浅井家との同盟話

 恒興が小牧山城に着いた時には、既に林佐渡が竹中重治調略に動いていた。

 そして林佐渡は数日して帰って来て、それに合わせて信長は家臣を評定に召集した。

 信長としては最大限の待遇や金銭を条件にしており、竹中重治は内応するものと思っていた。

 そのため一気に美濃攻略を進めるため皆を召集したのだが、林佐渡からは全く素っ気ない答えしか返って来なかった。


「端的に言うと稲葉山城は売る気はないってさ。理由が今一理解出来なかったけど」


「竹中は何て言ってたんだ。条件が合わないのか、佐渡。俺は大抵の条件は飲むつもりだぜ」


 信長は出せる条件は全て出す様にと林佐渡に伝えたはずであった。

 それこそどんな豪族でも飛び付く様な、もしかしたら大名でも飛び付きそうな条件を出したつもりだった。


「じゃあ言われた事をそのまま言うから、頑張って理解してよ。『私は酒色に溺れ、斎藤飛騨のごとき奸臣を重用する龍興様を諫めたのみ。斎藤飛騨を討ち果たし、斎藤家の膿を出したからにはこの稲葉山城は龍興様にお返しする所存である。この竹中半兵衛重治は斎藤家の権威を守るためにあえて今回の行動に到ったが、私心は欠片もない。それを調略など片腹痛い』だってさ。どう、理解出来た?」


