姉川会戦 他所

 木下秀吉が率いる軍団は横山城に到着した。総勢3000である。今のところは横山城から迎撃すらなく、秀吉は横山城の出入り口を封鎖した。そして攻撃を開始する前に、横山城の偵察を担当した蜂須賀正勝を呼ぶ。


「さて、横山城に取り付くか。小六……じゃなくて、彦右衛門」


「応よ。やっと呼び捨てに慣れてきたみたいだな」


「主君として威厳を示せってんだろ。でも『小六』の方が呼びやすいんだけどな~」


「しょうがねえだろ。『蜂須賀小六』は川並衆蜂須賀党の頭領の名乗りなんだから。俺はもう川並衆じゃねえんだよ」


 川並衆蜂須賀党の頭領『蜂須賀小六』という名前は頭領が代々名乗っている名前だ。なので蜂須賀党から離れた蜂須賀正勝は通称を彦右衛門に直した。現在の『蜂須賀小六』は彼の息子で、後の蜂須賀家政である。

 組織において自分の名前を名乗らずに、先代の名前を受け継ぐ事はよくある。指揮権の所在をはっきり出来るし、名前が変わらなければ取引先にも認知されやすい。それが連綿と続き伝統となった感じである。他には紀伊国雑賀衆の頭領は『雑賀孫一』を代々名乗っているという。


「そりゃそっか。ま、それは置いといて横山城の様子は?降伏してくれりゃ楽でいいけど」


「横山城の城兵は多く見積っても100といったところだ。だが降伏の呼び掛けには矢の返事が来たぜ」


 蜂須賀正勝は既に横山城に対して降伏勧告を行った。しかし横山城側は使者を門内に入れる事はなく、弓矢を射掛けて返事とした。門まで行った使者達は這々ほうほうていで帰ってきたとの事。


「勝ち目など無いのに何故」


「浅井長政が来ると思っているとか?」


「彼等は浅井長政が来るとは考えて無いでしょうね」


 横山城の頑なな態度に浅野長吉と木下長秀は首を傾げる。勝ち目など全く無い、城を囲まれた。この状況なら降伏しても仕方ない、その様に世間は考える。ここまで来たら降伏しても恥にはならない、という事だ。だが彼等は降伏しない。なら浅井長政が来るのだろうか、と二人は考える。その考えは竹中半兵衛重治によって否定される。


「半兵衛、城兵は何で降伏せんのだ?いったい何が望みなんじゃ?」 


「おそらくですが、彼等は既に『死兵』なのでしょう。勝ち目が無いのに逃げもせず、交渉にも応じない。彼等は浅井長政のために死ぬ事しか考えていないのでしょう」


 横山城の兵士達は『浅井長政は来ない』事ぐらい最初から知っている。城兵の殆どを本隊に加えたのだから。なので残された兵士達は浅井長政の理想に殉じて死ぬつもりなのである。それ程に浅井長政の理想は領民に支持されている。そう竹中半兵衛は解説する。


「なんちゅうこっちゃ。浅井長政は他人に死を強いる事が出来るんか」


「ええ、だからこそ浅井長政は大変危険なのです。他人に自分の理想を生きていると勘違いさせる力があるのです。彼の理想は他人を巻き込み続けるでしょうね」


「おっそろしいがや。人生、生きてこそだろ。浅井長政は信長様とは正反対の男か。信長様は俺みたいな男でも引き上げて活かして下さるからな」


 秀吉は浅井長政を恐ろしい男だと評した。秀吉からすれば浅井長政は言葉巧みに他人を死へ追いやっている様にしか感じない。自分の様な馬の骨でも重用し、生きる道を与えてくれる織田信長とは正反対だと。


(それは才能次第ですがね。曹孟徳の『唯才主義』の様なものです)


 曹孟徳の『唯才主義』とは求賢令などに代表される曹操の政策である。彼は才能のある者は何であれ引き上げようとした。それが例え犯罪の才能でもだ。詐欺師なら外交官が向いている、スリの才能なら抜取り防止の警備員に向く、といった具合だ。その裏には魏の国の深刻な人手不足が背景にあった。織田家も大絶賛、人手不足である。なので曹操と織田信長は似ていると言われるのだろう。この二人に共通するのは「領地を急拡大し過ぎた」である。


