禁裏大工惣官職
山城国本圀寺。
ここを仮御所として足利幕府の本営が置かれ、足利義昭は政務に就いている。政務と言っても幕府自体が復活したばかりなので、機能は戻っておらず出来る事は少ない。義昭がする事と言えば、各地の大名から来た祝辞の使者と面会する事ぐらいだ。
そんな義昭の下に珍客が訪れていた。その珍客の名前は『元』管領・細川京兆家『元』当主・細川『元』右京大夫晴元。別に会いたくないのだが、会わないと拗ねて何をしでかすか分からないので会う事にした。
「それで、お前は何をしにきたのだ?」
「ニョホホ、麿は公方様の手となり足となり働く所存でおじゃるよ」
「そう言われてもな」
現在、晴元は政権運営に携わっていない。だが勝手にいろいろな部署に顔を出しては上位者として振る舞っている様で、義昭の所にも何件か苦情が届いている。ただ御連枝の元権力者という事で、面と向かってモノを言える人は皆無である。
義昭としてもどう扱ってよいか戸惑っているところだ。
「麿には長年、政権運営してきた経験があるでおじゃる。必ずや公方様の力となるでおじゃろう」
(その結果が『天文の乱』ではな)
天文の乱は義昭も知っている。戦国期に京の都が荒廃していたとされるのは応仁の乱の傷痕というが、それは半将軍と呼ばれた細川政元によってあらかた修復された。時期的にも織田信長より2、3世代前の話だ。
では現在の京の都が荒廃している原因と言えば『天文の乱』なのである。これは宗教戦争の側面もあり、京の都のみならず畿内の国々まで荒廃した。とかく人間とは宗教が絡むと手加減や正気を失いがちになる生き物だ。その原因となる仏教勢力を次々に戦場へ呼び込んだ者こそ『細川晴元』という男なのである。
三好長慶によってある程度は復興したものの、特に資金の掛かる部分はまだ不十分という現状だ。
「そう言えば公方様。風の噂で聞いたのでおじゃるが、帝の御所の建て直しを行うとか」
「ああ、その通りだ。当然だろう、帝の御所があんなボロボロで良い訳はない。都の復興の手始めとして真っ先にやらねばなるまい」
そして議題に上がって来たのが『天皇御所修築』である。これは多額の資金を必要としたため、三好長慶でも修築に取り掛かれていなかった。
細川晴元はその話題を幕臣から聞き付けていた。
「それは結構な事でおじゃりますなぁ。……で、誰が担当の『禁裏大工惣官職』に就くでおじゃるか?」
「ん?それは朝廷に仕える大工だろう。当たり前だと思うが」
「いけませんでおじゃるなぁ、公方様。それはいけませんでおじゃるよ。幕府にはちゃんとお抱え『御大工』が居るではおじゃらんか。その者にやらせるべきでおじゃる」
禁裏大工惣官職とは天皇の御所を修築する総監督という意味である。
正親町帝は御所が修築されると聞き、朝廷に長く仕えている禁裏大工・六郎太郎宗久を禁裏大工惣官職を任命したいと考えていた。これまで朝廷の資金不足から満足な仕事を与えられなかった事を気に病んでいた正親町帝はこれだけは通したいと公卿達に伝えていた。その意を朝廷は義昭に申し出ており、彼もそれを受け入れるつもりであった。
だが細川晴元はそれに異を唱える。禁裏大工惣官職は幕府に仕える御大工・右衛門定宗が相応しいと。
「いや、幕府の建物ならそうだが、帝の御所は朝廷の大工の領分だろう?」
「大工がどうとか、そんな事を言っているのではおじゃりませんよ。朝廷の領分だからこそ、幕府が主導せねばならんのでおじゃります」
「はあ?」
言っている意味がいまいち理解出来ない義昭は疑問で首を傾げる。義昭は一般論を述べただけだ。幕府の建物は幕府の大工が、朝廷の建物は朝廷の大工が仕事に就く。でなければ、それぞれで大工を抱えている意味が無いと。
その様子を見て、晴元は小さく溜め息をつく。
「ふぅ、お若い公方様にはまだ理解されておりませんかな?足利幕府の使命とは『朝廷を厳重管理』する事も含まれているのでおじゃる。朝廷を野放しにし意のままにさせるのは、何としても阻止せねばならぬのでおじゃる」
「何故だ?」
「何故?何故と仰るか?朝廷を野放しにした結果、起きた事が『承久の乱』だからでおじゃるよ!あの戦いでいったい何人の血族が討ち死にしたか、公方様はお忘れなのでおじゃるか!?」
(……何百年前の話をしているんだ、コイツ)
朝廷の物事を幕府が主導せねばならない理由を晴元は語る。それは朝廷の好きにやらせていた結果、起きた事が『承久の乱』であると語る。
承久の乱とは今から300年程前の鎌倉時代に起こった戦い。背景には鎌倉で第3代目将軍・源実朝が暗殺され、執権北条氏によるゴタゴタが続いた。これを好機と見た後鳥羽上皇が兵を挙げ、執権である北条義時を討とうとして敗北した。
