謀議の町 後編

 恒興は天王寺屋を出ると『薬屋』という店を訪ねる。この店は薬種問屋を営んでいる小西隆佐の店である。商人の中には武家から商人に転身した者もいれば、武家と付き合う中で名字を与えられる者もいる。そういう者達は店の屋号の他に名字も持っている。例えば恒興の義父である天王寺屋の助五郎は『津田』という名字を持っている。他にも納屋『今井家』、魚屋『田中家』、薩摩屋『山上家』などがある。

 小西隆佐にとっては堺の店は支店になる様だが、最近はこちらに居ると聞いていた。なので恒興は時間を作って面会した。自分の息子の話も聞きたいだろうと思ったからだ。小西隆佐は丁度、店に居た様なので直ぐに面会出来た。


「お久し振りですな、上野介殿。弥九郎は役に立っておりますやろか?」


「問題ありませんニャ。皆と仲良くやってますよ」


 小西隆佐は早速、息子の弥九郎の事を聞いてきた。まあ、当然だろう。恒興も弥九郎は元気にやっていると伝える。


「将来的には侍に取り立てて貰えますやろか?」


「ニャーはそのつもりですが、よろしいのですかニャ?商家を継がせないので?」


「私の薬屋は主に薬種問屋を生業にしておりますが、事業規模はそこまで大きくないんですわ。次男の弥九郎に暖簾分け出来るかどうか」


(それは何十年も先の話なんじゃないかニャー。立身出世の機会を狙ったって事かニャ?)


 小西隆佐は弥九郎を将来的に侍にしたい様だ。恒興としては問題無い話だが、普通は店を継がせるものではないのかと疑問に思う。弥九郎は次男であり兄がいるのだが、店は大きくなれば暖簾分けするものでは?と思うのだ。

 彼の目論見は分からないが、恒興にとって小西弥九郎は有益である。弥九郎は商家の出身である為か、商人との交渉がとにかく上手い。犬山に出来た馬卸し市場で馬行商と商人の間を双方納得の形で取り持ったらしい。池田家の商業担当奉行の土屋長安が弥九郎の事を絶賛していた。恒興としては小西隆佐が良いというなら家臣に取り立てる予定である。


「そういえば小西殿は京の都の店が本店なんですニャー」


 恒興は京の都で西陣織の工房を訪ねた帰りに小西隆佐の店に立ち寄った。息子である小西弥九郎から薬屋の本店は京の都だと聞いていたので顔見せに行ったのだ。しかし小西隆佐は不在で店の者達は「小西隆佐は堺の支店に居る」と言われた。


「ええ、堺会合衆は元々、都商人が多く商品の一大集積地である堺に移った者が大半ですわ。例えば天王寺屋さん、津田家の方々も元は都商人で、近江国にも勢力が有るのはその為です」


「ニャるほど、義父殿の津田家は本店を堺に移し、小西殿は残したと」


 堺会合衆の商人はそもそも京の都にルーツがある者が大半である。京の都と重要港である堺に拠点を構えて流通と商売をしていた。しかし京の都は度々戦火で焼かれるため、何時しか堺に拠点を移す商家が多くなり、それが集まって堺会合衆になった経緯がある。


「まあ、私の場合は少し事情も有りますよって。その件で池田様のお力を貸して頂きたいんですわ」


「?ニャんです?小西殿には世話になってますから、出来る限りはしますよ」


「少々、お待ち下さい」


 小西隆佐は一度退席して、直ぐに戻って来た。その後ろには2人の人物が付いて来ていた。その2人は今世では初対面ではあるが、恒興がよく知る人物であった。


「コニチワーハジメーマシテー」


「は、初めましてだニャー」


(コイツ、間違いニャい。伴天連の宣教師ルイス・フロイスだ。小西殿の所に居たのか)


 ルイス・フロイス。

 ポルトガルのカトリック司祭であり宣教師。所属はイエズス会となる。織田信長と面会した宣教師として有名で、恒興も前世で会った事がある。性格は剛直な人柄で、キリスト教の理念に添わない人物は敵視する傾向にある。織田信長に関してもかなり批判的な事を日記に残している。日本語ではないので好き勝手に書いたのだろうが、現代では貴重な資料になっている。


「上野介様、お初にお目にかかります。こちらはキリスト教の宣教師でルイス・フロイス神父です。私は従者を務めておりますロレンソ了斎と申します」


「改宗者かニャー」


「はい、以前は琵琶法師をしておりました」


(そしてコイツが論客ロレンソ了斎。久しい顔だ、流石に覚えてるニャ。法華宗の僧・朝山日乗をブチ切れさせた奴だニャ。アレは信長様の目の前でやってくれたからニャー。会わせない様に気を付けよ)


 ロレンソ了斎。

 目が不自由だったため、琵琶法師となった元仏僧。フランシスコ・ザビエルによって洗礼を受け、宣教師ガスパル・ヴィレラと共に上京。彼が九州へ戻るとルイス・フロイスと共に畿内に残り活動している。論客家として知られており、松永弾正久秀が開いた大和国の宗論でも論客を務めた。

 恒興の前世において、織田信長とルイス・フロイスが会見した際に法華宗の僧侶・朝山日乗が乱入した事がある。その時もロレンソ了斎は朝山日乗相手に論客を務め、激昂した朝山日乗は護衛の侍の刀を奪おうとして取り押さえられた。因みに恒興も信長の護衛として傍に居て、朝山日乗に飛び掛かっている。流石に恒興もよく覚えている。

 このロレンソ了斎は舌鋒鋭い事もあるのだが、元仏僧という事で仏教の矛盾点を知っているので、論客として非常に強い。仏僧に対して仏教の矛盾点を突き付ける形の論法が多い。だが仏僧はキリスト教を理解していないため、キリスト教の矛盾点を攻撃する事が出来ない。結果としてロレンソ了斎の圧勝となる。


