弾正様漫遊記 その弐

 大和国。

 夕刻に寺で会談の準備を進める松永久秀。敵対している者が話し合う時は中立である寺が場所を貸す事が多い。いくら松永久秀と言えど寺内で騙し討ちをする事は寺勢力を敵に回しかねないのでしない。……ので、寺の周りに軍勢を伏せてある。寺の中でなければいいんだろ、という正に屁理屈である。

 彼は普通に会談の準備を進めた。普通に場を整え、普通に幕府と織田家の偽仲介者を用意した。そんな久秀の下に息子の松永久通が報告に来た。


「父上、筒井順慶が引き返しているとの事。軍勢に気付かれた様です」


「ちぃ、勘付かれたか。相変わらず運だけはいいヤツよ」


 そして普通にバレた。というか松永久秀は念には念を入れて総勢8000もの軍勢を寺の周りに伏せさせた。……そんな人数でバレない訳がなかった。

 何事にもセオリーというものがある。今回の目標は筒井順慶ただ一人。ならば襲撃は少人数の手練を選んでやるべきだ。いたずらに兵を繰り出せば良いという事はない。松永久秀はその事を失念していた。いや、本来その役を担うべき人物が欠落していたのだ。


「如何なさいますか?」


「当然、追撃を掛けるぞ!ワシに続けぃ!」


「おおーっ!!」


 筒井順慶が逃亡したと聞いた久秀は軍勢に号令を掛け追撃に入る。順慶は自分と数人の伴回りしかいないのでそのうち捕まるだろう。筒井家の砦まではかなりの距離がある。

 そう思っていた松永久秀の下に急報が入る。


「父上!」


「久通か。どうした?」


「この先に筒井軍がいるとの報告が」


「何じゃと?順慶め、和睦の席に軍団を隠しておったか。何て卑怯なヤツじゃ。坊主の風上にも置けんわ」


 何と筒井順慶は松永家と筒井家の境界線の辺りに軍勢を隠していたのだ。それが異変に気付いて向かって来ていた。

 これを聞いて久秀は憤慨する、僧侶にあるまじき行為だと。和睦という会談の席に武力を持ち出すなど、人を教えに導く僧侶としてあってはならない事なのだ。そう久秀は考える。

 そんな久秀を見て、傍に控える本多正信は思う。


(松永家に鏡は無いのだろうか?)


 正信にとって反面教師にしかならなさそうな久秀だが、正信自身は正に自分に足らない部分だと考える。即ち、図太すぎるメンタルだ。

 謀略は真っ当な手段ではない。そのため人の良心や常識的な正義感などが邪魔になる。それらから外れても一顧だにしない精神力が必要だ。恒興の様に誰かの為にでもいいし、久秀の様に自分の都合の為でもいい。今の正信は謀略を使いこなす為の精神力が必要だと自身で考えている。


「数は?」


「およそ5000。こちらに向かってきているとの事。おそらくは筒井順慶を回収する目的かと」


「ふむ、こちらは8000か。ならばここで迎撃するぞ。山を背にすれば後ろは気にせんでよいからな」


 大和国は起伏が激しく、平野部は南都周辺が主である。松永久秀は軍団を移動させ山を背に布陣する事にする。相手を待ち構えて正面から数で圧す戦法だ。兵数が有利なら常道の戦い方である。


「弾正様、待ち構えれば相手も隊列を整えてしまいます。このまま進んで突出した敵を撃破すべきでは?筒井順慶の回収が目的なら、かなり突出した部隊がいるはずです」


「甘いぞ、正信。数はこちらが優勢。ならば流動的に戦うは下策よ。ここは一丸となって数で押し切るが定石じゃ」


(そうだろうか?筒井順慶を追って揺さぶりを掛けたほうが良い様な。筒井順慶が狙われているなら、敵も彼を救うため我先にと駆けてくる。組織的な動きは出来ないと思うが)


 松永久秀の作戦に正信は異を唱える。敵の目的は第一に筒井順慶を救出する事である。これは何よりも急がねばならない以上、敵軍が組織的に進むのは困難であると思われる。

 ならば我先にと駆けてくる敵を各個に撃破するべきと思うが、松永久秀はあくまで待ち構える事を選択した。久秀の作戦も間違っている訳ではないので、客将である正信はそれ以上何も言わなかった。


