親衛隊からの離脱者 with戦国の食事情2

 ある日、恒興は親衛隊の一人と面会していた。名前は入江高信。親衛隊創設期から名前を連ねている32歳の男。この者は大和国の戦いで負傷した為、犬山に早期帰還していた。その負傷からの復帰報告に来た。そう、恒興は思っていた。


「入江、怪我は治ったのかニャ」


「はっ、殿に心配をお掛けし、誠に申し訳御座いません」


「それでニャーに言いたい事ってのは何だ?」


「実は私の怪我の治りは思わしくなく、今の実力では親衛隊として相応しくないと判断致しました」


 入江は自分は親衛隊に相応しい実力が無いと判断していると言う。負傷したのがその証拠だと言わんばかりだ。


「ニャーは気にしない。親衛隊にだって後方勤務くらいある」


「殿、親衛隊の実力を落とすべきではありません」


「じゃあ、どうしたいんだニャ、入江」


「親衛隊の任を辞したく、お暇を頂けますれば」


 入江は親衛隊を辞める為に恒興に会いに来た。これ以上は恒興や親衛隊の迷惑になると自覚しているのだろう。一方で恒興の顔色は渋い。


「待てニャ。それならニャーの従者になれ。ニャーはお前を手放す気はない」


「そこまで殿のご温情に縋るのも」


「もう少し落ち着いて、これからを考えろ。嫁さんのこれからもあるんだからニャ」


「はっ……。失礼致します」


 恒興は入江を慰留させたいと思う。親衛隊でなくとも池田家従者でもよい。

 池田家親衛隊とは元々は織田信長の親衛隊だった。信長が下級武士の次男以下を対象にした就職救済策として置いたものだ。そして親衛隊長になったのが池田恒興である。設置されたのは信長が元服をした翌年の16歳の時で、恒興は13歳だった。まだ少年と言ってもよい恒興に親衛隊を上手く指揮するのは難しかった。それを入江高信など年長者が恒興を補佐する事で親衛隊は形を保つ事が出来たのだ。

 だからこそ恒興は入江高信を手放す気は無い。どんな形であれ、自分の傍に置き続けると決めている。それにこの男は放置出来ない事情もある。


「入江よ、お前が死んでも息子が帰って来る訳じゃねーギャ」


「……」


 恒興の指摘に入江高信は何も答えず、恒興の前から立ち去った。

 入江高信は恒興が犬山城主になる前くらいに、2歳になる一人息子を失った。身体が弱く、夭折してしまったのだ。それ以後、入江高信はまるで死に場所を求める様な無茶な戦い方をする様になった。それに気付いた恒興は入江高信を自身の身辺警護に回して、前線に出さない様に計らった。しかし大和国の戦いでは恒興の部隊も前線に出た為、入江高信は再び無茶な戦いをして他の親衛隊員に助けられ、結果として負傷離脱となった。


「死にたがりは救えない、とは言うがニャー。何とか出来ないものか」


 若き日の恒興は入江高信を頼り、漸く親衛隊を維持出来たと感じている。彼が居なければ恒興は親衛隊を上手く運用する事は出来なかっただろう。だからこそ恒興は何とか入江高信に生きる希望を取り戻したいと考える。ただ、その為の方策はまだ思い浮かばなかった。


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 犬山城下に大きめの屋敷がある。いや、ここは屋敷などという施設ではなかった。加藤図書助という商人が所有する倉庫であった。犬山城主に恒興がなる前から、犬山に拠点を持っていた図書助は複数の倉庫を持っている。しかし、恒興による犬山大開発が起きた為に、これらの倉庫は使用が難しくなったのだ。何故なら犬山が拡大したので、元々あった倉庫は町の中心は出口が遠くなってしまったのである。倉庫に商品を入れるのも、倉庫から出して各市場に持っていくのも、犬山の中心部までわざわざ・・・・行かないといけなくなった訳だ。当たり前だが、犬山以外の市場に持って行くのなら、倉庫は町の外縁部付近にあった方が便利だ。図書助としては犬山が発展して嬉しい反面、倉庫は放置する以外はなかった。

 その倉庫の一つを恒興が客席にするというので、加藤図書助は差し出した。それにより図書助も天麩羅をはじめとする新しい料理店の計画に参加する事が出来た。その根幹を為している一つが筒井順慶に図書助が知る料理人を弟子入りさせる事だ。彼等が育てば熱田や津島、清須などに店を出せるだろう。

