六方衆

 奈良の町に近い寺では市が開かれていた。池田軍と筒井軍の合戦があっても、離れた場所ではいつもの日常を乱す事なく送られている。戦には慣れっこになっているという事もあり、戦場から少し離れれば特に混乱もない。市は開かれる日が決まっているので、一回中止するだけでも家計に打撃となる。それにここは興福寺の末寺、この市に手を出す者は興福寺を敵に回す事になる。何しろ、この市には興福寺の僧兵である六方衆が守護に就いているのだから。彼等を敵に回そうという命知らずは大和国には居ない。その安心感から戦場に近い市は賑わっていた。

 だが、その門前市にも異変が起こり始めていた。市に来ていた客から騒動を聞いた僧兵は十文字の槍を肩に担ぎ、僧兵が集まる場所に行った。


「兄貴、弥五兵衛の店で揉め事だ」


「またか。おい、お前。2、3人連れて仲裁に行ってこい」


「はい、行ってきます、浄岩さん」


 十文字の槍を肩に担いだ僧兵は集まっていた僧兵の中心にいる人物に報告をする。僧兵達の中心にいる者は『浄岩』という名前で、報告に来た僧兵と同じく十文字の槍を傍らに置いている。報告に来た僧兵は彼の実の弟で『浄林』という。彼等、兄弟は薙刀を主に使う僧兵にしては珍しく、十文字鎌槍を得物としている。兄弟共に同じ場所で槍を学んだからである。


「……揉め事、多くなったよな、兄貴」


「みんな、戦続きでピリピリしてるからな。ところで浄林よ、筒井家と松永家の戦いはどうなったんだ?そろそろ終わったか?」


「情報遅いぞ、兄貴。今は筒井家と織田家の戦になってる。しかも今朝、筒井城が落ちたらしい」


「何だ、その電光石火は!?」


「あの池田恒興が来たらしいからな」


 浄岩は松永家と筒井家の争いが既に織田家と筒井家の争いに変わっている事を知らなかった。それも無理はない、つい2、3日前までは織田家は来ていなかったのだから。それだけ池田恒興は非常識な行軍速度でやって来たという事である。

 織田家の大和国侵入を弟の浄林から聞いた浄岩は頭を抱える様に溜め息をつく。


「そうか。しかしあの筒井城は何回落城すれば気が済むんだかな。それにしても織田家まで大和国に乱入してきたのか……」


「織田松永筒井で利権がぐちゃぐちゃになりそうだ。更に荒れるかもな」


「勘弁してくれ」


 問題はやはり『利権』の事だ。松永家にしても筒井家にしても他の豪族にしても、皆利権を手中に収める為に戦っている。そして利権とは無限ではなく有限なものだ。だからこそ勢力バランスというものが大事になる。その中で自分達も生きているのだから。

 このバランスの中に織田家が食い込んでくるという事は今までの均衡が大きく揺り動かされる事に他ならない。織田家の戦果によって『取り分』というものが発生するからだ。事と次第によれば、多数の者が被害を被り、戦火の拡大を招きかねない。

 その土地の利権というものは大名が持っている事はない。全て在地豪族や在地勢力が持っているものだ。在地豪族から大名に成り上がった場合は持っている事もあるが。

 なので大名は彼等豪族を取り込むなり従わせるなりして、それらの利権を獲得していく事になる。だからこそ豪族の家臣化に大名は積極的なのである。関わる大名家が一つなら時間を掛けてゆっくりやるのも良い。

 だが大和国には在地大名である筒井家と新興の松永家が対立している。この場合、両家共に在地豪族を如何に引き入れるかが重要になり、多少強引な手段も容認される様になる。相手に先を越されるよりマシだからだ。そのため大和国各所では大名vs在地豪族、時々松永家vs筒井家で戦争が頻発していた訳だ。そこに新たな大名である織田家が参入すれば、在地豪族を引き入れるための戦争が激化する事が容易に予想出来る。

 また頭痛の種が増えたと二人は顔を曇らせる。そこに二人と同じく十文字の槍を携えた若者が声を掛ける。


「まあ、そうはならんと思いますよ」


「ん?」


「誰だ?って、お前……」


「「才蔵か!?」」


 そこに居たのは十文字の槍を持つ軽装の男。二人にとっては弟弟子として面倒を見ていた事もある可児才蔵であった。才蔵が興福寺を出て3年程なので、二人共忘れてはいなかった。


