幕府の存在意義

 池田恒興は政務所にて土屋長安から現状報告を受けていた。今、一番気になるのは、犬山の財政状況だ。筒井順慶の提案に全力で乗っかった感じではあるが、勝算はあると恒興自身も考えている。実際にどれくらいの効果が出ているか、商業的な専門家である土屋長安の評価を知りたいのだ。


「あれから労働者だけでも一千人は増えてるッス。職業斡旋所は連日、賑わってるッスよ」


「よしよし、噂が拡がれば更に期待出来るニャ」


「犬山の生産力は需要を満たしているとは言い難いッスからね。生産力を強化すればするほど利益増は間違いないッス」


 犬山で始めた戦国フードコートは順調に客を増やしていた。客とは一般大衆である。一般大衆が増えるという事は外部から犬山へ人が流入している事を示す。つまり戦国フードコートが流行っているなら、それだけ労働者が増えている計算になる。

 戦国フードコートで支払う物は貨幣になる為、大衆は貨幣を稼ぐ必要がある。貨幣を稼ぐなら犬山で仕事に就くのが早い。なので戦国フードコートが流行るという事は犬山の労働者が増えるという事なのだ。流民が犬山に来て、仕事に就いて、貨幣を稼いで、戦国フードコートで使う。という、犬山内循環が出来上がっている。そして皆の仕事の成果を犬山の外に売って利益を出すという仕組みだ。


「米の供給の方は大丈夫かニャ?ちょっと反響が凄いんだけど」


「信長様や織田家臣、織田家傘下の大名や豪族から買ってますから、年内は大丈夫ッス。問題は来年からどう継続させるかですが、濃尾勢ならたぶん大丈夫ッスよ」


「え?来年もやるの?ニャーは今年さえ乗り切れば程度に考えてたんだけど」


「え?やらないんスか?」


「……」


「……」


 二人は顔を見合わす。恒興は米の供給を続けないといけないのか?という表情。長安は始めといて今更何を言ってるんだ?という表情だ。

 世の常識から来る事だが、恒興は白飯がいつでも食べれるというのは贅沢が過ぎるのではないか、という考えだ。武士でも毎日白飯が食べれる訳ではない。だいたいは雑穀を混ぜて節約するものだ。だから恒興は白米供給を継続する気はあまり無い。あくまで今回で買い込んだ白米が資金に変われば良いと考えていたのだ。


「……殿さんがそう言うなら来年は止めますが、犬山の経営利益は5割減くらい覚悟して欲しいッス」


「そんなに!?マジかニャー」


「殿さん、民衆ってもんが理解ってないッスね。民衆ってのは、今ある生活水準が落ちるのは許せないんスよ。だから税とか物価とか上がると直ぐに一揆起こす訳ッス。ここの場合、白飯食えないなら犬山に居る理由は無いって去っていくッスねー」


 そんな恒興に対して長安は犬山の利益は半減する事を覚悟せよと警告する。そもそも民衆のやる気を上げてから落としたら、経済的被害は以前より酷いものになるのは当たり前だ。犬山に集まった出稼ぎ者や流民は離散していくし、犬山の民衆も恒興に対して失望感を抱くだろう。そんな状態で犬山の利益など上がらない。半減で済めば御の字だ。

 長安は民衆の生活水準を上げた責任を取らないといけないと説明する。


「えー?ニャー、これを維持しないといけないの?」


「殿さんがいきなり梯子外したら、筒井順慶様や加藤図書助殿が怒ると思うッス」


「順慶はどうでもいいけど、図書助殿はヤバいニャー」


 恒興が始めた事なのにいきなり止めたら、怒り出す者が出るだろう。筒井順慶や加藤図書助、その他順慶の弟子達と、割りと被害は大きい。


「備蓄米を売らなきゃ、割りと余裕ッスよ」


 池田家では年貢で納められた新米を1年間、蔵に保存している。理由は飢饉などに備えているからだ。なので毎年、新米と古米を入れ替えて、新米は保存、古米は売却という感じで回していた。池田家では軍備米は別に準備し、この新米には手を付けない。

 この辺は武家によって違うが、だいたいの武家は飢饉に備えているものである。この飢饉備蓄米を軍備米と勘違いして消費するアホンダラ大名も居たりはする。また、新米は売って古米を保存に回す所もある。

 土屋長安はその新米落ちした古米を売り払うのを止めればいいと話す。それこそ織田家臣や織田家傘下から買ってもいいのだ。


「そうだニャ、この辺は穀倉地帯だし大丈夫か。木曽川という暴れ川も治まりつつあるし。小牧の開発はどうニャ?」


「既に再開に向けて準備中ッス。作業員確保も進んでますんで、そこそこで再開出来る見込みッスよ」


「小牧の開発も進めば維持は容易いかニャ。足りなければ信長様から買うという手段もあるか」


 今回の米騒動の影響で止まっていた小牧の開発も再開出来る事になった。現在は犬山に来た流民から労働者を募っているところだ。

 恒興が白米の供給を止めれば、この労働者募集も頓挫する事になる。その辺りも理解した恒興は主君である織田信長に白米を融通して貰う事も考える。


「そういえば来る前に岐阜城務めの家臣と話したんスけど、信長様が岐阜城に戻ってるそうッスよ」


「信長様が岐阜城に戻ってる?ニャー、聞いてないんだけど」


 織田信長の名前を聞いて、土屋長安は思い出す。ここに報告に来る前に岐阜城に務める織田家臣と話した事を。彼によれば、織田信長が帰って来たらしい。突然の事で驚いたと世間話程度に話していた様だ。


