軍配者

 冬が過ぎて春の陽気が訪れた頃、恒興は自分の屋敷に造った茶室にて茶会を開いた。

 招かれた客は恒興の義父である天王寺助五郎、犬山の座を仕切る加藤図書助、津島の大店・大橋清兵衛、大湊の廻船問屋・角屋七郎次郎である。


「『天猫姥口釜』、確かに拝見させて貰いました。噂に違わぬ名物です」


「茶室の造りも独創的でよろしいですな。最近は流行りなのか、小さくほの暗い茶室が多いですからな」


 恒興が持て成し、出された茶を廻し飲むという作法の茶会は終わり、茶器や茶室の品評会となった。

 大橋清兵衛は恒興の天猫姥口釜をまじまじと見入り、加藤図書助は茶室の造りを誉めていた。

 恒興は自分の茶室を木曽川の側の台地に造った。

 ここから木曽川の清流を眺めながら茶を楽しもうという一種の野趣を取り入れた造りとなっている。

 長所としては夏の暑い日に涼し気な風景を楽しめる事、短所は冬がクソ寒い事だ。

 冬になると美濃の山々から吹き下ろしの風が尾張に向かって吹くためとても寒いのだ。

 なので恒興はこの茶室を冬は封印しておく気である。


「婿殿の腕前も上がっている様子やな、前より動きが良うなっとるで」


「いやー、まだまだですニャー」


「いやはや、今回の茶会に参加させて貰えて、この角屋七郎次郎嬉しく思います」


「そう、それですニャ。角屋殿はニャーに言いたい事があって来たのでは?」


 今回の客の中で角屋七郎次郎は招いてはいなかったのだが、大橋清兵衛が連れてくる形で参加した。

 この茶会は恒興の茶室を見せるのと『天猫姥口釜』の宣伝をしてもらうため開いたもので、親しい商人だけを招いていた。

 なので強引とも言える角屋の参加はきっと自分に何か言いたい事があるのだろうと恒興は察した。


「はい、実は安濃津の件で再度お願いをと思いまして。それで大橋屋さんに頼んで連れて来てもらった訳でして」


「池田殿、津島会合衆の総意としても安濃津の件をお願い致します」


 角屋が強引に参加した理由は以前から要請が出ていた安濃津制圧の件であった。

 恒興は角屋をはじめとする大湊の商人が安濃津を欲しがっているのは知っていたが、単に利益拡大のためだと思っていた。

 大橋屋からも『津島会合衆の総意』と言われてしまい、恒興も認識を改める事にした。

 問題は長野家家老・安濃津城主・細野壱岐守藤敦の事であった。


「そこまでですか。・・・図書助殿はどうお考えですニャー?」


「現安濃津城主・細野藤敦は少々やり過ぎていますからな。織田家の為にもならないかと」


 安濃津城主の細野藤敦は現在20歳、家督相続は15歳だという。

 最初は父親の後見もあり上手くいっていたようだが、父親が亡くなると横暴になったとの事。


「義父殿は?」


「ワテはその細野はんを知らへんしな~。どんな風に酷いんや」


「なんと言いますか、自分で決めた法も守らない感じです。まるで自分が法だと言わんばかりで」


 細野藤敦は自分の気に入らない商人だと、商売を妨害したり店の商品を差し押さえたりするという。

 更に金銭の要求が激しく、断るとやはり妨害の対象となるらしい。

 そして陸路で大湊~安濃津へ荷物を運べば、荷車1台くらいでおよそ百文(0.1貫)の関銭が掛かる。

 関が幾つもあるので合計ではどうなるか分からないが。

 なので商人は関のある陸路を避け関銭の要らない海路を行くのが定番であった、角屋もこの廻船(レンタル船の事)で儲けていた。

 ここに目を付けた細野藤敦は湊に入った船に相応の関銭を支払うよう要求、全部自分のものにしている様だ。

