胡蝶の夢

那古野城控えの間。

当直に詰めていた恒興は傾奇者かぶきものの格好をした信長に付いていく。傾奇者とは『世を傾いた行いをする者』で常識外れな者の総称だ。派手な着物を着崩して髪の毛も整えない、良く言えば野性的、悪く言えば現代の不良に近い。信長の近習はだいたい傾奇者の格好をしている不良集団みたいになっているが、恒興はキチンと整った格好をしている。

今日は近習達は居ない。信長の伴は恒興だけだ。


「信長様、何方へ行かれます?」


「古渡だ。馴染みの村の祭りに招かれているのと、あとは親父に会う」


「はっ!信秀様にお会いするのも久し振りですニャー」


織田信長の父親である織田家当主・織田信秀は古渡城に居る。信長と恒興が初陣を済ませると織田信秀は那古野城を信長に渡して古渡城に移ったのだ。現在は末森城を建築中であり、完成したらそちらに移る予定である。

信長は古渡城の信秀屋敷の廊下をドカドカと音を立てながら歩く。恒興もその後に続く。そして信長は信秀の部屋に入る前に大声を発する。


「親父、来たぜ!」


部屋の開き戸は開いていたため、信長の大声はダイレクトに響いたのだろう。部屋の奥に居た信秀は苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。


「信長、あまり大きな声を出すな。お里が知れるぞ」


「尾張生まれが尾張に知られて何があるんだよ」


「ちゃんとしておけと言っているんだ。その格好も何とかしろ」


「くっだらねぇな。もっと他にやる事あんだろ」


信秀としては信長に織田家次期当主として立派な振る舞いをして欲しい訳だ。信長もそれくらい分かっている。分かってはいるが、止める気は無い。


「まったく、お前という奴は。いい加減、傾奇者から卒業しろ」


「この後で村の祭りに行くから、汚れる格好でいいんだ。畏まった格好でお内裏様になる気はねぇよ」


「成る程、それは一理ある……いや、ねーわ。今からそんな格好をするな。初めは着飾って祭りが始まったらその格好をしたらいいだろうが」


「面倒くせぇな、親父は」


信長はこの後である村の祭りに参加する。そこで村人達と踊ったり相撲を取ったりするので、汚れてもよい格好が相応しいと言う。信秀も一瞬、納得しかけるが、その時だけにしろと叱る。信長としては着替える時間を省いただけなのではあるが。


「信秀様、お久しゅう御座いますニャー」


「おお、恒興。息災であったか」


「はい、母妹共々、息災ですニャー」


「そうか。お前は傾奇者の格好はしていないのだな。感心、感心」


会話が一段落したところで、恒興が信秀に挨拶する。信秀は恒興が信長の様な傾奇者の格好をせず、整った格好をしている事を褒める。恒興としては信長と一緒の格好をしたかったのだが、出来ない事情が存在していた。


「恒興は養徳院から池田家当主に相応しい格好をする様にって叱られたからな」


「まあ、はい。そういう事ですニャー……」


「信長、お前も養徳院に叱られてこい!」


恒興も以前は信長の真似をして傾奇者の格好をしていた。それを母親の養徳院に目撃され、恒興は5時間にも及ぶ説教を受けた。それ以来、恒興は信長の近習の中で唯一、真っ当な格好をしている。なので傾奇者の格好ばかりの近習の中で何故か目立つ様になっている。

信秀は養徳院が信長も叱ってくれないかなと願う。


「まあ、いいや。祭りに行ってくるわ」


「待て、信長。土田どたには会わないつもりか?あいつが寂しがるぞ」


信秀の言う土田どたという人物は信長の母親である土田御前の事である。この時代では格の高い女性は名前では呼ばずに出身地や家名で呼ばれる事がある。信長の正室である帰蝶も美濃の姫という意味の『濃姫』や鷺山城から輿入れしたので『鷺山殿』とか呼ばれる。そして土田御前の場合は土田家という家名である。読み方には『つちだ』説もある。


