御禁料押領問題 その一
池田恒興は犬山で救龍を完成させた翌日に京の都に出発した。織田信長から上洛要請があったからだ。現時点では何の用事があるのかは、恒興には知らされていない。ただ、随伴は池田家親衛隊に限るとの事なので、恒興は可児才蔵や可児六郎、親衛隊500名を連れて上洛した。
そして以前に借りた都の屋敷に入り親衛隊を待機させて、恒興は信長との会見に臨む。信長は衣服を整えてから会見するとの事だったので、恒興は指定された部屋で信長を待つ。場所は広間ではなく、信長の私室だ。なので他人に聞かせたくない込み入った話なのだと恒興は思う。
暫くすると外の廊下を歩く足音が聞こえてくる。信長が来たと思い、恒興は頭を下げて彼を迎える。その信長は襖をスパーンと勢い良く開き、ドスッドスッとわざと音を立てて上座に歩いて来る。そしていきなり恒興の頭に拳骨を落とした。
「アホンダラがああぁぁぁっ!!!」
「ギニャァァァー!?」
何の前触れも無く拳骨を落とされた恒興は理由も分からず叫ぶ。一方で信長も落とした拳骨をさすり、痛みを堪えている。
「ったく!相変わらず、何て石頭だ。こっちの拳が痛ーわ」
「ううう。ニャんでいきなり怒ってるんです?」
拳骨を落としてきたとはいっても、信長は激怒している訳ではない。していた場合はあの『黒いオーラ』が発せられるので、恒興は直ぐに感知出来る。つまり信長は怒っているというより、恒興を戒める為に拳骨を落としたのだ。
「そんなもん、最近のお前は調子に乗ってるからだ」
「そんな事ないですニャー」
信長は最近の恒興が調子に乗っているので拳骨を落としたとの事。そんな事を言われても、身に覚えが無い恒興は否定する。逃れようとする恒興に、信長は顔を近付ける。
「調子に乗ってないってか?じゃあ聞くけどよ。何でお前は救龍の事をオレに報告しないんだ?」
「……ニャんでその事を?」
信長は微妙に怒っている様な表情で、先日完成したばかりの『救龍』について尋ねる。何故、救龍についての報告が一切無いのか、と。そう、恒興は救龍の事を信長に全く報告していない。もちろん、救龍は織田家の目玉公共事業の一つになると恒興も考えている。ただ、報告は完成して運用の目処が立ってからだと思っていた。事前に報告していないのは、救龍の威力が分からない、順慶の思い付きで役に立たないかも知れなかったからだ。救龍は実験段階で高い取水性能を見せたが、一晩と保たずに壊れた。それから改修を施して、恒興が都に出発する前くらいに、やっと実用化の目処が立った。今は試験運用中といったところだ。
それなのに信長は既に救龍の事を知っている。怒っているという事は救龍の威力についてもある程度知っているのだろう。問題は
「養徳院だ。お前が救龍を完成させた翌日に報せに来たんだよ」
(母上かーっ!?そういえば居なくなってたけど、何をやっとんニャー!つか、速すぎる!半日くらいで上洛したの!?……あ、母上って実はニャーより馬に乗るの上手かったっけ)
犯人は恒興の母親である養徳院桂昌だった。彼女は救龍の実験を見るや否や、京の都に向けて馬を走らせた。養徳院は池田家当主代行だった人物で、自分が戦場に行く覚悟もしていた。その為、馬術を修めているのだが、その技量は今の恒興さえ越えている。女中さんではまったく付いて行けないので、おそらく護衛は池田家従者だろう。それも元池田家親衛隊員の従者となる筈だ。
恒興は戦慄した。その技量もさる事ながら、何という行動力か、と。
「いえいえ、今から、今から報告、しようと思ってましたニャー!」
「ホントか〜?」
恒興は誤魔化しても無駄と悟り、今から報告しようと思っていたと嘯く。訝しむ信長は次弾を装填して放つ。
「じゃあ、もう一つ聞くけどよ。お前、風土古都の事もオレに報告してないよな?オレは噂で知ったんだがよ?」
「あ、えっと、それは、ですニャー……」
そう、恒興は風土古都の事も信長に報告していない。信長が岐阜まで戻って来たのは風土古都の噂を聞き付けたからだ。これは言い訳のしようも無い。高が食べ物事情と侮り、報告の必要を感じていなかったのだ。結局、美味い物が食べたい信長は風土古都の噂を聞き付けて勝手に戻って来た訳だ。この信長の嗜好を恒興は失念していた。
