外伝 ウチの半兵衛くんが全く言うこと聞かなくて困ってます

 稲葉山城の城下町である『井ノ口』の町を沢山の葛籠を担いだ10人前後の集団が歩いていく。

 彼等は町の通りを真っ直ぐ城へ向かっていた。

 町の人々はその集団の道を空ける様に避けて歩いている。

 何故なら彼等は全員帯刀しており、侍であることは一目瞭然であったからだ。

 その中で一番偉いのか、唯一乗馬している線の細い青年に人々の注目が集まっていた。

 そしてその集団は稲葉山城の城門で門番達によって止められる。


「何者か!名を名乗られよ!」


「これは失礼いたしました。私は竹中家当主・竹中半兵衛重治と申します。弟が病と聞き、見舞いに参った次第です」


 線の細い青年が馬から下りて名を名乗る。

 その名を聞いて一瞬、門番達に畏れの表情がでる。

 流石に『今孔明』竹中半兵衛の名は美濃において知らぬ者がいない程だからだ。

 ただそれも一瞬の事で目の前の線の細い青年の姿に門番達は拍子抜けしてしまった感がある。


「はっ、お話は伺っております。しかしその荷物は一体・・・」


 重治が連れていた従者は全員で14人、その全員が鎧兜一式が入りそうな葛籠を担いでいた。

 見た目からもかなり重そうな葛籠を担いでいるだけあって、従者は全員屈強そうな体つきをしていた。


「弟のため薬や滋養に良い食材を持ってきたのです」


「中身を改めさせて貰いますがよろしいですか?」


 鎧兜が入りそうな葛籠が14個もあるのだ。

 これは食材や薬が入っているとしても多すぎると、門番の侍は確認の要求をする。


「・・・竹中家当主である私を疑うと言うのですか?」


「申し訳ありませんが職務です故、何卒ご容赦を」


(長井様はこの者に油断してはならないと仰っていた。もし頑なに拒否するなら捕らえるか?)


 門番の侍はもし拒否するのであれば、計画を変更して捕らえるかと考えた。

 それくらい目の前にいる竹中重治という青年は強そうに見えなかった。


「まあ、いいでしょう。手早くお願いします」


「はっ、ご理解感謝いたします」


 重治の許可が出た事で門番の侍は計画通りにいく事にした。

 襲い掛かって万が一にも取り逃がしたら、切腹ものの大失態になるからだ。

 彼としてもあまり賭けに出る気はなかった。

 許可を得た門番の侍は同僚数人と葛籠の中身を調べていく。

 だが鎧兜や武器などは1つも無く、食材が大半で少し薬があった程度だった。


「成る程、凄い数の食材に薬ですね」


「ええ、余ったら皆さんにも振舞いますよ」


(武器の類いは入ってないか)


 二重底等も警戒し念入りに調べたが、結局武器の類いは包丁1本出てこなかった。

 代わりに出てきたのは本であった。


「有り難いお話です。しかし本も沢山入っているのですね」


「暇潰しですよ。退屈だと思いまして」


「そうですね、弟君は起き上がれず退屈かもしれませんし。では、最後に皆様のお腰の物を預からせて貰います」


 門番の侍は刀を預かると申し出る。

 葛籠に何の武器もないという事は、ここで拒否してくるかも知れない。

 彼は警戒しながら重治の顔を見た。


「ええ、勿論です。お役目ご苦労様でした」


 当の重治はニッコリ笑って腰の刀を差し出した。

 重治の従者達も主に習い、自分の得物を差し出していく。

 結局これで問題なく城門を通す事になり、門番は重治達を見送った。


「長井様に報告だ。獲物は丸腰で檻に入ったと」


「はっ!」


 そして自分の主に報告を入れるのだった。


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 報告を受け取った長井隼人は早速主人である龍興に報せた。