この時の戦後処理は苛烈で後鳥羽上皇をはじめ三人の上皇は島流し(何もしてないはずの土御門上皇は何故か志願して島流し)。更には天皇であった仲恭天皇は廃位された。上皇側に付いた武士や僧侶、高位の公卿であっても処刑された。
一見して鎌倉方が圧勝した様に思えるが、そうでもない。近江国瀬田の渡河戦でかなりの死傷者を出している。晴元の言う足利家の血族でも当時の足利家当主・義氏の庶兄・足利次郎義助に一族の高惟重や山名重国など分家の当主クラスが戦死している。北条泰時の軍などは半壊するほどの溺死者を出したくらいの激戦だった。敵から「溺死者で橋を作る気か!?」とまで言われた。一応だが、北条泰時にそんな気は無く、ただ単に命令不徹底で暴走した騎馬武者が次々に突撃しただけだ。特に老人が最期の戦だと死に場所を求めて突撃したケースが多かった様だ。
この戦いにおける戦死者は13000人を数えると言われ、名のある武士でも100名以上であると記載された。
これを晴元は朝廷を野放しにした結果だと言う。
「あんな悲劇を繰り返してはならぬのでおじゃる!だからこそ足利幕府は朝廷が右手を挙げるなら左手を挙げよと強制し、左足から歩くというなら右足を出せと言うてきたのでおじゃる。朝廷が意のままに出来る事など、一つたりとも認めてはならぬでおじゃるよ」
「いや、そこまでしなくても……そうか、だから幕府と朝廷は仲がずっと悪いのか」
「ま、そういう事でおじゃるな。公方様も足利将軍なれば、父祖を見倣うは当然でおじゃりましょう?」
足利幕府はその鎌倉幕府のやり方をそのまま踏襲している。後醍醐天皇と足利尊氏が敵対しなければ、まだ違う形の付き合い方が出来たかも知れない。だが両者は対立してしまったので、勝者と言える足利幕府は朝廷を抑え続ける形で政権運営してきた。
幼少の頃より僧侶として生きてきた義昭には晴元の拘りがいまいち理解出来ずにいた。足利将軍家の外で育った義昭には、その在り方は鎌倉幕府から一歩も成長していない様に思えた。
「しかし仲違いし続けるのもな」
「甘い、甘ぁぁぁぁいでおじゃりますよ!」
「!?」
「その甘い心に公家共は付け入るのでおじゃるよ。幕府の権威が墜ちれば、相対的に朝廷の権威が上がるのでおじゃる。これは
「そこまでは言わぬが……」
晴元の剣幕にたじろぐ義昭。彼は幕府権力と朝廷権力は二律背反の関係であると主張するが、これはその通りである。平安末朝に朝廷権力が揺らぎ源氏の棟梁が支持され幕府を作った。時は経ち幕府権力が揺らぐと後醍醐天皇が復権し政権を建てる。その後醍醐政権が支持を失うと、また武家が幕府を建てる。つまり日の本の歴史は二極の政権のせめぎ合いだと言える。即ち、朝廷権力が隆興する時、幕府は滅びる。そう、晴元は考えている。だから何もさせない、何も出来ない様に抑え続けなければならない。
「ならば!禁裏大工惣官職は幕府の御大工で決まりでおじゃりますな」
「……分かった。そうしよう」
「それは重畳でおじゃります」
(フン、まあいいか。たかが大工だ)
義昭は妥協した。晴元は大袈裟な事を言うが、問題は大工を誰にするか。ただそれだけだ。
それほど目くじらを立てる必要を感じない義昭は朝廷の申し出を却下し、幕府お抱えの御大工を任命する様に伝えた。
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足利義昭が幕府の御大工を禁裏大工惣官職に就けると宣言した翌日。それまで何事も無かった織田信長邸(仮)は俄に騒がしくなった。公卿である山科言継が連日、信長の所に押し掛け義昭に翻意を促す様、説得を依頼しに来ていた。信長も一応、義昭にその様には言ってみたものの色良い返事はなく、山科言継にまだかまだかと迫られる結果となっている。
山科言継は連日に渡り要請を繰り返す。足利義昭はまったく妥協の意志がない。信長は両者の板挟みとなり疲れ果てようとしていた。林佐渡もいないので誰にも相談も出来ない。……という事はない、それを信長は思い出し該当する人物を呼び出した。
「はあ、何なんだよ、いったい……」
「お疲れで御座いますかな、信長様」
縁側で溜め息をつきながらブツブツと不満を漏らす信長の所に、壮年の男性が声を掛ける。その男性こそ信長が相談したい人物、北畠権中納言具教である。剣の稽古中に呼び出された様で、手拭いで汗を拭きながら現れた。身支度を整えず来るのは無礼と取られかねないが、既に具教はそれが許されるくらいに信長から信頼されてきていた。まあ、そもそも直ぐに来いと言ったのは信長なのだが。
「おお、具教。呼び出して悪かったな」
「いえ、丁度良く近習達の稽古が終わりましたので」
「オレも参加したかったんだがな」
「仕方がありません。山科卿が来られていたのですから」
「それだよ、それ!
