英雄の定義

 恒興は堺を出た後、京の都に戻り信長への報告を済ませると池田家親衛隊を引き連れて佐和山城へと向かった。土居宗珊が軍団を佐和山城に移動させたあたりで浅井家側に徴兵の動きが出ていた。決戦が近いと悟った恒興は急いで佐和山城に行った。

 現在、佐和山城には池田軍団と木下軍団が在陣している。本来は加えて森可成の軍団も来る予定だったのだが、森可成は帰国する事になった。原因は東濃国境線で豪族同士の諍いが起こった事。森可成が居なくなった事で制御が効かなくなった模様で、上杉家が動いた訳ではないが。国境線の重石となっている者を動かすとこうなるという見本である。まあ、森可成は近江国制圧の手伝いとして来たので、仕事はだいたい終わっている。

 佐和山城に着いた恒興は馬から飛び降りて、家老の土居宗珊の所に急いだ。


「宗珊、戻ったニャー。報告を頼む」


「おお、殿、戻られましたか。現状は浅井家に動きはありませぬな。しかし柘植衆の調べでは兵士は集まりつつあるとの事。その数、12000」


「なんつー徴兵数だニャ。浅井家は10万石程度だろうから、限界徴兵人数は5000人位のはずだがニャー」


 現在の状況はまだ動いていない。しかし兵士は集まりつつあり、その数は12000人となっている。恒興は石高に対する徴兵限界を明らかに超えた兵数に怪訝な表情をする。

 石高に対する徴兵限界とは目安に過ぎない。小規模には増減するだろう。それが倍以上は明らかに徴兵し過ぎだ。まあ、織田家以外は『石高制』という単位を取り入れていないので基準が無い訳だが。しかし徴兵限界を超えると弊害も多い。

 一つは物資。石高に対する徴兵限界がある理由は徴兵数を養える石高か?という目安になっているからだ。これを大きく超えてしまうと兵士を餓えさせる可能性も出る。

 もう一つは民衆の反感。度を越した徴兵は農村の働き手が減るので、領主としては避けるべきである。特に農繁期に近いと農業に影響が出る。なので戦国時代の戦は農閑期に行われる事が多い。


「察するに、周辺の支城の防衛戦力も駆り出しているでしょうな。それにしても多いですが」


「農村からも根刮ぎ集めているんだろうニャー。だったら士気は低くなるのが普通だけど」


 おそらく浅井長政は周辺の支城の防衛戦力も集結させている。相手は乾坤一擲の覚悟なんだろうが、それはそれで利用出来るなと恒興はほくそ笑む。

 問題は農村からも過剰に徴兵している事だ。そんな事をすれば通常、士気が下がって烏合の衆となりかねない。しかし宗珊の所にはそれと反対の報告が柘植衆より上げられていた。


「柘植衆の調べですが、浅井軍は意気軒昂。士気に陰りは見られないそうですな」


「意味が分からないニャー。こんな狂気の徴兵人数を集めて、何で士気が下がらないんだ。豪族の言いなり当主の浅井長政に出来る芸当じゃねーギャ」


 恒興は浅井長政にチグハグな印象を受ける。浅井家先代の状況は正に弱腰当主で、六角家と重臣豪族の板挟みに苦しむ様相であった。だから恒興は浅井長政は豪族の言いなり当主だと思った。先代の状況から長政の自立を許す様ほど、豪族という者達は甘くない。


「ふうむ。もしかすると『前提条件』が違うのかも知れませんな」


「というと?」


「浅井長政は傀儡当主ではない。領地領民家臣豪族をしっかり束ねている。という事かも知れませんぞ」


「浅井家の先代の状況から纏め上げたって事かニャー。しかも短期間でって、有り得ねぇニャ。しかしだ、もしも浅井長政がソレをやり遂げたなら、ヤツは『英雄』型の人間って事だぞ」