「龍興様、竹中重治が来たそうです。予定通り重矩の部屋に向かっております」


「そうか、これでヤツも終わりだな。後は久作の合図を待つだけか・・・ん?」


 龍興は立ち上がろうとして下腹部に違和感を感じる。

 つい先程遅めの朝食を摂ったばかりなのだが。


「どうかされましたか?」


「いや大した事はないのだが少し腹の具合がな。食べ合わせでも悪かったか」


 そう言って腹を摩る龍興。

 腹痛の方は大した事は無さそうであるが、腹薬くらいは飲んでおこうと思う程度だった。


「そうでしたか。実は私も今朝から少し」


「気を付けろよ。隼人は歳が歳なのだから」


 現在龍興は14才で長井隼人は32才である。

 龍興にとっては一世代上であっても、まだ初老にも入っていない。


「なんの、まだ耄碌する様な歳ではありません。とりあえず久作の部屋の回りや庭に城詰めの侍達を配置します」


「重治は何人で来たのだ?」


「14人程連れてきた様です。こちらは2百人程で囲みますので万に一つもありません」


 長井隼人は20人にも満たない重治達に対し、油断無く10倍以上の人数で囲ませる事にした。

 しかも捕らえる必要もない、全員切り殺せばいいのだから十分過ぎる布陣だろう。


「よし、抜かるなよ。・・・浅井家からは絶縁状を叩きつけられたが、重治の頸を送ってやれば機嫌を直してくれるかもしれん」


 報告を聞いた龍興はニヤリと笑って許可を出した。

 そして重治を討ち取れば、浅井長政も少しは溜飲を下げてくれるのではないかと期待しているのだ。


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 稲葉山城に入った竹中重治は直ぐに弟・竹中久作重矩の元を訪ねた。

