戦国異聞 池田さん

べくのすけ

恒興立身編

もう一度桶狭間

 天正12年春。

 織田家後継者三法師を擁する羽柴秀吉による犬山城制圧に端を発し、織田信雄と徳川家康の同盟軍との大戦が始まった。


 この事態に際し徳川軍は即座に行動を開始、小牧山城を奪取し要塞化して立て籠った。さしもの羽柴秀吉も攻めあぐね、戦線は膠着状態となった。


 小牧での徳川方との睨み合いに業を煮やした羽柴秀吉は、甥の三好秀次を総大将とする中入り軍で浜松を狙うことにした。徳川家康が小牧に釘付けになっているうちに空の本拠地を陥とそうという作戦だった。


 この軍団には副将格として3人が配置された。森長可と堀秀政、そして私・・・池田恒興だ。私の娘婿である森長可を先手大将に池田、本陣、堀と続き進んで行った。だが、この動きは徳川方に察知され三好秀次軍は撃破壊走、堀秀政軍は徳川軍を押し返すも撤退。


 こうなればもうお分かりだろう、池田・森軍は敵中で退路を失ったのである。さらに本陣後方にあった軽重隊も壊滅。森、池田軍に残された腰兵糧では5日と保たないだろう。


 私は即座に撤退を決断する。しかしそれを見逃すほど徳川軍は甘くなかった。長久手という湿地の多い地に追い込まれ布陣させられた池田・森軍に徳川軍は容赦なく襲い掛かる。勝勢に乗る徳川軍と撤退戦でしかない池田・森軍では兵の士気が段違いであり勝敗は既に明らかだった。


「森武蔵様、銃撃によりお討死!」


 武蔵とは武蔵守のことで森長可の官名である。


「そうか、婿殿が逝ったか」


 長可の嫁である自分の娘に済まない気持ちになる。これで娘は未亡人になってしまった。もっとも、もう謝ることは出来ないだろうが。


 長可が作ってくれた時間で自分の息子である元助や輝政が助かる見込みが上がった。元々そのつもりでこの絶望の殿軍を引き受けてくれたのだろう。婿殿には色々引っ掻き回されたが良い婿だったと思う。


「殿、撤退を!」


「いや、無用だ」


 撤退を促した家臣が何故という顔をする。


「今少し時間を稼ぐ必要がある。元助や輝政の撤退のためにな。あの丘に登って陣を構えよう」


「殿、それでは敵が集まり逃げられなくなりますが・・・」


「だからよ、この池田恒興の名で敵を釣れるだけ釣るのよ。悪いが全員、元助と輝政のために死んでくれ」


「はっ!」


 元より生きのびたい者達は息子達に付けてある。ここには覚悟を決めた者しかいない。確かに今全力で逃げに転じれば助かる可能性はある。だがもう私は生き延びる気は無い。


 本来であればあの"本能寺の変"で信長様の後を追いたかった、追い腹を切りたかった。それをしなかったのは嫡男・元助がまだ若年であり、池田家の行く末を整えねばならなかったためだ。


 出来れば織田家を盛り立てたかったが、それはもう羽柴秀吉に任せるしかない。既に彼は織田家一の実力者なのだ。多少の不安は有るものの、息子達も立派に育った。だからもういい、信長様の元に行こう。


 長久手の見張らしの良い丘に陣を構え、池田家の旗を立てる。するとそれを見た徳川方が丘を重包囲しながら攻め登ってくる。兵力差はあれど高低差の分だけ有利である、池田軍は粘り強く抵抗し時間を稼ぎ続ける。だが戦力差は覆せず1人また1人と敵に突撃し散って行く。彼らは恒興の露払いをしているのだ、弱卒の雑兵などにこの池田恒興の首を渡さぬため。なので自分の前に来る敵はきっと名のある士に違いない、そう恒興は確信していた。


 そして家臣全員が突撃していき、この陣内には恒興のみとなっていた。恒興は思う、自分は信長様の家臣としてはどうだったのであろうか。信頼はされたと思う、その分厚遇もされた。だが、真に役立ったかと考えれば疑問符が残る。


