帰還する者 with閑話・石の価値

 池田恒興は河内国のあばら屋に来ていた。ここには斯波家当主である斯波義銀が在住している。その屋敷は見るも無惨に荒れ果てていた。

 理由は1年程前に畠山家が三好三人衆に惨敗し、斯波義銀を支援している場合ではなくなったからだ。それから斯波義銀はここでド貧乏生活をしている。妻や息子達が働きに出て、暮らしていくのはやっとという状況だ。因みに斯波義銀は働いてない。斯波家当主とかいう立場が邪魔をしているのかも知れない。

 部屋の奥に座る男に恒興は座礼にて頭を下げる。


「お久しゅう御座いますニャー、御屋形様」


「恒興か。久しいな」


 恒興は斯波義銀を『御屋形様』と呼ぶ。足利幕府が認める守護大名は全て『屋形号』を認可されている為だ。

 応えた男が斯波義銀。昔は立派な服装だったのだろうが、着続けた為か、かなりボロが目立って薄汚れている。まあ、着替えは最低限しか無いのだろう。余剰が有れば売って金に替えているはずだ。

 池田恒興と斯波義銀は顔見知り程度に知り合いである。毎度、織田信長の横に居たので義銀は恒興を覚えていた様である。


「して、何用か?」


「はっ。此度は御屋形様に尾張国へお帰り頂きたく参上仕りましたニャー」


「ようやく帰れるのか」


 尾張国に帰れる。この言葉を聞いた義銀は目頭を押さえ、肩を震わせた。このド貧乏生活が漸くにも終わるのかと感極まった様だ。それくらい堪えたと言う事だ。


「私は最初から信長に対抗する気など無かったんだ。でも義元の奴がしつこく使者を送ってきて。全部断ったのに、ううう……」


 斯波義銀は昔を語る。自分は織田信長と敵対する意思など無かったと。しかし今川義元はしつこく使者を送って来た為に、信長に疑われて追放された。義銀は今川義元が悪いと言いたい様だ。


(いや、アンタ、今川の使者と会った事を隠したじゃん。ハッキリしない態度だったから追放されたんだニャー)


 恒興の感想は違う。たしかに今川義元は使者をしつこく送っていたが、それを隠そうとしていたのは紛れもなく斯波義銀なのだ。同時に三河国の吉良義昭とも手を結び、海上から尾張国に今川軍を引き入れる。という計画が信長の知るところとなり、義銀は追放処分となった。


「今川家は斯波家から遠江国を奪って散々叩いたくせに、都合が良くなると親戚だと近付いてくる。挙げ句には追放。私がいったい何をしたというのか、お〜おおお……」


(何もしなかったのがマズかったんだってば。最低でも信長様を支持しますって宣言しないと)


 桶狭間の戦いより前の話となる。今川義元は尾張攻略に向けていろいろと手を打っていた。その一つが『斯波義銀の内応』であった。義元は「同じ足利御連枝衆として協力しよう」と義銀に持ち掛けていた。今川義元は駿河今川家、尾張斯波家、三河吉良家で足利御連枝衆同盟を結び、次第に織田信長を排除しようという策略を展開した。しかし斯波義銀は一味違った。義銀は義元に対してのらりくらりと返答を引き延ばして、彼を焦れさせたのだ。そして義銀の動向を気にする信長も焦れていった。最終的に義元は呆れ果て、信長は義銀追放に動いたという結末だった。織田信長と今川義元を手玉に取ろうとしたのか、その実はただの道化であった。つまり斯波義銀は勝馬に乗れる様に織田今川両方と交渉し、自分だけが最大限の利益を得られる様に動いていた、つもりだったというだけだ。追放後の義銀を今川義元が匿わなかったあたり、彼の呆れ具合が見える。これに加えて計画の件もあり、自称被害者の斯波義銀は追放処分となった。


 斯波家と今川家は結構前から仲が悪い。争っていたのは遠江国の支配権だ。遠江国は代々今川家が守護職を持っていたが、斯波義寛が幕府に働き掛けて遠江守護職を奪取する。それに怒った今川氏親が遠江国への侵攻を開始。義寛の跡継ぎである斯波義達と激しくぶつかる。

