美濃攻略戦(猿啄ver )
現在猿啄城は織田軍総勢1万6千によって重包囲されている。
だが未だ城門が破られる気配はない。
当初の予定としては猿啄城攻略自体が陽動なので時間を掛けて落とすつもりだった。
信長もそう考えていたし、他の指揮官もそうだった。
「・・・だがよ、一週間が過ぎようというのに、未だに城門すらこじ開けられないというのはどういう事なんだ」
「まあ、龍興が来るまでの時間稼ぎと皆思っているので仕方ないのでは」
確かに猿啄城攻略自体が陽動ではある。
だが予定としては攻め落とすつもりなのは最初から変わっていない。
そして佐久間出羽は失念している事がある。
なので林佐渡に速攻でツッコミをされる。
「何寝惚けた事言ってんのさ、出羽。龍興なんか来る訳ないよ」
「・・・え?」
「おい、出羽、てめぇ。軍議の時、マジで寝てやがったな」
「アハハ、いやー、そのー」
そう、この猿啄城包囲後に信長から作戦の全容が説明されていた。
それは小牧山城で信長が恒興から聞かされた内容でもある。
「言っただろうが、この陽動は二段仕掛けだってよ。そして今頃は犬山で恒興のえげつねぇ仕掛けが炸裂して、龍興はそちらに向かわざるを得なくなってるはずだ」
「ということはこの猿啄城は」
「もう用済み、とっとと落とした方がいいね」
「そういう事だな。出羽、全軍に号令を掛けろ!猿啄城を落とせと」
「はっ!」
信長は全軍に攻撃命令を出し、猿啄城攻略に本腰を入れた。
そしてこの猿啄城攻略戦に従軍した柴田勝家は、攻め口の一切無い城の裏手に回された。
いつも通りと言えばそうなのだが、今回は少し違う点がある。
それは恒興から授けられた策がある事だ。
恒興はこの日に備え、池田家の従者に『龍ヶ洞』の周囲を調べ上げさせた。
この情報を勝家に渡し、本丸一番乗りの功を立てさせるのが恒興の目論見であった。
だが攻撃命令も無しに抜け駆けするのは信長の心証を悪くするので、命令が出るまで待っていたのだ。
「信長様も焦れてきたな。今こそ池田殿の策を実行する時ではないか」
勝家の副将を務める佐久間久六郎盛次が促す。
彼は本来勝家とは同格といってもいいのだが、嫁の弟である勝家に何とか功績を立てさせたいと副将を申し出てくれた。
おかげで勝家の軍勢は5百人になっていた。
・・・柴田衆2百人と佐久間衆3百人である。
柴田勝家の兵数規模が少ないと驚くかも知れないが、この頃の彼はこの規模でもかなり無理をしている。
何しろ柴田家というのは豪族ではない、土豪と呼ばれる規模なのである。
本来、柴田勝家とは城に務めるモブ侍の一人程度で終わるところを、戦場で功を立て先代・信秀に気に入られ信勝の附家老にまで出世した正に叩き上げの人物である。
なので2百人というのは土豪として見ればかなり多い方で、小豪族という規模まで来ていると言える。
「スマンな、久六。付き合って貰って」
「気にするなよ、権六。せっかく得た機会だ、しっかりものにして信長様に認めて貰おう」
意気を入れ直した勝家を筆頭に柴田衆は鬱蒼と生い茂った森の中を進む。
森の中の木々には池田家の従者が付けた紐が結わえられており、道に迷う事はなかった。
そして一行は猿啄城の裏手にある崖まできた。
そこには人の身長の倍近い高さの洞窟がぽっかりと口を空けていた。
「これが『龍ヶ洞』か、結構大きいな」
「これなら楽に部隊で入れるな。行くぞ、久六」
洞窟内は流石に明かりが無いため、兵に松明を持たせ進んで行くのであった。
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猿啄城は堅牢であった。
北と西は険しい山で、南は切り立った崖で攻め口は東の城門にしかないという一般的な山城である。
このため城代・日根野弘就は城門に兵を集中、10倍以上の織田軍を寄せ付けなかった。
弘就はこれなら援軍到着まで耐えられると判断していた。