 仏教の矛盾点の代表格といえば『極楽浄土と地獄』だろう。この概念は元々の仏教には無く、唐王朝時代に付け加えられた。他宗教の概念を取り込んだ結果である。だから同時期に加わった『閻魔大王』は唐服を着ているのである。

 何が矛盾かと言えば、仏教は『輪廻転生』だからだ。生まれ変わるのなら極楽浄土も地獄もまるで意味が無い。頑張って極楽浄土に行っても輪廻転生で追い出される。地獄で責苦を受けても記憶が消されて輪廻転生する。いったい極楽浄土と地獄に何の意味が有るんだ?という話になるのだ。つまり整合性が取れなくなっているのである。

 この現象は仏教が世界最強の『融合宗教』だから起こったと言える。仏教は発祥国であるインドを追い出された為、異境の地で生き残るために現地宗教の概念を取り込んだのである。そのため仏教は地域毎に姿を変え、様々な他宗教の良い点を吸収していった。そして仏教は他宗教には無い『寛容性』を身に付けたと言える。そのため仏教とは本来、『多様性』を重視する宗教であり、原理主義の方が間違いだという稀有な宗教である。なので矛盾を幾らでも内包している。

 仏教とは『融合宗教』である。時代に、風土に、思想に、良いものを取り込んで変わっていく。これが紀元前からの仏教の生き残りを懸けた至上命題である。お坊さんがロックバンドで歌ったり、法要にテクノサウンドを取り入れたりするのは、仏教として正しい姿だと言えるだろう。寧ろ、変わる事を拒絶して昔に縋り付く方が仏教的には間違っているのである。


「小西殿の用件は彼等の事ですかニャ?」


「ええ、上野介殿は『うすはらい』をご存知ですかな?」


「まあ、それなりに。たしか南蛮人を京の都から追い払う勅令ですニャー」


 恒興は小西隆佐の願いを理解した。『うすはらい』の勅令とルイス・フロイス。ここまで来れば大うすはらいの撤回だろう。つまりルイス・フロイスが京の都に入れる様にしてほしい、という事だと予測出来る。


「はい、松永弾正はんが働きかけて出させたものですわ。それによってこちらに居られるルイス・フロイス神父や今は九州に行っておられるガスパル・ヴィレラ神父などの方々が京の都を追われてしまいました。私が都の本店を動かさなかったのも神父の方々の活動を支える為でもありましたんや」


「ニャるほど。『うすはらい』の影響で小西殿は都の本店を出ている訳ですニャ」


「ええ、お頼みしたいのは、その『うすはらい』の件ですわ。何とか撤回に動いて貰えませんやろか?」


 小西隆佐の願いは恒興の予想通りだった。恒興は大うすはらいについて考える。以前、公卿の山科言継は『勅令の撤回は出来ない』と言った。しかし恒興の前世の記憶からすれば、大うすはらいについては何かしら撤回出来るはずなのだ。何しろ、この後に織田信長とルイス・フロイスは京の都で面会するはずだから。


(何かしら撤回は出来るはずだよニャ。前世でも京の都で信長様とフロイスは歓談してた訳だし。朝山日乗が乗り込んで来て、宗論が始まったけど。しかし、どうやって撤回出来たんだろ?勅令って撤回出来ないって山科卿が言ってたはずだけどニャー。まあ、暇を見て打診してみるか)


 大うすはらいの勅令を無効化する事は必ず出来る。恒興の前世において、織田信長がルイス・フロイスと会談したのは大うすはらいの勅令を無効化する前の話だった。だから法華宗の僧侶・朝山日乗が大うすはらいの履行を求めて会談場に乱入してきたのだ。この後も朝山日乗は大うすはらいの履行を求めて、朝廷や幕府、織田信長の所にも何回もしつこく来る事になる。この僧侶は反キリスト教の闘士と言うべき者であった。しかし彼がしつこく活動出来た理由は大うすはらいの勅令自体は撤回されていないからだ。

 結局は織田信長が朝山日乗を織田家の外交僧に取り立てる事で静まった。彼もお仕事は大事なんだろう。


「了解しましたニャー。公卿の方に聞いてみますので気長にお待ち下さいニャ」


「よろしゅうお願い致します」


 とりあえず恒興は調べてみる事を約束する。朝山日乗の件は無視するというか、勝手に起こるので気にしない。ただ、朝廷や幕府も朝山日乗の訴えを棄却しているので、信長とは話が通っていたとは見ている。恒興は何にしても山科言継に打診してみようと思った。


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 翌日、堺会合衆の集まりが催されるという事で、恒興は義父の天王寺屋助五郎と共に屋敷を出た。今回の会場は納屋。今井宗久が店主を務めている店である。その今井宗久は店の入口で堺会合衆の旦那達を出迎えていた。当然、入口から入ろうとする恒興と顔を合わせる。


「い、池田、様?いつの間に堺へ?」


(何でや?何で門番共はわいに報せへんのや?織田家の人間が来たら報せえ言うといたはずやのに)


 恒興を見た今井宗久は驚愕した。彼は堺の門番に織田家の者が来たら報せるように言っておいたのだ。織田家の者が居るのに反織田家の扇動をするのは危ないという事もある。正味なところは、賄賂と接待漬けにして自分の味方にするためだ。