 という訳で、遠江の地にて斯波家と今川家の軍勢が並ぶ。兵力は斯波家優勢。率いるは斯波軍大将・足利御連枝衆三管領斯波家当主・斯波義達。対する今川軍大将は今川家当主名代・伊勢早雲庵宗瑞である。……え?勝負見えたって?まあ、その通りで伊勢早雲庵宗瑞、後に『北条早雲』と呼ばれる男の圧勝だった。

 負けた斯波義達は再度遠江国奪回を計画するが、家老の織田大和守家当主・織田達定に反対される。なので、斯波義達はムカついて織田達定を殺した。この2代後が斯波義統を殺した主殺しの織田信友であり、理由が無かったとは言い切れない。尾張国内の反対派を粛清した斯波義達は意気揚々と遠江国へ出陣。

 という訳で、遠江の地にて斯波家と今川家の軍勢が並ぶ。兵力は斯波家優勢。率いるは斯波軍大将・足利御連枝衆三管領斯波家当主・斯波義達。対する今川軍大将は今川家当主名代・伊勢早雲庵宗瑞である。……え?またかよ?勝てる訳ないじゃん(笑)。何故、伊勢宗瑞が大将として出張ってくるのかというと、彼が今川氏親の叔父に当たる人物だからだ。

 こうしてあっという間にボコられた斯波義達は今川軍によって捕縛されてしまう。斯波義達は今川氏親の温情で命は助かったものの剃髪、強制的出家、4才の息子・斯波義統に家督を譲らされて解放された。家老を殺してまで遠征してあっけなく敗けて捕縛されて温情で助命されて坊主になって帰ってきた。考えうる最悪の結末により、斯波家の権威は奈落の底まで落ちた。この辺りから織田弾正忠家の活躍が始まる。斯波家の威勢は地の底まで墜落し、織田大和守家は当主が代わって混乱。その隙を突いて織田信長の祖父・織田信定が勝幡や津島制圧に動くなど独自に動き出した訳だ。


「……それで、信長はもう怒っておらぬのだな?尾張に入ったらグサッとかないよな?」


「信長様がまだ怒っているのなら、ニャーはここには来てませんニャ。代わりに侍の集団が刀持って来てますよ」


「ひいぃぃ」


「だから大丈夫ですニャー」


 織田信長が怒っていたら侍の集団が刀を持って来ている。恒興が来たという事は信長はもう怒っていないという意味なのだが、義銀は震え上がる。恒興としても脅したつもりはないのだが、斯波義銀は極度の臆病なのだ。だが、兵を率いる立場にある者が臆病というのは、それだけで罪である。


「私はもう誰とも争いとうない。誰にも利用されとうもない。安穏と暮らしていたいんだ。うう、貧乏ももう嫌だ。助けてくれ恒興、後生だ〜」


(本当にこの人は戦国に向いてないよニャー。)


 何故、恒興がこの斯波義銀を連れ戻そうと信長に進言したのか?それは斯波義銀が足利御連枝衆だからだ。織田信長が足利幕府との対決姿勢を深めれば、当たり前だが幕府も対抗措置を取る。その対抗措置に斯波義銀はうってつけの人物である。当然ながら幕臣達は斯波義銀を誘っている。

 それに対して斯波義銀はまたしてものらりくらりと返答を引き延ばしていた。ド貧乏生活しながら。

 というのも、義銀は足利義昭が織田信長に斯波姓を勧めた事を聞いており、幕府に同調したところで利用された挙げ句に捨て駒にされる未来しか見えてないからだ。それに比べれば、信長は昔に敵対した者達を赦している。織田伊勢守家当主だった織田信安や織田信賢に帰国を許し楽に暮らせるよう扶持を与えたという。それならば自分もそろそろ赦して貰えるのではないかと義銀は考えたのだ。追放原因を作った今川義元はもういないのだから。そして早々に恒興がやって来た訳だ。