「母上には勘十郎が居るだろ。必要ねぇよ」


「本当にお前という奴は。勘十郎だって会いたいと思っているはずだ」


「んな訳あるかよ。イロモノみたいな目で見られるのは御免被る」


「それにしたって、お前の傾奇者の格好が原因だろうが。勘十郎だって兄とどう接すればいいのか迷っているのだろう」


「そんなもんかよ」


信長はかなり幼い頃から母親の土田御前とは疎遠であり、恒興の母親である養徳院によって育てられている。それ故に土田御前に育てられている実の弟・勘十郎信勝とも疎遠である。


「聞け、信長。この戦国時代、決して一人では立っていられぬ。お前を支えてくれる者達が必要なのだ。やはり身内は一番頼りになるぞ。ワシも信康や信光という弟達に支えられたから、今があるのだ。お前も勘十郎や恒興に支えられる日が来る」


「恒興はその通りだと思ってるぜ。だが勘十郎はどうだろな。オレには分からん」


「だから会ってやれと言っているんだ。会わずに分かるものか」


「また今度な。じゃあな、酒は程々にしろよ」


織田信秀が織田家当主を継承したのは20代半ば。父親の織田信定が隠居したからだ。そこから織田信秀は弟である信康や信光の協力を得て、尾張国を席巻していく様になる。だから信秀は兄弟を大事にしろと信長に説く。

その事について信長は恒興は信じているが、信勝は分からないと言う。それくらいに信長と信勝は兄弟というには疎遠に過ぎたのだ。


「ふう、困った奴だ。恒興、済まぬが信長を支えてやってくれ」


「はっ!身命に代えましてもニャー!」


「お前もお前で堅い奴だな……」


信秀は恒興に信長の事を頼む。ただ、恒興の返答に堅い奴だなという感想を信秀は持ってしまった。


この村の祭りは神社にて行われる。この祭りは収穫祭であり、収穫に対して神への感謝の為に行われる。……という名目で村全体で宴会をする訳だ。何か楽しげに宴会をしていれば神は喜ぶらしい。天照大神の岩戸伝説が下地にあるのかも知れない。

戦国時代の村の祭りは外部には開かれておらず、特別に招待された者以外の部外者は立ち入り禁止となっている。そもそも村社会とは部外者や余所者を嫌う傾向が強い。

村の神社までやってきた信長と恒興を村長むらおさの老人が出迎える。二人はこの辺りを遊び場として走り回っていた時期があり、村の全員が信長と恒興の顔を知っている。村人達に紹介など必要ないくらいに。


「ようこそお越し下さいました、若様」


「おう、世話になるぜ」


既に祭りは始まっていた。稲荷神社の前に大きな焚き火が燃え盛り、その周りを村人達が囃子声に合わせて思い思いに踊っている。大きな寺社の祭りだと踊り方なども決まっているものだが、村単位の催しだと決まっていない方が多い。結局のところ、村の祭りとは現代の忘年会の概念に近い。村の皆で集まって「今年の収穫、お疲れさーん」と騒ぐ感じだ。娯楽の少ない戦国時代において、祭りは村人のストレス発散の場でもある。なので自分達の祭りに箔を付けようと信長が招待された訳だ。これも重要な民政の一つであるので、信長は積極的に参加している。裕福な村になると、猿楽師や楽団を招く所もあるようだ。


「信長様、お団子が用意されてますニャー」


「ああ、祭りだからな。他にも鍋があるが、中身は何だ?」


「丁度、村の猟師が猪を仕留めましてな。牡丹鍋で御座いますんじゃ」


「よっしゃ!恒興、オレ達も踊るぜ!しっかりと腹空かせねぇとな」


「お伴しますニャー!」


信長と恒興も焚き火を囲んで踊る村人達に混ざって踊り始める。踊り方など適当だ、楽しければそれでいい。日の本の祭りの下地に天照大神の岩戸伝説があるなら、楽しく騒ぐべきなのだ。そうしなければ天照大神は岩戸を開いてくれないのだから。

だが、信長達が楽しく踊っていると、ある一角から祭りとは違う騒ぎが起こっていた。楽しげな騒ぎ方ではない、人を責める様な怒号であった。信長はケンカか?と思い、仲裁に向かった。恒興も踊りを止めて信長の後を追う。