そこまで言って、信長は顔を曇らせる。その様子から具教は上手く行っていないなと感じた。
「公方様は何と?」
「朝廷の推薦は無視しろって。どうも公方様にも意中の大工がいて、ソイツにやらせたいらしい」
「成る程、フム」
事の発端は天皇御所の修築。これについて織田信長は全面的な資金援助をする予定であった。だが、その責任者に朝廷の大工を就けるか幕府の大工を就けるかで論争となっていた。
論争は平行線を辿り、信長の所には山科権大納言言継が連日押し掛けていた。
「大工なんてちゃんと仕事するなら、誰でもいいじゃねぇか。何が問題なんだ?何で一々、オレに言いに来るんだよ。佐渡はさっさと尾張に帰っちまうし、恒興のヤツは遅れてるしよー。全部、オレが応対すんのかよ。もう疲れた、岐阜に帰りてぇ」
(佐渡殿はともかく、池田殿は六角父子を捕まえてこいという命令を出した人が……これは言わない方がよいな)
「情報を整理して考えましょうか。まず帝は長年、朝廷に仕えてくれている大工に名誉ある仕事を与えたいと思い任命した。しかし幕府側が贔屓にしている大工を使えと言っている。こんな所でしょう」
「そうだな。問題は両者に贔屓の大工が居るってこったろ?その程度で何でこんなにしつこいんだ?話し合って決めればいいじゃねぇかよ」
「それは両者の話し合いは平行線なので、資金を出す信長様に決めて貰おうという事かと。出資者の意見は大きいですから」
「そりゃ、まあ、そうなんだが……」
「これまでは朝廷が何かしようにも、資金は幕府が用意しておりました。故に幕府の意見は必ずと言って良い程、朝廷は飲まざるを得ませんでした。しかし今回は少々事情が違います」
「オレが資金を出すからか?」
「そうです。結局のところ資金を出す者が一番強いのです。極論になりますが朝廷や幕府が何かをやろうとしても信長様が資金を出さなければ行う事が出来ないのです」
「ふむ、まあたしかに極論だな。幕府は諸大名から金を集めてるはずだから、ある程度は自前で出来るだろ」
(問題はソレが幕府の金蔵に入っていればの話だがな。……信長の思考は意外と可愛いな。幕臣が君の家臣と同じだとは思わぬ方がよいのだが)
具教の言葉を聞いて、信長はたしかに極論だと頷く。その理由は義昭が幕府将軍に就任した際、各地の大名から就任祝いとして献金を受けているからだ。それを考えれば、幕府は信長の意見に縛られる事はない。
だが具教は知っている。その献金が幕府の金庫に殆ど入っていない事を。それは幕臣による中抜きが発生しているからだ。そもそも足利幕府とはそういう組織だ。これは最初からの話だ。自分達の利益の為に寄り集まって成立したのであって、平和の為とか人民の為とか乱世を終わらせる為とかは一切考えていない。だから幕府役職に拘る人間が多数存在する。それは中抜きで儲かるからだ。だからこそ『応仁の乱』は激しく家督争いをしたのだ。役職が欲しいから。信長はコレをまったく知らなかったが故に幕府役職に興味を示さなかったのであろう。
具教は少し考えれば分かる話だと思う。日明貿易で巨万の富を築いたはずなのに、後年には財政難で費用の1万貫すら用意出来なくなっているのだから。歴代将軍が贅沢をした、それもあるのだろう。だが、それでは説明が付かない程の巨額な資金が消えている。何処に消えたのかと考えれば、役職持ちの大名や幕臣しかいないのだ。
その一方で具教は信長を羨ましくも思う。内政が得意な林佐渡と軍事が得意な佐久間出羽を家老として両輪にしている。更には織田家NO.2と言える池田恒興が各所国外まで目を光らせている上に、この者は信長の乳兄弟で義弟。調略はするだけ時間の無駄とか言われている。伊勢攻略戦など顕著で、第一功労者と言うべき恒興は伊勢における権利を全て信長に渡してさっさと帰ってしまった。普通なら自分の物にならない占領地などただの略奪対象でしかない。それが戦国の世の常なのだが、恒興は信長の迷惑になる事を避けていると具教は見ていた。結果的に地元である具教や伊勢国の大名豪族は助かったのだが。
その他にも勇将賢者といえる家臣が多数居る。こうした者達を従える信長は素直に凄いとは思う反面、その者達が優秀でありながら従順である為、信長は不正にばかり精を出す幕臣が理解出来ないのではと具教は思った。ともあれ、具教はそのうち自分で気付くだろうと思い言わない事にした。幕臣の悪言をしていると取られたくないからだ。
「まあ、そういう事なので資金を出す信長様の意見は重いのです」
「オレの意思が重要になるか。うーん、帝には長年仕えてくれた意中の大工がいて、公方様にもいる。同じ理由でぶつかったんだよな。これは難しい」
両者が同じ理由でぶつかっている、信長はそう考えて頭を悩ます。それを見た具教は薄く笑う。
「フフ、公方様に意中の大工など居ませんよ」
「む、何でだ?」
「あの方はごく最近まで僧侶だったのですぞ。どう考えても大工とは初顔合わせくらいでしょう」