 だが恒興は知らぬ間に堺に居た。しかも天王寺屋に滞在していて、助五郎と一緒に来ている。この時点で今井宗久の計画は崩れ始めていた。


「おはようございます、今井殿。昨日ですニャー」


「ええ朝でんな、今井はん。婿殿には天王寺屋から迎えを出しとったから、門は通り抜けただけやで」


 恒興が門番に見咎められなかった理由。それは恒興が単身でやって来た事が原因だ。門番は織田家の城主が護衛すら連れずに堺の門に来るとは思っていなかった。だが恒興は堺入門の規則を知っている。兵士は入れないし、護衛数人でも入門審査にかなり時間が掛かる。天王寺屋から迎えが来ているはずだから、単身で行けば直ぐに入れると分かっていたのだ。結果として門番達は恒興の事を天王寺屋の関係者としか見なかったのである。


「お、おはようございます。……助五郎はん、そら無いんとちゃいます?堺の入門の規則はちゃんと守って貰わんと」


「そら部外者ならな。婿殿はワテの義息子むすこやで。そないな他人行儀する訳ないわ。だいたい今井はんの息子も顔見せだけで門を通っとるの知っとるで」


「くぬぅ、しかし池田様は立場が明確に織田家であって」


「まだ言うんかい、アンタ」


 計画を狂わせられた今井宗久は不満たらたらな感じで助五郎をなじる。入門の規則を守る様にと。しかし助五郎も黙ってはおらず即座に応戦する。今井宗久の息子が顔見せだけで門を出入りしていると。

 両者は主張を譲らず、納屋の前では会場入り出来ない人集りが出来てしまった。その事もお構いなしに、2人の言い争いはヒートアップを続けた。

 恒興はどうしたものかと、争いが収まるの待つ。そこに40代くらいの男性が声を掛けてくる。


「お久しゅう御座いますな、池田様」


「これは千宗易殿。何時ぞやの堺訪問以来ですニャー」


「あの時は大したおもてなしも出来ず失礼をば。未熟者と笑って下され」


「いえいえ、十分でしたとも。ニャーも時間に余裕が無くて失礼をしましたニャ」


 相手は千宗易。魚屋ととやという貸し倉庫業を営む商人で、出家前は『田中与四郎』という。茶湯の達人として知られており、恒興が前回の堺訪問で交流した茶人でもある。

 この千宗易も堺会合衆の会員である。


「うーむ、流石はお師匠様、あの池田様と知古であるとは」


「宗二、失礼ですよ。まずは名乗りなさい」


「はい、失礼致しました、池田様。私は宗易師匠の一番弟子で山上宗二と申します。以後、お見知り置きを」


 千宗易が連れていたのは弟子の山上宗二。彼は薩摩屋の店主でもあり、千宗易同様に堺会合衆の会員。2人とも織田家に出入りしていたので、恒興もよく覚えている。山上宗二は歯に衣着せぬ直言の士で、織田信長が相手でも物怖じしなかったと恒興は記憶している。羽柴秀吉の事も激しく非難していたなと思い出す。彼はいろいろな著書を書いていて、『茶器名物集』という名鑑を著していたはずだ。その取材で織田信長の名物を拝見、とかでよく出入りしていた。


「池田上野介恒興ですニャー。あの茶器名鑑を書いている山上殿にお会い出来るとは」


「え?何故、私が名鑑を書いている事をご存知なのです?まだ書き始めたばかりなのに」


(……しまったーっ!前世の記憶でついポロリと言っちまったニャー!)


 山上宗二は驚いた顔をして恒興を見る。彼としてはまだ他人に公表などしていない段階なのに、恒興が知っているのは意外だったのだ。

 前世の恒興が山上宗二を知ったのは時間的に10年後くらいだったのを恒興は失念していた。何しろ、織田家の上洛戦自体を『6年』も繰り上げているのだから、当然として山上宗二の活動も6年前のものとなる。これも前世の記憶を持っている弊害というべきか。


「宗二、お前の活動を見ている人はちゃんと見ているという事です」


「もしかして宗達殿ですかな。天王寺屋の名茶器を見せて頂いた時に少しだけ話してましたから」


「そそそ、そうなんですニャー。アハハ、素晴らしい活動だとニャーも感心しまして」


 山上宗二は名鑑を書いている事を天王寺屋宗達に話していたらしい。恒興はこれ幸いとその話に乗る。自分の失言を上手く誤魔化す為に。


「池田様にそこまで言って頂けるとは。俄然、やる気が出て参りました!」


(止めて、そんなキラキラした目でニャーを見ないで。失言だから、ポロリと言っちゃっただけだから)


 自分の活動を素晴らしいと評された山上宗二は感極まる感じで恒興を見る。その視線に何処か罪悪感を覚える恒興であった。


「そのうち暇を見て、犬山にも参りますので宜しくお願い致します」


「へ?犬山に?ニャんで?」


「またまた、おとぼけで御座いますかな?池田様はあの武野紹鴎殿の『澪標茄子みをつくしなす』を所有されていると聞いておりますぞ!」


(バレてるニャー。たぶん義祖父殿からか)


 恒興は武野紹鴎が所有していた紹鴎茄子の一つ、『澪標茄子みをつくしなす』を天王寺屋宗達から譲られている。武野紹鴎の遺品を宗達が買い取り、恒興に売った訳だ。大名物なので山上宗二は名鑑に載せたいと希望しているのだ。


「なんと、あの『澪標茄子みをつくしなす』を!?それは素晴らしい!」


(ニャんか宗易がねっとりした視線を送ってくるんだけど。何?欲しいの?あげニャいよ)


 澪標茄子を恒興が所有している事が知れると、千宗易が満面の笑みで恒興を見てくる。千宗易は茶人だけではなく、茶器作陶家であり茶器収集家でもあったなと恒興は思い出す。とりあえず500貫もした茶入を恒興は手放す気は無い。価値はこれから上がるだろうし、譲ってくれた宗達にも悪いので。