「浄岩師兄、浄林師兄、お久しぶりです」


「おお、久しぶりだなぁ。元気でやってるか」


「斎藤家に仕えたんだろ。滅びたって聞いたが大丈夫なのか?」


 久しぶりに見る才蔵の様子に、二人は安堵しながら話しかける。何しろ、才蔵が仕官した筈の美濃斎藤家は織田家により降されたと噂で聞いたので、才蔵の無事を案じていたのだ。

 才蔵は幼少の頃、興福寺に預けられた事があり、その時に宝蔵院流槍術を学んだ。だが僧侶になる気は無かった才蔵は興福寺の中の僧房には入れなかった。そこで兄弟子となる浄岩と浄林の兄弟に預けられ、そこから宝蔵院に通っていた。


「まあ、滅びる前に辞めたんで。その後は柴田家で陣借りしたり」


「そうか、柴田家に仕官出来たか。良かったな」


「で、辞めて前田家で陣借りして」


「辞めるの早過ぎないか、お前!?」


「興福寺を出て3年くらいだろ。何があったんだ。前田家では上手くやれているのか?」


「辞めました」


「「おいーっ!!?」」


 二人の顔が驚愕に歪む。普通、仕官したとなれば生涯を賭す覚悟で努めるもの。滅亡となれば致し方無い部分はあるが、他家で陣借り出来たのなら頑張って仕官まで漕ぎ着けるべきだ。陣借りで縁は既にあるのだから、あとは実力を示せば良い。陣借りとは傭兵であるが、幅広く募集する織田家の傭兵と違い、各家で個別に雇う陣借り者は仕官の前段階と言える。

 通常、そこまで辿り着けない者も多い中、才蔵がいくつも辞めている事に二人共絶句した。


「まあ、前田家を辞めたというより、池田家に移籍したって感じで。今は殿の親衛隊長をやってます」


「池田家って……池田恒興か!?そうか、だからここに居るのか」


「いや、池田恒興直属の親衛隊長とは出世したな。それなら移籍も納得か」


 二人はまた別方向に驚かされる。仕える辞めるを繰り返していると思いきや、今は池田恒興に直接仕える親衛隊長なのだから。

 陣借り者から正式に仕えると言っても、いきなり主君直属は難しい。山内一豊の様によほど気に入られないと無理だ。普通ならば主君の家臣の部下、下手をすると主君の家臣の家臣の家臣の部下も容易に有り得る。それでも不安定な陣借り者よりはマシだし、活躍していけば認められもする。そのはずが才蔵に到っては主君である池田恒興直属の親衛隊長、しかも前田家から池田家へ直接移籍したという事は池田恒興に願われたという意味になる。いったいどんな活躍をしたんだと驚く反面、世話していた弟弟子の出世を喜び顔を綻ばせた。


「で、そうはならんとはどういう話だ?」


「何でしたっけ、ソレ?」


「いや、お前が言ったんじゃないか。大和国に織田家まで来て荒れそうだと悩む俺達に」


「ああ、そうでした。実はですね、殿は大和国をどうこうする気は無いんですよ」


 才蔵は恒興が大和国に来る事になった経緯を説明する。

 恒興は甲賀攻略に主眼を置いている。しかも『付城戦術』という大変な資金が掛かる攻略方法を使った。それだけ恒興が甲賀攻略に心血を注いでいる証拠だ。その最中に援軍として駆り出され、恒興はすこぶる不機嫌だった。そこに前田慶の独断行動などが加わり、更に戦場の気配に当てられ戦闘中にブチ切れていたりもした。だが、それがガス抜きになったのか、その後は冷静ないつもの恒興に戻った。その事を親衛隊長として傍に居た才蔵は理解していた。

 そして冷静になった恒興はやはり甲賀攻略に戻りたい様だ。そのために大和国の処理は強行的にはせず、かなり気を遣って行っている。


「なる程な。池田殿は甲賀攻略に戻りたい訳か」


「しかし織田信長の意思はどうなんだ?いくら池田殿が大和国に興味無くても、それは主君が決めるものだろう?」


「ああ、その件も殿が言うには「信長様は山国に興味は無い。山城国の隣だから治安が気になる程度だ」だそうですよ。信長様は摂津河内和泉に注力してて、他はだいたい殿任せらしいです」


 そして織田信長自身も山国には興味は無い。というのは少し誤解がある。いくら信長が山国に大した興味は無くても、獲れる利権は根刮ぎ獲るのが戦国大名と云うものだ。信長は派兵してまで欲しいと思わないだけで、既に派兵したなら利権を欲するのは容易に想像出来る。

