御禁料押領問題 その二

 池田恒興は織田信長との会見を終わらせると、明智光秀が居る部屋へと向かう。山科権大納言言継を怒らせた件で事情を聞く為だ。恒興が廊下を歩いていると、前方からノタノタと歩いて来る男がいる。両手を前に差し出しフラフラと歩く姿は、順慶が居れば「ゾンビの様だ」とでも言いそうだ。

 その男はそのまま恒興の前まで来ると、彼の両肩をガシッと掴んで懇願する。


「助けてくれ〜、上野〜。もう何日も寝てないんだよ〜。このままじゃ俺が死んじまうよ〜」


 いきなり泣き叫ぶが如く弱音を吐いたのは羽柴筑前守秀吉であった。非常に疲れた顔をした彼は自分がもう限界だと主張する。しかし恒興は冷ややかな視線だけを送り、一言放つ。


「ふーん。じゃ、死ねばいいんじゃニャいかな」


「酷えよ!」


 秀吉は死にそうだと訴えたら、恒興に死ねと返されて憤慨する。しかし恒興とて理由無く言った訳ではない。秀吉がいろいろやらかしたから、という訳でもない。その仕置きは終わったのだから、あれこれ言うつもりはない。ただ、彼の顔を見ただけだ。


「筑前、何日も寝てないヤツがそんな血色良い顔をしてる訳がねーギャ。演技すんニャ」


「……でへ、バレたか」


 そう、秀吉の顔色は健康そのもの。とても死にかけの人間のそれではない。到底、死にそうにないのに弱音を吐いてきたので、恒興は死ねと返したのだ。

 その事を指摘された秀吉はニヤリと笑っておどけて見せた。彼なりの冗談のつもりなのだろう。


「お前の事だ。仕事はさっさと片付けて、報告だけ遅らせてサボってんだろニャー」


「まあね。何事も要領良く、さ。俺ってそういう工夫は欠かさんよ」


「しかし、お前も随分と馴れ馴れしくなったもんだニャー。台所奉行時代の謙虚さが微塵も感じられん」


「そりゃ、俺は上への胡麻摺ごますりも欠かさないからさ。今は胡麻摺る相手が信長様一人ってだけ」


 秀吉が忙し過ぎる程の仕事を渡されたのは事実だろう。信長ならそういう仕置きをした筈だ。しかし、秀吉は既に仕事を完了させていた。そして完了報告だけ遅らせて遊んでいるのだ。期日に間に合えば問題無いだろ、と。前にも同じ事があったので、恒興は直ぐに看破した。

 秀吉は渡された仕事はマトモに・・・・やれば、かなり時間の掛かる物ばかりだ。それをこの男はやり方を工夫する事で時間短縮をした。秀吉のやり方は仕事一つ一つに対処するのではない。部下を班分けして仕事を分担させたり、報奨を約束して競わせたり、適任を選んで配置し権限も与えるなど、ありとあらゆる手段を取る。結果、彼は指示出しだけしかやらない事も多い。彼は究極の管理職と言える。

 秀吉は立場が上がる度に、恒興への態度が軟化していった。というか、かなり馴れ馴れしくなっている。既に敬語など一切使わない、友達と話すかの様。おそらくだが、筑前守という官位を得た事で恒興と対等になったと認識したのだろう。台所奉行時代はかなり仮面を被っていたんだな、と恒興は思う。

 羽柴秀吉という人物の性格は、目上の者にはひたすら低姿勢でへりくだり、目下の者にはキツく当たり見下す態度を取るという。これを証言したのは、幼年から秀吉に仕えていた仙石権兵衛秀久である。現代なら嫌な上司NO.1を獲得出来る。およそ英雄らしからぬ、と思うかも知れない。しかし時代は戦国時代、武士はだいたい目下の者を見下して接するもので珍しくない、とだけ付け加えよう。秀吉は報酬だけはケチらないのでマシな方ではある。


