動き出す者達

 ある昼下がりの池田邸。

 池田恒興は正室の美代と縁側に座っていた。何をしているのか、二人はお皿に盛られた何かを口に運んでいた。つまり彼等はおやつを食べている訳だ。

 現在、幸鶴丸とせんは祖母に当たる養徳院が連れて出掛けている為、美代まで暇を持て余しおやつの時間と相成った。

 そこに同じく暇を持て余した側室の藤が二人を発見し、声を掛ける。


「二人して何を食うとんのや?」


 後ろから声を掛けられた恒興は振り向いて、自分が食べていた物の皿を見せる。そこには茶黒に染まった2、3cmほどの物体が並々と盛られていた。


「イナゴの佃煮だニャ。食べるか?」


「バッタやんけー!?何を食うとんねん!」


 イナゴの佃煮は信州などの山間部では割りとポピュラーな食べ物である。恒興はこれを森可成から贈り物として貰ったから食べていた訳だ。池田家から森家への経済協力のお礼なのだろう。

 藤はそれを見て「ギャー」と悲鳴を挙げんばかりに後退る。イナゴの佃煮は姿煮な感じなので足も頭も付いている。その様に藤は嫌悪感をもよおした様だ。堺という都市部で育った藤にはまったく馴染みの無い食べ物の様だ。


「お前ニャー。こうしてイナゴを食う事で蝗害を防いでると考えれば悪くニャいだろ?」


「虫を食うなとゆうとんのや!」


 恒興は困った奴を見る様な表情で諭す。しかし藤はどうしても受け入れられない様子。そこで恒興の隣に座っていた美代が自分の皿を見せて申し出る。


「じゃあ、私の食べます?」


「せやな、美代の方を頂こかな。で、何やコレ?」


 藤は恒興のイナゴの佃煮は無視して美代の皿を見る。しかしソレも茶黒時々黄色の物体。貰おうとした藤の手はピタリと止まる。


「蜂の子の佃煮ですよ」


「だから虫やんけー!」


「何ですか、他人ひとの家の名産品をバカにするんですか?蜂は人の役に立つ素晴らしい生き物なんですよ。刺してきますけど」


「ちゃうねん。ウチが言いたいのは、虫を食うとかおかしいやろっちゅう事や!」


 美代の実家は奥美濃遠藤家。養蜂業は遠藤家の大切な産業であり、蜂に親しみ深い美代は少し腹を立てる。味噌󠄀といい、蜂といい、身近な物に対しては拘る嫁である。

 しかし藤はイナゴや蜂に文句があるのではない。そもそも『虫食』に忌避感があるのだ。その事を分かって貰おうと必死に訴える。


「お藤だって海老が好物じゃないですか」


「海老が何やねん?」


 虫食は嫌だと言う藤に対し、美代は反撃に転じる。

 藤の出身地である堺は港町なだけあって海産物も豊富である。海老は藤の好物の一つに数えられている。ただ、海産物にあまり馴染みのない山間部育ちである美代は別の視点から海老を見ていた。


「アレは『虫』でしょ」


「あー、足がいっぱいあったり、殻があったりするしニャー」


「ちゃうわー!海老は虫やない!海老は海老なんやー!」


 美代は海老を『虫』の一種だと言い切る。現代の分類上では海老は甲殻類で、虫は昆虫である。しかし、全ての生命が海から始まったのであれば、甲殻類が昆虫の祖先であるかも知れない。であれば陸上と海中でそれぞれの進化を遂げた訳で、ある程度の共通点を持っているのも納得出来る。美代の視点だと海老は海の虫との事だ。

 これに恒興も賛同する。理由の一つはやはり昆虫と海老に共通点がある事。もう一つの理由は藤がコロコロと表情を変えて必死に反論してくるのが面白いからだ。

 一方の藤は否定し続け、最後にはガクッと床に膝をつく。何で理解出来ないんだとでも言いただ。


「やっぱ、ウチは『しちーがーる』なんや。田舎には馴染めへんのや」


「ニャんだよ、『しちーがーる』って?」


「順慶はんがゆうとった。『都会の女』やて」


「くだらん言葉を広めやがって、アイツ。一回言うかニャ」


 藤は自分を『しちーがーる』なのだと言う。『しちーがーる』とは現代でいうところの『シティガール』の事で出処は現代から転生してきた筒井順慶である。どうも彼は所々で現代語を広めている様である。


