茶道はおもてなし
こんにちは、皆さん。ニャーの名前は池田勝三郎恒興と申します。後年になったら紀伊守を自称したいと思いますニャー。
……この時々出るネコ語みたいな何かが治りません。って言うかこんなの尾張弁ですらねーギャ。あ、今の”ギャ”は尾張弁です。”ガヤ”が訛って”ギャ”なってます。
あの二度目の”桶狭間の戦い”から一週間経ちました。昨日まで飲んで歌って騒いでの宴会続きで、今日ようやく解放されました。でもその宴会の席では驚きの連続でした。信長様もそうなのですが皆の年齢が若いのです。どうも十年くらい若いようで、ニャーの年齢を母上にお尋ねしたら十六歳と言われました。同時に頭の心配をされてしまいましたが。
だからかなりの同僚の顔と名前が一致せず、苦労の予感がするわけです。相手からすれば「同僚なのに顔を覚えられていない、無礼な」となってしまうわけで、注意が必要ですニャー。ある程度知ったか振りをする必要があります。
もう一つあります。それは今が永禄2年だということ。『桶狭間の戦い』は永禄3年だったはずですニャ。
やはりここは違う世界なのだと実感しております。まあ、今となってはどうでもいいことです。
なぜならそこに信長様がいるなら、ここは恒興が求めた世界なのですから。
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「よぉー、恒興。元気してたかー」
恒興が縁側に座って考え事をしていると突然、植木の向こう側から声をかけられる。声を上げた人物の年の頃は二十歳くらい、金髪のツインテールに碧眼でかなりスタイルの良い女性であった。ただどこからどう見ても南蛮人にしか見えなかった。
(さすがに南蛮人の女に知り合いはいねーギャ。織田家にいた南蛮人というと”弥助”?いやアイツ全身黒かったし)
「なんだなんだ、変なもの見るような目しやがって。あれか?義元にぶっ飛ばされた時、記憶もぶっ飛んだとか?アハハハ」
とんでもなく失礼な奴だなと恒興は思う。義元の一撃は洒落にならないレベルで、恒興の兜は半ば割られていた。
もう一つ失礼なことはこの女性は恒興の名前を呼んでいることだ。彼の名前を直に呼んでいいのは主君、親、直属の上司くらいであろう。恒興の友達や同僚であれば勝三郎、又は勝三と呼ぶはずである。それ以外は大体殿や様などの敬称を付けて呼ぶことになる。
いつまでも恒興が怪訝な表情をしていることに気付いた女性は次第に焦り始める。
「……おい、まさかマジなのか。ちょっ、おま、この林佐渡守秀貞を忘れるとかありえねーだろがっ!!」
(林佐渡だとぅぅぅぅーーー!!!!!)
恒興は驚きのあまり思いっきり吹いてしまった。
それもそうであろう、林佐渡守秀貞とは那古野城城主にして織田家筆頭家老でこの当時50歳前の爺さんのはずである。それが年齢の壁を越え、性別の壁を超え、金髪碧眼のボンキュッボンになって現れれば誰にもわからないだろう。
(「○○屋、お主もワルよのう、フゥーハハハ」とかどっかで言ってそうなオッサンが何でこんなことに……あ、ヤバイ、流石に意外すぎて知ったかすんの忘れとったギャ)
「ニャー、流石にあの義元の一撃が堪えて、時折記憶がぼやっとしてまして。でもちゃんと思い出しましたニャ」
「大丈夫かよ、医者は……いないか。今度薬師でも紹介してやるよ」
この時代、医者という職業の人間は数える程しかいない。症状を見て適切な薬を選択できる医者は更に少ない。大抵は元気になる(健康になる)漢方を処方して、後は自身の免疫力で治せが大半である。
薬師になると最早医療行為すらしないのが多い。先祖伝来の調合法のみ知っていて、薬だけ作って売り歩くのである。有名な人物だと”軍師・黒田官兵衛”の黒田家は目薬を作って売っていたことがある。彼らのような人物を薬師という。
だがこの薬師であっても少数で滅多に見かけない。なのでこの時代の医療行為は加持祈祷が一般的である。
「ありがとうございますニャー。それで今日はどうしたんですかニャ?」
「見舞い半分、あとはホレ。アレを出しな」
手を出して、寄越せというようなジェスチャーをする。
「アレってニャンです?」
「アレだよアレ。徴税報告書だよ。まさか出来てねーとか言わねーよなぁ(ニッコリ♡)」