「ま、いいけど。今はお前に構ってられんニャ。ニャーはこれから山科卿の問題に取り掛かるんだから」


「ああ、惟任のアレな。アレは流石に無いわーって俺も思ったね」


 恒興は秀吉の習性を下らないと一蹴した。結局、自分が楽したいだけだろうと。しかし成果をキッチリ出している事は事実。手法に関しては一目置くべきとは思う。ただ、今は恒興が忙しいので後回しだ。彼はパタパタと手を振り、その場を後にした。山科権大納言言継の問題は直ぐに解決しなければならないのだから。

 それを聞いた秀吉はああと思い出した様に苦笑した。どうやら秀吉は山科言継と明智光秀の会見に同席しており、それはないだろうと思ってしまったらしい。


「お前、ニャにか知ってんのか!?」


「い、いや詳しい事は知らんよ。でも山科卿が来て惟任が応対したんよ。やらかしたのは惟任って話だし」


「やらかした本人が釈明応対したって事だニャー」


 恒興は歩き去ろうとしていたが、秀吉の言葉を聞いて瞬時に戻って詰め寄る。秀吉が詳しい話を知っているのかと思ったからだ。悠然と歩き去ろうとしていたのに、振り返ってダッシュして来た恒興に秀吉はちょっとビビる。

 とはいえ、秀吉も詳細まで知っている訳ではない。突然やって来た山科言継を織田家重臣として明智光秀と出迎えて同席していただけだ。


「そこでさ。惟任が山科卿に出した賄賂が、なんとぉー」


「ニャんと?」


「200斤だったんだよ!ビックリだろ(笑)。俺も同席しててびっくり仰天よ!」


 斤というのは重さの単位だ。しかし戦国時代ではいろいろな物品をザックリと価値に変換した数字を斤で表す。これが金や銀なら重さに対する価値がまったく違うので斤で価値は測らない。あくまで金銭的価値が判りにくい物をまとめてザックリと重さで数値化しただけである。

 200斤の賄賂が何れ程か?一概には言えないが、相場的には10斤は1貫文くらいなので20貫文相当。現代価値に直すと1貫文は江戸時代初期でだいたい2万円くらいだ。これを基礎に考えると200斤は40万円〜50万円相当となる。

 一国の財務大臣に出す賄賂としては桁が一つ二つ足りない。現代日本は賄賂に非常に厳しい国なので当て嵌めても想像が難しいだろう。なので汚職と賄賂が当然の様に蔓延っている国だと思って欲しい。


「……ニャんだ、その、ちょっとした高級料亭の部屋代みたいな金額は?大物公卿を舐めてんの?」


「そりゃねえだろって、俺も思ったさ。そしたら山科卿は凄い顔して帰ったって訳。信長様も焦って使者を送ったんだけど、山科卿は会ってくれないんだと。ま、だから上野が来たんだろうけどさ」


「そういう事か。……まずは惟任を張り倒すかニャ」


 恒興が言う様に200斤は高級料亭の部屋代。高級ホテルの高級ディナー代くらいにはなるのだろうか。そこら辺の武家くらいなら喜ぶのだろうが、高位公卿相手ではまったく全然これっぽっちも足りない。山科言継が侮られたと感じても仕方がない話だ。


「やっぱ、金を稼いで貯めておくって重要な事だよな。惟任って、そういうのが苦手な感じはするんよな」


 秀吉は今回の事を教訓と考えている様だ。金を貯めておけば、山科言継への潤沢な賄賂が用意出来た筈だ。なら、やらかした事に対しても便宜を図って貰える筈だし、相手からの心証も直ぐに回復した筈だ。光秀に高い教養が有り、多様な才能が有り、弁舌と交渉力が有っても、金が無いのでは宝の持ち腐れでしかないと学んだのだ。