 結局自分は羽柴秀吉や明智光秀などの新参に後塵を拝してしまっていた。信長様は彼らに軍団長として重要な責務を与えていた。自分には信長様の親衛としての責務があったのだが、これは自分の能力で掴んだ座ではない。出自によって与えられていただけなのだ。結局、主君没後にはそれが大きな差となって秀吉に従わざるを得ない自分がいる。つまりは自分には信長様から必要とされるだけの能力は無く、只の信頼だけで傍に置かれていたというわけだ。


 言ってしまえば自分は信長様に甘えていただけだった。


(もっとお役に立てるよう考えるべきだった。そういえば信長様は武働きより治政、内政、調略の方を評価する傾向があったな。なのに自分は戦場での武功ばかり気にしていた)


 今になって後悔が押し寄せる。信長も死に、自分も死のうという時に遅すぎる後悔だ。だが後悔は止まらない、あの時はああしておくべきだった、こうしておくべきだったと。


 そんなことを幾つ考えただろうか、一人の若武者が陣内に入ってきた。そして大きな声で名乗りを上げる。


「徳川家臣、永井伝八郎直勝。池田紀伊守殿とお見受けいたす。いざ!」


(永井……か。聞いたことは無いが)


 もう少し高名な士が来ることを望んでいたが仕方がないかも知れない。第一恒興が分かる程の士となると徳川四天王クラスになってしまう。


 織田家の将士を憶えるだけでも大変なのだ、他家の将士など有名でなければ憶えられない。そしてそのクラスの人間が前線に来ることなど滅多にない、せいぜい劣勢を跳ね返す時くらいではなかろうか。……好んで先頭に立ちたがる将もいるにはいるのだが。


 とはいえ目の前に立つ士は年の頃二十歳前後、整った身なりに隙のない構えで十文字槍を向けている。体は鎧の上からでも分かるくらい鍛えられており、なにより美形の顔立ち。正に美丈夫と呼ぶに相応しい。


 恒興は思う、この男は必ず出世すると。今の身代は低くとも、この恒興を討ち取った武功を元に大きくなるはずだ。そしてこの者の活躍と共に恒興の名も長く残るであろうと。


「良き士なり。この首、見事奪ってみせよ!」


 恒興は傍らにある槍を手に取り、直勝に向けて構えを取る。槍合わせから始まり攻防が繰り出されるのだが、鍛え抜いた二十歳前後の青年と大名として政務に忙しい日々を送ってきた恒興ではその差が歴然であった。二合、三合と合わせただけで直ぐに直勝の十文字槍で槍を引っ掛けられ弾き飛ばされてしまう。


 恒興は体勢を立て直し腰の刀に手を掛けるが相手からの追撃はなかった。槍を向けたまま直勝の動きは止まっていたのだ。何か異常事態が発生したわけではない。ただ彼は暗にこう言っているのだ、勝敗は決したと。


「……これまでです。お降りくださいませ」


「永井殿と言ったか、それは出来んのだ。信長様の乳兄弟にして義弟であるこの池田恒興が、主の命令無しに降るなどあってはならんのだ」


 主とは勿論、織田信長のことである。最早いない人物を主と言う、それはつまりこれ以上生きる気はないという意思表示でもある。


 直勝にもはっきりと分かった、彼は、池田恒興は既に死人だったのだ。だから死地でしかないこの丘に陣を張ったのだ。囲まれることなど分かっていたはずだ。


「直勝殿。許してくれるならば切腹をしたい。介錯を願えないだろうか?」


「……承知。務めさせていただきます。他にこの直勝に願いは御座いますか?」


 それを聞いた恒興は腰に差していたひと振りの刀を直勝に差し出す。その刀の名を”備前包平”といった。


「この包平を池田家の次代当主に渡してもらいたい。もし池田家が断絶していたら、君の物にしても構わない。貴重な物だからこの世に残したいのだ」


「そちらも合わせて承りました。では……」


 包平を受け取った直勝は自分の刀を抜いて恒興の横に立ち、刀を構える。恒興は鎧と兜を外し残った脇差を抜く。


(信長様、今お側に参りますぞ……)