「犬山だけでやってたなら、まだ理解る。だが、あの時には津島や熱田でも風土古都を造ろうとしていた筈だ。お前の領地外なのに何故報告が無いんだ?ん~~?」
「えっと、えっと、ですニャー…」
犬山は池田家の領地なので全ての裁量権が恒興に有る。だから恒興が犬山でやっている事を報告する義務は無い。建前だが。
しかし行う事が領地外にも広がる、施される、適用される場合は信長への報告義務が発生する。風土古都は信長が岐阜に来た時点で、津島や熱田で商人主導の計画があった。救龍など恒興は最初から織田家の公共事業になると考えていたのだ。織田信長への報告無しで良い訳がない。
「まあ、いいや。とにかく気を引き締め直せ」
「はいですニャー」
実の所、報告してないのはそれだけに留まらない。このニャー男はろ過器の事も報告してなかったりする。そろそろ製品化が終了し売り出しが始まるので、後でコソッと報告するつもりである。今報告すると、もう一発拳骨が落ちてきそうだから。
「これからの話をするぞ。まず筒井順慶殿に嫁を出す」
「は?順慶に、ですかニャ?」
話を変えた信長は筒井順慶に嫁を出すと宣言する。予想外の話が出て来て、恒興は素で聞き返してしまう。とはいえ、順慶はアレでも大名家当主なので、そういう話もあるかとも思う。
そんな恒興に信長は眉をひそめる。
「順慶だ?お前、随分と筒井殿に気安いんだな」
「あ……。つい。ニャはは……」
「そういう事か。お前が報告しなかったのは」
「え?」
信長は順慶の事を『筒井殿』と呼ぶのに、恒興は『順慶』と呼ぶ。主君が気を遣っているのに、家臣は無遠慮。この部屋に他の家臣が居なくて良かったと信長は思う。
だが、信長は気付く。この二人の気安さが、恒興が報告をしなかった原因だと看破した。
「お前、筒井殿の事を舐めてるだろ。侮っているから、報告をしなかったんだろ。限りなく後回しにしていたな」
「う……。そう言われますと……ニャー」
恒興が報告していないろ過器、風土古都、そして救龍は全て『筒井順慶発案』の物ばかりだ。つまり、恒興は順慶の事を信長に報告していないという事になる。
順慶は恒興と同じ転生をした者だ。年代はまるで違うが。その為、順慶にとって恒興はこの時代で唯一の理解者と言える。
恒興にとっても順慶は気安い存在となり、ろ過器や救龍にしても、順慶の趣味の範囲と考えていた。風土古都などもろに順慶の趣味だ。ただ順慶は筒井家当主であり大名だ。だからこそ、順慶の趣味に恒興は金を出した。そしたら予想外に各所にウケて、話がどんどんと拡がっていった。
つまり恒興は順慶の趣味に付き合ってやっていたら、話が拡がり過ぎて報告のタイミングを失っていた、という事だ。順慶が気安い存在なので、その発明品の重要度を見誤った感じか。まあ、順慶だしニャー、で済ませていた恒興にも責任はある。
この辺りを信長と養徳院に指摘され、恒興は調子に乗っていると見られた訳だ。
「そこも改めろ。仲が良いのは構わねぇが、礼儀は忘れるな。筒井殿には織田家から嫁を出すんだから」
「はっ、改めますニャー。それで、どの家臣の娘を出しますかニャ?」
「?何で家臣の娘なんだよ?」
「しかし候補としては、家臣の娘を信長様の養女にして嫁に出すしかないかと思いますニャー」
筒井家の正室になるなら武家の娘、それも織田家重臣の娘になる。何故なら、相手が大名だと嫁の実家も力が無いと話にならない。結婚は家同士の付き合いが発生するからだ。それこそ、筒井家が戦争をするなら援軍を出して貰わないといけない。そこら辺の武家で良い訳がない。
その為に織田家重臣の娘を織田信長の養女にして嫁がせるのが常套手段となる。恒興はその常套手段でいくのかと思ったのだが、信長は否定した。
「いや、筒井殿にはオレの娘である秀子を嫁に出すぜ」
「秀子様を!?成る程……え?秀子様って何歳でしたかニャ?」
信長は順慶の嫁に娘の秀子を出すと言った。秀子は織田家当主の娘なのだから、大名家の正室としての格は十分ある。恒興も納得しかけたが、秀子の年齢で疑問を持つ。
「半年だ。お前の娘のせんと大して変わらねぇよ」
「ですよニャー。たしか上洛戦前にお産まれに……って、マジですか!?」
そう、秀子は生後半年ほど。恒興の長女であるせんと大して変わらないのだ。時期的に産まれたのは上洛戦前くらいだ。
