美濃攻略戦(鵜沼ver )

 鵜沼うぬま城主・大沢次郎左衛門正次は織田家への抗戦派として知られ、『鵜沼の虎』と異名を取る程の武人としても知られていた。

 彼が織田家に降るなど有り得ないとまで、龍興は思っていた人物だった。

 そんな彼が一矢放つ事無く、織田家への寝返りをしたのである。

 事の発端は犬山城における『鉄砲隊訓練』である。

 これは信長の猿啄城出陣の後、佐々成政指導の元で連日1千5百丁にも及ぶ射撃訓練が昼夜を問わず展開されていた。

 恒興の命令により5百丁づつ3交代で成政とその部下によって行われたのである。

 しかも場所は鵜沼城に一番近い木曽川の対岸であった。(犬山側は商業開発予定地なので現在無人)

 鵜沼城は犬山城と同じく木曽川に面しており、鉄砲訓練場所から100m程しか離れていない。

 弾自体は届かないがその轟音は連日鳴り響いた。

 当初、鵜沼城に兵を集めた大沢正次も家臣達も徹底抗戦の構えを崩さなかった。

 だがその轟音に兵も民衆も戦々恐々となり、特に鵜沼城に篭る正次達は限界が近かった。

 それは何故か、それは彼等が何百丁単位の鉄砲の射撃音など聞き慣れているはずがないのだ。

 雷鳴にも似たその音で落雷を想像する者も多数だった。

 この頃の人々はいかづちを畏れる、人は理解出来ないものは神の御業と畏れ崇めるものなのだ。

 特に雷は何故起こるのか理解出来ないため、雷に撃たれて生き延びた人は『雷神の化身』と崇められる程だ。

 それ故に正次も家臣達も直ぐに限界を迎えしまうが、どうにかしたくても対岸でやっているので手が出ないのだ。

 そしてそれ以上に限界を迎えてしまった人物がいる、大沢正次の妻(正室)である。

 正次の妻は斎藤道三の娘であり、信長の正室の帰蝶とは腹違いの妹に当たる。

 その彼女が毎日撃ち鳴らされる鉄砲の音に怯えてしまったのだ。

 鉄砲訓練開始から数日でノイローゼ気味になる程で、彼女の子供達も不眠症に陥った。

 そんな風に追い詰められた彼女の元に1通の手紙が届く。

 それは姉の帰蝶からの手紙で、恒興が依頼して書いてもらった物である。

 そこには「姉妹が敵対するのは親不孝というもの。領地も地位も安堵すると夫・信長に約束して貰いましたから味方してほしいのです。P.S.犬山城主は義弟なんだけど容赦ないから気を付けてね」と書いてあったらしい。

 夫人はその手紙を持って城主である正次を説得した。

 領地も地位もそのままなら意地を張らなくてもいい、ただ姉の説得に応じただけなのだからと。

 正次はその答えは保留にした、彼も限界だったがまず抗戦派の家臣達を説得しなければならないからだ。

 だが次の日になると抗戦派の家臣達は全員意気消沈していた。

 彼等の妻子も怯えてしまっており、さらに夫人の直談判の話まで耳にしたため彼女達も夫人に同調してしまったのだ。

 結果抗戦派は一人も居なくなり、タイミングを見計らって来た金森長近に寝返りを伝えた。

 これを恒興は猿啄城攻略に組み込み、龍興の援軍出撃に合わせてと知らせたのである。

 それを猿啄城への行軍中に知った龍興は即座に軍勢を反転、鵜沼城に向かう。

 鵜沼城を放置して猿啄城救援に行くと後背を脅かされるどころか、稲葉山城や関城をダイレクトで攻撃されてしまう。

 そのため龍興はどうしても鵜沼城を攻略しなければならなかったのだ。


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 犬山城の広間にて、恒興は目前にいるまだあどけなさが残る少年に事の詳細を報告していた。

 報告を受けている少年は今回の犬山軍総大将である斎籐利治・13歳である。

 因みに彼は今回が初陣であり、恒興が信長に要請して総大将となっている。


「利治様、時期に龍興の軍勢が鵜沼城に来るはずですニャー」


「予定通りなんですよね、池田殿」


「勿論ですニャ」


 鵜沼城陥落の報せはと行軍中の龍興の軍勢に報せており、鵜沼城を捨て置けない事情がある龍興は必ず来るはずである。

 来なければ背後を強襲するなり、稲葉山城や関城を脅かして引き付ける予定である。


「池田殿、一つお願いがあるのですが」


「?ニャんです?」


「私に先陣を切らせて貰えませんか?この初陣で功を立てて、義兄である信長様に捧げたいのです」


 キラキラとした目という例えが相応しい様な表情で宣言する利治。

 現在広間には斎籐利治と恒興だけしかいない。

 実はこれには訳があり、利治が先陣を切ると諸将に言ってきかないので恒興が説得にきたのだ。


(・・・血気に逸ってるニャー。まあ、ニャーにもそんな時期はあったし、気持ちは解らないでもないけど。ニャーが説得するしかないか)