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 山を背に布陣する松永軍と筒井順慶を救出した筒井軍は程なくして正面からぶつかった。槍合わせから始まり、本格的なぶつかり合いへと発展した。まだ戦況に大きな動きはないが、兵力差から次第に優勢になる予定だ。山の崖の下に本陣を構えた松永久秀は勝利を疑わず、本音がこぼれた。


「グフフ、順調じゃわい。多少、予定は狂ったがこのまま押し潰してやるぞ」


「果たしてどうかな?」


「な、何奴じゃ!?」


 反論する声に久秀は驚いて振り返る。後ろ、しかも崖の上に二人の武者が立っていたのだ。


「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ!」


「悪の松永弾正を倒せと皆が叫ぶ!」


「……は?」


 変なセリフに久秀は呆気に取られる。そんな彼を無視して二人はそれぞれ違うポージンクをしながら名乗りを挙げる。


「筒井レッド・島左近ーっ!」


「筒井ブルー・松倉右近ーっ!」


「「他は省略!」」


「「我等、5人の武将揃って、筒井戦隊『松永絶対殺すマン』!」」


「二人しか居らんではないか!?」


 裏手の崖に居るのは筒井家臣の島左近清興と松倉右近重信であった。筒井戦隊『松永絶対殺すマン』は5人の武将で構成されているらしい。なのに二人しか居ない事にツッコミを入れる久秀。一応、彼等の後ろには100人程の兵士が居る。


「馬鹿な、どうやって裏に回ったのですか!?この辺りは全てこちらの制圧下にあるはずなのに」


「愚問だな、悪の大軍師(名前は知らないが)」


「そんなもの、気合いを入れて突破したからに決まっているだろう」


 本多正信の問い掛けに二人は事も無げに答える。『気合い』だと。彼等は何と100人程の兵士と共に松永軍を突破して背後の山を登ってきたのだ。


「それにしたって速過ぎでしょう!こちらにはまだ報告すら来ていないのに」


「それまた愚問だな、悪の大軍師(名前がわからん)」


「そんなもの、気合いを入れて走ったからに決まっているだろう」


 本多正信のもう一つの問い掛けにも二人は事も無げに答える。『気合い』だと。彼等は何と久秀の本陣に報告が来る前に背後の崖まで到達していた。


(ああ、ウチにもこんなヤツ居たな)


 二人の回答を聞いて本多正信は唐突に故郷での出来事を思い出した。時々居るのだ、理論や常識を『気合い』だけで超えてくるヤツが。


「おい、平八郎!槍で人を吹っ飛ばすのは止めろ!」


「はあ?何を言っているでござるか、はらわた腐れ。ちょっと気合い入れて槍を振れば人くらい飛ぶでござるよ」


 平八郎と呼ばれた少年はまだ十代前半。正信とは10歳程年下である。仲はそこまで良くない、というより相性が悪い。その理由が『腸腐れ』という本多正信のあだ名だ。腸腐れというのは本音を腹の中に隠して小賢しい事を考える者という意味だ。つまり思慮深い者なのだが、何事も直球一直線で直情的な三河武士からは嫌われやすい性格である。その点から本多平八郎も彼の事を良くは思っていない。


で同僚に怪我させるなって言ってるんだよ、この脳筋!」


「面倒くさい腸腐れでござるなー、もう!」


「面倒くさいのはお前だー!このTHE三河武士!」


「そんなに誉めるなでござるよー。拙者、照れるでござる」


「誉めてねぇぇぇー!!」


 その平八郎も今頃は14、5歳。こんな『気合い』だけで有り得ない事を成し遂げるヤツに成長していないか、正信は心配になってきた。


「ごちゃごちゃと喧しいわい!そんな高みからワシを見下ろすなど言語道断!さっさと降りて来んかい!」


「いいのか、悪の松永弾正」


「我等が降りるという事は雪崩の如く襲い掛かる事だぞ」


「え?あ……ワシ、ちょっと多聞山城に忘れ物しちゃったわい。取りに行ってもいいかのぅ?」


 久秀は彼等の言っている意味を理解した。軍勢の位置、そして高低差、こうなれば起こる事は一つ。崖を駆け降りての奇襲、『逆落とし』である。


「もう遅いわ、悪の松永弾正!」


「受けてみるがいい。我等、筒井戦隊『松永絶対殺すマン』5人の将の力を結集した超奥義!」


「いや、だから、2人しか……」


「「必殺『ダイナミック逆落とし』!!全軍突撃ーっ!」」


 久秀がツッコミを入れる前に島左近と松倉右近は総勢100名による突撃を開始した。兵力差は圧倒的に松永軍が上であるが、戦争とは数で行うものではない。それはただ単に有利というだけだ。