徴税報告書……いわゆる検地台帳のことである。ただ、今は六月なので収穫を記した物ではない。今年の田畑の増減と収穫見込みを記した物となっている。そして報告書は春夏秋と作成し提出しなければならないのだ、領地持ちの家臣のみだが。この検地自体は織田家先代信秀の代から始まっている。
「あ、はい。出来てますニャー。今取ってきますニャ」
(ええ、戸棚の中にありましたとも。苦労の跡がこれでもかと言う程ににじみ出た報告書が。しかも間違いだらけで)
そう、恒興は数日前に報告書を発見。間違いを修正し八割方書き直した上で、二日ほどで完璧な報告書を作り上げた。もちろん宴会に出席しながら。
今ここにいる恒興には大名の記憶と経験があり、頻繁に領地替えを行われた結果、色んな国の経営ノウハウを持ったままであった。織田家の領国経営において検地は基本中の基本なので、『今の恒興』が間違える要素は皆無であった。
「あー、あと白湯でも貰えねーかな。喉渇いてさ」
「それならお茶を淹れますニャ。お上がりください」
「……お茶!?」
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「へぇ~」
座敷に上がった林佐渡は恒興から報告書を受け取り、内容を確認していく。その内容に誤りや計算違いがないか見ていたのだが。
「これ本当にアンタが作ったわけ?前回間違いまるけの報告書を出したアンタが?作り直したほうが早いわってレベルの出来で出したアンタが?」
「はい、そうですニャー。……て、さらりとトラウマを抉らニャいでください。」
「あー、いやいやいや、これでも嬉しいんだぜ。……と言うかまともな報告書出してくれるヤツが少なすぎんだよ。この後、佐久間出羽んとこ行くんだが気が滅入るわー」
佐久間出羽守信盛。
織田家を支えるもう一人の家老で武人然とした硬骨漢である。彼は佐久間一族の惣領であり大派閥の長でもある。ただ本人はいたって真面目な男で謀略とか奸計などに疎い。酷く言ってしまえば脳筋である。
「ていうか、家老なんだから出来るヤツを雇えばいいだろうにな」
「身内で見つかればいいのですが、他所者となるとあそこは大変だと思いますニャー」
佐久間家は尾張国内に多数の親族を持っている織田家内で最も大きい一族。そんな中に優秀だからと他所者が入るのは基本難しい。上手くやるなら信長の直臣を出向させるくらいだろうか。
恒興は棚から茶道具を取り出し準備する。恒興の家の座敷に風炉や囲炉裏は無いので、茶釜は使えない。なのでお湯はお勝手で沸かしてきたものになる。抹茶の入った茶壷に茶杓をいれ、茶碗へと移していく。
「確かにな、一益も藤吉郎も結構大変な目にあってたみたいだしな」
滝川彦右衛門一益、出身は伊勢とも甲賀ともいう他所者代表。本人も幼少の頃から父親と共に旅をしていたらしく、出身地が分からんらしい。だが彼は指揮官としても優秀でもう少し出世すれば一備を担う部将になるだろう。
藤吉郎というのは後に羽柴筑前守秀吉となる人物なのだが、今の彼は只の藤吉郎で姓名を持っておらず、侍ですらない。
「藤吉郎……この間、台所奉行になったという?」
「ああ、ソイツ。まあ、まだ正式にはその役には就いていない。その前にやることがあるからな」
「帯刀と姓名ですニャ。……難航してるのですか?」
そんなはずはないと恒興は思うのだが。ただ恒興はこの時期の藤吉郎を気にしたことがないので、どういう経緯で浅野家の養女と結婚したのかは知らないのだ。
「今探しているとこ。藤吉郎の出自が出自だからさ、娘のいる武家は渋っててさ」
藤吉郎の出身は尾張の中村郷の農家。農家といっても裕福な部類に入るようだが、農民は農民だ。その農民に自分の家名を名乗られるのを嫌がる武家が多いというわけだ。
帯刀は適当な刀を渡せば済むが、姓名はそうはいかない、勝手に作るわけにはいかないのだ。なのでこの場合武家への入婿か養子という手段を取るのが一般的である。
(まあ、ニャーが関与することではニャいな)
と考えながら恒興は茶碗にお湯を注いで、茶筅でかき回していく。通常はお湯を入れるときは茶釜から柄杓で行うのだが、茶釜を使っていないので省略した。
「藤吉郎の場合、かなりの成り上がり農民だから敵視する奴が多くて困るよ。一益は結構武功を稼いでいるし部下もいるからまだましかな。まあ優秀な奴だし、少しでいいから気にしてやってくれ」
「分かりましたニャー。……出来上がりましたのでどうぞ」
「お、応……」
林佐渡は両手をプルプルさせながら茶碗を持つ。緊張のしすぎか要らない力が入っているばかりか、顔まで強張っている。流石に恒興も見てられなかった。