「報せは無かったッスねー。その家臣に聞いたところ、信長様はどうやら公方様と揉めているらしいッス」


「は?ニャんで?」


「よくは知らないッスけど、今回の米騒動が関係しているらしいッスよ」


「ふーん、ニャー、ちょっと岐阜城に行ってくる」


「親衛隊に連絡しとくッス」


 岐阜城に信長が戻っていると聞いて、恒興は岐阜城に挨拶に向かう。理由も報せずに戻って来たので気になったのだ。何か深刻な事態かも知れないとも感じる。長安は親衛隊に連絡して護衛を出す為に部屋を後にした。


 その後、恒興は親衛隊を伴い岐阜城へ登城する。すると情報通りに織田信長が岐阜城天守に居る様である。岐阜城天守は織田信長が稲葉山城を占拠し、岐阜城へと改名した時に造らせた。その特徴は何と言っても『居住可能』という点だろう。天守という物は戦闘時にしか使用されず、普通は居住しない。麓に館を構えて政治するのが一般的だ。

 これ以降は居住出来る天守閣を持つ城が幾つも建築される。つまり織田信長が造ったから、皆が真似をしたと言える。では信長は何故、天守に住む事にしたのか?それは……分からない!である。というか、住む必要が何処に存在しているのかが、全く理解出来ない。信長の気紛れと言われても納得出来てしまう。

 天守を築く意味は理解る。これは支配のシンボルなのだ。周辺の大衆に「お前達の支配者はこんな立派な城を築けるんだ」と分かりやすく示す為だ。しかし、居住はしなくてもいい筈だ。

 そういえば犬山に天守を造るの忘れてたニャーと恒興は思う。在っても無くてもいいので優先順位が低かったのが原因かも知れない。

 恒興は信長への会見を申し込む。すると直ぐに信長の部屋へと通された。部屋に信長は居らず、恒興は暫し待つ。程なくして信長が部屋に戻り、恒興は平伏して主を迎える。


「おう、恒興か、久しいな」


「はっ、御無沙汰しておりますニャー」


 挨拶を済まして顔を上げる恒興。当然、目の前には織田信長が居る。のだが、何か怒っている。信長との付き合いが恒興ほどに長いと、怒っているのかご機嫌なのかくらいは見たら判る。

 この場合、笑顔だが怒っている。概ねご機嫌ではあるが、何かしら言いたい事があるといった感じか。そう、信長は恒興に言いたい事があるのだ。だから会見を申し込んで少しも待たされなかったのかも知れない。

 という訳で、恒興の方から聞いてみる事にした。


「あのう、ニャー、何か怒られる様な事しましたか?」


「分かるか?」


「まあ、そりゃ」


「お前、誠仁親王殿下を熊野に連れて行っただろ」


「あれ?ダメでしたかニャ?」


 どうやら信長が怒っているのは誠仁親王を熊野に連れて行った事らしい。これは恒興としても意外だった。誠仁親王の熊野行きは独断ではなく、信長も許可を出していたのだから。


「そうじゃねぇよ。お前は上野介で、殿下は上野守だ。上司と部下なんだから、オレが口を挟む事じゃねぇ」


「なら、何を怒ってるのですニャ?」


 信長は問われると誠仁親王の熊野行きについては問題は無いと答える。となれば、誠仁親王を連れて行く過程で何かをしたという事になる。恒興は考える、思い当たるのは『大安宅船』の事だろうか。しかし『大安宅船』の所有権は信長ではあるが、運用権は志摩水軍にある。造った以上、利益を生んで貰わないと困るからだ。


「……お前、何っつって殿下を連れて行った?」


「……えーと」


 問題は恒興が何と言って誠仁親王を熊野に連れて行ったか、らしい。何か言ったっけニャー?と恒興は頭を傾げる。恒興の様子を見て、信長は「ふう」と一息つく。


「まあ、聞けや」


「はあ」


 信長はそこまで怒っている訳ではない。ただ、恒興に何かを言う必要があるのだろう。これは少し長い話かも知れないと恒興は居住まいを正した。


「オレは少し前に正四位・参議に昇位したんだ」


「お目出度う御座いますニャー」


 織田信長は昇位して正四位・参議となっていた。参議の別称は『宰相』、他の者達からは『織田宰相殿』と呼ばれる事になる。


「それに伴い、重要な家臣には官位を斡旋した。林佐渡と佐久間出羽は既に受領名があるからいい。それで柴田勝家には『従五位下・修理亮』、羽柴秀吉には『従五位下・筑前守』、明智光秀には『従五位下・日向守』を与えた。丹羽長秀は断った」


「あー、丹羽殿は断ったんですかニャー」


 織田信長は正四位・参議になった事で、重要家臣にも官位を斡旋した。柴田勝家に『従五位下・修理亮』、羽柴秀吉に『従五位下・筑前守』、明智光秀に『従五位下・日向守』となる。家老の林佐渡と佐久間出羽は地元の神社から受領名を貰っているので無し。恒興は誠仁親王との関係を重視してそのままである。その中で丹羽長秀だけは官位の斡旋を断ったらしい。自分は五郎左のままでいいと言っているのだとか。


「困るんだよな、ああいうのはよ」


「そうですニャー。丹羽殿の家臣が大功を立てても、丹羽殿は褒美を受けてないのにお前は受けるのかって後ろ指さされますからニャー。家臣から辞退者が多数出ますニャ」


 丹羽長秀の行動は下の者から見れば「無欲で謙虚」との評価だが、信長からすれば堪ったものではない。上に立つ者が率先して褒美を受け取らないと、その下にいる者達まで褒美を受けられなくなるからだ。それこそ「お前の上司は無欲なのに、お前は欲深いのな」と罵られる破目になる。