 土居宗珊は浅井家先代の状況を基礎とした『前提条件』が違うのではないかと指摘する。浅井長政は先代とは違い、重臣豪族をしっかりと纏めている『大名』であると。

 その意見を聞いて恒興は宗珊の『前提条件』を満たす人物像は『英雄』型の人間だと答える。英雄とは何か?それは降り掛かる逆境を跳ね返し、誰も想像し得ない成果を出す人物の事だ。

 例えばアレキサンダー大王は何故強いのか?ヘタイロイ?ファランクス?要素はいろいろあれど、最終的には『アレキサンダー大王だから』という答えになってしまう。他の人物が大王と同じ要素を持っても出来ないからだ。この様な通常では測れない人物を指して『英雄』と言う。

 浅井家先代である久政は六角家に従属する、重臣豪族達によって浅井長政と当主を交代させられるなど、何処からも尊重されていない当主でしかない。当然、浅井長政もそうなるだろう。自分達の利益を損なう当主権限など許す訳がないのだ。浅井長政が当主権限を強化しようものなら、あっさり殺して浅井家の縁者を傀儡後継者にするだけだ。それでも長政が傑物であれば、徐々に統制を確立する事は可能だろう。それでも時間はかなり掛かる。あの毛利元就でも家中の統制には何十年も掛かっているものだ。浅井家の状況はその毛利家より悪いと言える。

 しかし浅井長政は浅井家継承から野良田の戦いまでには家中を纏めていた可能性が高い。浅井家当主になってから野良田の戦いまで半年程度で明らかに時間が足りない。ならば家督を相続する前から家臣を統制していたのだろう。だから父親の浅井久政の追放も上手く行った。これが自然な答えになるが、問題は長政が六角家の人質で監視下にあった事だ。

 六角家の監視下で家臣を統制して反抗を指示するなど越の勾践に匹敵する謀略力を持っている事になる。しかし浅井長政は謀略を使っている様には見えない。謀略が使えるなら、既に織田家に対して何かしらしているはずだ。だから恒興は浅井長政がただの傀儡当主だと思ったのだ。

 この状況を謀略無しで覆したと言うなら、浅井長政は危険な『英雄』型の人物となってしまう。


「源九郎義経の様な、ですか。たしかにあの手の人間は理解出来ない謎の行動力で有り得ない成果を出しますからな」


「強敵だと認識すべきかニャー」


「英雄と言えど時代が味方しない限りは英雄足り得ません。九郎判官とて時代を味方に付けた源頼朝公に見捨てられたら、あっという間に没落したものです。某は織田信長様こそ時代を味方に付けていると思いますぞ」


「そりゃ心強いニャー。なら戦略で打てるだけの手を打つとしようか。宗珊、軍議を開く。各部将を招集せよ!」


「ははっ!」


 英雄は時代の後押しを得て爆発的な成果を出す。だが時代が味方に付かないと、英雄であっても力を出す事は出来ない。例えばチンギス・ハーンはあの広大なモンゴル帝国を打ち立てた英雄だが、モンゴル高原統一戦ではかなりの回数を負けている。一番有名な『十三翼の戦い』もチンギス・ハーンがジャムカに負けた戦争である。モンゴル騎兵VSモンゴル騎兵なので仕方がない部分もあるが、時代が味方に付いてないと英雄も力を出せないものだ。

 古の英雄である源義経も時代を味方に付けた兄・源頼朝に見捨てられたら、直ぐに没落していったと宗珊は指摘する。そして現在、時代を味方に付けているのは織田信長であると。それを聞いた恒興は少し笑って、軍議を開く為に諸将を招集した。


 軍議に集まった者達は完全武装で緊張した面持ちであった。当然だ、恒興が来たという事は進軍の時が来たという事だ。飯尾敏宗、金森長近、加藤教明、前田慶、稲葉彦、遠藤慶隆、佐藤紀伊、岸勘解由、肥田玄蕃の部将達が卓を囲み、恒興の横には土居宗珊と木下秀吉が座っている。そして加藤政盛、土居清良、武田勝頼が恒興の後ろに控えている。恒興は諸将が囲む卓にバサッと地図を拡げて説明を始める。


