外伝 ウチの政さんがとってもすごいの
小田城から西へ進んでいた上杉小田連合軍は、道中何事も無く唐沢山城へと辿り着く。そして城の正面の丘に陣取り、敵方である佐野家の動向を窺っていた。
対する佐野家の対応は籠城策の様で、城から出てくる気配は感じられなかった。
なのでこれからの行動を決めるため、上杉陣中で軍議が開かれる事になった。
その場に桃色の大鎧で身を包み、白い頭巾、白いマフラー、白い陣羽織を着用した女性武者が白馬から降りてくる。その女性こそ上杉家当主・上杉景虎、その人……。
「氏治ちゃん、ご苦労様。唐沢山城に着いたからもういいよ」
「えへへ、『景虎ちゃんコス』、どうかな?私は気に入っちゃったの」
……ではなく、景虎の装束を借りた小田家当主・小田氏治であった。風魔の忍・小次郎が見た景虎らしき人物は氏治だったのだ。おそらく頭巾で顔まで判別出来なかったのだと思われる。
「いいね、よく似合ってるよ」
「でしょー」
「……おーい、二人共ー。軍議の場なんだけどー?」
氏治が馬から降りるのを手伝った菅谷政貞は氏治を褒め上げる。如何に上杉家の忍が優秀でも景虎が居ないとバレれば作戦の成功は危うい。つまり氏治の偽装も作戦の重要な要素であり、それを成し遂げた主君を褒めた訳だ。氏治はただ楽しんでいただけだったりするが。
そしてこの上杉小田連合軍の総大将である上杉卯松からツッコミが入れられる。
「しかし久し振りに来たが色々変わってるね。佐野家ご自慢の『鏡岩』が無いんだが何処行ったんだ?」
「政、アレじゃないのか。……ただの残骸だが」
唐沢山城の特徴的なシンボルというべき『鏡岩』を探してキョロキョロしてみせる政貞。『鏡岩』は唐沢山城の名物的な防衛機能として有名なのだ。その大岩は動かせないはずなので無いなど有り得ないのだが。
政貞が探していると横から真壁久幹が指を指して、唐沢山城前にある岩の残骸を指し示す。
「おやおや、小さくなったもんだ」
「多分、ウチの姉上に登られたから壊したんじゃね?」
卯松が指摘した通り、佐野昌綱は景虎が逆落としを仕掛けてきた『鏡岩』を前回の敗因として破壊した。といっても元々巨石だったので、完全に壊す事は出来ず、人の身長よりも少し高いくらいの岩が残ってしまった。
「大手門の位置もおくに引っ込んでますよ」
「相当な突貫工事だったんだろな。ご苦労さんなこって」
「『鏡岩』には苦戦しましたが、無いのなら簡単に攻め寄せられますな」
現在の『鏡岩』は景虎でなくとも登れる程度の大きさしかなく、防衛機能としては役に立たない。そのままだと大手門の壁を簡単に乗り越えられるため、与六が言った通り大手門の位置が奥へと移動していた。
大手門と城壁を新築したと思われるが、防衛力は寧ろ落ちているだろう。前回、『鏡岩』に苦労させられた柿崎景家も楽だと見ている。
「なあ、俺も『政』って呼んでいいか?」
「構わないよ。寧ろ上杉家の嫡子にそう呼んでもらえるのは光栄だね」
「弟の俺が嫡子になってるのは、姉上の結婚の可能性が那由多ほども無いせいだけどな。ははははは……ぐふぅ!?」
「?どしたの?」
「……いや、今、何かで胸を貫かれたイメージが……」
「……大変だねぇ」
卯松が景虎の名前を口にした時、彼は後ろから胸を貫かれた様な気がした。勿論、彼は本陣の最奥にいて後ろには誰もいないが。
突然、胸を押さえて苦しみ出す卯松に、相当なトラウマでも抱えているのかと政貞は心配した。
「で、どうすんだ、政。ウチの『軒猿衆』から小山家が寝返ったって報告があったぞ」
「僕らは東西を敵にはさまれた事になります。こうなると結城家もねがえるのでは?」
「軍を分けて対処するか、政殿」