 それは才蔵でも解る理屈であるものの、恒興がそう言うのだから彼が考える必要は無いだろう。彼はただ恒興の言葉を間違わずに伝えるだけである。


「それはアレか?後ろはだいたい池田殿か?」


「まあ、そんな感じですかね。それに筒井家って中央集権化出来てなくて、本拠地制圧したくらいじゃ滅びないって聞きましたし」


「ああ、それな。筒井家ってのは元々、雑多な豪族が寄り集まっただけだからな。周りも全部攻略しないと筒井家は滅びないだろうよ」


「殿はそれが面倒で嫌だって言ってましたね」


 筒井家とは在地豪族が大名化したもので、大和国では頭一つ抜けた存在だった。それ故、周りの豪族を取り込んだり叩いたりと大名化への道を進んだ。だが急ぎ過ぎた為か、結果として取り込んだ豪族は勢力がそのまま残り、叩いた豪族の中には松永家に同調した者もいる。そのため大名家より周りの豪族を合わせた方が強い状況となってしまい中央集権化が進まなかった。筒井家の勢力が消えないのは利点かも知れないが、周りの豪族が連携すると主家を超えてしまうため、危険も孕んでいる。

 そしてその危険というのが爆発すると下剋上というものになるのである。


「ふむ、それは朗報と言うべきだな」


「それをわざわざ報せに来てくれたのか。ありがとうな、才蔵」


「いえ、に相談がありまして」


「皆?それは俺達じゃなくて……」


「六方衆……という事か、才蔵?」


 才蔵の目的が六方衆であると理解すると、浄岩の目は鋭さを増した。才蔵はたしかに興福寺内部より六方衆の方に知り合いが多い。興福寺内部は仏教の勉学に励む『学侶』が大半だからだ。武芸好みな才蔵とはウマが合わないだろう。

 だからと言って才蔵が『六方衆』に相談があるというのは明らかにおかしい。簡単に言えば六方衆は個人の頼み事を聞く様な組織ではない。そんな事は才蔵も解っているはずだ。

 となれば答えは一つ。才蔵は『主君のメッセンジャー』という事だ。これは政治的な話かも知れないと浄岩と浄林は身構えた。


「ええ、師兄達は六方衆でも指折りの人でしょ。話が早いかと思って」


「買い被り過ぎだ。六方衆はそこまで単純じゃあない。それにアレがあるからな」


「ああ、過去にやらかした事があって六方衆が纏まるのも難しくなってる」


「やらかし?何かあったんですか?」


「そうか、才蔵は知らなかったか。これは足利幕府の初期の頃なんだが……」


 浄岩は空を見上げて昔話を始める。自分達が産まれる前の、現在でも自分達を縛り続ける鎖の話を。


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 六方衆という組織はあまりにも雑多な感じである。そもそもが興福寺の二大派閥抗争に嫌気が差した末端の僧兵達が集まっただけで、組織としての意識統一すら出来なかった。だが、こと武力だけを見れば大和国最強である。さて、この様な意見の統一が出来ず指導者もいない個々の欲望を並べ立てる武力集団がどうなるか?

 答えは『調子に乗る』である。調子に乗り過ぎて興福寺上層部の言う事を聞かなくなり、興福寺の行動そのものを武力で支配する様になった。

 そして事件が起こった。

 それが春日の神木入洛事件である。これは春日大社の神木を運び出して京の都に入洛させた事件で、春日の神木が都内に在る場合、藤原氏に連なる者達は神木の神慮に憚って出仕を停止しなければならないとされている。朝廷の公家は大半が藤原氏である為、朝廷の朝儀が一切停止してしまう。この政治的麻痺状態を作り出すのが興福寺の必殺技の強訴である。朝廷としても朝儀を止められるのは困るので足利幕府が間に入って和睦を勧めるも、六方衆側は過剰な要求を繰り返す様になる。

 この事件の発端は応安4年(1371年)の強訴から延々と続く。六方衆の当初の要求は興福寺別当の座を巡って抗争する一乗院実玄と大乗院教信の追放だった。しかもこの強訴は後円融天皇の即位式を見計らって行われた。これには朝廷も堪らず、素早い対応を見せ実玄と教信を流罪とする。……まあ、この二人は興福寺から既に逃亡済だったが。

 その後、朝廷、幕府、興福寺上層部が話し合い落とし所を探るも六方衆の要求はエスカレートしていく。三者が和解案を出すも六方衆はそれを跳ね除けながら、新しい要求を付け加える状況になっていた。

