中濃調略模様

 美濃国加茂郡加治田城。

 この城の主である佐藤家当主・佐藤紀伊守忠能は悩んでいた。

 可児が織田家の手に落ちてから佐藤家の領地は最前線に近くなっている。

 つまり織田家が中濃攻略に出れば道を選ばなければならない。

 即ち抗戦か降伏か。

 抗戦を選んだ場合、田畑や家は焼かれ幾多の民が犠牲になり、自分が心血を注いで守ってきた『一所』は灰塵になるだろう。

 降伏を選んだ場合、斎藤家を裏切ったと見なされ岸家に嫁いだ娘・八重緑やえみどりは殺されるだろう。

 この八重緑は8歳であり、夫となった岸家嫡男・岸孫四郎信房は24歳で3人の息子がいる。

 岸孫四郎は八重緑を娶るにあたって正室の妻を側室にしていたのである。

 何故そこまでして八重緑を求めたか。

 それは完全な人質であり、そう図ったのは斎藤龍興であった。

 彼は佐藤家がこれに従うかどうかで、潰す対象かどうか見たのである。

 だが一応正室として嫁いだのだから大切にはされるし、このままの日々が続けば何の問題もなかった。

 そう、可児が織田家の手に落ちるまでは。


「どうすんだよ、親父。家臣は皆決断はまだかと急いているぞ」


 屋敷の縁側に座り一人考え事にふける忠能に近寄ってきた青年が声を掛ける。

 その青年は名を佐藤右近右衛門忠康といい、今年で20才になる佐藤家の嫡男である。

 現在佐藤家では連日の様に家臣達と協議している。

 内容は全て織田家に抗戦するのか恭順するのかである。

 そして議論は織田家恭順へ傾いていた。


「分かっておるのか、わしらが恭順の道を選べばあの子は、八重緑は殺される」


「分かっているさ。だがこいつは二律背反なんだ。八重緑を取って領地領民を滅ぼすか、アイツを・・・捨てるか」


 忠康はぐっと何かを堪えながら言葉を絞り出す。

 彼にとっても辛い決断であった。

 何しろ十にも満たない妹の命が掛かっているのだから。

 佐藤家が織田家に恭順した場合、岸勘解由は確実に八重緑を殺す。

 これは岸勘解由だからそうするという話ではない、そもそも豪族とはそういう生き物なのだ。

 豪族は裏切られた場合、人質を生かしておく可能性はほぼ無い。

 大名となると比較的だが人質を殺さなくなる。

 余裕があるためなのか、後で使えると思うためなのかは分からないが。

 例とすれば松平家康(幼名・竹千代)がそうであろう。

 彼は騙されて織田家の人質となったが、竹千代の父親である松平広忠は今川家支持を止めなかった。

 この時点で織田信秀は幼い竹千代を殺していてもおかしくはない、実際松平家中では竹千代は確実に殺されると涙したであろう。

 だが信秀は必ず何かに使えるはずと彼を殺さず、加藤図書助の屋敷で養育させた。

 この図書助の屋敷には信長も出入りしており、ここで信長と家康は面識を得たと言われる。

 はたして竹千代が使える場面がきた、信長の庶兄・信広が今川家に捕らえられたのだ。

 そして人質交換が行われる運びとなり、竹千代を殺さなかった信秀の判断は英断だったというべきだろう。

 だがこの英断の効果はそれだけではない。

 何しろ現在では信長の同盟者として尾張の東国境を守る存在になっているのだ。

 もし、信秀が家康を殺していれば、おそらく三河からしつこくて面倒くさい連中に攻撃され続け美濃攻略どころではなかったはずだ。

 だが豪族は人質を報復のためにいるくらいにしか認識していない。

 なので織田家への恭順を選べば確実に忠康の妹の命は無い、それだけは分かっていた。


「言っとくが時間稼ぎは無理だ。このままじゃ家臣の中から裏切りが出かねない」


 既に家臣から決断を急かされている状態なのである。

 このまま決めかねていると佐藤家を売ってでも織田家に付く者が出るかも知れない。

 彼等にも守りたい領地があるのだから。

 つまり佐藤家そのものが崩壊しかかっているのである。


「仏様も神様も俺達を救ってはくれない。そんなに暇じゃないんだろな」


「・・・忠康」


