外伝 ウチの半兵衛くんが言うこと聞かなくて困ってます

 織田家の東濃攻略が始まり、森衆が多治見に入った日の夜。

 美濃と北近江の国境で関ヶ原の菩提山城『竹中家』と坂田郡(関ヶ原の隣)を広く治める鎌刃城『堀家』の間で戦争が始まった。

 竹中軍を率いるのは当主・竹中半兵衛重治1千2百。

 堀軍を率いるのは堀家家老・樋口直房2千。

 他に堀家援軍として佐和山城主・磯野員昌3千が駆けつけている。

 因みに堀家当主・堀秀村は幼少のため来ていない。

 この戦いはまず竹中軍と堀軍がぶつかり、磯野軍は急いで駆けつけようとしている状況だ。

 そして開戦から間も無く堀軍は敗退し後方へ退却中であった。


「ご家老様、我が軍は敗走中です。・・・予定通りに」


「うむ、ご苦労」


 報告に来た堀家の家臣は家老の樋口直房に予定通りと告げる。


「あの、よろしいのですか?」


「よろしいも何も我々は領土侵犯をした斎藤軍を迎撃、結果惜しくも敗走しておるだけ。これから後方で立て直すが何か問題があったか?」


「・・・いえ、何も」


 家臣は不安そうにしていたが当たり前なのだ。

 何しろ『戦ってない』からだ。

 なので敗走と言ってもただUターンしてきただけだし、竹中軍など何処にいるのかさっぱり解らなかった。

 そして味方である磯野軍には激戦だったとか至急救援をとか、明らかに味方を騙す報告をしていた。


「それより援軍の磯野殿は来たのか?」


「我々と敵の間に入り撤退を手伝うとのこと」


「そうか、予定通りだな。本当に」


 堀家家老・樋口直房は顔を歪めてニヤリと笑った。

 そう、これは全て竹中半兵衛の策略であった。

 直房がこの策略に乗ったのは竹中家との仲の良さだけではない。

 浅井家の宿敵六角家との国境を守る佐和山城主・磯野員昌は武勇に秀で武功もかなりある重臣である。

 彼は武功の少ない堀家を常日頃から見下した態度を取っており、堀家家老の直房は歯痒い思いをしていた。

 だから彼は磯野の体面に少しでもキズを付けておきたかった。

 更に言えば、これは斎藤家側からの侵略であり堀家は迎撃しただけである。

 ここで磯野軍がやられても堀家には一切責任は無いのだ。

 竹中軍は磯野軍を撃破した後、もう一度押し出した堀軍によって撤退する予定である。


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 一方の磯野軍は困惑していた。

 斎藤軍が堀軍を追撃しているのだろうとその間に入ったのに影も形も見えなかった。

 だが磯野員昌が困惑していると四方八方から伏兵が現れ、部隊はたちまち大混乱に陥る。


「クソっ!!どうなっている!何処からこんなに兵が!?」


 員昌もまた混乱した、斎藤軍は堀軍を追撃中ではなかったのか。

 追撃中の軍勢が伏兵になっているのはどういうことだと。

 彼は兵に統制を取り戻そうと懸命に事態の収拾に当たるが、この暗闇の中では敵がどのくらいの兵数なのか全く分からない。

 まるで包囲されている様に攻撃を受けているため誰も彼もが逃げ惑っているのだ。

 どんな強者の兵士でも死ぬために戦っているのではない、誰しも生きては帰りたいものだ。

 だからこそ『退路』は重要であり、塞がれると恐慌しやすくなる。

 ・・・特に今回の様な『有利な状態での楽な援軍』だと尚更だろう。

 決死の覚悟をする様な戦いではないからだ。

 兵数から言っても浅井軍5千vs竹中軍1千強なのだから、兵士達も楽な戦いだと高を括ってしまったのだ。

 そこに予想外の攻撃を受けている、兵数が解らない、包囲されて退路が塞がれたという要素が重なり収拾が着かなくなったのだ。

 そんな様子を戦場から少し離れた小高い山頂から見下ろす青年がいた。