 そんな感じで安濃津からは商人が去り、細野藤敦が当主となって僅か5年で伊勢湾の重要湊は廃れたのである。

 その事で一番の大打撃なっているのが角屋を含む大湊の商人達であった。


「詳細については弟である分部光嘉殿にお聞き下されば解るかと」


「成る程やな、これは織田家で対処してもらわなどうにもなりまへんな」


「伊勢湾商圏を完成させ、最大限の利益と上納金を得るなら安濃津は必須と見ますぞ」


『伊勢湾商圏』というのは津島会合衆が目指している海路を基本とした商路開発である。

 その地域の特産品というのは遠くに運ぶことで利益が出る。

 なので伊勢湾を使って濃尾勢の特産品や必需品をやり取りし、効率良く市場に品物を供給するシステムを構築しようという計画なのである。

 そのために最重要なのが物資集積拠点たる『湊』なのだ。

 ここに松平家康からの要請で三河も加わろうとしているが、三河はまだ戦争中なので近寄れない。


「分かりました。ニャーとしても近い内に分部と会い対処致しますニャ。・・・それに南伊勢にもそろそろケリを着けなければなりませんし」


「角屋さん、来て良かったですね」


「ええ、ありがとうございます、大橋屋さん」


 恒興は早急に対処すると約束した。

 商人では解決出来ない事案を解決するのが織田家の津島会合衆内での役割でもある。

 丁度、恒興も出撃禁止命令が解除となったのでそろそろ南伊勢制圧に本腰を入れようと決意する。


「ま、辛気臭い話はこれまでにしましょうかニャー」


「それやで婿殿、茶碗が未だに借り物というのはあきまへんで」


 義父である助五郎からグサッとくる一言が飛んでくる。


「まあまあ、助五郎さん。でも池田殿は犬山城主、そろそろ名物を揃えるべきですな」


「・・・茶碗どころか釜以外全部借り物ですニャー」


 恒興もマズイとは思っていた。

 何しろ恒興はまだ天猫姥口釜しか持っていないのだから。

 前は援護してくれた加藤図書助もそろそろ自分の茶器を揃えるべきと忠告する。


「それはいけません。池田殿は織田家の顔役の一人、池田殿があなどられては織田家の名にキズがつきますよ」


「は、はぁ、スミマセンニャ」


 更に大橋清兵衛からも追い打ちが掛かる。


「さしあたっては茶碗、茶入れ、茶杓は必要不可欠ですな」


「善は急げや、婿殿。明日にでも桑名の店に来なはれ。実は堺から幾つか名物を持ってきたんや。信長様への献上用と他は茶道を流行らそ思うてな」


「り、了解ですニャー」


 こうして恒興の茶会は終わり、明日は桑名に行くことが決定した。


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 翌日、恒興は藤と共に桑名の天王寺屋支店に来ていた。

 恒興はくだんの茶器選びのため、藤は両親に面会しての妊娠報告である。

 中々、藤一人で犬山を出る事は出来ないので、こうして恒興のお供として来る事が多い。

 既に手紙では報告を受け取っているものの、藤の母親はとても喜んでいた。

 そして天王寺屋助五郎は大量の桐箱を部屋に並べ待ち構えていた。


(何という気合の入れ様だニャー。コレ、全部見るの?)


 助五郎に案内されて入った12畳の部屋には所狭しと桐箱が置かれていた。

 倒壊を恐れてか積み上げてはいないので絶望的な量ではない・・・が、それでも恒興には多すぎる。


「こ、これで全部ですかニャ?流石は義父殿、凄い量ですニャー」


「何をうとるんや、この部屋に並べたのは茶碗だけやで」


(この量で茶碗だけですとー!!)