「利治様、功績にも種類が御座います。なのでその身に合った功績を稼がなければ、信長様はお喜びにはなりませんニャー」


「種類ですか?」


 なので恒興は努めて丁寧に利治を諭していこうとする。

 恒興はかつての血気に逸る自分を思い出しながら、利治説得の言葉を選んでいく。


「はい、まず兵卒の功、次に将の功、最後に総大将の功ですニャー」


 戦場の功績は大きく分けて3種類ある。

 これは軍における身分や役職で違うといえる。


「兵卒の功は難しくありません、頸(くび)を持ってくればよろしい。将の功は部隊を上手く動かし敵の部隊を撃破する事や作戦目的の達成が求められますニャー」


「成る程」


 戦場では一般的に頸を持ってくれば功績となる。

 なので頸を取って持って帰り、自宅で洗って妻に化粧をさせてから大将の所に持って来るヤツも大勢いたという。

 洗って化粧をするのは、少しでも良い手柄頸に見せかけるためらしい。

 つまり褒美の多少に影響するので、女性陣も張り切って生首を化粧していたとのこと。

 正に『はもは蛇に似たり、かいこいもむしに似たり』とはこのことである。

 これは『韓非子かんぴし』にあることわざである。

 はもや蚕が蛇や芋虫に似ているので恐いと言っているか弱い女性であっても、これらに利益があると解れば恐れなくなり素手で掴んでくる。

 つまり人は利益があればいくらでも大胆になるという意味である。


「総大将の功になりますと前述の二つは要りません。何よりも先ず勝つ事ですニャ」


「確かに、勝たねば意味がないですね」


 総大将の功は戦に勝利する事である、これは当然といえる。

 何せ勝たなければ、兵卒の功も将の功も無かった事になるからだ。

 褒美が貰える戦功論賞は勝ち戦でないと開かれないのだ。


「ですがそれは義務の様なものなので功績を稼ぐ事になりませんニャ。なので功績を稼ぐなら戦後を見据えて勝利する事ですニャー」


「戦後・・・ですか?」


 勝つ事は大前提ではあるが、勝ち方というのも重要である。


「はい、例えば利治様が将来戴く領地は豊かな田畑と焼け野原、どちらが欲しいですかニャ?」


「前者です、断然!」


「ですよね、信長様も一緒ですニャ。勝っても得たのが焦土では喜べません。なので功績を稼ぐなら如何に損害を減らして勝つかなのです」


 占領する地域の経済や農業をなるべく破壊せずに手に入れる事が重要なのである。

 戦争である以上、ある程度は仕方ない。

 だがあまり破壊しないようには気を付けるべきだ。

 やり過ぎると復興から始まる上に、地元民から恨まれ協力して貰えないかも知れない。

 三国志の世界では『大水計』が息を吐く様な軽さで使われるのに対し、日の本では全く使われないのはこのためだろう。


「今回は鵜沼城は味方で龍興が攻め込んで来ます。どうするべきでしょうニャ」


「鵜沼前で迎撃でしょうか?」


「そう出来れば良かったのですが、数の上で劣勢なので鵜沼城に篭らざるを得ませんニャー。なのである程度田畑や町の損害は覚悟するべきです。先程も言いましたが『勝つ事』は大前提ですので。それを踏まえて『勝つ事』の次に大切なのは何でしょう」


「えっと、自信はないけど『民』でしょうか?」


「ご慧眼ですニャー、正にその通り。例え田畑や町が焼かれても民が無事なら立て直す事が可能です。なので先ずは民が戦に巻き込まれない様に犬山への避難を促す、これが利治様が稼ぐべき功績ですニャー」


 正解へとたどり着いた利治を恒興は褒める。

 今回の犬山軍の兵力は5千弱、それに対して龍興の兵力は7千を数える。

 また兵の強さも全く違う。

 織田軍を構成する兵士は殆ど『尾張者』や『傭兵』であるに対し、斎藤軍の兵士は精強で鳴る『美濃者』で個人戦闘力にも差がある。

 だから龍興は猿啄城の信長軍1万6千に対し1万の斎藤軍なら勝機は十分にあると見たのだ。

 実際に正面からぶつかれば信長は敗北する可能性が高い。

 そのため恒興は何としても龍興を引き寄せねばならなかった、この鵜沼という彼の死地に。

 そしてこの鵜沼を龍興の死地に変えるためには『鵜沼の住民』が非常に邪魔なのである。


「ニャーが鵜沼の民に呼び掛けても誰も動いてくれません。ですが斎藤家の正当な当主である利治様であれば、鵜沼の民は挙(こぞ)って避難するでしょう。これは利治様にしか出来ないのですニャー」


「池田殿は凄いですね。常日頃からその様に考えて戦をしていたとは」


「殆どが信長様の受け売りですニャ。ニャーが個人で行き着いた考え方ではありませんよ」


 この鵜沼の民への避難呼び掛けのために恒興は斎藤利治を担ぎ出した。

 目的はコレだけではないが、恒興が鵜沼に罠を張るためには必要な事なのだ。

 住民がいるまま罠を仕掛けると巻き込まれる上に、褒美目的で龍興に通報する人間も出るだろう。

 ここら辺の事情を一切語らず綺麗な言葉で説得していく、これも謀略家の心構えと言うべきか。


(ええ、全く、何故ニャーはもっと早くこれに気付かなかったのか。バカは死ななきゃ治らんとはニャー自身の事だったニャー)