「ご安心下さい、御屋形様。信長様より捨扶持を頂いておりますれば、清須近くでごゆるりとお過ごし下さい」


 斯波義銀の捨扶持には一千石を用意している。斯波家は織田家の主家筋という事で多めに用意した。


「そうか、尾張国に帰れるのか。ならば私は斯波姓を名乗るのは止める。これからは『津川義近』と名を改める」


 尾張国に帰るにあたって、斯波義銀は名前を『津川義近』に改めるという。斯波家当主という肩書きを捨て、織田信長の主面はしないと宣言している。そして足利御連枝衆とも縁を切るという事だ。


「それがよう御座いましょう。では斯波家は御子息にお譲りになりますかニャ?」


「いや、息子達も斯波姓は名乗らせぬ。不幸にしかならぬわ」


 恒興は斯波義銀が斯波家当主を子供に継がせるのかと思った。だが義銀は子供にも継がせないと言う。


「では、斯波家は絶家となりますニャ。それでよろしいので?」


「そ、それも御先祖様方に申し訳ないというか……」


「?じゃあ、どうするんですかニャ?」


 斯波義銀が当主を辞めて、その息子達も斯波姓を継がない。そうなると尾張斯波家は絶家という事になる。因みに奥州に斯波家が残っているので、斯波家が完全に絶家する訳ではない。あと羽州最上家も斯波家の分家である。


「恒興よ、斯波家の当主にならぬか?」


「お断り致しますニャ!」(とんでもない物をぶん投げて来んじゃねーギャ!!)


 義銀は恒興に斯波家を継がないか、と提案する。能力と実績が有る者に渡してしまおうと考えている様だ。そうする事で義銀は家を断絶させたというそしりから逃れようとしている。

 しかし、恒興はノータイムで拒否する。あの足利御連枝衆と付き合うなど、ただの迷惑でしかない。爆弾に着火してから投げて寄こすな!という思いだ。

 結局、斯波家の名跡は織田信長の子息の誰かにするという感じで決着した。まあ、名家の名跡には違いないし、足利幕府を解体し終われば問題は無いだろう。そう恒興は信長に報告する事にした。


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 恒興が斯波義銀の帰還に伴う一連の些事を終わらせて犬山に帰って来た。池田邸に帰って来ると恒興の部屋で筒井順慶がくつろいでいた。


「ニャんでお前がニャーの部屋に居るんだよ?」


「お帰りー。絵の具の事を聞きに来たんだけど、もうすぐ帰って来るって言われたから待ってた」


 どうも絵の具の購入の件で恒興を訪ねて来たらしい。絵の具が無いと恒興が注文している襖絵が完成しない、という事を言いたい様だ。

 とはいえ、順慶もそこまで気にしている訳ではなく、最近はいろいろと忙しい。恒興さえ良ければ、作成を後回しにしようと思っている。

 恒興は順慶にこれまでの経緯を問題無い範囲で話す。


「へぇ~、それで出掛けてたんだ」


「ああ、後は捨扶持の準備してたんだニャー」


「ふ〜ん」


「興味無さそうだニャ、順慶」


 恒興は世間話程度に何をしていたのか話す。斯波義銀と家族を尾張国清須まで連れて来て、住む屋敷と召使い達の紹介や信長から与えられた捨扶持の説明などをしていたと話す。大人しく聞いていた順慶だったが、特に興味は無い様だ。


「いや、というより『捨扶持』って、何?」


「捨扶持っていうのは本人にのみ与えられる不労所得の事だニャ。相続も出来ないぞ」


 順慶は捨扶持が何か知らなかった。相変わらず戦国時代の常識に疎いな、と思いながら恒興は順慶に説明する。

 捨扶持とは本人にのみ与えられる不労所得である。相続は不可能で死去にともない信長へと返却される。もし、内縁の妻がいる場合は『化粧料』として再度、与えられる事がある。恒興の母親である養徳院桂昌も信長から1500石もの化粧料が与えられている。そして捨扶持は非課税となるので決まった収入を必ず受け取れる。


