難い話ですな」


「了解や、婿殿。ワテらの流儀できっちりカタに嵌めたるわ」


「ええ、津島会合衆の名声にキズを付けて、ただでは済まない事を示しましょう」


 恒興の言葉に三人の目がギラリと危険な輝きを見せる。明らかに獲物を追い詰める時の目だ。

 加藤図書助や天王寺屋助五郎は普段から不正を働く者に容赦は無い、というか潰せばそれだけ利益が増えるので容赦しない。だが普段から温厚で津島の纏め役にもなっている大橋清兵衛までもが恐ろしい形相になったのには恒興も驚いた。

 この大橋清兵衛という男は実は信長の従兄弟に当たる。彼の母親が織田信秀の妹なのだ。

 何故織田家の姫が商人の大橋家に嫁いでいるかというと、信長の祖父である織田信定の津島侵攻が原因だ。この時の津島の反撃は凄まじく、当時の織田家本拠・勝幡城まで攻め入られた程だ。これには信定も堪らず、津島の大店・大橋家に娘を嫁入りさせて和睦を図ったのである。

 そんな気骨溢れる津島の商人衆を纏める大橋清兵衛は普段は温厚な人物だが、一度事があれば容赦しない一面も持っていた。とりわけ自分の父親が戦ってまで守り通した津島の名誉にキズを付けた事は彼の逆鱗に触れた様だ。


「あとですね、殿」


「ん?ニャんだ、教忠。追加の報告でもあったのかニャ?」


「あ、いえ、殿にご相談をと」


「ニャーに?」


「実は今回救出した者達なのですが、全員女なのです」


「まあ、男がいれば女もいるわニャ。いつも通りにしたらいいニャー。帰りたいと願う者は帰らせてやればいい、残りたいと願う者は世話してやれ。働くも良し、農家の嫁にも斡旋してやるニャー」


 今回の人買い商人が運んでいたのは全員女性であった。とりわけ若い娘が多かった。これまでも女性が運ばれていたケースはあるので特に疑問は無い。

 女性が一人旅をして故郷に帰るというのは途中で襲われる危険が高いので殆ど無い。なので農地を得た流民の嫁やそれこそ『刺青隊』で夫婦になるケースもある。流石にこの戦乱の世で他国まで送り届けてやれないのだ。

 だから今回救出した者達が女性であったというのは驚くに値しない。教忠が絶句するほど驚いた訳は他にあるのだ。


「そ、それが……全員、足の腱を切られておりまして……」


「……遊廓用か、胸くそわりぃニャー!!」


 便宜上、『遊郭』としているがこれには上等と下等がある。上等の遊郭というのは客に対し踊りや歌を披露してもてなす。その後、床を一緒にという話になるのだが。こちらの場合、客が娘を気に入れば買い取って『家女房』にするという事が結構ある。『家女房』というのは側室の一番端っこ程度の位置と思っていい。だが家女房は側室であるので割といい暮らしが出来る。古くは貴族の愛人を表す言葉で、白拍子などがよくなっていた。

 だが足の腱を切られているという事は踊ることは出来ない。つまり彼女達の行き先は下等な遊郭、床だけして捨てられる運命にあるという事だ。足の腱を切るのは逃走防止のためだ。

 この事実に恒興は最大級の嫌悪感を示す。

 この時代にも女性蔑視の風潮はあるが、恒興はそれが最大限に低いと言える。彼の育った池田家は恒興の父親・恒利が亡くなった後、家督簒奪の動きが起きて、織田信秀の介入で収まり主な家臣達は離散した。その後、池田家中を仕切ったのは母親の養徳院桂昌と従者の女中達であった。恒興はこの中で育ったため、女性を蔑ろにする様な育てられ方はされていないのである。全員が母親の様なものなので今でも強く出れないという事もあるが。


「それでどうしたものかと。帰ろうにも歩けませんし、働こうにも立てませんし」


「どうって、ニャーだってどうすりゃいいか。とりあえず食べ物だけは支給してやるしか……」


 切られた足の腱は片足なので立てない事はないし、松葉杖があれば歩けない事もない。だがそれで農作業とか長い旅路を歩くとかは無理である。

 こうなると職を斡旋しても出来ない事の方が多いし、嫁に行くというのも無理なのだ。何処の農家でも働けない者を嫁にして養う余裕はないのだから。

 それだけに恒興にも良い知恵が出てこない。死なせる訳にはいかないのだから食料を支給する程度しか思い浮かばない。


「俺は反対だぁな」


「先生?」


「それ、生きてるって言うのか?ただ生かされてるだけじゃねえのかね?」


「それは……そうニャんだけど、他にどうすれば……」


 自信無さ気に場当たり的な回答をする恒興に浄三はきっぱり反対する。それはただ生かしているだけの人形だと。人は自らの手で生活出来てこそ生きていると感じるものなのだと諭した。