「猛将磯野殿ですか、何とも判りやすい行動ですね」


 下の戦場で蠢く篝火を見ながら一人呟く。

 そして線の細い印象を受ける青年は横に用意してあった高く積み上がった組み木に火を着ける。

 木には油がかかっていた様であっという間に燃え上がり闇夜を煌々と照らす。


「おかげで効率良く伏兵を置けました。『十面埋伏』です、しっかり味わって下さい」


 そう言ってその青年、竹中半兵衛重治は夜の闇の中に入っていった。

 そして山頂の篝火に呼応する様に竹中軍の伏兵は一斉に姿を消した。

 その後磯野の軍勢は伏兵が引いたので一旦退却し後方で立て直すも、退却先でもう一度伏兵に襲われ壊走した。


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 この後、堀軍が押し出し竹中軍は撤退となった。

 これを受けて小谷城の浅井家当主・浅井長政は斎藤家に対し絶縁状を叩き付けた。

 これで浅井家が美濃進攻の大義名分を手にしたが浅井家にもそんな余裕はなかった。

 最前線の佐和山城主・磯野員昌の壊滅は宿敵六角家の進攻の呼び水になってしまったのである。

 兵が減り士気もどん底まで落ちた佐和山城は直ぐに陥落、浅井長政自身が出撃して六角軍を退かせるも佐和山城奪還までは無理だった。

 その後、堀家は磯野員昌の証言で長政から嫌疑を懸けられたが、竹中軍を追い払ったのは事実なので罰せられる事はなかった。

 むしろ半分以下の小勢に壊滅させられる磯野は情けなしと、樋口直房はこれまでの溜飲を下げる事が出来て満足だった。

 だが彼は愚かにもその後の事を考えていなかった。

 即ち堀家の本城である鎌刃城の付近にある佐和山城が六角家に落とされて、誰が一番困るのかである。

 堀家は磯野員昌が担っていた最前線防衛をいきなりやらなければならなくなった。


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 森可成の鳥峰城奪取、久々利頼興の寝返り、多治見国清の出現と若尾元昌の寝返り。

 龍興はこれらが同時に起きた事に戦慄した。

 何しろこの一撃のみで東濃の大部分を持っていかれたのである。

 東濃に親斎藤家の豪族が残っていても、もう何も出来ないし援軍も届かない。

 彼等には織田家への降伏か臣従か滅亡以外の道は残されていないのだ。

 この上は何としても久々利城を抜く以外に挽回する方法がないと龍興は考えた。

 まず犬山城の抑えに岸、肥田、佐藤の三者を猿啄城と犬山城の対岸にある鵜沼城へ。

 西美濃の豪族は桑名城の滝川軍の抑えに残し、稲葉山城に集った7千の兵力で可児を攻撃するつもりだった。


「た、龍興様!一大事です!」


「何があったか、隼人?」


 これから出陣しようという龍興の元に長井隼人佐道利が血相を変えて報告に来る。


「菩提山城主・竹中重治が突然浅井領へ侵攻したとのこと!」


 それは竹中重治が国境を越えて、浅井家の組下豪族・堀家の領地である『坂田郡』に攻め込んだという報告だった。

 しかもその戦いで浅井家の重臣・磯野員昌の軍勢を討ち破ったというのだから、事態はより深刻だ。


「な、何だと!!浅井家とは同盟を結んだのだぞ!それを!」


 現在竹中家の軍勢は美濃へと引き返したそうだが、それでは済まないだろう。

 確実に浅井家との同盟話は白紙になるし、最悪怒った浅井長政が美濃に逆襲してくる可能性まで出てきてしまった。


「竹中重治に詰問の使者を出せ!稲葉山城に出頭しろと伝えろ!」


「龍興様、可児への出陣は如何なさいますか?」


「竹中の事がはっきりするまでは動けん。ヤツがその気なら西美濃三人衆の安藤伊賀が同調していてもおかしくない。稲葉山城を空ける訳にはいかん。・・・クソッ!忌々しい!」