 助五郎の言葉が指す事はつまりこんな感じの部屋があと二部屋、茶入と茶杓の分があるという事だ。


「まあ、でも選ぶのは茶碗と茶杓や。頑張りや」


「え?茶入はどうするんですかニャ?」


「実はな、堺で親父が良い茶入を手に入れてな。是非婿殿にと預かってきたんや」


 そう言って助五郎は一つの桐箱を開ける。

 桐箱の中には更に桐箱が入っていてかなり厳重に仕舞われているのが判る。

 更にその中にある布に包まれた品は茶色いふっくらとした茶入であった。

 おそらくかなりの逸品には違いないが、恒興の知識では形の『茄子形なすなり』というぐらいしか解らない。


「どや、『紹鷗茄子じょうおうなす』やで」


 その茶入は紹鷗茄子と呼ばれ、室町後期の茶人・武野紹鷗たけのじょうおうが所有していた逸品である。

 茶入の上部と下部で釉薬うわぐすりの塗り方が違い、同じ茶色でも微妙に変化して上品な味わいがある。

 これら武野紹鷗の遺品は息子の武野宗瓦に継がれる予定として、娘婿の今井宗久が預かっていたのだがどうも二人の間で相続争いが起こっているとの事。

 それを仲裁しているのが天王寺屋宗達で幾つか現金化して引き取った物らしい。

 現代では大名物に分類されるが、この当時はまだそうは認識されていない。

 何しろ武野紹鷗が亡くなったのは、ほんの6年前だからだ。


「ぎ、義父殿。これはニャーの手に余る物では?」


「いやいや、婿殿もこれくらいは持っといた方がええんやで。それに『紹鷗茄子』と呼ばれる物は幾つかあるんや」


「え、そうニャんですか?」


「そら紹鷗はん程のお人やさかい、茶入も仰山ぎょうさんお持ちやで。これはその内の一つで『澪標茄子みおつくしなす』っちゅう名前や」


 澪標とは水深の境界線という意味で海や河川に立てられる標識のことである。

 つまり澪標より陸側は水深が浅く、大型船は座礁の危険があるので来てはいけないという境界線の標しなのである。

 この澪標の標識の形と茄子茶入の模様が似ていたことから、武野紹鷗に『澪標茄子』と名付けられたという。

 ご丁寧に武野紹鴎は茶入底に『見本徒久志みほつくし』と墨書している。


(この紹鷗茄子が大名物になるのは義父殿と今井宗久殿、そして千宗易殿が信長様の茶頭になってからかニャ。よし、これに決めよう)


「義父殿、ニャーもこの『紹鷗茄子』が気に入りましたニャ」


「そら良かったわ。コレ一つで5百貫や」


(高っ!!鼻血が出そうだニャ!・・・まあ、でも後で凄い価値が出ると思えば、うう・・・)


 5百貫は5千石相当と換算される。

 恒興の身代は10万石程ではあるが、家臣の給料に維持費や軍備費等にも当てられるため、年収の20分の1相当はかなりの出費である。(一応、犬山は商業開発が進んでいるので収入はもっとある)