 林佐渡は竹中重治から言われた言葉をそのまま伝えた。

 ここにいるのは織田信長、林佐渡、佐久間出羽、森三左、そして恒興であった。

 林佐渡の言葉を聞いた一同は皆、頭の上に『?』が浮かんでいる様な顔になる。


「スマン、ツッコミどころが満載過ぎて、どう反応していいやらわからん。まず『斎藤飛騨』ってのは誰だ?」


 斎藤飛騨守。

 斎藤龍興の側近で豪族の当主である竹中重治を苛めていたとされる謎の人物である。

 ・・・この時点でツッコミどころがかなりある。

 まず斎藤龍興の側近が謎の人物というのはどういうことか。

 豪族の当主を苛めるとかいう命知らずな真似が出来るのか。

 最早架空の人物と言っても差し障りない。


「知らないよ、アタシだって初耳だし。恒興は知らない?美濃の事は誰よりも調べてるだろ」


「さあ、判りませんニャ。斎藤姓を持ち飛騨守を自称する者は居るのかも知れませんが、その者が統治運営に関わっているなど聞いたことがありませんニャー」


 当然ではあるが恒興の情報網に斎藤飛騨の名前は引っ掛かっていない。

 龍興の側近的存在は親族で関城主の長井隼人佐道利である。

 彼が斎藤姓というだけで新参の台頭を許したりするとは思えない。

 大体龍興の斎藤家は祖父の道三から始まっているので、親族など数える程しかいない。

 つまり斎藤飛騨は親族ではなく、ただの新参になるはずだ。


「じゃあどういう事だ。その奸臣の斎藤飛騨はいったいどこから湧いたんじゃ」


「出羽殿、答えは二つに一つですニャ。ニャーの諜報能力がとても低い。斎藤飛騨なる重臣の名前すら分からない程に」


「津島奉行として商人の情報網を使いこなす恒興君の諜報能力が低い訳ないよ」


「三左殿にお褒めいただき恐縮ですニャー。ではもう1つの答え、竹中半兵衛重治がウソをついている」


 佐久間出羽の疑問はもっともである。

 何せこの斎藤飛騨の存在が稲葉山城乗っ取りの発端だと竹中重治は言っているのだから。

 だが恒興はこれが誰に向けて言われているのかを理解していた。

 織田家にではない、民衆に対してである。

 つまり竹中半兵衛重治は私利私欲で事に到ったのではないとアピールしているのだ。

 民衆は斎藤家の内情など知らないので、斎藤飛騨がいると言われればそうなのかと思ってしまうのだ。


「ウソをついている、か。この場合竹中は何でウソをつかなきゃならないんだ?」


「解んないけどさ。まだおかしい所があるよね」


「ああ、龍興が酒色に溺れてるってとこだな。酒好きは本人の趣向だし有るかも知れん、ヤツは十代前半なんだがな。だが色はねぇだろ」


「だよね。龍興にはまだ正室も側室もいない。色に溺れたいなら側室にして囲めばいい、それが出来る立場なんだしさ」


 酒もそうだが、女性に関しても好きなだけ囲める立場に龍興はいる。

 彼は斎藤家当主であり、早く跡継ぎを儲けねばならない。

 となれば多少多目に妻を娶っても問題視はされないだろう。

 お家の安定こそ彼の一番の仕事なのだから。

 まぁ、どちらも度が過ぎれば家臣に止められるとは思うが。


「ということは、まさか」


「龍興が若年ながら酒と色に溺れる少年なのか、竹中重治がウソをついているかのどちらかですニャー」


 そして恒興がまた皆に二択を突き付ける。

 片方の選択肢は変わっていないが。


「最後が極めつけなんだが『斎藤家の権威を守る』だ。その権威を奈落へ突き落としたのお前じゃねぇか。家臣に居城乗っ取りなんてされたら、恥ずかしくて表も歩けねぇよ」


 そう、どう考えても竹中重治は斎藤龍興の権威を奈落へ突き落とした。

 これで私利私欲は無いとか、斎藤家を守るとか言われても冗談にしか聞こえないのだ。

 それこそ『斎藤利治』のためにやりましたと言われた方がしっくりくる所業である。


「でもアタシが行った数日後には本当に城を返したよ。もう何がしたいのか訳が解らん。誰か説明してよ!」


「「「・・・・・・」」」


 そして林佐渡が行って数日後には城を龍興に明け渡し、姿をくらましたという。

 もう何のために彼が稲葉山城を乗っ取ったのか意味が解らなかった。

 林佐渡の悲痛な叫びは他の者達も同じであり、皆の視線は自ずと答えを持っていそうな人物に向けられた。


「ニャーですか。そんなに竹中重治について詳しい訳ではありませんが」


「解っている限りでいいんだ」


 信長に促された事もあり、恒興は自分の思うところを述べる事にした。

 恒興はフゥと一息入れてから説明を開始した。


「わかりましたニャー。まず竹中半兵衛重治は戦狂いです、能力の全ての方向が戦争にしか向いてません」


 恒興が考える『竹中半兵衛重治』はそんなに難しい人物ではなかった。