「浅井軍は12000。ニャー達は24000で約2倍となっている。戦場はココ、姉川周辺を設定する」


「兵力が倍なら楽勝でしょ」


「お慶、浅井長政は倍の数の六角軍を撃破しておる。侮るのはよせ」


「彦の言う通りだ。相手を舐めて掛かると痛い目を見るニャー」


「はいはい」


 楽勝だと語る前田慶を恒興と稲葉彦が嗜める。実際に兵数は倍となっているが、兵力実数としては20000人以下だろう。24000人の内、5000人は非戦闘員の傭兵だからだ。


「今回の布陣は『十二段横陣』だニャー!各々の配置はおって報せる」


 恒興は今回の戦に対する陣構えを『十二段横陣』であると発表する。『十二段横陣』とはその名の如く、横一列の横陣を十二段に重ねたものである。この発表には各将が怪訝な表情をし、稲葉彦は真っ先に異を唱えた。


「『十二段横陣』じゃと?防御陣形ではないか!?」


「え?そうなの、姉貴?」


「当然じゃ。『横陣』とは皆が横一列に並んで進む。当たり前じゃが横並びで進むため速度が出ぬ、故に防御陣形となる。十二段も重ねれば尚の事、速度は出ぬわ」


 稲葉彦は横陣では速度が出ないと抗議する。十二段も重ねた横陣では尚の事だと。それが示す事は一つ、池田恒興は進軍する気が無いのだ。


「ちょっと!どういう事よ!?」


「彦の言う通り、『十二段横陣』は防御陣形だ。そりゃニャーは動く気がねーからな」


「はぁ?何言ってんの?頭大丈夫?」


「おめーに言われたくねぇんだニャー、お慶!」


 彦の言う通りで、恒興は動く気が無い。ブチブチと文句を言ってくる前田慶をいなしつつ、恒興は全員に宣言する。


「姉川の前で防御陣形という事は、敵軍の渡河を遮る形で抑えるのじゃな。春先とはいえ川の水はまだ冷たいからのぅ」


 恒興の意思が変わらないので、稲葉彦は防御陣形を布く意味を考える。となれば、姉川の川岸に布陣して浅井軍の渡河を防ぐ事だろう。相手は上陸出来ないのでいつまでも川の水に浸かっていなければならなくなる。時間が経てば、体温を失い過ぎて動けなくなる寸法だ。春先の水温はまだ冷たいのだから。


「そっか!浅井長政を川に叩き落とせって事なのね!」


「いやいや、浅井長政にはしっかり姉川を渡って貰って、身体を温めて陣形を整えてから来てもらう予定だけどニャー。それにニャーは姉川から少し離れて布陣する予定だし」


「どういう事じゃ!?」


「浅井長政を川底に沈めるって話はどうなるのよ!?」


「ニャーはそんな事は一言も言ってねーギャ!」


 稲葉彦の予想に反して、恒興は川岸に布陣する気は無いという。更に布陣場所も姉川から離れていると。いよいよもって訳が分からなくなった彦は浅井長政を川底に沈めたい慶と一緒になって猛抗議する。

 一連の話を聞いていた木下秀吉が横から口を挟む。


「うーん、勝三殿、いや上野介殿か」


「『上野』でいいニャ。同格の身内に殿なんか付けるな、藤吉」


 恒興は官位を貰ったので名乗りが池田上野介恒興となっている。なので今後は上野介と呼ばれる事になる。そして同僚となると『守』や『介』は省いて呼ぶ。佐藤紀伊、岸勘解由、肥田玄蕃の三人もそうだ。紀伊『守』、勘解由『使』、玄蕃『允』と最後の文字は省いている。