「あ、そうか!じゃあ、何で……」
足利義昭は幼い頃より興福寺の僧侶であった。還俗したのは最近の話で京の都に居たであろう幕府の大工とは見知った関係ではないはずだ。
そうなると義昭の強硬な態度は腑に落ちない。信長はそこに不自然なものを感じた。それに対し、具教は答えを述べる。
「おそらくは幕臣の誰かの入れ知恵かと」
「そうか。確かにその可能性が高ぇな」
「あとは信長様の方針次第です」
「……」
(うーん、帝は何ら腹に一物がある訳じゃない。自分に付いて来てくれたヤツに日の目を見せてやりたい、そんなのオレだってそうするぜ。でも、表立って公方様の意見を退けるのもなぁ)
具教に促されて、信長は情報を整理する。正親町帝に関しては何ら後ろ暗いところは無い。朝廷が苦境にあっても仕え続けてくれた大工に報いたい。ただそれだけだ。その状況を考えれば自分とてそう思うだろうと。
対して足利義昭は幕府の大工と親密な関係にはなく、幕臣の誰かの推挙を受け入れているに過ぎない。その幕臣が何を考えているのかは不明だが、帝の意志を退ける程の理由は思い付かない。あるとすれば個人的な利益があるのかも知れない。
そう考えれば、どちらを取るべきかは自明の理なのだが、信長は悩み続ける。義昭の意見を退けて、今後に響かないかが心配なのだ。いっその事、「知りません、勝手に決めてくれ」で通したいくらいだ。
「ううむ……」
「悩みますかな?」
「うーむ、そうだなぁ……今回は帝の意思を尊重するべきだろうな。これまで不自由されてきたんだし。ただなぁ……」
「公方様の意見を退けるのも憚られる、と?」
「……まあ、そんな感じだな……」
「ならば私にお任せくださいませんか?」
悩む信長に具教は案があると申し出る。彼には勝算のある策が最初からあった。ただ、信長の意志を朝廷側に近付ける必要があり、回りくどい話をしていたのである。
「ん?何かいい方策があるのか?」
「ええ、我々だけ頭を悩ませるのは不公平というもの。ここは公卿の方に御足労願いましょう。そもそもこれは朝廷と幕府の争いなのですから」
「公卿!?だ、誰なんだ?山科卿か?」
「前関白・二条晴良卿ですよ。現関白の近衛前久卿は若いので、まだ幕府に対抗出来るだけの弁舌はないでしょうし、山科卿で事足りるなら連日こちらを訪れてはいませんよ」
(前関白!?スゴイ大物なんだけど!?)
前関白・二条晴良。
公家界の大物で五摂家(近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家)の二条家当主。関白位は若い近衛前久に譲り渡したが、彼が関東に行くなどして都に居なかった為、現在でも存在感がある。幕府との交渉を幾多もこなしてきた歴戦の論客で、織田信長でも知っているくらいに有名人でもある。
「い、いや、でも、伝手が無いというか……」
「私が説得しましょう」
「え、マジで?」
「ご許可頂けますかな?」
「お、おう、任せる」
信長は多少気圧されながら具教に許可を与える。ただ信長としては半信半疑ではある。まず公卿が来たら解決するのかという事。信長にはこの問題の解決の糸口すら見えていない。なので公卿が来たら何の効果があるのか想像出来ない。
もう一つは本当に公卿の大物が見ず知らずの信長に力を貸してくれるのかという事。現在の信長と付き合いがある公卿は山科言継くらいなのだから。
そんな信長の思いとは裏腹に、具教は次の日には二条晴良を連れて戻って来た。
(……具教に任せたら、次の日に二条卿が来るとかどうなってんだよ)
「ご、ご足労ありがとうございます、二条卿。オレが織田弾正忠信長であります」
「そう堅くなる必要はない、弾正忠。仔細は北畠権中納言より聞いた。此度は主上の為に動いてくれると聞いて嬉しく思う」
「はっ」
二条晴良は前関白だが、まだ40歳前の壮年の男性。表情は鉄面皮の如く動かないが、言葉の方は柔らかい印象を受ける。40歳前で関白を引退しているが、それは公家の引退が早い為だ。その代わり元服が早い、3歳で元服し宮中行事を仕切る天才児もいるくらいだ。また、公家の官位は昇位はあっても降位はないので一番上まで行くと次は引退しかないという事情もある。つまり二条晴良はまだ働けるが、後進に道を譲る為に引退しただけである。
「既に新公方には会見を申し込んである。何、全て私に任せて貰おう。君は自分の心赴くままに発言すれば良い」
「は、はあ……」
二条晴良は既に足利義昭との面会を設定していた。あまりの展開の早さに呆気にとられる信長を連れて晴良は牛車へ搭乗する。一応、信長と具教はその後を馬に乗って付いて行った。
本圀寺に着いた一行は義昭と面会すべく、寺の伽藍で彼が来るのを待った。程無く義昭が現れ、彼は驚いた様に一行を見た。会見に来るのは二条晴良だと聞いていたのに信長と、更には具教まで居たからだ。
(何故だ、何故織田信長が二条晴良と一緒に来る?更に北畠具教だと?)