「お前は稼ぎ過ぎな感じはするがニャー」


「別に民衆を苦しめてる訳じゃないぜ」


「弟を使ってやるニャよ。小一郎は武家の当主になったんだから、それに相応しい扱いをしろ。自分でやれニャー」


「えー、弟なんだしさー」


 羽柴小一郎長秀は恒興の養女である松木澪と結婚した。これにより、彼は武士の身分を澪の婿になる事で保証された。気を付けて欲しいが、『小一郎が澪の婿になった』であり、『澪が小一郎の嫁になった』ではない。体裁的には『小一郎は恒興の養子となって娘の澪の婿となった』なのである。だから小一郎は父方の池田、兄方の羽柴、嫁方の松木の姓を名乗る資格がある。どれを名乗るかは本人の自由である。姓に関しては地名を名乗る事も多いので結構自由だ。織田も池田も元は地名だ。羽柴など人物にあやかった創作な訳で。要は武士の身分を保証する『元』があれば、それで良い。

 澪と結婚した小一郎は既に武家の当主となった。ならば秀吉はそれに相応しい扱いをしなければならない。これから小一郎は家臣を持つ事になるのだから。今までの小一郎は後ろ盾に兄の羽柴秀吉(農民出身)で農民身分。如何に立場が良くても魅力が低かった。だが、今の小一郎は後ろ盾に秀吉と池田恒興(養父)で武士身分となっている。立場も良くて家臣は居ないという超優良物件となった。現在は妻の澪の実家である松木家の縁者や仕官口からあぶれた下級武士の子弟達が押し掛けて来てるらしい。今なら古参の幹部になれるかも、と。小一郎は一人一人と面接しているので、結構忙しい様だ。

 なので、小一郎がこれまでの様に兄の雑用係扱いでは、せっかくの家臣も落胆して離れてしまうだろう。それでは後ろ盾となった恒興も面目丸潰れで困るのだ。

 それに対して、秀吉は拗ねた様に口を尖らせる。未だに弟を便利に使って稼ぎたいという欲望が透けて見える。


「お前ニャー、ふぅ」


 恒興は一息ついて秀吉を睨む。そしてとっておきの脅し文句を彼に叩きつける。


「いい加減にしとかんと、またニャーの母上が怒り出すぞ。そうなったら、ニャーはあのをお前の前に持って行くからニャ」


「あの牛だけは止めてくれー!夢の中にまで出て来るんだよ、あの牛!」


「そりゃ良かった。じゃ、理解るよニャ?」


「うう……、はい……」


 秀吉が全身を震わせて怯える『あの牛』。それは秀吉の浮気騒動(2回目)の時に恒興が持って行った『ファラリスの雄牛』の事だ。処刑を愉しむ為に造られた完全な邪悪思想に、秀吉ですら恐怖で悲鳴を挙げる程だ。それを恒興は持って来ると言うのだ。秀吉は震え上がり、小一郎への待遇を改める事に渋々承諾した。

 実の所、あの『ファラリスの雄牛』は既に無い。恒興の母親である養徳院桂昌の命令により『ファラリスの雄牛』は銅塊へと鋳潰された。この銅塊で仏像を制作し、養徳院指定の尼寺に納める予定だ。尼寺では銅塊の大きさから等身大の仏像が出来上がると期待されている。その尼寺には手で抱えられる程度の仏像しかないので、期待も一入ひとしおだ。

 銅塊のまま尼寺に納めない理由は有る。当たり前だが、僧侶にも男女の性別がある。という事は、必ず『男尊女卑』の思考が存在する。そして仏像を作る仏師は男性僧侶しかいない。仏師は職人集団なので師匠に付いて修行する必要がある。しかし仏師に女性はなれない、師匠の男性僧侶が女性を弟子にしないからだ。なので仏像の制作を男性僧侶に依頼する他ない。その為、養徳院や尼寺が制作を依頼すると、男性僧侶は「女性の依頼なんて」と侮る傾向がある。これも男尊女卑だ。依頼拒否も多いし、受けて貰えたとしてもいろいろな所で手を抜かれて残念な出来の仏像となる。こんな事案はよくある話だ。