「あの、分割支払いでいいですかニャー?」


「構へんで。というよりワテらとしては、これから織田家が獲るであろう利権の方が興味あるんやけどな」


 助五郎は『ワテら』と言った。

 つまりここからの話は茶器選びの話ではなく、天王寺屋としての話ということを恒興は感じ思考を切り替えた。

 ここから先は趣味の話ではないからだ。


「と言いますと?」


「近江や、あの辺がどないなるかが気掛かりなんや。こないな事相談出来るのは婿殿だけやで」


 助五郎は声を潜めて喋りだす。

 他に聞こえてはいけないと思ったのであろう。


「まず南近江の六角家はどうなるんやろか」


「彼らが織田家主導の上洛軍に加わるなど有り得ませんニャ。絶対『越前の神官ごときが生意気な』って思っているはずです。奴等の名族意識は既に病気ですから」


 六角家は源姓佐々木氏の本家としての矜持があり、鎌倉時代初期から近江を支配し続けている。

 このため非常に名族意識が高く、また勢力も強いため織田家の下に付くことは絶対にない。

 ならば足利義秋の元に織田家と同格で参加は有り得るのだが、これはないと恒興は考えている。

 上洛後に織田家だけで政権を掌握出来なければ、信長の利益が減ってしまうからだ。

 この流れが起きそうな場合は全力で潰そうと恒興は考えている。


「第一、勢力を保ったまま合流されても迷惑ですニャ。後で主導権争いが起こるのが目に見えてますから」


 如何に名家でも既に勢力が没落していれば、復興させて貰った恩義を感じるだろう。

 また復興するにしても首輪を付けて監視すればいいので特に問題にならない。

 だが六角家程の大勢力に首輪を付けるのは流石に不可能だ。

 そして下手に取り込むと内側から喰われかねない。

 なので六角家を取り込むなら一度叩き潰してからの話である。


「一応公方様が上洛参加を呼びかけたらしいのですが、六角家は拒否したそうですニャ。なので信長様もまず六角家を討伐するおつもりですニャー」


「成る程やなぁ。あ、でもこれって機密やないんか?」


「ニャーも義父殿だから喋っていますニャ。それにこの程度は機密に入りませんよ」


 足利義秋は自分を捕らえようとしたことは水に流すと言って上洛参加を促したが六角家は拒否した。

 それは既に三好家が新しい将軍を擁立しており、朝廷からの将軍宣下は間近だと見られていたからだ。

 既に信長は宣戦布告の絶縁状を叩きつけ、六角承禎(義賢)と息子で当主の義治は無視するという展開になっている。


「なので南近江は無事制圧したら便宜を図りますニャ。でも近江は『堺会合衆』の勢力圏、程々がいいと思います」


「婿殿の言う通りやな。あんまり貰い過ぎて堺会合衆内の顰蹙ひんしゅく買うてもあかんし。それでもう一つ有るんやけど・・・」


 近江という国は石高が高く、北陸や東海に行く重要な道もある。

 なので昔から商人の行き来が盛んで、京の都の商人の縄張りであった。

 だが応仁の乱などで京の都が荒廃し、その後は堺会合衆の縄張りとなっていた。

 都の争乱を避け防御力の高い堺に移った商人も多いので、近江が堺会合衆の縄張りとなるのはそう時間は掛からなかった訳だ。


「北近江の事ですニャ、特に京の都と敦賀を結ぶ街道のことでしょう?」


「知っとったんか、婿殿!」


「ええ、まあ。浅井長政が朽木家を降し、関銭を大幅に値上げして徴収している件ですニャ。堺会合衆にとっては大打撃でしょう」


 先頃、浅井長政は幕臣である北近江朽木家に侵攻した。

 この戦いでは明智光秀も北近江高島城の籠城戦で指揮したと言われている。

 結果としては朽木家が人質を出して和議が結ばれたのだが、領地に関しては一切変わっていない。

 そして人質を出して臣従したからといって、朽木家が幕臣を辞めて浅井家臣になった訳でもない。

 何を言ってるのか解らないかも知れないが、浅井家に出仕してもいないし兵も出さないのだ。

 長政にとっても朽木家が幕臣の立場を捨てると思っていないし、来てもただの『獅子身中の虫』状態で信用出来ない。

 ・・・これでは何のために浅井長政が朽木領に侵攻したのか全く解らないだろう。

 その答えは街道の関銭徴収権である。

 現代で言う『鯖街道』という重要商路は京都~小浜間の江戸時代に拓かれた道を指す。

 それが無かった戦国時代以前で『鯖街道』に相当するのが琵琶湖西岸を通る京の都~敦賀間なのである。

 この時代の敦賀は奥州や北陸、山陰の物資集積湊として大発展している。

 この敦賀の莫大な儲けで朝倉家は本拠の一乗谷を『小京都』を呼ばれる程発展させる事が出来たのである。

 なので商人は敦賀から奥州北陸山陰の品を京の都方面に持ってきており、商人は頻繁に往来していた。

 浅井長政はこれに目を付け、朽木家から権利を奪ったのである。


「実はそうなんや。ワテらもまいってしもてな」


「その様子ですと堺会合衆全体の様ですニャ」


「せや、このままやと体力のない中小の商人は破産やで。堺が衰退してまうわ」


 そう言って助五郎は本当に頭を抱えてしまう。

 朽木家は関銭を徴収はしていたが、金額はかなり抑えられていた。

 関銭が高いと商人から幕府に訴状が出されるため、幕臣である朽木家はあまり暴利を貪れない訳だ。

 だが元々ただの豪族に過ぎない浅井家はそんなもの関係無い。

 それを止める役目を持っている幕府自体が力を無くしているのだから尚更だ。

 つまり浅井長政は取れる場所から最大限毟り取るために朽木家を攻めたのである。

 この行動は戦国の大名としては、実に正しい行いだと言える。

 過去には織田家だって津島に攻め込んだことがある。

 特に浅井家は支配権が無いため、家臣にはかなりばら蒔きをして体制を維持しなければならない。

 重臣豪族にとって報酬が渋いなら浅井家を担ぐ意味など無いからだ。

 だからと言って北近江の民衆から過度に徴収する事はそもそも自殺行為だ。

 民衆のヘイトを買うと、半兵衛に『狂気』と言われた浅井家の徴兵数が維持出来なくなる。

 となれば稼ぐ手段は他家の領地から奪うか商人から奪うかとなる。

 それで長政は目の前に有った朽木家の権利を奪い、商人から徴収する手段を選んだのである。

 長政は奪うと言っても焼かず殺さずで利益だけを吸い取る形なので、かなりスマートなやり方と言わざるを得ない。

 長政本人も会心の一手だと思っているに違いない。

 ・・・だがこの行為を許せない大名家がほぼ隣で拡大中である事を長政は認識していなかった。

 特にその大名家の躍進を支える者は既に長政の行動を邪魔だと感じ始めている。


(ニャーんでアイツのする事なす事、ニャーの邪魔なんだよ?マジでぶん殴るか・・・って思考が竹中染みてきたニャー)


 恒興は前世の分も考えて、浅井長政の行動を評価する。

 結果は『邪魔』の一言しか出て来なかった。


(ニャーが考える織田家の新たな財源造り、『堺会合衆から上納金』計画の邪魔は許せんニャ)