そこで二人が見たものは村の男達に囲まれる男性。息子と娘なのだろう、男性は子供達を庇う様に村人達に許しを請うていた。


「この野郎!オラ達の祭りに忍び込もうなんざ、なんてふてえ野郎だ!」


「すいません、すいません!子供達が腹ぁ空かせて。何か恵んで貰おうと」


「おっとう」「父ちゃん」


男性は子供連れで旅をしている様だ。しかし、食べる物が尽きてしまい、子供も飢えた。そんな時にこの村の祭りを知ったのだろう。おそらくは匂いで嗅ぎ付けたと思われる。そして男性は子供達の分だけでも分けて貰おうと、ここまで来たのだ。

彼は流民だ。子供がいるという事は、住んでいた村が戦などで焼き討ちに遭い、一緒に逃げて来たのだろう。しかし村人達は自分達の大切な祭りを邪魔された事に怒りを顕わにする。余所者によって祭りを邪魔された事が何よりも許せないと言わんばかりに。

こういう余所者排他性は戦国時代の村々にはよくある話だ。恒興は領地の裁判などをしているが、村での殺人事件などはほぼ扱わない。村の事件はだいたい村長が決めるからだ。だから村に入り込んだ流民がどうなるかは、ご想像にお任せしよう。この排他性があるから小作人は何処にも逃げられないのである。


「余所者が!許せねえ!」


「オラ達の祭りを汚しやがって!叩き殺しちまえ!」


「ヒィィ、子供達だけは止めてくれぇ!」


「うわーん」「父ちゃん、怖いよー」


流石にこれ以上は見過ごせない。信長は人波をかき分けて一喝する。


「止めろっ!!」


今にも余所者に殴り掛かろうとしていた数人の村人はピタリと動きを止めていた。そして恐ろしい表情で睨む信長に気付いた。


「……こ、これは若様」


「すいやせん、直ぐに片付けますんで」


「その手を離せ!直ぐにだ!!」


「え、でも……ヒィ!?」


強い口調で手を離せと命令する信長。村人達は何故、見ず知らずの余所者を信長が庇うのか理解が出来ずに躊躇する。だが、その躊躇いの間に恒興が刀を抜いて切っ先を村人達に向けていた。


「信長様は『離せ』と言われたニャ!とっとと離せ、叩っ斬るぞ!!」


信長と恒興のあまりの剣幕に村人達はたじろいで余所者から離れる。それを見届けた信長は、次に恒興を叱る。


「お前もだ、恒興!刀を仕舞え!」


「はっ!」


刀の切っ先を鞘の口に当てて、シャキンと音を立てて刀を仕舞う。最初から信長に言われるだろうと分かっていた恒興の動作は淀みないものだった。恒興に刀を仕舞わせた信長は余所者の子供達に近付いてしゃがむ。そして懐から饅頭が入った包みを取り出す。


「おい、お前ら、コレをやろう。甘くて美味ぇぞ」


「え?」「いいの?」


信長が近付いてきて若干怯えていた子供達だったが、差し出されたのが饅頭だと判ると、その表情は喜色に変わる。


「ありがとうございます。助けて貰った上にこんな」


「お前、仕事が無いなら那古野城に行け。那古野はあの街道を西に行った先にある。着いたら城の屯舎で傭兵になりたいと言えばいい」


「傭兵と言われても、戦は」


「別に戦うだけが傭兵じゃねぇよ。戦えない奴には戦えない奴なりの仕事がある。子供を食わせていかなきゃならんのだろ。つべこべ言うな」


「は、はい!」


織田家では広く傭兵を募集している。その仕事内容は戦うだけではない。戦えない者向けに開墾作業や砦や橋などの建設作業、道路整備などの土木作業もある。それは古の曹孟徳が行った『屯田兵』の様な物だ。しかし屯田兵は兵士でもあるのに比べ、織田家の傭兵は戦う者と作業する者を完全に分けている。