「あのー、緊張しすぎでは?」
「いやいやいや、緊張するだろ、普通。・・・はぁ、この間も津島の会合でお茶会があってさ。茶碗ひっくり返して、えらい恥をかいたよ。貞勝も失敗して行きたくないって拗ねてるし」
貞勝とは村井吉兵衛貞勝のことで、とても優秀な内政官である。
(茶道自体は丁度今くらいが黎明期かな?ニャーが茶道を学んだ千宗易殿もまだ田中与四郎と名乗っているはず)
お茶自体は鎌倉時代からあるのだが、ほとんど僧侶か貴人以外は口にすることがなく、世間一般に茶道が広まることはなかった。だが室町時代後期に現れた村田珠光により商人への浸透が始まり、今商人の間で静かなブームとなっていた。
織田信長も割と早い段階からこの茶道に目を付けている。この時期には既に茶坊主と呼ばれるお茶の指南役を置いているのである。それは単に津島の商人の間で茶道が流行っており、彼らとの関係性を重視した結果だった。つまり「茶道が達者な織田家の若当主は教養人だね、先代より期待できそう」と思わせたいのだ。その後、商人たちよりも深くハマって行くことになるのだが。
何はともかく、このままでは茶碗をひっくり返されかねない。恒興は一番簡単で楽な飲み方を教えることにする。
「まあ、まず茶碗を置いて下さいニャー」
「応」
「深呼吸をどうぞ」
「すーーはぁぁー」
「片手で茶碗を持って」
「応」
「すかさず口に運ぶ」
「……あ、美味し」
林佐渡は抹茶を口にしたことで少しほっこりとした表情になる。と同時に緊張もほぐれたようで、二度三度と抹茶を口に運ぶ。
「貴人や重要なお客様を迎えるときは作法も整える必要があると思いますが、ニャー程度ならこれくらいで十分ですニャー」
「そなの?」
「そも、茶道とはおもてなしの作法ですニャ。基本相手が不快に思う行為を慎めば上手くいくかと」
「それが難しい気がするな。アタシは商人の礼、失礼があまり分かってないしなー」
公家には公家の作法、武家には武家の作法というものが存在するように商人にももちろん作法が存在している。『一見さんお断り』などは典型的な作法で、初見とは商いをしないという人脈重視の作法なのだ。つまり武家と商人では色々と常識が違うのだ。
先ほどのお茶の飲み方にしても面識のない人からすれば横柄な飲み方に見えるだろう。あくまで恒興だからOKなだけである。
「そうだ、恒興。お前津島奉行やらないか。アタシが殿に推薦してやるよ」
「いえ、そんなのいきなりやれと言われても出来るものじゃニャいですよ」
「実務はアタシがやってもいい。そりゃ、覚えてくれるに越したことはないけどさ。津島の茶会に出てくれるだけでもいいんだ」
林佐渡が願っているのはこれ以上織田家の者が茶道に疎い者ばかりと思われないことだ。ならば元々茶道に精通している茶坊主を送ればいいのだが、彼等だと織田家代表とは見なされない。
それに奉行になるには織田家内で地位のある者でなければならず、地位の無い者を茶会に送ると津島の商人達は侮られたと怒りだすだろう。なので茶道が出来る織田家でもそれなりの地位にある者が相応しい、林佐渡の目には恒興が最も適任だと映っていた。堂々とした所作でお茶を入れ持て成す事ができ、主君信長の義弟なのだから地位的にも失礼には当たらないはずだ。
「頼むよ、アタシはもう恥をかきたくないんだ。貞勝の奴も行きたくないってノイローゼ気味だし」
この場合、行かなければいいという訳にはいかない事情がある。
それは織田家における津島の重要性である。津島の商人の利益から織田家への上納金が出されるのだが、これが織田家を支えているといっても過言ではなかった。しかも商業利益が増えれば増えるほど上納金も上がっていくので、信長も津島の商人に対して便宜を図ったり商業誘致したりと販売益拡大に努めていた。
この為、織田家は日の本でも有数の富豪であり、信長が高額な鉄砲を早くから集めることが出来たのだ。つまり織田家と津島の関係は主従ではなくWIN-WIN の関係なのである。怒らせれば簡単に離れてしまう上、傭兵を雇って抵抗するくらいはやる。実際織田家の先々代が津島を武力制圧しようとして、ガチの抵抗に遭い和睦したこともある。
故に林佐渡もあまり津島の商人達に失礼を働くわけにもいかず、然りとて茶会にも行きたくなく途方に暮れ気味だった。
(やばいニャ、あんまり史実を変える行為は……て、今更か?)