だが信長が本腰を入れた事で状況は一変する。
城門は相変わらず開いていないというのに、いきなり猿啄城の本丸に強襲を掛けられたのだ。
それは山の裏手から山頂に登った川尻与兵衛秀隆の隊が、山の中腹の崖下にある本丸目掛けて『逆落とし』を仕掛けてきたのである。
このため城門に兵を集中していた日根野軍は大した抵抗も出来ず本丸を占拠されてしまう。
からくも本丸から脱出した弘就は、その下の曲輪へと下がった。
「くそっ、逆落としとは!同じ美濃者にしてやられたわ!」
確かに川尻秀隆は美濃出身ではある。
その台詞には織田家(尾張者)に負けたのではない、同じ美濃者だから仕方がないのだという負け惜しみが含まれていた。
「殿、こうなれば城門から突撃し血路を開きましょう」
「いや、最早猿啄城は保たんがまだ捨て身になるのは早い。ここは脱出し我が『本田城』へ帰還するのだ」
西美濃本田城は墨俣の北方にある日根野弘就の居城である。
弘就は本来西美濃本田城の城主なのだが、龍興の命令により猿啄城代として派遣されていた。
城代なので城主が決まるまでの代役であり、弘就は自分の城(一所)でもない猿啄城で命を懸ける気はなかった。
「しかしこの城は織田家によって包囲されていますが」
これが山城の最大の欠点、出口が限定されるため脱出出来ないである。
このため山城は大抵守りきるか、城と運命を共にするかしかない。
更に出口が限定されるという事は部隊の展開力が著しく制限されるため、城外に打って出るのは不利でしかない。
つまり援軍無しに包囲を崩すのは難しいのだ。
「ふっ、この猿啄城から出る道は城門だけではないのだ」
弘就は多治見国清が逃げた道をずっと探していた。
そして古井戸から続く道を発見したのである。
ここで死ぬつもりのない弘就は、多治見家の嫡男と同じ様に脱出するため古井戸へと向かった。
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勝家達は日が差さない洞窟の中を松明の灯りを頼りに奥へ進む。
洞窟は一本道で枝分かれしていないのが幸いして、迷うことはなかった。
「しかし深いな、何処まで続いているのか」
「池田殿もよくこんな場所を知っていたものだ。・・・ん、梯子だ!着いたか!」
「待て、権六!誰か降りて来るぞ」
盛次は上から誰かが降りてくる気配を感じ、勝家を制止する。
「皆隠れろ!」
勝家も理解し全員に物陰に隠れる様に指示した。
そして二人の武者が梯子を降り立つ。
日根野弘就とその側近の家臣であった。
「ふう、後はこの洞窟を出るだけだ」
「さすが殿、いざという時に備えていたのですな」
「まあな、しかし洞窟内が明るいな。誰か灯りを付けてくれたのか?」
「え?この洞窟、殿しか知らないんじゃ?」
二人はお互いを見る。
どちらもこの洞窟の明るさには覚えがない様だ。
となると可能性は一つしかないだろう。
「・・・」
「・・・」
「「敵!!??」」
タイミングを計った様に二人の前に勝家と盛次が現れる。
「大正解だ!織田家臣・柴田権六郎勝家、推参!!」
「同じく、佐久間久六郎盛次だ!」
ようやく梯子を降り立った2人に柴田衆数百人が一斉に襲い掛かる。
どう見ても多勢に無勢である。
「「ノーーーー!!」」
そして日根野弘就とその側近の悲鳴が『龍ヶ洞』に響き渡った。
「その兜、
「くそぅ、無念だー!」
日根野弘就は鎧や兜を多く自作しており、日根野頭形兜は頭の形に沿った曲線的な形状が特徴の兜である。
後年、その曲線的な形状が鉄砲に対して実戦向きであるとして重宝される。
日根野頭形の兜は戦国後期に流行し徳川家康、真田信繁、井伊直政、立花宗茂など様々な人物が日根野頭形を原型としてそれぞれ独自の装飾を施して用いたと言われる。
だが今はまだ一風変わった珍しい兜に過ぎず、その珍しさから彼が日根野弘就であると断定した。
「やったな、権六!大手柄だ!」