「分かった、上野の。皆の言う事ももっともだぞ。何でわざわざ常道を外しているんだ?」


「ほー、これが常道から外れているって分かるんだニャー。感心、感心」


「いろいろ仕込まれてるからさ、はは……」


 農民上がりで戦素人の木下秀吉もだんだんと戦術を学んでいる様だ。まあ、誰かさんから英才教育を施されているのだろう。そう、恒興は予測した。


「藤吉の言う通りで、この作戦は常道から外しているニャー。先ずは揺さぶりを行う」


「揺さぶり?」


「藤吉、お前の軍団は浅井長政が渡河を始めたあたりで移動してもらうニャー。狙いは『横山城』の奪取だ。あの城が織田家の物になれば都と濃尾を繋ぐ東山道の安全性が上がるからニャ」


 恒興は浅井長政への揺さぶりとして、木下軍団3000人で姉川南東に在る横山城を攻撃させるという。正確な数は判らないが、横山城も防衛兵力は減っているので100〜200人程度と予測されている。まあ、楽勝だろう。


「て事は、浅井長政が渡河を終えた頃に横山城が攻撃されている事に気付く、かな」


「そうだニャー。その上で池田軍団は目の前に布陣している訳だ。浅井長政が木下軍団を追う、或いは軍を分けるならニャー達が追撃する。ニャー達が目の前に布陣してるんだから、そんな事はしないだろうがニャ」


「マトモな頭があるなら池田軍団を撃破してから横山城に向かうじゃろうな。そうか、浅井長政は横山城の事を知って突撃してくるから、防御陣形を布くという訳か」


 おそらく浅井長政は横山城を捨て石にするだろう。解っていて防衛兵力を減らしたのだから。しかし焦りはするはずだ。戦う前に城が陥落したと聞けば、全軍の士気に関わる。だから浅井長政は急いで池田恒興を撃破しようとするだろう。それが恒興の狙い目なのだ。


「そうだ、それが防御陣形を布く理由。『相手は突撃してくる』だニャー」


「え?浅井長政が全軍で横山城に行く可能性は無い訳?」


「ニャー達の目の前でそんな事しやがったら全軍で突撃してやるよ。お慶、そんときゃお前が浅井長政を川底に沈めてこいニャー!」


「了解よっ!任せといて!!」


「そんな可能性は無いがのぅ……、はぁ」


 横山城は姉川を渡ってから東に在る。そして池田軍団は姉川の渡河地点から南に布陣している。もしも浅井長政が全軍で横山城に行くなら、池田恒興に対して横腹を晒しながら進軍する事になる。しかも姉川の川岸で。

 敵に横腹を見せながら背水紛いの陣となる訳で、本当にそんな事をするなら浅井長政は愚将では済まされない評価となる。その場合は恒興でも作戦を無視して全軍突撃を命じる程の愚行という事だ。まあ、その可能性は稲葉彦が呆れ溜め息をつく程に皆無である。


「今回の戦闘においては指揮系統を左軍と右軍に分ける。左軍指揮官は飯尾敏宗、右軍を稲葉彦とする」


「待て、総大将が居るのに何故に別働隊指揮官が必要なのじゃ?」


「ニャーは本陣から動かないからだ。左軍には犬山衆を中心に付け、右軍は美濃衆を中心に付ける」


 恒興は十二段の配置を更に左軍と右軍に分ける。十二段目は恒興の本陣となるので、左軍十一段と右軍十一段が編成される事になる一人の部将につき二、三段の受け持ちがある話になる。

 更に恒興は本陣しか指揮しないと言い、左右十一段は別働隊指揮官として飯尾敏宗と稲葉彦を選出する。選出された二人は同列と言って良いので人選的には諸将は納得するだろう。指揮官に相応しい一人の人物を忘れていなければ、の話だが。それに気付いた飯尾敏宗は本陣衆はどの部隊なのかと尋ねる。