「ふふふ、これから拙僧も信長様の所に出入り致しますので楽しみが増えますな」


「いや、楽しみってニャー。……信長様の所に出入りする!?どゆこと?」


「実は先日、信長様に呼ばれましてな。信長様は足利将軍家所縁の名茶器を集めて、足利幕府の復権の証とする事をお考えの様でして。その意見を求められました」


 現在は織田信長=茶器収集家という評価が付けられている。これは間違いではないが、元を正せば信長の茶器収集は『足利幕府の復権』を象徴させる為だった。足利幕府の最盛期と言えば足利義満で、文化的最盛期と言えば足利義政となる。だから織田信長はこの二人の遺品と言える茶器を中心に大金をはたいて集め、『足利幕府の最盛期の復興』の証にするつもりだったのだ。

 しかしだ、少し先の話になるが織田信長と足利義昭は決別する。そうなると信長が大金をかけて集めた茶器だけが残された。特に用事は無いのだが大金をかけて集めた手前、簡単に捨てるなど出来ない。置いてるだけでは意味も無い。そこで織田信長は千宗易をはじめとする茶人達を召し抱え、茶湯に付加価値を付ける事にした。これが功を奏して数寄すき狂い大名が多数生まれてしまうのである。そして数多の茶器名物が『一国に相当する』などという狂った価値を生み出す事になる。


「ニャるほど。たしかに信長様は名茶器を集め始めたと聞いてますニャー。それで宗易殿は何と答えたので?」


「概ね好ましいと。しかし地方の大名には通用しないでしょう。通用させるには『茶湯』の名声が足りません。そうお答えしました」


「という事は、宗易殿は『茶湯』の名声を上げる活動を信長様の下で行う訳ですニャ」


 信長は足利幕府復権に向けて千宗易に意見を求めていた。宗易は可能ではあるが茶湯の価値を更に高める必要があると返答した。そのため、千宗易は織田家に出入りして茶湯の価値を高めるプロデュースしていく様だ。

 つまり現段階の織田信長に足利幕府を蔑ろにするつもりはないのである。朝廷と幕府双方に良い顔をしている状態と言える。恒興は朝廷と幕府は『水と油』なんだけどニャー、と思うのみだ。


「はい。ですので拙僧も池田様のお力になりますよ。魚屋ととやの稼業はそっちのけにしておりますので、金銭面ではお役に立てませんが」


「それは私の薩摩屋も変わりませんな、ハッハッハ」


「そこは天王寺屋と納屋に期待しますニャ。まあ、その店主があそこでいがみ合ってますがニャー」


「早く終わって欲しいものですな」


 金銭面を期待される二人の言い争いはまだ続いていた。堺会合衆の会員達は放りっぱなしになっており、納屋の前には観客の如く集っている。


「だから、そういうのは卑怯なんちゃうかって言うとんのや!」


「先に卑怯な事しといて、よう言うわ!」


 いつになったら座れるのかニャーと恒興は呆れた。

 その後、何とか言い争いが収まり、堺会合衆の会員達は大広間に通される。今回の会合の主催者である今井宗久は上座に座る。賓客である恒興はその横に座り、堺会合衆の会員達に紹介される。助五郎はさも当然の様に恒興の横に座っている。


「さて、今回の会合の議題は『織田家の矢銭要求』についてや。その件でいつの間にか来てはった方を皆様に紹介しますわ。織田家臣の池田上野介恒興殿です」


 今井宗久に紹介された恒興は全員に座礼する。そして堺会合衆の懸案となっている矢銭要求について切り出す。


「ご紹介に預かりました。池田上野介恒興で御座いますニャー。今回の織田家の矢銭要求についてですが、京の都の復興を成し遂げる為の資金となります。つまり都への投資と考えて頂きたいですニャー」


「という事は、今回の件は臨時措置であって、これからも矢銭要求が来る訳ではないと?」


 織田家の矢銭要求について不味かったのは、矢銭の使い道が示されていなかった事だ。信長からの通達は『堺の権利は自分にあるので、2万貫の支払いを命ずる』とこんな感じだった。だから堺会合衆は「信長の小遣い稼ぎに何で付き合わねばならないんだ!?」と反発したのだ。これも信長の外交力の賜物であろう。織田信長は昔から要点を省略して話したり手紙を書いたりするので勘違いされやすい人物である。

 今回の矢銭要求は『信長の小遣い』ではなく『京の都の復興資金』であると恒興は説明する。これだけで話は投資話へと変わる。


「その通りですニャー。京の都を早急に立て直す事は皆様の利益にも直結すると考えております。何卒、ご助力をお願い致しますニャー」


「ふーむ、たしかに都が復興していないと商路が正常化しませんな」


「これはしゃーないかも知れへんな」


 恒興は京の都を復興する事は堺会合衆全体の利益に直結すると説く。それは恒興に言われるまでもなく、堺会合衆の会員達は知っている。現在、自分達の売上が芳しくない原因が都の復興が今一つ進んでないからだ。


「上野介殿、これ以上の矢銭要求は無いと言えますか?」


「保証はしかねますニャー。情勢は流動的であり、また皆様の投資を募る事はあるでしょう。ご参加頂いた方には織田家から何らかの優遇措置を取らせて頂くつもりですニャ。ただ、今後は事前に報せる様に行う予定です」


「「「うーむ」」」


 恒興はその後の矢銭要求は無いとは約束しない。投資は継続的に必要であるし、織田家だけで賄うのは現実的とは言えない。それに、こういう投資話が無いと商人にとっても利権を得る機会を喪失する事になる。会員達は利益と損失の間で悩む。利権は欲しいが2万貫は高い、悩みはこんな感じだろう。