「ありがとう、久六。これで信長様に認めて貰えればよいのだが」
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「信長様、猿啄城は陥落し城将の日根野弘就も捕らえました」
織田家の本陣に森可成が勝利の報告に来ていた。
本陣には甲冑姿の信長の他、林佐渡と佐久間出羽そして本陣詰めの近習達がいた。
「ご苦労、三左。一番乗りの功は誰だ?」
「はっ、川尻秀隆殿です」
「やるねぇ、川尻与兵衛も」
「流石は『元』黒母衣筆頭。年の功か」
川尻与兵衛秀隆。
美濃出身ではあるが元々織田大和守家に仕えており、その縁から織田信秀に仕える様になった。
元黒母衣衆筆頭であったが、現在は後進に道を譲り部将を務めている。
「元を強調してやるなって。よし、秀隆には褒美を奮発してやらなきゃだな。日根野も捕まえた訳だしな」
「いえ、信長様。日根野弘就を捕らえたのは川尻殿ではありません」
「ん?そうなのか?じゃ、誰だ?」
「はい、柴田勝家殿です」
「柴田・・・勝家だと?なんでアイツが?」
信長は何故だという表情になる。
何せ信長はいつもの様に彼を一切功績に絡めない場所に送ったはずである。
勝家には猿啄城の南側(崖)の包囲を担当させたのだ。
なので功績を稼ぐには持ち場を離れ、勝手に動くしかない。
信長はそう決め付けた。
「野郎、持ち場を勝手に離れやがったな!!」
「お待ちください、信長様。勝家は持ち場を離れてはいません。実は猿啄城の秘密脱出口が南側にある洞窟と繋がっていたのです。それを発見した勝家はそこで脱出を図った日根野弘就を捕らえたのです」
「何だと・・・?」
可成が報告したのは柴田勝家が担当していた南側に猿啄城の脱出口があり、そこを使って脱出しようとした日根野弘就を捕らえたというものだ。
なので彼は信長の命令には逆らっていない上に城主を捕らえるという大功を挙げた訳だ。
これでは信長も彼の功績を無視する訳にはいかないのだ。
(おいおい、なんつー強運だ。しかしこれはマズイな)
だが、可成はわざと報告していない事がある。
それは勝家が洞窟内部まで行っていた事だ。
さすがにこの情報を加えると信長が持ち場を離れたと挙げ足を取る可能性があるので可成は言わなかった。
「信長様、そろそろ勝家の事を許してやって下さい。あれは真面目な男です」
「三左、お前」
可成は利家の時と同じように勝家の事を心配していた。
戦場では鬼と化し『攻めの三左』の異名をとる可成だが、基本的に気が良く世話焼きな面があるため織田家内でも彼を他所者と嫌う者はいない。
信長も可成のそういうところも気に入っている。
「殿、ワシからも頼む。今回の功績を持って勝家のヤツを許して欲しい」
「アタシからも頼むよ、殿」
「出羽、佐渡もかよ!」
更に家老の二人からも嘆願されてしまう。
勝家は佐久間一族の幾人かと親戚関係があるため、佐久間出羽は一族の数人から取り成しを頼まれていた。
そして林佐渡は以前の自分の失敗から少し負い目があるので、勝家の事を何とかしてやりたかったのである。
だがこの重臣の三人が勝家を庇っている事で信長は居心地が悪くなったのか、ムスッとした表情で三人から視線を逸らした。
「・・・うるせーな、この件に関して意見は許してねぇよ」
「殿、・・・出羽、全員連れて出な。アタシは殿と話がある」
不貞腐れた様に返答する信長に対し、林佐渡の気配も一変する。
この気配は桶狭間の戦いの時に熱田で見せたものと同質であると佐久間出羽は見た。
「イカン。あの佐渡の目、海○類がブチ切れたときに見せる目と同じだ!」
「出羽殿、その○王類って何ですか?」
「知らん。とにかくここは危険だ、三左。近習達と一緒に出るぞ」
「は、はぁ」
可成は出羽の言っている生物と思しきものには聞き覚えはないが、林佐渡がかなり怒っているのはわかったので近習達を本陣から出すことにした。