「決めてくれ、親父。今なら織田家の金森殿と連絡が取れる」


「・・・・・・分かった・・・任せる・・・」


 絞り出す様な声で決断した父親を無表情で見つめる忠康。

 彼にもこんな時にはどういう顔をしていいか解らなかった。

 どんな言葉を掛けても何の慰めにもならない。

 そう悟った忠康は父親を置いてその場から立ち去った。


「・・・ううう・・・八重緑、済まない・・・済まない・・・」


 佐藤紀伊守忠能は泣いた。

 彼にも解っていたのだ、領地領民の全てを自分の娘1人と引き換えにすることは出来ないと。

 彼にはもう泣くこと以外に彼女のために出来る事はなかった。


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 その後、忠康は金森長近と廃墟になっている寺で密会した。

 戦乱で荒れ果てたこの周囲には人がいないので、密会にはうってつけであった。

 忠康が簡単に長近に会える理由、それは長近の部下がそこかしこで商人に扮し物売りをしているからだ。

 因みにちゃんと行商をしていて、売上は商品を卸した加藤図書助に報告せねばならない。

 長近の部下はこうして情報を集めているのである。

 何故武士である彼らが商人紛いの事をやっているかというと生活費を稼ぐためであった。

 没落した長近の家を支えるために彼らが身に付けた『芸(わざ)』とも言えた。

 そしてこれが調略に生かされている。

 何しろ豪族というのは当主も家臣も頻繁に城から出てきて、民と交流しているものだからだ。

 それがこの時代の地域行政であり、忠康があっさり長近に連絡が取れる要因でもある。


「佐藤家は織田家に付く。これは当主である親父の決断であり、家臣の総意でもある。池田殿によろしく取り成してほしい」


「それはよろしいのですが、妹さんの事はいいんですか?殺されますよ、裏切りの報復として」


「っ!?・・・知ってるよ。そんなもの、覚悟の上だ」


 いきなり痛い所を突かれ言葉を詰まらせる忠康。

 調略を担当している長近が佐藤家の内情を調べていないはずがない。

 なら下手な言い訳はいらない、包み隠さず言わなければならないのだ、自分たちの決断を。


「それでも!守らなきゃならん領地と領民がいるんだ!俺達佐藤家の『一所』を焼かれて蹂躙される訳にはいかないんだ!」


 忠康は吐き出す様に宣言する。

 それはまるで長近にではなく、他の誰かに対して言っている様な悲痛な言い訳だった。


「そのためには八重緑を、妹をぎ、犠牲にするしか・・・ないんだ」


「泣きながら言うということは、覚悟が出来ていないのではありませんか?」


 長近はそんな忠康の様子を冷静に眺めていた。

 忠康の様子から佐藤家内部は相当追い詰められているのが判る。

 早晩にも離反者が出そうな感じなのだろう、だがそれでは長近の方が困るのだ。


「親父が一番辛いさ、一番下の娘だからとても可愛がっていたんだ」


「・・・」


「俺達はもう覚悟を決めているんだ。だから・・・」


 長近はフゥと小さくため息をつき、気を入れ直した。

 彼には少し話を聞いてもらわねばならない、池田恒興が何を考えているかを。

 思えば奇妙な事になったものだ、寝返らせるために調略なのに、寝返らせない説得をしなければならないのだ。

 そう思った長近は恒興という主君が如何に特殊なのかを感じていた。

 だがそこにやりがいもまた感じていた。


「我が主、池田恒興は信長様が最も信頼する家臣で義弟で乳兄弟です。彼の行動原理は全て信長様のため、織田家のため、そんな感じの人です」


「長近殿、いきなり何を言って・・・」


 突然長近は恒興について語り出す。

 理路整然と、澱み無く、驚く忠康を置いてきぼりにしながら。


「津島奉行・木曽川堤防・北伊勢攻略・東濃攻略と功績も比類無い。私は彼以外誰にも出来ない事だと思います。ですがね、彼は少々強欲過ぎるきらいがあると私は思うんですよ。この調略に際し彼は私に何と言ったと思います?」