 結局、エスカレートしていく六方衆の要求を丸呑みして応安7年(1374年)に春日の神木は動座して大和国へと帰った。そして後円融天皇は永和元年(1375年)に即位式を挙げる事が出来た。

 しかし、この強訴に味をしめてしまった六方衆は康暦元年(1379年)に再び春日の神木を入洛させて強訴を行う。しかしこの強訴を持って春日の神木を入洛させる事は最後となる。

 この時の幕府側に動きがあり、康暦元年の政変を経て足利幕府第3代将軍の足利義満が権力を掌握した。この若干二十歳の足利義満の登場により風向きが一気に変わり、六方衆は追い詰められる事になった。まず義満は六方衆により『放氏』されていた太閤の二条良基と手を組んだ。

『放氏』というのは氏族からの追放の事で、二条良基は六方衆により藤原氏から追放処分となっていた。興福寺が藤原氏の氏寺だから出来る荒技である。つまり六方衆は春日の神木の神慮に憚らない藤原氏は放氏に処すとかなり強気な態度を出していた。この事実が興福寺の強訴を無敗たらしめていた。

 だが足利義満はこの400年間無敗の興福寺強訴の弱点を見出していたのだ。


「興福寺の強訴の何が問題かと言えば、朝儀が滞っている、この一点だけだ」


「義満殿、それはそうじゃが、どうするつもりでおじゃるか?」


「話は簡単だ、二条卿。朝儀をやれば良いのだ。開催費用は私が出す」


「しかし麿は放氏されておるし、他の公家も協力はすまい」


「ならば私が主催する。やり方を教えてくれ」


 朝儀とは朝廷の儀式という意味で、それぞれの朝儀にはやり方がある。それこそ足の運び方から腕の置き方まで決まっている様な感じで、公家はこれを何年も掛けて覚えるものである。義満に言われ仕方なく朝儀のやり方を指導する二条良基であったが……。


「これはもう覚えたぞ。次だ、二条卿」


(マジか、此奴は天才か!?公家が何年も掛けて覚えるものをスラスラと。これならば行けるでおじゃる!)


 こうして二条良基から伝授された朝儀を義満は執り行っていく。春日の神木の存在など無視したかの様に。というか、足利義満は源氏であるため、神木の神慮に憚る必要がそもそもない。そして源氏であるが故に六方衆は義満に対して放氏という手段もまったく使えない。

 六方衆は焦った。このままでは神木の神慮が無き物にされてしまうと。しかし武力を振りかざす訳にもいかない。何しろ相手は幕府将軍で大和国最大武装勢力より武力は上である。当たり前だが。

 これにより何も出来なくなった六方衆は義満の行動を見ているしかなかった。

 さて、後円融天皇はこの様な義満の行動を喜んだ。思えば即位式を邪魔され4年も引き延ばされる破目となり、父親である後光厳上皇は院政を始める事も出来ずに崩御した。そのため、後円融天皇は六方衆には怒りしか感じていなかった。だから六方衆をやり込めている足利義満を信頼していったのだ。これが足掛かりとなり、足利義満は朝廷内に絶大な干渉力を持つ様になる。他の公家から『帝位の簒奪を目論んでいる』と言われる程に。

 そして義満は満を持して帝が出席する大規模な朝儀を行うと公家に通達した。


「公家各位へ。大規模な朝儀を行う。この朝儀には帝がご出席なされる予定である。欠席者は居ないと信じているが、もし欠席した場合は帝の顔に泥を塗る行為であると認識されたし。……その場合、どうなるか理解しているだろうな? by足利義満」


 この脅しとも取れる通達に全公家が出仕を急いだ。これに対し六方衆は春日の神木が洛中に在るんだから出仕するなと言うも、公家達からは「当たるか判らん神罰より目の前の確実な破滅の方が怖い!」と返されてしまう。

 こうして春日の神木の神慮は有形無意な物になってしまった。

 更に足利義満は追撃の手を緩めない。六方衆により追放され隠れていた一乗院実玄を探し出すと、一乗院復帰を約束し兵を持たせて春日の神木を強奪させた。どうやら彼は朝廷か幕府が匿っていた模様である。義満と約束を交わした実玄はそのまま神木と共に大和国へと帰っていった。

 これまで春日の神木が洛中から大和国へ帰座する場合は盛大な儀式を行って送り出すものだった。なのに強奪されての帰還などと歴史上初めて春日の神木がおざなりにされてしまった。このため、春日の神木の神慮は大きくキズ付けられる結果に終わった。