「マジだ。いいじゃねぇか、せんだって嫁入りが決まってんだから」
「まあ、そうですが。思い切りましたニャー」
「救龍、風土古都、筒井家当主。筒井殿にはそれだけの価値が有るとオレが認めたんだ。オレの娘婿に相応しいってな」
「はあ」(アレに、ニャー)
恒興が早過ぎると反論するのは難しい。何しろ、恒興の娘のせんも森家に嫁ぐ事が決まっているからだ。
「とりあえず予定を空けて筒井殿に会いに犬山へ行く。恒興、お前も同行しろ」
「え!?順……筒井殿に会見なさるのですかニャー!?」
「何か問題でもあるのかよ?」
娘を嫁がせる事にしたのだから、信長は順慶と会見すると言う。それに恒興も同行せよと命令を出す。
それに恒興はギョッとした顔をして驚く。
「あ、いえ、そのですニャー。順、じゃなくて筒井殿はそのー」
「一々、直すな。仲が良いのは別にいいんだよ。寧ろ、都合がいい」
「はっ。それで順慶はですニャー、礼儀作法がなってないと言いますか。本人は幼い頃から屋敷の奥に閉じ籠められていたみたいで。いろいろと無礼があるかもですニャ」
筒井順慶は現代から転生した者で、物心がついた頃から自覚していた。その為、現代の知識を披露しては、白い目で見られていた。ご当主は気狂いだと。しかも父親である筒井順昭は順慶が幼い頃に他界した為、嫡男は彼しか居ない。その為、筒井順政などの叔父達は順慶を屋敷に閉じ籠めて表に出さず、木阿弥という僧侶を筒井順昭の影武者にしていた。結局、彼が居た場所は屋敷の奥か興福寺か、となる。なので順慶は他者との関わりが薄く、家臣団も形成していない。武家の作法や常識にも疎くなってしまった。恒興はその事で無礼な振る舞いがあるかもと危惧している。
「そりゃ可哀想だが、今回は構わねぇよ。オレが会いたいだけで、公式の会見じゃねぇからな。娘を嫁がせるんだから当然だろ」
「はっ」
事情を聞いた信長は順慶に同情する。思い切り家の都合を押し付けられていたんだな、と。信長はそういう偏見に反発して十代の若い頃は傾奇者をやっていたくらいだ。その傾奇者集団に前田利家がいて恒興もいた。恒興は傾奇者の格好をしたら養徳院に見付かって「仮にも貴方は池田家当主なのですよ。それに相応しい格好をしなさい」と怒られたので直ぐに辞めたが。
信長が順慶の境遇に同情的なので、会見しても大丈夫だと恒興は少し安堵した。
「恒興、会見にはお前も同席しろよ」
「ニャーも、ですか?」
「そこはアレだよ。オレと二人きりじゃ筒井殿が萎縮しちまうだろ。初対面なんだからよ」
(そうでしたニャ。信長様、人見知りですもんね。会話が続かないですニャー)
信長と順慶の会見には恒興も同席するという。つまり三者面談の様になる訳だ。その理由として信長は順慶が萎縮するだろうと言う。話は理解るが恒興としては、信長が人見知りから話が続かない予想をしているんだろうなと予測した。つまり恒興は話を弾ませる役割だ。
「はっ、承りましたニャー。早速、参りますか?」
「いや、オレの予定を空ける必要がある。それまでお前には別の事をやって貰う」
「はっ」
信長は順慶に会う為に予定を空ける必要がある。流石に暇を持て余している訳ではない。その間、恒興は別の任務を行う様だ。
「先日、山科卿が来たんだ。どうも光秀の奴が何かやらかしたらしくてな」
「明智
別の任務は山科権大納言言継の件の様だ。詳しい話は分からないが明智惟任日向守光秀が何かをしたらしい。明智光秀の名乗りは『明智十兵衛光秀』だったが、今は官職を貰って『明智惟任日向守光秀』となっている。官職は日向守で惟任は朝廷から貰った苗字である。なので呼ぶ時は惟任か日向守かとなる。惟任の方が特別なので、こちらで呼ぶのが一般的の様だ。
「それが要領を得ないんだ。光秀が言うには比叡山の僧侶を追い出して領地を押領したら、山科卿が来たって話みたいだ」
「?今、話が飛びましたニャー。何故、比叡山の僧侶を追い出したら山科卿が来る事になるのか、ですニャ。誰が比叡山延暦寺と山科卿を結んでいるのか。そこが問題かもですニャー」
「そこはオレも分からん。光秀が原因って事で、ヤツに応対させたら山科卿が怒って話をする前に帰ったからな。後でオレの使者を送ったが追い返されたし、マズったぜ」