 彼がやってきた事が何処に帰結するか考えれば以外と楽に理解出来るのだ。

 そういう点では竹中重治はかなり自分に正直だと言える。

 ただ行動原理が常識から外れ過ぎていて、理解出来ないだけなのだ。


「軽く調べましたが内政実績がまるで無いのです。豪族としての統治は全部部下任せで、戦争に関わる部分しかやっていません」


 だからこそ彼はやりたくない事は全くやらない。

 領地の統治など彼でなくとも出来るのだからやろうともしないのだ。


「だからだと思います、稲葉山城をあっさり返したのは。そもそも維持出来ないから適当に理由付けて手放したのでしょう」


 竹中家の今の規模で稲葉山城周辺を治める事は出来ない。

 だからと言ってただ城を捨てては奪った城も維持出来ない情けない豪族と謗られかねない。

 だから、そのための『斎藤飛騨』なのだ。

 架空の人物である彼に全ての責任を押し付けたのである。


「つまり自分の裁量を超える領地など要らないのです。だから領地や金銭では靡きません」


 だから彼は一般的に人が靡きそうな物では、全く説得出来ないと恒興は見ていた。

 竹中重治が望んでいるのはそんなものではないと。


「竹中が望んでいるのはおそらく自分の能力を試せる場所『戦場』だと推測します。そのために我々にアピールしているのです。『竹中半兵衛重治は出来る男だぞ』と」


 全ては織田家に世間に『今孔明・竹中半兵衛重治』を印象付けるためなのである。

 つまり彼が重用されるための実力と軽んじられないための印象を見せ付けるためだったのだ。


「稲葉山城を売らなかった理由は?」


「自分の手で奪えと言っているのでしょう。貰うより奪う方が信長様の武威も上がりますから」


 おそらくではあるが竹中重治は信長が稲葉山城を攻め落とすにはそれなりに苦労すると見ている。

 そしてその方が彼にとって都合がいいのだ。

 信長が稲葉山攻めに苦労すればするほど、それを少人数で奪った重治の優秀さが際立つのだから。


「・・・マジで訳がわからんな、ソイツ」


「ホントだよ、面と向かって話したアタシは何回目を丸くしたか。・・・と、そうだ、殿。殿はまた『美濃譲り状』の噂、流したりしてんの?」


 林佐渡が唐突に『美濃譲り状』の話を持ち出してくる。

 信長にとっては懐かしい失敗話ではあるが。


「ん?いや、してねぇよ。利治がいるんだから意味ねぇし、噂流した時誰も相手にせず笑い話にされたじゃねぇか。なんでまた恥をかかなきゃいけねぇんだ」


『美濃譲り状』は失敗した。

 そんなもので大義名分は確保出来ず、美濃の豪族や民衆からそんなバカなと笑い話にされてしまったのだ。

 結局、斎藤利治が信長の元に逃げてきて大義名分は確保され、『美濃譲り状』は意味を無くし、信長にとっては黒歴史に相当していた。


「そうなんだ・・・それがさ、美濃の至る所で『美濃譲り状』の噂が広まってるんだよ。アタシも道中で何回耳にしたかわからんくらい」


「・・・恒興、お前何かしたのか?」


「ニャーは何もしてませんよ。やるなら許可取りますニャー」


 これに関しては恒興も何も知らなかった。

 さすがに義兄の黒歴史を発掘する様な真似は恒興でも考えてはいない。

 どうしてもやるのであれば相談するつもりだ。


「そうか、ならいいか。別に広まって困る話じゃねぇし。・・・しかし困ったな」


「何が?竹中重治の事?」


「それもあるが、問題は稲葉山城が手に入ると思って評定を召集しちまった事だ。どうするか・・・」


 今回、信長は稲葉山城が手に入ると見込んで評定を開こうとしていた。

 そこで一気に攻勢に出ると宣言するつもりだったのだ。

 だが竹中重治の説得に失敗、話す事がなくなってしまったのだ。

 わざわざ集めた家臣に評定で説得の失敗や解散を伝えるのもカッコ悪かった。


「それは皮算用だったね。解散するしかないんじゃないの?」


「わざわざ集めたんだしなぁ。そうだ!あの件について意見を聞いてみるか!」


「あの件?ニャんですか?」


「ああ、殿は浅井家との同盟を考えているんだよ。ほら、先頃斎藤家と破綻したろ」


 信長は代わりの話題として『浅井家との同盟』を話し合う事にした。

 普通同盟の話など家臣と話し合うものではないが、信長は話す事の無くなった評定に格好を付けるため話し合う事にしたのであった。


(そうでしたね、それをやったのも竹中半兵衛重治ですけどニャー)


「それの議論をする評定とするか。各人意見くらいは考えておけよ」


「「「ははっ」」」


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 小牧山城の評定の間に信長や重臣達が着いた時には、家臣も勢揃いしていた。