 普通は龍興に謁見して挨拶してから見舞いに来るものなのだが、彼はあっさり無視した。


「久作、見舞いに来ましたよ」


「兄上、申し訳ありません。この様な姿で失礼します」


「いえ、かわいい弟のためですから。それで首尾はどうですか?」


 見舞いに来て数秒で本題に入ろうとする兄・重治。

 弟・重矩は体を横たえながら、2年ぶりに見る我が兄だが相変わらずだなと半ば呆れ半ば安心した。


「あの兄上、私は病床の身なのですが」


「そんなに酷いのですか?その仮病という病は」


「・・・」


「・・・」


 兄弟で数秒見合わせる。

 一応重病人に見えるような化粧をしておいたのにこの兄は欠片も付き合う気が無いらしい。

 何処に聞き耳がたっているか、まだ不明なので付き合って欲しかったのだが。


「もう少し付き合ってくれてもいいじゃないですか」


「私が時間を無駄にする事が嫌いなことくらい知ってるでしょう。それでどうなんですか?」


 重矩はガバッと起き出して澄まし顔の兄を責める。

 が、あっさり返される。

 おそらく周囲の確認は終わっているのだろう。

 何しろこの兄は地図を見ただけで部隊が何処にいるのか解ってしまうのだ。

 城の見取り図でも手に入れれば、何処に間者が潜むかも解るのである。


「仕掛けは全て終わってます。後はここで時間を潰せばいいです、あと半刻もすれば大丈夫でしょう」


 観念した重矩は諦めて、今回の策略の説明をする。

 とは言ってもコレは2年も前に重治が用意した策略である。

 重矩はこのために人質に出されたと言ってもいい、所謂『埋伏の毒』の計である。


「今朝、城の台所の釜に強力な『腹下し』を入れておきましたのでそろそろ効いてきますよ。・・・そのせいで朝から何も食べて無いんです。何か食べ物ないですか?」


「仕方がありませんね。干物で我慢しなさい」


 重矩は今朝密かに台所の至る所に薬を仕込んだ。

 それこそ飯の釜や飲み水、調味料に至るまでだ。

 この稲葉山城に務める侍達は皆ここで作られる食事を摂るので、必ず下剤を口にすることになるだろう。


「さて、本でも読んで待ちましょうか」


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 暫くした後、龍興には緊急事態が発生していた。

 それは猛烈な腹痛を伴って突然襲ってきたのだ。


「あああーっ!?は、腹がっ!?」


 龍興はよたよたと歩いて厠を目指した。

 下手に走ろうものなら、一気に出かねないのだ。

 流石に一国一城の主が漏らす訳にもいかない。

 彼は懸命に厠への道を辿った、腹と尻を押さえながら。


「くそっ、こんな時に!!」


 竹中重治がどうなったか知りたいのに、こんな急激な腹痛に見舞われるとはついていないと彼は思う。

 だが事は急を要するので、そんなことは後回しにせねばならない。

 そして厠に着いた龍興は思いきり戸を開いて中に飛び込もうとするが。


「か、厠に!ん!?あれ!?扉が、動かない!?」


 動かなかった、横に動かすだけの戸が、全く。


「くそっ!誰か入っているのか!?おい!!」


 龍興は誰かが入っているのかと思い、ドンドンと戸を叩く。

 だが中からは何も反応が無く、ただ戸が開かないだけであった。

 龍興は戸をぶち破ろうと力を込める、だがそれを彼の腹は許さず漏れそうになり力が抜けていった。

 腹痛と力が抜ける事で龍興はどうしていいか分からなくなってきた。

 そんな彼に声を掛けてきた人物がいた。


「申し訳ありません、龍興様。現在城内の厠は全て使用不能となっております」


「お、お前、久作!?重治は、お前の兄はどうなった!?くぉぉおお、腹がぁ、ヤバイ!」


 その人物は竹中重矩であった。

 彼はいたって平静に龍興の絶望の言葉を投げ掛ける、厠は全て使えないと。

 だが龍興はその言葉の意味を理解している余裕はなく、竹中重治の始末を訊ねた。


「兄ですか?それなら龍興様の後ろにいますよ」


「龍興様、ご機嫌麗しい様で何よりで御座います。菩提山城主・竹中半兵衛重治、お召しにより参上仕まつりました」


 龍興が振り返るとそこには笑顔の青年が立っていた。

 件の竹中半兵衛重治である。

 龍興は大変ご機嫌麗しくないはずだが、そんなことはあっさり無視して優雅に立礼する。

 ここに来て龍興は自分が謀られた事を悟った。


「き、貴様ら、まさか謀ったのか!?」


「謀ったとはとんでもない。この久作、嘘と言う名の武略を使っただけでございます」


 この武士の嘘は武略というのは昔からよく言われる言葉である。

 余談だがこの言葉を使った名言がある。

『仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり』

 意味は仏(僧侶)や武士は嘘を誤魔化す、それに比べれば民百姓が年貢を誤魔化すなど可愛いものだということらしい。

 因みにこれを言ったのは『明智光秀』である。

 そんな年貢の誤魔化しを軽く許していたので、朝倉家で嫌われた説がある。


「我々以外全員が下痢とは、集団食中毒は恐ろしいですね。ですが私が来たからにはもう安心ですよ」


「な、何をする気だ」


 この腹痛は竹中家の人間以外全員が襲われていた。

 やったのは竹中重矩なので当然だが。

 故に重治達を囲んでいた侍達も腹痛に倒れ、竹中家の従者達によって城外に追い出された。

 何しろ武器は直ぐに奪われたし、腹痛に襲われ力も入らない中さしたる抵抗は出来なかった。

 既に残っているのは龍興のみという状況であった。

 そして重治の後ろに控えていた従者数人が龍興を担ぎ上げる。


「何、城門の外までお連れしようかと。厠なら井ノ口の町にも沢山有りますから。既に皆様もお連れしました、・・・後は龍興様だけです」


「や、やめろ!」


「さあさ、皆の者。我らが主君・龍興様を丁重にお連れしなさい。無礼な真似はこの竹中半兵衛重治が許しませんよ」


「お、おのれえぇぇぇ!!は、腹がぁぁ、ぐおおぉぉぉ!」


 龍興は4人の屈強な従者に担がれ城門に連れていかれた。

 あの鎧兜が入りそうな葛籠を食料満載にして運んでくるくらいには力持ちな従者達である。

 龍興くらいならおそらく1人でも十分だが、丁重にという事で4人の様だ。

 こうして最後の1人となった斎藤龍興も城から追い出された。


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 門の外に放り出された龍興は尻を押さえながらもんどり打った。