 その為に図書助はもう一つの倉庫を急いで片付けた。目的は筒井順慶の道場にする為だ。何せ、筒井順慶が住んでいる場所は池田邸がある場所で、警備が厳しくおいそれと一般人は入れない。なので筒井順慶には弟子達の所まで来て貰う必要がある訳だ。こうして町の中心部にあった倉庫は、筒井順慶道場として生まれ変わる事になった。


「順慶先生、おはようございます!」「「「おはようございます!」」」


「うむ、皆、おはよう」


 自分の道場に強面の作り顔と腕組みしながら入る順慶。彼は未だに至高の料理人スタイルが出来ていると思っている。弟子は既に10人近く居る。ここでは日々、新商品となる料理の開発が進んでいる。何しろ順慶には大した料理スキルが無いので、弟子達のスキルで自分好みの料理が出来ないか試しているのだ。

 そこに順慶のパトロンとなった加藤図書助が挨拶に来る。


「おはようございます、筒井様。盛況で御座いますな」


「あ、図書助さん、来てくれたんだ」


「それはもう。新しい品を披露してくださると聞けば」


「じゃ、直ぐに準備するんで」


 今回、加藤図書助を呼んだのは新商品で店が出せるか意見を聞く為だ。出店は犬山なら恒興だが、他の地域は図書助なので、彼の意見は重要となる。


「これはニワトリの肉を揚げた物、『唐揚げ』と言う食べ物さ」


「『唐揚げ』……成る程、大唐の揚げ物という意味ですな。何という美味さ」


 唐揚げの作り方はシンプルだ。醤油を下味にして、小麦粉の衣を付けて揚げる。下味の部分で生姜を練り込むなど改良の余地はある。図書助は唐朝の揚げ物なのだと理解した。


「そして鶏肉と卵の餡をご飯に載せた『親子丼』」


「これまた美味い」


 もう一つの品物は『親子丼』。これは順慶に弟子入りした者達が、順慶のイメージから試行錯誤して作り上げた物である。順慶には卵をふわとろにし、ご飯に合う餡を作る事は不可能であったためだ。順慶には料理人としてのスキルは大した事はないのだが、戦国時代にはない発想がある。加藤図書助から紹介された弟子達の料理人としての腕前は確かなものだが、順慶の発想には驚き取り入れようと奮闘している。その第一弾として完成したのが親子丼である。


「この2品でお店を出せると思うんだ」


「確かに。しかし問題はありますな」


「どういう問題?」


 加藤図書助は唐揚げも親子丼にも舌鼓を打った。その事で順慶は店を出せると思ったのだが、図書助の反応は鈍かった。


「まずニワトリが少ない。そこまで市場に並ぶ物ではありませんからな」


「ええぇ、少ないのー?」


「ワシが知る限り、この辺りに養鶏場はありませんからなぁ。農村で10羽20羽飼っている程度かと」


 図書助が言う問題はニワトリが少ないという事だった。周辺に養鶏場は無く、安定して鶏肉や卵を手に入れる事が難しいからだ。

 農村ではそれなりにニワトリを飼ってはいる。しかし、その目的は卵を得る事、そして起床時間である明け六つを知る為である。なので卵はそれなり、鶏肉は少なめでしか市場に並ばない。安定供給が出来ないのに店を出しても維持は難しいだろう。


「よし!恒興くんに養鶏場を造って貰おう!」


「……確かに池田様なら可能ですなぁ」


 順慶は即座に解決策を思い付く。無いのなら造ればいいのだ、……恒興が。図書助は無茶を言うなぁと半ば呆れながらも、一応は可能だと賛同した。


「早速、行ってくるよ」


「吉報をお待ちしてますぞ。……それでもこれは、近江国より西には出せないでしょうが」


「?うん?」


「いえ、お気になさらず」


 今直ぐ、恒興と会って来ると言う順慶を図書助は見送った。その時、図書助は近江国より西には出せないと呟いた。それが順慶には気になった。


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 池田邸に来た順慶は恒興に面会を申し込む。今日は部屋に居るという事で、順慶は直ぐに通された。恒興の許可など取ってない早さだが、どうやら順慶は顔パスになっている様だ。おそらく恒興からそういう命令が出ているのだろう。という訳で、順慶は早速にも恒興の部屋に乗り込む。