 兎にも角にもまず竹中重治に出頭命令を出す。

 だが龍興は話が聞きたいのではない、彼を即座に処断したいのだ。

 それほどに龍興は頭にきていた。

 何しろ彼のお陰で龍興は稲葉山城から一歩も動けなくなってしまったからだ。

 まず彼の行動に西美濃三人衆が同調している可能性がある。

 特に三人衆の一人、北方城主・安藤伊賀守守就は竹中重治の舅に当たる。

 そして北方城の位置は稲葉山城の隣と言える位置であり、今龍興が出陣すれば空き巣を狙うかも知れない。

 更に浅井家との関係は敵対となってしまった。

 こうなると浅井家からの侵攻も警戒しなくてはならない。

 こうして龍興は恒興の東濃攻略作戦を黙って眺めているしか出来なくなったのである。


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 武家の当主には『惣領権』という最重要権利がある。

 農家では相続は長男の総取りで『田分け』を防いでいるが、武家は少し違うやり方で『田分け』を防いでいる。

 一族惣領である者が領地の分配を決める権利を持っているのである。

 つまり兄弟息子に領地を分配しても、いずれその領地は実家の当主に返さねばならなかった。

 自分の後継者に領地を継がせたくても、継げるかどうかは惣領権を持つ者の意志によるのだ。

 例えばだが恒興に弟がいたとして、信長が「恒興より弟の方がかわいい」となったとする。

 そして信長は池田家の惣領権を持っている。

 この惣領権を渡しているから池田恒興は織田信長の家臣なのである。

 この場合信長は強引に恒興を引退させ、弟を当主に出来る。

 実際にここまでやると離反の可能性が出るので少し極端な話になるのだが、惣領権と云うのはこういうものだ。

 そして一家の当主となる時も織田家の許可が必要になる。

 だから恒興は勝手に正室を娶れない、それも惣領権の一部だからだ。

 この正室を決めるのは一族惣領の当主であるという理を使って、領地の田分けを効率良く防ぐことも頻繁にある。

 ・・・結婚させないのだ。

 つまり後継者そのものが居なければ分配した領地は自動で主家に戻ってくるという寸法だ。

 この場合惣領が認めていない女性との間に子供をつくっても嫡出は認められず、いないものとして扱われる。

 また最初から兄弟息子に領地を分けず、寺に入れて一生を終えさせるケースもよくある。

 後継者争いをさせないためだ。

 そこから逃れたければ独立するか、主家を乗っ取るか、条件のいい所に寝返るか、或いは謀反するかになってくる。

 そしてこの惣領権の問題を最大級に拗らせたのが、かの有名な『平将門公』である。

 彼の平家は臣籍降下で関東(この頃は板東)に土着したばかりで、開拓して領地を増やそうという時代だった。

 そして将門の父親と伯父2人が大きく領地を持っており、関東平家の惣領は伯父の平国香であった。

 事の発端は将門の父親の死である。

 普通に考えれば後継者の将門が継ぐと思えるが、この頃は惣領の国香によるのだ。

 国香の舅である源護との確執など平素からこの伯父と仲が悪かった将門は、国香に父親の遺領を奪われると思い込み先制攻撃で殺した。

 因みに伯父の平国香はまだ何もしてない。

 そしてここから『平将門の乱』が始まるのである。

 こんな感じで惣領権は争いの種になることが多い。

 そもそも戦国の幕開けである『応仁の乱』も惣領権を拗らせた結果と言える。

 発端は足利将軍家の後継者争いだが、そっちは東軍西軍の総大将くらいしか気にしてない。

 そして応仁の乱末期になると総大将ですら、次の将軍など気にしなくなる。

 それは何故かというと参加者の殆どが惣領権の収奪争いに夢中になっていたからである。

 当初、大名達は総大将への義理や次の将軍を後押ししての栄達を望んで参加したのだろう。

 だが殆どの大名家でこういう者達が現れた。


「当主である兄貴が東軍に付いた。じゃあ俺は西軍に付く。よし、殺しに行こう」


 またこの他にはこういう者達もいる。


「今仕えている気に入らない主君が西軍に付いた。赤ん坊の弟君を担いで東軍に付く。よし、殺しに行こう」


 と、こんな感じのが全国的に起こった。

 たとえ兄弟だろうと親族だろうと家臣だろうと、主君を殺そうとすれば謀反人である。

 だがこの足利将軍家の後継者争いは彼等に主君を殺せる最高の大義名分を与えてしまったのだ。

 今の当主を殺せば当主に成れる人間は当主の数以上にいるし、幼君を祭り上げて権勢を振るいたい人間も星の数ほどいるだろう。

 彼等は次期将軍に誰が相応しいかなど考えてない、ただ惣領権の奪い合いをしているだけである。

 そんな争いを京の都周辺で展開し、国元に負担を掛け続けたために「いい加減にしろ」と下剋上が起こったのである。

 この惣領権が何時発生したかは定かではないが、制度自体はかなり古くからある。

 公家の『氏長者』がそれに当たる。

 氏長者は日の本に姓が出来た頃から有るようだ。

 飛鳥時代の蘇我馬子は葛城氏(蘇我氏の本家)の氏長者になろうとして推古天皇に阻止されたし、乙巳の変で討たれた蘇我入鹿(鞍作)の件は蘇我氏の氏長者争いという側面もある。