「フム、私が織田弾正忠を連れて来たのが意外かな?」
「……」
晴良は義昭の視線の先、信長や具教を見て言う。義昭は答える事はなく信長の方を見ていた。
「何、私としても何時までも無駄な論争をするべきではないと考えただけだ。我々が言い争いをしていては、主上はいつまでもボロボロの御所で御過ごし頂かねばならぬ。それは私も本意ではない」
「なるほど。では御所修築は幕府の御大工にお任せ頂けるので?」
「その御大工は実績ある者達かな?」
「当然だ。幕府に仕えて多数の仕事を見事にやり遂げたと聞いている」
義昭は聞いていると答えた。ここは具教の読み通り、義昭と幕府の大工にさして面識がない事を示していた。
「フム、では城や砦も造っている筈だ」
「?当たり前ではないか」
「では三好家の城も造っただろう。……困るのだよ、それでは」
「はあ?どういう事だ?」
「資金を出す織田弾正忠。建築に携わる者が織田弾正忠の敵対勢力に手を貸している。つまり織田弾正忠と幕府の御大工は間接的な敵対関係だ。敵対する両者の力で修築された御所では
「へ、屁理屈だ、そんなもの」
二条晴良は御所の建築に携わる者同士が敵対関係では卦が悪いと説明する。卦とは占いの事で人生や事柄の吉凶を占う。これは遣唐使などを通じて輸入されたものだが、朝廷では専門の部署を置いているくらいである。ただ武家にはあまり馴染みはないが、戦に際して行う者も少数は存在する。簡潔に言うと『良い卦が出たよー、勝てるよー』という感じで兵士の士気を上げるのに使う。
まあ、義昭の言う通り『屁理屈』ではある。
「何の為に陰陽師が居ると思っているのかね?彼等の儀式の結果でも同じ判断が出ている。因みにだが、朝廷の大工は三好の仕事など受けた事はない」
「くだらん、卦がどうだの陰陽師がどうだのと」
「では織田弾正忠に聞いてみようか」
「え?オレですか?」
晴良は卦を無視しようとする義昭から頭を下げて控える信長に向き直る。信長は突然振られて戸惑う。別に何も打ち合わせはしていないので、自分は喋る必要はないと油断していた。
信長は頭を上げて質問を待つ。
「織田弾正忠、君の家臣や兵士は今尚、戦の渦中にあると聞く。君の家臣や兵士を殺し苦しめているモノに間接的でも関与した者を、君は笑顔で迎える事が出来るのかな?」
「……オレは、敵の仕事を請け負ったからといって、それを罰しようとは思いません。ソイツ等にだって生活が掛かってるんでしょうから」
(そうだ、信長。それでいい。信長さえこちら側なら余の意見が通る。二条晴良、信長を連れて来たのは失敗の様だな)
信長は晴良に言われた通り、心のまま答える事にした。幕府の大工が三好家の仕事をしたからといって、信長はそれを咎めようとは考えていない。だいたい三好家は幕府の中心に居た訳だし、幕府の大工が反抗する理由もない。断ればクビにされたりで生きていけなくなるだけだ。それを理由に罰するというのは酷な話だと信長は思う。
信長の答えに義昭はほくそ笑む。資金を出す信長が幕府の大工でよいとなれば義昭の意見が通せるのだから。
「……だが!オレの視界には入れたくありません!!」
(な!信長!?)