この唐沢山城に着いた頃、各地で諜報活動をしていた上杉家の忍集団・『軒猿衆』から小山家の寝返りが報告されている。軍議というのも、この対処が一番の議題であった。
籠城包囲戦において外側からの援軍は脅威である。包囲するという事は軍勢を薄く拡げる必要があるため、一点突破の攻撃に弱い。敵襲に備えている城側ならともかく、外からの援軍には脆いのだ。
更に城と援軍の挟み撃ち状態になるため、尚の事、不利である。こういう場合の対処法は景家の言う通り、軍勢を分けて援軍を足止め、又は撃破する事だろう。
だが政貞は大仰に首を振って否定する。
「要らないよ。佐野家、小山家、結城家の寝返りは氏康くんの仕込み。想定内だよ」
「という事は、景虎様の方は気付いてないようですね。一先ずは作戦成功です」
「あのなぁ、与六、代わりに俺達が囲まれてるじゃねえかよ」
この寝返りが北条氏康の仕業ならば、彼は卯松の囮に引っ掛かった事になるだろう。ならば与六の言う通り、作戦は成功したと見て良い。
今頃は景虎が国府台に突撃しているはずだ。
ただその代わりにこの囮軍団が敵中で孤立する破目となっているが。
「それも心配ないよ。氏康くんは知らないのか忘れてるのか。この計画は最初から破綻してるんだよね」
「?政、どういう意味なの?」
「それは直ぐに解るよ」
全員の心配を余所に政貞は至って平静に答える、氏康の計略は破綻していると。
「それは良いのだが、唐沢山城の裏手に兵を配置しないのはどういう事だ?佐野昌綱が逃げる事を期待しているのか?」
「いいや、佐野家が本拠を捨てる事はないよ。そうなれば楽でいいけどさ」
「???」
「まあ、見てなって」
上杉小田連合軍は唐沢山城に着陣からというもの、大手門前に全軍が陣取り裏手門には軍勢を回していなかった。つまり包囲しているという体勢にはなっていない。そのため上杉軍諸将からも攻める気がないのかと疑問の声が挙がっていた。
この指示をしているのも政貞であり、上杉軍諸将を代表して主戦軍を率いる柿崎景家が彼に質問してみる。だがそれに対する政貞の解答は『待て』のみであった。
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「ふはははは!上杉景虎、この間はよくもやってくれたな。この新・唐沢山城が貴様の墓場となるのだ!」
唐沢山城の最奥にある城主館で大きな笑い声を上げる男がいる。彼の名は佐野昌綱、佐野家当主で唐沢山城主である。
昌綱は前回の唐沢山城攻防戦において大手門の督戦に出たところ、景虎の『一人逆落とし』を受けて敢えなく捕虜となった。彼はその事を屈辱に感じ、今回の北条家の提案に乗ったのだ。
昌綱は雪辱戦に燃えていた。ただ、もう大手門に行こうとは考えないが。
因みに新・唐沢山城というのは大手門の位置を変えたのでそう呼んでいる。
「あの、殿。敵は1万2千、こちらは4千なのですが」
「問題無ぁぁぁい!!何故ならこの後、小山家と結城家が寝返り、景虎めの後ろを襲う計画になっているのだぁぁぁ!」
「何ですとー!?」
猛る当主を複雑な思いで見詰めていた家臣は一応、忠告しておく。だが昌綱は全て計画通りだと宣言する。
今回の北条家の計画ではまず佐野家が寝返り、上杉軍の兵站戦を断つ。その後、焦ってやって来た上杉景虎を唐沢山城で足止めし、小山家と結城家を寝返らせ上杉軍の背後を襲わせるというものなのだ。
既に小山家と結城家は寝返りに同意しているとの事だった。
「前面には我が佐野家4千と堅城たる新・唐沢山城!背面からは小山家5千と結城家6千!つまり!上杉景虎は既に!1万5千に!包囲されているのだぁぁぁ!」