 恒興は脇差の刃を腹に突き立て、一気に差し込む。そこから更に十文字に裂いていく。


「お見事、お美事なり!!」


 横に立つ直勝の刀が振り下ろされる。そして世界は暗闇に変わった。


----------------------------------------------------------------


 暗転した世界。恒興は薄れゆく意識の中、最愛の主君の名を呼び続けていた。


 ……信長様……信長様……


 ……興……


 懐かしい、久しく聞かなかった声が自分を呼んでいる気がする。


 ……恒興!……(ああ、信長様)……


 それは次第に大きくなり……恒興の耳元で爆発した。


「……池田ァァッ!!起きろ、てめえぇぇっ!!」


「はいぃぃぃ!!起きてますニャー!!」


 途端に意識が覚醒する。


 まず見えたのは馬の首筋、騎馬武者として各地の戦場を渡り歩いた恒興にとっては見慣れたものだ。だが先ほどの状況とは一変している。切腹したはずの自分が何故騎馬に乗っているのだろうと。


(あ、あれ?ここ何処?)


 回りを見て現状の把握に努める。まず自分は武者姿で馬に乗って移動している。どうやら騎馬のみの軍団で全力行動中、速度からして足軽は追い付けないだろう。


 天候は豪雨、一寸先も見るのも難しいほど。おそらく騎馬の先頭には土地勘のある者がいるはずだ。でなければ進めないほど視界が悪い。


 だがそんな異常な現状などもうどうでもよかった。自分のすぐ横に織田信長がいるのだ。会いたくて仕方のなかった主君がそこにいるのだ。


 ……ただその愛しい主君は大変ご機嫌斜めなようで恒興を睨んでいる。


「恒興~、今から今川本陣に奇襲仕掛けようって時に居眠りたぁ余裕だな。おい?しかも馬を走らせながらとは芸達者になったもんだなぁ」


「ニャー、信長様~。会いたかったですニャー」


 恒興は泣いた、泣くほど嬉しかった。これが夢であれ何であれどうでもいい、夢であれば醒めないで欲しいと。そんな彼の大粒の涙も豪雨によって流され周りに気づかれることはなかった。


「な、なんだ?寝ぼけてんのか!?起きろ!このたわけッ!」


 信長は恒興を数回小突く。周囲を走る家臣達はこの様子を特に気にすることはなかった。いつもの兄弟のじゃれあい程度にしか思わないようだ。


「信長様、それで今何処に向かってますのニャー?」


「……お前は居眠りだけじゃなく、物忘れまで激しくなったか?阿呆に磨きをかけてんじゃねーよ。」


「すみませんですニャー、寝ぼけニャのか記憶が曖昧で……」


(うん、そういうことにしておこう。確かめないと……ここが何処か?いや、ここが何時かだ。信長様が"今川本陣"に向かったことなど一度しかない)


 どれだけ考えても自分が今ここにいる理由など分かりそうになかった。だが、目の前にいる主君は本物だ。若干若い気がするが。


 目的地がどこか聞けば最早確定だ、何をしに行くかも全て分かる。


「いいか、よく聴けよ。俺達が向かってんのは"桶狭間"だ!そこに今川本陣が在るって報告があったんだよ!!」


(やっぱり……予想通りなのはいいけど、一体どうなってるのか。……そしてこのバカみたいな言葉使いはなんなのだ?ええい、考えるのは後だ)


 既に先頭集団は桶狭間にある今川軍の陣に突入を開始している。今川軍の雑兵も将も武器を持たず逃げ惑っている、最早反撃など無理であろう。誰も彼もが逃げ道を探して彷徨う、そして迷った奴から織田家の将兵に首級を献上する羽目になっている。


 だがこの戦場で恒興だけが知っている事実がある。だからこそ恒興にちょっとした野心が芽生えた、『恒興、よくやった』とその声で褒められたいと。


「お任せ下さい、信長様!義元が首級、この恒興が挙げてみせますニャー!」


 信長にそう宣言すると恒興は桶狭間とは違う方向に馬首を向け走り出す。流石にこの行動には信長も呆気に取られた。


「おい!恒興!何処行くつもりだ!……くそっ、おい!何人か行って連れ戻してこい!!」


「は、ははっ!」


 --------------------------------------------------------------


(何故かは知らんし、どうなっているのかもわからん。だが、この状況最大限に利用させてもらう)