本陣から佐久間出羽や森可成、近習達が居なくなり信長と林佐渡の二人きりになった。
その間二人の睨み合いは続いており、本陣の周りから人の気配が消えたところで林佐渡が話を切り出す。
「殿、いい加減にしなよ。いつまで勝家に八つ当たりしてんのさ」
「八つ当たりじゃねぇよ。勝家は信勝を止められる位置にいたんだ」
「くだらん事を。そもそも信勝様を殺したのは殿、アンタの無理解が原因じゃないか」
織田勘十郎信勝。
彼は父親の信秀からその才能を見込まれていた。
そのため彼には織田家臣から附家老が付いていたのだ。
それが柴田権六郎勝家と佐久間大学頭盛重である。
つまり信秀は信勝が織田家で重きを為すと見込んで家老を附けたのである。
だからといって信秀は信長の廃嫡に動いたことはない。
このことから信秀は信長が当主になった時、それを支える一門衆筆頭に信勝を据えるつもりだったと思われる。
それはかつて信秀を支え続けた弟・信康の様な役割を期待していたのだろう。
だが、その態勢が整う前に信秀が急死する。
卒中であったと伝わる。
こうして突然織田家当主になった信長、信勝はこの兄を全力で支えようとしたはずである。
少なくとも信秀はそういう風に教育したはずだ。
だがここで予想外の行動に出た人物がいる、織田信長その人である。
彼は信勝に掛けられていた期待、役目、立場を全て無視し、『末森城』という戦略上どーでもいい城に留め置いてしまったのだ。(信勝は父・信秀とこの末森城で暮らしていた)
織田家の中枢から遠ざけられ、父親からの期待を全て無き物にされてしまった彼はどんな心境であったか。
信勝は兄が自分を必要としていないと感じ、自分を追い詰めていった。
そしてそこをある男につけ込まれる事になる。
だが信長の方にも言い分はある。
それは信長の織田家家督相続時の危うさである。
何しろ織田大和守家に織田伊勢守家、織田信清(まだ潜在的)、そして今川義元と周りが敵まるけであった。
しかも信秀はここら辺に何の手も打たず突然亡くなったので、いきなり全部信長が対処する破目になった。
・・・信長でなくとも位牌に何かぶつけたくなる状況だ。
どう考えても周りから色々なちょっかいを出されるので、暫くは巻き込まれない場所に居て欲しかったのである。
信長としてはある程度片付けてから呼び戻すつもりだったのだろう、附家老もそのままだった。
だがここに信長の最大の悪癖が発生していたのだ。
「いきなり全部の梯子外して僻地の城に追いやれば、追い詰められるのは当然じゃないか」
「オレはそういうつもりじゃねぇよ。信勝は後で呼び戻すつもりで・・・」
「それをちゃんと伝えたの?言って無いだろ。アタシは数え切れない程言ってるよね。『自分の考えだけで動くな、相談しろ』って」
そう、信長は自分の考えを誰にも言わず行動に移す悪癖があるのだ。
その行動の意図が理解出来ないため、人々の目からは『奇行』と映った。
それが信長が『うつけ』と呼ばれた最大の原因である。
「だからもう勝家に当たるのは止めなよ。殿も悪いところはあるけど、一番悪いのは信勝様を焚き付けたあのバカ野郎だ。そういう意味では止められなかったアタシも同罪だよ」
「佐渡、怒ってるか?その、美作の事」
「何言ってんのさ。殿がアイツを処断しなかったら、アタシがこの手で首を斬ってるよ。惣領のアタシを無視して軍勢を動かしやがったんだから」
林佐渡は『稲生の戦い』の当時は信勝の側にいた。
だがそれは林美作という厄介な弟を止め、信長と信勝の軍事衝突を避ける交渉のためであった。
それ故林佐渡は稲生の戦いの時に、那古野城から一切軍勢を動かさなかった。
そもそも林佐渡は信長の附家老であり、もう一人の附家老である平手政秀は死去しているので単独で信長の最側近である。
なので林佐渡が信長を裏切る理由が見当たらないのだ。
信長が当主となり奪った清州城に移ると、林佐渡は那古野城主に任命される。
そして名実共に筆頭家老である。