 おそらく既に厠に行ってスッキリしてきたであろう稲葉山城の侍達が数人、龍興に駆け寄る。


「た、龍興様!」


「ご無事ですか!?」


「・・・か、厠は何処だぁぁぁあああー!!」


 解放された龍興は一目散に厠目指して、井之口の町を疾走していった。

 彼のタイムリミットは最早限界値であった。


「あっ、龍興様ー!」


「お待ちくだされー、龍興様ー!」


 城門にいた稲葉山城の侍達も主君の名前を叫びながら後を追っていった。

 だがこれは一番不味かったかもしれない。

 何せ井之口の住人達にあれが斎藤龍興だと知られ、彼の醜態は噂となって拡散したからだ。

 故に美濃の人々は口々にこう言った。


「あれは愚者だ、あれでは美濃は守れない」


 この時を境にもう1つの噂が自然発生的に拡まる。

 それは以前に信長が流して失敗した『美濃譲り状』の噂である。

 これがまるで真実であるかの様に美濃中に拡まり、信長待望論まで出てしまったのである。

 これは美濃の民衆が龍興に見切りをつけ、信長という強い支配者に自分達を守って貰いたいという心の表れであった。


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「兄上、おめでとうございます」


 重矩は兄である重治に策略の成功を祝う。

 これで竹中家は大手を振って織田家と繋がりを持つことが出来る。

 そう重矩は思い込んでいたが、返って来たのは否定の言葉であった。


「ん?何かめでたいことがあったのですか?」


「え?いえ、あの、この稲葉山城を織田家への手土産にするんですよね」


「私はその様な事を言った覚えはありませんよ」


 流石に重矩も訳が解らなくなった上にどんな表情をしていいかも分からなくなった。

 何しろ自分達は今しがた斎藤龍興を追い出したのだから、当たり前だが斎藤方ではいられない。

 隣の浅井家ともつい最近戦争をしているので、浅井方に寝返りも有り得ないはずだ。

 となると消去法で見ても織田家しかない。

 だがこの兄は稲葉山城を織田家への手土産にはしない様だ。

 なら残る可能性は1つしかない。


「えーと、ではこれから竹中家は独立して大名になるということでしょうか?」


「・・・久作、お前はそれが可能だと思うのですか?」


「スミマセン、無理です」


 独立して大名になる。

 残された選択肢はこれだけなのだが、重治に即座に否定される。

 重矩も自分で言っておいて、これは無いと自分で否定してしまった。

 そう無理なのだ、理由は二つある。

 1つは支配権。

 竹中家はただの豪族であり、無位無官なのである。

 これが稲葉山城を奪ったところで何処の豪族も従える事は出来ないだろう。

 従えるだけの理由も権利もないのだ。

 重治の舅である安藤伊賀守は協力してくれるかも知れないが、その関係は対等。

 下手をすれば乗っ取りや傀儡にされるかも知れない。

 鎌倉時代から続く名家『伊賀氏』の裔を称する安藤家の方が官位や家柄的にはずっと名家だからだ。

 因みにこの事から安藤伊賀守守就は『伊賀伊賀守(いがいがのかみ)』と名乗っていた事があるそうだ。

 もう1つは家臣の数である。

 今の竹中家の領地は2、3万石と言ったところだ。

 だが斎藤家の領地は長良川流域の一番いい場所なだけあって15万石程ある。

 つまり治めようにも家臣が全く足りていない。


「では、何故稲葉山城を奪ったのですか?」


「そうですね、『難攻不落』とはどれくらいなのか試して見たかった。ではダメですか?」


(・・・何か兄上が取って付けたような理由を言い出したんですけどー。しかも何で最後疑問形なんですかー)