傭兵自体は織田家全体で募集している。父親である織田信秀の古渡城でも募集はしているはずだ。しかし古渡城の傭兵募集で非戦闘員まで募集しているかは知らないので、信長は自身が治める那古野城へ行く様にと言った。


「ほら、もう行け」


「はい、ありがとうございます」


「ありがとー、おにいちゃん」「じゃあね」


流民の親子は信長に礼を言いながら那古野城の方向を歩いて行った。あとに残ったのは信長と恒興、そして気まずい雰囲気の村人達だった。特に信長を祭りに招待した村長は青ざめていた。


「若様、これは、そのう……」


村長むらおさ、オレはこの村のやり方に口出しする気はねぇよ。白けさせて悪かったな。今日は帰る」


「若様……」


「帰るぜ、恒興」


「ははっ」


すっかり盛り下がった村人達を置いて、信長は恒興を連れて立ち去る。二人は馬で来たので、馬を繋いでいる村の厩舎まで歩く。

月明かりに照らされた信長の横顔は不機嫌そうで、先程から一言も発しない。恒興はあの余所者達さえ来なければ、楽しい祭りを堪能出来たのにと愚痴る。


「全く、余所者共には困ったもんですニャ。騒ぎを起こさずにはいられんもんですかニャー。お陰で祭り料理を食い逃してしまいました」


きっと信長もそう思っていると恒興は考えていた。しかし、それを聞いた信長は信じられないと言いた気な表情をした。


「……恒興、お前もか……」


「どうかなさいましたかニャ?」


「お前もなのか、恒興!!」


「ニャ!?」


信長は途端に感情を顕わにして恒興に掴み掛かる。その目には月明かりにキラリと光る物があった。


「何でだよ!何でお前まで解らないんだよ!?」


「どどど、どうしたんですニャー、信長様。ニャー、何か変な事言いましたか?」


「何であれをおかしいと思わないんだ!」


信長は人前では決して涙を見せない。幼い頃から一緒に居る恒興ですら信長の涙は見た事がない。その信長が涙を見せる、恒興はそれほどの事態なのかと焦る。


「だって、余所者は騒ぎばかり起こして治安を悪くするって……そう、皆が言ってて……ニャーは」


「他人の意見じゃねぇかよ。お前は自分の目で見てねぇのか!?」


「そ、そんな事はニャい、です」


恒興の余所者への悪評は池田家の従者や雑色から得た物だ。彼等はよく領地の村などにも行くので余所者が引き起こす事件に遭遇する。それを恒興との話のタネにする事が多いのだ。

故郷から追い出された流民は仕事も食べ物も無い事が多い。だから盗んだり、強盗に及ぶ者が出てしまう。だから戦国時代の人々の常識として、物が無くなれば流民のせい、病が流行るのは流民のせいと余所者を嫌うのである。


「仮にだ、織田家が滅びたとして」


「織田家は滅びませんニャ!」


「滅びないものなんてねぇよ!仮にの話だ、聞け!」


「はいですニャ……」


信長はどんな物にも滅びの時は来ると考えている。それは自分が生まれた織田家であっても例外ではない。感情論だけで反論する恒興をピシャリと封殺する。


「仮に織田家が滅びたとして、お前と養徳院が他国に逃げた時、あんな目に遭ったらイヤだろうが!」


「それは……イヤですニャー」


信長が言いたいのは『自分が流民になったら』である。武士である恒興が流民になる可能性は低いが、無い訳ではない。恒興なら流民になる前に腹を切るだろうが。

なので『仮に』の話だ。恒興が母親の養徳院や妹の栄を連れて他国に逃れて、今みたいな冷遇をされたら、の話を信長はしているのだ。


「そうだろう。あんな事は無くさなきゃいけねぇんだ。じゃあ何で無くならないんだ?何で他人に優しく出来ねぇんだ?貧しいからだよ。貧しさが人をああするんだ。貧しいから他人に優しくする余裕が無いんだ!自分達だけで手一杯なんだ!」