「ま、海老も虫と変わらんって事でイナゴ食うかニャ、お藤?ほれほれ、一度食えば世界が変わるぞ」


「……」


「どした、お藤?」


「拗ねたんじゃないですか?」


「……」


 項垂れる藤に恒興は執拗にイナゴの佃煮を推める。しかし、藤は無表情に冷めた眼で見るだけで終始無言になっていた。

 美代は少し溜め息をついて、拗ねたのではないかと推察する。要はからかいが過ぎたのだ。


「まあまあ、機嫌治せニャー」


「……えびや……」


「は?今、ニャんて?」


「伊勢海老うて来て!せやないと、うちの機嫌は治らへんわーっ!干物でもええから!」


 恒興が機嫌を治す様に促すが、ここで藤が爆発した。機嫌を治して欲しいなら伊勢海老を買って来いと。

 伊勢海老は現代において高級品であるが、戦国時代だと超が付く高級品である。普通に庶民の手には届かず、干物であっても贅沢品となる。恒興であっても流石に無いわーという感想しか出て来ない要求だ。


「おい、無茶苦茶な事を言い出したニャ、コイツ」


「あなた様がからかい過ぎるから」


「伊勢海老は伊勢国で採れるんやろ?旦那様なら手に入るはずやん」


「伊勢海老は元は『磯海老いそえび』って言って、別に伊勢国だけで採れる物じゃないけどニャー。ま、主要産地が伊勢国だからそういう名前になったのかもな」


 伊勢海老は磯海老が訛った説や威勢の良い海老から来ている説などがあり、伊勢海老の名前が書物に初登場するのは『言継卿記ときつぐきょうき』であるという。著者は恒興とも関係の深い公卿の山科権大納言言継である。伊勢海老の名前が定着したのはこの頃でそれまでは志摩海老と呼称されていた様だ。また、伊勢海老は日の本各地の温暖な海岸に生息しているので房総半島で採れる房外海老や相模湾で採れる鎌倉海老や具足海老などの名称もある。


「そんな蘊蓄うんちくはどうでもええねん」


「分かった分かった。しかし何処から仕入れたらいいかニャー」


 恒興は思案する。伊勢国大湊の商人なら誰かしら扱っているとは思うので手には入ると思う。誰に聞いてみようかなと思案していると、廊下から控えめに小西弥九郎が報告に来た。ここは池田邸なので家臣であってもあまり入る事はないので傍小姓である弥九郎が取り次いだ様だ。


「殿、よろしいでしょうか?」


「おお、弥九郎か?どうしたニャ?」


「はい、来客との事で政所にお越し頂きたいと加藤政盛様が参っております」


「来客?今日は予定が無い筈だが誰だニャ?」


「志摩水軍の九鬼嘉隆様との事」


 報告は来客の報せであった。予定には無かったが、志摩水軍の頭領である九鬼嘉隆が来ているという。恒興は渡りに船だと思い、次いでに伊勢海老の事も聞いてみようと思った。というか、伊勢海老を採っている漁師はだいたいが志摩水軍に属しているはずだからだ。あんな儲かる高級品を志摩水軍が他人に採らせる訳がない。


「お、九鬼殿か!これは丁度良いニャー。お藤、次いでに伊勢海老の事も聞いてくる。行くぞ、弥九郎」


「はい」


 こうして意気揚々と恒興は池田家政所に出掛けて行った。恒興が居なくなると藤は立ち上がりガッツポーズをする。これで伊勢海老が確定したのだ。


「よっしゃ、伊勢海老や」


「お藤、貴女は本当に逞しいですね……」


「これくらい出来んで、戦国の女は務まらんやろ」


「見習いたいものです。で、蜂の子は食べます?」


「食べへんちゅーのに」


 美代は半ば呆れつつも、藤の逞しさが羨ましいと思う。因みに蜂の子の佃煮はしっかり拒否された。

 池田家政所に着いた恒興は直ぐに九鬼嘉隆と面会する。嘉隆が待つ部屋に入った恒興は驚く。そこにはでかい図体を可能な限り縮こませ、目がキョロキョロと動いて汗をダラダラかいて青い顔をしている九鬼嘉隆が居た。