 春日の神木を失った六方衆は足利義満に完全敗北し、失意の内に大和国へと帰還した。だが、そこに待ち受けていたのは興福寺上層部からの激しい怒りだった。実は興福寺上層部を形成する『学侶』達は神木の弱点を知っていたのである。だからこれまでの神木動座の際はあまり入洛まではさせずに「要求を聞いてくれないと神木が入洛するよ。いいのかなー?」と脅すだけの場合が多かった。神木入洛は本当の意味での最終手段だ。それを六方衆が軽々しく入洛させてしまったので学侶達は朝廷や幕府との話し合いによる決着を急いで交渉していたのに、六方衆が全て台無しにしたのだから怒りも一層激しいものになった。

 その後の六方衆は大人しく興福寺の派閥争いで暴れるだけの存在になった。


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「アレ以来、六方衆はずっと冷や飯食らいに追いやられた。過去の先輩方のやらかしが未だに響いてるんだよな」


「六方衆自体も連絡会程度の活動しかしなくなったって訳だ。纏まるのも難しいかも知れん」


「よく消滅しませんでしたね」


 話を聞いて、才蔵は素直にそう感じた。これだけやらかしている事もそうだが、相手が足利義満とか目も当てられない。まあ、若い頃の足利義満の実力を六方衆が正確に認識出来る訳がないので、運が悪いとしか言い様がないのも確かだが。

 この足利義満の凄い所は幕府将軍でありながら、殆ど武力を使わずに六方衆をやり込めた点だ。義満が武力を振るえば、難無く六方衆を追い払えたかもしれない。だがその場合は六方衆は激しく抵抗するし大和国から応援もやってきて泥沼化しただろう。それに武力行使となると興福寺自体が態度を硬化させざるを得なくなる。六方衆も興福寺僧侶には違いないからだ。

 だから義満は武力をほぼ使わなかった。春日の神木強奪に関しても「一乗院実玄がやった」というスタンスを崩さなかった。このため六方衆も武力行使が出来なくなったのだ。相手から手を出したなら、いくらでも反撃出来るし応援も期待出来る。しかし六方衆から武力行使すると興福寺上層部から非難されるし応援も見込めない。大義名分が立たないという訳だ。この辺りを見切っていたというのが、足利義満が武力行使ばかりする他の幕府将軍と一線を画している証左といえる。

 だからなのかも知れないが、足利義満は興福寺及び六方衆に対し過剰な追撃を行わず、洛外へ追い出す程度で終わっている。


「六方衆ってのは大元を辿れば『上層部の派閥争い』が原因なんだ」


「つまり上層部の派閥争いはその後も続く。派閥争いは儲かるから参加する僧兵はいる。だから六方衆という話し合いの場を残す必要はあったのさ。大和国をなるべく荒さない為にな」


 そもそも六方衆の強訴というのは、『興福寺上層部の派閥争い』を止めさせるのが目的であった。その目的はさっぱり果たされなかったというべきだろう。強訴が終わったら直ぐに一乗院派と大乗院派はいつもの派閥争いを繰り広げるからだ。これに六方衆も周りの豪族も巻き込まれながら己の欲望を果たしていく大和国の日常の再開となる。

 この日常が嫌で六方衆は纏まり強訴をしたのだ。さて、悪いのは誰なんだろうと考えさせられる話だ。


「儲かるんですか?その割には師兄達の暮らしは……」


「最近は派閥争い自体が無いからな。簡単な話だが、『応仁の乱』で公家の実家が余裕失くしたって訳だ。一乗院も大乗院も公家出身の学侶が大半だしな」


「『応仁の乱』が興福寺の平和に貢献したとかいう笑えん冗談だよ。まったく」


「本気で笑えないっす」


 最近の僧兵達の困窮には『応仁の乱』が深く関わる。応仁の乱により京の都は壊滅的な被害を受け、更に天文の乱で焦土的な被害を受けた。そのため在京の公家は全員没落してしまい、興福寺上層部を組織している公家の子息達も軒並み余裕が無くなった。そう、派閥争いをしている余裕が消し飛んだのである。

 日の本中を大混乱させ戦国時代の始まりともされる『応仁の乱』は、興福寺に平和をもたらしていたのだ。その事実は才蔵を呆れさせるのに充分であった。


「お陰様で俺達も派閥争いの稼ぎが無くなって困窮している訳だ。基本的に俺達は末寺の市の守り賃で生活してるけど、それじゃ足りないんだよな」


「実家から仕送りがある奴はマシだけどな」


「え?実家からの仕送りは無いんですか?」


「俺達、僧兵は武家の次男以下ばかりだ。武家の当主が親父であれば結構お小遣い貰えるんだ。だけど親父が死んで嫡男の兄貴とかが当主になったら、途端にピタリと止まるんだよ。そんな金はねぇとか言い出してな。まったく、誰の為に俺達はここに送られたのか考えてほしいもんだ」