「判るわけないだろ」


 恒興が何と言ったのか、忠康に分かる訳がないのだが強欲と言っている以上ろくでもない事かも知れないと思ってしまう。

 この段階での寝返りなら『領地安堵』はされるものと思っていたが違うということだろうか。

 忠康はもしそうなら覚悟を決めるべきかもと一瞬思う。

 自分達の『一所』を守るために『一所』を差し出す事は出来ないのだ。

 だが長近の口から出た言葉は彼の想像を遥かに超えていた、『一所』どころではなかったからだ。


「『中濃の全てを無傷で欲しい』だそうですよ。つまり領地領民豪族家臣暮らし営み田畑老若男女親子息子娘に到るまで。何もかも。豪族に嫁いだ娘さんも例外ではありません。強欲だとは思いませんか?」


 恒興が望んでいるのは『全て』であった。

 全て、有りのまま、欠けること無く、何もかもなのだ。

 だがそんなものを一個人の所有物には出来ない。

 つまりそれは豪族家臣領地領民それに付随する全てを池田恒興が面倒を見ると宣言しているのだ。


(・・・何だこれは、謀れているのか?何故あの池田恒興が俺の妹の事を気にする?神仏ですら救ってくれないあの妹を救うというのか?だがそれを本当にやってくれるというなら、俺は・・・)