 稲葉山城は金華山に築かれた山城で、現在の様な立派な城郭を備えたのは斎藤道三が改修してからである。

 その立派さと土岐家との争乱で小揺るぎもしなかった堅牢さから、『難攻不落』とうたわれた。

 だがそれは外からの攻撃に対してである。

 普通、城とは内側からの攻撃を想定していないので、この場合『難攻不落』は関係ないように思われる。

 重治もそう思うためか、自信無さげに疑問形で答えてきた。


「正気なんですか、2年越しの計略を使ったんですよ。もっとこう我が家の利益になる様な・・・」


「利益?竹中家の隆興という意味ですか?それに何の意味があるんです?」


(・・・誰か助けてください。当主である兄が豪族の存在意義を全否定してくるんですけど)


 重矩は2年も前から命の危険すらある『埋伏の毒』の任務を遂行していた。

 だからこそそれに見合った報酬があって然るべきと考えるのは自然というべきだろう。

 そしてそれは形はどうあれ竹中家を大きくするものだと彼は思っている。

 だが眼前の兄はそんなものには興味ないとあっさり言い放つ。

 豪族の当主にあるまじき発言を思考することなく言い放つあたり、本心の様に重矩には聞こえた。

 だから彼には自分の兄が何を考えているのか全く分からなかった。

 その様子を見ていた重治はフゥと短く溜め息をついて、自分の考えを喋り出す。


「分かりました、お前にだけは本心を伝えましょう」


「はい、ご拝聴します」


「退屈だったんです」


「・・・」


「・・・」


 竹中半兵衛重治が斎藤龍興を追い出し、稲葉山城を乗っ取った理由は『退屈だったから』である。

 流石の重矩もこの答えには絶句した。

 驚きのあまり二の句が継げないほど。


「え?・・・そ、それだけですか?」


「ええ、それだけです」


(・・・誰かマジで助けてくれませんか。我が兄の事なのに全然理解出来ませんよ~)