「ヒデェ話ですね」


 僧兵というのは大半が武家の嫡男以外の子供がなるものである。学侶になるものもいるので全てではないが。武家としては嫡男以外の子供も予備として必要だし、嫡男がいない武家に養子に出すためにも複数人の子供は必要とされる。だが嫡男が立派に成長し養子に出す所も無ければどうするのか。そのまま家に残すとお家騒動に発展しかねない。血の繋がった兄弟は一番当主の座を脅かしやすいからだ。例など枚挙に暇がない程で、織田信長自身が実の弟を殺す破目になった。

 だから武家は嫡男以外の男子を寺に預けるのである。お家騒動を防ぐために。だが彼等は武士としての教育や武芸を学んでいるため、僧兵になりやすいという訳だ。


「しょうがないと言っても生活は困窮する訳だ。だからといって僧侶である我々が金稼ぎに精を出す訳にもいかん。そんな事をしたら比叡山の僧兵の二の舞いだ」


「まあ、そうなんでしょうけど。でもこのままじゃ……」


「ああ、才蔵の懸念も分かるさ。俺達も親父が死んだらこうしてはいられんのだろうが。……俺も思うんだ。俺達は正しいのかって。僧兵としての規律を守ったら生きて行けないなんてな。時々、比叡山の僧兵達は実は正しいのかも、なんて思う事すらある」


「兄貴……」


「生活していけなくて僧兵辞めて還俗して仕官先を探しに出るヤツもいる。大半は上手く行かずに野垂れ死ぬか、野盗化する。それを聞かされる度に鬱になる。こんな思いするくらいならいっその事、叡山の僧兵の様にって思う時もある」


 浄岩は嘆息する様に現状を嘆く。公然と金稼ぎに精を出している比叡山の僧兵の方が正しいのではないかと思ってしまう程に。

 比叡山の僧兵は実にいろんな業種に手を出している。年利5割~7割にもなる土倉(高利貸し)が最も有名だろう。これは応仁の乱を境に衰退の一途を辿るが、他にも『とある組織』と手を組んで『流通』なども積極的にやっている。主に『武力的』な方面で。琵琶湖の水軍である『堅田衆』が延暦寺の影響を受けているのもこれが理由だ。

 そんな破戒僧でしかない彼等はしっかりと生活し、戒律を遵守している自分達は生活もままならない。いったい『正しい』とは何だ?と禅問答したくなると浄岩はこぼす。


「結局、上層部の派閥争いの方が儲かるというさもしい話さ。俺達は本当に何の為に居るんだかな。悪いな、才蔵。兄貴の愚痴に付き合わせて」


「愚痴ってるのは俺だけなのか!?」


「はっはっは」


「俺もここに居ましたからその窮状はよく知ってますよ。その事で俺、殿に相談したんですよ」


 当然ではあるが、ここで暮らした経験のある才蔵は彼等の暮らしが如何に厳しいか、よく解っていた。だから恒興に相談したのだ。恒興はきっと六方衆の支持を欲しがる。それだけで興福寺との交渉に有利に働くはずだから。才蔵は言うなら今しかないと思って恒興に申し出た。

 恒興も恒興で興福寺との交渉が一筋縄ではいかない事は承知していた。恒興自身には興福寺に知り合いはいないし、無条件で歓迎される訳がない。興福寺と縁があると言えば筒井順慶だが途轍もなく頼りにならないのは容易に解る。恒興も興福寺に影響力のある誰かを探して思案していたところに、才蔵からの申し出があった。恒興はその申し出を喜び、彼に策を授けていた。


「お前の殿という事は、あの池田恒興殿か」


「ええ、そしたら殿はとっておきの金稼ぎがあるって」


「待て待て、だから我々が金稼ぎなど……」


「まあ、まずは聞いて下さいよ。大和国から伊勢国に到る『伊賀路』で野盗被害が頻発しているのは知ってますよね?」


 大和国からは三方向に商路がある。京の都と堺と伊勢国となる。そのうちの伊勢国に到る『伊賀路』において商人が野盗に襲われる被害が多発していた。これについては当初、伊賀国の野盗だと思われていたがそうではなかった。