 親兄弟に見捨てられ、運命にすら見捨てられたであろう幼い妹を池田恒興は救ってみせるという。

 そんな事情までつぶさに調べあげその上で救うというのは、彼が並々ならぬ欲で佐藤家を欲しているということだ。

 家臣達だって主君の娘である八重緑を嬉々として犠牲にしようとしている訳ではない。

 家臣全員にとっても苦渋過ぎる決断なのだ。

 だがここで池田恒興が八重緑を救えば佐藤親子の心を掴むだけではない、佐藤家家臣全員の心も鷲掴みにしていくだろう。

 こうなれば佐藤家は池田家の附与力として力を尽くしてくれるはずだ。

 人の心理を読み、状況を利用し、最大の利益を得る。

 これこそが恒興の『謀略』の真骨頂である。

 重ねていうがこの池田恒興とは聖人君子では決してない、義兄・織田信長の利益をひたすら追求する存在なのだ。

 ただその手段が『暴力』から『謀略』に変わっただけで、目的は少しも変わっていないのである。


「・・・何だ、そりゃ。強欲過ぎるだろ。出来ると思っているのかよ」


「我が主の実績を疑われますか?」


「疑わないさ、だが不可能に近い。あの岸勘解由が裏切りを良しとするわけがないんだ。だから龍興は岸家に嫁(人質)を出せと言ったんだ」


「百も承知ですよ。その上で我が主はやると言っているのです」


 長近の言葉を聞いた忠康の目に力が入る。

 迷いの一切を捨てた強い目だ。

 そして彼は体を折り曲げて平伏し宣言した。


「・・・分かった。なら俺達佐藤家の一切合切を池田恒興殿に賭ける!何でも言ってくれ、何でもする!」


「ようやく我が主からの言葉が伝えられますね。・・・主・池田恒興からの言葉は『時を待て』です」


「・・・?時っていうのは何時なんだ?」


『今すぐ寝返れ』や『戦の最中に内応しろ』ならまだ分からないでもないが、『時を待て』はさすがに理解出来なかった。

 一言で『時』と言われても何時なのか誰にもさっぱり解らないだろう。

 彼の疑問は至極当然で、実は長近も知らない。


「来れば判るそうです。それまでは斎藤方として織田家と敵対してください」


「それじゃ織田方に攻撃されるんじゃないのか?」


 その時が来るまで斎藤側でいることには異議はないが、それでは領地を攻撃されてしまう。

 だが織田家の攻撃を受ける事が嫌だから寝返るという話になったのだ。

 忠康としてもそれをどうにかしないと家臣を説得することが出来ない。


「有り得ません。中濃攻略は我が主の領分ですから。誰にも抜け駆けなどさせませんよ」


「そうか。よく解らんが分かった。池田殿に賭けると言ったんだ、従うよ」


「よしなに」


 こうして佐藤家の調略は終了した。

 もう佐藤家領内にある廃寺にいる必要もないので、次の場所へ移動する準備に取り掛かる。

 既に先方は接触してきているので急がねばならなかった。


「さて、次は肥田家の説得ですね」


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 肥田家の現状は佐藤家より更に悪かった。

 佐藤家の領地はまだ織田家と隣接しているとは言い難い、木曽川沿いに猿啄城があるからだ。

 だが肥田家の領地はすぐ隣に兼山城という森家の本拠地が鎮座しているのだ。

 そして森家の勢力は日に日に拡大しており、肥田家では何時蹂躙されるのか気が気ではなかった。

 更に岩村遠山家当主・遠山景任の正室に信長の叔母である『おつやの方』が入るという話もあり、遠山家の織田傘下入りは目前だったので一刻の猶予もなかった。

 長近はすぐにでも寝返りたいと申し出る肥田家の家老を説得し、何とか恒興の言葉を伝える。

 こうして肥田家の説得も無事に終えた長近は予定通りに岸勘解由の説得に行ったのだが、この岸勘解由の説得は失敗に終わったかも知れなかった。

 その時の長近は恒興の指示通りの言葉を彼に投げ掛けた。

 即ち『斎藤龍興は義龍公の後継者に相応しいのか?』である。

 だが岸勘解由はこの言葉を聞くと途端に怒り出し、長近は追い出されてしまった。

 以降全く会って貰えなくなった。

 長近は焦った、このままだと岸家調略は成らないだろう。

 となれば佐藤家や肥田家との約束も果たせなくなってしまう。

 これはマズイと感じた長近は事の次第を恒興に包み隠さず報告した。

 それに対する恒興の反応はというと。


「よくやってくれたニャー。問題は何も無い、後は時が来るのを待つばかりだニャ」


 笑顔で上機嫌であった。

 これには長近も呆気に取られてしまった、何せ彼は恒興からどんな叱責の言葉が飛んでくるかと覚悟していたくらいだったのだから。


「時というのが何時なのか、私には解らないのだけど」


「・・・墨俣築城が成功した後に来るニャー。説得はもう充分、次の場所に行ってもらう。茶を点てるので飲んでいくといいニャ」


 恒興は茶を点て、長近に差し出す。

 その所作に澱みはなく、恒興が至って平静で怒っていない事がよくわかる。

 長近は自分が失敗したわけではない事を知り安堵した。


「有り難く戴くよ。友は岸勘解由がああなる事もお見通しだったのかい?」


「そうではない、言葉さえ伝えれば後は些事だと思っているのニャー。そして岸がお前と会わなくなった理由も察しがつく」