 そんなバカな、と思うかも知れない。しかし、現代でも起こり得る事で、阪神タイガースのお家騒動の原因になった事もある。活躍していた中心選手が無欲で年俸アップを望まなかった為、他の選手が年俸アップを言えない状況が生まれた訳だ。それで他の選手の不満が溜まりに溜まって爆発したという顛末だ。活躍している選手はちゃんと年俸アップを求めなさいという教訓になっている。


「それだよ、それ。ったく、上に立つ者は率先して褒美を受けろよな。家康も同じ様な家臣が居て困ってるって言ってたな」


「そうニャんですか?」


「鳥居元忠とかいうらしい。コイツが『感状』を一切受けないってよ」


「うわ、感状なんて一番お手軽な褒美ニャのに」


『感状』というのは主君から渡される手書きの表彰状である。現代でも何かの大会で優秀な成績を修めたら貰える。それと同じ物で、飾るくらいしか用途は無い。一応だが、たくさん貰っていると再仕官する時に有利ではある。働き者の証明にもなるからだ。そして上司にとってはお手軽な褒美として多用されている。

 徳川家康の家臣に鳥居元忠という人物が居る。家康の人質時代から兄弟の如く付き従っている重臣だ。性格はTHE三河武士という感じで、一度言い出したら退かない。その彼が家康からの感状を受けないのだ。鳥居元忠の言い分は「感状が役に立つのは再仕官の時だ。俺は家康様以外には仕えないから要らない!」との事。この発言に家康は困り果てる。何しろ、現状の徳川家における鳥居元忠の序列はかなり高い。彼の上に居るのは家老で父親の鳥居忠吉とか酒井忠次、大久保兄弟あたりになる。その鳥居元忠が感状を受けなかったら誰が貰えるんだ?という話になるので、家康が困っているのである。


「話を戻すが、オレは正四位・参議に昇位した。任官の儀式は禁裏に参内して行った訳だ」


「おお、とうとう初参内になりましたニャー」


「ああ、しかも陛下にも拝謁したぞ。非公式ではあるがな。はあ、親父ももう少し長生きしてりゃあと思えてならんぜ」


「順調ですニャー」


 織田信長は正四位・参議に昇位した際に、正親町帝と会見したそうだ。正親町帝は御簾みすの奥に居て姿はほぼ見えなかったらしい。信長は父親の信秀が生きていれば喜んだだろうなと悔しがった。


「で、陛下がオレに言ったんだ。「そなたは朕の退位を考えている様だがまだ早い」とな。流石に目が点になっちまったんだがよ」


 その時に正親町帝から言われた事が問題だ。正親町帝は織田信長が自身の退位について考えていると聞いていたのだ。その事に関して一言言いたかったらしい。信長にしてみれば青天の霹靂どころではない。真剣に目が点になるという感覚を味わったとの事。


「え?た、退位ですかニャ」


「お前は誠仁親王殿下を正親町帝の熊野御幸の先触れとして熊野に連れて行ったそうじゃねえか。それは陛下の退位が含まれてるんじゃねぇのか?」


「……」


 正親町帝が何処から退位の話を聞いたのか?簡単だ、誠仁親王である。彼は恒興によって熊野に行った訳だが、その時に『正親町帝の熊野御幸の先触れとして誠仁親王が熊野に行く』という理由を使ったのだ。つまり正親町帝はいずれ退位して上皇になるという意味を含んでいる。

 つまり池田恒興は勝手に正親町帝が上皇になると決めた事になる。その事に今更気付いて恒興は冷や汗が止まらない。


「おい、猫。何か言え」


「ニャー」


「思考停止してんじゃねぇよ」


 信長に何か釈明しろと促されるが、とりあえず言葉も無い恒興であった。前世の記憶から正親町帝は退位を望んでいると知っていたので普通に使ってしまったのだ。


「まあ、いいや。話を聞いている限りじゃあ、陛下は前々から退位をお望みらしい」


「そうニャんですか」(知ってたニャー)


「何でも上皇位に登る事は歴代天皇の憧れなんだと。ただ、殿下はまだ11歳だから譲位は先って話だった。二条卿からは10年後あたりを目処に備えておく様にって言われたぜ」


 信長に注意をした正親町帝ではあるが、退位は望んでいる様だ。この辺りは恒興の前世の記憶通りである。その為、恒興が正親町帝の希望を先取りした形になっている。これが信長がそこまで怒っていない理由でもある。


「今回は結果的に良かったが、あまり勝手な事すんなよ」


「ニャー」


「思考を人間に戻しやがれ」


 正親町帝の退位は信長からすれば驚きでしかない。しかし、正親町帝からすれば、よくぞ言い出してくれたと喜ぶべき事だ。上皇位に登る事は天皇位にある者の悲願とまでなっている。幕府に要求し続けてきたが、ここ100年近くは誰も上皇になれていない。それを織田信長がやるというのだから、正親町帝は終始ご機嫌であったという。

 その事は朝廷内の誰もが知るところとなり、公家界における織田信長株が密やかに上昇しているらしい。正親町帝との会見に同席した関白の二条晴良からは10年後くらいを目処に考えておくようにと言われた様だ。

 10年後なら誠仁親王は二十歳を越える。正親町帝は50代後半になるので引退もおかしくない年齢になっている。


「結局、足利幕府政権下で上皇になれたのは足利義満の時代が主になるらしいな」


「初代の足利尊氏の時に3人の上皇が居たはずですが、その方々は数えないのですかニャ?」


「その3人の上皇はどうやら儀式を行っていないらしい。まあ、戦争ばかりしていた足利尊氏に儀式を行う余剰資金は無かったんだろうな」


 その実、『上皇』という位は天皇位から退いた場合の尊称であり、上皇になる為の儀式を行ったかは問題ではない。つまり何ら儀式をしていなくても天皇位から退けば、勝手に上皇と見做される訳だ。これには『廃位』まで含まれる。