 恒興は既に津島会合衆とは別の財源を手に入れるべく動いている。

 それが『堺会合衆』なのだ。

 恒興は天王寺屋と縁を結び、堺の茶会で顔を売り、先頃は小西隆佐も織田家に期待を寄せる様になった。

 つまり恒興の努力もあって順調に堺会合衆が織田家に注視し始めたのである。

 ・・・そう、信長の新たな金蔓が。

 だから今回の件で堺会合衆が攻撃を受けているのは特にいただけない。

 こんなところで堺会合衆の勢いが失われるのは不味いのだ。

 この件は天王寺屋の様な大店でも頭を抱えているのだ、中小の商人達は壊滅的だろう。

 それに大店でも利益が薄ければ大きな取引も出来なくなる、つまり商売自体が先細る。

 そして織田家への『上納金』は『利益』から作られるため利益が減れば当然上納金も減る。

 織田家が上納金を沢山欲しいと願えば、傘下の商人が沢山あきなって沢山利益を稼いでくれないと困るのだ。

 だから端的に言うと浅井長政は織田信長の利益を妨害している存在である。

 これだけで恒興が動くには十分な理由であろう。


(前は同盟者そして裏切り者くらいしか思わなかったが、よくよく考えてみると邪魔臭い事しかしとらんニャー。素で織田家の方針の真逆を行っとる。これさぁ、前世の信長様、各方面に頭下げたんだよニャー。義弟だからってさ。居たたまれない上に報われてないニャ)


 恒興は前世の信長がどれだけ苦労して妹婿の長政の釈明に動いていたか思い出した。

 そしてその上で長政が裏切った事も思い出し、恒興の怒りにも火が点いてきた。


「義父殿、その件に関しては織田家が上洛の前後に必ず対処致しますニャー。中小の商人達には今は無理をしない様に伝えて下さい」


「おお、婿殿にそう言ってもろて心強いで。親父にもええ報告が出来るわ」


 この織田家の『利益から上納金が出される』システムを考案したのは信長の祖父・織田信定である。

 しかし考案したというのも語弊がある表現で、津島が強くて妥協した結果なのである。

 織田信定は当初津島を占領して根刮ぎ奪うくらいの考えをしていたはずだ。

 だが津島は傭兵を雇って逆に当時の織田家本拠・勝幡城にまで攻め込んできたのだ。

 これには信定も堪らず津島の有力商人に娘を嫁がせて和睦した。

 そして『利益から上納金が出される』という条件を飲んだのである。

 これが今日の織田家を支える英断だったとは誰に予想出来たであろうか。

 この後、信長の父・織田信秀が当主となるが、彼はこのシステムが如何に優れているか直ぐに理解した。

 上納金は利益から作られるので利益は確実に商人に残るため、商人は商売を続けていける。

 上納金額を上げたければ商人の利益を上げれば良く、織田家は永遠に稼ぎ続ける事が出来るシステムだったのだ。

 なので織田信秀は利益拡大のため他者や寺社の市場を押領しまくった結果、主家である織田大和守家に怒られたり、本願寺の証如法主を激怒させたりとやらかしてはいる。

 長島が要塞化しているのはこのせいである。

 そして信秀がこの財力を背景に注力したのが、『他所者を雇う』である。

 今の織田家で働いている家臣の殆どが信定や信秀の代での移住又は成り上がりなのである。

 織田家古参で尾張のまともな武家といえば佐久間家か丹羽家くらいだったりする。

 何故信秀は他所者を多数受け入れたのか?