「どういうことだい?」


「岸は怒ったからお前と会わなくなったのではないニャー。お前の言葉で変わっていく自分の心が恐ろしくなったんだニャ。・・・後一押しだ。まぁ、任せておけ」


 恒興は岸勘解由の心が変化してきている事を見抜いていた。

 彼自身は気付いていない、又は気付かない様にしているだろうから、長近に『言葉』をぶつけさせたのである。

 今頃はその言葉が頭の中から消えず、苦悩しているかも知れない。

 この時の恒興の顔は恐ろしくもあり、頼もしくもあるなと長近は思った。


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 大和国筒井城。

 松永久秀と細川晴元は将軍足利義輝暗殺後、政権を安定させるべく奔走した。

 だがその成果は・・・足掻けば足掻くほど悪くなっていた。


「松永殿、これからどうするつもりでおじゃるか?」


「やかましいわい。ったく、何故こうも上手くいかんのじゃ」


 義輝暗殺後の松永久秀は全ての運に見放されたかの様に上手くいかなかった。

 まず義輝の暗殺を聞いた義輝の母親が自害して果てているのだが、この女性は『五摂家』の近衛家の出身である。

 官位の最高位である『関白』に就任している近衛家当主・近衛前久は伯母に当たる女性を害された事で大激怒してしまった。

 これにより朝廷工作は難航し、次期将軍に擁立する予定の足利義維の将軍就任が難しくなった。

 久秀はこれを挽回すべく寺衆との関係を強める事を考える。

 ごく最近にキリスト教の宣教師ルイス・フロイスの一団が畿内に到着。

 大和国で南都寺衆との宗論におよび、多数の信者を獲得するに至る。

 そして彼等は京の都で布教活動をしようと試みるが、これが寺衆の警戒を強めてしまう。

 久秀は寺衆の歓心を買うため共に朝廷へ奏上し『大うす払い』の綸旨を出させ、キリスト教の宣教師を京の都から追放した。

 フロイス達は京の都を脱出し、堺にいる支援者の小西隆佐を頼り落ち延びた。

 この事に小西隆佐は大激怒、堺会合衆の大物まで怒らせた事で商人との取り引きに影響が出る上に三好家の財政基盤にヒビを入れてしまう。

 更に擁立予定である足利義維が仮病を使ってまで阿波国から動かなかった。

 昔は義輝の父親の義晴と将軍の座を巡って争った人物で将軍職が欲しくない訳がない。

 おそらくは行けば自分も暗殺されると警戒したためと思われる。

 追い詰められた松永久秀は自分の武威名声を取り戻そうと反乱が続く丹波国に松永家の軍事の要、弟の松永長頼を送り豪族の赤井家を攻めさせる。

 だがこれは思い切り裏目に出てしまう。

 長頼は『丹波の赤鬼』の異名で知られる赤井直正の逆襲に合い討ち死にしたのである。

 松永家の軍事の要にして弟の長頼を失った久秀は、武威名声を上げるどころか奈落に落としてしまったのだ。

 久秀はやる事なす事全てが裏目に出ている状態で家中からの信望を失ないつつあった。


「捕まえたはずの義秋にも逃げられるし、何をやっているのでおじゃる」


「お主だって六角家を動かして逃げられとるではないか」


 久秀は興福寺で僧侶となっていた足利義輝の弟・覚慶(足利義秋)の身柄を抑えさせた。

 だが興福寺を怒らせる訳にはいかないので穏便に少数の兵で軟禁する程度に留めた。

 そしてこれも裏目に出る。

 警備の隙を突かれ細川藤孝や和田惟政ら数人の幕臣達に覚慶の身柄を奪われてしまう。

 その後、覚慶は六角家に匿われ『足利義秋』と名乗り還俗する。

 そして南近江から各地の大名に激を飛ばすのだが、反応したのは織田家だけだった。

 これを見た六角家当主・義賢は義秋不利と見たのか、ある男の甘言に乗ってしまい義秋を捕らえようとする。

 これも事前に情報が漏れ、義秋は若狭次いで越前へと逃亡した。


「・・・はぁ、不毛でおじゃるな。それよりこれからを考えるべきでおじゃる」


「まあ、そうじゃな。まずは下がった武威を回復させるところからじゃ」


「それがこの筒井城攻略でおじゃるか?」


 奈落に落ちてしまった自分の武威名声を回復させるべく、久秀は宿敵・筒井順慶に奇襲を掛け居城の筒井城を攻め落とす。

 ただ筒井順慶自身はここには居らず、現在行方不明であった。


「まあな、後は逃げた筒井順慶めを討ち果たせば・・・」


「父上、大変です!」


「なんじゃ、久通。順慶めでも見付けたか?」


「それどころではありません、三好三人衆の謀反です。既に義継様を抑えられ、我々の討伐命令が出ています」


 松永久秀の嫡男である久通が2人の元にやってきて、三好三人衆が三好義継と共に謀反を起こした事を報告する。

 だが三好家当主である義継が討伐令を出しているので、謀反人はむしろ松永久秀の方ではあるが。

 因みに義継というのは三好家当主になった義重のことで、暗殺事件の後『三好義継』と改名していた。


「ど、ど、どうするのでおじゃ!」


「ふっ、愚か者共め。返り討ちにしてくれるわい。それで敵の数はどのくらいじゃ?」


「三好三人衆の兵はおよそ1万5千とのことです!」


 三好三人衆は三好家当主である三好義継を担いでおり、三好家の軍権を掌握していた。