 重矩は何とか言葉を絞り出しその理由が本当か訊ねるも、返ってきたのは素っ気ない同意の言葉のみ。

 いよいよ彼の思考能力はパンクしそうになっていた。


「・・・本当に退屈でした、この2年」


「え?」


 だがそんな重矩の様子を知ってか知らずか、重治は言葉を続ける。

『退屈だったから』は他の意味を持っていた事を重矩も認識し、黙って兄の話を聴くことにする。


「父に言われ義龍に臣従しましたが何も面白い事がありませんでした。彼は国内統治に専心しているだけの存在でしたし、その点で言えば龍興も一緒です」


「・・・」


『長良川の戦い』の後、斎藤義龍は織田信長を撃退した。

 その後の義龍は敵対した豪族潰しを始め、竹中家も例外ではなかった。

 しかも兵の殆どを父親の重元が連れて行っており、残っていた兵は百名ほどだった。

 だが重治は何十倍の数千という竹中家接収軍をあっさり撃退、隣の大豪族『不破家』が攻め寄せるもあっさり撃退する。

 更に豪族の『岩出家』(竹中家の本家)を潰し、関ヶ原にも進出した。

 正にこの頃の重治は己の才覚がどの程度なのか、存分に試していた時期と言える。

 斎藤家という軛から逃れ、好きなだけ思う存分敵と戦える(というか襲ってくる)素晴らしい時間であった。

 試行錯誤し如何に小数で大勢を破るか、如何に損害を無くすか、如何に敵の裏をかくか、重治はこれ以上なく己の才覚を測っていた。

 だがそんな楽しい時間は唐突に終わる。

 竹中家当主である父親の重元が義龍に臣従してしまったのだ。

 重元は元々何処かで義龍と和睦し元の鞘に納まる事で、竹中家の安寧を図っていたのである。

 ここまでの戦歴で『今孔明』とまで呼ばれた彼が急に大人しくなったのはこのためで、単に父親の顔を立てていただけである。

 つまり彼に忠誠心等は欠片も無く、弟に策略を授けて送り出した訳だ。


「だから織田信長には注目していましたよ。ただ彼では美濃を制するのに早くても7、8年は掛かるなと思っていました。しかし私の予想は覆されました」


 そして早い段階で信長にも目を着けている。

 だが『長良川の戦い』で大敗北している信長の力では美濃攻略は難しいと見た。

『桶狭間の戦い』や斎藤義龍の早世もあり、大分信長有利になったがそれでも7、8年掛かると重治は見ていた。


「犬山城です。私はあの城を信長が攻略するには2年程掛かると予測していました。しかし実際はどうでしたか?半年です。半年で、無傷で攻略されました」


 その試金石となっていたのが『犬山城攻略』であった。

 この城はある男が採った策略により、戦う前から内部より半壊させられていた。

 支城に兵を入れて守ろうにも、侍は逃げ出すわ兵は集まらないわで防戦すら出来なかった。

 おそらく半年も掛けなくても落とせたと思われる。


「そこからです、彼に、池田恒興に注目し始めたのは。彼の動きを目で追い、そこに有る意図が理解出来た時震えました。これ程の人物がいたのかと」


 それからであった、竹中重治が池田恒興を意識したのは。

 それからというもの重治も彼の動きに合わせて動く事にしたのだ。

 その方が竹中半兵衛重治の実力がダイレクトに恒興へ伝わるからだ。

 もし恒興を意識出来なかった場合、重治は信長を直接叩いて自分の実力を思い知らせたであろう。

 全ては自分を高く売り込むためでしかないのだ。


「特に伊勢の計略は見事です、アレをやられては北畠家の抵抗など無意味。今頃、北畠長野両家内で分裂が始まっているでしょう。誰だって生活苦からは逃れたいですからね」


 恒興による伊勢経済封鎖はそろそろ最終段階に入っている。

 長野家からは分部光嘉が、北畠家からは木造具政と田丸直昌が既に内応している。

 この3家には秘密裏に物資が横流しされており、自領の安定に使われている。

 更にこの物資を他の家臣や豪族に流す事で、彼らの派閥に取り込み多数派を形成しようとしていた。


「南伊勢はもう熟れるのを待たれている果実も同然、何時収穫するか考える段階です。つまり織田家は伊勢を制圧した訳です」


 重治の見立てでは恒興の準備が整えば南伊勢攻略は速やかに行われ、問題なく制圧されると見ている。

 更に言えばこの南伊勢攻略は美濃制圧前に行われるだろう。

 上洛するのに後顧の憂いを残す必要はないからだ。


「そして美濃を制すれば、いよいよ上洛という戦いが始まります。それが終わっても体制維持のための戦が始まるんですよ」


(・・・ヤバイですよ。兄上がこんなに生き生きと喋ってるの初めて見たんですけど)