 とはいえ恒興もちゃんと戦後は見据えている。

 今実りつつある田畑には罠を張らず戦場にもしないつもりだ。

 攻め込んでくる龍興側の対応は分からないが、取り返すべき領地を焦土にしないとは思っている。


「分かりました。それが信長様が望まれている事なのですね。そうと決まれば動きましょう」


「はっ、鵜沼の民の説得には長近の隊をお使いくださいニャ。ニャーは鵜沼城に入り防戦の準備を致しますので、犬山城と避難民をお願いしますニャー」


 金森長近の部下には美濃出身者が多いので利治の配下と名乗るには適当である。

 そして避難と言っても身一つで避難させるわけではない、引越しレベルで家財道具も持ってこさせる予定だ。

 龍興の軍団はまだ数日は来ないので、犬山兵に手伝わせて一息に完了させる予定である。

 この指揮のために金森長近、滝川一盛、飯尾敏宗を利治の麾下に附け、犬山城側の受け入れを土屋長安と大谷休伯にやらせる。

 そして彼らはそのまま利治や鵜沼の住民と共に犬山城に篭るので、鵜沼城に出張るのは池田恒興、土居宗珊、加藤政盛、土居清良、渡辺教忠、加藤教明、そして佐々衆の佐々成政と鵜沼城主・大沢正次となる。


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 利治の説得を終わらせ軍議の間から出てきた恒興を待ち受けていたのは佐々内蔵助成政であった。


「勝三、利治様の説得は終わったのか」


「当然だニャー!利治様の先陣なんて許したら、ニャーは信長様と義姉上のダブルでシバかれるわ!!」


「ですよねー」


 斎藤利治とは織田家にとって、美濃攻略の大義名分そのものである。

 そして信長にとっては義弟に当たり、幼少から養育してきた可愛い義弟である。

 そしてそして信長の正室の帰蝶にとっては父母が同じで完全な弟である、これで可愛くない筈がない。

 つまり掠り傷一つでも付けたら、二人からとんでもない仕置きをされても不思議ではない。

 それほどの重要人物なのだ。

 そんな人物に先陣など切らせたら何れだけ怒られるか、まかり間違って討ち死になどしたら想像を絶する被害だ。

 なので恒興としては利治には犬山城から一歩も出て欲しくなかった。


(ニャーは頑張ったよ。利治様が納得して犬山にいる様に説得したんだよ)


 本来、説明説得向きでない恒興はとても頑張った。

 非常に考えて言葉を選んで説得したのだ。

 そして金森長近には利治を犬山城から絶対に出さないように、用事があれば全て長近が取り計らうようにと伝えてある。


「利治様は長近に任せてニャー達は鵜沼城に入るぞ」


「了解だ、佐々衆も全員入れるよ。しかし本当に訓練で城が落ちるとは」


「だから功績になるって言ったニャー」


「でも・・・やり方がえげつない!」


 恒興が何かするたびに何故か他人から『えげつない』と言われる。

 既に様式美になりつつあるが恒興としては認めたくなかった。


「やかましいギャ!要らんのならニャーが貰うぞ!」


「わー、冗談だって。有り難く戴くって」


「それより頼むぞ、鵜沼城の防衛は鉄砲隊の働きに懸かっているんだニャー」


「ああ、任せろ」


 そんな雑談をしながら、二人は防戦準備をしている鵜沼城へ向かうのであった。


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「大沢殿、準備は進んでいますかニャー?」


「おお、池田殿、来られたか。まあ、順調だ」


 恒興は成政と共に鵜沼城に入って、城主の大沢正次に会う。

 籠城戦の準備状況を聞くためだ。

 今回この鵜沼城には鵜沼兵8百をはじめ、佐々衆6百、土居清良の犬山鉄砲隊3百、恒興の本隊5百の計2千2百人が籠城することになる。

 恒興の本隊には土居宗珊と加藤政盛が配置されている。

 犬山城の方は総大将の斎籐利治に金森長近、滝川一盛、飯尾敏宗、土屋長安、大谷休伯を附け2千の兵力を配置した。

 そして鵜沼の森の中で渡辺教忠の親衛隊と加藤教明の犬山三河衆(三河者が中心で構成される隊)兵力7百が伏兵になっている。

 これが今回の布陣となる。


「ん?あれは奥方殿とお子様ですかニャ?犬山に避難を?」


 そこで恒興は駕籠(かご)に乗って鵜沼城から出て行く女性と子供を目撃する。

 女性と子供は整った身なりをしていたので、大沢正次の妻と子供だと予想した。

 鵜沼城はこれから戦場となるので避難は賢明な判断だと恒興は思う。


「あ、いや、何と言うか、その・・・」


「?」


「小牧山城へ行くわけでして」


「・・・大沢殿、ニャーは人質までは望んでませんが」


「まあ、その、自主的という感じで」


 避難は避難なのだが行き先が犬山城を通り越して小牧山城であった。

 これは恒興にとっても意外であり、人質を送る旨は伝えていないので小牧山城も対応に困るだろう。


「俺は何となく解るかな、奥方殿の気持ち」


「どういうことだ、内蔵助」


「犬山城は怖い誰かさんの城だからさ。姉のお濃の方がいる小牧山城まで逃げるんだろ」


 大沢正次も成政の言に何も反論せず目を背けるだけだった。

 つまりそういう事らしい。


「・・・ニャー、そんなに怖くないのに・・・」


「いや、怖いよ!知らない人からしたら恐怖の対象だと思うよ!」


 後で堺から甘いお菓子を取り寄せて贈っておこうと恒興は思った。


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 猿啄城への行軍中に鵜沼城の寝返りを聞いた龍興は即座に軍を反転した。