上杉軍は既に包囲されていると宣言する。城外からは小山家5千と結城家6千の兵が襲い掛かり、タイミングを測って昌綱も攻撃するつもりである。
三方からの攻撃、兵糧に不安があり包囲されて士気の上がらない(予定の)上杉軍。さしもの上杉景虎でも敗北は必至だと彼は主張する。
「寝返りさせて包囲って、何だか騙し討ちみたいですけど」
「何を言う、ここは戦場だ!騙される方が悪い!……フフフ、『卑怯者ー』と泣き叫ぶ景虎の顔が目に浮かぶわ!ハーッハッハッハ!」
戦場で騙される方が悪いという昌綱の言葉は正しいだろう。そもそも戦争とは虚々実々の応酬であり、より相手を騙した方が勝利を得やすい。一般に名将と呼ばれる者達は敵に自分の意図を覚らせないものだ。
どんなに優れた戦術を採っても、相手にバレていては成功率は低くなる。フランス王国の重装騎兵によるランスチャージ(騎兵が槍を構えて突撃する)が世界屈指の攻撃力を誇っても中々勝てないのは、相手にバレバレだからである。
対して包囲殲滅の名将として有名なカルタゴのハンニバル・バルカは相手に意図を覚らせず、ワザと弱点を晒して誘い込んで包囲するを得意としている。もしハンニバルの意図がローマ軍にバレていれば包囲殲滅は一つも成功しなかっただろう。相手が猪でもないかぎり。
そう言って笑いが止まらない昌綱の下に別の家臣が報告に訪れる。
「殿、小山家と結城家から書状が届いております」
「……書状?この城は包囲されているのに、どうやって書状が届いたのだ?」
「いえ、殿。上杉軍は裏手門に兵を回しておりませんので、そちらから来ましたが」
「?……不可解な。まあいい、どれどれ……」
昌綱は包囲をしない上杉軍の行動を訝しく思いながらも、小山結城両家の書状を読み進めていく。そして読み進める内に、昌綱の顔は正に顔面蒼白になっていった。
要約すると小山家の書状には『クソ鬱陶しい結城家がウチに攻めてくるみたいだから援軍はチョット無理だわ。ごめんね』と書いてあった。
そして結城家の書状には『クソ鬱陶しい小山家が北条家に付くみたいだから寝返り辞めるわ。ごめんね』と書いてあった。それぞれの書状には当主の花押(サインの様な物)が有り、捏造では無い事が直ぐにわかった。
「え?ナニコレ?じゃあ何か?ウチだけであの1万2千を相手にするの?え?マジ?」
「……殿、知らなかったんですか?小山家と結城家って無茶苦茶仲悪いんですけど」
「いやいや、同じ一族だろ、アイツラ」
「何百年前の話をしてるんですか」
結城家は小山家から分かれた同じ一族である。鎌倉時代初期に源頼朝の乳兄弟である小山七郎朝光が結城領を貰って姓を結城と改めたのが最初である。
分かれた当初は仲の良かった両家だが、何百年も経つと次第に険悪になっていった。とは言っても、いがみ合っているのは両家の当主くらいで家臣は辟易しているが。
だがそんな事は今の昌綱には心底どうでもよかった。重要な事は援軍が来なくなったという事だ。
「……は、謀ったなぁぁぁ!景虎ーっ、この卑怯者ー!」
(あれ?戦場云々は何処行ったんだろう)
佐野昌綱は涙目になって叫んだ。無理もない、当てにしていた援軍は1兵も来なくなり、目の前には1万2千の上杉軍。しかも相手は精強で鳴る越後兵が3倍の規模で目の前にいるのだ。
昌綱でなくとも泣きたくなる状況だ。
こうなると彼の採るべき道は玉砕、逃亡、降伏の何れかしかなかった。
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数刻後に上杉軍の陣が少し騒がしくなる。何事かと卯松が思っていると、彼の下に上杉家家老の直江景綱が報告にやって来る。