 何の後ろ楯も持たない義継は言われるがままであり、松永弾正討伐令もあっさり出してしまった。

 討伐令に軍権の掌握で三好三人衆は1万5千もの軍勢を動員するに到る。


「のぉ、松永殿?麿達の兵は7千ではなかったでおじゃるか?」


「ふん、た、たかが倍ではないか。城を落とすには3倍の兵力が必要じゃわい」


「更に筒井順慶が布施城から進軍、その数6千!」


 行方不明になっていた筒井順慶は一族の布施左京進のいる布施城に逃れ、ここで家臣と合流。

 即座に筒井城奪還の兵を挙げた。

 そしてそこにはスムーズな挙兵が出来るように、三好三人衆からの資金援助があった。


「・・・3倍になったでおじゃるよ」


「やかましいわい!だが三人衆の奴らがここまで来るには我が同盟者・畠山高政の高屋城がある。やすやすと通れるわけが・・・」


 紀伊、河内守護・畠山高政。

 所謂『源姓畠山氏』で足利御連枝の一つなのだが、戦国期には衰退しており河内の支配権は度々奪われていたりする。

 そしてこの男が三好長慶の弟・実休を討ち取ったのだが、それが何故松永久秀の同盟者なのかはお察しである。


「すいません、父上。既に高屋城は落城しました。何故か篭城せず野戦を挑んで大敗北したそうです」


 畠山高政は河内高屋城から1万の軍勢を出して、三好三人衆の軍勢1万5千と対決。

 結果は三好三人衆に欠片もダメージを与えられないまま、千人以上の損害を出して大敗北した。

 高政は高屋城を捨て、紀伊国に落ち延びた。


(ダメでおじゃるな、この男。運というものに見放されておるわ。まったく、頼りにならんでおじゃ。そうとなれば麿は退散するでおじゃる。ニョホホホホ~)


「待てぃっ!・・・何処へ行く気じゃ?」


 久秀はふいに立ち去ろうとしている晴元の肩をガシッと掴んで力を込める。

 流石に戦場経験が長い久秀と長らく幽閉されていた晴元では力の差があり、彼は動けなくなってしまう。


「ま、麿はちと厠へ・・・」


「厠は逆じゃ。・・・逃がさんぞ、お主だけは何が何でも道連れにしてくれるわい!」


「嫌でおじゃー!麿を巻き込まないで欲しいでおじゃる!麿は哀れな幽閉者でおじゃるよー!」


「アホかっ!三好三人衆もお主を見つけたら斬首の準備を始めるわい!ワシとお主は既に一蓮托生よ!」


「嫌でおじゃる~、嫌でおじゃる~、逃がして欲しいでおじゃるよ~」


「やかましいわい!行くぞ!」


 この後、松永久秀は筒井城の守りに息子の久通を残し多聞山城に戻る。

 そして三人衆が筒井城に向かった隙に、彼等の拠点となった高屋城へ5千の兵力で進軍を開始した。

 つまり兵站線を断ち切ろうとしたのである。

 だがこの動きは三好三人衆に察知され、方向転換してきた1万5千の軍勢とガチでぶつかってしまう。

 結果大敗北した松永久秀は堺の町に逃げ込もうとするが『堺会合衆』はこれをキッパリ拒否。

 そして追いついてきた三好三人衆の軍勢を前に彼は・・・兵を置いて単身何処かへ逃げてしまった。

 その傍らには『おじゃるおじゃる』うるさいのがいたとかいなかったとか。


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 伊勢国桑名にて。

 恒興は義父である天王寺屋助五郎に三好家の動向を聞いていた。


「畿内の状況はこんなもんやで、婿殿」


「ほほう、となると松永弾正も終わりましたかニャー」(て言うか終われよニャ、爆弾正)


「いやー、判りまへんで。あの弾正はんはかなりしつこいお人やよって、まだ何処かで再起を狙おとる思いますわ」


 約束の鉄砲と火薬が届いたと報を受けた恒興は藤と従者を伴って天王寺屋桑名支店に来ていた。

 従者達は荷物運びで藤は両親に会いに、恒興は挨拶とお礼を言いに来た。


「何にせよ品物が揃うて一安心やな。そやけど鉄砲百丁は良しとして、こないな大量の火薬何にしますんや?訓練にしても多すぎとちゃいまっか?」


「ま、色々ですニャー」


 鉄砲百丁に関しては前々から注文を出していたので問題は無いが、恒興は急遽訓練用の火薬も追加注文していた。

 それを頑張って揃えてくれた助五郎にお礼を言いにきた訳だ。


「・・・何か企んではりますな、婿殿。ワテも噛めそうな話でっか?」


「義父殿が噛むならもう少し後ですニャー。その準備のために犬山進出、どうですかニャ?今なら商業開発区域の一等地を抑えますよ。義父殿なら是非にと図書助殿も言ってましたし」


 既に土屋長安が立案した『犬山商業開発計画』は恒興の承認の元、開始されていた。

 伊奈忠家と忠次の親子が町割りを計画し、犬山の座(市場)の長である加藤図書助が色んな商人を誘致する事になった。

 だが問題は既に発生していた。

 誘致出来る商人に限りがある事だ。

 巧く商売が競合しないように商人を選ばなければならず、どうしても拡大した犬山商業地域を埋められなかった。

 そもそも『1万石相当』の広さというのは田畑の広さだけで言えば大体5k㎡となる。

 そこに民家・水路・道・他(寺とか神社)を合わせると10k㎡くらいになり、土居清良も大体そう計算している。(山などの未開発地域が入るので通常はもっと広いかも)