 部屋には一人考え込む恒興が居たが、直ぐに順慶に気付いた。


「順慶か。ニャーに何の用……」


「養鶏場!養鶏場!さっさと建てろ養鶏場、シバくどー!」


「ああ?いきなり何を言ってんだニャ、シバき倒すぞ!」


 ちょっと順慶が調子に乗ってる感じがするので、ヘッドロックでシメておく。というか、今の恒興は少し虫の居所が悪い。


「痛ててて、恒興くん、何か怒ってる?」


「私事だ。お前とは関係ニャい。で、ニャんで養鶏場なんだ?」


 秒でシメられた順慶は恒興が不機嫌だと感じる。それを聞いても恒興は関係ないと素っ気ない。順慶は気にはなったが、それより養鶏場の話だ。養鶏場が無いと順慶の野望が叶わない。


「唐揚げと親子丼に鶏肉と卵をふんだんに使いたくて」


「もしかして新しい店のネタなのかニャ?」


「そうなんだよ。でも図書助さんがこの辺りに養鶏場は無いって言うからさ」


「確かに養鶏場は無いニャ」


 順慶が養鶏場に拘る理由を聞いて、恒興は新しい出店のメニューだと察する。まあ、恒興も順慶に促していたのだから無関係ではない。そして恒興が思い起こしても周辺に養鶏場が在るとは聞いた事がない。


「ていうか、恒興くんも図書助さんも養鶏場を知ってるんだね。ちょっと意外」


「養鶏は結構、昔からあるからニャー。今から約500年程前の鎌倉初期に、山城国の七条修理大夫ってヤツが一千羽のニワトリを飼ってたって話があるくらいだからニャ」


「おお、いいねー」


 順慶は恒興と図書助が普通に養鶏場を知っている事に驚いた。養鶏自体がこの時代にあるとは考えてなかったからだ。しかし恒興は養鶏はかなり昔からあると言う。早ければ渡来人が連れて来た家畜、遅くとも遣唐使となる。何故なら遣唐使で既に『唐揚げ』の製法を持って帰って来ているからだ。もちろん、寺が秘匿している技術だ。

 養鶏場に関しては恒興も知っている記録がある。それは鎌倉時代の『源平盛衰記』に、京都の七条修理大夫信孝が「白鶏を1000羽ほど飼育し、後に4500羽に増やしたが、付近の稲田を荒らした」という記述があるのだ。


「だったら何で養鶏場が無いのさ?」


「普通に考えろニャー。養鶏は儲かる。ニワトリは食料になる。周りには大名、豪族、山賊などの略奪者で溢れている。余程の後ろ盾が無い限りは壊滅しとるニャー」


「そうか。戦国時代だった、ここ」


 遥か昔から日の本で養鶏はやっている。では何故、養鶏場が見当たらないのか。答えなど簡単だ。略奪されて焼滅したからだ。文字通り、焼いて壊された。

 養鶏は鶏肉に卵を生産する。貴重な栄養源となる卵は大変重宝された。当然、儲かる。それを大名、豪族、山賊等の略奪者が見逃す訳もない。養鶏場も大名や豪族の後ろ盾を得たりはした。しかし結局のところ、世の中が大きく乱れる度に壊滅的な被害を被っただろう。そして養鶏場は姿を消し、農村で少ない数が飼われているのみになった。

 養鶏場が無い理由は理解した順慶。ついでに図書助が発した言葉についても恒興に聞いておく事にした。


「そういえば図書助さんに『近江国より西には出せない』て、言われたんだよねー。どういう意味なんだろ?」


「ああ、図書助殿は『食肉忌避』の事を言ってるんだろニャー」


「あ、聞いた事あるある!たしか今の人達ってお肉は食べないんだよね」


『食肉忌避』。これについては順慶も耳にした事があった。曰く、昔の日本人は肉を食わなかった。曰く、昔の日本人は肉を食べてないから身長が低かった等だ。そして歴史の教科書にはこれ見よがしに明治維新と文明開化、散切り頭にすき焼きが取り沙汰されるのだ。だから明治時代まで日本人は食肉をしなかったと勘違いされる要因となっている。

 因みに鶏肉消費量は慶長年間に急激に増えている。これは世の中が平和になって養鶏場が復活した事を示している。


「……ニャに言ってんだ?お前は毎日の様に肉食ってるだろうが」


「それは俺がお願いしたからじゃないの?」


「お前が欲しがっただけで市場に肉が置かれる訳ねーギャ。だいたいな、餓死が珍しくない世の中で、そんな贅沢言ってられんニャ。食える物は食う。これが答えだニャー」


『食肉忌避』に対する恒興の答え。それは『ある訳ない。食える物は食う』である。割りと目の前に『餓死』という現実と隣合わせなのに、そんな世の中を舐めた様な生活が出来るものかと恒興は言っている。つまり食肉は普通にしている。