 そして後方から犬山軍が接近してくる可能性も考え、軍団の速度を落とし鵜沼方面に斥候を放った。

 その数日後には斥候の一部が戻り、長井隼人が龍興に報告した。


「何!?鵜沼に人がいないだと!?」


「はっ、物見の報告によりますれば、鵜沼城には織田家の旗が揚がっております。そして農村や町から人が居なくなっているそうです。家財道具も無くなっており、完全なもぬけの殻であると」


 ケースバイケースではあるが基本住民は移動しない。

 戦禍を逃れて山に入ることもあるし、武装して抵抗ヒャッハーするのもいるが、その土地は彼等の一所に相当するので基本的に捨てられないのだ。

 だから龍興はそのことに何か作為的な物を感じたのだ。


「住民が全員移動するなど有り得るのか?・・・何かの罠かもな」


「細作を更に放ち情報を集めます」


「頼む、隼人」


「ははっ!」


 だがこの報告で鵜沼側からの襲撃は無いと見た龍興は軍団の速度を上げた。

 そして2日後には鵜沼に入れる所まで進軍した。


「鵜沼前まで来たが迎撃は無しか」


「龍興様!」


「隼人、どうした?敵を見付けたのか?」


「あ、いえ、そうではありませんが。細作からの報告がありまして」


「聞こう」


 鵜沼の前まで来たが鵜沼城からの出撃は無く、鵜沼が無人なのも報告通りであった。

 人がいない村や町は異様なものだと龍興は思う。

 細作からの報告がこの異様さを説明してくれるものなら良いがと彼は耳を傾ける。


「はっ、まず今回の犬山軍を率いている総大将は『斎籐利治』であると」


「何っ!?利治叔父だと!?」


 斎藤利治は龍興より年下であるが、龍興の父・義龍の弟に当たるため彼の叔父になる。

 そして長井隼人からは腹違いの弟となる。


「はい、その利治は鵜沼の住民と共に犬山城に篭っているとの事」


「おのれぇ、鵜沼の民は俺より利治叔父を選んだというのか。・・・いいだろう、それなら俺もそれ相応の対応をしてやろう」


 こうなれば鵜沼も竹中重治と同じ目に合わせてやろうと龍興は考える。

 だが何にしてもそれは戦後の話だ。

 今は鵜沼城を攻略し、猿啄城に行かねばならないのだ。


「ふん、まずは鵜沼城だな。隼人、報告は来たか?」


「はっ、鵜沼城には池田恒興、大沢正次等がいる様で兵力は2千ほどと」


「ちと少ないな。犬山城に割いているのだろうが、こちらにとっては好都合か。よし、全軍速度を緩め行軍!周辺警戒しながら鵜沼城に迫る!」


「では城門に攻め掛かるのは昼過ぎになるかと」


 そこで龍興は何かを思い付いた様な顔をする。

 自分達はまだ昼食を摂っていない事を思い出したのだ。


「丁度良い、ならば敵前で昼飯だな」


「龍興様!それは危険ですぞ!」


 龍興の危険な提案に長井隼人がたしなめる。

 だが龍興はそれは分かっているさと言いたげな顔をしていた。

 つまり龍興にとっても思惑があってやろうとしていることであった。


「隼人の心配は分かるさ、だがそれで敵が釣れればしめたものだろう?俺達はさっさと鵜沼城を攻略して猿啄城に行かなければならないんだ。だから半数は見せ付ける様に食事して挑発、半数は伏せて待ち構えるんだ」


「なるほど、では早速その様に致します」


 龍興の軍勢は鵜沼城城門から見える位置に布陣、そこで昼食を摂るという挑発行動に出る。

 それは城壁の登って軍勢を見ていた恒興と宗珊からも見えていた。


「殿、どうやら敵はここから1里も離れていないというのに昼食を摂り始めたようです、完全な挑発ですな」


「ああ、中々上手い手を使ってくるニャー」


 そこに厳しい顔をした成政がやってくる。

 彼は今回の鉄砲隊9百人を陣頭指揮するため、各部隊の配置状況を確認していた。

 そこであの斎藤軍の挑発行動を見たのだろう、その顔は出撃したいと言うんだろうなと恒興は思った。


「勝三、ここは打って出るべきじゃないか?打撃を与えておくべきだと思うんだが」


「血気に逸るな、内蔵助。それじゃ龍興の思う壺だニャー。アイツはニャー達が出てくるのを待っている、おそらく半分は飯食って半分は待ち構えているな。半数でも3千強だぞ」


