剣豪大名、都を征く

 織田信長は軍勢を整え、2000人程で京の都に入った。その後は兵を各所に配置し、治安維持及び都の再建に当たらせている。信長は将軍となった足利義昭に謁見した後は借りている屋敷に戻り、山科言継卿に会うなど毎日が忙しく過ごしている。

 そんなある日、信長の(借りている)屋敷に思ってもみない客が訪れていた。家老の林佐渡からその報告を受けて、信長は仰天した。


「は?北畠具教が都入りした?何でだ?」


「知らないってば、アタシに聞かないでよ」


「呼んだ覚えはねぇんだがな」


「ま、アタシらにアイツの都入りを拒否する事は出来ないけどね。相手は公卿だしさ」


「そうだがよ。それで北畠具教は何してるんだ?勝手に動いてほしくないんだがな」


 信長は少々不快だった。公卿とはいえ、自分に断りもなく勝手に都入りしたからだ。都入りしたというからには、どう考えても何かしらの行動をするのだろう。可能性としては信長が自分の息子を養子入りさせて北畠家を乗っ取ろうとしている現状を打破する事ではないだろうか。この件を朝廷や幕府に訴えるのかも知れない。

 朝廷は公卿である北畠具教の味方になるかも知れないし、思えば信長の次男・茶筅丸を養子に入れると聞いた足利義昭は不満気だったという。具教が訴えれば、彼等が何かしら動く可能性はあるのだ。

 信長はどうにかして具教の行動を制限出来ないか思案する。……必要無かったが。


「勝手にも何も、今日都入りしてウチに宿借りに来てるよ。行く所無いんだって」


「公卿なのに!?え?ていうかウチ(借りてる)に居んの!?」


 北畠具教は実は信長の(借りている)屋敷に居た。行動の制限も何も直ぐ近くに居る。

 信長は訳が分からなくなった。織田信長と北畠具教は政敵という関係になる。関係的には大大名とその従属傘下大名。更に息子を養子入りさせて乗っ取りも画策している。具教が反抗を考えてもおかしくない。というか、反抗しないとおかしい。それだけの事をやった自覚は信長にもあるのだから。

 だが考えても分からない、何処に政敵の家に転がり込んで反抗行動を起こすヤツがいるのか?見張られるだけではないかと。猛獣が自ら檻に入る様なものだ。信長はより一層、北畠具教という男が分からなくなった。こんな時に恒興が居ればな、とも思ってしまう。そして恒興は何をもたもたしているんだと怒りまで湧いてきた。


「何考えてるのか知らないけどさ。だからと言って門前払いする訳にもいかないから一室貸したよ」


「いや、オレもここ、借りてるだけなんだがなぁ」


 信長は考えるのを止めた。自分にも分からないし、林佐渡にも分からない。ただ出来る事は見張りを付けておくくらいだが、具教の行動を縛るのは難しいかも知れない。信長はそう思った。

 だが、信長の予想に反して具教は動かなかった。借りた部屋で本を読み、出掛ける事もなく過ごした。会いに来た人物も皆無だ。そして彼は毎日の日課なのか道場で剣を振っていた。

 その道場は信長の近習や小姓達も使っており、彼等は具教の剣術の凄まじさを目の当たりにした。派手な動きはない、だが剣の一振り一振りに物凄い鋭さと気迫を感じるのだ。その剣を学びたい、そう思った一人の少年は意を決して具教に声を掛けた。


「あ、あの、北畠様!」


「ん、何かな?」


「い、一手御指南頂けませんか?」


 少年の不躾な願いに具教は少し笑った。そろそろ彼も一人で剣を振るのに飽きていたのだ。屋敷に来てから三日、一人だけの単調な日々だったのだから。


「良いとも。独りで木刀を振るのも飽きたのでな。君の名は?」


「はい、『堀久太郎』と申します!」


「よろしい、久太郎君、打ち込んで来たまえ」


「行きます。はああぁぁぁ!」


 願いを聞き届けられた堀久太郎は嬉しそうに笑った。そして気を取り直して引き締め、木刀を構える。

 久太郎は渾身の力で具教に斬り掛かるが、まるで相手にならず簡単にいなされてしまう。しかもかなり手加減されている。それは仕方のない話だ、相手は剣豪として有名な北畠具教、対する堀久太郎は未だ11歳なのだから。