更に尾張の内政を信長の承認の元(信長が面倒くさがりやらない)手広く取り仕切る。
これだけ織田家の高みを極めた林佐渡が信長を排除する理由は何だろうか、仲が悪い相性が良くない程度で実利主義の彼女がコレを捨てるのだろうか。
この状態で信長を排除すると一番損害を被るのが林佐渡本人なのだ、彼女の地位は信長あってこそなのだから。
更に信勝謀反の噂を聞いた信長が一度林佐渡の元を護衛無しで訪問し相談に来ている。
この時弟の林美作がチャンスとばかりに暗殺を図ったが林佐渡によって阻止されている。
つまり林佐渡が信勝側にいたのは信長も承知の事であり、最終的に二人の母親『土田御前』に事態の収拾を依頼したのも林佐渡であった。
ただ林佐渡が一番やりたかった実の弟・林美作守通具の阻止は失敗した。
林美作は非常に野心家であり利己的であったため、林佐渡から警戒され信長からは嫌われた。
なので彼は信勝に付け入り焚き付け、己れの欲望を叶えようとしたのだ。
それを知った林佐渡は信勝陣営に来て、軍事行動を抑制し交渉による解決を訴えた。
だが林美作はそんな彼女を無視して『名塚』に砦を築き始め挑発行動に出る。
そして名塚が佐久間大学によって占拠されると林佐渡の制止命令も無視して軍勢を動かし『稲生の戦い』が始まったのである。
ここまで林家の惣領である林佐渡が無視されると家中の統制に支障をきたすので、林美作が生きて戻れば彼女の手で処断されたであろう。
信長はそれが解っていたので、林美作をその場で処断し『討ち死に』とした。
「美作は自分の欲望のため軍勢を動かした。だからアイツは万死に値するさ。でも勝家は信勝様の命令だから軍勢を率いただけじゃないか」
「・・・」
「そりゃ、勝家も言われるがまま軍勢を率いたのは悪いけどさ。でもアイツは附家老になったとはいえ一土豪に過ぎない、権力基盤もなく信勝様の意に反する事は出来ないよ」
公の場で意見を言う又は通す時、必要なのは『賛同者』である。
賛同者無くしてその意見は意味を持たない。
この頃の柴田勝家は土豪の成り上がりに過ぎず、意見など出来る立場になかった。
更に言えば信勝はもう一人の附家老である佐久間大学の意見も聞いていないだろう。
彼なら信長と争う愚を説いたはずである。
佐久間一族の大人物である大学ですら意見を聞いて貰えないのに、成り上がりの勝家が何か言える訳がないのだ。
「わーったよ、わかったわかった、許しゃいいんだろ。ったく」
「やっと解ったみたいだね。はぁ、全く手間の懸かる殿だこと」
「・・・そーいう事はオレの居ない所で言えよ」
信長も勝家の事情は分かってはいた。
ただこれに関しては実の弟のこともあり素直には中々なれなかったのである。
ただこの功績がいい機会というのはその通りなので、直接会って褒めてやることにした。
その旨を林佐渡に伝える。
暫くして林佐渡は佐久間出羽と一緒に勝家を連れて戻ってきた。
「勝家、今回はよくやった!褒美は期待しているといい!」
「は、ははっ!」
「しかし崖の洞窟なんてよく見付けたもんだね」
「そうだな、あの辺は密林地帯であったはず。どうやって見つけたのだ?」
「あ、いや、その、あの・・・」
勝家がしどろもどろになり始める。
何しろ勝家は恒興の従者が付けた印を辿っただけだからだ。
どうやっても何も最初から計画されていた訳だ。
柴田権六郎勝家、どこまでも嘘が下手な男だった。
「・・・勝家、その様子だと自力で見付けた訳じゃなさそうだな。言え、誰の入れ知恵だ」
「・・・池田恒興殿です・・・」
(((またあの猫か!?)))
三人の脳裏にはあの一人称ニャーの男が思い浮かぶ。
(どんだけ見通してんの、アイツは。て言うか何でアイツは功績をホイホイと他人に渡すのさ)
(何かごく最近中身が入れ替わったと感じるのはワシだけか?)
(アイツ何考えてこんな事を、オレが勝家を嫌ってたのは知ってるだろうに・・・クソッ、解らねぇ!)