 平安期の藤原氏も誰が氏長者になって摂関を務めるかで争い続けて院政を招いた過去がある。

 おそらくその性質をそのまま武家に導入したのが惣領権なのだと考えられる。

 そのため歪で不公平で理不尽な制度のため争乱の元となり続けている。


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 数日後、長井隼人は菩提山城に来ていた。

 竹中重治に直接会い今回の経緯を聞くのと稲葉山城への出頭命令を伝えるためである。

 面会した重治は今回の件を説明し理解を求める。

 今回の事の発端は竹中家の家臣だった小豪族が、北近江の浅井家傘下の豪族である堀家に寝返った事だと言う。

 自分の家臣であった者の寝返りを許せば、家中の規律を乱すとし直ちに処罰することにした。

 そして浅井家との合戦に発展したということだ。

 だが重治は経緯については話したが、出頭命令については拒否という姿勢だった。


「それには及びません。不義の家臣を成敗する権利は主家にあります。私はその裁量権を行使したに過ぎません」


 裁量権というのは支配権の一部で家臣や領民の訴えを量り裁定する権利、今でいう裁判である。

 裁判所の様に一つの訴えを複数人で審議したりせず、家の当主が決めたり家臣が決めたりする。

 大体の場合『当家の法』『当国の法』などが昔から作成されていて、基本的にこれに従って判決を下す様になっている。

 これらは鎌倉時代に制定された『御成敗式目』をベースに地域に合わせた改良や加筆を施した物が殆どである。

 そして裁判の結果として当主が『成敗』を決める場合もある、今回がそのケースである。


「しかし事を起こす前に龍興様に報告すべきではありませんか」


「この様な身内の恥をわざわざ報告してお耳を汚すのは憚れまして。それに竹中家は家中の惣領権や裁量権を斎藤家に渡した覚えはありませんが?」


 豪族と家臣を分ける最大の違いがこの『惣領権』と『裁量権』を主君に渡しているかどうかとなる。

 竹中家は豪族なので家臣を裁くのに重治の一存以外必要としないし、領地をどうするかも斎藤家の意思など聞く必要がない。

 つまり豪族とはある家を支持しているだけの別家なのだ。

 ただ自分が生き残るために、身を寄せ合い団結しているに過ぎない。

 だから東濃の遠山家は『遠山七頭』に分かれ、それぞれの立場で外交し生き残りを図っているのである。

 どの勢力とも関係を持って、必ず何処かの遠山家が生き残る様に、そしてそのために一族同士で殺し合う覚悟もしているだろう。

 豪族とはそういう生き物であり、何のためにそうするのかと言えば、民衆の暮らしを守るためである。

 究極的な結論ではあるが。


「斎藤家と浅井家の間には同盟関係が成ったばかりだったのですぞ。一体どうなさるおつもりか!」


「ほう、それは初耳ですね。私は知りませんし、舅殿からも連絡は来ておりませんが一体何時発表したのでしょうか?」


 斎藤家と浅井家の同盟成立は恒興の東濃攻略が始まる少し前だったのだが、公表はまだしていなかった。

 龍興としては豪族や家臣を集めて大々的に発表するつもりだったのだが、その前に今回の戦いが始まってしまった。


「成る程、それで合点がいきました。つまり浅井家は同盟が成るから、今の内に領地を掠め取ろうとしたのです。龍興様も危のう御座いましたな、その様な邪心のある家と結ぶは斎藤家の不幸というもの」


 実際にそうなのかは別として、端から見れば確かに原因は浅井家にある。

 竹中重治はやられたからやり返した形になっており、本来であれば咎められる話ではない。

 だが長井隼人はそれを問題視している訳ではない。

 問題は一つ、織田家と繋がっているのではないかということだ。


「しかし貴殿の行動は結果的に織田家に利することになっているのですぞ。その点はどう弁明なさる」


「それは責任転嫁というもの。そもそも織田家が行動を起こす前から龍興様は全ての豪族に警戒を促していたではありませんか。迎撃は可能だったはずです。お陰で私も素早く動けました」