 足利尊氏の時に光厳上皇、光明上皇、崇光上皇の三人がいる。光厳上皇は後醍醐天皇の復権による重祚で廃位されたが、それ以外は足利尊氏の都合だけで即位退位を決められて、挙げ句の果てには南朝側に降伏した足利尊氏によって即位すら否定される有り様だった。まあ、その降伏も尊氏が弟の直義を討つ為の方便である。そんな事は南朝側も分かっていたので、尊氏がいない間に京の都を強襲。三人の上皇は揃って捕縛され、南朝の後村上天皇によって廃位を宣告されて幽閉。この三人の上皇がいったい何をしたのか、と言いたくなる様な目に遭っている。


「足利尊氏といい、弟の直義といい、何でこんなに天皇家に対して反抗心が高いんだか」


「元々、鎌倉幕府は反朝廷派の巣窟でしたからニャー。その重鎮である足利尊氏は幕府を牛耳る北条得宗家が気に入らないだけで、勤王尊王の志があった訳ではないって事ですニャ」


 足利尊氏の弟、足利直義も兄に負けず劣らずである。何しろ、直義の実績の中には後醍醐天皇の皇子である大塔宮・護良親王の殺害があるくらいだ。しかも謀略で追い落としてから殺害という念の入り様だ。

 北条得宗家が倒された戦後、足利尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍位を要求した。これを阻止したのが後醍醐天皇の皇子である大塔宮・護良親王だ。対鎌倉幕府戦に参加していた護良親王は足利尊氏を危険視し、自分が征夷大将軍になる事で尊氏の野望を阻止した。

 その事で足利直義から兄の政敵として認識される。直義は謀略をもって、護良親王を追い落としに掛かる。まずは護良親王の部下からだ。彼は元々『天台座主』であった為、戦いの際も比叡山の悪僧を多く率いていた。そいつ等が護良親王の威を着て増長しない訳がなかった。案の定、京の都で横暴に振る舞った。

 これを足利直義は都の治安を預かる者として捕縛、尋問した。悪僧というのは暴力を振るう事は得意でも、暴力を振るわれる事には耐えられない。悪僧達は次々に護良親王の名前を出して直義を脅したのだ。足利直義はこれを以て悪僧を処刑し、彼等の首を晒した。大きく『大塔宮の部下』と書いて、その罪状を並べた。この行為に酷く体面を傷付けられた護良親王は激怒し、足利直義を罷免する様に動く。

 一方である悩みを持った女性が居た。名前を阿野廉子といい、後醍醐天皇の妃の一人であった。彼女は他の妃とは違い、後醍醐天皇が隠岐の島に流される時も傍を離れなかった。その為、後醍醐天皇から一番の信頼を得ていた。そんな彼女には三人の皇子が居た。しかし、その皇子達は次の天皇になれそうになかった。何故なら大塔宮・護良親王が居たからだ。鎌倉幕府相手に倒幕が成るまで戦い続けた護良親王の戦功は凄まじく、朝廷内では皇太子確実とまで言われていた。

 そんな悩める阿野廉子の所に武士が面会を申し出た。彼女は武士に会う気など無かったが、その者は面白い事を言伝していた。「大塔宮に関して、申し伝えたき議、此れに有り」と。この言伝に興味を持った阿野廉子はその武士・足利直義と会う事にした。

 そして足利直義は阿野廉子に訴えた。自分達は日々、帝の為に都の治安を守っているのに、大塔宮の部下である悪僧達が治安を乱す、と。その者達を罰すれば護良親王が邪魔をする。このままでは帝の都は無法地帯になると直義は言う。阿野廉子は(これで護良親王を引き摺り落とせる!)と直義の忠義に心から感じ入り後醍醐天皇に伝えると約束した。

 阿野廉子から事を聞いた後醍醐天皇は半信半疑だったが、信頼している妃が言うのだし調べてみる事にした。しかし調べて見れば出るわ出るわで、護良親王の悪評が都を埋め尽くす勢いだったという。足利直義の工作もあったのだろうが、そうでなくとも比叡山の悪僧が大人しくしている訳がない。護良親王の威を着て、京の都でやりたい放題だった。こうして事態の深刻さを知った後醍醐天皇は護良親王を征夷大将軍から罷免し幽閉するのであった。その後、護良親王は北条時行による鎌倉制圧のどさくさに紛れて、足利直義によって幽閉先の鎌倉で殺される事になる。

 これが足利直義の謀略力である。


「初代兄弟でそれですからニャー。幕府が成立するとマシにはなりますが、まともなのは足利義満くらいとはお寒い話ですニャ。そして応仁の乱以降はお察しですニャ」


 その後は足利義満の時に後光厳上皇、後円融上皇が、足利義持の時に後小松上皇と三人続けて上皇になっている。この時代は日の本が安定しており、朝廷にとっても比較的良い時期だったと言える。まあ、南北朝のゴタゴタはまだあったが。

 意外なのは足利義政の時に後花園上皇が出ている事だ。この頃の足利義政は征夷大将軍になったばかりでまだ政治に熱心だった。なので将軍の実績作りとして上皇になる為の儀式を行った様だ。しかし足利義政は次第に政治への興味を無くし、天皇の退位要請を無視する様になった。

 この後は皆様ご存知『応仁の乱』の勃発で幕府も京の都もボロボロ。朝廷は放置され、約100年ほど上皇は出ていない。幕府は儀式費用を極度に出し渋る様になり、天皇のまま崩御する事が続いた。挙げ句の果てには崩御した天皇が禁裏に放置された事すらある。葬式費用は出さないが、勝手に葬る事も許さなかったらしい。