 だから制作依頼は養徳院や尼寺からではなく、恒興から出す。織田家重臣で犬山城主の池田恒興相手に手を抜けばどうなるか。想像出来ない僧侶はそうそう居ないだろう。そういう考えから銅塊は恒興が持っていて、仏師に依頼し仏像を作って貰う予定だ。その後、恒興から尼寺に仏像を納めるという順序になっている。


「理解出来たなら良し。ま、おかげ様で長浜の開発費が潤沢だがニャー」


「くそう!絶対、後で取り返してやる!いや、数倍にして稼ぎまくる!」


「はいはい、しっかり働けよ。ニャーは惟任を張り倒、会ってくるニャー」


「行ってらー」


 長浜、昔は今浜という名前なのだが、農業と漁業を小規模に営んでいるだけの寒村しかない。長浜の開発には多額の資金と長い期間が必要となる。普通なら・・・・

 長浜をそんな悠長に開発させる気は、恒興には無い。期間を短縮するならば、資金の投入を増やす必要がある。その上で効果的な人員投入も必要だ。資金は腐る程有る、小一郎が稼いで秀吉が貯め込んでいたからだ。コレを投入させる。効果的な人員投入は小一郎に指揮させて、足りないところは恒興が補う。小一郎は恒興の婿なので、当たり前の様に干渉出来る。大義名分も要らないという親族の強みだ。

 何故、恒興は長浜の開発に積極的なのか?小一郎が婿になったので、干渉が楽だから。理由の一つだ。将来的に織田家は幕府と対決する。その時には幕府の財源である琵琶湖西岸路を塞ぐ必要がある。しかし、敦賀への商路を塞ぐ事になる為、商人の反感を買うだろう。それを防ぐ為に琵琶湖東岸路を開発しておきたい。長浜はその起点となる。それも理由の一つだ。

 しかし、恒興の真の目的は違う。何も無かった長浜に気軽に美味しい物が食べれる施設が出来たら?人材不足となり移住者を広く募っていたら?広く開発されて農地が増えていったら?湊も開発されて流通が強化されたら?そして商人が常駐し市場が毎日開かれ便利に暮らせるとしたら?コレが浅井家領地の真隣に出来るのだ。領地がまったく発展しない、商人は決まった日にしか来ない、仕事は農業と漁業しかない浅井家の農民達は何を思うのだろうか。彼等はかなりの人数が長浜に来ると予測される。長浜は近江国、浅井家の農民達にとっては地元と言って良い。移住のハードルも他国者より格段に低い。この移住者が目に見える程になれば、浅井長政は大いに焦る筈だ。そう、恒興はこうして浅井長政を暴発させるつもりなのだ。向こうから約定を破棄してくれれば、織田家は要らない悪評を得なくて済む。『条約は破らせる為に有る』後世の偉大な政治家の言葉だ。

 そんな恒興の思惑は知らず、秀吉は長浜を開発して稼ぎまくると叫んだ。恒興は真の目的を隠して、頑張れよとだけ応援しておいた。


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【あとがき】


 社長が嫌なヤツ、意地汚い、小言が多い、人使いが荒い、けど面倒見は良く給料は平均以上でボーナスもしっかりで成果を出せば誰でも出世出来る羽柴家株式会社。

 社長が立派で誇り高く人格者、周りに自慢出来る程の人物で優しく人当たりも良いが、褒め言葉と賞状ばかりで給料もボーナスもケチる超コネ優先年功序列の他大名株式会社。

 どちらに入社しますかニャ〜ん?

追記ニャー。羽柴家株式会社の副社長は性格良く、話を良く聞いてくれて、親身になってくれる人物で社長にもみんなの意見をガンガン言ってくれますニャー。

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