 次いで浄三は加藤図書助に向き直る。


「なあ、図書助殿。前にワシが店に遊びに行った時言ってたよな」


「はて?何か言いましたかな?」


「言ってただろ。最近、関東産の絹が中々入らないって」


「ああ、確かに愚痴りましたな。浄三殿が来た時に丁度、関東からの荷物の目録を見ていたので」


「海難事故があったとかかニャ?」


「いや、単に戦乱が酷くて生産力が落ちているんですな。その事で浄三殿につい愚痴を」


 浄三は基本、暇が多いので色々な所に行っている。暇人と言えばそうなのだが、これが意外に侮れないと恒興は思っている。それこそ行った先で色んな情報を集めてくるのだ。あの村は何々で困っているとか、何処々々に山賊が居るとか、村同士の揉め事があるそうだとか。これが直で恒興の元に届いて素早い対処に繋がっている。

 なので恒興も浄三が何処へ行っていても気にしない。

 そして彼は加藤図書助の店にも度々遊びに行っていた様だ。既に慣れてしまったのか図書助も愚痴を聞かせる程になっている様だ。


「それよ、それ。仕入れが困難なら現地生産してみちゃぁどうよ」


「というと、……まさか、その女達に?」


「そういう事だぁな」


 加藤図書助は主に反物(布製品)を扱う問屋を営んでいる。それ故、関東から絹織物が戦乱によって入り辛くなっている現状に頭を悩ませていた。そこで浄三は立てない女性達に織物を作る仕事をさせてみてはどうかと提案した。そして今度は恒興に向き直る。


「で、殿は女達に投資するんだ」


「投資?ニャんの?」


「『機織り機』だよ。流石に個人じゃ買えねえだろ。出来れば最新型がいいな」


「ニャるほど!それで女達に絹を織らせるのか。確かに機織り機なら立てなくても扱えるニャー」


「そして出来た絹をワシが買い取ると。いいですな」


 浄三は恒興に資金を出させ、機織り機の購入を勧める。この機織り機と家屋を恒興が女性達に与え、出来上がった絹織物を加藤図書助が適正な価格で買い取る。これで自宅から出なくとも稼いで生活していける様に取り計らうというものだった。


「それならワテが機織り機を仕入れてきたるわ。確か、小西はんが扱っとったはずやで、南蛮製の最新型を」


「な、南蛮製の最新型ですかニャ。い、いくらするのか怖いニャー」


「なあに、そないに高い事あらへん。量産品やで一点物の茶器みたいな値段にはならへんて」


(ええ、アレは鼻血が出る程高かったですニャー)


 機織り機の方は天王寺屋助五郎が仕入れてくれる事になった。過去に堺会合衆のメンバーである小西隆佐が南蛮商人と取引した事があるそうだ。

 恒興は南蛮製と聞いてその値段が気になるところではあるが、以前に買った茶器よりはずっと安いとの事。あんな値段して堪るかとも恒興は思うが。


「あとは原料の生糸ですね。池田殿、こうなったら『養蚕』もやりませんか?池田家の親衛隊長・可児才蔵殿の出身地である可児村には桑の木が沢山有りますよ」


「才蔵の村に?よく知ってますニャー」


「可児村とは桑の実の仕入れで取引がありますから。……それに彼は村の有名人でしたから」


(どっちの方向に有名ニャのやら)


「よし、なら三左殿に領地交換をお願いするニャ。元々可児村は飛び地みたいになってるし」


 大橋清兵衛は可児村から桑の実を仕入れていたので、あの村に沢山の桑の木が生えている事を知っていた。この桑の葉が蚕の餌となる。

 可児村は可児の西側に有り犬山に近い。更にその東隣には池田家傘下の久々利頼興の領地があるので、森家からすれば可児村は飛び地なのである。おそらく森可成も統治しにくかったので受けてくれるだろう。それにあたって恒興の領地の中で猿啄城近くの領地と交換してもらう事にする。

 その領地を猿啄城主・川尻秀隆の物にするか、その分だけ川尻秀隆の領地を森家の物にするかは任せる。この領地交換には信長の同意が必要となる。

 恒興は驚く程トントン拍子に話が進んでいった事に期待を膨らませた。これで犬山の絹織物産業が発展する段取りが出来たのだから。将来は『西陣織』の様なブランドになったらいいなと恒興は思っているのだ。