三者三様の事を考えながらこの猿啄城攻略も始まりから終わり方まで計画していた事に驚く。
特に信長は最近の恒興を頼もしいと感じながらも、同時に理解出来ない得体の知れなさから疑念も抱きつつあった。
以前の恒興はもっと解り易かったと。
「殿、とりあえず」
「おお、そうだな、勝家。褒美の沙汰は追って出す、下がって良し!」
「ははーっ!」
勝家には褒賞の約束をして下がらせる。
そして信長は変わってしまった恒興の事を考えるが直ぐに止める。
そんなものは近く恒興を呼び出して聞いてみるかくらいでいいからだ。
確かに恒興は変わった、だが彼の目的は一切ブレずに変わっていないのだから。
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猿啄城から2里ほど離れた小高い丘に陣を張っている一団がいた。
中濃豪族の岸、佐藤、肥田の三家である。
彼等は織田家の軍勢とは適度な距離を保って、こちらに向かっているであろう龍興の軍勢を待っていた。
岸勘解由信周は龍興の到着を今か今かと待ちわびていた。
「龍興様はまだ来られないのか。このままでは猿啄城が・・・」
「勘解由!」
「紀伊か、どうした?」
岸勘解由が焦れていた時、彼の元に佐藤紀伊守忠能が慌てた様子で駆け込んでくる。
どうやら伝令からの報告を受け取って急いで来たようだった。
「龍興様は来ない、そう伝令が来たのだ」
「何!?どういう事だ!?」
「詳細は判らんが、どうやら龍興様は鵜沼城へ向かったらしいのだ」
「何故だ?犬山城の軍団が動いていないのは確かに気になるが・・・」
「詳細が気になるか?良ければお教えしよう」
龍興が鵜沼に向かった理由が解らない二人の元に答えを持っているという男が現れる。
肥田玄蕃允忠直であった。
「玄蕃、その情報は何処からだ?」
「何、稲葉山城に親戚が勤めていてね。いち早く知らせてきたのさ」
岸勘解由は肥田玄蕃の情報を訝しむ。
何しろ彼と佐藤紀伊の元にはまだ何も情報が入ってきていないのだから。
だが肥田玄蕃は親戚に稲葉山城勤めがいる様で詳細な報告を手に入れていた。
「ふむ、それで詳細は?」
「まず鵜沼城主・大沢次郎左衛門正次が寝返った。城を攻められた訳ではないし、矢の一本も放っていないそうだ」
「バカな!?織田抗戦派で知られる彼が!?」
鵜沼城主・大沢次郎左衛門正次。
彼は『鵜沼の虎』の異名をとる猛者であり、織田家抗戦派としても知られている。
そういう人物でなければ犬山城の隣の最前線・鵜沼城の城主は務まらない。
だからこの大沢正次は裏切るわけがないと思われていた人物なのである。
「いや、勘解由。それなら犬山軍が動いていない理由が解る、最初から計画されていたのだ」
「その様だ。犬山軍は即座に鵜沼城に入った。それに気が付いた龍興様は軍を反転、鵜沼城に向かい・・・撃破された」
「バカな・・・兵力差は倍くらいあるだろう」
犬山軍団は池田兵3千5百に佐々衆が6百、ここに鵜沼兵8百が加わって約5千。
だが今回は犬山城も空には出来ないので鵜沼城に出張れる兵力は3千が限界であろう。
一方で龍興の軍団は7千である。
「戦の詳細までは判らないが龍興様は現在、稲葉山城に戻って兵の再編成中だ。・・・猿啄城は絶望的だ」
「そんな、では日根野備中殿はどうなる!?」
「・・・」
「・・・」
(何故、何故ですか、龍興様?貴方は義龍様が愛し護られたこの美濃を護る気はないというのですか?義龍様に尽くされた功臣の日根野殿も見殺しになさるか)
最早猿啄城の運命は決まった、勘解由の悲痛な問いかけに二人はそう表情だけで返した。
一方で勘解由は龍興が理解出来なくなっていた。
鵜沼城の戦略的に重要なのは彼にも分かっている、だがそれを取り返すのは日根野を救ってからでもいいはずだ。
龍興の行動は斎藤家の当主として、戦略としては正しいのかも知れない、では彼にとって配下とは何だろうか。
これでは我らはただの将棋の駒ではないか、盤上で動かされ不要になったら捨てる程度の価値しか見出していないのかと勘解由は思い悩む。
現に猿啄城は捨石にされている。
この辺が斎藤義龍と龍興の決定的な違いであった。