「信長様……」


「皆が貧しい、余裕が無いのは何故だ?全部、戦乱がそうさせるんだろが!」


信長は皆が他人に対して優しくなれない現状が堪らなく嫌だった。それは彼の行動によく表れている。

『旅の恥は掻き捨て』という言葉がある。旅先での恥は地元ではないので自分には影響は無い、という意味だ。これは戦国時代にもある。『他国での暴虐はやり放題』というもの。他国に遠征した足軽達はとにかくやりたい放題で暴虐を働いている。地元ではないから手加減などしないのだ。これらの行為を『焼き働き』又は『刈り働き』と言う。これは何処の大名家でも変わらない。焼き働きや刈り働きは足軽だけでなく豪族達も積極的に行う。他国の富を奪い取って自分の領地に持って帰る事も戦の目的だからだ。これは大名であっても止められない、止めると簡単に謀叛に繋がるからだ。自分達の利益を妨害するのか、と。

刈り取られるのは稲穂だけではない。自分達に暴虐を働くのは、いつも余所者だ。これも村民が余所者を嫌う要素になっている。つまり『余所者にはヤられる前にヤらなければならない』と常識的に考えてしまうのだ。

だから織田信長は焼き働きや刈り働きの類を徹底的に禁じていった。その刑罰は死罪にまで高めた。

だから恒興は豪族の戦の自費参加を止めさせたいのだ。豪族の他国への暴虐は戦費を取り返そうとする行動だからだ。大名からの褒美だけでは満足出来ないから、他国を戦争がてら荒らす訳だ。

結局で言えば、人々の余所者不信の源は『戦争』に帰結するのだ。『他国からの暴虐者』=『余所者』という図式が出来上がっている。


「いいか、恒興。今日を忘れるんじゃねぇぞ。オレはこんな不愉快なモノを無くしてみせる!」


信長は涙を堪えながら恒興に訴える。皆の余所者不信を無くしてみせると。信長は恒興なら解ってくれると信じているからこそ強力に説得する。自分と同じ場所で、同じ母親のもとで育った『本物の弟』なのだから。


「オレは止まる気はねぇぞ。お前も付いて来い、恒興!もっと努力しろ!」


「はい!頑張りますニャ!」


「オレ達だけが金持ちになったって意味は無いんだ。皆が裕福にならねぇとよ、この不愉快なモノは消えないんだ!解るか?解るよな、恒興!?」


「はいっ!信長様!」


信長は自分達が裕福になった程度では、望みは達成されないと知っている。源となっている『戦乱』を終わらせた上で、人々の生活を豊かにしなければならないのだ。

そもそも戦乱が続いているのは何故か?それは全体の富が足りていないのも原因だ。だから自分の富を確保しようと戦争になる。つまりは戦乱を収めるには現状よりも富を殖やさねばならない。信長はそう考えたからこそ、瀬戸焼を支援したり茶道の創始を支援した。ここが織田信長が他の大名と決定的に違う点だ。即ち『価値の創出』という富を殖やす行為である。他の大名の殆どが富を殖やす事はない、彼等は今在る富を奪って増やしているだけだ。戦国時代に富を殖やす行動をしていたと見える大名は織田信長、武田信玄、北条氏康くらいだろう。やり方は三者三様ではあるが。大名による領地の開発は豊臣秀吉の天下統一後あたりから活発化する様になる。やはり戦乱の最中にやるのは難しいのだろう。


「泣くんじゃねぇよ、恒興。オレ達にはやる事がたくさんあるんだからな」


「信長様だって泣いてますニャー」


「ちげーよ、これは誓いの涙だ。オレ達、兄弟二人でこの世の中をひっくり返してやるんだ。いいな、恒興!」


「はいですニャー!」


信長は戦国時代の不条理に泣いた。恒興は戦国時代の不条理に気付いて泣いた。二人はこんな世の中はひっくり返してやると誓い合う。この誓いが織田信長と池田恒興の行動の基本となったのである。


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「ニャんで、今頃になってあの夢を見たんだろ。信長様、ニャーは忘れてませんよ」