「不労所得……生活保護って感じ?『健康で文化的な最低限度の生活』ってヤツ」


「は?『最低限度』だと?お前は一千石がどれくらいだと思ってるんだニャー」


 不労所得と聞いて順慶は現代にある『生活保護制度』かと考える。しかし『最低限度の生活』という言葉に恒興は反応する。そんな訳がないだろうと。

 この順慶の反応から、彼は『石』の価値が理解出来ていない。この『石』を巡って、何れ程の武家が殺し合い、何れ程の人々が死んでいくのか。


「いやあ、大名って何十万石って言うじゃん。あと『百万石〜』とか?千石だったら大した事ないかなーって」


「何処だよ、百万石って。お前な一千石以上は『千石取り』って言って、富豪の証ニャんだぞ」


「ふーん、そうなんだ」


 あくまで順慶のノリは軽い。順慶が居た現代ではTVやゲームで「何十万石」「百万石」という言葉が軽く使われている為に、彼はそれ以下は大した価値が無いんじゃね?と考えているのだ。


「理解ってないニャ。お前の前世で成人男性の1ヶ月の『食費』の最低限はどれくらいだニャ?成人男性は普通に働いているヤツな」


「うう〜ん、1万円くらいかなー。いや、よく知らないんだけどさ」


 順慶の考えはテキトーでしかない。「一日3、400円あればギリギリ何とかなるんじゃね?外食とか出来ないけど」的な計算である。まあ、世の中には更なる猛者も居るらしいが。

 『石』とは成人男性一人が1年間生き延びる事が出来る米の量だとされている。あくまで建前で、当てに出来る量ではないが。

 そもそもなのだが、日の本の税制というのは『貫高制』である。全ての収入に対して金銭的価値に換算して取り立てる額を固定するというシステムだ。これには大きな欠陥が有り、不作凶作でも税金が変わらない。故に凶作一回で大量の餓死者を出す。戦国時代くらいになると、これはおかしいんじゃね?という考えが出て来る。上位者の押し付けに対して下剋上が起こっているからだ。そして織田信長は織田家全体で石高制という収穫量に対して税金を変動させるシステムを導入する。だがこれにも欠陥は有る。まだ未発達なシステムたからだ。


「1万円……ね。そういう単位なのか。じゃあ、その千倍が月収になるニャ」


「え!?月1000万円?年収じゃなくて!!?えええぇぇぇーっ!!!!?」


 まあ、一概に千石がこの一万円の千倍の価値とは言えず、戦国時代の民衆は米に関してはもっと倹約している。それは非課税の食べ物があるからだ。山菜や海産物、畑の野菜などである。何故かと言うと、石高制では『米』と『特定作物』くらいしか把握が難しいからだ。

 非課税作物でも金銭に替えると課税対象になる。つまりは市場に持って来たら税金が発生するという事だ。だから寺社の門前市が流行る。大名や豪族の税金より安いからだ。これも寺社の資金源となっている。これは織田信長が『楽市楽座』を考えた背景になっている。


 農民への税は大名豪族によって違うが、基本は『米』『特定作物』『賦役』となる。他に、場所によっては『段銭』という田畑の広さで課せられる税や『棟別銭』という家屋に課せられる税も有る。金が取れそうなら何でも税金にするのが支配者というものだ。

 この『段銭』の計算を取り入れているのが関東の北条家である。北条家は税率が基本『四公六民』と安い事で評判なのだが、『段銭』であるが故に田畑全てに課税しており、非課税作物だろうが課税しているので、その実は大して税金が安くはないという結果になる。おそらくだが『六公四民』くらいにはなっている。まあ、戦国時代では安い方かも。


「相続出来ニャいから使い切れよ」


「貯金しちゃダメなの!?」


「ダメだニャ、金銭は相続不可で死後に没収する。何かしらの物に換えろ。それなら形見として相続出来る」


 因みに捨扶持による金銭収入は相続不可。ただし物品の場合は形見相続を認める。素早く言えば、恒興の言う通り『使い切れ』という事になる。貯金しても無駄なので、斯波義銀は月に1000万円を使わなければ損が出る。

 恒興の母親である養徳院桂昌は尼寺や女児を対象にした学問所に投資している。彼女は無理に物品を買う事に意味は無い。恒興に残す物は池田家の遺物のみで既に継承済。思う存分、自分の好きな事に投資している。彼女の収入は信長からの化粧料なので、恒興が口を出す権利は無い。一切、無い。