「じゃあ、何で『食肉忌避』なんて言葉があるのさ?」


「食肉忌避自体はあって、仏教発祥ニャんだよ。お前の実家で肉料理が出た事は無いだろニャ」


「無いよ。そうか、仏教のせいだったのかー!」


『食肉忌避』とは仏教発祥の考え方である。仏教の五戒である『殺生戒』から来ているのだが、かなりの曲解である。仏陀は殺生を避けなさいとは言っているが、肉を食べてはいけないとは言ってない。というか、仏陀はお肉を食べている。自分で命を奪う行為を戒めているだけで、一般人には当て嵌めてはいないのだ。結局、弟子達の曲解でねじ曲がった仏教が日の本に入って来て、『食肉忌避』という考え方が広まった訳だ。ここから『生類憐みの令』が生み出される。生類は憐んで人間は憐まないとかいう法律だ。


「そういう訳で、お前の実家で肉料理が出る事はこれからもニャい」


「実家には絶対に帰りたくない!」


 順慶の実家である筒井家は興福寺系の僧侶が豪族となり大名化した家系なので、今でも僧侶の暮らしを守っている。当たり前の様に肉食忌避の考え方があり、それ故に今後も肉料理が出る事はないだろう。

 順慶は絶対に実家には帰らないと誓った。


「肉食忌避は仏教を学ぶ仏僧と仏教を重要視する朝廷で広まった話でニャ。それ以外では大して広まってはいない。知ってはいるから大っぴらに肉食ってるとかは言わないだけだニャー」


「そうなんだ」


「肉食忌避が非常に強い地域は朝廷がある山城国と神社仏閣の多い大和国だニャ」


「実家にはもう絶対に帰りたくない!」


 肉食忌避とは仏教を学ぶ僧侶と、唐朝の考え方(仏教の事)はカッコイイと思っている公家の間でしか流行っていないのだ。何しろ彼等は世の中を舐めていても生きていける『特権階級』だからだ。他の人間に肉食忌避をしている余裕は無いから食肉はしている。ただ特権階級の者に睨まれたくないから、食肉しているとか大っぴらには言わないだけだ。公家と僧侶の勢力が強い山城国と大和国が食肉忌避の本場と呼べる地域になる。更にこの二国では卵料理も忌避されていると南蛮の宣教師ルイス・フロイスが記録している。だから図書助は近江国の西には出せないと言ったわけだ。

 順慶はもう絶対に実家には帰らないと誓った。


「その隣接国もまあまあ強いから近江国より西、畿内は難しいって話ニャんだ」


「それ以外の国は?」


「気にしてないニャー。そもそも、そんな制限を課して生きられる人間なんて、公家か坊さんくらいだ。それ以外の人間にそんな余裕は無いニャ」


 朝廷がある山城国と寺院が多い大和国、その隣接国を離れると食肉忌避はほぼ無くなる。例えば、三好家支配下である阿波国勝瑞城しょうずいじょう館跡から牛馬に豚や鶏、鯨、犬や猫などの骨が数多く出土しており、普通に食肉していたなという発掘結果が出ている。犬や猫は愛玩用ペットだと思いたい。ただし、宣教師ルイス・フロイスは「日本人は犬を家庭薬として食べる」と記録している。

 では何故、日本人は食肉をしなかった、などと言われるのか?それは『記録』であろう。戦国時代以前の記録となると、どうしても公家と僧侶が大多数を占める。それ以外は戦国時代から漸く増え始めた感じだ。公家と僧侶は日常的に日記を付ける者が多く、それ以外だと権力者が権威付けの為に残した書物しかない。日記を付ける行為も文化の一部として独占されていたという訳だ。そして昔の公家と僧侶はかなりの権力者だ。彼等の前で堂々と食肉してますなどとは言えず、居ない場所で食べている感じだろう。食肉確実と発覚した三好家でも足利将軍の接待では鯨、鮭、ウズラあたりが使われていて、食肉忌避に配慮しているのが判る。魚や鳥は『生類憐みの令』でも出ないと禁止されないからだ。この時代だと鯨はデカい魚である。因みに商業捕鯨は戦国時代の四国から始まったらしい。