「朝廷も幕府もいつまで引き摺ってるんだよ、はあ。上手く行かねぇなぁ」


「昇位したじゃニャいですか。正四位・参議は武家の最高官位で、それ以上は公卿になりますニャー」


 正四位は武家がなれる最高官位となる。これより上は従三位となり『公卿』という身分になる。なので武家の身分で貰える官位は正四位が限界という訳だ。


「朝廷はな。具教の尽力もあって、かなりの高位公卿とも知己になれたし。陛下もオレを当てにしている様子だしな。公家との付き合いも連歌以外は何とかなる。そういえば光秀のヤツは連歌が出来るから、最近はオレの代理をやらせてるぜ」


「ニャる程。それで日向守を与えたんですニャ」


「まあな、官位が無いと公家との付き合いはいろいろとな。お前もそういう理由で山科卿から斡旋して貰ったんじゃねぇか」


(ええ、殿下の金蔓としてですがニャー)


 公家との付き合いには官位が必要。これはその通りで、恒興も公家から蔑まれない様に官位を貰った経緯がある。官位持ちを蔑む行為は朝廷の権威を傷付ける事になるので、公家もやらないのだ。

 その為に織田信長は丹羽長秀、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀の4人に官位を斡旋したのだ。つまり信長はこの4人を京の都でこき使いたいからだ。後の京都所司代の前身を創ろうとしている。『所司』というのは足利幕府の侍所の長官の事で、信長の勝手には出来ない。なので『所司』の『代』わりを信長が勝手に設置するという意味だ。

 という訳で、信長は官位を断った丹羽長秀に強制的に官位を受け取らせるつもりだ。


「問題は幕府の方だ。最近、公方様との関係がギクシャクしてきてな」


「……」


「幕臣の細川藤孝が光秀を通じて、オレに警告をしてきたんだ。幕府内で反織田派が大きくなっているってよ」


 細川藤孝は明智光秀の昔の上司的な感じで、光秀が織田家に移籍した後も親交がある。その藤孝が最近の幕府内情を報せているという。

 細川藤孝は夢想家ではない、現実をしっかり見る政治家である。彼は『現状の』幕府の力の在り処を理解している。だから織田信長との繋がりは重要と考えている。


「という事は、細川藤孝殿は織田派となりますニャ」


「ああ、細川藤孝みたいのは何人か居るがな。反織田派の筆頭はどうやら『細川晴元』らしい」


「生きとったんですか、アレ!?てっきり三好長慶が処分したんだとばかり思ってましたニャー」


 細川藤孝によれば反織田派の筆頭は『細川晴元』。かつての管領・細川京兆家当主・細川右京大夫晴元で、あの畿内全域を焼け野原の廃墟にした『天文の乱』を巻き起こした男だ。恒興は細川晴元が生きていた事に驚く。てっきり三好長慶によって処分されたとばかり思っていた。

 当初、この細川晴元を足利義昭は遠ざけていた。藤孝もその様に進言してきた。しかし、最近は日に日に幕府内に彼の賛同者が増えて、義昭も彼の言葉を聞く様になっているという。これに危機感を覚えた細川藤孝が明智光秀を通して報せてきたという経緯となる。


「恒興、お前は幕府についてどう考える」


「信長様は幕府の為に戦っているのですかニャ?ニャーは信長様との『あの日の約束』を果たすべく戦っております。犬山の発展も『あの日の約束』に繋がる要素だと考えて頑張っているのですから」


『あの日の約束』。恒興が夢で見る程に信長と誓った事。人々が自分達の事ばかり考えて、他人を冷たく害する世の中を変えてやるという誓い。

 恒興は犬山の発展に尽力している。更に美食計画なるものを大衆向けに始めた。それは単に順慶に言われたからだけではない。全て『あの日の約束』を果たすのに必要だと感じたからだ。なので状況もあり試験的に始めた訳だ。


「それはオレだって変わらねぇよ。あの不愉快なもんをこの世から消してやるさ」


「なら、そこから考えて欲しいのですニャ。朝廷が必要がどうか、幕府が必要かどうか」


 信長自身も『あの日の約束』を忘れてなどいない。ならば、そこをゴールとして逆算して考えて欲しいと恒興は言う。朝廷は必要か?幕府は必要か?


「朝廷とは『秩序』です。この日の本に一定の法則をもたらしています。これを無くせば、日の本は未曾有の戦乱になるでしょう。誰でも天皇になれる、ないし肩を並べる存在になれるのですから。それこそ実力次第で誰でも皇帝になれた大唐の『五胡十六国時代』を再現する事になります」


「そうだな」


 もしも朝廷を無くしてしまえばどうなるか?恒興の答えは『未曾有の大戦乱』が起こる、である。日の本は戦国時代と言われていても、ある一定の法則は存在している。その法則を生み出しているのが朝廷なのである。

 朝廷の最頂点となる天皇位が無くなれば、或いは誰でもなれるとなれば、それは酷い争奪戦が起こる。結局、武力有る者が頂点に登り、更なる武力を持つ者が下剋上し、力が足りないなら寝首を刈る。騙し合いと人間不信の世界が出来上がり、権力者が信用出来ない者を皆殺す世の中が現出するだろう。それこそ中華王朝の大戦乱『五胡十六国時代』の様に、気に入らないというだけで、◯◯人だからというだけで軽く息をする様に一万人ほど生き埋めにする時代が来るかも知れない。