「卯松様、佐野昌綱が来ております。寝返りじゃないとか不幸な行き違いとか騙されたとか喚いていますがどうなさいますか?」
その騒がしさはどうやら来客によるもので、降伏してきた佐野昌綱であった。しかもこの期に及んで言い訳めいたものを喚いている様だった。
そして卯松と与六は政貞の意図をようやく理解した。
「……そういう事か、政。だから裏手に兵を回さなかったんだな」
「相手の情報を遮断しないためだったんですね。お見事です、勉強になります」
「そういう事。籠城包囲戦は城側の情報を遮断してしまうからね。援軍が来ると思い込んで頑強に抵抗されても面倒だし」
政貞は最初から小山家と結城家の寝返りを予測していた。この寝返りが約束されていないと佐野家の寝返りが成り立たないと見たのだ。
佐野昌綱とて勝利の図式が無い限りは寝返りをしない、どんなに屈辱に思っていてもだ。そのために歴史ある佐野家を道連れには出来ない。
だから簡単に予測出来たのだ、昌綱の勝利の図式は小山家と結城家の寝返りだと。そしてその図式が最初から破綻している事も見えてしまった。
政貞はその破綻具合を教えるために、唐沢山城を完全包囲しなかったのである。
結果、その情報を知った佐野昌綱はすっ飛んできた訳だ。
「佐野家の処遇だが政はどうするべきだと思う?姉上はブチ切れてると思うが」
「まだ戦をした訳じゃないし、向こうから投降したんだし許してあげてもいいんじゃないかな」
「佐野家の裏切りは2度目です。厳罰は必要ではないでしょうか」
佐野家は小田原征伐後、景虎が関東から出た隙に北条家に寝返っている。その小田原征伐前に北条家から離反して攻められたところを、景虎に救われたにも関わらずだ。
故に与六は厳罰が必要だと主張する。
「じゃ、兵糧を供出させようか。それくらいは佐野くんも覚悟してるよ」
「少し甘い裁定に思えますが……」
「佐野家に厳罰を下せば、また寝返られるだけだよ。彼等を潰した場合は更に厄介な事になる」
政貞の意見に与六は少し渋い顔をする。卯松も与六に同意見だった。
そんな二人を見て、政貞は厄介な事になると警告する。
「厄介な事?」
「大規模な一揆さ」
「……そう言えば姉上も言ってたな」
「そんなに民から慕われているのですか、彼は」
「慕われているね。その上でとても歴史がある。佐野家の興りは平安末期、藤原北家秀郷流なんだよ。他には小山家、結城家、宇都宮家、そしてウチ、小田家もそうだ。所謂、『小山党』さ」
藤原北家秀郷流とは平将門討伐で有名な『俵藤太』こと藤原秀郷の子孫である。彼等は『小山党』と呼ばれ、小山家を本家としていた。ここから派生した家が結城家、宇都宮家、長沼家、比企家、山内家、波多野家、八田家、藤姓足利家(足利将軍家は源姓足利家)など多数である。この内、藤姓足利家が佐野家の元となっている。小田家も小山党の一つで八田家が元である。
「同じ領地を何百年に渡って治めているんだ。並大抵の事じゃない。幾つかの家を乗っ取ったり潰したりしてきた北条家でも、成田家や千葉家の様な大物には手を出していない。手を出すととんでもない一揆に繋がりかねないからだ。その覚悟があるなら止めないよ」
成田家の家祖は藤原北家世尊寺流の藤原基忠。(諸説有り)
千葉家の家祖は平将門の孫である平忠常。
どちらも西暦1000年以前にはもうその場所に土着しており、どう考えても500年以上同じ領土を治めている。
この歴史ある名家は興ってから滅びた事が殆ど無い。勢力が減退する事はあっても消えたりはしないのだ。
この戦国期に消えた関東の名家といえば、幾つかの上杉家くらいだろう。消えたと言っても勢力が無くなっただけで家自体は家臣化して残っているが。