 兄が真意を話してくれたのはいいのだが、何処からどう聞いてもヤバイ人の発言だった。

 だが重治は終始嬉しそうに喋り続けており、そんな様子を重矩は初めて見るのだった。


「でも最近動きが鈍いと感じましてね。それで信長のケツを叩いてやろうと思ったのです。『早くしないと稲葉山城が他の誰かに取られますよ』と」


 重治がこの稲葉山城を奪取した理由は、信長へのアピールと美濃攻略を急かすためであった。

 そこには早くこの退屈から逃れたいという、彼の欲が見え隠れしていた。


「ではこの稲葉山城はどうするのですか?」


「維持出来ない物を抱えていても仕方ありませんよ。織田信長の使者が来たら追い返して、その後捨てます」


 簡潔に言っても竹中家の規模では稲葉山城周辺は治める事が出来ない。

 そもそも長井隼人の関城が健在であり、龍興もそちらに落ち延びたであろう。

 つまり準備が出来次第、稲葉山城を取り返しに来るはずだ。

 しかも彼等にはこの稲葉山城を守るのも難しい。

 籠城戦となれば相応の兵数が必要だが、それを菩提山城から持ってくるとそちらが手薄になる。

 そうなればまた隣の豪族である不破家が動く可能性が高い、竹中重治が居ないのなら尚更だ。

 つまり領地ではない稲葉山城と領地である菩提山城のどちらを守るのかという話なのだ。


「一応、兄上の舅である安藤殿に協力してもらえば維持出来ると思うのですが」


「久作、お前は舅殿を舐め過ぎです。乗っ取った城を乗っ取られたらお笑い種ですよ」


 大豪族である安藤守就の力があれば稲葉山城は維持出来る。

 何しろ彼の領地は稲葉山の西隣になるので、兵を出し易い。

 だがその場合どう考えても稲葉山城は乗っ取られる、兵の大部分が安藤家の兵になるからだ。

 そして重治は舅の守就がそんなに甘い人物ではない事も知っている。

 守就は現実主義であり稲葉山城を手に入れたら、確実に信長に売って金銭に替えるだろう。

 それでは重治が舅の金儲けに加担したように見られ汚名を被りかねない。

 だからこそ彼が介入する前に手放す必要があるのだ。


「それに美濃に要らぬ争乱を起こして困るのは池田恒興です。彼はもう次の作戦を開始するでしょう、多少計画を前倒しにしながら。差し当たっては『墨俣』でしょうね」


「いよいよ西濃ですか」


「私が彼なら同時に猿啄城を攻め、陽動とします。もちろん落城させますがね。そしてもう一つ手を打つでしょう」


「もう一つ・・・それは?」


 重治は恒興が直ぐに動くと見ていた、というよりそのための稲葉山城乗っ取りなのだから。

 なので重治には既に勢力図を塗り替える様な争乱は起こす気はなかった。

 もしも下手に勢力図が動いてしまうと恒興の戦略を崩しかねないからだ。

 もしそうなれば美濃攻略の準備期間が長くなり、重治の退屈な時間が延びてしまう。

 織田家が攻勢を掛けそうな場所も大体判る。

 あとはどんな手法を使ってくるかが楽しみなのだ。


「・・・たまには自分で考えなさい。地図を見れば一目瞭然ですよ」


 答えを求める重矩に対し重治は懐にある地図を手渡して言った。

 だが内心は全部自分が答えてしまっては弟のためにならないが半分、口に出しては楽しみが減るというのが半分であった。


「兄上は池田恒興殿に仕えたいのですか?」


「何故そういう結論に至るのですか?」


 突然話題を変えてきた弟に眉を少ししかめる。

 何故そういう方向に話を捉えるのだろうかと。


「いえ、彼のことを褒めていたので」


「そうですが、彼は私を必要とはしないでしょう。策士という者は他の策士を信用しません、警戒されるだけです」


 ここら辺は策士であれば誰でも分かる話だ。

 自分が他の策士を信用できるかと考えれば簡単に答えが出るからだ。

 大体策略・謀略を使う者は大前提として『人は裏切るもの』と考える。

 ここから裏切らない者はどうやれば裏切るようになるかを考え、裏切る者はどう裏切りを利用するかを考えるものなのである。

 このため策士が一番警戒するのは『裏切り』を使ってくるであろう策士なのである。

 つまり自分がやっている事をやり返されるのが一番怖いのだ。


「は、はあ」


「ですので仕えるなら、私を全面的に頼る者が好ましいのです。地位があり、戦争は素人レベルで、されど理解力があり、私の意見を取り上げてくれる、そんな人物が。・・・ですが池田恒興、彼とはいつか策謀の限りを尽くして戦い合いたいものですね。もっと大きな戦場で、ふふふ」


(・・・兄上って、こんな危険人物でしたっけ)


 策士は策士を警戒するが、普通の武将であれば警戒はしない。

 むしろ自分の利益になるなら策略を使えと言って任せてくるだろう。

 だから竹中重治は勇将知将に仕えたいとは思わない、そういう人間はある程度自分で決めてしまうため彼の出番は少なくなるだろう。

 凡将いや素人で構わない、自分を頼り自分の意見を採用してくれさえすれば誰でもいいのだ。

 だから彼は『竹中半兵衛重治』の名前を高めたのである。

 自分が織田家に行っても望まない将の配下にされない様に。

 ある程度拒否権が持てる様に。

 そして織田信長の部下も御免だった、有象無象の一人にされるのは耐えられないのだ。

 竹中半兵衛重治、彼は己の欲望に限りなく忠実であった。


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【あとがき】

龍興くんは何とかセーフだった模様。・・・強く生きろ!

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