 恒興にとっては二度目の”桶狭間の戦い”な訳で、義元が何処にいたのかも聞いて知っているのだ。


 恒興は一人山裾を登っていく。それの後を母衣の騎馬達が十数名付いてくる。池田恒興は織田信長の乳兄弟にして義弟、一人で行かせるわけにはいかない人物なのだ。


(『桶狭間』にいるのは義元ではない。奴がいるのは『田楽狭間』だ。前回は散々探し回った挙句、逃げられる寸前だった。今回は速攻で決める、……ていうか自分の手柄にしてやる)


「お、おい小平太。池田殿は何処に向かってるんだ?」


「知らんわ。しかし今更戻ることも出来んじゃろ。付いていくしかないわ」


 いきなりの池田の行動に服部小平太と毛利新介は嘆息した。主君の命令に半ば反射的に付き従ってしまったとはいえ、自分たちは武功の場である桶狭間から離れているのだ。乾坤一擲の大勝負だというのに自分達は一体何処へ向かわされるのであろうか。出るため息は深くなるばかりだった。


(桶狭間にある『赤鳥』は囮、本陣を誤認させるための奇襲対策。でもそれでは今川の将兵が本物の本陣がわからなくなる。だから……陣幕あたりで特別なものを使っているはず、ひと目で本陣だと誰でもわかるものを!)


 赤鳥とは今川義元の馬印である。馬印とは戦場において軍団長以上の者が掲げる事を許される、将自身の居場所を教えるものである。伝令兵はこの馬印を見て報告に来るので情報伝達に欠かせないのである。その一方で敵方からすれば大将の居場所が丸分かりなので、迷わず攻め寄せられる。……大体の場合、部隊の後方にあるものだが。


 もうひとつの効果としては馬印を見れば誰が来たのか一目瞭然なことだ。戦場で『毘』の旗や『風林火山』を見れば、その名声だけで逃亡する兵が増えるだろう。そういった一種の脅しの効果もあった。


 恒興は田楽狭間に到達し、今川の陣に正面から突っ込む。相応の抵抗を予期していたのだが……今川の将兵は呆気に取られているだけだった。ここに奇襲があるとは思っても見ないことのようだ。また豪雨の効果で視界が悪く、音も声も伝わらず奇襲であることですら認識できない者が多数であった。


(ならば好都合、雑魚になど構っていられん。……あれだ!!あの陣幕に違いない!)


 この雨の中でも明かりを多く灯されている陣、その陣幕にはでかでかと今川家の家紋が描かれていたのだ。即ち『足利二つ引き両』である。この有名家紋を詐称する者が今川家に居るはずがない。つまりこの中に居る者こそ足利将軍家御連枝・今川家当主今川治部大輔義元であると。


 恒興は目標を見つけると馬を乗り捨て、陣幕を切り裂いて飛び込んでいく。そこには鎧を脱いで盃を傾けるおしろい、お歯黒の公家風の男と酒壺を持った少女にすら見紛う少年がいた。


 いち早く恒興を敵だと気づいた少年は両手を広げ、恒興の進路を妨害する。義元の小姓なのだろう、年端もいかない少年だがやるしかない。恒興にも余裕などないのだ、直ぐにカタを着けなければ異変に気づいた今川の将兵が殺到するだろう。


「織田家臣池田勝三郎恒興、参る!まずは一人ニャ!!」


 恒興は迷わず小姓の胸に槍を突き立てる。ほぼ心臓のあたりを突いた、致命傷である。だが……


「と、殿……っ!お、お逃げを……」


 自分の死を確信した小姓は最後の力を振り絞り、恒興の槍を掴んで離さなかった。そしてそのまま彼は絶命する。恒興は槍を引き抜こうとしたが抜けなかった。

 咄嗟に槍から太刀に切り替えようとしたが、これは致命的な隙になった。


「下郎が!!よくもやりおったな!」


 既に義元は自分の佩刀を抜き放ち、恒興に迫っていたのだ。


「麿の鹿島新当の太刀、受けてみよや!!」


 その上段から振り下ろされる太刀筋は尋常な速さではなく、恒興に回避すら許さないものであった。


「ギャン!!」


 強烈な一撃を兜に受け、恒興はもんどり打って地面を転がる。一方の義元もその手応えと腕のしびれから、自分が鉄の部分のみを叩いてしまった事に気付いていた。


「ぐっ……おのれ、仕損じたか!今度こそ!」


(ヤ、ヤバイ、目の前が回る。立たなければ、早く!)