 この『唯才主義』が早くから曹操に仕え、その覇業に重きを為し王佐の才と評された荀彧と決裂する元となった。荀彧は曹操から『我が子房』とまで信頼された軍師、官吏である。『子房』というのは漢王朝建国の功臣である軍師・張良の事で、彼のあざなを『子房』という。自分の側近の中で最も優秀で信頼してるよ、という意味らしい。中華史では度々使われる表現である。五胡十六国時代の前秦の皇帝である苻堅も王猛を登用する時に『我が子房よ』と呼び掛けたらしい。王猛は「この皇帝は痛い人だな」と思ったとか。

 荀彧は儒教を学んだ『儒家』と呼ばれる人物で、たくさんの優秀な人材を曹操に紹介した。当初、曹操は荀彧から紹介される優秀な人材に喜んでいた。それを活かす事で曹操は支配圏を急拡大する事に成功したのだ。しかし支配圏が拡大するという事は潤沢な人材が必要となってくる。南には呉、蜀といった国があって敵対している。武官も文官も足りない。なので荀彧が紹介する人材では人数が圧倒的に足りなかったのだ。そのため曹操は『唯才主義』を掲げて人材確保をしたのである。

 荀彧をはじめとした儒家はこれに猛反発した。荀彧は「私が才能ある者を厳選しているのですよ」と諌言した。これに対して曹操は「お前の言う才能は『儒教の素養』だけだろう」と反論した。

 これはその通りで、荀彧は『儒教の素養』が高い人物ばかり推挙していた。勿論、『儒教の素養』が高いという事は勉強が出来て優秀なのだろう。だが反対に『儒教の素養』が低い人物はどれだけ才能に溢れていようが荀彧は一顧だにしなかった。『儒教の素養』だけで人間を測るなと曹操は不満だったのだ。

 例として有名なのは三国志最強の呼び声高い『呂布』である。『飛将軍』と呼ばれ武勇を誇った呂布は激戦の末、曹操に敗れて捕らえられる。ここで呂布は「曹操に仕える。俺を用いろ」と提案。曹操も呂布という猛将は欲しいと思っていた。しかし、これに荀彧をはじめとした儒家が猛反発し処刑を叫んだのである。荀彧達から見た呂布の罪とは曹操に対して裏切った事ではない、暴虐を働いた事ではない、董卓という大悪党に与した事ではない、『親殺し』を行った事だ。しかも2回。呂布は董卓を与する時に養父であった丁原を殺した。そして新たに養父となった董卓も殺した。これが儒家達の逆鱗に触れたのだ。

 ご存知かどうか、儒教において『親孝行』はかなり上位の善行である。反対に子が親を殺すなどあってはならない至上の罪業である。それを呂布は2回も行った、万死に値する。と、儒家達の鼻息は非常に荒かった。曹操も「また呂布に裏切られたら堪らんしな」と思い、儒家と争ってまで呂布を登用しようとはしなかった。そして呂布は処刑された。

 この様に儒家は『儒教の素養』が低い人物を評価しない。人間として見ていないと言っても過言ではない。呂布などケダモノだと見ていただろう。三国志の時代はこういう儒教至上主義が蔓延している時代で、曹操は儒家の選民意識が不満で『唯才主義』を掲げたのだ。

 この『唯才主義』が何をもたらしたのか、後の事を少しだけ語ろう。曹操はその後も人材の登用を進めた。文官は荀彧をはじめとした儒家達が人材を連れて来たが、武官はまるで足りなかった。そこで曹操が目を付けたのが、匈奴族や鮮卑族に代表される遊牧騎馬民族『胡族こぞく』である。彼等を傭兵の様に登用して武官の確保をした。また、胡族をたくさん移住させて荒れ果てた河北に植民もさせた。武官も確保して農民も増やせる一石二鳥とでも思ったのだろうか。だが、やり方は問題しかなかった。

 武力を買われて傭兵になったのはまだいい。河北や西域に移住させられた胡族は問題しかない。戦争捕虜として強制移住させられた者達ばかりだ。いつもの生活をしていたら、突然、魏軍が襲撃してくる。抵抗する者は全て殺し、捕えた者を強制的に河北へ連れて行った。移った先ではほぼ奴隷であり、慣れない農作業の強制労働。その上で苛烈な搾取でかなりの人数の胡族が餓死した。更に漢族からは儒教の素養が全く無いため、獣、蛮族扱いされて蔑視されていた。それでも胡族は中華内で人数を増やしていき、北部や西部では3人に1人は胡族という状態になったという。この胡族が三国志の後に成立した晋王朝が『八王の乱』で混乱すると大爆発を起こした。