 特に本陣を襲われるというのは敗北に近い。まず命令が出せなくなり全軍が混乱する。次に本陣を襲われると兵士達が勝手に負けたと判断して生き残る為の行動を開始する。つまり士気が崩壊する。そして本陣とは味方の最後方にあるので後ろを取られた、退路を断たれて包囲されていると兵士達に錯覚させる。それはもう脱兎の如く逃げなければ殺されると兵士達は感じてしまうものなのだ。故に筒井軍100名の突撃でも十分な戦果となる。


「ちょ、おま、卑怯じゃぞーっ!態勢が整ってない者を襲うなどーっ!」


「鏡は何処かな?とか思ってる場合じゃない!逃げないとーっ!」


「何で……こうなるんじゃぁぁぁーっ!!?」


 久秀と正信は脱兎の如く逃げ出した。もう全軍の崩壊は避けられない。ならば自分の命を守る為に全力で走らなければ討ち取られるだけだ。整然と退却する事はもう出来ない。直に筒井軍本隊も勢いを増す為、壊走は免れないだろう。

 この時、本多正信は加賀国で培った生存能力を如何なく発揮し、恐ろしい速さで退却して行った。何故かは分からないが、老人と言える松永久秀はこの速さに付いて行った。


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 その後、多聞山城まで何とか走り切った久秀と正信は息も絶えだえに入城した。後方から同じ様に走ってきた息子の松永久通もやって来る。


「はあ、はあ、何とか戻れたか。はあ、はあぁ」


「はあ、はあ、大変な目に遭いましたね、弾正様」


「ち、父上、はあ、はあ、筒井軍が、多聞山城に、迫って、はあ、はあ……」


「すうぅぅ、はあぁぁぁ……落ち着いたわい。ま、そりゃ来るじゃろ。だが、ワシが趣向を凝らした多聞山城は正に難攻不落。地獄を見せてやるわい。久通、籠城迎撃の準備じゃ!」


 久秀は息を落ち着かせ、籠城戦を指示する。彼が築城した多聞山城は画期的な施設を備えている。その代表と言えるのが大手門に備えられた『多聞櫓』。ここに鉄砲隊を並べて門の下に居る敵を撃つのである。その為の鉄砲もちゃんと備えてある。

 久秀は多聞山城における籠城戦で自信を見せる。また、筒井軍も長々と攻城戦が出来る程の準備はしていない筈だ。少し持ちこたえれば筒井軍は撤退するだろう。つまり松永家はまだ負けていない、久秀はそう確信している。

 だが、久通の口からは更なる凶報が飛び出した。


「……父上、先程の敗戦で兵が散り散りになってしまいました。現在、多聞山城にいる兵士は300人程です」


「はいィィィィィィィィィィィィーっ!!??」


(お、終わった。多聞山城が大きくないとはいえ、防衛には2000人以上必要だ。これは幾日も保たない)


 終わった、多聞山城は落城する。本多正信は素直にそう思った。何しろ籠城戦というのは出来る事が少ない。城の構造と地形にもよるが、だいたいは門を突破されない様に守るだけだ。他には城壁を突破されない様に兵士を配置する必要がある。

 だから籠城戦には城の規模により最低防衛人数というものが存在する。有名なところでは『安土城』だろうか。かの巨大城郭の防衛には最低10000人は必要だったという。だから本能寺の変の際に捨てられたのだ。織田信長の死によって兵士が集まらなかったからだ。


「弾正様、筒井順慶に和議を申し入れましょう。幾らか譲歩する事にはなりましょうが……」


「……つ……だせ……」


「え?」


「遣いを出せぃ!織田信長に至急援軍を乞うと!急がんと筒井順慶が止められなくなるぞと伝えるんじゃぁ!!」


(気持ちは分からなくもないけど、この人、本当に大丈夫かな。それは織田家が大和国に介入する口実になるんだけど)