話は明智光秀が比叡山延暦寺の荘園を押領した件らしい。光秀が居る坂本は琵琶湖の西岸地域で比叡山が非常に近い。その為、日常的に比叡山延暦寺との諍いが絶えない。簡単に言うと六角家が信長に潰された隙を突いて周辺で領地を拡げていたのだ。光秀はそれを取り戻す戦いに明け暮れている。比叡山からしてみれば六角家、又は源姓佐々木氏に押領された荘園を取り戻したという体だが。
理解ると思うが、この戦いに終わりはない。延暦寺は存在する限り荘園を取り戻そうとするし、武家が譲る訳にもいかない。だいたい延暦寺の言う元荘園を全部戻したら日の本の半分近くが制圧されると見てよい。そんなものは無理だ。しかし延暦寺は絶対に諦めない。これが比叡山延暦寺を相手に源姓佐々木氏の六角家や京極家が争いを繰り返し続けた理由だ。その戦いに光秀も飛び込む事になっただけだ。
最近の延暦寺はかなり弱体化している。あるニャー男が延暦寺の大きな財源を叩き潰したからだ。その為、延暦寺から多数の悪僧が離れる事態となり、更に還俗した悪僧から寺の特許物が町衆に流れ始めている。大幅な戦力ダウンと財政ダウンが起きている。その隙を逃さず、光秀は荘園を押領した様だが、その結果として山科言継が来る事態となった。
信長は山科言継を光秀に応対させる事にした。光秀に弁明の機会を与えた訳だが、これが裏目に出る。何をどうしたのか、光秀は山科言継を怒らせてしまったという。信長は即座に使者を山科言継に送ったが、彼は会わずに追い返している現状だ。これには信長も頭を抱えている。
恒興は話に不審な点があると考える。それは比叡山延暦寺がどうやって山科言継を動かしたのか、という点だ。
(とりあえず惟任は張り倒すとして。比叡山延暦寺が惟任の行いを朝廷に訴えた?としても、朝廷が強訴された訳でもないのに動くかニャ?うーん、ニャんか変だ)
朝廷と延暦寺の関係は別に良くはない。というか、寺は強訴ばかりしてきた歴史があるので、親身になる程には仲良くならない。しかも寺側は何も反省などしないし。
現在の都には織田軍が居るので強訴など出来ない。朝廷が動く理由が薄弱と言わざるを得ない。山科言継に多額の賄賂を出したのだろうか?延暦寺がそんな事をするだろうか?と恒興は悩む。延暦寺は賄賂を出される側で出す側ではない、と本気で考えている連中だ。有り得ないなと恒興は思う。
それはそれとして、山科言継を怒らせた明智光秀は張り倒すと決意する。
「関白の二条卿に依頼して宥めて貰うしかないかと思ったが、お前が来るって事で保留にしている。お前は山科卿と仲が良いからな」
「お任せ下さいニャー」
「資金が必要ならお前の裁量で決めろ。とにかく山科卿を宥めて用件を聞いて来い。出来る様なら、解決もして来いよ」
焦った信長は関白の二条晴良を頼るか考えた。彼に山科言継を宥めて貰おうと思ったのだ。しかし、その頃に養徳院が上洛し、恒興を呼び出す事が決まった。なので信長はこの件を恒興に丸投げする事に決めた訳だ。恒興は山科言継から官位を斡旋して貰ったくらいに昵懇の仲だからだ。
「はっ、必ずや。惟任はシバキ倒しますニャー」
「……まあ、光秀には拳骨を落としたがな」
「拳骨、お好きニャんですか?」
「お前といい、光秀といい、あと秀吉も。軍団長のお前らがデケェやらかしをしやがるから、オレが拳骨を落とさにゃならんのだろうが!」
「あ、はい」(藪蛇だったニャー)
引き受けた恒興は光秀をシバキ倒すと宣言する。信長としても光秀には既に拳骨を落としたらしい。まあ、山科言継を怒らせてタダで済む訳がない。
池田恒興、明智光秀、更に羽柴秀吉も信長の拳骨を落とされた。秀吉は確実に山名家の姫君の件だろう。軍団長である彼らを戒めるのは自分の仕事だと信長は考えている。それが嫌ならやらかすんじゃねぇ、と信長は恒興に強く言い渡す。
恒興はこれ以上言うと、要らない拳骨が落ちて来そうなので黙る事にした。
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【あとがき】
題名でネタバレしてるニャー。
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