苦労してコツコツと後継者としての地位を確立し、強引過ぎる父・道三の反対派を取り込み、人の和という物を大事にした義龍だからこそ『長良川の戦い』で9割の豪族から支持されたのだ。
やはり龍興の不幸は父の早世によりコレを一切教えてもらえなかったことだろう。
「しかし7千の兵力を率いる龍興様が敗北とは、池田恒興とはそこまでの将であったか」
「紀伊、それは少し違うよ。実は犬山軍団を率いた総大将は『斎藤利治』様なんだ」
「何と!?」
「そこが大沢正次の寝返りの理由かも知れないね。それに鵜沼の住民が一人残らず犬山に避難したらしい。これも普通では有り得ない話だ」
今回の犬山軍団は池田恒興が総大将ではない。
恒興は信長の許可を得て斎藤利治を担ぎ出し総大将に据えていた。
信長も義弟である利治に大功を挙げさせたいと考えていたので、この恒興の提案はすんなり通った。
だから鵜沼の住民はすんなり避難できたのだろう。
鵜沼の住民にとって『池田恒興』は敵軍の将で信用できない、犬山に行けば何をされるか分からないと考える。
だが『斎藤利治』なら斎藤家の正当な当主として宣伝されているため、鵜沼の住民も護ってもらえると感じ犬山避難の説得に応じるだろうと玄蕃は予測した。
「つまり鵜沼は民衆ごと利治様に付いたんだろうね」
(成る程な、これが池田恒興か。鵜沼の城も城主家臣民衆まで得るために利治様を総大将に据えたか。普通、自分の軍を他人に委ねたりはせんぞ。完全に名より実を取っておるな。まあ、そうでなければ我が佐藤家の命運を託したりはせんが)
斎籐利治は元服したばかりであり、おそらくこれが初陣である。
その彼が自分の軍団を持っている訳がなく、総大将といっても軍団を動かすのは恒興であるはずだ。
だが利治を総大将に据えるということは、勝利の功績や名声は全て利治のものになるということだ。
そこから恒興は目先の功績に興味がなく、何処までか遥かに先々の事を見据えているという事が佐藤紀伊にも理解出来た。
「こうなれば織田軍に一撃して包囲に孔を開ける。その隙に日根野殿が逃げられれば・・・」
「どうしてもなら付き合うが、かなりの運任せになるぞ」
「元より承知。玄蕃は?」
「仕方ないな、付き合うとしよう」
「済まない、恩に・・・」
勘解由は今いる3千の兵力で織田軍を一撃し、日根野が逃げられる孔を作ること提案する。
だがこの作戦は猿啄城との連携が一切取れていないのでかなりの賭けではある。
ただ猿啄城は山城なので遠くまで見渡すことが可能、なので勘付いてくれる事を期待している。
紀伊と玄蕃も了承し部隊を整えに行こうとしたとき、紀伊の嫡男・忠康が三人の元に駆け込んでくる。
「親父、大変だ!」
「忠康、どうした?」
「猿啄城が落城したと知らせが!」
「バカな!?まだ城門すら落ちていないはずではなかったのか!?」
そう、猿啄城の城門は最後まで落ちていなかった。
実は織田家の鉄砲隊が犬山で訓練していたため、この猿啄城攻略に遅刻していて火力が足りなかったのだ。
持って行ってたのは恒興なのである意味仕方のない部分ではあるが。
「忠康殿、詳細な報告は来ているか?」
「城門は確かに落ちていない、だが山頂の崖から本丸に直接強襲を懸けられ落城したとの事。日根野殿は捕まり織田の陣に引き立てられたそうだ」
そのため、城門は健在なのに本丸が落ちるとかいう中々珍しい状況になっていた。
そして城門は健在なのに城主が取っ捕まるというかなり珍しい状況にもなっている。
「・・・遅かったか」
「どうする、勘解由。これでは・・・」
「・・・戻ろう、各々の領地を守らねば」
「悔しいですが、それがいいでしょうね」
戦う意味を失った三者は矢の一本も放つことなく、己の城へと引き上げた。
この時の岸勘解由の心の中には長近から言われた『斎藤龍興は義龍公の後継者に相応しいのか?』という言葉が渦巻き続けていた。
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【あとがき】
この物語はファンタジーですニャー。
この物語はファンタジーですニャー。
この物語はファンタジーですニャー。
信勝の事もただのべくのすけ理論ですニャー。
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