「まあ、話は知ってる。伊賀国かと思ってたが大和国側らしいな」


「伊賀国に野盗なんて居ませんよ。そんなの居たら『伊賀衆』が瞬殺しますから。ま、彼等が野盗そのものと言っても過言ではないですがね」


「ああ、護衛料払わないヤツは襲われるらしいな」


 そう、伊賀国に野盗など居ない。『伊賀衆』がそんな者の存在を許さないからだ。だいたい彼等伊賀衆は護衛料を払わない商人を襲っておいて、「護衛料払ったら俺達が確実に守る」とうそぶくのである。それは確実に守れるだろう、襲ってくるヤツが護衛に早変わりしているのだから。だからこそ伊賀衆は同業者になり得る野盗を生かしてはおかないのである。自分達の商売の為に。


「それで六方衆の皆さんには商人の護衛をお願いしたいんですよ。大和国内で」


「我々が俗世の仕事をするのはなぁ……」


「うーむ、問題があるよなぁ」


「じゃあ、商人が「助けてくれ」って言っても見殺しにするんですか?」


「あ、いや、そういう訳ではないが……。なあ、兄貴」


「う、うむ、そんな事はない」


「つまり護衛の依頼は商人から出して貰う訳です。で、商人は護衛料を『御布施』として納める、と。これなら問題はないでしょ?」


 ただの誤魔化しでしかないが、依頼は商人から出させる。基本的に寺は助けを求める人を見捨てる事を良しとはしない。だから犯罪者でも匿ってしまう性質があるのだ。こうしておけば、その事を糾弾する者が現れたとしても言い訳が立つ。

 そして商人からは料金を『御布施』として納めてもらう。この体裁で行けば金稼ぎとは言えなくなる。


「それは、まあな。しかしだ、お前の言っている野盗というのはな……」


「知ってますよ。野盗の大半は『大和国の逃散した元農民』、食うに困って野盗化したって事くらいは」


「俺達に彼等を退治させようと言うのか!?」


「早とちりしないで下さいよ、浄岩師兄。六方衆には彼等に村へ戻る様に説得して欲しいんです」


「な、何?」


「筒井家では大規模な田直しを行うそうです。たぶん、松永家もやるでしょ。両家は親織田家で争う事もないですから」


「なる程な。田畑が直れば彼等も野盗をせずに済むか」


「それなら六方衆の看板も役に立つな。俺達なら他の兵士達より話もしやすいだろうよ」


 既に筒井家当主後見役の筒井順政は大規模な田直しを計画している。織田家松永家との戦争が無くなったので、全戦力を領地修復に向ける予定である。

 となれば農民が必要となるし、人手も必要だ。野盗化している農民が自然と戻ってくるには時間が掛かるし、兵士で説得しに行っても討伐しに来たのかと警戒される。六方衆の僧兵ならば野盗化した者達も話がしやすいだろう。それだけ地域に信頼のある彼等こそがうってつけの人選なのだ。

 それにだが逃散した農民が戻れば農村に人が増える。人が増えれば市が活気付く。市が活気付けば、六方衆の守り賃も増額される。彼等にとっては良い事しかない様な話なのだ。


「でしょう。護衛だって暇してる若い僧兵を派遣すりゃいいんですよ。行脚修行とでも銘打てば大丈夫。纏めると……」


 才蔵は話を順序立てて解説する。まずは商人から護衛の依頼を出してもらう。これに関しては恒興から根回しする予定となる。護衛料は御布施として納める。

 六方衆は護衛に僧兵を派遣、大和国の境まで送って伊賀衆に引き継ぐ。その間、元農民の野盗が現れた場合は村に帰る様に説得する。

 概要的にはこんな感じになる。


「こんな感じでどうです、浄岩師兄?」


「……うーむ、しかし嘘や誤魔化しを使って金稼ぎというのは僧兵として正しいのかと思うとな」


 浄岩はまだ渋い顔をしている。やはり嘘や誤魔化しをしている事に対する罪悪感がまだ残っている様だ。とはいえ、彼自身もだいぶ揺れている、はっきりと否定しないのがその証拠だ。才蔵はそれを理解し、恒興が言っていた必殺の言葉を出す事にした。


「それについて殿はこう言ってましたよ。「人を救う嘘は『方便』というべきだ」って」


「『方便』?……ぶぁっはっはっは、そうか、方便だってか!くくく、あーはっはぁ」


「おいおい兄貴、そんなに可笑しいか?」


「可笑しいだろう。方便は俺達、僧侶の専売特許だぞ。それを武家の池田殿に上手く使われてしまった、俺達以上にな。これが笑わずにいられるか!」


『方便』と聞いて浄岩は笑い転げる。『仏の嘘は方便』と言われる様に方便とは僧侶が扱うものである。

 世の中は真実だけが人を救う訳ではない。残酷な真実というのは存在し、人々を苛む。そういう時にこそ嘘を使って真実を捻じ曲げ人々を救う、それを方便と言うべきだと恒興は言う。