 皆それぞれの場所に座り、家臣一同は上座の信長に礼をして評定は始まる。


「さて、今回は浅井家との同盟について話し合おうと思う」


「美濃攻略の布石って訳だね。アタシはいいと思うよ」


「応よ、『遠交近攻』ってヤツだ。さらに援軍も期待出来る様に親交を直ぐに深めようと思う」


 信長はせっかく同盟するのだから、美濃攻略に助力が貰える様に一息に両家の仲を深めようと画策していた。

 その方法は簡単でこの時代の常套手段とも言える。


「ふむ、どうするので?」


「出羽、調べたところ長政には現在嫁がいねぇ。だから妹の『お市』を嫁に出そうと考えてる」


 そう、身内を嫁に出し相手を身内にする事である。

 ただ大名家の姫が他の大名家に嫁に行くケースはそんなに多くなく、大体は傘下にしたい豪族や有力家臣に嫁がせるものである。

 戦国大名とはそうやって勢力を拡大するのが一般的だからだ。


「お、お待ちくだされ、信長様!ワシは反対ですぞ、お市様を他国になど!」


 柴田勝家が焦った様に声を荒げ反対する。

 その反対意見を発した者を見た信長は少々イラついた表情になる。

 それは明らかに反対された事にイラついたのではなく、意見を言った人間にイラついていた。


「何でお前が反対するんだ、勝家。理由は何だ」


「り、理由は、その、浅井家との同盟が当家のためになるかがですなぁ」


「権六、それはこれからの話じゃないか。アタシが交渉した後の事だぞ」


 そもそも織田家のためになる条件を引き出すのが外交官たる林佐渡の仕事である。


「あ、いえ、そ、それに浅井家が戦力になるかと言う問題も・・・」


「?権六よ、江北武者は強いぞ。何しろ年がら年中戦っているからな」


 これも本当の事である。

 何しろ浅井家というのは『京極家』の家臣から下克上した家である。

 そのため京極家と源流を同じくする『六角家』から攻撃され続けているのである。

 そのため年がら年中戦っていると言っても過言ではない。


「あ、いや、あの、そのぉ・・・」


 勝家は焦った、焦って焦って最早論理的な意見が出来なかった。

 元々口が達者ではない武骨者の彼に主君家老を説得出来るだけの技量は無い。

 加えて殆どの家臣に反対意見が無く、孤立したような状態だった。

 だが勝家は諦める訳にはいかなかった。

 いかないのだが彼の口からつげる言葉がもうなかった。

 勝家は視界が暗転するような眩みを覚えるが彼の光明は意外なところからきた。


「信長様!ニャーも柴田殿と同意です。この同盟には反対ですニャ」


 家臣の中でただ一人、勝家に賛成したのは恒興であった。

 恒興は勝家の事情を知ってはいるが、それとは異なる考えで同盟に反対だった。


(さあ、賽を投げるとしようかニャ)


 恒興は前回の展開をただなぞる気は無い。

 必要な事象は利用し、不必要な展開は排除するつもりだった。

 例えば足利義秋が敵になるのは知っているが信長が担ぐことに異議は無い、彼は織田家の武力上洛の名目に必要だからだ。

 そして浅井家は邪魔だと判断した。


「恒興、理由は何だ?」


「まず一つ、美濃攻略において浅井家の援軍はありませんニャ」


「だからそれはアタシの交渉次第だろ」


「いえ、そういう意味ではなく通れないのですニャ。関ヶ原の竹中が通しません」


 恒興の東濃攻略にタイミングを合わせるように浅井家を攻撃した竹中重治。

 その狙いが恒興にもわかってきた。

 その一つが浅井家の介入を許さないである。


「しかし浅井家と竹中家では兵力が違い過ぎる。いくらなんでも勝てないのではないか?」


「浅井家には全力出撃出来ない理由があります。南の六角家ですニャ。野良田で勝ったと言ってもまだ六角家の方が強者です。それを考えれば一兵も出さない、いえ出せないでしょう。更に先頃には佐和山城を失い、援軍どころではないと思われます」


 前年、浅井長政は『野良田の戦い』で倍以上の六角軍に勝利した。

 これで一躍名を上げた長政だが内情は厳しかった。

 出兵と褒賞で余計な出費が嵩んだことと、まだ六角家の勢力を超えられず少しも領土を削れなかったことだ。

 名声以外は得る物の無い勝利だった。

 更に東濃攻略時には竹中重治にしてやられ、佐和山城を六角家に奪われる事態になっている。

 浅井家の内情はかなり厳しいものになっており、とてもではないが織田家のために動ける状態ではなかった。


「むぅ」(よく理解出来んが言える事がないな)