 具教は父親が子供に教える様に丁寧に相手をしているのだ。その様子は周りの者達にも伝わった。


「あの、僕もお願いします」


「あ、私も」


「構わないとも。順番にな」


「「「はい!」」」


 堀久太郎の相手が終わると、他の者達からも指導をせがまれる。具教はそれを快く承諾した。そしてこの日の後、具教は道場に行く度に指導をせがまれる様になっていった。

 当然ではあるが、その事は信長の耳にも入る。彼は困った顔をしながら事の次第を林佐渡に相談した。


「最近、近習や小姓達が北畠具教に剣を教わってるらしいんだよなぁ。どーしたもんかと」


「いや、ダメって言いなよ。アンタの近習と小姓でしょうが」


「いや、そうは言うけどよ。相手は公卿な訳で……」


「要らんとこで余計な気を遣うよね、殿ってさ」


「うるせぇよ!」


 信長が困っている理由は北畠具教が『公卿』だからである。勢力的には優位に立っていても官位的には信長より圧倒的に具教が上だから扱いに困っているのだ。林佐渡的には気にする必要はないとバッサリ切り捨てたが。


「相手は従属傘下大名なんだから気にする必要ないって」


「うーん、でもなぁ……」


「はあ、ま、いっか。じゃあアタシがサシで聞いてみるさ」


 溜め息をつきながら林佐渡は信長を残して席を立つ。信長は立場的に下の大名や豪族に気後れするところはない。横柄に取られがちなので気を付けろと林佐渡が注意するくらいだ。

 今回のケースは稀と言うべきか。傘下大名に現職の権中納言が居るのだから。信長としては朝廷や幕府に不快感を与えたくない時期なので扱いに困ってしまった訳だ。

 林佐渡としては北畠具教がいったい何を考えているのか。それを確認してから対応を考えようと思い、彼に会見を申し入れた。


「それで林佐渡殿、お話とは何かな?」


「お惚けは無しにして貰おうか。アンタ、いったい何しに来たのさ。まさか、ウチの小姓を鍛えに来たなんて言わないよね?」


「何と言われてもな。私は帝の復権と朝廷の復活を言祝ことほぎに来た、と言う事だが。北畠家の成立ちを知らない訳では無かろう」


 具教は帝に復権の祝いをしに来たと答える。それを聞いた林佐渡の顔はますます疑り深いモノになっていた。林佐渡はその裏が知りたいのであって、当たり前の話を聞きたい訳ではないのだ。


「建前はいーんだよ、建前は」


「そう、建前であり、本音だ」


「え?本音まで入ってんの?」


 悪態をつく林佐渡に具教は建前である事を認めた。だが建前でありながら、それが本音でもあるという。

 驚く林佐渡に具教は続ける。


「私個人は帝の支持者だ。そして織田家はこれから朝廷を財政面で支える。そうではないかな」


「そりゃ、そうだけど」


「ならば朝廷との遣り取りは密になる。だが公家衆と付き合える者には特殊な技能が必要だ。連歌、蹴鞠、茶道……織田家でそれが出来る人物を用意出来ているなら、私の杞憂なのだが」


 具教の話は建前からその後の話にまで続いていたのだ。彼にとってそここそが肝要なのである。要は朝廷と連絡を密に出来る人間は居るのか?という事だ。その話に林佐渡は忘れてたと言わんばかりに顔面蒼白になっていく。


(ヤバい、居ないわ、そんなヤツ。恒興なら……無理か、連歌は出来ないって言ってたしね。え?まさかアタシ?冗談じゃないよ!……幕府から借りるしかないかな)


「幕府から借りるなら、細川藤孝殿かと。古今伝授の達人でもありますし」


(先読みされたよ)


 織田家の家臣を見渡しても適材が見付からない。となれば、担当は林佐渡、彼女に回ってきてしまう。最悪の予想が出来てしまうので、とりあえず幕府から借りようと思った。幕府に借りを作る上に、朝廷との遣り取りを幕府に干渉される事が大きいだろうが仕方ないと考えた。