 利敵行為だと主張する長井隼人に対し、重治は龍興が動かなかっただけと言い返す。


「だから貴殿の行動で・・・」


「では浅井家に領地を掠め取られて黙っていろと隼人殿は仰せですか?それが豪族にとってどれ程致命的か解らない方ではないでしょう」


「ぐぬ、うぅ。しかし・・・」


 領地を取られて動かない支配者は、支配者たる資格無しと見られてもおかしくない。

 つまり竹中重治の行動は一般的な豪族の行動であり、普段であればおかしいものではないのだ。

 だからこそ長井隼人も言葉を詰まらせてしまう。

 それこそ「貴方は黙って見ているのですか?」と切り返されるのがオチだ。


「とにかく竹中殿は龍興様の前で弁明すべきでしょう。今すぐ稲葉山城にお越し願いたいのだが」


「それは無理というもの。また何時浅井家が動くか分からない状況で城を留守には出来ません。私は自身の領地を守る義務がありますし、それが斎藤家のためであり龍興様のためでもあるのです」


 結局、罪と言えそうな物に関して全て反論されてしまった長井隼人はこれ以上切り込む事は出来なかった。

 ここで何を言っても彼はしらばっくれるだけだし、罰しようにもここは彼の城である。

 こういう場合は兵を出して懲罰となるのが普通なのだが、織田家がいるので動かし辛い。

 それに相手は寡兵で全勝している『今孔明』となれば兵がどれ程必要か判らない。


(この男の論破は無理か、これは龍興様と相談するべきか)


「分かりました。龍興様にはその様にお伝えいたす」


「ええ、お役目ご苦労様でした」


 長井隼人は説得を諦めた。

 そして主君に報告し、何とかこの男を稲葉山城まで誘き寄せる算段をつけるべきだと考えた。


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 長井隼人は稲葉山城に戻ると竹中重治との会談内容を龍興に伝えた。

 さすがに龍興も苛立った様子を隠せなかった。


「くそっ!重治のヤツめ、白々しいことを」


「如何なさいますか?」


「出来るならヤツの菩提山城を攻め落としたいのだがな。だが野戦で勝つにはかなりの兵力がいるだろう。・・・そんな隙を織田信長や犬山城のアレが見逃す筈はない」


 竹中家の兵力は最大でも1千5百から2千だろう。

 龍興の稲葉山城と長井隼人の関城で楽に6千は徴兵出来るので兵力は圧倒している。

 問題は相手が『今孔明』と呼ばれる程の戦上手な上に地の理まである事だ。

 これで大きな被害でも出した日には、尾張から信長が喜び勇んでやって来るだろう。

 またそんな様子を犬山城にいる恒興が注視していないはずもない。


「となりますと、何とか竹中めを此方に誘き出すべきですな」


「そうだな、重治を稲葉山に呼び出せばいいか。よし、久作を呼べ!」


「はっ、只今」


 竹中久作重矩。

 竹中半兵衛重治の2才下の弟で、重治が臣従の証として斎藤義龍に差し出した人質である。

 稲葉山城に来て2年、龍興は重矩を家臣の一人として面倒を見てきた。

 また重矩も知的で礼儀正しく、龍興を主君として仕えていた。


「龍興様、ご用とはもしかして兄の件でしょうか?」


「ああ、その通りだ。重治が何をしたかは聞いたか?」


「はっ、詳細は長井様より」


 重矩は兄・重治の所業と菩提山城での会談を長井隼人から教えられた。

 龍興の前に来た重矩は沈痛な面持ちでだった。

 おそらくは兄・重治の行為によって竹中家がどうなってしまうのか心配なのだろう。


「そうか。では久作よ、どうするべきだと思う?」


「誠に残念ながら兄の背信は明らかです。この上は上意討ちもやむ無しでしょう。・・・このまま兄に竹中家を預けるのは破滅でしかありません。我が父、重元もずっとそれを危惧しながら亡くなりました」