勢力が減退した家が復活するという事は、それに力を貸す存在がいるという事だ。その正体こそ『領民』なのである。
この好例となっているのは小田氏治である。彼女は何度も小田城を失い、政貞の元に逃げている。その無類の戦下手の氏治が毎回小田城主に返り咲ける要因が小田領民なのである。
何しろこの小田領民は税を払わないのである。困った新領主が何故税を払わないのかと訊ねると、税は既に払ったと解答してくるのだ。どういう事かというと、小田領民は
こうなると新領主は取り立て出来る物が無いし、兵糧の確保も難しい。そしてそうこうするうちに菅谷政貞が来て小田領民一斉蜂起となる訳だ。
こうして小田氏治は何度も復活するのである。
佐野家を潰した場合、これと同じ事が起こると政貞は警告しているのだ。
「了解した。じゃあ、3度目はないぞって脅しとく。姉上に甘いって怒られないだろな」
「俺からも一言、言っておくよ」
「頼むわ」
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佐野家の処理を終わらせた卯松は軍勢を反転させた。姉である景虎が居るであろう国府台に向け、その途上にある小山家の祗園城を攻略しようとしていた。
そしてそんな彼の下にある男が現れる。その報告を直江景綱が持ってきた。
「卯松様、小山秀綱が来ております。寝返りじゃないとか不幸な行き違いとか騙されたとか喚いていますがどうなさいますか?」
「デジャブだな、おい……」
卯松は関東諸侯のあまりに速い変わり身に頭を抱えたくなる。どうしてそんなに躊躇なく寝返りが出来るのかと。まあ、そこが『関東魔境』と呼ばれる所以かも知れない。
とりあえず卯松は政貞と共に小山秀綱と会う事にした。関東情勢に詳しい彼が居れば小山秀綱の言葉が嘘か真か解ると思ったからだ。
「お目通りが叶い、恐悦至極に存じます。今回は多少行き違いがありましたので、直接謝罪に参りました」
「……行き違いねえ……」
「本当ですよ。いやー、部下の一部が先走った様で困りましたよー。ウチは上杉殿への忠義一筋なのにねー。あ、でもその先走ったバカは追放処分にしたんで、もう大丈夫ですよ。」
(忠義?忠義って何だ?)
(寝返らない事さ……普通はね)
卯松と接見した小山秀綱はいけしゃあしゃあと喋り始めた。目の前にいるどう見ても胡散臭いお調子者に、さすがの卯松も辟易してくる。
そう、『忠義』の意味を小一時間、問い質したいほどに。
「ははは……。でもどうやら卯松様は私の事を疑っていらっしゃるご様子で」
「当たり前じゃないか」
「じゃ、正味の話をさせて頂きます。横に菅谷殿がいるので理解してもらえるでしょう。私はね、あの結城晴朝と同じ陣営で轡を並べるのが嫌で嫌で仕方ないんですよ。それが部下に伝わったのが原因かなーと思う訳ですよ」
(政が言ってた小山家当主と結城家当主は仲が悪いってアレか)
政貞が北条家の計略が破綻している要因に小山家当主と結城家当主の仲が険悪というのがあった。今回はそれが主原因として作用していたのだ。
小山秀綱が寝返ったのは結城家が同じ上杉陣営に居たからで、結城晴朝が寝返らなかったのは小山家が北条陣営に寝返ったからなのである。
つまりこの二家はお互いが別陣営に居ればそれで良かっただけで、上杉北条の思惑などどうでもいいのだ。
というかこの小山秀綱と結城晴朝は実の兄弟であり、結城晴朝が小山家から結城家に養子に入った。なので実はただのはた迷惑な兄弟喧嘩だったりする。
「だからウチは上杉殿支持を貫きますって」
「何でそういう結論になるんだ?」
「多分、結城家が直ぐ北条家に寝返るって話だと思うよ」