(あかんな、これは。織田家の重臣である池田恒興が来た事で無茶な矢銭要求が利のある投資話に変わってしもたわ。皆の様子は反織田家から織田家受入れになってきてるか)


 今井宗久は謀略の失敗を悟る。彼の計画は信長の矢銭要求から始まった。当初から織田家との取引を望んでいた今井宗久は、信長の無礼な書状に憤る会員達を見て思い付いたのだ。「これは上手くやったら、ワイだけで良い利権を押さえれるんとちゃうか」と。だから彼は反織田家感情を煽った。煽ったが、彼自身は反織田家になるつもりなど無いのである。

 しかし、その反織田家感情が育つ前に池田恒興が来て、一息にひっくり返そうとしている訳だ。


「ま、言うても皆の関心事は2万貫の件やろな。それに関しては天王寺屋が代表して支払うつもりやで、心配せんでええで」


「何と、天王寺屋さんだけで……」


「助五郎はんは剛毅やなぁ」


 恒興の話が終わり、会員達の思考が煮詰まってきた頃合いで天王寺屋助五郎が発言する。会員達の頭を悩ませているのは2万貫という巨額の矢銭だ。これを天王寺屋だけで支払うと助五郎は宣言した。


(助五郎はんだけで来たのはそういう事かい。宗達はんの引退が近いから、助五郎はんに手柄立てさせよって事やな。仕組んだのは宗達はんか。流石やわ、敵わんなぁ。そやけど、この今井宗久、負けっぱなしではおらへんでえ!)


 この話から今井宗久は天王寺屋の事情を察した。恒興の義祖父に当たる天王寺屋当主・津田宗達が高齢のため引退が近い事を。そして息子の助五郎が後継者であると堺会合衆に認識させる為に、宗達は来なかった訳だ。

 つまりこの展開も宗達の目論見なのだ。だいたい恒興もそうだが、桑名の支店に居るはずの助五郎までいつの間にか堺に居る。会合で今井宗久が扇動する中、宗達が沈黙していたのは現在の形を整えるためだった。この老獪な手腕には今井宗久であっても舌を巻かざるを得ない。

 しかし今井宗久もここで終わる訳にはいかない。このままでは彼自身が反織田家筆頭になってしまうのだから。


「そら無いんとちゃいます、助五郎はん!?アンタ、そうやって堺会合衆の主導権を握るつもりなんか?」


「はあ!?そりゃ、アンタの思惑やったやろ、今井はん。自分で2万貫払おて皆を出し抜くはずやったのは」


「何の話やろか〜?ワイは矢銭払うなんて言うてへんでぇ。しかしや、池田様が堺に来てまで願われとるんやから、なるべく協力するつもりでっせ」


「あ、それセコいやろ!」


 今井宗久は助五郎が言った『天王寺屋だけで2万貫を払う』という主張に穴を見つけた。それは『堺会合衆の主導権』を取ろうとしている行為だと。

 堺は商人の町だ。武家の支配を受けない独立不羈を重んじる風潮がある。だから一個人が堺を支配する事を特に嫌う傾向がある。故に今井宗久の主張は真っ当な意見だと会員達に受け止めらる。


「いいや、天王寺屋だけで矢銭を払うっちゃう方がセコいわ!」


「ワテは純粋に堺会合衆の為を思うてやな!」


「せやったら折半せいや!その方が堺会合衆の為やろ!」


「「表出るか、コラぁっ!!!???」」


「……誰か収拾付けて下さいニャー」


 恒興を挟み込む形でケンカを始める天王寺屋助五郎と今井宗久。一応、この二人は同年代であり、それ故にお互い譲らずヒートアップしていく。恒興はウンザリしながら周りに助けを求めた。

 結局、2万貫の支払いは天王寺屋が8千貫、納屋が8千貫、その他の会員達で4千貫の支払いとなった。因みに分割可である。

 その後に幾つかの懸案を話し合い、今回の会合は終わった。納屋の主人である今井宗久は堺会合衆の会員達を見送りながら安堵の溜め息を漏らす。


(ふいー、何とか矢銭支払いに参加出来たか。危ない、危ない。反織田家のままになるとこやったわ。……しかし助五郎はんに借り作ってしもたな。ま、この程度なら直ぐに返せるやろ。ワイも助五郎はんを見倣って、誰か織田家の見処ある武将に投資すべきか。農民上がりの武将が居るとか聞いたな、調べてみるか)


 今井宗久は分かっていた、助五郎がわざと隙を見せた事を。その隙に噛み付く事で、今井宗久はどさまぎで矢銭支払いに参加出来た。彼は今まで反織田家の姿勢だったのだから、普通に支払うと言うと会員達から反感を買いかねない。それでも堺の権利や織田家の信頼が取れるなら構わなかったのだが、それは天王寺屋宗達に阻止されてしまった。だから何とか反織田家姿勢から転換しないといけなかった訳だ。

 今回の事で天王寺屋助五郎は侮るべからずな人物だと認識した。特に池田恒興と縁を繋いでいた先見の明は際立つ。何しろ、助五郎が娘の藤を嫁に出したのは恒興が犬山城主になる前の池田荘1500石の時代だ。誰がそこから織田家を代表する様な武将になると思えるのか。だが、これが天王寺屋躍進の鍵となっている。

 今井宗久も誰か織田家の有望な武将に投資出来ないかと考える。そして織田家の中でも異色な農民上がりの武将の噂があったなと思い出した。


「義父殿、2万貫の話を出すのが早かったですニャー」


「いや、アレでええんや。今井はんもワテと言い争いをして反織田家扇動の件とか有耶無耶に出来たやろ。親父も言うてたけど、今井はんが本気で反織田家になってもうたら、マジで面倒や」