「うっ・・・」


 少し挑発に乗り気味だった成政も具体的な兵数を言われて我に返る。

 何せこの鵜沼城には現在2千人程しかいないのだから。

 そして恒興にも解っていた、龍興が挑発を繰り返してくることは。


「焦るな、時間が経てば経つほどニャー達が有利になる。龍興もそれが判っているから挑発してるんだニャー」


「ふーん、となると持久戦かー」


 龍興が挑発して恒興達を引き寄せたい理由。

 それはまず鵜沼城の堅城だからだ、その堅牢さは攻撃してみれば解る。

 次に水の手が断ち切れず、食料があればいくらでも籠城が可能だということ。

 この鵜沼城の眼下には切り立った崖と真下に木曽川がある。

 つまり縄を付けた桶を投げ込んでやれば、いくらでも水が手に入り煮沸すれば飲み水として使える。

 最後に龍興はこの後猿啄城に行かねばならないので、早期に決着を着けなければならないのだ。


「そう全員が思っている、それが狙い目なのです、佐々殿」


「?宗珊殿、どういう意味だ?」


「今に解るニャー。それより防衛指揮頼むぞ。清良も内蔵助の指揮下に入れるから、計9百丁の鉄砲をお見舞いしてやるニャー!」


「応!」


 程なくして昼食を摂り終えた龍興軍は鵜沼城への進軍を開始する。

 いくら隙を見せて待っていても鵜沼城から恒興達が出てくることはなかったからである。

 龍興軍は包囲など全くせず、西側にある鵜沼城の城門目掛けて殺到する。

 そう、包囲する必要はない。

 何しろ、この鵜沼城は山城の中でも特に珍しい『岩山城』なのである。

 なので斜面と呼べる西側に城門を持ち、南北東は完全な崖である。

 更にこの岩山は木曽川に突き出しており、南と東は木曽川であるという正に天然の要害なのだ。

 それ故に城の規模が小さいという難点はあるものの、小勢で大軍を受け止めるのには適していた。

 城門及び南側の城壁を佐々衆+土居鉄砲隊が担当し、北側の城壁を恒興の本隊が担当した。

 因みに鵜沼兵は鉄砲隊の補佐で、鉄砲射撃の隙間を埋めるため配置されている。


「まだだ!もっと引きつけろ!」


 成政は城門の上に急遽造られた物見櫓から指示を出す。

 鵜沼城の門前は森林地帯から開けた場所に出て城門城壁があるという地形である。

 そのため鉄砲を活かすには敵勢が開けた場所まで来ないと効果が薄い。


「第一斉射!撃てーっ!」


 成政の号令で構えていた鉄砲隊が一斉に火を吹く。

 開けた場所まで駆け出して来ていた斎藤兵の前列はバタバタと倒れていく。

 だがそれを目の当たりにしても斎藤兵は止まらなかった。

 その後鉄砲を放った兵士は弾込めを行うため城壁下へ移動、即座に第二斉射部隊が登ってくる。


「殿!『破城槌はじょうつい』が来ました!」


 成政の部下が遠目に見えた兵器の存在を報告する。

 破城槌・・・城門城壁に対し水平方向に丸太をぶつけ破壊する攻城兵器、『衝車』『衝角』とも呼ばれる世界中で古代から使われる兵器である。

 日の本でも『掻盾牛かいだてうし』という和製衝車が存在しているが・・・殆ど使われていない。

 それは日の本の地形が火山列島であるため大体何処でも山岳地形、森林地形、河川地形であることが多く、衝車などまともに走れないからだ。

 そんな重たい衝車を城門まで苦労して持っていくより、丸太担いで走った方が速いという話なのである。

 では今回の鵜沼城はどうだろう。

 城門までの道は確かにある、だがかなりの坂道である。

 鵜沼城とは城門にたどり着くまでの坂道で敵の速度が落ちる様に設計されており、衝車を持ってきても坂道に負けて転がり落ちていくだろう。

 では成政の部下が報告した破城槌はどんなものか。

 やはりなのだが十数人の兵士が木楯を上に掲げ、大きな丸太を担いで運んできていた。

 それをみた成政は鴨がネギ背負ってやってきたと思ってしまった。


「第二斉射!撃てぃ!」


 成政の号令で再び鉄砲が火を吹く。

 またしても斎藤軍の前列はバタバタとなぎ倒され、破城槌部隊も頼みの木楯を銃弾が貫通しなぎ倒された。

 そして担ぎ手を多数失った丸太は重力に従い坂を転げ落ちていく、後ろにいる斎藤軍を多数巻き込みながら。

 成政は今回射撃部隊を2百丁の4交代で予備に百丁という編成をしている。

 再射撃までの時間が問題であったが、この鵜沼城前の坂道は十分時間稼ぎになっていた。

 これなら食料と弾薬が続く限り籠城出来ると成政は思った。

 城門及び南側城壁はこの鉄砲隊の火力により問題なく守りきる。

 残る問題は鉄砲隊がいない北側城壁である。

 ここには恒興の本隊が守りを担当しており、池田家家老・土居宗珊が声を張り上げて兵を指揮していた。


「矢を雨の如く降らせよ!!」


 北側の地形は坂が崖に変化しつつあり、地形的な守りはかなり堅牢であった。

 それでも木楯を頼りに矢を防ぎ、斎藤軍は次々と城壁に到達する。

 だが・・・。


「何だこれは、油が塗ってあるだと!?くそっ、登れん!」