 まあ、具教はそれも見抜いていたのか、借りるなら細川藤孝だと推挙した。

 因みにだが、この時点では明智光秀の名前は候補にすら入らない。身分的にまだまだ足りないからだ。京都奉行あるいは城主クラスでないと話にならない。彼が頭角を現すのはまだ先、足利義昭が三好三人衆に襲われる『本圀寺の変』以降となる。


「ともあれ、織田家はこれから朝廷の立て直しをしていかねばならない訳だ。公家衆とは密に接しなければならないとあれば、それが出来る人物が必要だという事だ。織田家で用意出来ていないのであれば、私が立候補しようかとここまで来た次第だ」


「え?力、貸してくれるの?」


 立候補すると言った具教が林佐渡には輝いて見えた。『ウソ、やだ、カッコいい』みたいな感じで林佐渡には見えてきたのだ。

 織田家の中に朝廷と交渉出来る人間が居ないのであれば、必然的に林佐渡が何とかやるしかない。彼女は絶対にイヤなのだが、押し付けられる可能性がかなり高い。そんな絶対にイヤな事を具教は立候補するという。しかも官位十分、資格十分、能力十分な筈だ。でなければ、権中納言になったりはしない。林佐渡には北畠具教が救世主に見えてきた。


「無論。織田家に上手くやって貰わねば帝は困窮する一方だ。それは私も望むところではない。己の力だけで出来ないのは悔しくはあるがな」


「なるほど、織田家の為と言う訳じゃないんだね」


「気を悪くしたかな?」


「いーや、安心したよ。それこそ織田家の為って言われたら疑うね」


 問題としては一つある。彼が織田家の為に働くかという事だ。もしも彼が織田家の為になどと口にしたら絶対に信用しないつもりだった。具教に織田家の為などという想いがある訳ない。

 もしも、おべっかであったとしても口にしたなら、それは信長を騙す為だと認識できるのだから。

 林佐渡は具教が織田家の為と口にしなかった事で信用する事にした。むしろ彼は織田家に上手くやる様にと発破さえ掛けてるくらいだ。


「それじゃあ頼らせて貰おっかな、『帝の為』にさ♪」


「それは構わないのだが、どうにも織田殿からは嫌われている様だ。顔を合わせても挨拶すら返して貰えん」


 思い返す様に具教は溜め息をつく。ここ数日、不意に信長と顔を合わす機会はあった。だが具教が挨拶をしても、信長は気まずそうに目を反らし踵を返して去っていくだけだった。流石の具教も随分嫌われたものだと落胆していた。

 その様子を聞いた林佐渡はケラケラと明るく笑いだした。その光景が目に浮かんでおかしくなったのだ。


「あはは、心配要らないよ。どうせどんな顔して応対したらいいのか判んないのさ。殿は人見知りなとこあるからねぇ」


(織田信長、彼は人見知りなのか……)


 具教は絶句した。さすがにその理由は予想外だったからだ。まさか破竹の勢いで勢力を拡げる大名が人見知りだったとはと。


「ま、アタシに任しときな。必ず殿を道場に連れて行くからさ。アンタはいつも通りにしててよ」


「……ああ、承知した」


 そう言って林佐渡は席を立った。その後、具教は言われた通りにいつもと同じ様に過ごすのだった。


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 それから数日、具教はいつもの様に信長の近習や小姓に剣術の指導をしていた。最早、誰も具教が指導する事に欠片も疑問を抱いていない程、当たり前になりつつある。それだけ具教が指導者としても優れている証拠ではあるが。

 そんないつも通りの稽古をつけていると、外の廊下が騒がしくなった。


「ほら、いいから行きなって」


「オレはいいって言ってんだろ!」


「そんな事言って。横っ腹が気になってんの、知ってんぞ」


「気にしてねぇよ!」


「い・い・か・ら、行け!」


「おわっ!?」


 騒いでいたのは織田信長と林佐渡だった。どうやら林佐渡が無理矢理信長を連れて来た様だ。道場の入り口で踏ん張る信長の背中を林佐渡は気合と共に押し込んだ。信長はバランスを崩しながら踏鞴を踏んで具教の前まで来てしまう。