 人員不足に戦力増強と色々理由はあるのだろうが、最たる理由は他家の優れたやり方を取り入れるためだろう。

 武家というものは閉鎖的で自分達のノウハウを他家に教えることはあまりない。

 だから他家から追い出された侍を雇ってノウハウをそのまま吸収していったのだ。

 この時に今川氏輝が始めた『馬廻衆』という、国人豪族の子供を側近にして支配を固める制度を取り入れている。

 更に六角定頼が行った『楽市制』を学び、関所の撤廃を進めようとした。

 またこの時に『俸給』という給料制度も確立した。

 元来武士というものは土地を与えて初めて家臣となる、『一所懸命』という言葉がそれを示している。

 自分の『一所』のために『懸命』になれという意味でもあるが、『一所』を貰えれば『懸命』に働きますよという意味でもある。

 しかし織田家はその成り立ちから土地が非常に少なく、与えていると直ぐに無くなる。

 それでも経済力だけは多分にあったので、与える土地の分だけ通貨で払うというやり方が定着した。

 これは傭兵を雇う時も同じやり方になる。

 そしてこれら全てが信長の代で大発展を遂げる。

 信秀の代に今川家から取り入れた『馬廻衆』は『母衣衆』へと発展し、六角家から取り入れた『楽市制』は後の『楽市楽座』へと発展するのだ。

 祖父・信定が築いた津島との関係も今や、『津島会合衆』という伊勢湾市場を独占する巨大商人連合となり織田家を大きく支えている。

 親が敷いたレールを3倍増しに拡大していく当主が3代続いた結果、織田家の大躍進につながっているのである。

 そしてこの考え方は信秀の義理的な息子である恒興にも継がれているのだ。

 ・・・理解するのに大分時間が掛かっている気もするが。


「ええ話が出来てホンマ良かったで。で、茶碗は決まったか?」


「え?ああ、まだ見ている最中ですニャー。・・・お、これは『白天目茶碗はくてんもくちゃわん』だニャー!」


 恒興が取り出した茶碗は青み掛かった白い釉薬を塗られ、縁の覆輪は金色で縁取られている。

 形はややふっくらして均整の取れた逸品である。

 この『白天目茶碗』は恒興でも知っているくらいの有名な茶碗である。

 何故ならこの白天目茶碗は国内で作られているからだ。

 唐物の白天目茶碗を見本に国内の陶工が試行錯誤して作っている。

 唐物なら高価だが、国産ならそこまで高い物ではないと思い恒興はこれに決めた。


「それが婿殿の一目惚れの器か。流石は婿殿や、それも武野紹鷗はんが所有しとった『宋代の』の白天目茶碗やで。お値段は6百貫やな」


(おいぃぃぃー!?唐物の大当たりじゃねぇぇぇギャァァァ!!)


「あ、あのー、義父殿。白天目茶碗は国産品が有りませんでしたっけ?」


「あるにはあるんやけど、婿殿の持つ器としては不適格やで」


 白天目茶碗は確かに国内で作られているらしいのだが、陶工の腕がまだまだの様で助五郎のお眼鏡に叶う品は出来てないらしい。

 やはり陶工の技術が上がるのは茶道が注目され茶器の価値が爆上がりする信長上洛後なのだろう。

 信長が陶工の保護政策を打ち出してから国産の茶器及び陶芸品は急速な発展を遂げていくのである。

 恒興はどれを選んでも同じくらいの値段がするんだろうなと諦め、この白天目茶碗に決めた。


「茶碗はこれで良しとして、お次は茶杓やな」


(まだ選ぶのかニャー)


「若旦那、ただいま戻りました。はぁ」


 恒興が疲れてきたその時、非番か何かで外に出ていた六兵衛という奉公人が帰ってきた。

 恒興が藤と堺に行った時に天王寺屋の商隊を率いていた男である。

 それが溜め息をつきながら帰ってきたので、恒興も何事かと思う。

 ただ助五郎は直ぐに何故悄気しょげているか解った様だ。


「六兵衛、どないしたんや。ははぁ、さてはまた『賭け碁』で負けよったな。懲りんやっちゃ」


「いやいや若旦那。今日こそは勝てると思うてましたんや。でも、はぁ~」


「結局負けとるんかい」


 どうやらいつもの事みたいな話らしいので、恒興も気分転換がてら聞いてみることにする。


「義父殿、何の話ですニャー」


「実は流れの牢人が近くで賭け碁をやっとりましてな。これが強いって評判なんですわ」


「賭博ですかニャ?許しておいていいので?」


「ワテの縄張りで賭博は許しまへん。けどあの人は組織だったものではあらへんし、賭け金も飯一食とかなんで放といているんですわ。なんや、客引きにもなっとる気がしてな」


(他国者か、面白い話が聞けるかも。それに碁が強いっていうのも興味があるニャー)