「お待ち下さい、殿。それでは本陣に詰めるのは……」


「土居宗珊の四国衆だニャー」


 恒興は土居宗珊が率いる四国衆を本陣衆にすると断言する。だから土居宗珊が別働隊指揮官にはならなかったのだ。

 本来なら犬山衆は家老でもある土居宗珊が別働隊指揮官になるべきだ。敏宗と彦は同列とはいえ、美濃衆の事を考えれば彦が優先されるのは当然と言える。しかし美濃衆と犬山衆では兵力差があって均等にはならない、恒興の本陣衆が犬山衆に加われば問題はないが。敏宗はそれに気付いたのだ、恒興は本陣衆も自分に預ける気なのだと。そして代わりに土居宗珊の四国衆1000と土居清良の鉄砲隊500を本陣とする様だ。


「殿、それは」


(言うニャよ、敏宗。出生国で差別される様な事はあってはならないんだ)


「……いえ、承りました。お任せ下され」


「うむ、期待しているニャ」


 敏宗は問いたかった。何故、地元衆を袖になさるのか、と。結局、口に出す事は無かったが、わだかまるところは残った。敏宗にとっても恒興の余所者重視地元軽視な部分には思うところがある。それは恒興も知っているが、それでも止める気は無い。自分がこうしていれば時間が解決するだろうと期待している。

 それを犬山衆ではない部外者の稲葉彦も感じ取った。


(……『赤心を推して人の腹中に置く。いずくんぞ死に投ぜざるを得んや』という事かのう。四国衆で本陣を構成すれば、四国衆は主君に必要とされていると感じる、か)


『赤心を推して人の腹中に置く。いずくんぞ死に投ぜざるを得んや』とは、漢王朝中期の光武帝の故事である。高い学識が有りながら、百万を号する新軍をたった数千人で退ける程の武勇を誇った光武帝劉秀。彼の最大の魅力はその人柄にあったと言える。劉秀は武によって中華統一を果たすと、武を捨てて太学を建設するなど学問を奨励した。これが後々まで続き、三国志の時代に『軍師』なる人物が多数出てくる要因になる。旗揚げの頃から一緒に戦った家臣が早世すると、劉秀は人目も憚らず棺にしがみついて大泣きするくらいに家臣想いでもある。そして陽気で気取らない人柄だったという。

 その劉秀が蕭王となった頃、劉秀軍は河北で暴れていた『銅馬軍』と交戦する。銅馬軍は兵力十万を数える上に強く、劉秀軍と一進一退の攻防を繰り広げた。しかし銅馬軍は反乱軍で食料乏しく、結局は飢えて劉秀軍に降伏する。しかし降伏した銅馬軍の者達は自分達がこの後どうなるのか気が気でなかった。もしかしたら項羽がした様に生き埋めにされるかも知れないし、そのまま劉秀軍が突撃してくる事も有り得る。逃げるか再び抵抗するかで話し合う銅馬軍の者達。そこに軽装の青年がやって来て、彼等の真ん中辺りに陣取ったのである。それが劉秀だった。それを見た銅馬軍の者達は「劉将軍は赤心 (まごころ)を晒しておられる」「俺達の事を仲間だと思ってくださるのか」「この人の為なら死ねる!劉将軍の為に戦おう!」と口々に叫んだという。劉秀は行動によって銅馬軍の者達を惹き付けてしまった。そして銅馬軍は劉秀軍団の中核を担う者達となっていく。これが『赤心を推して人の腹中に置く』の故事である。

 実際のところ、劉秀軍団では銅馬軍殲滅の意見が多数出ていたという。あれだけ抵抗した銅馬軍がすんなり味方になる訳がない、内部で反乱を起こされては堪らない、十万人の無駄飯食らいだ、等の意見が挙がった。次第に議論は殲滅へと傾いたが、劉秀自身は降伏者を殺すのがどうしても嫌だった。だから劉秀は単身、銅馬軍のド真ん中に陣取ったのである。自分が居れば攻撃など出来まい、と。たしかに劉秀軍団は攻撃出来なくなったのだが、十万人の無駄飯食らいだと思われた銅馬軍は劉秀に忠誠を誓い精兵へと変わった。そして銅馬軍の者達は劉秀の覇業に重きを為していく。