 しかし恒興の体は全く言う事を聞かない状態だった。それも無理はない、上段の斬撃をまともに受けたのだ。兜のおかげで傷はないといっても衝撃はかなりのものなのだから。


 止めを刺すべく義元が歩み寄ろうとした時、その間を割って入る者がいた。義元は自分がしくじった事を悟った。止めなど考えず一目散に逃げなければならなかったのだ。


 そして割って入った二人が名乗りを上げる。


「織田家臣・服部小平太、助太刀!ご無事か、池田殿」


「同じく毛利新介、お相手仕る」


 だが二人共相対している相手の異様な風体に気づいた。お歯黒に剃り眉、白化粧……相手が相当な貴族であることを表していた。伝え聞く公家の如き風体、この戦場でそんな格好をしている人間など一人しか思いつかなかった。


 この者こそ今川治部大輔義元だと。


(この者があの今川義元なのか?討てば大手柄なのだが……)


(だが、これでは池田殿の手柄を横取りしたことになるのでは……)


 敵の総大将を討てば大手柄になるのはどんな戦場でも一緒だろう。だがそれによって主君の弟に等しい池田恒興の不興を買ってしまっては、この先織田家に仕えることが難しくなるかも知れない。


 だから二人は迷った。そんな二人の後ろから恒興は声を上げた、彼の世界は未だに回転していたが。


「小平太、新介!!ニャーに構うな!義元を逃がすんじゃねーギャ!!」


 意識まで霞始めた恒興は渾身の力を振り絞って叫ぶ。完全な自分の先走りすぎだった、手柄に焦った結果が義元の逃亡になっては洒落にならないのだ。


 しかし助太刀に来たのが服部小平太と毛利新介だというのは何か作為的なものを感じないこともないが、あの二人なら大丈夫なはずだ。そのはずなのだと恒興は思い、自分の瞼が重くなっていくのを感じる。


「……っ!お、応!!」


「お任せあれ!!」


 これを聞いて二人共即座に行動を開始する。そして恒興の意識はまたしても暗闇の中へ落ちていくのだった。


 --------------------------------------------------------------


「今川義元討取りまして御座います。槍をつけたのは服部小平太、首を取ったのは毛利新介とのこと!」


「よくやった!両者に褒美を出す!」


 桶狭間に響く勝鬨の声、雨はいつの間にか上がっていた。


 総大将今川義元を失った今川軍は完全崩壊、余力のある部隊は既に追撃戦に移行している。ただ大高城方面にまだ今川軍がいるはずなので深追いは禁じている。


「それと義元を一番に発見したのはご舎弟殿のようで」


 信長は意外な名前を聞いたなと思う。なにしろ恒興はいきなりあらぬ方向に走り出したはずだからだ。ということは結果的に恒興が正しかったことになるのだが。


「ん?恒興が?……ていうかアイツ、発見しておいて何してたんだ?つーか無事なんだろうな!!」


 恒興の性格上、発見して手出しをしない訳がない。信長からすれば恒興は少し猪突というか血気に逸るところがあると思っていた。それだけにまさかの想像がよぎる。


「どうも義元に挑んで返り討ちにあったようで。あ、怪我無く命にも別状は無く気絶しているだけですが」


「ははは、なんじゃそりゃ。……ま、この微妙に役に立っているのかわからんところはアイツらしいな。とはいえ今回は義元を見つけたんだ、褒美くらい出してやるとするか」


 信長は全く、しょうがない奴だと言わんばかりに戯た振りをする。内心、ほっとしたのを人に見られたくないからだ。そして信長は満面の笑みで笑い出す。それに釣られて周りにいる家臣たちも笑い出す。桶狭間の一角には笑い声が響いていた。


 この『桶狭間の戦い』により織田信長は大きな武名を諸国に鳴り響かす。これ以降織田家の隆盛は勢いを増し、逆に今川家は衰退していくことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る