「浅井家に余裕はない、恒興はそう言いたい訳ね」


 佐久間出羽と林佐渡は特に反論せず、恒興の論を認める。

 よく理解出来ていないけど沈黙は金で済ませようとしているのが若干一名いるが。


「恒興、まず一つと言ったな。他は何だ?」


「二つ目は地理。信長様は将軍義輝公の弟君・義秋様の要請を受ける事をお決めになられましたニャ。時期はまだ未定でしょうがいずれ上洛軍を発する事になりましょう」


「まあ、そうなるな」


 信長は脱出した足利義秋の檄に応じ兵を出すことを約束した。

 これは日の本の大名の中で唯一と言っていいくらいだった。

 つまり他の大名は義秋を無視したのだ。


「ですが、大軍が通るには近江路しかありませんニャ。浅井家はその一部を塞いでいます」


 濃尾勢から京の都に向かう道は三通りある。

 まず関ヶ原から近江を通る『近江路』、伊勢国から甲賀を抜け近江に入る『甲賀路』、そして伊賀から大和へ抜ける『大和路』である。

 この内、甲賀路と大和路は道が狭く山道なので大軍が通るのは適さない。

 だが商路としての道があり通れない事はない。

 因みに大和から伊賀を通って伊勢に至る道は『天武天皇』の時代には既にある。(壬申の乱の時に天武天皇は大和国吉野から伊賀伊勢美濃と移動している)


「だから同盟するんじゃないか。進路を確保するためにさ」


「それは裏を返せば京の都と濃尾を簡単に寸断出来ると言うことですニャ。裏切られれば、一転してこちらが窮地に陥るでしょう」


 京の都と濃尾の寸断は前回当たり前のように起こった。

 何しろ近江路の一部が最初から浅井家の領地だからだ。

 このため後年に起こる『金ヶ崎の退き口』のあと京の都に着いた信長は兵を整えるため美濃に向かう。

 だが街道を抑えられたため信長は『千種越え』と呼ばれる危険な峠道を使い鈴鹿山脈を越えねばならなかった。

 そしてそこで信長は狙撃された訳だ、やったのは杉谷善住坊という甲賀衆とも雑賀衆とも言われている男である。

 恒興はそんなこと二度も許す気は無い。


「裏切られない為に婚姻同盟を提案するのだろう」(だよな、間違ってないよな)


「出羽殿、残念ながらその効果は薄いと言わざるを得ません。三つ目ですニャ。浅井家当主に大した権限がなく、豪族の言いなりです」


「えっ?マジかよ?」


「でなければ、浅井家先代が押し込められて強制隠居などしてませんニャ。長政とて豪族の意向に反すれば押し込められるでしょう。つまり浅井家とは重臣という名の豪族が傀儡にしている顔役でしかないのです」


 浅井家先代当主・久政は戦に敗れ六角家に臣従した。

 最初は家を守るため仕方ないと思っていた重臣も次第に耐えられなくなり、長政が元服すると彼を押し立て久政を強制隠居に追い込んだ。

 ここで重要なのはこれを主導したのは長政ではなく、重臣連中だということである。


「いやいや、待ってよ。それなら浅井家は関係なく豪族が好き勝手したらいいじゃないか」


「彼等は個々の力では周りに対抗出来ないことを知っていますニャ。だから浅井家の名前を使って団結しているのです」


「一見して普通の大名に見えるのだがなぁ」


 浅井家の内情は美濃や伊勢の様な豪族連合に見えるが少し違う。

 浅井家という主家を重臣という名の豪族が良いようにしていると言っていい。

 このため浅井家は当主であっても重臣に逆らう事が出来ない大名家なのだ。

 つまり軍閥に権力を握られているため、浅井家当主は立ててやっている顔役程度でしかないということなのだ。


「・・・野良田で勝利したのが不味かったですニャ。長政の元に団結して大名らしく見えます。でもその団結も長政が言う事を聞いていればこそですよ」


「・・・・・・」


「何れにしても時期尚早と思います。もう少し見極めた方がいいですニャ、濃尾勢を収めてから考えても良いかと」


(濃尾勢を収めたら同盟する意味も意義も消し飛びますけどニャー。・・・つーか、アイツらが一体何の役に立ったんだニャー?)