「この辺りだと兎、鹿、猪、鳥、魚が主な肉だニャ」


「その鳥にニワトリは含まれてないの?」


「無いニャー。これはあくまで狩猟の成果で、ニワトリは完全な家畜だ。農民が村で10羽20羽飼っている程度だからニャー」


「ニワトリを神聖視して食べない地域もあるらしいが、この辺りじゃニャい。たしか大和国の神社だったっけニャ?」


「実家には何が何でも帰りたくない!」


 結局は戦乱が原因となり商業牧場がほぼ壊滅。どの家畜も農村で細々と飼われている程度になった。例外は馬で、こちらは軍事の要として牧場は武家と結び付いている。まあ、馬は食用ではないが。その為、肉と言えば狩猟肉が主となる。

 また、ニワトリを神聖視する地域もあるらしい。ニワトリは朝に鳴くので明け六つを報せる有り難い鳥としている場所もある。恒興が言っている大和国の神社は石上神社の事である。

 それを聞いた順慶は何が何でも実家には帰らないと誓った。


「この辺りは数が少なくなっただけの話だニャー。だいたいお伊勢の女神様の大好物はアワビとニワトリだ」


 余談ではあるが、伊勢神宮の主祭神である天照大御神の大好物はアワビとニワトリである。年に一度、アワビを捧げる神事があるとの事だが、ニワトリの方はいつの間にか消えた様だ。なので伊勢神宮内でフライドチキンとか食べると女神様に睨まれそうなので気を付けよう。


「恒興くんなら養鶏場が出来るんだよね。何としても鶏肉と卵が欲しいんだよ。大量にさ」


「鶏肉と卵、……卵か。確かに欲しいニャ」


「そうそう、卵は栄養満点なんだよ。絶対必要だって」


 養鶏場を造るようにせがむ順慶。恒興もそれなりに乗り気だ。特に卵の方が欲しい様子だ。なので順慶も卵の良い所をアピールする。まあ、順慶の知っている事など、高が知れているが。


「そんな事、お前に言われるまでもないニャー。分かった、小牧の開発も再始動したし、ついでに養鶏場も造るニャー」


「いよっし!」


「ニワトリは図書助殿に集めて貰うとしよう。お前は店を出す弟子の選定だニャ。頼むぞ」


「まっかせといて!」


 恒興は養鶏場の建設を約束する。順慶発案の戦国フードコートの影響で、犬山は周辺から人が集まり、人手不足が大きく解消された。人々のやる気が上がり、犬山の経営利益は激増の予想となっている。これを受けて恒興は小牧開発の再始動を決定した。その小牧開発の一部として養鶏場も造る事にしたのだ。

 その為、順慶には店を出す料理人の選定を急ぐ様に指示を出す。選定を任された順慶はるんるん気分で部屋を出て行った。

 恒興は考える。養鶏場の施設は小牧に恒興が造る。ニワトリは加藤図書助が周辺の農村から余剰なニワトリを買い集める。店は恒興と図書助が用意する。料理人は順慶が選ぶ。あと残るのは。


「あとは養鶏場の管理者かニャ」


 残るは養鶏場の管理者だ。小牧は開発前なのでかなり広い土地が用意出来る。恒興の理想としては一万羽くらいの規模にはしたい。ニワトリは増やし易いので大丈夫だろう。しかし七条修理大夫信孝の様に周辺に被害を出してはならない。それなりに高い塀で囲む必要がある。ここまでの物になると専属の管理者と人夫を必要とする。人夫は雇えばいいが、専属の管理者は恒興の信頼がある人物でなければならない。

 そう考えた恒興は即座に目当ての人物を呼び出した。


「入江、度々呼び出して済まないニャ」


「いえ、お気になさらず。それでお話とは?」


 恒興が考えていた人物は親衛隊を辞めようとしていた入江高信である。親衛隊を引退したいという話をしてから、直ぐに呼び出す事になった。相変わらず生気の無い暗い顔をしている。


「うむ、急な話だが養鶏場を造る事にしたニャ。その養鶏場の管理者をやってくれ」


「え?それはいったいどういう……」


「ニャーが投資する養鶏場だニャ。信頼している者を配置したいんだ」


 恒興は回りくどい説明などはせず、真っ直ぐ本題に入る。この入江高信を養鶏場の管理者にするという事だ。突然の話に困惑気味の入江高信だが、その顔色は優れる事はない。


「申し訳御座いませんが、私は……」


「まだ死にたいのかニャ、お前。自分の子供を取り戻しもせず」


「っ!?」


 気付かれていた。そんな風に入江高信は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 恒興の読み通り、入江高信は死を選ぼうとしていた。その為に親衛隊を辞めようとしていた。戦場で死のうとすると、同僚を巻き込んでしまう。大和国の戦いでは自分を助けに来た仲間を危険に晒した。だから恒興の従者になる事も拒否したのだ。