「義父殿、ちょっと出掛けますニャー」


「あ、婿殿!戻ったらちゃんと選ぶんやで!」


 他国から来た者と聞くと話を聞いてみたくなるのは恒興の癖になっている。

 その上一時的でも茶器選びから開放されるなら、恒興にとって一石二鳥と言えた。


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「お前かニャ?碁の強いヤツってのは」


 天王寺屋桑名支店を出た恒興は直ぐに碁盤の前で座り込んでいるボロボロの袈裟を着た僧侶を見つける。

 おそらく旅の雲水なのだろう、網代笠(日除けで雨除け)を被って脚絆に草鞋まで履いている旅装だ。

 見た目は30代くらいで、頭は剃っておらず短いボサボサ頭であった。


「誰だい?お前さんは?・・・フム、中々いいご身分の様だぁな。それで織田家のお侍様がワシに何ぞ御用で?」


「他国から来た者と聞いてニャ、何か面白い話が聞けないかと思って。あと、一局お相手願おうかとニャ、旅の雲水殿」


 その男は恒興の服装を見て、武家でも身分の高い人間だと判断した。

 そしてここが織田家の勢力圏なので織田家の侍と見て取った。


「そいつぁ面白ぇ、いいぜ。じゃあアンタが勝ったら三好家の面白ぇ話をしてやるよ。ワシが勝ったら、そうだなぁ・・・一宿一飯奢ってくれ」


「ほお、もしかして三好家の侍だったのかニャ?」


「昔の話だぁな。長慶様がお亡くなりになって、松永やら三好三人衆がデカイ顔するようになった訳よ。そんでつまらんくなって辞めたんさ」


 恒興は碁盤の前に座って対局の準備を始める。

 準備といっても順番を決めて、碁石を貰うだけではあるが。


(フッ、囲碁の強さはな、年季が物をいうんだニャー。ニャーは見た目こそ18歳だが経験は50歳を超えているんだ。30そこそこの若造に負けたりはせんニャ。『摂津の本因坊』と呼ばれたニャーの実力、思い知るが良い!!)


 恒興の言う『本因坊』とは本因坊算砂の事で後年、織田信長に「そちはまことの名人なり」と賞賛される囲碁名人である。

 因みに摂津の本因坊とはただの自称である。


「三好長慶殿が亡くなって辞めたって言ってたけど今の三好家はダメニャのか」


「そうだぁな、長慶様の良さはこの一言で解るんじゃねぇかな。『ワシは三好家と何の縁も無い余所者』だ」


「ニャる程ねー、長慶殿は縁故だけで無く、人の能力を見て取り立てていた訳か」


(長慶って信長様と同じ様な考え方してたのかニャー)


 無言で打ち合うのもつまらないので恒興は三好家の情報を得ようと世間話を仕掛けていく。

 一方僧侶も話好きの様で特に隠しだてせずに話しているようだ。


「今、三好三人衆とやり合っている松永弾正だって、長慶様に引き上げられた人間なんだぜ。だから三好三人衆に攻撃されてんだぁな」


「ん?どういう事だニャー?」


「つまり、つまりよ、ヤツらは余所者を追い出しているのさ。松永弾正は真っ先に槍玉に上がっただけよ。ヤツに罪有りって叫んでいるのは三人衆くらいなもんで、本人は結構真面目なもんだぜ。見た目は腹黒ジジィにしか見えんがな、カカカ」


(ニャる程、三好家の内乱は権力争いだけではないのか。ん?)


 今の話で恒興は猛烈に引っかかる部分があった。

 恒興は今まで三好家の内乱を松永久秀VS三好三人衆の争いだと思っていた。

 だが今の話では三好家から他所者が追い出されているという話に聞こえるのだ。


「それって松永だけの話じゃないって事か?」


「当然だぁな。ワシもその一人よ」


「それは三好家自体運営出来るのかニャー?」


 三好家というのは元々は阿波国の一豪族である。

 なので三好長慶が管領・細川家の領地を奪い統治するというのは有り得ない程の難事なのである。

 まず侍の数が圧倒的に足りないだろう。

 これを長慶は自身の政治的才覚と使える者を引き上げるやり方でクリアしたのである。

 だがこのやり方は譜代の家臣と他所者の間で確執を産むだろう。

 それも長慶のカリスマ性と理解ある優秀な兄弟で抑えきっていたのだ。

 だから長慶と兄弟を失って暴発してしまったのだ。


「アンタも織田家の侍なら知ってるだろう、池田恒興って御仁をよ。彼は相手の侍を奪い取る事で犬山城と関城をほぼ無抵抗で落としたらしいぜ。侍の減った武家の末路はそんなもんだぁな」


(ええ、よく知ってますニャー、そいつの事なら)


 自分のやってきた事を引き合いに出されて、少しムズ痒い感覚に陥る恒興。

 だが彼の言う通りであり、恒興は相手の内部を謀略により破壊することで完勝を収めている。

 一番念頭に置いているのはやはり侍の離反である。

 だからこそ三好三人衆のやり方は破滅でしかないはずなのだ。


「じゃあ、三好家はどうするんだニャー?まさか三人衆は現状が解ってないとか言わないよな」


「流石に三好三人衆もそこまでバカじゃねぇよ。ちゃんとヤツラは対応策を持っているぜ。それが・・・」


「それが?」


「勝ってからのお楽しみだぁな、カカカ」


(その答え、マジで聞きたいんですけど!負けられん戦いがここにあるニャー!)