 一見すれば劉秀の行いは途轍もなくアホな行動にしか見えない。自身が銅馬軍に縊り殺される可能性がかなり高いはずだ。だが何の作用か、それが最大の効果をもたらして劉秀の利益となってしまう。こういうのが時代を味方に付けている状態で『英雄』の条件と言えるのだろう。


(分かっておるのか?それは地元衆を蔑ろにする行為じゃ。飯尾敏宗はそれを指摘したかったはず。……そうか、だから山内一豊にあの待遇なのか!)


 稲葉彦は恒興の行為は地元衆を蔑ろにする危険な行為だと考える。豪族も大名も変わらないが、地元衆は力の源なのだ。それを蔑ろにすると最悪、反乱にまで繋がるだろう。池田恒興が地元衆の面倒を見ないで誰が見るのかと。

 そこではたと気付く。有り得ない好待遇で池田家一門衆入りした山内一豊の事を。城付き2万石の待遇など気でも触れたのか?と疑うレベルだった。岸勘解由など領地規模が素浪人の山内一豊にいきなり並ばれたくらいだ。その理由として池田恒興は『妹婿』だからだと説明した。しかしそれも無理矢理な理由だ。何せ山内一豊の妻は池田恒興の『妹』ではなく『義妹』だからだ。普通はこれで妹婿とは言わない。では、何故に山内一豊はあの待遇なのか?美濃衆の中でも不思議だと話題になっていた。山内一豊の妻である遠藤千代の実の兄である遠藤慶隆ですら、何故なのかと首を傾げる始末だ。

 稲葉彦は答えに辿り着く。


(山内一豊に地元衆の面倒を見させるためか。しかし危険な事をする。山内一豊に犬山衆を抑える器量が無かったらどうするのか)


 稲葉彦は呆れて溜め息をつく。何故、恒興が余所者をそこまで優遇しているのか理解出来ないのだ。地元民を最上位に置いて可能な限り優遇する、なら理解出来る。だが恒興にその配慮は無い。

 恒興としては地元民も余所者も平等に扱っているつもりなのだが、地元民は余所者と同列なのが気に入らない訳だ。今は織田家隆盛の時期なので反乱までは無いだろう。ただ、不満は溜まっていくので、山内一豊は地元民のガス抜き役にしたという事だ。


「右軍には稲葉彦を指揮官に稲葉衆、遠藤衆、佐藤衆、岸衆、肥田衆を配置する。左軍には飯尾敏宗を指揮官に飯尾衆、金森衆、前田衆、犬山三河衆、池田家親衛隊及び本陣衆とするニャ。ニャーの本陣は最奥に配置、土居宗珊の四国衆と土居清良の鉄砲隊を置く。各々、準備に掛かれ!」


「「「ははっ!」」」


 恒興は号令を下し、池田軍団は姉川の南の地点へと進軍を開始する。その報告を受けた浅井家小谷城は喧騒に包まれつつも、混乱までは無い。来たるべき時が来たのだと家臣達は鎧装の浅井長政を見る。


「長政様、準備は全て整いました」


「織田家の池田恒興が姉川の南に布陣、対決姿勢を顕わにしております」


「御下知を」


「うむ。皆の者、聞けぃっ!!」


 家臣豪族兵士が一堂に会した小谷城の大手門前。重臣の海北綱親や赤尾清綱達に促され浅井長政は全軍を見渡せる台の上に立つ。そして響き渡る声で演説を始める。


「我々はいつも虐げられてきた。東から来る者達に、東に向かう者達に。思い起こすがいい。富士川に向かう平家は近江で収奪した。倶利伽羅ぐりからに向かう時も収奪に及んだ。北陸から来た旭将軍、関東から来た九郎判官くろうはんがん蒲冠者かばかじゃも近江を燃やし尽くす程に略奪を働いたのだ!我等の父祖は艱難辛苦かんなんしんくを味わう破目となった。その果てに佐々木家という者達が鎌倉幕府により近江に派遣された。それはいい」