「私はあの子を助けてやれなかった。あんな小さな手で私の助けを求めていたのに。あの子が戻っても、また同じ事になるのではないか。そう思うと、とてもまた子供をという気になれず。ならば私は何の為に生きているのか。あの子に謝りに行くべきではないかと。そう思い」


 入江高信は2歳の息子を救えなかった事を後悔していた。また子供を儲けても同じ事になるのではないか、そう考えると再び子供をとはならなかった。そして生きる気力を失い、死を求める様になった。死なせてしまった息子の所に行きたいと願う。

 しかし、恒興はそんな甘えは許さない。死んだ子供を言い訳に使うなと語気を荒げる。


「寝惚けた事をほざいてんじゃねーギャ。お前が自分の子供を閻魔大王から取り戻さないで、誰がやるんだニャ。もう、あの子はこの世に帰って来なくていいってか?巫山戯ふざけるのも大概にしろニャ」


 現代なら産まれて来る子供は別人というのが普通な考え方だ。しかし、戦国時代は輪廻転生が深く信じられている。その為、死んだ子供の魂が次の子供に宿るという考え方がある。

 後年の豊臣秀吉が好例で、彼は自身の後継者と目していた息子・鶴松が夭折した。秀吉は悲嘆に暮れたが、側室の淀君の懐妊を知ると、「鶴松が帰って来た」と大喜びしたという。そして産まれた子供には『拾丸ひろいまる』と名付けた。これは鶴松の幼名が『棄丸すてまる』だったからで、棄て子は強く育つという想いから来ている。しかし、鶴松はその幼名で夭折したので、秀頼には逆となる『拾丸』の幼名が付けられた。他人が呼ぶ時は『お棄様』『お拾い様』となり、『丸』は付けないで呼ぶのが普通となる。


「しかし……」


「だから養鶏場をやるんだニャ。養鶏をやれば卵が潤沢に手に入る。栄養滋養たっぷりな卵がたくさんあれば、きっと、きっと子供も育ってくれる筈だニャー!」


 入江高信が恐れているのは、子供が再び産まれても夭折してしまうのではないかという恐怖だ。それ程に男児の夭折は多い。その原因は未熟な医療と栄養不足であろう。

 恒興もそれくらいは分かっている。しかし未熟な医療はどうにも出来ない。出来るなら未だに祈祷などに頼ってはいない。だが、栄養不足は何とか出来る筈だ。そして目を付けたのが、順慶発案の養鶏場という訳だ。


「子供の夭折が無くなる訳じゃニャい。だが、かなり確率は下げられる筈だ。入江、ニャーの養鶏場計画に参加してくれ。大量の卵を作り、市場に卸して、子供達を救ってくれ」


「!私が、救う……?」


 卵があれば子供の夭折が無くなる訳ではない。しかし、卵があれば助かる子供は増える筈だ。子供が病気に対抗するには医療技術も重要たが、子供本人の体力も重要だ。その体力を付ける為にも卵は役に立つ筈だ。

 恒興は入江高信に願う。卵を大量に生産して、子供達を救ってくれと。彼の子供だけでなく、他の子供達も。

 恒興にとっても卵の獲得は重要なのだ。彼にも産まれたばかりの嫡子がいるからだ。妹のせんに比べると、兄の幸鶴丸は少しひ弱に感じる。ただの相対的評価ならいいのだが、万が一にも夭折などとなれば目も当てられない。だから恒興は養鶏場を造る事に最初から前向きだったのだ。子供達の為にも卵が欲しかったからだ。


「お前の嫁さんはまだ若いだろ。お前の子供だって取り戻せる筈だニャ。今度こそ、立派に育ててやるんだよ。入江!」


「……殿!やります!やって見せます!」


 子供を救う、というあたりで入江高信は目に生気を取り戻す。そして自らの使命を見付けたとばかりに大声で返事をする。


「入江ええぇぇ!!」


「殿おおぉぉ!!」


 感極まった恒興と入江高信はガシッと抱き合って叫んだ。後で「やかましい」と妹の栄から苦情が入る程に。

 という暑苦しい展開を経て、入江高信は養鶏場を経営する事になった。場所は小牧でも小高い森林の辺り。ここでは開拓の為に森が切り拓かれている場所で、木こり小屋を改装増築し、周りを木の壁で囲って養鶏場(未完成)を建造した。ここから順次、規模を拡大する予定だ。初期のニワトリは500羽。加藤図書助が周辺の農村から集めて来た。ここからニワトリを増やしつつ、養鶏場を増築しつつ、鶏肉と卵を市場に供給していく訳だ。