 ~一時間後~


「・・・ありません・・・ニャー」


(あっさり負けたー!何故だ、打つ手打つ手全部対応されてしまったニャー)


「攻めっ気が有り過ぎだぁな、アンタ。そんなんじゃ戦場で苦労するぜぇ」


「い、言ってくれるじゃニャいか」


「だがキッチリ狙って待ちに入ったアンタは中々だ。俺も危うく嵌められるところだったね」


 今回の対局を僧侶が解説する。

 余裕で解説されてしまうくらいには実力の差があったと恒興も認識せざるを得ない。

 だが既に恒興の興味は碁から目の前の僧侶自身に移っていた。


(さっきの件も知りたいんだけど、それ以上にこの男はマジで三好家の内情に精通しているニャ。これは逃せんニャー)


「旅の雲水殿、ニャーに仕えないか?」


「フム、魅力的な話だぁな。だがスマンね、ワシはまだ長慶様以外に仕えようとは思わんのよ」


「そうかー、残念だニャー」


 恒興はとても残念がる。

 残念がってはいるが諦めるつもりは毛頭ない。

 この僧侶は三好長慶以外に仕えようとは思わないと言った。

 ならば仕えさせずに招けばいいのだ。


「じゃあ、ニャーの碁の先生になってくれないか?」


「・・・は?碁の先生?」


「これなら仕えてるとは言えニャいだろ。ニャーはただ碁を教わっているだけだし。寺から茶坊主を招くのと変わらんニャ」


「ブハハハハッ!成る程、成る程なぁ。そう来たか、カカカ」


 呆気に取られた僧侶だったが直ぐに恒興の頓智とんちに気付いて大笑いする。

 仕えられないと言ったら、仕えなくていいからウチに来て碁を教えろと言われてしまったのだ。

 仕えてはいないが仕えているのと同じ効果がある訳だ。


「これでどうニャ?」


「いいぜ、いいぜぇ。ワシにとってもいい稼ぎになるなぁ」


「よろしく頼むニャー。ニャーは織田家臣・犬山城主・池田勝三郎恒興だ」


 僧侶は目を見開いて多少驚いた風を見せたが、直ぐに成る程ねと納得し始めた。

 対局中の会話で織田家の上の方にいる侍と分かってしまったのかも知れない。


「成る程、こりゃ『太公釣魚』か」


「ニャーが周の文王でお前が呂尚か?自惚れ過ぎだろ」


『太公釣魚』とは周の文王が隠遁し釣りをしている呂尚の元を訪ねた故事で、この事から呂尚は太公望とも呼ばれる。

 その後、呂尚は周の軍師となり殷朝を滅ぼす原動力となる。


「じゃ、『水魚の交わり』」


「諸葛亮かよ」


『水魚の交わり』は三国時代の劉備が諸葛亮との関係を指した言葉が元の故事成語である。

 これが使われた場面は劉備と諸葛亮の仲が良すぎて、嫉妬に狂った二人の義弟に言った言い訳との事。

 魚は男性の隠語で水は女性の隠語となるらしく、恋愛関係みたいな物だから兄弟関係には影響無いということらしい。

 ・・・もっと危ない関係に聞こえる。


「『断金の契り』は?」


「孔崇と范式だニャー」


 孔崇と范式は後漢の人で『二人心を同じくすればその利、金(金属の事)を断つ』と謳われる程の友情を生涯に渡って持ち続けた。

『断金の契り』とはこの故事に因む。


「『刎頸の交わり』!」


「廉頗と藺相如!」


 廉頗と藺相如は春秋戦国時代の趙の人で、初めは勇将である廉頗が外交官の藺相如を嫌っていた。

 故に藺相如は廉頗と顔を合わせない様にしていたのだが、その理由が「自分と廉頗将軍が争っても秦しか喜ばない」だった。

 これを偶然知った廉頗は己を恥じ、藺相如の家に行き罰してくれと願った。

 藺相如はこれを許しその高潔さを褒めた。

 そして二人は「君にならくびねられても文句は無い」と誓い合ったという故事である。


「やるねぇ」


「いい加減名乗れよニャー」


「おお、ワシは白井入道浄三。三好家で軍配者ぐんばいしゃをやっとった者だぁな。ひとつ、よろしく頼むわな」


 そう名乗ると彼は碁盤や碁石を片付け犬山に行く準備を始めた。


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【あとがき】

べくのすけは茶道や茶器に関する知識はほぼ無いのでツッコミ入れられても多分答えられませんニャー。


恒興の装備

刀剣 数打ちの無銘

兜  黒塗黒糸威頭形兜(今川義元に割られた跡有り)

甲冑 黒糸威桶側胴具足

茶碗 白天目茶碗

茶釜 天猫姥口釜

茶入 澪標茄子

茶杓 無銘(武野紹鷗遺品)

水指 無い

花入 無い

掛け軸 無銘

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