「どうしたんだニャー、九鬼殿?そんな青い顔をして」


 恒興が駆け寄ると、嘉隆はガバっと恒興の足にしがみついた。溺れる者が藁をも掴む様に。


「上野殿、た、助けてくれ。奴等が、奴等がとうとう動き出したんだ」


「奴等?誰だニャ?」


「『熊野水軍』だ!奴等が敵対行動を取り始めたんだよ!」


 熊野水軍。

 現代の和歌山県南部から三重県南部までの海を支配する強大な存在。言う意味はあまり無いのだが、日の本最強と言ってもよいだろう。少なくとも周辺の水軍衆では歯が立たない。

 水軍衆においては『日の本最強』という表現はあまり当てにはならない。何故なら水軍衆とは基本的に『地元無双』だからだ。その海域の海流や季節的な風などを知り尽くしている為、地元で戦うならどの水軍衆も最強だと言えてしまう。しかし日の本の水軍衆の中で最も強いと選ぶなら候補は二つ。一つは長崎県の海域を根城としている『松浦まつら水軍』。西の大陸側まで行く為、『倭寇』最有力候補とされている。そしてもう一つがこの『熊野水軍』である。


「く、熊野水軍だと……、そんニャ……」


「何か手を打たないとやべぇぞ」


 九鬼嘉隆は焦る様に恒興に促す。九鬼嘉隆自身は志摩出身だが九鬼家の先祖は熊野水軍からの移住者だ。なので熊野水軍を知らない人間よりは彼等の危険性を熟知している。


「因みにニャんだけど、九鬼殿」


「何だ?」


「もしもだけどさ、戦って勝てたりするのかニャ〜ん?」


「……勝てるわきゃねーだろが!外海に出たら餌食だっつーの!」


『外海に出たら餌食』。これが熊野水軍と松浦水軍が最強の候補に挙がる理由だ。彼等の戦場が『外海である』という事なのだ。他の水軍衆はだいたい内海か湾内を縄張りとしている。外海はリスクが高過ぎるからだ。なので最初から厳しい外海を縄張りとしている水軍衆は水夫の練度が段違いに高い。普段から穏やかな海域で過ごしている水軍衆では比べ物にすらならない。

 水軍衆とは漁師の顔と海賊の顔を併せ持つ。豊かな海域で漁師として生計を立て、海路の要衝で海賊行為をしている存在だ。しかし陸上に拠点がある以上は武家の支配からは逃れられない。基本的には。水軍衆が強過ぎて陸上で大名化している事例もあったりする。肥前国松浦家と羽後国安東家が該当する。

 しかし、この熊野水軍だけは例外であり、武家の支配を受けていない。どころか、日の本に属してすらいない。日の本の歴史が始まって以来、一度も無い。そう、彼等、『熊野』こそ『日の本の中の外つ国とつくに』であり、『まつろわぬ者達』の最大勢力なのである。この『まつろわぬ』とはまつろいやまぬ、まつろう事を拒否するという意味である。その実、彼等は『神武天皇』の時代から存在が確認されている。何しろ神武天皇を大和に導いたのが彼等であり、故に天皇家は彼等に気を遣い続けた。だから日の本の不可侵領域という暗黙の了解があった様だが、それ以前に恐ろしく強いという理由もある。


「ですよニャー。そんな気がしてたわ。ニャッハッハッハ!」


「まったく、冗談キツいぜ、上野殿は。ワッハッハッハ!」


 二人は笑い合う。もうやけくそな笑いだ。池田家政所には二人の乾いた笑いが響き渡った。


「……」


「……」


「「どうしよう……」」


 一頻り笑いあってから真顔に戻って、両者見合う。そして同じ言葉を吐きながら、頭を抱えた。

 熊野水軍の領域である外海上においては無敵に近く、志摩水軍では勝ち目が無い。たとえ志摩水軍が多数の鉄砲を揃えていてもだ。というか外海で鉄砲を扱うのはほぼ不可能。波が荒すぎるため船の揺れが想定以上な上に波飛沫も雨の様に降り注ぐ。弾込めも出来なければ、火薬も直ぐに湿気る。そして水夫の練度も段違いときている。