 それを我が城の様に見つめる二人が居る。入江高信とその妻である。


「あなたが生きる気力を取り戻されて、よう御座いました」


「お前にも迷惑を掛けたな」


「いいえ。頑張ってあの子を取り戻しましょう」


「そ、そうだな」


 あの子を取り戻す。それはつまり、今夜あたり、という意味である。そして夫婦向かい合い。


「あなた……」


「お前……」


「スマン、ニャーは出歯亀する気は無かったんだが」


「「と、殿!?」」


 突然やって来た恒興に邪魔された。いや、恒興も邪魔をする気はなかったのだが、昼間からそんな話をしているとは思ってなかった。


「何かあったのですか、殿?」


「ああ、養鶏場をやるに当たって治安は重要だからニャ。人間ならニャーと飯尾敏宗で対処する。問題は人間以外だニャー」


「ニワトリを襲う野犬やイタチですな」


 恒興が来たのは養鶏場の治安問題の件だ。養鶏場は儲かるしニワトリは食料になる。となると、略奪者が現れるのは必然という訳だ。大名や豪族といった者達には恒興が対処する。まあ、小牧周辺に織田家以外は無いが。ならず者や山賊は飯尾敏宗が治安維持として討伐する。

 残る問題は人間以外、野犬やイタチである。1匹でも侵入を許せば被害は甚大である。しかし、野犬やイタチは基本的に夜行性である為、人間では対抗出来ない。


「そうだニャ。そこで柘植衆の犬匠から訓練された犬を10匹ほど買う事にした。直ぐに来てくれるってニャー」


 そこで恒興は伊賀柘植衆の犬匠から犬を買う事にした。犬の売買はだいたい平安期に始まったとされる。この時に犬の売買で使われた価値の単位が『ひき』であり、後に『匹』となる。

 犬の売買が始まったのは、平安貴族の間で賢く美しい犬を飼う事がトレンドになったからだ。その為に犬を育てて訓練を施す犬匠という仕事が起こった。その後、公家は没落し犬は売れなくなる……事はなく、今度は武家の間で犬を飼う事がトレンドとなる。武家は賢く逞しい犬を求めたので、犬は山中で育てるのが主流となる。その為、伊賀衆や甲賀衆の仕事の一つとして犬匠がある。


「犬にニワトリを守らせる訳ですか。飼うのはいいのですが、犬が増えたらどうするんですか?」


「その時は犬匠が引き取ってくれるらしいニャ。訓練して売るんだろ」


「成る程、それなら安心出来ますな」


「犬匠が犬達を教育しに来るから受け入れだけ頼むニャー」


「はっ、お任せ下さい」


 今回、依頼した犬匠は購入した犬に主人となる人間、守るべきニワトリ、縄張りとなる養鶏場の事を教え込むとの事だ。因みに犬はオスメス合わせて10匹ほど飼う。なので、普通に仔犬は産まれてくるだろう。その場合は犬匠が仔犬を引き取ってくれるとの事。育ててまた売る訳だ。

 こうして恒興の養鶏場の経営が始まった。


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 恒興が養鶏場を造る事を、順慶は乃恵と乃々に話した。余程嬉しかったのか、順慶はかなり得意気になっている。乃恵としては主人である順慶の機嫌が良いのは好ましい事なので、そのまま持ち上げていく。


「凄いですね、順慶様。養鶏場まで造って貰えるなんて」


「フッ、これで我が隠されし野望の一つが成就するのだよ」


 持ち上げられた順慶は更に調子に乗り、何か作り物くさい偉そうな感じになっている。若干、失敗したかなと乃恵は思ってしまう。しかし順慶の野望というのは気になる。


「野望?それは何ですか?」


「それは至高の料理……『TKG』さ!」


「?何ですか、その『ていけえずい』というのは?」


「ふっ、乃恵さん、それはね。生卵をご飯に落として醤油と混ぜて食べる料理なのさ!」


『TKG』。それは日本人だけに許された至高の料理。生卵を熱々のご飯の上に落とし、醤油とかき混ぜて食べる物。順慶は恍惚とした表情で乃恵と乃々に語る。しかし二人の表情は険しくなっていく。特に『生卵』の辺りで。