 本多正信は松永久秀に対して疑念を抱きつつあった。あまりにも場当たり的な行動が多いなと。松永久秀といえば数々の戦歴を誇る名将と聞いていたが、野戦上手には思えない。今回の戦いにしても教科書的な戦法だ。野戦は状況が流動的に変わるため、臨機応変が最も求められる。戦争が予定通りに進む方が稀だ。なので正信の久秀評価は、とても戦上手とは言えないである。

 とても戦上手と言えないのに松永久秀には数々の戦功がある。名将と言える程の。何ともチグハグな感じだが、そこには一人の人物の死が関わっていた。

 その人物の名前を松永長頼(内藤宗勝)という。久秀の実の弟で松永家の武の要だった男だ。彼は丹波攻略戦で『丹波の赤鬼』の異名で知られる赤井直正の逆襲を受け討ち死にした。

 彼が居なくなった松永家の軍政は混乱をきたした。この後から久秀の軍事行動は名将とは言い難いものになり、まともに出来るのは籠城戦くらいになる。籠城戦は教科書通りでいいからだ。

 本多正信は他に学ぶ人間を探した方がいいかもと思いつつ、籠城戦の準備に勤しんだ。


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【あとがき】


恒「筒井戦隊松永絶対殺すマンってニャんだ?おふざけ回か?」

べ「戦隊とか何とかマンとかはおふざけだけど、理由がない訳ではないよ」

恒「理由?ニャんだ?」

べ「戦隊モノとか、それを知っている人は確実に未来人だ。ま、ファンタジーだしね。そろそろいいかなと」

恒「変な伏線作るニャよ……」



よりぬき鎌倉史

源頼朝の代表政策に『地頭』がある。歴史の教科書あたりには『源頼朝は全国に地頭を置いた』と書かれている。だがどうやって置いたのかは書かれていない。源頼朝が絶対的権力者だから置けた、これは間違いだ。源頼朝は決して絶対的権力者ではない。この頃はまだ院政が残っている。鎌倉幕府が権力を完全掌握するのは『承久の乱』の後と見るべきだ。

では源頼朝はどうやって地頭を全国に置いたのか?そこに源頼朝の緻密な政治感覚が垣間見える。それはある一人の男の逃亡劇が利用されていた。

源義経。

彼は兄から逃れようと西国に渡ろうとするも嵐に遭い、結果として吉野に逃れる。ここから彼の逃亡劇が始まる。源義経は匿ってくれる寺を転々とした。

「済まんなぁ、義経くん。これ以上、この寺で君を匿う事は出来ないんだ」

「いえ、和尚、ありがとうございました。私共はこれで失礼致します」

寺から義経が去ると、今度は鎌倉武士が寺にやってくる。

「アナタ、義経匿いましたネー」

「彼ならもう居ないよ」

「認めましたネー。では、地頭GO!」

「いや、だから居ないって!」

「アナタが義経を荘園内で匿っている可能性はゼロではあーりませんネー。くまなく探させて貰いマース」

「いやーっ!?」

こうして義経に対して、一時的でも匿った寺院には根刮ぎ地頭を配置した。この頃の寺院は寺を頼って来た者を無条件で匿う性質を持っていた。寺内不介入という勝手に作った法を盾に驕っていたとも言える。だが、そんな勝手な言い分が鎌倉武士に通用する筈もなく、源義経を匿った寺院の荘園に地頭を置いていった。

寺を転々としながら源義経は伊勢神宮に来た。

「いや、ウチは神社だから匿えないよ」

「せめて参拝はさせて貰えないだろうか?」

「まあ、それくらいなら」

許可を貰った義経は参拝する。

(兄上と和解出来ます様に)

そして義経は伊勢神宮を後にした……ら、間髪入れずに鎌倉武士登場。

「アナタ、義経匿いましたネー」

「ウチは匿ってない」

「でも見逃したでショー、証拠は上がってますネー。荘園に地頭GO!」

「いやーっ!?」

その後、匿ってくれる場所が無くなってきた(地頭がいるから)義経は何と京の都に潜伏する。しかも顔も隠さず堂々と大通りを歩いて潜伏した。義経はまさか自分が都に居るとは思うまいと、スゴイ開き直り様だった。