 海で勝ち目が無ければ陸戦に持ち込めばいい。確かにそれなら勝てるだろう。ただし『進む事が出来れば』の話だ。そう、熊野の地は完全に山に囲まれていて軍隊などとても通れない。そんな地に到達出来るのは修験者くらいなものだ。そして熊野は修験道の聖地でもある。

 難攻不落なんてレベルではない相手に恒興でさえ頭を抱えるしかなかった。


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【あとがき】


 皆様、お久し振りですニャー。ちょっとモチベーション低下によりPSO2ngsをひたすらプレイしてました。1年振りの復帰でしたが、全クラスレベル上限まで上げて今に到りますニャー。モチベーション低下の原因は書いた内容がボツになったからで、順慶くん話を3話ほど書いたのです。しかし、後になって気付いてしまったのです。それは話に蕎麦屋が出るのですが、『蕎麦って何時から在るんだろう?』と気になった訳です。蕎麦は雑穀の一種で縄文時代から在ります。しかし現代人がよく知る『細麺の蕎麦』は『江戸時代中期』に発明された物だったのですニャー。それまでの蕎麦は雑穀として混ぜてお粥にして食べていたそうです。鎌倉時代になると『おやき』(焼きまんじゅう)にして食べたり、室町時代にはお汁粉の具材にしたりで江戸時代前期まで蕎麦は『和菓子の材料』として扱われていたといいます。江戸時代になると大阪や京都の上方かみがた商人が江戸に進出しました。彼等は『うどん』を好んでいましたが、当時の小麦粉は高級品で庶民は気軽に食べれませんでした。そこで甲信地方で大量生産され、庶民でも気軽に食べれる蕎麦をうどんの代替品に出来ないか研究されたそうです。しかしそば粉は粘り気が出ない為、細麺にするとぶつ切りになってしまう。そのそば粉を細麺にする為のつなぎに小麦粉を使い、小麦粉2対そば粉8で合わせた『二八そば』が誕生して一気に広まったとの事ですニャー。

 歴史物ってこういう時代考証が難しいんですよニャー。探せば幾らでもこういうアラが出てくると思いますニャー。「ファンタジーなんだから別にいいじゃん」という自分と「いやいや、歴史物なんだからちゃんとしないと」という自分がせめぎ合っておりますニャー。



 熊野の変遷


 平安時代まで

 熊野「天皇家は友達!でも海賊はするで!」

 朝廷「帝の手前、放置するしかないでおじゃる」


 鎌倉時代

 熊野「鎌倉に従えやと?答えは『嫌』じゃ。何なら源義経を匿ったろか?」

 頼朝「それだけは止めてー。権利は全て認めるからー!」

 熊野「頼朝、なかなか話が分かるやないけ。それじゃ海賊やー!」

 頼朝 (関東以外はどうでもいいや)


 室町時代

 幕府「海賊は許さん。やれ、赤松円心!」

 赤松「水軍が強いなら、陸地から攻撃すればよいのだ!……って、山がキツい上に道が無くて進めないー!?」

 熊野「おう、赤松円心。はよ海に来いや。殺り合おうぜぇ?」

 赤松「こんなん無理ゲー過ぎるー!」


 戦国時代

 熊野「最近、儲からんな。それじゃ海賊しよかな」

 信長「待てよ、オレは天皇の家臣だ。仲良くしようぜ」

 熊野「そう言われても稼ぎがないとな」

 信長「それじゃオレが熊野を経済で満たしてやるぜ!まずは木材の輸出からだな!」

 熊野「うひょー、 (経済的に)満たされてしまうー!信長さん、何か困った事があったら、ワイらを頼ってもええんやで!」

「よっしゃよっしゃ。よろしく頼むぜ」


 その後

 熊野「信長さんが本能寺で!?なんちゅうこっちゃ。もうワイらは木材の輸出で稼がんと生きてけへんのに。……こうなったらしゃーない。秀吉さん、お願いしゃーす!」

 秀吉「よっしゃよっしゃ、任しとき。その代わり、役に立って貰うからな」


 その後

 熊野「豊臣政権倒れたー!?こうなったらしゃーない。家康さん、お願いしゃーす!」

 家康「よっしゃよっしゃ、任しとかんかい。徳川分家も置いて熊野がより儲かる様にしてやるぞ」

 熊野「わーい、やったー。……あれ?いつの間にか熊野が日の本に組み込まれている様な……」

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