 近江国は日の本一の穀倉地帯であった。琵琶湖から得られる無限の水資源は近江国の穀倉地帯を大いに潤していたからだ。だからこそ朝廷はこの穀倉地帯を抑える為に平城京、平安京を山城国に遷都したのだろう。しかし、豊かである事は幸せな事では決してなかった。豊かだと分かっているから略奪者が後を絶たないのだ。

 平安末期。その略奪者の横暴が最も激しい時代。世の人々は源平合戦の英雄譚に心躍らせている時、地獄など生温いと吐き捨てる程の略奪と殺戮の渦中にあった。前にも語ったが、この頃の武士に『兵站』という概念は無かった。だから遠征先にある豊かな地域は当たり前の様に略奪に曝された。あの源義経の部隊でも寺を焼き討ちして略奪する者がいたくらいだ。因みにその者の名は『梶原景時』という。後で源頼朝にまで怒られて弁償させられている。

 そんな地獄の果てに源平合戦は終わり、鎌倉幕府から佐々木定綱が近江国に赴任する。そして間髪入れずに比叡山延暦寺との抗争が始まる。


「だが佐々木家は内部で権力闘争に明け暮れ、京極家と六角家に分かれ争った。その戦の度に重税を課され近江は焼かれ多くの民草が野垂れ死んだ。それを見て彼等はいったい何をした?全く顧みず闘争に没頭していただけではないか!挙げ句の果てに京極家は下らない跡目争いで戦争を増やす始末。ここに来て皆の怒りは頂点に達した。故に我が祖父・浅井亮政は諸君らの父祖と共に立ち上がり、独立した近江民の国を創る事にしたのだ。結果は諸君らも知っての通り、苦渋に塗れた。我々を認めぬ者達の暴虐に臥薪嘗胆の日々であった。だが、諸君らの弛まぬ努力により野良田の地にて払拭し、真の独立した近江民の国を獲得したのである」


 佐々木家は長きに渡り近江国を支配した。しかし彼等も次第に内部抗争に明け暮れる様になり、幾つかに分裂している。その中で大きい勢力が六角家と京極家だった。そして京極家でも内紛が起きて、長政の祖父である浅井亮政が台頭するに到る。しかし美濃土岐家、越前朝倉家、南近江六角家はこれを認めなかった。特に朝倉家からは軍神・朝倉教景が送られ、瞬く間に蹂躙された。朝倉家は北にもっと厄介な敵が居るので半年程で帰ったが、今度は六角家からの圧力が強くなる。六角家の圧力に屈した浅井久政は長政を身籠っていた妻を人質に送って臣従の道を選んだ。浅井長政はその後、六角家で産まれた。因みに美濃土岐家は何もしないままに斎藤道三の乗っ取りで滅んだ。

 時は流れて、浅井長政が元服すると主君である六角義賢が烏帽子親となり『浅井賢政』と名乗る。そして帰国を許されると父親である浅井久政を幽閉し、浅井賢政から浅井長政に改名して、六角義賢から決められた妻を送り返したのである。もはや反抗どころではなく、完全に喧嘩を売っている。この後に野良田の戦いが起こり、浅井長政は2倍以上の六角軍を撃破したのである。


「しかし世はやはり我々を認めない様だ。またしても東より脅威がやってきた。織田信長という暴威が。我々はこれに打ち勝ち、約束されし近江民の国を認めさせなければならない!それを叶えるのは唯一『力』のみである。織田信長、あの思い上がった痴れ者に身の程を思い知らせてやらねばならん。我らに勝ったと勘違いし、父祖同胞たちの屍で築いたこの近江国を我が物としようとしている愚か者に、裁きの鉄槌を下してやらねばならないのだ!これまでに失わされた! 奪われた! 汚された!我等が掴むはずだった勝利を、権利を、誇りを、そして自由を!この一戦で取り戻す。 ――それが、それこそが諸君らの双肩に掛かっているのだ!奮起せよ、近江国人よ!我等の子々孫々が自由で豊かな未来を得るか、隷属の日々を送るかはこの一戦で決まるのだ!!」