「梯子だ!梯子持って来い!」


 城壁には油が塗ってあり、兵士が登ってくるのを妨害していた。

 この鵜沼城の城壁は丸太を組み上げて作られており、鵜沼城の容貌も城というよりは砦の方に近い。

 堅固な土壁を持つ城は大型~中型の城に多く、鵜沼城の様な小型の城は丸太組みの塀なのである。

 したがってこの城壁は登ろうとすれば登れる程度である。

 なので登れないように予め油を塗っておいたのだ。


「ご家老様!敵が梯子を・・・」


「投石始めぃ!!」


「はっ!」


 城兵は梯子を城壁に掛けて登ろうとする斎藤軍目掛けて投石を開始する。

 石の大きさは人の頭より大きい物であり、『岩』と形容するのが正しいのかも知れない。

 それを梯子の上から投げ落とすのである。

 そうする事で狙いなど着けずとも命中するからである。

 だがそれでも斎藤軍の攻勢は激しさを増す。


「ご家老様!敵が・・・」


「熱湯を落とせ!!煮えた油を撒けぃ!!」


「はっ!」


 流石に投石にも限りがある。

 斎藤軍の激しい攻勢に投石が尽きかけ、指示を求めた部下に『熱湯』及び『煮油』の投下を命じる。

 だがそれでも美濃侍は止まらなかった。

 そして既に城壁を登られつつあった。


「ご家老様!て・・・」


「頃合だ!『外壁』を落とせぃ!!」


「はっ!」


 更に宗珊は外壁の投下を命じる。

 これは鵜沼城の本来の城壁の外側に付けておいたもう一つの城壁で、最初から敵に向かって落とすつもりで作ってあった。

 この外壁は城壁の上でいくつもの縄で縛り付けられており、それを切り離すだけで丸太となって斜面を転げ落ちていく様に設計されていたのである。

 このため外壁を登りつつあった斎藤軍は梯子ごと斜面に転落し、後ろから来ていた後詰めの部隊を巻き込んでしまう。


「ご家・・・」


「火矢を放てーっ!!」


「はっ!」


 宗珊は止めの手段に出る。

 何しろあの転げ落ちていった外壁には油が塗ってあるのだ。

 放たれた火矢から瞬く間に炎が上がり、斎藤軍の攻勢部隊の真ん中で火災を引き起こす。

 それを見ていた恒興と政盛はこうコメントした。


「宗珊様、マジで凄いですね」


「どうしよう、宗珊が優秀過ぎてニャーが空気になりつつあるんだけど。て言うかご家老様ご家老様って、皆ニャーの事忘れてない?部隊長はニャーなんだよ」


 何故か池田家の兵士がみんな宗珊の所に報告と指示を仰ぎに行くので、恒興は拗ね気味だった。

 因みにこれらの迎撃方法を用意したのは全て宗珊である。

 結局攻め口を炎で塞がれた斎藤軍は消火に手間取り、日没となって戦闘は終了した。


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 初日の鵜沼城攻略戦は龍興の敗北といっていい結果だった。

 何しろ死傷者は合わせて千人以上を数え、野戦なら普通に大敗北である。

 ただ幸いなのは死者自体はさほどおらず、大半が負傷兵であること。

 そして攻城戦なので敵の攻勢は無く、負傷者は後方に送れたということだ。

 だが負傷兵自体は多いので、ゆっくり治療休息が取れる場所が必要だった。

 そのため龍興は長井隼人に命じて鵜沼の町を調べさせた。


「隼人、鵜沼の町はどうだった?」


「はっ、家財道具などは一切無く家屋のみでございました。また龍興様のご懸念の件ですが・・・」


「ああ、奴らが我らを町に誘い入れて火計で焼き払うかもという件だな。どうだった?」


「それが油の類は見当たらず、また家屋に油が撒かれている様子もありませんでした。町には水の入った瓶(かめ)や土の入った桶くらいしか残されておりません」


 調べた鵜沼の町は完全に何も無く、家屋そのものと瓶や桶くらいしか残っていなかった。

 龍興は火計を警戒し油等が隠されていないか探させていたのだが、彼の予想は外れた様だ。

 また伏兵も徹底的に捜したが猫一匹見付からなかったという。


「・・・どういうことだ?」


「何故瓶や桶だけ残していったかは私にも・・・」


「ああ、疑問はそこではない。何故この状態の鵜沼の町が残されているのかだ。普通事前に焼き払うものではないのか?俺に使われるなど目に見えているだろう」


「鵜沼の民に気を使っているのかもしれませんな。鵜沼の民の恨みを買うと利治の名にキズを付けますからな」


「ふむ、ならば好都合か。屋根も壁もある場所なら皆ゆっくり休めるな。ただし奇襲警戒の兵は多めに配置しろ」


「ははっ!」


 実際に火計でなければ、この鵜沼の町に陣取るのは正しい選択といえる。

 一つは兵士が雨風を凌げる場所で休める事。

 もう一つは家屋が敵の矢を防いでくれる事である。

 後は敵の夜襲に備えておけば問題はないという事である。


(これで本当に火計だったら池田恒興は意外と現場を知らないバカなのかもな。雨季で木曽川の近くだ、湿気は相当なもの。油も無しに火計など無理だ。もし夜襲してきたら反撃で潰してやる!)