「そう、菅谷殿の言う通り。結城家はね、今でも自分達が古河公方の家臣だと思ってる訳ですよ。で、現・古河公方である足利義氏は北条家の傀儡な訳です。何が起こるか分かりますよね」
以前、結城家は幕府のやり方に反抗し、鎌倉公方の遺児を擁立し戦った事がある。所謂『結城合戦』である。
時の将軍・足利義教はこれを許さず、結城家に対し徹底的な殲滅戦を行った。そして結城家の勢力はすり鉢で潰されるが如く、消滅の淵まで墜落する。義教の殲滅戦は本当に女子供の一人として生かしておかないレベルだったのだ。
その後、足利義教が暗殺されると鎌倉公方の遺児・足利成氏(初代古河公方)が復権する。彼は僅かに残った結城家の者を引き上げると結城家を復興させた。
それ以降、結城家はこの恩を忘れてはならないとし、大名でありながら忠実な古河公方の家臣となったのである。
つまり北条家に居る古河公方から命令が出れば簡単に寝返るという訳だ。
「成る程ね、そう言われれば俺でも何が起こるかは理解出来るわ」
「そういう訳なんで、ウチの事は信用してくれて大丈夫ですよ」
「……ああ、そう……」
卯松は頭が痛くなってきた。
敵将・北条氏康の計略を潰したのが、ただのくだらない兄弟喧嘩だった事。現在、上杉方に居る大名が寝返り確定である事。そして寝返り確定大名は今回、小山家を抑えた功績があるので処罰出来ない事など。
彼は改めて『関東魔境』の恐ろしさを思い知った。
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卯松率いる上杉小田連合軍は祇園城から南下しそのまま国府台城へと入った。特に戦闘は無かったので、唐沢山城に行って帰ってきただけとも言える。
そして卯松はそのことを姉であり上杉家当主・上杉景虎に報告する。
「ご苦労様、卯松。兵に損害を与えなかったなんてやるわね」
(おお、姉上に褒められるなんて、明日は雪か?いや、槍だな)
「いやー、それほどでもー」
「与六から計画立案指揮は全部、政貞だって聞いたけどね」
(与六ー!?余計な報告してんじゃねー!)
与六はキッチリという性格をしているので、見た事知った事をそのまま景虎に報告していた。もちろん卯松に都合の良い様な脚色はしていなかった。
「あ、あのー、姉上、それはですね」
「別に怒ってないわよ。部下の進言を聞き入れるのも大将の務めだもの」
(アンタは全然、聞き入れないけどな)
「……て、言うか、さっきから余計な心の声が聞こえてくるんだけど。槍が降る?私が何も聞かない?今直ぐ串刺しにされたいのかしら?」
「ごめんなさいー!?」
卯松は人の心の声まで受信出来る様になってきた姉に恐怖した。
国府台城に上杉本軍と小田軍が到着した事で、上杉景虎は諸将を集め軍議を開く。出席者は上杉景虎、上杉卯松、里見義堯、太田資正、太田康資、小田氏治代理の菅谷政貞である。つまりそれぞれの軍の代表者という訳だ。因みに小田氏治は長距離行軍で疲れた様で政貞が寝かせた。
「これで上杉軍に小田軍まで揃ったから、江戸城攻略に行きましょう。どうかしら?」
(江戸城攻略か、出来れば避けたい。早急に戻って軍の再編をしたいのだが)
(此度の勝利は上杉殿あってのもの。俺達が反対する事は出来んか)
里見義堯と太田資正は渋い顔をする。今回の国府台合戦は最終的には勝利だったものの、両家の被害も相当なもので暫くは軍の再編に努めたかった。だが今回の勝利をもたらした景虎にあからさまな反対意見を述べる事は出来なかった。
功績が無ければ発言する事も難しいのだ。それこそ「やられてただけの人間が反対するの?」と言われかねない。そんな風に言われでもしたら当主の面目も丸潰れである。