しかし義昭の思惑から外れ、信長の表情は途端に険しいものになり、拒絶の言葉を発する。今の信長は二条晴良に言われた通り、心のままに喋っているだけだった。義昭の都合も晴良の都合もまったく考えていない発言だが、晴良にとっては狙い通りであった。
具教から聞いた織田信長像から予測して導き出した質問だったのだ。信長は自分の家臣や兵士は大切にする人間だと。反面、知らない人間には厳しいとも。だから大して親しくも無い義昭の都合を考えないだろうと。
「フム、これでは卦は悪くなる一方だな」
「な、何と言われようとも、織田弾正忠は幕府の意向で動く。そうだろう!」
「そ、それは……」
「おかしな事を言うものだ、公方殿は。織田弾正忠は幕府の役職は持っていない筈だが。だが『弾正忠』に任官しているのだから主上の臣である」
晴良は信長が答える前に反論する。信長は義昭を担いで上洛してきたのだから、普通に考えれば彼が義昭に従うのは道理だと言える。だから晴良は割って入った。信長が従いますと発言するのを封じたのだ。
そして義昭の反証に使うのが『誰の臣なのか』だ。信長はご存知の通り、幕府の役職は持っていない。だが既に『弾正忠』に任官しているので朝廷の役職を持っている。たとえ名前だけの物でも、受けたからには信長は『朝臣』となる。
「ぐっ、……だが足利将軍家は武家の棟梁なのだ。だから……」
「またおかしな事を言う。足利将軍家は『河内源氏の棟梁』の筈だ。勝手な拡大解釈はしないで貰いたいな。だいたい織田弾正忠の家は『平氏』だ。何なら調べさせようか?」
足利将軍家が武家の棟梁というのは、そう見做されただけの話だ。本来は河内源氏の棟梁であるが、これも源頼朝の血族が絶えてしまったからに過ぎない。この様に武家は自分勝手に見做したモノを常識化しているが、流石に朝廷の大物たる二条晴良には通用しない。
因みに『征夷大将軍が幕府を開く』というのもただの見做しである。先駆けとなる源頼朝がそうしたからという理由なのだろうが実は逆で、幕府が先に出来て、その後で征夷大将軍就任となる。幕府自体は『富士川の戦い』の後くらいに出来ている。何の為に幕府を作ったのかと言えば関東を統治する為だ。その為に鎌倉で大規模な土木工事を行った。余談だが源頼朝は征夷大将軍就任を2回も断っている、『別に要りません』と。まあ、3回目の就任要請で観念した様だ。
織田家は『平氏』となっているが、これについては何の証拠も無い。無いのだが、朝廷が平氏と言ってしまえば平氏となるので義昭は反論する事も出来ない。……実際のところ、織田家は『藤原氏』らしいのだが、何故か信長自身が平氏と吹聴している。伊勢国が近いので周りに平氏が多いからかも知れないし、源平交代思想を取り入れたとする説もあるが、真相は謎である。
なので織田信長の朝廷での名前は『
「ぐ、が、ぎぎぎ……」
「フフフ、公方殿、そんなにムキになる事もあるまい。
「む、むう」
「御所の修築を任せてくれるならば、都の重要寺社の建て直しは幕府の御大工を優先しよう。こちらも大変重要だ」
(それなら十分な成果と言えるか。何よりこの二条晴良に口で勝てる気がせん。関白の近衛前久ならやり易いのにな)
京の都では修繕しなければならない建物が多数ある。細川政元や三好長慶は経済的に必要な部分を優先していて直されていない重要寺社が多数ある。特に天文の乱で焼き討ちを受けた『洛中法華二十一ヵ山』など壊滅的なダメージを負ったままだ。法華宗徒達は信長が法華宗に帰依しているので復興資金を要請していたりするが。
義昭はある程度の成果で納得する事にした。何より論客としては義昭より二条晴良の方が遥かに優れている。理論武装も完璧で崩せそうにない。もし二条晴良の論を頑なに認めないと言えば、朝廷ひいては天皇すら認めないと取られてしまう。そうなると自分の征夷大将軍位すら無意味な物と化す。政権固めも終わっていない、絶対的権力も保持していない義昭にその様な危険な賭けは出来ないのだ。
「そうだな、たかが大工だ」
「ではこれで決まり、でよろしいかな?」
「ああ、重要寺社の方は反対を許さないぞ」
「もちろん約束は守ろう。ではこれで失礼する」
会見は終わり、信長はほっと一息をつく。無事に終わったという安堵とこれが都の舌戦なのかという戦慄。神経が擦り減る思いしかなかった。
(乗り切った……か。これで良かったのか?)
「織田弾正忠」
「あ、はい」
「此度の件、礼を言う。よくぞ主上の願いを聞き届けてくれた」
「いえ、オレだけではこうはいかなかったかと……」
「フ、弾正忠は謙虚だな。主上に君は頼りになる男だと伝えよう」
(え?帝にオレの名前が?……やった、やったぞ、親父!帝にオレ達の名前が届いたんだ。アンタの悲願はオレが叶えたぞ!)