「成る程、お前の父親も危ぶんでいたか。そして今、俺に牙を剥いてきた訳だ」


「愚かな兄の事、深く謝罪致します」


 重矩は龍興が言い出す前に上意討ちを進言する。

 この上意というのは『お上の意志』を示す。

 そのため一度出されるとその『お上』より下位にいる者達では命令を違えることは出来ない。

 天皇から出される『綸旨』もその一つで、一度出されると天皇以外では撤回が出来ないものである。

 また甲斐武田家には『御旗・楯無』という家祖・新羅三郎義光公の旗と鎧を祀っているのだが、これに武田家当主が誓いを立てたら何があっても覆してはならないとされている。(意見するのもNG)

 これも一種の上意であり、長篠の戦いで甲州軍団が無謀と知っていて突撃したのは勝頼が誓いを立てたためとも言われている。


「久作、お前に罪がある訳ではない。だが重治はお前の言う通り上意討ちにしようと思う。ヤツをこの稲葉山城に誘き出す手はないか?」


 龍興は冷静に重矩に話しかける。

 怒りたい対象は竹中重治であって、重矩ではないという態度だった。

 それは龍興にとって重矩は家臣であるが、もう一つ重要な意味を持っているからだ。

 龍興は重矩を介して、気まま勝手な豪族に過ぎない竹中家を家臣化したいのである。

 そしてそれには竹中重治の排除は必須となる。


「上意討ちが上手くいけば、お前が次の竹中家当主で菩提山城主だ。兵を繰り出して関ヶ原を荒らすのは久作の迷惑だろう」


「はっ、お気遣い戴き有り難う御座います。されば一つ提案があります」


『竹中家当主』『菩提山城主』と聞き、重矩の顔が僅かににやけたのを龍興は見逃さなかった。

 彼も例に漏れず惣領権を欲する者なのだと。

 人は無欲な忠義者より、多少の欲を持ち利害の一致を見た人間の方が信用できるものである。

 そして重矩は実の兄を誘き出す策を献策する。


「私が病気で起き上がれない程だと伝え、兄に見舞いに来させるのです。いくら兄と言えど人質に出した弟が重病となれば出てくると思います。もし来なければ冷血漢の謗りを受けるでしょう、あの誇り高い兄が謗られるのを良しとするわけがありません」


「ふむ、確かに良い手だな。隼人はどう思う?」


「よろしいかと。では来た時に城門で討ち果たしましょう」


 龍興も長井隼人もこれならば竹中重治も出てくると納得する。

 そして城門で捕らえて討とうと提案する隼人に重矩は待ったを掛ける。


「お待ちください、長井殿。兄の勘の鋭さを侮ってはなりません。少しでも素振りを見せれば勘づかれます。そしてあの兄の事、逃げ道を幾つも用意しているはずです。」


「構えれば逃げられる、確かに有り得ない話ではありませんな」


「では久作、如何するのだ?」


 無論考えているのだろうという風に龍興は重矩に尋ねる。

 重治に警戒させず、必ず討ち果たせる手順を。


「はっ、まず兄は普通の対応で城内へ入れます。その後私の部屋に見舞いに来たら、私が兄を討ちます」


「それではお前が危険だろう」


「いえ、身内の恥は己が手にて灌ぎたいと存じます。それが竹中家当主としての務めでございます」


「それほどの覚悟をしておられるのか。まだお若いのに見上げた者ですな」


 手順は重治を重矩の部屋まで来させ、部屋で重矩と面会。

 ここまでは特に何もせず重治の警戒心を刺激しない。

 その後重矩が重治を討つのだが少し世間話をして時間を稼ぐ、万が一に備え部屋の周囲に稲葉山城の侍を配置するためだ。

 それから決行となる。

 因みに上意討ちの内容を知ってしまうであろう重治の家臣は消す予定である。


「それにこの策ならば兄は城内、私が失敗したとしても取り逃がす事は無いでしょう。万が一の場合はお願いいたします」


「よくわかった。任せておけ」


 相談が終わり重矩が退室した後、部屋に残った龍興は長井隼人に追加で命令を出した。


「隼人、門番達にはこう厳命しておけ。重治が来たら武器の類いは全て取り上げ、絶対に城内へ持ち込ませるなと。・・・あと重矩の部屋も秘密裏に調べておけ」


「はっ、直ちに!」


 龍興は全面的に重矩を信用したわけではなかった。

 彼が肉親の情に絆される可能性は0ではないのだから。

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