恒興は目を覚ました。あれは昔の事を夢で見ていただけだと理解した。しかし恒興は見た夢に対して強烈な違和感を感じた。


「おかしい、あの夢はニャーが幼少時だ。何故ニャー語を使っている?何故、池田恒興の幼少の記憶が有る?ニャーはもしかして池田恒興ではないのか?」


違和感の正体は幼少の恒興の記憶が有る事だ。夢で見るという事は記憶が何処かに有る証明になる。何しろ恒興は自分の事を『前世の池田恒興』だと思っていたのだから。


「ニャーは『前世の池田恒興』が『今世の池田恒興』に乗り移ったんじゃなくて、『今世の池田恒興』が『前世の池田恒興』の夢を見ただけという事か?」


恒興は『前世の池田恒興』が『今世の池田恒興』に乗り移ったと思っていた。だから『今世の池田恒興』は何処に行ったんだろう?とまで考えたくらいだ。

それが『今世の池田恒興』が『前世の池田恒興』の夢を見ただけという可能性が出てきた。『今世の池田恒興』の記憶はおそらく『前世の池田恒興』の記憶に押されて封印されただけかも知れないのだ。恒興はこの状況をある故事と一緒だと思った。


「これはまさか『胡蝶の夢』なのか?」


『胡蝶の夢』とは南華老仙 (仙人になった荘子)にある一説。若き荘周 (荘子)が夢で蝶になり大いに楽しんだ後、目が覚める。果たして荘周は夢を介して蝶となったのか、或いは蝶が荘周という夢を見ているのか。それは誰にも証明が出来ないという話である。

何を表しているのか理解は難しい。現実と夢の境界線は曖昧だという事で、自己の確立さえも己自身では出来ないという事だ。つまり自分とは他に観測されて初めて存在を確立出来る。自分だけで存在を確立出来ないが故に、人は他者への承認欲求が強い生き物だ。人は皆『シュレディンガーの猫』である。他者が観測するまで箱の中で生きているか死んでいるかは定かではないという話になる。

と、まあ、考え過ぎるとこんな強烈におかしい話になる。自分が生きているか死んでいるかなど他者に観測されんでも自分が知っている。死体発見は他者にしてもらわないと困るが、断末の刹那までは自分で解る筈だ。シュレディンガーの猫の生死が観測するまで判らないのは観測する他者の話であって、猫自身は確実に解っている。そうであるならば自分とは他者に観測されなくても自己を確立している事になる。つまり論理崩壊が起きていくのでもう考えるのは止めよう。

最終的に『胡蝶の夢』が言いたい事は『夢も現実も曖昧なんだから気楽に生きろ。考え過ぎるな』である。自分が荘周なのか蝶の夢なのかなんて、どれだけ考えても分からん!という事らしい。現実にしがみつき過ぎても、最終的に人は死ぬのだから自分にとって意味は無い。夢想にのめり込み過ぎてもやはり不毛である。しかし現実も夢も人が生きていくには必要なので程々が良い、という話だろう。孔子の『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という言葉と類似している。


恒興は自分が『前世の池田恒興』なのか『今世の池田恒興』なのかは判別がつかない。南華老仙の言う通りだなとも思う。考えても無駄だと。

重要なのは幼少期に交わした信長との約束である。信長の理想を叶えるべく、恒興はこれからも努力しなければと気を引き締め直した。


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【あとがき】


ウイニングポスト10が発売する…だと……。9の2022では海外馬所有が容易になった(DLCです)ためローテーションが煩雑化し、未だにゲーム内時間10年くらいしか進んでないニャー。しかし海外牧場早期開設DLCはすごく良い事だけどゲーム内資金が掛かり過ぎですニャー。破産しかけましたニャー。


『荘子』というのは日本語訳すると『荘先生』という意味で本名は『荘周』と言いますニャー。同じ様に『孔子』は『孔先生』という意味で本名は『孔丘』です。そして『孫子の兵法書』でお馴染みの『孫子』こと『孫先生』が誰か確定出来なくなっておりますニャー。呉の軍師『孫武』なのか、斉の軍師『孫臏』なのか。一応、『孫臏兵法』という竹簡が発掘されておりますので『孫子の兵法書』ではないと確定しております。しかし孫臏が孫子の兵法書の著者ではない証明にはならない事と、孫武の存在証明が無い事でまだまだ議論されてますニャー。

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