 朝廷を消滅させ、そこから新たな秩序を立てるまで戦うとなると、優に百年以上掛かる大仕事になる。信長と恒興の寿命が足りない。だから天皇制は維持した方が楽なのだ。

 この戦国時代でも藤原道長の呪いはしっかり機能している。権力の無い天皇位は特に魅力を感じないからだ。


「しかし幕府も『秩序』です。この秩序は武家に特化していますが、機能していますかニャ?源頼朝は武家を統率する目的で幕府を造りました。『幕の府』なのですから」


『幕』とは布の遮蔽物である。平安末期において野外に幕を張ると言えば軍の本陣を置く事に他ならない。だから源頼朝は鎌倉を『幕』という大きな軍の本陣に見立て、『府』という監督機関と成した。これが『幕府』の意味で、武家の監督を目的としていた。

 源頼朝は当初から東国武士の統率監督する為に鎌倉に幕府を置いた。彼が鎌倉に居を構えたのは、単に鎌倉が父親である源義朝の領地だったからだ。でなければ、鎌倉という地形防御皆無な場所に拠点を置かない。

 源頼朝が鎌倉に幕府を置いた理由はおそらく『統治政策』の一環だ。彼は日の本を一つの機関で統治するのは困難と考えた。なので中央を朝廷、西国を平家、そして東国を源家で治める事を計画した。その為に源頼朝は自らの傅役であった平上総介広常を粛清している。広常は平将門の信奉者で関東独立の夢を持っていたからだ。源頼朝は日の本を割る事は許さないと自らの行動で示している。

 この源頼朝の『日の本分割統治計画』は鎌倉に幕府を造った少し後に、後白河法皇へと提案された。後白河法皇はこの案を優れていると評価した。だが、平家を率いる平宗盛は源頼朝の首を父・平清盛の墓前に捧げると言い拒否した。こうして源頼朝は滅ぼす気も無かった平家を滅ぼす事になり、彼の『日の本分割統治計画』は破綻した。結果として日の本全体を源家の鎌倉幕府で治める事になり、源家自体は直ぐに滅びる事になった。


「しかし足利尊氏はそんな事は考えていませんでした。彼は鎌倉幕府を継ぐのは足利家であるべきと考え、赤の他人の北条得宗家が牛耳っている状況に我慢がならなかっただけですニャー」


 足利尊氏が何を考えていたか。それは定かではない。しかし、彼が征夷大将軍位に固執した事から、源家を継ぐのは足利家であるという理想を持っていたのだろう。源家と発祥を同じくし、幕府外部から源家を支える武家のNO.2が足利家だ。だから源家が絶家したのであれば、その基盤を受け継ぐのは足利家となる。武家的な考え方としては、おかしな話ではない。それが何の関係もない北条得宗家に奪われている形になっている。なので足利尊氏は『鎌倉幕府』を取り戻す為に『北条得宗家』を倒したいと考えた。だが、力が足りない。そこで目を付けたのが後醍醐天皇が持つ『錦の御旗』の力だった。これを得て『北条得宗家』を倒し、『鎌倉幕府』を取り戻す事が足利尊氏の望みであった。そう、足利尊氏は『倒幕』をしたかった訳ではない。


「足利尊氏は望みの物『鎌倉幕府の長たる証』が手に入るなら後醍醐天皇に尽くしたかも知れませんニャ。しかし手に入らなかった。ならば朝廷に価値などない、実力で成るのみ、と」


 新田義貞の意外な活躍などもあり、北条得宗家は早期に倒される事になった。しかし、これで足利尊氏の計画にキズが付いてしまった。後醍醐天皇に付いた武家の中で一番大きい勢力は足利家ではあった。だが活躍する前に北条得宗家を新田義貞に倒されてしまった。足利尊氏は一応の一番戦功だったが、後醍醐天皇から真の一番戦功とは見られなかったのだ。それもあってか征夷大将軍位を大塔宮・護良親王に奪われる形になる。これで新田義貞は足利尊氏の不興を買ってしまい、鎌倉制圧軍の実権を即座に奪われて追放された。だから新田義貞は後醍醐天皇の下に行ったのだ。まあ、後醍醐天皇から呼ばれてもいたんだが。その後、護良親王は弟の足利直義の謀略で失脚するが、それでも足利尊氏に征夷大将軍位が渡される事はなかった。

 この時点で足利尊氏は後醍醐天皇に見切りをつけたのであろう。北条得宗家の遺児『北条時行』による鎌倉制圧を機に関東へ勝手に・・・出征。そのまま鎌倉幕府の長の如く関東を差配し始め、後醍醐天皇との確執を深めていく。そして足利尊氏は廃位の件で後醍醐天皇を恨んでいた光厳上皇と手を組んで北朝を樹立する。ここから南北朝の争いが始まるのだ。


「そんな足利尊氏でも朝廷を消滅させる事はしませんでしたニャー。彼は『錦の御旗』の恐ろしさを身を以て知っていたからです。だから尊氏は『錦の御旗』を確保する様に動き、結果として天皇制を維持するしかなかった」


 実力主義の足利尊氏でも『錦の御旗』の力は侮れないと理解していた。だからこそ北朝を立てたり、南朝に降伏したりと『錦の御旗』を確保する事に終始している。まあ、『錦の御旗』を無くし大敗して九州まで逃げたのだから尚更であろう。

 しかし足利尊氏が権力を極め、自ら天皇位に就かなかったのは日本史における幸いであった。足利尊氏は力づくで天皇位ないし、それに類する位を作って天皇位を消滅させる事も出来たのだ。この事からも足利尊氏は『天皇』になりたい訳ではなく、『源頼朝』になりたかったのだと理解出来る。それを妨害する者達全てが足利尊氏の敵であった訳だ。