「言われてみればたしかにですニャー」


 納屋からの帰り道、恒興は助五郎の2万貫の話を出すのが早いと指摘する。しかし助五郎はそれでいいと答える。助五郎としては今井宗久を自然と反織田家から転換させるのが目的だった。彼が退けなくなり本気で反織田家になったら物凄く面倒になるからだ。堺の運営にすらヒビが入りかねない。それに天王寺屋だけで2万貫近く払うのもキツイ。なので納屋からも出させたかったという事情もある。

 天王寺屋の前まで帰ってくると、恒興の見知った人物が駆け寄ってくる。淡路水軍衆の安宅信康の所に向かった土居清良であった。


「殿、お帰りでしたか」


「おお、清良じゃないか。お前が堺に居るって事は安宅殿も来たのかニャ?」


「はい、淡路水軍の安宅信康殿を案内して参りました。今は天王寺屋の一室をお借りして待って頂いております」


「よし、会見するニャー」


「婿殿、親父の茶室を使うとええ。ワテから親父に言うとくわ」


 清良は恒興から命令を受けた後、安宅信康に会いに行った。織田家重臣である池田恒興が会ってくれると知った安宅信康は直ぐに堺までやって来た。安宅信康の素早い反応になかなか期待出来ると思った恒興は即座に会見する事にした。


 天王寺屋宗達の茶室を借りた恒興は安宅信康と会見した。年の頃は15歳前後のまだ少年と言っていい。そういえば14歳の三好義継と同い年だったなと思い出す。こんな10代前半の少年ばかり並べて大大名三好家を運営しようなんて無茶が過ぎると思わないのだろうか。そりゃ三好三人衆に牛耳られるはずだわ、と恒興は心の中で嘆息した。


「初めまして、池田上野介殿。私が淡路水軍頭領の安宅甚太郎信康です。この度は会見の機会を作って頂き感謝致します」


「池田上野介恒興ですニャー。それで淡路水軍は織田家に付いて頂けるので?」


「正直な所、今回は前段階交渉でしてね。まだ淡路水軍全体の意思統一は出来てないんですよ」


「はあ」(なら、何をしにきたんだニャー)


 恒興は堺に着いて2日目だ。恒興はそんなに急いだつもりはないが、『京の都→堺』と『京の都→淡路島→堺』では明らかに後者が遠い。それを安宅信康は素早い行動で恒興に追い付いてみせた。だから強い熱意を持って来たのかと思ったのだが、ただの前交渉だと言う。顔見せなら急ぐ必要は無いだろと恒興は拍子抜けになった。


「まあ、私としてはいつまでも三好家に所属していたくないと思いましてね」


「もしかして、お父上の件ですかニャ?」


「我が父、安宅冬康が三好長慶様に殺された件ですか?うーん、どうでしょうね。早まった真似を、とは思いますけど」


(父親を殺されて、その淡白さは何ニャんだ!?普通なら「この恨み、晴らさでおくべきか!」くらいには思うものじゃないかニャー)


 いつまでも三好家に属していたくないと言う安宅信康。それも当然だと恒興は思う。

 何しろ安宅信康は実の父親である安宅冬康を三好長慶に誅殺されているのだ。安宅冬康は三好長慶の実の弟であるにも関わらず、家臣の讒言だけで殺されたという。しかもその讒言は後に冤罪である事が発覚し、三好長慶は心も身体も病んで死去したと言われている。

 これだけの事をされていながら、安宅信康はさして気にした感じが無い。14歳という多感な時期の少年に有るまじき淡白さに恒興の方が驚愕する。


「私が三好家を離脱したいと思う理由は幾つかありますよ。一つは『三好三人衆は三好家じゃない』って事です。本来の三好家当主である三好義継殿は織田家に居るのですから、我々が織田家に付こうとするのはそんなにおかしくはないでしょう」


「ま、確かにですニャー」


 三好家現当主である三好義継は松永久秀の所に居て三好三人衆と敵対していた。織田信長が上洛し、足利義昭が征夷大将軍に就くと三好義継は幕府に庇護された。幕府に庇護される=織田家の庇護下なので間違ってはいない。


「そして『三好三人衆では堺が維持出来ない』、これが最大の理由です」


「ニャるほど、堺は淡路水軍の最大の財源ですか」


 水軍の維持には巨額の資金が必要となる。だから水軍衆は戦いだけを生業とはしていない。商人と結んで荷物運送や支配海域の通行税が主な収入となっている。だから運送料や通行税を払ってくれる『堺会合衆』が一番のお得意様となるのだ。堺の町を何処の大名が支配するのか、これが一番気になる訳だ。


「その通り。堺〜博多間の交易路である瀬戸内海に根を張る我々は運送を生業とし、堺商人からの通行税や運賃等が生命線な訳です。その為ですが、同じ瀬戸内海に根を張る『村上水軍』とも懇意なんですよ」


「村上水軍。毛利家傘下の水軍衆ですニャ」


 堺の商人は博多と商品をやり取りしている。日の本の三大水運の一つ、『瀬戸内水運』と言われる程の重要商路である。この堺〜博多間の瀬戸内海に根を張る水軍衆は淡路水軍だけではない。毛利家傘下の『村上水軍』が最大勢力となる。

 淡路水軍は村上水軍と表面上は敵対している。だが、戦ばかりしていても商人が商売出来ず、お互い破産するだけなので争う事は少ない。交易が盛んになった室町時代以降は戦いが少なくなり、淡路水軍と村上水軍はそれなりに交流する様になっていった。


「ま、戦をしても双方、損が大きいですからね。堺と博多を商人が行き来しないとお互い儲かりません。だからですが、淡路水軍には毛利家に付くという選択肢もあるんですよ。でも私は御免でしてね」