 漢族と胡族、はっきり分けられた世界で、儒教の素養が無いという理由で人間扱いすらされない。奴隷扱いは当たり前で搾取も当たり前、どれ程の胡族が餓死しようが一顧だにされない。その上で漢族は良い暮らしをしていて柔弱である。貴方が胡族だったとしたら漢族に対して何を思うのか?その答えが地獄すら生温い殺戮時代『五胡十六国』の始まりである。

 この時代に漢族の儒教至上主義は叩くだけ叩かれ、大きく衰退した。それと代わる様に西域から仏教が躍進を遂げ、中華内を席巻するのである。


「どうでしょうか、殿。ここは一つ、上野殿を手伝ってみては?」


「と言うと、何をするんだ?」


「木下軍団を分けて、浅井長政を奇襲するのです。横山城には半数も当たれば充分でしょう」


 竹中半兵衛の提案は軍団の半分を遊撃隊にして池田恒興を援護しようというもの。横山城の兵数は多くても100人。半数の1500人でも充分に対応出来るはずだ。


「うーん、しかし上野は勝手な事をすると怒るからな〜」


「上野殿は近江経略の責任者。近江国を織田家の物にするには浅井家を必ず降さなければなりません。勝率が上がれば問題は無いでしょう」


 秀吉は勝手な事をすると恒興が怒ると悩む。まあ、よく勝手に動く者に恒興は怒っているので想像に難くない。

 それに対し、竹中半兵衛は勝率が上がれば問題は無いという。池田恒興は近江国を信長の大きな『財源』にしなければならない。その為には何としても浅井家を降さねばならないのである。最終目標に沿うのなら、恒興も容認するであろうと半兵衛は語る。


「そりゃそうか。ま、連絡しときゃ大丈夫だな。さて、誰に行かせるか」


「私が行きますよ」


「えらくやる気だな、半兵衛」


「少し因縁がありますので」


「ああ、織田家に来る前にやり合ってたんだっけか。分かった、編成は任せる」


「有難う御座います。弟の久作と前野殿を連れて行きます」


 秀吉から許可を貰った竹中半兵衛は遊撃隊の編成をする為に陣を出て行った。半兵衛が遊撃隊に連れて行く武将は彼の弟の竹中久作重矩と前野将右衛門長康との事。


「それでどうするんだ、殿?」


「どう、とは?」


 竹中半兵衛が立ち去った後、蜂須賀正勝は秀吉に問い掛ける。


「横山城だよ。強攻するのか?」


「まさか!まともにやり合っても被害しか出んわ!」


 正勝の問い掛けは横山城攻めの方策だった。正面から攻めるのかと尋ねる彼に秀吉は大袈裟に拒絶した。死兵に正面から挑むなど地獄の道連れにされるだけだと。1500対100なので負ける事はないが、被害はなるべく出したくないと秀吉は考えている。


「じゃあ、どうするんだ?包囲戦か?」


「まあな。……そうだ、箕作山城と同じ目に合わせてやろう。抵抗も出来なくなれば人死にも最少で済むからな」


「成る程、寝かさないって事か。了解した。部隊を編成してくる」


「おう、頼んだ」


 なるべく被害を出したくない秀吉は一計を案じた。前に戦った箕作山城で竹中半兵衛が使った作戦を使う事にした。これなら城兵の抵抗は無力化出来るし、敵味方双方の被害も最少限になるはずだ。蜂須賀正勝は全てを理解して、部隊の編成に掛かる。

 木下秀吉は一度見た戦術は理解して模倣出来る程、戦術理解度が高まってきていた。


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【あとがき】


 戦場の女神NIKKEというゲームでチェーンソーマンコラボをしてますニャー。べくのすけはチェーンソーマンのファンですから。アニメしか知らない勢ですがニャー。

 という訳でニケを始めました。イベントガチャでマキマさんとパワーさんが出てます。ゲームを少し進めたらイベガチャ10連チケットを貰いましたのでマキマさんガチャに突撃。SSR確率は4%なので、まあ、無理かニャー。

 と思っていたら10連中3個がSSR。3人中3人がマキマさんでした。……今年のガチャ運は全部使い果たしたなと思うべくのすけでした。

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