二条晴良の言葉に信長は喜んだ。信長と言えば絶対的権力者や天下人、日の本の頂点に君臨した王の様なイメージが強いが、その実、上の人から褒められるのが好きな会社の中間管理職の様な性格がある。
信長が勤皇派である事は有名であるが、元はと言えば父親である織田信秀も勤皇派である。そもそも『弾正忠』の位を欲していたのは信秀で叶わなかったから自称していたくらいだ。
「では、これで失礼しよう。北畠卿もまた会おう」
「はっ、お疲れ様で御座いました、二条卿」
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信長達が帰った後、義昭は細川晴元を呼び出して事の次第を伝えた。晴元は特に顔色を変えず淡々と義昭の話を聞いていた。
「そうでおじゃりますか。禁裏大工惣官職は朝廷の大工と」
「仕方があるまい。二条晴良が出てきたのだ。あれの弁舌に勝てる気がせぬ。だが重要寺社の修築はこちらで確保した。これでもまだ不満か、晴元?」
「いえいえ、流石は公方様でおじゃります。そちらの方が御所だけの修築より実入りが良いでおじゃる。御大工達も喜ぶでおじゃりましょう」
「そうだろう、そうだろう、ハハハ」
「では、麿は準備に掛かるでおじゃります」
「ああ、善きに計らえ」
「ははっ」
晴元は義昭を一様に褒め称え、その場を後にした。そして廊下を軽やかに笑顔で歩いて……途端に早足になる。顔もこれ以上なく険しいものに変わっていた。
(ダメでおじゃるな。公方様は経験が無さ過ぎて、何も解ってはおらんでおじゃる。やはりあの下賎は朝廷に取り込まれつつあるか、想定より早いでおじゃる。何故ここまで早いか、言うまでもなくあの男、北畠具教がいるからでおじゃる。ヤツは南朝の首魁と言うべき者、途轍もなく危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険、でおじゃる)
晴元は信長が朝廷に取り込まれる事を予測していた。何故か?幕府の役職を持っていない為、信長の立ち位置は幕府から一線を引いた形になっている。それなのに資金力と軍事力は絶大とくれば、朝廷が放置する筈はない。
一線を引いている為、幕臣と上手くいかない信長は次第に取り込まれていくだろうと予測はしていた。その間に晴元は他の大名を上洛させて信長の対抗馬にしようと画策していた。内側からは幕臣、外側から他大名で挟み込んで弱らせようという事だ。更に信長は上洛してから公家と親しくしている様子もない。それ故、晴元は信長が朝廷に取り込まれるまで時間はたっぷりあると見ていた。……が、それはあまりにも早く崩れた。
いつの間にか北畠具教が京の都に居たのだ。しかも織田信長邸(仮)に居候しているという。これは晴元にとっても青天の
険しい表情で晴元は次善の策を講じる。
(ふーむ、こうなれば早いところ、あの下賎の勢力を削らねばでおじゃるなぁ。しかし滅ぼしてはならぬ、それで幕府まで道連れは困るでおじゃるからな。下賎の力を削いだ上で他の大大名を上洛させるのが上策でおじゃる。差し当たっては北条家、上杉家、毛利家、大友家あたりでおじゃるか。ニョホホ、麿は忙しくなるでおじゃる。まずは『石山』に行くでおじゃる)
晴元は決めた。信長の勢力を減退させる為に、ある集団を使う事を。それは織田家の領地の内側に居る者達。かつて己が解き放ち、未だに鎮まらぬ暴威。
晴元はその後にはどの大名に声を掛けようか思案に暮れた。
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会見から数日して。
織田信長の下に北畠具教が伝令が来た事を伝える。この日、多聞山城の松永久秀から救援要請が届いたのだ。「急ぎ援軍を請う」と。
「信長様、松永久秀からの援軍要請ですが」
「大和国を支配するとか口だけかよ、アイツ。うーん、出羽や一益を向かわせるか?」
松永久秀の窮状にうんざりする信長だが、直ぐに気を取り直して援軍を向かわせる事にする。どちらにせよ、京の都の隣である大和国は放置出来ない。現在、摂津国を制圧している佐久間出羽や滝川一益が候補となるが。
「摂津方面、とりわけ堺の町はよろしいので?」
「うーん、堺の安全はまだ確保出来たとは言い難ぇな」
「ならば継続させるべきかと。これから三好三人衆の反撃が予想されます」
「アイツラか。大して強くないだろ」
「それは油断と呼ぶべきものですな。彼等の本拠地はあくまで『四国』。畿内には出張っていたに過ぎません」
そう、三好家の本拠地は四国、阿波国である。彼等は鎌倉時代に阿波守護となった甲斐源氏小笠原家の末裔で、四国には長年に渡り強固な地盤を形成している。更に四国の兵士は精強で知られる。つまり三好三人衆が弱く見えたのは率いていたのが強さイマイチな畿内の兵士だったからで、四国兵を率いた三好三人衆は強敵になると具教は指摘する。
「なるほどな、なら出羽と一益は無理と。他には恒興か佐渡か」
「佐渡殿は濃尾勢の内政と防衛ですから動けないかと。池田殿は甲賀攻略が終われば、ですが」
あと、纏まった部隊を動かせるのは甲賀攻略中の恒興と尾張に戻って統治に精を出す林佐渡となる。だが林佐渡は濃尾勢の防衛もある為、動かせないだろうと具教は予測する。あとは甲賀攻略中の恒興となるが、こちらには信長の所に朗報が届いていた。
「そうだな……いや、恒興は動かせる。甲賀の封じ込めに成功したって報告があったわ。それに三左も来る」
「森殿は佐和山城防衛ですが。浅井との緊張が高まっていますし」