「俺も捨扶持欲しいな〜」


「冗談言うニャ、大和国大名。筒井家は10万石近くあるだろ。測った事はニャいだろうが」


「そんなに金持ちな感じがしないんですけどー!?」


「そりゃそうだニャ。ニャーが20万石近い所領を持っていても、その中には池田家臣の給料も全て含まれているからニャー。20万石全てがニャーの思いのままって訳じゃねーギャ。ま、千石より少ないって事はないけど」


 池田恒興は小牧の開発も終われば20万石に届く見込みだ。20万石となれば一千石は足下にも及ばない。数字の見た目は。しかし恒興の20万石は池田家臣全ての給料も含めた数字であり、20万石分を好きに使える訳ではない。それに比べれば、斯波義銀は個人で一千石であり、管理も使用人なども信長が費用負担している。まあ、使用人というのは『見張り』も兼ねているので信長が雇っている。


「いーなー」


「順慶、お前も大名なら覚えておけニャ。『金』は『力』だ、『力』は『大きく』なきゃ意味がニャい。だからニャーは日々倹約には気を使っている。いざという時にデカい力を使う為だ」


「け、倹約しろって事?」


 恒興は順慶に金の使い方を教示する。これは人の上に立つ者、付いて来る家臣を養わなければならない者の心得だ。真の金持ちは身の丈に合った贅沢しかしないものだ。必要以上の贅沢をしている者はただの『金持ちに見られたい人』だ。承認欲求なのだろう。

『金』は『力』、『力』は『大きく』なければ効果が薄い。だから『金』という力を極力溜めて、いざという時に惜しまず放つ。これくらいしないと成功するものも成功しないぞと恒興は語る。今回の順慶の思い付きが成功したのだって、恒興が溜めていた『力』を全力投資した結果だ。順慶一人では大した成功はしなかっただろう。

 切り詰めた生活の予感に戦々恐々とする順慶。彼の性根は有れば使ってしまう小市民である。


「……いや、お前はいいニャ。倹約は大切だけど、貯金ばかりしてても経済が回らん。ただ、絵の具の購入は暫く控えろ」


「いいよ。最近は道場とか弟子とか忙しいし。でも何で絵の具限定?」


 語った恒興だったが、13歳の順慶に大名を心得を押し付けるのは早いかと思い直す。彼はまだ自分の領地を治めてはいないのだから。それに恒興が倹約する事を美徳としているから、あまり金銭を使わない傾向がある。しかし、貯金ばかりしていても民衆の経済が回らないので、順慶を制限するのは止めておこうと考える。しかし『絵の具』の購入だけは控える様に伝える。


「あれは興福寺から買ってるだろ。そろそろ価格が下がるから、下がってから買えって事だニャ」


「下がる?」


「ああ、油の価格をニャーが破壊したから比叡山から悪僧が消えて、寺の秘匿技術の民間流出が始まったニャ。寺が独占的に製造していたあらゆる物が民間でも作られる。価格競争の始まりだ、あらゆる物が安くなるぞ」


 恒興は以前に油場銭を無くした上に、清油を流通させて油市場に革命を起こした。この影響で油場銭を大きな収入源にしていた比叡山の悪僧は困窮し、比叡山からの脱出者が後を絶たないそうだ。

 一概に悪僧といっても様々である。気紛れに暴れて贅沢している者もいれば、寺の工房で儲かる特産物を製造している者もいる。その特産物を製造している者まで流出しているのだ。この者達は生きていく為に寺の技術を民間の町衆に持ち込む。そして町衆でその特産物が製造され市場に出回れば、暴利を貪ってきた寺製品はあっという間に売れなくなる。そうなると寺も価格を下げざるを得ず、楽しい楽しい価格競争の始まりだと恒興は嗤う。

 そして、比叡山延暦寺はこの日の本で最も秘匿技術が多い寺である。この寺からの技術流出は全ての寺社に大打撃を与えるだろう。これを以て『町人文化』の開花の元となるのだ。


「ふーん」


「本当に興味なさそうだニャー」


 これについても順慶は大して興味が無い様子だ。恒興は呆れて嘆息するしかなかった。


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【あとがき】


 町人や商人になると、また別の税制になりますニャー。というか、生産品や場所代とかなり多岐に渡ります。

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