 大体現段階の犬山の城下町は小さく、城の南側にこの2割程度の規模で存在している。

 つまり城下町の規模が一気に6倍になる計算なので、図書助はなるべく競合しない商人で埋めるのも一苦労だった。

 そこをいくと天王寺屋は競合しない商品が多いのでうってつけであった。

 一応、倉庫も造るので全部が商業地になるわけではないが。


「犬山で準備というと・・・とうとう美濃が獲れる算段がついたようでんな。ええでええで、乗せてもらいまひょ。必要な物があったら遠慮なくゆうてや、ワテらは親子やさかいにな。ナハハハハ」


「ええ、その時は是非ともですニャー。ニャハハハハ」


 と言いながら二人で笑っている姿は悪代官と悪徳商人にしか、周りからは見えなかったというのは余談である。

 だがそんな2人に対し怒りの声を上げる者達がいた、犬山城主と天王寺屋次期当主に向かってである。


「あんた、店の前で怪しい笑い方せんといて!飯抜いたろか!」


「旦那様もや、お客様が逃げるやろ!」


 藤とその母親の彩であった。

 根っからの商売人である彼女らは商売の邪魔をされるのが一番嫌なのだ。


「か、堪忍や、お母ちゃん」


「ごめんなさいですニャー」


 そして既に胃袋を掴まれてるに等しい2人が彼女らに勝つことは・・・出来そうになかった。


「殿!一大事です!」


 そんな笑い合っていたところを叱られた2人の元に、血相を変えた加藤政盛が馬に乗って現れる。


「政盛?何があったんだニャ?」


「・・・い・・・稲葉山城が落城しました!」


「は!?」


「なんやて!?」


 それは斎藤龍興の本拠地である稲葉山城が落とされたという報告であった。

 二人とも驚きの声をあげるが、その一方で恒興には思い当たる節があった。


「竹中重治が十数人で稲葉山城を乗っ取ったと早馬で知らせが!」


 竹中半兵衛重治による稲葉山城占拠であることは恒興にも予想がついた。

 前世でも大事件だったからだ。


「これはえらいこっちゃで、婿殿!」


「そうですニャー、でも織田家が不利になった訳ではないので落ち着きましょう」


(墨俣築城前とか、早いニャー)


 恒興は知っているので取り乱す事はなかったが、今頃小牧山城は大騒ぎであろう。

 どうせ恒興は呼び出されると思うので小牧山城に行ってから情報収集に当たる事にした。


「ニャーは小牧山城に行ってくる。暫く帰れないかも知れないと宗珊に伝えておいてくれ。政盛、お藤と従者達を頼む」


「はっ」


「旦那様、気ぃつけてや」


 馬に乗って恒興は小牧山城へ急ぐ。

 おそらくは既に信長の使者が稲葉山城に向かっているだろう。

 要件は『稲葉山城を売れ』である。

 だが竹中重治は前世と同じくこの要求を退けるだろう。

 前世でこの事件が起きた時、恒興は竹中重治の行動が欠片も理解出来なかった。

 だが今の恒興はそれなりに竹中重治という人間が解ってきた、それは彼が地位も領地も金銭も求めていないという事だ。

 故に信長の説得は必ず失敗する。

 竹中半兵衛重治が求めている物はもっと別の物なのだから。


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【あとがき】

八重緑は本来『やえりょく』と読むそうですが、本作では『やえみどり』としています。

その方がいい響きなので。

・・・メインキャラじゃないんですけどね。


中濃の兵力規模(限界)

岸家 800(1200)

佐藤家 1000(1500)

肥田家 1000(1500)

長井家 2000(3000)


周辺の兵力規模(限界)

森家 3000(5000) 多治見家と斎藤大納言家は含む

池田家 3500(6000)

信長 6000(雇えるだけ)

久々利家 1000(1500)池田家の附与力

若尾家 1200(1800)森家の附与力

遠山家 2500(4000) 七頭が合わされば

派兵する場合は通常兵力、防戦の場合は限界兵力が出てくる感じと見ています。

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