当然だが鎌倉武士は義経を見付けていた。

「ヤッベ、どうしよう、義経が大通りを昼間から歩いてんだけど」

「アイツ、追われてるっていう自覚は無いのかよ」

「どうするべ、捕まえる訳にもいかんしなー」

「無視だ無視、目を合わせるな」

鎌倉武士の懸命な捜索にも関わらず源義経は見付からなかった。という訳で義経はこの人の邸宅に行く。堂々と真正面から。

「どもっす、後白河法皇様」

「え?何しに来たん、キミ?」

「ちょっと匿ってほしくて」

「キミさあ、もう旗揚げして頼朝と戦いなよ。支援はしてあげるから」

「それは出来ません。兄上と戦うなんて、そんな……そんな事したら絶対兄上は精神的にくる仕返しをこれでもかとやってくるに違いない。絶対に嫌です」

「あー、はいはい。比叡山を紹介してあげるから行っといで」

という訳で義経は比叡山に向かった。そしてテンプレ、鎌倉武士参上。

「アナタ、義経匿いましたネー」

「彼ならもう居ないよ。比叡山らしいよ」

「そうデスカー。では、地頭GO!」

「は?私は法皇だぞ!そんな事が許される訳ないだろ!」

「それを言うなら、アナタ、義経を匿って鎌倉に反抗するつもりなんデースカー?義経に謀反を持ち掛けたって聞きましたヨー」

「……そんな事、ある訳ないじゃないか」

「では協力して下サーイ。義経見付けるまでですカラー」

「早くしろよ、もう」

この後、源義経は奥州まで逃げ延びた。言うまでもなく、比叡山の荘園にも地頭が置かれた。しかし地頭が置かれた各荘園では今も懸命に義経を捜索すると見せ掛けた不正行為が横行していた。地頭の滞在費+給料+αは各荘園の収入から引かれていたのだ。そして後白河法皇がキレた。

「地頭、ウゼーーーー!」

「義経見付けるまでですカラー」

「義経は奥州に居るんだよ。ここに居る訳ない」

「頼朝様は『奥州藤原氏がウソをついてるかもよ?ボク、信じられなーい。義経の首でもあれば別だけど』と申されておりマース」

「おらー、奥州藤原ー!義経の首持ってこーい!藤原泰衡に圧力掛けろー!」

圧力に屈した奥州藤原氏は源義経を殺害。ただ義経は館に火を放って自害したため、首は届ける事は出来なかった。

「これでいいだろ。早く地頭をだな……」

「頼朝様は『信じられなーいから、ボク見に行きますねー。奥州征伐の許可くださーい』との事デース」

「もう好きにしろい。はよ退かせよ」

で奥州藤原氏、無事死亡。

「もういいだろ。早く地頭を退かせ、頼朝」

「分かりました、法皇様。全国の地頭を引き上げます」

という訳で、全国の荘園から地頭が撤退した。おそらくだが寺社の荘園からは撤退していないのではと推測される。

「はー、これで荘園も元通り。ようやく心穏やかに趣味に没頭出来るよ」

「ところがぎっちょん、麿参上」

「何だい、公卿くん?」

「法皇様に問題を持ってきたでおじゃる」

「そんなモノを私の所に持ってくるな」

「そうはいかないでおじゃるな。原因は法皇様でおじゃる故」

「はあ?私?」

「左様。全国の荘園で強盗が多発しているでおじゃる。地頭の一斉退去が原因でおじゃる。地頭はたしかにいろいろと奪ってはおりますが、ちゃんと荘園の治安は維持していたのでおじゃるよ」

「だったら武士を連れて来て退治させなよ。ヤツラの仕事でしょーが」

「それは何処の武士でおじゃるか?」

「頼朝んとこは止めて。それ以外で」

「だからそれは何処に居るんでおじゃるか?平家も奥州藤原氏もない今、西から東まで頼朝の息が多かれ少なかれ掛かっているでおじゃるよ」

「むー、しょうがないな。じゃ、頼朝に命令して武士を派遣させて」

「それは地頭と何が違うのでおじゃるか?」

「あ、あれ?」

地頭ウゼー→撤退させる→強盗多発→治安維持に武士を→地頭派遣するわ。という流れである事を後白河法皇は認識した。

「む、無限ループって恐ろしくないか」

という訳で、源頼朝は全国に地頭を配置した。これを殆ど関東に居ながらやったのが源頼朝である。

この地頭から戦国大名になった武家も存在する。その代表格が奥州伊達家で元々は伊達郡の地頭から始まった。


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