 恒興の前世において信長が浅井長政と婚姻同盟を組んだのは、一重に美濃攻略で大苦戦したからだ。

 あの時の信長はとにかく美濃攻略に少しでも助力が欲しかったのである。

 だが今はそんなものは必要ない、恒興にはキッチリ美濃攻略の詰み筋が見えているのだ。

 ならば無駄でしかない婚姻同盟もその後の危機も排除するに限る、恒興はそう考えた。

 その上で浅井家には実力の差を思い知らせ従わせるのが最良であろう。

 下手に婚姻同盟など組んだから浅井家は格下に扱われる事に反発したのだし、これも浅井家謀反の一因であろう。

 大体、浅井家というのはこのままいけば『幕敵』になるかもしれないのだ。

 何せ彼等は何を考えたのかは知らないが、幕臣である朽木家の領地に侵攻した。

 ごく最近の話であり、明智光秀はこの防戦のために織田家の使者を務めた後、直ぐに北近江高島へ向かった。

 恒興の前世では長政は義弟だからと信長が義秋に取り成し、上洛に協力させて罪を許された訳だ。

 このまま婚姻同盟が成れば信長は義秋に対し、下げなくてもいい頭を下げなければならなくなる。

 その上で彼等はその事は1mmも恩には思わず謀反してくるのだから堪ったものではない。

 恒興はそう考えていた。


「成る程な、浅井家の事はもう少し熟慮してみるか。それは良しとして肝心の美濃攻略はどうなってるんだ、恒興」


「それについては、藤吉、報告ニャ」


「あ、はい。まもなく『墨俣築城』を開始します。資材も人員も計画も揃いました。ただ、その・・・」


 木下秀吉による墨俣築城準備は素早く進み、かなり前倒しで行う事も可能になった。

 これ以上竹中重治に要らぬ手出しをされたくない恒興としてはそろそろ開始したいと思っていたところだ。


「何だ?早く言え」


「敵の細作に気取られた節があります」


「おいおい、それじゃ迎撃されるのではないか」


「ヤバイね、ここまで来てさ」


 材木の切り出しは美濃の木曽川上流で、材木の加工は尾張で更に墨俣には基礎工事を入れている。

 これで美濃の細作に全く気付かれず、全てをやり通すのはさすがに無理であった。


「信長様、前に報告した作戦を使って墨俣の陽動としましょう。ついでに中濃攻略の布石にしようと考えていますニャー」


「目標は猿啄城だったな」


「ですニャ。出来ましたら森三左殿の東濃軍団を動かして頂きたく思います」


 前に報告した作戦というのは墨俣築城の陽動として中濃の猿啄城を攻めるというものである。

 こちらには森家の東濃軍団を当てる計画である。


「いや、それには及ばん。猿啄城攻略、このオレが出る!三左はオレの指揮下に入れ!」


「はっ、それは構いませんが信長様自ら出られるのですか?」


「ああ、オレが出れば最高の陽動になるだろう。龍興だって猿啄城を本命だと思うはずだ。・・・恒興、問題はあるか?」


「全く御座いませんニャ。信長様の出陣で龍興はより追い詰められるでしょう」


 墨俣築城の陽動作戦・猿啄城攻略に織田信長、林秀貞、佐久間信盛、森可成の軍団が動く事になった。

 総勢1万5千程になると思われる。

 そして恒興の犬山軍団は別の場所に行く事になる。

 これも美濃攻略最終段階として猿啄城攻略とセットになっているのである。

 何しろ恒興が計画しているのはただの領地奪取作戦ではないのだから。


「よし!1週間後に出陣する、各人準備を怠るなよ!」


「「「ははっ!」」」


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 評定が終わり、早速犬山で準備しようと部屋を出た恒興はある男に呼び止められる。