「景虎殿、意見してもいいかな?」
「どうぞ、政。佐野家と小山家を早期に降した手腕は見事だったわ。意見を聞かせてもらいましょう」
そんな苦虫を噛み潰している面々を余所に政貞が発言する。景虎も上杉兵を損なう事無く、目標を達成した政貞を高く評価している様だった。
「それはどうも。端的に言うと江戸城攻略は反対だね」
「それは何故?江戸城を攻略すれば、北条家はかなり弱体化するでしょ?」
「理由は……俺が言うより元の持ち主に語って貰おうかな。なあ、康資殿?」
江戸城攻略を反対した政貞は話を太田康資に振る。元より発言権などほぼ無かった康資にとっては渡りに舟となった。
「ん?ああ、そうだな。私も反対だ」
「?元の領地を取り戻したくないって事なのかしら?」
「そうじゃないんだが、あの城は簡単に落とせる代物じゃないんだ」
江戸城の元の持ち主である太田康資が反対なのは景虎にとっても意外だった。領地を取り戻す気が無いのかと。
だが康資の意見は取り戻したくないではなく、あの江戸城は落ちないであった。
「そんなに堅い城なの?」
「いや、堅くないな。規模としても中規模程度、構造的に見ても大した事はない」
「じゃあ、何で反対なのかしら?」
「……周りが全部、湿地帯なんだ。大軍が布陣出来る場所が無い」
「……また泥城なの。いい加減にしてよ」
そう、この頃の江戸周辺は全て『湿地帯』なのである。殆ど水没しているに近い。
故に江戸は豊かな穀倉地帯などではなく、水の来ない場所に僅かな田畑しかないという有様であった。拠点としての価値は江戸湾と荒川利根川を見張れる程度しかない。
景虎の頭の中にはあの忍城攻防戦が思い浮かんでいた。
「荒川利根川水域はそんなもんさ。あの川さえ何とかなれば、関東は日の本一の穀倉地帯になれるのにね」
理由は単純で『水量が多過ぎる』、これに尽きる。
何せ荒川と利根川は上野国辺りから色んな川と合流して並走し、両川とも江戸を河口としている。そのため二つの川で水量は途轍もない量になり、周辺は水没する。現在は夏で水量は増大しているので更に酷い。
房総半島が孤島の様に認識されていたのはそのせいである。舟無しで渡る事が出来ないからだ。
「上杉殿が攻め寄せれば、確実に湿地帯に布陣する破目になる。その上、江戸城は湿地帯にあるため掘れば水が出る。つまり水の手が切れないんだ」
「こちらは湿地帯に布陣してガリガリ士気が削られるのに、相手は悠々長期戦が出来るって事!?誰よ、こんな最悪な城造ったの!?」
「すいません、ウチの曾祖父なんだ」
「太田道灌公ですよ、姉上」
「問題はそれだけじゃないんだよね。あの城自体は平地にあるから籠城側は過ごしやすい。相手が弱ったところを奇襲なんて、お手の物だよ。あの城は守るためにある城じゃない、迎撃するためにあるのさ」
この江戸城は太田道灌が江戸氏の領地に建てた城である。その狙いは当時、敵方であった千葉家に対する前線基地なのだ。そのため江戸城は通常の『守る城』ではなく、攻め寄せた敵を始末する『攻める城』として工夫されている。
まずこの城は湿地帯の真ん中にあるため、井戸を掘ると簡単に水が出る。たとえ食料が無くても水さえあれば人は長期間耐える事が出来る。
そして海に面している(現在は陸地だが、当時は水没している)ため舟(小型船)での出撃が可能。湿地帯に陣取って弱っていく敵を簡単に奇襲できる。江戸湾から荒川を遡って、援軍が来たと見せ掛ける事も出来る。
つまり長期間籠城が可能な上に、この城一つであらゆるゲリラ戦術が展開出来る『攻める城』、それが江戸城なのである。この城を攻略するならまず大量の舟を用意しなくてはならないだろう。