「安宅殿は毛利家と何かありましたのですかニャー?」


「気になります?」


「そりゃ、毛利家より織田家を選んでくれた理由は気になりますニャ」


「父・安宅冬康の件ですよ。父が伯父である三好長慶様に殺されたのはその通りです。しかし、その前に父の悪言が流れていたみたいなんです。その悪言を重臣達が聞きつけ長慶様に讒言し、更に淡路衆の者も同様の訴えを出し、父が釈明に行ったという経緯です」


「ふむ」


 安宅信康は父親である安宅冬康が誅殺された経緯を話す。

 安宅冬康は性格温厚で家中の信望も高い男だった。逸話としてあるのは兄である三好長慶に鈴虫を贈った話。若い三好長慶は直ぐに武力に訴える傾向があった。安宅冬康は「鈴虫は夏の虫ですが大切にすれば冬まで生きますよ。人間なら尚更です」と人の命を大切にする様に説いたという。その事で三好長慶は安宅冬康をかなり信頼していたと言われている。

 安宅冬康は淡路水軍の惣領として三好家を支えた。村上水軍とも上手く付き合い、大きな戦はしなかった。当然ではあるが、村上水軍を通して毛利家から賄賂が贈られていたが、安宅冬康は一切受け取る事は無かった。

 ある時に安宅冬康が毛利家から巨額の賄賂を受け取っているという噂が流れた。淡路衆を纏める安宅冬康が謀叛や裏切りなどを働いたら三好家の根幹が崩れると重臣達が調査を三好長慶に訴えた。何ら自分に恥じるところの無い安宅冬康は釈明に赴いた。しかしその時に淡路水軍の者が「安宅冬康は賄賂を自分だけの物にしている。我々にも分けろ」と訴えたらしい。これで裏切りが確定した安宅冬康は三好長慶に誅殺されたのである。


「父が殺されたと聞いた時は、長慶様はあんな根も葉もない噂を信じられたのかと恨む気持ちはありましたよ。その直後です、毛利家、村上水軍からの淡路衆引き抜き攻勢が激しくなったのは」


「三好家が混乱した機会を狙っていた。瀬戸内海の権益を拡大しようとした訳ですニャー」


 安宅冬康が誅殺された後、安宅家が家宅捜索されたのは言うまでもない。しかしどれだけ調べても賄賂など出て来なかった。しかも賄賂の事を訴え出たという淡路衆の者も消えていた。というか、その者達は最初から淡路衆ではなかった。その振りをして身分を偽っていただけだと発覚した。ここで三好長慶も三好家重臣達も安宅冬康が冤罪だった事を確信する。そして三好長慶は病に倒れた。

 その後は安宅信康が家督を継いだのだが、早速にも毛利家の使者が現れた。安宅冬康の事を大袈裟に嘆きながら。同じ様に淡路衆全体に引き抜き攻勢を掛けていた様だ。安宅信康は父親と同様に賄賂を断りながらも毛利家の出す条件を聞いていた。そして、ふと気付く。


「私の所にも来ましたよ。毛利家からの条件はかなり良いものでした。他の者達の所にもね。ですが、示された条件はあまりにも整っていた。利権調整がほぼ終わっていた。まるで『遥か以前から計画していた』かの様に」


「安宅殿は毛利家の関与を疑っておられるのですニャ」


「ばら撒かれた噂、居なかった淡路衆内の讒言者、引き抜き攻勢の激化。全部、毛利元就の仕業じゃないのかって思うんですよ。証拠はありませんが、やる理由もやる能力も有る。上野介殿は如何考えますか?」


「まあ、可能性はありますニャー。あの毛利元就が証拠を残す様なヘマはしないでしょうし、『離間の計』は彼の本領ですからニャ。瀬戸内海の権益確保は彼の至上命題に入るでしょう」


 安宅信康は父親である安宅冬康の一件は毛利元就の謀略ではないのかと疑い出したのだ。状況証拠と憶測でしかないが、毛利元就ならやる能力があるし、やる理由もある。瀬戸内海の権益を拡大したいであろう毛利元就にとって、まったく靡かない安宅冬康は邪魔以外の何者でもないのだから。

 恒興は安宅信康の推理を妄想でしかないと思う。しかし的は外れていない様に思う。

 毛利元就は『謀聖』『神算鬼謀』などがよく似合う戦国を代表する武将たが、その実は思考が非常に解りやすい武将でもある。毛利元就は『名誉』や『理想』はどうでもよく、『金儲け』以外は考えていないのだ。こういうと俗物感が出てしまうが、金が無いと家臣も領民もみんな生きていけないからだ。金が無いと何も出来ないのは現代人も一緒だろう。

 そもそも毛利元就が尼子家と争ったのは何故か?『石見銀山』が欲しかったからだ。大内家を滅ぼしたのは?相手が隙を見せたのと『石見銀山』を完全掌握するためだ。大友家と争っているのは『博多』が欲しいから。四国の河野家を支援するのは商路である『瀬戸内海』を守るため。これは全て繋がっているのだ。

『石見銀山』で産出される『銀』はそのままではただの鉱石だ。商人の所に運んで初めてお金としての価値に変わる。その商人が居る場所が『博多』『堺』であり、運ぶ路が『瀬戸内海』なのだ。だから毛利元就は『石見銀山』『瀬戸内海』『博多』『堺』が欲しいのである。彼の行動は全て、ここに繋がっている。