「池田殿!待ってくれ!」


「これは柴田殿、どうかなさいましたかニャ?」


 柴田権六郎勝家。

 権六の通称で知られる猛将で現在28歳、恒興よりも一回り程年上である。


「先程の評定での援護、かたじけない」


「別にニャーは柴田殿を援護した訳ではありませんニャー。己の考えがあって反対したのですよ」


「分かってはおるが、それでも礼が言いたかったのだ」


「・・・老婆心から言っておきますが、柴田殿は信長様から信頼されてませんニャー。『桶狭間の戦い』ですら合流を許されなかったのですから解ってますよね」


「うっ、・・・それは分かってはおる」


 この頃の柴田勝家は信長から全く信用されていない。

 何故かは語るまでもなく『稲生の戦い』だ。

 この時勝家は謀反を起こした信長の弟・信勝の附家老であり、実際に軍を率いて信長と交戦した1人なのだ。

 いま1人は林美作守通具と言い、林佐渡の実の弟である。

 信長は許したといっても直に歯向かってきた勝家が気に食わないのだ。

 しかも弟・信勝の再度の謀反を知らせてきたのも勝家であった。

 勝家からすれば忠義のためであったが、信長からすれば一番信勝を止められた人間が密告してくるのかという思いだった。

 なので完全に八つ当たりなのだが、信長は勝家をこれでもかと冷遇していた。

『桶狭間の戦い』では手勢を率いて清州城に来たのに門前払いされ、今もなお功名の場からは外され続けている。

 つまり活躍されて褒美を渡すのもイヤなのだ。

 恒興の前世の記憶でいけば柴田勝家が活躍を始めるのは、織田家の上洛後なのである。

 なので柴田勝家とは『稲生の戦い』から延々10年近く冷や飯食いを余儀なくされながらも忠義を貫いた男であったのだ。


「それでもワシは忠勤を持って挽回するしかないと思っておる。そんなワシがお市様の事をどうこう言うのはおかしく聞こえるかも知れんな」


(おかしいも何も見え見えだニャー。・・・でもこの男、本当にお市様を想い続けて独身貫きやがったからニャー)


 信長の妹・市姫は現在13歳。

『このロリコンめ』と言いたい気持ちはわかるが、この時代年の差婚は珍しくない。

 何しろ息子との年の差が71年ある大名がいるくらいだ、・・・嫁さんはいくつなのか。

 そしてこの男は本気であり、恒興の前世においても市姫と結婚するまで独身を貫いた。


「これも信勝様を止められなかった我が身の罪。しっかり償ってゆくつもりだ」


「そんな悠長な事言ってたら、お市様は嫁に行くでしょうニャ」


「え!?いや、だって浅井家の話は無くなったんじゃ・・・」


「それで何でお市様が嫁に行かない話になるんですニャー。お市様は結婚適齢期でしょうが」


「そんな!?ワシはどうすれば!?」


(知らんニャ、面倒くさい。・・・しかしよくよく考えてみれば、コレは後に信長様にとってなくてはならんくらいの男になるんだよニャー。遊ばしておくのも勿体無いかニャー。仕方がない、早めに出世させて信長様の力になってもらうかニャ)


 この男が市姫と結婚出来るかどうかに関しては、恒興は興味がない。

 このむさ苦しい男を彼女が選ぶのだろうかと思う程度だ。

 ただ早めに手柄を挙げさせて信長の信頼を勝ち取らせるべきだろう。

 そして然るべき地位・勢力があれば信長の戦力としてカウント出来るのだから。


「柴田殿、まずは何にしても手柄を立てて信長様に認めてもらわねばなりませんニャー」


「そうなのだが、そう簡単には・・・」


「だからニャーの話に乗りませんか?とっておきの情報があるんですニャ」


 柴田勝家は功名の場から遠ざけられている。

 それは逆をいえば、功名が無いと思われている場所には行けるということだ。

 そして恒興はとっておきの場所を知っている、というより教えてもらった。

 それは地元民しか知らないある城に通じる洞窟のことである。


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【あとがき】

柴田勝家の経歴を書いてて、ちょっと涙が出てきましたニャー。


次回は3本立て「美濃攻略戦」ですニャー。

墨俣編は秀吉視点。

猿啄編は信長視点。

そして恒興となります。

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