 具教は動ぜず信長に挨拶する。


「これは信長様」


「お、おう……」


「ご一手、如何ですかな?」


 木刀を差し出す具教に、それを見て戸惑う信長。そこに林佐渡がニヤニヤしながら声を掛ける。


「ほれ、行け。どうせ殿が勝てる訳ないんだからさ。鍛えてもらいなよ」


「んだとぅ!?佐渡、テメェ!」


「勝てると思うならやって見せてよ。ま、やるだけ無駄かもね」


「言いやがったな、見てろよ!」


(チョロい)


 佐渡は内心、ほくそ笑んだ。彼女は信長の性格ぐらい熟知している。信長は人見知りではあるが、それを上回る負けず嫌いな一面も持っている。ならば負けず嫌いを刺激してやればいい、佐渡は計画通りだと笑ったのだ。


「行くぞ!……えーと……」


「『具教』で結構。来ませい!」


「おおよ!吠え面かかせてやるぜ、具教!」


 気合と共に具教に打ち掛かる信長。それを難無くいなしていく具教。結局のところ、信長は具教に一太刀も入れる事は出来なかった。

 だが生来、負けず嫌いな信長は次の日も道場に来る。今度こそ一太刀入れてやると。そんな事が連日続き、信長は道場に行く事が楽しくなってきた。

 そして剣を合わせていれば、相手がどんな人物かも分かってくるし、仲も急速に良くなっていった。今では信長と具教が夕食を共にすることもあるし、剣術談義をしたり、信長が自分の名刀を見せたりもしている。

 その様子に安心した林佐渡は意気揚々と尾張へと帰っていった。


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【あとがき】


べ「信長さんはかなりの人見知りだと思うんだよね」

恒「何処からそう思うんだニャー」

べ「フロイスさんと初顔合わせした時、信長さんは素気ない態度でさっさと帰ったらしい。フロイスさんは『大うすはらい』をどうにかしてもらいたかったんだけど、信長さんの態度を見て絶望したんだ。和田惟政さんやロレンソ了斎さんの説得でもう一度会見を申し込む。すると今度の信長さんは別人かというくらいに歓迎してくれて異国の話を根掘り葉掘り聞かれたらしい」

恒「それが何かニャ?」

べ「人見知りの典型的な症状だよ。1回目は突然来たから話題も思いつかず喋れなかったんだ。でも2回目は事前に申し込まれたから話題を考えて備えたんだよ。べくのすけも人見知りだからよく解る。それにこの件に関しては信長さん自身が『海の向こうから来た人が突然来て、どんな顔をすればいいのか分からなかった』ってコメントしてる」

恒「それだけで人見知りとは言えないよニャー……」

べ「無論、色んな事象でこれを検証したよ。結果、人見知りだと判断した。何しろ信長さんは『親しい人』にはかなり親身になるんだ。反面『親しくない人』にはかなり厳しい」

恒「そう言う面はたしかにあるニャ。でもそれは家臣を可愛がってるだけでさ」

べ「人見知りはね、『親しくない人間』が何を考えているのかは分からないのさ。だから話題が思いつかない。だから準備して話題を用意しなきゃ難しい。話題は自然と出るもので、思いつくものではない気がするけどね。だから信長さんは謀反を起こした人達が何考えているのか解らなかった。もう一回力を見せれば従うだろ、くらいにしか思わなかった。『親しくない人』の事は解らないし解ろうともしない」

恒「でも信長様はいろんな大名豪族と会って毅然としてるニャ」

べ「そりゃ、上位者として会ってるからだよ。べくのすけだって社員になってアルバイトの人が部下に付いた事があるけど上手く喋れたよ。自分が教師になったつもりでやればいいのさ。今回は信長さんは完全上位者ではなかった。勢力的には上でも具教さんの官位は権中納言だしね。だから人見知りが発症したって訳」

恒「信長様が人見知り……賛否両論がありそうだニャ」

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