「え、生卵……」


「お姉ちゃん、コレは止めた方がいいの」


「え、でも私が順慶様に意見するなんて」


「バカなの、お姉ちゃん。最悪の場合、順慶様が死ぬんだよ」


「そ、そうよね」


「もういいの、乃々が言う」


 生卵と聞いて乃恵は困惑、乃々は厳しい真剣な顔付きになっている。乃恵は身分の違いから順慶に意見する事を躊躇っている。そんな乃恵を乃々は叱咤する。そんな事を言っていたら順慶が死ぬと警告した。乃恵は13歳、乃々は7歳、どちらが年上なのか判らなくなる状況だ。

 いつまでも躊躇っている姉は放置して、乃々は自分で言う事にした。


「順慶様、生卵は止めた方がいいの」


「乃々ちゃん、人類の進歩はチャレンジからだよ」


「?……分かった。じゃあ、卵を一つ割ってくるから、それで判断して欲しいの」


 順慶に警告はしてみたが、訳の分からない答えが返ってきた。まあ、訳の分からない言葉は順慶の平常運転だが。という訳で、乃々は卵を一つ割る事にした。実物を見て判断してもらおうという事だ。


「持ってきたよ」


「う〜ん、見た目普通だけど」


「匂いを嗅いで欲しいの」


 乃々に促され、順慶は鼻を生卵に近付ける。


「匂い、ね。う?うげえぇぇ!?何この生臭さ!?腐ってるよ、コレ!」


 その瞬間、順慶は顔を顰めて後退る。その生卵は恐ろしい程に生臭く、食欲など消し飛ぶレベルだ。彼はその卵が腐っていると主張する。それくらいの気持ち悪い生臭さなのだ。


「順慶様、その卵は今朝の市場で買った物ですから、今日採れた卵ですよ」


「え?これで新鮮?」


「だから生卵はダメなの。火を通さないと最悪死ぬから。順慶様の為を思うとお出し出来ないの」


「そんな〜」


 そう言って乃々は生卵を火に掛ける為に台所に向かう。嘆く順慶を置き去りにして。

 順慶は勘違いをしている。日本で『TKGたまごかけごはん』が可能なのは、日本の卵が生産者や工場によって徹底管理されている安全な物だからだ。つまり生産者や工場で働く人々の努力によって、我々はTKGの恩恵に授かれるのである。

 こんな話がある。とある外国人が日本を旅行してTKGの美味しさに感動したという。その外国人は帰国してからもTKGが食べたいと思い、自分の国で材料を揃えて作った。そして……あまりの生臭さに吐きそうになったという。そう、日本以外では卵の品質管理をそこまで厳しくしていないのだ。だから欧米の人々は生卵を食べる日本人を見て、「正気なのか?」と感想を持つ訳だ。厳しい品質管理を行う日本の卵はTKGが出来るのだが、それも現代ならの話で戦国時代の卵で出来る訳がないのだ。一応、江戸時代にはTKGを食べる猛者が居たらしいが。

 こうして順慶のTKGの野望は潰えた。


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【あとがき】


 食肉忌避が強いと思っていた鎌倉時代初期の京都で養鶏場があったというのは調べてびっくりしましたニャー。その過程で信長さんの家臣である『入江某』さんが養鶏で財を成したという記録を見つけて組み立てた話になりますニャー。次は信長さんが京都からダッシュで帰って来ます。美味しい物があると聞けば、そして皇族関連で巨大なやらかしをしている恒興くんに文句を言いに来るという感じですかニャー。


 この小説の大まかな予定としては、この年の秋終わりから戦争し、冬に次男が誕生したら、時間を10年スキップさせる予定ですニャー。あ、今は春ですニャ。それまでに必要な人員を池田家に確保したり、順慶くん回をやったり、暫く日常回ラッシュとなりますニャー。スキップする理由は幸鶴丸くんが11歳になれば早目の元服が可能で、武蔵ちゃんが15歳で戦場に来れるからですニャ。瀬田で織田家の侍相手に大立ち回りとか、膳所の門に放火とか、長島僧兵27首とか、『人間の骨が無い』みたいに斬れるとか、岩村城一番槍とか、味方諸共射撃大会とか、三の丸から本丸へ総大将目掛けて一斉射撃とか、本丸突撃帰って来たら全身血塗れ(全部返り血)とか、そういうのか書きたい訳では決してないようなかんじがせんでもないようニャ……。人質返還は首だけね♡と仙千代くん岐阜城から紐無しバンジージャンプは無理っぽいかニャー。

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