 かつて処刑場に引き立てられる子供達を憐み、「その子達は拙僧が得度させた。生まれ変わったのだから罪は無いし、俗世とも関わらない」と言った親鸞聖人の嘘も方便というべきだろう。因みにこの時に助けられ親鸞聖人の弟子となった少年達は処刑場の場所から『下妻しもづま』を姓とした。後の『下間しもづま氏』となる。


「はは、そうかもな。だが兄貴、これは悪い話じゃない。寧ろ積極的に乗るべきだ」


「だな。それで池田殿は俺達の支持が欲しいんだな、才蔵?」


「ええ、そうです」


「よし、なら人を派遣して方々に報せよう。浄林、やれるか?」


「任せろよ、兄貴。早速行ってくる」


 浄林は近場の僧兵達に報せるべく走り出した。遠くに居る六方衆は間に合わないだろうが、興福寺の近くに居る者達なら今日中に情報を回せる。それだけでも六方衆の約4割程になるはずだ。条件から言っても恒興の提案を拒否する者はほぼいないと思われる。その恒興への賛意を興福寺に伝える事が、彼への見返りとなる。出来る限り情報を回さねばと浄林は僧兵詰所に急いだ。


「それで才蔵、少しはゆっくり出来るのか?」


「まあ、今日くらいは」


「よし、槍の腕前が鈍ってないか見てやろう」


「いいんですか?また勝っちゃいますよ、俺」


「うるさい。累計ではまだ俺の方が上だ」


「そんな子供の頃まで含めないで下さいよ」


「はっはっは」


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【あとがき】


 ちょっと間隔が開いてしまいましたニャー。申し訳ありません。秋後半から冬にかけてはお仕事繁忙期なのです。年末年始でようやくまとまった休みが取れましたニャー。


『かの者達』については徐々に出していく予定ではありますが、明らかにするのは甲賀攻略後としています。これについてはただの妄想フィクションの一つ程度に思って欲しいといいますか、べくのすけは同じ論を持ってる人を知らないのですニャー。何処かのエライ歴史学者さんが同じ事言っていれば、これほど心強い事はないのですが。

 この存在を妄想する切っ掛けとなったのが『浅井家と朝倉家の仲』です。この両家は仲が悪いはずだとべくのすけは小学生の頃から思ってました。TVドラマで仲がいいと何回も放送されていましたが仲がいいエピソードが一つも無いのです。だからべくのすけは親に聞きました。何で浅井家と朝倉家は仲がいいのか?と。親の答えは「知らん」でした。その後も調べても出てきません。

 それどころか小谷城は朝倉家に占拠されていました。これは浅井家の宿敵である六角家からの要請であった事も解っています。朝倉家は下剋上の家なのですが、それをひた隠しにして名家として振舞っています。だから本物の名家である六角家からの要請は嬉しかった様で、朝倉家最強の軍神朝倉教景(宗滴)が乗り込んでくるとか言う気合の入りっぷりです。となれば朝倉家としては浅井家の事を「家臣の分際で六角殿を煩わすんじゃない」程度にしか見ていないはずです。

 そして大名でも豪族でも自分の本拠城を占拠される事は激しい屈辱となるはずです。観音寺城は除いて。

 これで仲がいいとか冗談にしか聞こえないのです。

 だからべくのすけは考えました。ならばこの両家を結び付けた『何者か』が存在するのではないかと。最初、べくのすけは本願寺派に目を付けました。たしかに本願寺派の動きは浅井朝倉と連携しています。それに延暦寺まで呼応している。……おかしい、本願寺派黒幕説は破綻している。まず本願寺派と朝倉家は不倶戴天の敵で交渉の余地がない。更に言えば、延暦寺と本願寺派も不倶戴天の敵で寧ろ高田派の方が延暦寺とは仲がいい。本願寺派は黒幕足りえない。

 浅井家、朝倉家、本願寺派、延暦寺、ついでに六角家、これを結び言う事すら聞かせる事が出来るのは誰だ?という迷路に入り、一つの答え(妄想)に辿り着いた訳です。それが『かの者達』という訳ですニャー。

 ……どなたか同じ事言ってる先生居ませんかね?

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