「「「オオオおおおおおおーーー!!!」」」

「長政様!」「浅井家御当主殿!」「我等が近江の盟主殿!」


「浅井家各将へ、当主命令である!全軍、姉川へと進撃を開始せよ! 織田家の連中に、我々の、江北武者の決意と強さを教えてやれ!」


 長政の演説に兵士達は熱狂して応える。口々に長政を称える呼び名を連呼していた。

 浅井長政が『英雄』であるかどうかは時代を味方に付けられるかで決まる。なので未だ『英雄』足らずである彼を形容するなら『理想主義的カリスマ型君主』となる。浅井長政はそのカリスマ性で自らの理想を近江民と共有する事で纏まらない一揆でしかなかった北近江を浅井家という大名に変えてしまったのだ。それは危険な『アイデンティティ』の発現とも言えた。


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【あとがき】


 明けましておめでとうございますニャー。今年もよろしくお願いいたします。


「浅井家当主に大した権限がなく、豪族の言いなり」

「彼等は個々の力では周りに対抗出来ないことを知っていますニャ。だから浅井家の名前を使って団結しているのです」

「・・・野良田で勝利したのが不味かったですニャ。長政の元に団結して大名らしく見えます。でもその団結も長政が言う事を聞いていればこそですよ」

 浅井家という主家を重臣という名の豪族が良いようにしていると言っていい。

 このため浅井家は当主であっても重臣に逆らう事が出来ない大名家なのだ。

 つまり軍閥に権力を握られているため、浅井家当主は立ててやっている顔役程度でしかないということなのだ。


 恒「べくのすけよ、これを覚えているかニャー?」

 べ「覚えてるよ。浅井家との同盟話で恒興くんが言った浅井家の説明だね」

 恒「じゃあ、理想主義的カリスマ型君主ってニャんだ?小説書いてる途中で変えたのか?」

 べ「長政さんは最初からあの性格で設定してたよ。上の説明は恒興くんが間違って予測していただけ。恒興くんの言っている事が正解だとは保証してないし、随所で『浅井家が説明と違う』ってみんなが言ってたでしょ」

 恒「つまり分かっててミスリードさせた、と?」

 べ「うん、言ってる事が全部正解なんてただのチートだし」

 恒「お前、性格悪いニャー」

 べ「恒興くんの説明は先代の久政さんまでは正解なんだよ。長政さんから一気に大名化したとべくのすけは見ている。だけど久政さんは尊重されない当主で、長政さんは六角家の人質。この状況から重臣豪族を抑えて野良田の戦いまでに大名化なんて出来ると思う?」

 恒「前提条件が厳しい上に時間まで無いニャー。……でも、べくのすけは浅井長政がこれを達成したと考えたのか」

 べ「そう、だからこれが出来る人物像を探して理想主義的カリスマ型君主としたんだ。この人物像は有り得ない行動力と破壊力を秘めているからね。大はアレキサンダー大王やチンギス・ハーン、小はロベスピエールの様な革命家」

 恒「つまり浅井長政は自分の理想に重臣豪族達も民衆まで惹き付けたって事か。皆が長政の理想と同じ物を見ているから強固に団結して大名化したって事だニャー。まるで宗教の教祖だな」

 べ「それに近いよ。神様を出さないだけで、あまり変わらないかもね。こういう人物が実力と運を兼ね備えるとかなり危険な事になるね」

 恒「あと演説にガ○ダムが入ってるニャー」

 べ「ガ○ダム演説の汎用性とカッコ良さは素晴らしい!」

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