 そう考えれば、毛利元就は『瀬戸内海』に根を張り『堺』と繋がっている安宅冬康を味方に付けたかっただろう。しかし彼は靡かない。なら排除してしまおうとするのは自然だ。そして状況を作り上げ、噂を流し、主君を疑心暗鬼に陥れる事を毛利元就は最も得意とする。所謂、『離間の計』である。これに踊らされた尼子晴久は重臣で叔父でもある尼子国久の新宮党を粛清してしまったくらいだ。毛利元就は尼子晴久に何回も負けている事や晴久から『石見銀山』は奪えなかった事を考えると、尼子国久が健在だったら毛利家滅亡の未来すらあっただろう。尼子国久は尼子家の中核軍事力を担った者なのだから。

 そういう実績があるからこそ安宅信康は毛利元就を疑い出した。いや、確信している様だ。


「今では私は長慶様より毛利元就の方が憎くなってしまいましたよ。だから毛利家には付きたくない。三好三人衆が堺を維持出来ないなら織田家にと思った訳です」


「ニャるほど。毛利家に靡かない明確な理由が有るのは良い事ですニャ。では、今後ですが……」


「あいや待たれい。毛利家には付かないと約束出来ますが、三好家から離脱するのは別の話。堺の保持が重要な訳です。しかし堺会合衆は反織田家に傾いていると聞きましたよ。これでは我々が織田家に付くという話も絵空事に過ぎません」


 安宅信康は毛利家に付かない事は約束する。しかし話を進めようとする恒興を遮る。堺の保持こそが重要なのだと。

 安宅信康も堺の情勢には気を配っている。その中で最近、堺会合衆が反織田家に傾いている話も聞いていたのだ。だから彼は最初に前交渉だと言ったのである。


「だから上野介殿が来られたのでしょうが、交渉は上手く行きましたかな?あの業突張り共はそんな簡単に靡かないでしょうがね」


「それなら矢銭2万貫を支払って織田家傘下入りが確定しましたが、ニャにか?」


「……」


「……」


 安宅信康には悪いが、恒興は速攻で勝負を決めてきたところだ。という訳で、前交渉とか言ってのんびり余裕で語る少年に現実を突き付けてやる事にした。

 それを聞いた途端に安宅信康の顔色が一気に変わっていく。なかなか面白いなと恒興は眺めていた。


「あ、あの、今直ぐ帰って淡路衆の意見を纏めたいんですがいいですか!?あまり時間は掛けない様にしますんで、お願いします!」


「ええ、構いませんニャー。期待しております。そうそう、次からは京の都に居る主君・信長様の所に直接お願いします。話は通しておきますニャー」


「ありがとうございます!早速行って来ます!」


「そこまで急がなくても……行っちまったニャー。ま、いいか」


 事の重大さを悟った安宅信康は時間を要求する。一刻も早く淡路衆の意見を纏めたい様だ。彼等にとっては明日からの収入に大きく関わる問題なので当然だろう。

 恒興は次の交渉からは織田信長の所に直接行く様に促す。淡路水軍が織田家に付くなら堺の収益も上がるので信長も喜ぶだろう。

 安宅信康はそれだけ聞くと、恒興に礼を言って港へ走って行った。


「さて、ニャーもそろそろ戻るか」


 堺での恒興の仕事は終わった。自分にはまだ戦わなければならない相手がいる。懐かしの戦場へ戻るか、と恒興は肩をぐるっと回して気を入れた。


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「よしよし、恒興が2万貫の約束を取り付けたか」


 京の都の織田信長屋敷 (仮)。

 信長は恒興からの報告書を受け取り、満悦の笑みを浮かべていた。その報告書を持ってきた北畠具教は分かり易い俗物な顔だなと思う。しかし2万貫という金額は北畠家全盛期でも用意出来ない大金だ。無理もないか、とも思う。と、その時に報告書がもう一通ある事に気が付く。


「信長様、朝廷から収支報告、といいますか請求書が来ております」


「ん?どれどれ……」


 具教から渡された請求書を見た信長はバタンと横に倒れる。それまでの満面の笑みは消え失せ、能面の様な無表情となっていた。


「の、信長様?」


「堺の矢銭も右から左じゃねーか!オレの目の前を通り過ぎただけかよぉ~、チクショー!」


 朝廷からの請求書には2万貫弱の金額が書かれていた。朝廷や寺社の修繕費や新築費、儀式の費用など多岐に渡る。これで堺からの矢銭は信長の目の前を通り過ぎただけとなるが、朝廷からの請求書は永続的な呪いの如く、信長の所に来続けるのである。


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【あとがき】


 三好長慶さんの安宅冬康さん誅殺は日本史の謎となっておりますニャー。なので作中の話はべくのすけ理論による妄想です。真に受けてはいけませんニャー。

 新キャラがドンドコ出てくるニャー。


 べ「信長さんの要点を省略する話し方ってどんなの?」

 恒「うーん、『風が吹けば桶屋が儲かる』論法とでも言うのかニャ?代表的なので言うと、尾張国の関所撤廃かニャー。信長様は領地に関所を持っている家臣豪族にこう言ったんだ」


 信「関所が無くなれば儲かる。だから壊せ」

 臣「殿は我々の利益を奪うおつもりか!?」

 信「ちげーよ!関所を無くして流通を増やせば儲かるっつーんだよ!」

 臣「武士である我々に荷運びをやれと仰せか!?」

 信「ちげーつってんだろがああああああァァァァァァァーーーっ!!!!何で解らねえんだよっ!!」


 恒「こんな感じかニャー。桶狭間の戦い前だけど」

 べ「これはヒドイ」

 恒「信長様は頭の回転が速い方でニャー。○○すれば△△になる、って感じで直ぐに答えを出す。でも皆がその思考に付いて行ける訳じゃないんだよニャ」

 べ「途中を全て端折るんだね。理解されない天才みたいなものかな」

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