既に此処は色んな事象が前世と違う。その代表例が目の前にいる女性なわけで、史実を変える云々は考えても仕方ないと思える。
第一史実通りに事が運んだら本能寺の変はまた起こるし、恒興にとって不幸な結末しか待っていない。
(今まで考えてもいなかったけどニャーは積極的に史実を変えていくべきだニャ。例えば本能寺の変が起きる前に信長様による天下統一を成し遂げるとか。そして光秀は殺す。見つけ次第殺る。秀吉だって信長様が生きていればあんな風に主家を軽んじることは出来ないし。でも光秀は殺るけどニャ。ニャーも前世の記憶を利用すればもっと活躍出来るはずだし、実力が足らずとも有能な人材を集めれば済む。そう言う意味でもこの記憶は役立つニャー。有能でも光秀は確殺だニャ)
所々に本音が見え隠れしながらも積極的に前の史実を変えることを決意する。結局史実が変わらないと恒興にとっては切ない未来しか待っていないので、そんなに悩む必要もなかったが。
「分かりましたニャ。お引き受けしますのでご支援宜しくお願いしますニャ」
「よし、よく言ってくれた!とりあえず殿に報告だな。その後、アタシの部下に出向ってことになるからよろしくな」
「ニャーは佐渡殿の部下になるのですか?」
「形だけだ、アタシは尾張の内政管理者だから。……本来は殿がやるべきなんだがねぇ。まぁそんなわけで、報告はアタシに。束縛する気はないから茶会以外は自由でいいよ」
信長は尾張の治政のほとんどを林佐渡に任せていた。
織田家は信長の代で急拡大してしまったため、信長自身で見ていられない程になってしまった。指示して報告を受け取る、信長がやることなどこの程度なのだが、たったこれだけでも多くなりすぎて林佐渡に大半を投げていた。……が、元々内政官として先代の頃から重用されていた林佐渡はこれを難なくこなしていた。そして自分で育てた林一族の行政官を各地に派遣し尾張全域の面倒を見ていた。
なので信長が主にやっていることは対外調略の指示、気が向いた時に見回り(遊び)、時々鷹狩り(完全に遊び)くらいだったりする。
「それでは悪いので勉強するつもりですニャー」
「ほどほどに頑張れよ、殿の近侍や領地経営の仕事がなくなる訳じゃないんだからな。・・・ところでさっきから気になってたんだが、その兜は何だ?」
林佐渡が指差す方向には棚に収められた恒興の兜があった。それだけであれば別に指摘されるほどおかしい物ではない。……割れてなければだが。
その兜を割った人間の名は今川義元。つまり恒興が桶狭間の戦いで着用していた兜であった。いずれ破棄しようと思っているのだが宴会続きで忘れていたのだ。
「スゲぇ、マジで兜割られてんな。アハハ」
林佐渡は兜の頂点あたりから左目の方向に入った亀裂を見て笑う。鉄製の黒い兜に深々と刻まれたキズは義元の斬撃が如何に凄まじいものだったかを物語っていた。
「笑い事ではないですニャー。死ぬかと思いましたニャ」
「でも死んでないだろ、良かったじゃないか。この兜は見事に役目を果たしたんだよ。記念に取っとけば?」
「刀の誉れ傷の様にですか?ふーむ、言われてみればその通りですニャー。棄てるのはやめて何とか使えるように直して貰いますニャ」
誉れ傷とは戦いの勝利や手柄を上げた記念に刀に傷を残しておくというもの。法則があるわけではないが、大体は刀の峰に残すのが一般的である。刃側に残すと研ぎに出した時に直されてしまうからと思われる。
「そうそう、敵の総大将にぶん殴られるなんて二度とないだろうし。……て、思い出したわ。勝手に前線に行ったお前を叱りに来たんだった」
「え?」
突然、般若の如く表情を変えた林佐渡によるお説教が開始される事になってしまった。
(この後佐久間殿の所に行くんじゃなかったのかー!!誰か助けてくださいニャー!!)
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