 足利尊氏の行動を現代風に言うと「俺を総理大臣と認めてくれないなら軍事クーデター起こしちゃうもんね。天皇位も俺を認めてくれる人に代えてやるぜ」と、こんな感じになる。うん、頭おかしい。結局、武家権力を極めたとされる源頼朝と足利尊氏の二人が例となり、武家は天皇位を侵す事はなく、現代まで続いているのである。

『足利尊氏』は『源頼朝』の跡を引き継いだ。というのが、武家の見解となっている。その為、『鎌倉幕府』は滅びてなどおらず、幕府将軍は『鎌倉公方』と名前を変えて存在している。まあ、そもそもは鎌倉幕府の皇族将軍が『鎌倉公方』と呼ばれていたのを引き継いでいる訳だ。これが理解出来ていないと、戦国時代に北条家が存在している理由が分からなくなるだろう。何せ、北条氏よりも伊勢氏の方がかなりの名家だからだ。北条氏綱が何故、伊勢の家名を捨ててまで北条家にしたのか?それは鎌倉幕府はまだ存在していて、幕府将軍たる鎌倉公方に仕える為だ。その為に北条氏を名乗り、「昔の様に執権として関東を差配します」と宣言しているのだ。関東において伊勢の家名は役に立たないが、北条の家名は役に立つ訳だ。それに対して関東中の武家が反発している構図になっている。

 結局の話、鎌倉幕府、室町幕府に本当のトドメを刺したのは『豊臣秀吉』という事になる。


「結局のところ、源頼朝なり、足利尊氏なり、実力を以て幕府という体制を築きました。しかし武家政権は維持するにも実力が必要ですニャ。将軍に実力が無ければ鎌倉幕府における北条得宗家、足利幕府における御連枝衆の様に取って代わるだけ」


 権威だの正当性だの後継だのと、いろいろ言ってきたが、結局は実力が無ければただの夢でしかない。実力が無いのに将軍となったところで、実力のある家臣の傀儡となるだけだ。鎌倉幕府における北条得宗家、足利幕府における御連枝衆と。その例に漏れず足利義昭は御連枝衆に取り込まれつつあり、細川藤孝が警鐘を鳴らしている。


「それならば実力を備えた信長様が幕府なり武家政権を築くべきとニャーは考えます。現在の公方様には実力が無い。ならば足利御連枝衆の傀儡にされるだけです」


「担いだ神輿を自分で降ろすのか」


「信長様が公方様の力になってもこの状況ですニャ。実力も無い足利御連枝衆が幕府内部でのさばり、反織田派を形成し公方様も巻き込まれてます。そんな権力闘争している時間は無意味ですニャー」


「それはそうだな」


 織田信長が理想のゴールに辿り着くのに、足利幕府は必要が無いと恒興は説く。足利幕府を立てる事で発生する権力闘争など、ハッキリ言って無意味なのだ。それならば権力闘争を生む足利幕府は解体して、実力のある織田信長が幕府なり政権なりを新たに発足させれば良い。その為の正当性は朝廷から貰えばいいのだ。


「信長様は武家最高位である正四位・参議です。次に昇位すれば織田家は『公卿』となりますニャ。ならば足利家とは肩を並べた事になります。これを以て政治構造の刷新を図るべきかと存じますニャー」


 恒興は現在の構図となっている『天皇−将軍−織田家』を『天皇−織田家』に刷新するべきと主張する。次に織田信長が昇位したなら従三位以上となるので織田家は『公卿』となる。そうなれば家格の差はかなり埋まる。足利将軍家に代わって政権を築く正当性の補強くらいにはなる。『征夷大将軍』は官位ではなく役職なので公卿でなくともなれるのではあるが。

 そもそも『天皇−将軍−織田家』という構図になったのは、あくまで信長が朝廷と縁が無く、帝に会うなど夢物語でしかなかったからだ。だが、今は朝廷で順調に昇位し、正親町帝から頼られる様になった。それなら『天皇−織田家』という構図に差し替える時が来たのだと言える。

 とはいえ、信長は相変わらず渋い顔をしている。やはり自ら担いだ神輿を降ろすのは気が引ける様だ。


「公方様はどうするんだ?」


「一度、何処かにお隠れになって貰います。その間に幕府を解体し、後に貴人として然るべき待遇で迎えます。こんなところが妥当かと」


 足利幕府は解体するとして、神輿である足利義昭はどうするのか。信長の問いに恒興は「隠れて貰う」と答える。『隠れる』というのは貴人に使う隠語で、意味は『追放』か『逃走』に用いる。


「斯波の御当主と同じく追放か、はあ」


「あの人、何時迎えに行きます?居場所は知ってますニャ」


 信長が言う『斯波の御当主』とは元尾張国守護大名の斯波家当主・斯波義銀の事である。一応、織田信長にとっては主君の主君に当たる。今となっては意味の無い話ではある。

 尾張守護代の織田信友が主君である斯波義統を討った際に、斯波義銀は織田信長を頼り織田信友を倒した。しかしその後に今川義元と手を組む動きが見られた為、織田信長によって国外追放処分になっている。現在は河内国畠山家に身を寄せている。


「怒ってるだろうしなー」


「大丈夫ですニャー。ド貧乏生活が身に沁みてますから、捨扶持与えれば喜びますって」


「じゃ、頼むわ」


 恒興は信長の元主君である斯波義銀を迎えに行く許可を得る。信長が幕府と対決するのであれば、斯波義銀は回収しなければならない。それは何故か?それは斯波義銀が足利御連枝衆で三管領家で尾張国守護大名斯波家当主だからだ。この男を幕臣が利用しようとする事くらい当然だろう。