 まず可児村で養蚕、出来上がった繭を大橋清兵衛が一手に買い入れ犬山に卸す。恒興は繭を一括管理して女性達に渡していく。女性達は繭を受け取り生糸精製と機織りを分担して反物に仕上げる。この反物を加藤図書助が買い取って商品にしていく。その買取金額を恒興が受け取り、女性達に分配するという方式で決まった。このため加藤図書助は関東から指導役の絹職人を連れてくるとの事。天王寺屋助五郎はこの作業に掛かる道具や部品の調達をしてくれる事になった。

 あとは染付や刺繍だが、今のところは外部委託になりそうだ。ただ刺繍に関しては才能のある女性がいれば出来るだろう。染付は結構な重労働になるので立てない女性では難しい。恒興としては『刺青隊』の中から臆病な者を選んで修行させてもいいかもと思っている。彼等の大半が命知らずでも、どうしても臆病な者はいるのだから。何れにしても将来的な話だが。


「あとは家の場所だニャ。女達は動けニャいんだから盗賊とかに襲われたらひとたまりもない。それこそ乱暴する様な男がいても問題だニャ」


「それならば殿、家屋は『刺青隊』の屯所の近くに造りましょう。屯所には常時、100名の隊員が待機しております」


「大丈夫だろうニャ?流石に乱暴とかするようなら、ニャーが直々に首刎ねるぞ」


「彼女らは隊員達と同じ境遇に堕とされた者達。同情の心はあっても乱暴狼藉を働く事はありません。そんな暴走は私も周りも許しませんとも!」


「よし!教忠がそこまで言うなら信用するニャ。早速取り掛かれ」


「はっ!」


『刺青隊』は常時2、300人くらいで動く。人買い商人を捕らえるため、数箇所で待ち伏せているからだ。そのため連絡や斥候を統括して全部隊に情報を共有出来る様に、屯所には常時100人近くが待機している。また不測の事態にも対処するためでもある。これらに屯所周りの警戒任務も追加で行うという訳だ。

 隊員達は女性達を気付かっていたし、背負って山を降りた時も疲れたの一言を言う者も皆無だった。だから渡辺教忠も大丈夫だと確信する。それに女性達が自分で稼げる様になれば嫁にという話も出易いだろう。何せ『刺青隊』の隊員は未婚が多いのだから。


「あともう一つ報告が有ります、殿。乱波者達の頭目の名前が割れました」


「ほう、誰だニャ?」


「甲斐国の高坂という男です」


「甲斐国の高坂……ニャーをここまで不快にさせた男、その名前、覚えておくニャー」


 甲斐国の高坂という情報を恒興は頭に叩き込んだ。いつか必ず捕らえて報いを受けさせてやると決めた。


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【あとがき】

べ「色々見て回っていたら『珠光小茄子』が三千七百貫したという記述を見つけたよ。多分、茶器バブルの頃なんだと思うけど。だから五、六百貫は普通かもよ」

恒「マジかー。毛利家の献金額よりずっと高いニャー」

べ「あと貰う官位は『上野介』にしようかと。『長門守』は既に京極高吉さんが居て、多分正式任官だから。物語中に正式任官が二人居るのはマズイよね。『上野介』は吉良義安さんがいるけど自称な上に既に家康さんの家臣、物語にも出てこない。因みにこの人が『赤穂浪士討ち入り』で有名な吉良上野介義央さんの祖先だよ」

恒「ニャーに上野国に行けってか」

べ「多分将来的に向かう事になるよ。外伝で上杉家と関東戦国をやっているのはその事前説明でもあるしね」

恒「ニャーの摂津領有は?」

べ「離れすぎてムリじゃね?犬山でギリだよ」

恒「そんニャ~」



恒「渡辺教忠ってお調子者な設定じゃなかったのかニャ?」

べ「人に歴史有りってことだね(創作だけど)。慶が美少女設定だから浮かれちゃったんじゃないかな。因みに恒興くん、美少女に興味は?」

恒「無いニャ。浮気なんてしたら、ニャーは母上に半殺しにされるニャ。大体お前は恋愛物ニャんて書けないだろうが」

べ「そうだけど一度は書かないといけないんだよね、織田家のヤンデレ様を」

恒「ああ、あの方かニャ……」


全国1億2千万人の高坂昌信さんファンから怒られる前にネタバレしておきますニャー。

『甲斐国の高坂』は『高坂弾正昌信』さんではなく、『高坂甚内』さんですニャー。

江戸時代初期に江戸で盗賊やってました。人身売買にも手を染めていた形跡有り。

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