「そこを遣り繰りする。浅井にはのらりくらりと返答を引き延ばして、佐和山城には長秀を城代として入らせる。ゆくゆくは佐和山城主にしてやるから死ぬ気で守れってな。で、三左は小堤城に行かせて恒興を大和だ。これで完璧だぜ」
「分かりました。伝令を出します」
「おう、頼むわ」
信長は恒興が大量の付城を建造して甲賀を封じ込めた事を報告されていた。故に恒興の軍団は半数くらい削っても余裕があると見た。そこに本来は浅井家対策で佐和山城に行く予定であった森三左衛門可成の東濃軍団約5000を投入。佐和山城には現在、東近江に居る丹羽長秀軍2000を入れて防衛させると共に、浅井家の行動を遅らせる為の欺瞞外交を行うという計画となる。カギとなるのは恒興が如何に速く大和国の件を終わらせるかに掛かっている。
具教はその計画を伝える早馬の準備の為に退出した。そして信長の命令を反芻しながら、ふと気付いて頭を押さえる。
(ん?ちょっと待て……いつの間にやら私は織田家臣扱いされてないか!?…………いやいや、落ち着け私、いいんだ、予定通りなんだ。想定より早過ぎて戸惑っただけだ)
そう、今の北畠具教の在り様は正に『織田家臣』と言って差し障りのないものだ。道場で顔を合わせ、何事かあれば呼び出される。更には信長に伝えるべき報告まで具教の所に来る始末。それくらい信長邸(仮)に居る家臣達から信頼を勝ち得ていた。他大名である具教にそんな内部の情報を渡す事自体ヤバい話なのだが、当の信長がまったく気にしていない。
(しかし織田信長……彼は何と言うか、馴れた者には遠慮がないな。遠慮無く頼ってくるというか。私にとっては好都合なのだが、それは諸刃の剣だと分かっているのだろうか。……いや、何で私が彼の心配をしなければならぬのか)
北畠具教は織田信長という男を『馴れた者には遠慮がない』と評する。具教に関して、当の信長はと言えば「具教がオレに従ってくれるなんてな。これもオレの人徳が為せる業か」と少々良い気になっていたりする。
具教はそんな信長の性格を危ういと感じながらも、己の望みの為に胸にしまった。
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【あとがき】
べ「この話は今後に重大な影響を及ぼすとべくのすけは見ている」
恒「?ニャんでだ?」
べ「上洛した信長さんが京都で初めて経験した挫折だからね。この後も似たような事が続き、信長さんは悟ったんだと思う。『こんなに煩わしいなら、オレの力で全部黙らせりゃいいんだろ』的に」
恒「権力者になって信長様が変わったという一般認識をべくのすけはそう感じた訳だニャ」
べ「原因として考えられるのは信長さんの朝廷や幕府に対する認識不足。そして的確なアドバイザーが居ない事だと思う。だからこその『北畠具教』さんな訳」
恒「北畠具教……信用出来るかニャー?」
べ「具教さんは正義感や慈善心で来た訳じゃない。彼の望みを叶える為に来た。一つはまだ色の着いていない信長さんを誘導して朝廷派に引き込む。もう一つは奪われた家督を奪還する。この2つを基に行動する予定」
恒「ニャるほど、行動原理は『欲』か」
恒「この話、史実だとどうなったんだニャー?」
べ「信長さんは岐阜まで逃げた。朝廷と幕府の板挟みに遭って。これが信長さん主人公の小説や漫画だと『織田信長は幕府権力に見切りをつけ、颯爽と岐阜へ帰還した』とか格好良く書かれる。実際は『オレに聞くなーっ!』って泣きながら帰った」
恒「ま、待てニャ、べくのすけ。証拠はあるのか?」
べ「無いと思ってる?」
恒「え?」
べ「信長さんが逃げ帰ったのに気付いた山科言継さんが岐阜城まで追い掛けて来たよ。公卿は日記をつけているって言ったよね?きっちり書かれたよ」
恒「ゴフゥ、庇う事すら出来なかったニャー……」
べ「信長さんは武家以外の他勢力が絡む外交になるとこんな感じでね。これは書かないと決めたから語るけど『興福寺院主問題』というものがある」
恒「ニャんだ、それ?」
べ「興福寺の院主だった僧侶がお亡くなりになったんだけど、次の院主は順当に行けば副院主がなるはずだった。それが既定路線なんだけど、この副院主はすこぶる人望が無くてね。反対派が別の候補立てて争ったんだ」
副「次の院主は通例で私だろ!」
僧「君に院主は務まらない!別の候補にする!」
副「そんなの納得出来るか!……って、コレ、ずっと平行線だぞ」
僧「そうだなー。じゃあ、偉い人に聞くか」
副&僧「「という訳で、信長様、どっちですか!?」」
信「知らねぇよ。興福寺の事は興福寺が決めろ」
副&僧「「えー……」」((決まらないから聞いてるんだけど))
べ「こんな感じ。信長さんはこういう外交力は凡人ですらない」
恒「いや、信長様はホントに関係ないから素直に答えただけだニャー」
べ「今の恒興くんならどうする?」
恒「そりゃあ、ニャーと仲の良いヤツ、或いは仲を良くしようと近づいてくるヤツを後押しして、その後のwin-winな関係を築く……あ!」
べ「普通はそういうものだよね。それが上手くいくかで才人と凡人は別れる。だから信長さんは凡人ですらなく、ただの無関係な一般人レベルなんだよ。戦が絡むと鋭い判断をするんだけどねー」
恒「人には必ず向き不向きがあるニャー」
べ「他にも『絹衣相論』という問題もあってね。これは関東戦国が出来たらおまけに書こうと思う。当事者はそっちだからね」
恒「まだあるのかニャー……」
べ「いやまあ、一応、信長さんは頑張ったと思うけど、本質は理解してなかったね」
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