 なので恒興は斯波義銀を尾張国に連れ戻す事を考えた。彼が反織田信長の旗頭として利用されるのを防ぎ、織田家の監視下で隠居生活をして貰う為だ。


「……公方様もそうしろって事か」


「はい、幕府を解体する時に戦いは避けられませんので、公方様にはご避難頂く意味で追放すべきですニャー」


「分かった。それは俺から始める、手は出すなよ」


「はっ」


 幕府を解体となれば足利義昭は確実に反抗してくる。どちらにせよ、戦は避けられない。ならば、それを口実として追放する、いや追放という名の避難をして貰う。そして斯波義銀の様にほとぼりを冷ましたら、然るべき対応で迎える。この辺りが無難だろう。

 信長は自分から始めるので、それまでは手を出さないよう、恒興に釘を刺す。

 その時に部屋の外にいる岐阜城の家臣から信長に報告が上がる。


「殿、ご依頼の品が到着致しました」


「お、来た来た。持って来い」


 信長はそれを待っていた様で、直ぐに持って来る様に命令する。家臣は襖を開いて風呂敷に包まれている荷物を抱えて入ってきた。その荷物を信長の前に置いて風呂敷を広げると、中には木製の蓋付き丼ぶりが出てきた。


「こちらです」


「おう、下がって良し」


「ははっ」


 品物を見て満足した信長は家臣を下がらせる。


「ニャんです、それ?」


 何が入っているんだろうと恒興は思う。しかし中身は判らないものの、何処かで嗅いだ事のある匂いだなと感じる。不思議に思って信長に尋ねるも、彼は既に丼ぶりの蓋を開けていた。そして自らの腹を満たすべく飯を掻き込んでいった。


「こりゃ、美味ぇな。凄いわ」


 恒興の質問には全く答えないが、出てきた感想は「美味い」と「凄い」だった。どうやら信長の語彙力は何処かへ行ってしまったらしい。


「ふう、食った食った。とはいえ、たしかに美味いんたが、冷めてるのがなぁ」


「はい?信長様に冷や飯を出したですと?……ちょっと、ニャー厨房行って係の者達を叱って来ます」


 全部食べ終わってご満悦な信長。しかし彼は恒興が聞き捨てならない事を言う。何と、信長への料理が冷めていたというのだ。何たる無礼か、と恒興は厨房に行って説教してやると息巻く。


「止めろ。コレは厨房で作った訳じゃねぇ。買いに行かせたんだ」


「買いに?何処へですニャ?」


「『犬山』まで買いに行かせたんだよ、この『親子丼』ってヤツ。流石に犬山からだと冷めるわな。何故か・・・岐阜に店は無くてよぉ。どう思う、犬山城主?」


 信長が美味しそうに平らげた品物は『親子丼』であった。筒井順慶が考案し、つい最近に商品化が終わって犬山に店を出したばかりだ。

 それを織田信長ともあろう者が犬山まで買いに行かせたのだ。料理人を呼ぶとか他のやり方もあったろうに、最短で手に入る方法を選択していた。そして都合良く現れた犬山城主に見せ付けた訳だ。俺が冷や飯を食ってるのはお前のせいだ、と言わんばかりに。


「えーと、ニャーにご連絡頂ければ買って来ましたのに」


「問題はソコなのか?」


「……」


 恒興は言われれば買って来たと言い訳するが、論点が確実に違う。何故、犬山にばかり店を出しているんだ?と信長は言いたいのだ。


「なあ、恒興よ。何で犬山には店があって、岐阜にはねぇんだよ?お前は織田家の本拠地を何処だと思ってんだ?」


「もうすぐ安土に、ですニャー」


「まだ出来てねぇよ!」


 犬山だけではなく岐阜にも店があれば、信長は温かい『親子丼』を味わえたのだ。岐阜に料理人が居れば呼び出すのも容易な筈だ。

 犬山の他には熱田や津島、清須にも店を出し始めている。しかし岐阜には全く無い、計画も無い。


「とは言いましても、信長様の町にニャーが干渉するのは、と思いまして」


 理由は一応は有る。というのも、犬山は恒興の意向をかなり通せる町である。だから広い用地確保も出店も容易だ。熱田や津島、清須などの町は商人の力が強いので加藤図書助なら上手くやれるだろう。しかし岐阜は織田信長が一から造った町で、信長の許可無しに大規模な工事などは出来ないのだ。というか、皆がそう思っている。だから恒興でも手を出すのに躊躇している訳だ。


「皇統の継承問題に勝手に首突っ込んでる奴の言うセリフか?」


「ニャー」


「思考停止すんな」


 躊躇していると言う恒興に信長は最上級のカウンターパンチをお見舞いする。正親町帝の退位問題に勝手に首を突っ込んだヤツが何を言っていると。流石に恒興であってもぐうの音も出ない。


「いいか、恒興。岐阜と安土にも店を出せ。何か必要な措置があるなら全て講じろ。分かったな!」


「はいですニャー」


(今年限りのつもりが事業拡大ニャー)


 織田信長は岐阜とついでに安土にも店を出せと恒興に命じる。それに必要な措置は全て講じるようにとも。つまり白米の仕入れに関しても、信長が協力すると言っている。

 今回の米騒動を乗り切ればいいとしか考えていなかった恒興は、更なる事業拡大に乗り出す破目となった。


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【あとがき】


 鎌倉幕府って戦国時代まで存続してますニャー。これをしっかり認識してから関東の戦国時代を見ると、みんなは鎌倉幕府の実権を握る為に戦っているのが理解出来ると思いますニャー。だからこそ、『鎌倉』と『鶴岡八幡宮』を再建した北条氏綱さんは周辺の支持を得て勢力を順調に拡大出来た訳ですニャー。執権北条氏としての仕事をしてるねって民衆から評価されたって事ですニャー。


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