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 日没と共に龍興軍は一度撤退、鵜沼城の麓にある『鵜沼の町』に入った。

 この情報は城外にいる渡辺教忠の親衛隊の斥候により知らされた。


「殿、報告です。龍興の軍勢は鵜沼の町に入り休息を取っている様子」


 この情報は伝令を統括する政盛から即座に恒興に伝えられた。

 それを聞いた恒興はニヤリと嗤い、宗珊にも意見を聞いてみる。


「だとさ、宗珊。どう思うニャ?」


「こちらの思惑通りとはいえ迂闊ですな。その程度の見識では四国で一月と生き残れませんぞ」


「・・・どんな地獄だニャ、四国は。まあ、いいニャー。政盛、教明と教忠の各隊に伝令」


「はっ」


「教育してやれ、『敵の施設で休んでるんじゃねぇ』ってニャー」


 恒興は政盛に城外で伏兵になっている渡辺教忠と加藤教明の隊に攻撃命令を出す。

 そう、恒興はこの時を待っていたのだ。

 こうして美濃攻略戦の最終局面が始まる。


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 新月により月明かりもない夜中に、突如鵜沼の町への攻撃が始まる。

 それは渡辺教忠の親衛隊5百と加藤教明の犬山三河衆2百による火矢によって始まった。

 だがその火矢の攻撃を見て龍興はほくそ笑む。

 何しろ火矢を放つという事は火種を灯さねばならない。

 即ち夜襲部隊の居場所である、鵜沼の町に近い山の中腹が煌々と輝いていた。

 この新月の夜によく映えて見えており、これこそ龍興の望んだ展開であった。


「火矢か、思った通りの行動だ。だが甘いな、湿気の多いこの時季に火などそうそうつかんわ。全軍反撃せよ!城から出てきたネズミ共を叩き潰せ!!」


 龍興が号令を出した時、ズドオオオォォォーンと大きな音が鳴り響く。


「「ギャアァッ!?」」


「「ぐわあぁっ!?」」


 大きな土柱らしき物が立ったと思うと、その周囲にいた兵士数人が吹き飛ばされる。

 その爆風は龍興の所まで届き、石や木の破片が彼にも当たる。


「な、何だこれは!?」


 ズドオオオォォォーンとまたしても鳴り響く。

 更に立て続けに4回鳴り響き、町の到る所で土煙を上げる。


「ひいいぃぃっ」


「祟りじゃ、祟りじゃあ」


「祟りに殺されんのはご免だぁ!」


 人は理解出来ないものを畏れる、雷を畏れるのはそのメカニズムが理解出来ないからだ。

 そして現在、斎籐軍のいる地面が人間を吹き飛ばすほどに弾けている。

 何がどうなったらこうなるのか誰にも理解出来なかった。

 そして誰かが言い出した『祟り』の言葉で全員が恐怖に取りつかれ、斎籐軍は瞬く間に恐慌状態に陥る。

 最早斎籐軍の兵士は暗闇の中逃げ惑い、我先にと町から脱出しようとしていた。


「お、お前ら!戻って戦え!敵前逃亡は・・・」


 兵士を呼び戻そうとする龍興。

 だが龍興が台詞を言い終わる前に、彼の直ぐ傍で突然地面がズドンと弾ける。

 他より比較的小規模の爆発であったが、龍興は空中に飛ばされ地面に転げ落ちた。


「ぐわぁっ!!」


「た、龍興様!」


 長井隼人が龍興の盾になる様に覆い被さる。


「・・・一体、何が起こってるんだ・・・」


「龍興様、ここは危険です。脱出を!」


 長井隼人は放心する龍興を肩で担ぎ、鵜沼の町を急いで脱出する。

 最早部隊は全軍壊走、ここに残っても捕らえられる運命しかない。

 彼は直ぐに馬を見付け、龍興と共に稲葉山城へ向かった。


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「凄まじい爆音ですな、この城まで響いてこようとは」


「この暗闇の中、至近距離でアレを喰らえば部隊崩壊は間違いなしだニャー。何が起こってるかすら理解不能だろうニャ」


 池田軍による夜襲の火矢は火計ではない、火矢はある程度起爆剤になればいいのだ。

 本命は鵜沼の町の至る所に置かれた木桶である。

 この木桶は恒興が犬山の木工職人に依頼して作らせた物で、大きさは片手で持てるタイプで取手と蓋が付いている何処にでもある桶だ。

 これをわざわざ依頼して作らせた理由は内部構造である。

 実はこの木桶は木材と木材に微妙な隙間が空いており中身が少し漏れ出す様に設計されている。

 水を入れたら全部漏れ出していくので木桶としては失格、だからこそ特別注文せねばならなかった。

 恒興はこの木桶に火薬を詰め込んだのである、天王寺屋から購入した大量の火薬の大半はここに使われた。

 火薬を底に詰め土を上に被せて蓋をする、これだけで完成だ。

 あとは運任せだが火が引火して木桶の隙間に到達出来れば、圧力爆発を起こすという寸法である。

 因みにこの木桶は50個近く仕掛けられているが、上手く爆発したのは10個前後と見られる。

 なので恒興は残った木桶は回収するつもりでいる、危ないし勿体ないから。