これを聞いてさしもの景虎もゲンナリしてしまう。
「それで上杉殿、如何なさる?」
「止めておきましょう。秋も近いし帰るわ」
「それならば我等も戻ります」
ホッとした表情で言葉を返す里見義堯。景虎が江戸城攻略を諦めた事で帰れると安堵した。
(江戸城攻めは回避出来たか。……政には借りが出来てしまったな。て言うかアイツ、あんなに饒舌だったっけ?しかも喋り方が全然違う様な……)
ホッとしたのは太田資正も同じだったが、彼は政貞の豹変に驚いていた。前はもっと厳しい喋り方をしていたはずと。だが彼の弁舌で回避出来たといっていいので、借りには思っておこうと考えた。
「あとは氏康が棄てた葛西城の処分ね。誰に預けようかしら」
「康資殿がいいんじゃないかな。彼なら江戸の家臣を呼べるし」
北条家が放棄した葛西城は既に接収されている。この城が今回の戦いの発端となったのだから、景虎は然るべき人物に預けたいと思った。上杉家では遠隔地すぎて管理不能なのだ。
そこで政貞は太田康資を推す。彼は現在所領を持っていないので家臣も殆どいない。だが元家臣は江戸に大勢いるため、領地さえあれば直ぐに呼べると政貞は進言する。
これで親上杉の勢力は増強される訳だ。
「そうね。康資殿、受けてもらえるかしら?」
「はっ、お任せくだされ!」
「良かったな、康資殿」
「康資殿、これからは隣同士だ。危機があれば里見家を頼ってくれて構わんぞ」
「ありがとう、資正殿、義堯殿」
太田資正と里見義堯も康資の城主就任を祝う。二人としても北条家と戦う仲間(戦力)が増えて嬉しいのだろう。
「さて、これで一通りの処理は終わったわね。最後に小金城をさくっと落として帰りましょう」
(いや、そんなスナック感覚で城を落とすって、アンタ。皆、呆然としてるぞ。……あ、政だけ笑ってら)
この後、千葉家の小金城に上杉・小田・里見・太田の連合軍、約2万が襲来した。小金城の兵力は2千程、とても守りきれるものではない。
だが籠城すればある程度持ちこたえ、援軍到着まで粘れたかも知れない。……だが、そんな希望的予測を打ち砕くが如く、前陣には
景虎は氏康の本陣に突撃出来なかった鬱憤を、越後兵は唐沢山城で戦えなかった鬱憤を晴らすべく恐ろしい猛攻を加えた。結果、小金城は二日と保たず落城、守将の高城胤吉は逃亡した。
小田・里見・太田の兵士達はその猛攻を目の当たりにして、「もうアイツラだけでいいんじゃね?」と感想したという。
とりあえず小金城は国府台城防衛強化のため里見家に引き渡され、上杉景虎は帰国の途についた。
そして案の定、結城家は北条家に寝返った。
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【あとがき】
恒「政さんの快進撃が止まらないニャー。でも何故、外伝主人公に氏治ちゃんじゃなくて菅谷政貞をチョイスしたんだニャ?」
べ「べくのすけは戦略話は好きだけど、戦術話も好きなんだ。でも本編主人公の恒興くんが謀略型戦略家に設定されているから、戦術話が殆ど書けてない。その不満の捌け口が『外伝』という訳さ」
恒「そりゃ、悪う御座いましたニャー。ニャーの事を勝手に謀略家に設定したのテメエじゃねえギャ」
べ「そんな訳で外伝は戦術話が多めなんだよ」
恒「まったく、政さんは何処まで活躍を続けるのかニャー」
べ「……あと2、3回で物語から退場するよ。ついでに小次郎も。小次郎はそのために設定したんだからね」
恒「……あと何年間、書くつもりだニャ?」
べ「何年掛かるんだろうねえ」(汗)
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