「これだから実戦経験の少ないヤツは。ニャーが何もしてない訳ニャいだろ」


 恒興には解っていた。

 龍興には時間的余裕はなくこの鵜沼城を早く片付けて、猿啄城に向かわねばならない事を。

 だから龍興はワザと隙を見せる様な挑発行為を繰り返していたのだ。

 そうする事で何とか池田軍を釣り出し、打撃戦に持ち込もうとしたのである。

 兵士が減れば鵜沼城も守れなくなるという寸法だ。

 恒興は龍興が挑発を繰り返す事は解っていたので、彼の死地となるであろう『鵜沼の町』に罠を仕掛けておいたのだ。

 因みに龍興が鵜沼の町に入るまで、恒興は亀の甲羅に閉じ篭る様な籠城をするつもりであった。

 なので龍興が1日目の夜に鵜沼の町に入ってくれたのは幸いで、とても時間の短縮になった。


「勝三!追撃に出よう!」


「無用だニャ、捨て置け」


「何故だ?敵を討ち取る絶好の機会だろ」


 逃げる敵を追撃するのは戦の常道であり、この時こそが一番の頸刈り時である。

 何しろ逃げる敵は士気が崩壊している事が多く、無抵抗で討ち取れる可能性が高いからだ。

 このため撤退する時は殿軍を置き、本隊を守らせるのが普通である。

 だが、今回の斎籐軍の様に全軍壊走の場合は殿軍などいないので絶好の稼ぎ場となる。


「ニャーが欲しいものは全部手に入れた。早晩美濃は信長様の手に落ちるニャ。となれば、今逃げている連中はいずれ信長様の兵となる訳だ、追撃まかりならん!」


 恒興はこの戦いであらゆるものを獲得した。

 まず、直接対決において斎籐利治の完勝と龍興の完敗及び権威の完全失墜。

 次に猿啄城に援軍を出すと約束して行かなかった事。

 これにより中濃豪族の支持は完全に消え失せたであろう。

 そして墨俣、猿啄、鵜沼と木曽川対岸に橋頭堡を確保した事。

 ここまで来れば斎籐龍興に未来がない事は誰でも理解するだろう。

 後は順次調略していけば斎藤龍興を丸裸に出来るという寸法だ。


「内蔵助は鵜沼城攻略の功績があるんだから、ここはニャーに譲ってもらうぞ」


「うう、そう言われると弱いな」


「心配せずとも既に立て直せませんよ。兵士達は全員、安全な我が家まで逃げ続けるでしょう。彼等は何時何処が爆発するか判ってませんからな」


「了解だ、戦は終わりか」


 成政はそう呟くと部隊の撤収を指揮してくると言って立ち去った。

 そして恒興は最後の仕上げをするべく、その適任者に要請を出す。


「大沢殿、鵜沼兵と共に町の消火と龍興に置いていかれた負傷兵の救助、お願いできますかニャ?利治様の名前を出せば、彼らも無駄な抵抗はしますまい」


「了解した、早速行ってくるとしよう」


 恒興は火矢や爆発で負傷した兵士の回収を大沢正次に依頼する。

 火矢は当たり所が悪いと死ぬが、あの爆発で死ぬ人間は多分いない。

 それは火薬の質がまだまだ低く、音は轟音なのに大した威力はないのである。

 精々、爆風で転んだケガか飛んできた石や木片が刺さった程度だ。

 だから威力を悟られず轟音を活かせる夜に行う必要があったのである。

 なので今回の夜襲での死者はかなり少なく、負傷者ばかり転がっているだろう。

 そこに織田家の兵が行くと無駄な抵抗をするかも知れないから鵜沼兵に行ってもらう訳だ。

 そして鵜沼兵が『斎籐利治』の名前を出しながら救助にあたる事になる。

 この行為にも意味がある、とりわけ『龍興に見捨てられた兵士を利治が保護して救命する』という点だ。

 恒興はこの敵兵士達を『斎籐利治』の名義で救い、治療して解放する予定であった。

 そうする事で解放された兵士は『斎籐利治』に命を救われた事や彼が斎籐家の当主として美濃の民を慈しんでいる事、そして龍興は自分達を見捨てた事を宣伝してくれるであろう。


(例えは悪いが『腐ったリンゴ』という訳だニャー)


 龍興は今日までの失態と敗戦、猿啄城の援軍無視などで美濃中の豪族や家臣から信用を完全に失った。

 そして龍興の対抗馬である利治は鵜沼での大勝利とその後の美濃兵の救助で大いに名声を上げる、その様に金森長近には工作させる予定だ。

 つまり豪族、家臣、兵士、民衆からの龍興に対する信頼を全て失くし、美濃を利治とその後見役である信長に付く様に仕向ける。

 これが恒興の美濃制圧目標である。

 無駄な争いは無くし無駄な人死にを減らし、なるべく多くを信長のものにするためであった。

 その条件を整えた以上、この戦いはもう終わっているのである。


「政盛、教明と教忠に伝令。『十分気を付けて消火しろ』・・・こっちが吹き飛ばされたら敵わんからニャー」


 こうして織田家による美濃攻略戦は幕を閉じたのである。


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【あとがき】

信長協奏曲で鉄砲の射撃音に怯える濃姫の一幕がありましたが、あれがこの時代の人々の正常な反応だとべくのすけも思います。

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