面倒くさいヤツラ

 季節は夏に移り、北畠家との和議も無事に成立した。条件は信長の次男・茶筅丸を北畠具房の養子とする事。信長の弟・織田信包の長野家相続を認める事。北畠家は木造家と田丸家に対する惣領権を放棄する事。足利義昭を次期将軍と認め、その上洛に協力する事の4点となる。これにより織田家の伊勢攻略は終了となる。


 それを祝い、犬山の池田邸に前田利家と佐々成政が来て馴染みの三人で酒宴となった。今回の戦について語ろうという、所謂世間話的な軍談である。

 こういう仲間内の集まりはよく開催される。基本的には持ち回りでやるのが一般的だが、三人の中で恒興が城主で出世頭なので利家と成政がよくたかりに来る事が多い。


「「「かんぱーい!」」」


「丸1年掛かったか、ようやく終わったニャー」


「和議も成立、伊勢攻略も無事に終わって良かったぜ」


「一番戦功の権六は安濃津5万石の城主だってさ。羨ましい」


 今回の伊勢攻略戦で獲得した織田家の領地は安濃城(細野家旧本拠)から安濃津城の辺りで5万石ほどである。他の領地は長野家、北畠家、木造家、田丸家の物で、織田家の物ではない。あくまで彼等は傘下である。


「俺、思うんだけどさ。それ、おかしくね」


「何がだニャ?」


「だってよ、今回織田家が手に入れた領地は細野家の領地のみだぜ。それを全部権六のオッサンに渡してたら、信長様の領地は減る一方だ。そうだろ」


「確かにそうなんだけど」


 今回の戦いで得た領地は安濃津5万石なので、それを全て柴田勝家の領地にすれば当然プラスマイナスは0になる。一応勝家の元領地1万石は返上する予定ではあるが、他の豪族や家臣にも加増はあるのでトータルはマイナスとなる。成政も確かにおかしな話だと賛同する。

 ただ恒興は内情を把握しているので二人に説明する事にした。というより企画からして恒興なので知っていて当然だが。


「何言ってんのニャ、お前ら。あの安濃津がその程度だと思ってんのか?」


「え?」


「思い出してみろ、安濃津城周辺はどうだったニャ?長閑のどかな田園風景だったか?」


「そ、そう言えば何も無かったような」


「だったね、何も無いから数万規模の陣地を楽に構築出来たんだった。でも何故なんだ?」


 利家も成政も思い出してみる。安濃津城周辺は平坦な野原が広がっているだけで、田畑はおろか民家や村もなかった。安濃津の湊と町、そして城くらいしかなかったのだ。

 つまりだだっ広い草原の中に城と町があるのみで、織田軍は好きな場所に陣地を構築出来た。普通は村や田畑を避けて陣地を構築せねばならない。戦となれば住民は避難しているだろうが、荒らすと余計なヘイトを買うし、田畑などは泥濘ぬかるみか柔らかい土なので道にすらならない。

 いざ戦となった時に泥濘から進軍するとか不利な事この上ない。

 故に陣地を構築する時は田畑の無い場所を探さねばならない。このため大抵が小高い山の上が有力候補となる。ついでに戦場を見渡せるという利点もあるからだ。

 だが二人とも陣地構築場所を探した記憶は無かった。そこまで思い出して二人とも強烈な疑問が出てくる。即ち何であんな平原があるんだという事だ。どう考えても田畑や村が無ければおかしいのだ。


「答えは『水没』するからだニャ。あそこにはな、毎年水害を起こす悪魔みたいな川が3本もあるんだニャ」


 恒興が頭を捻る二人に答えを教える。実のところ、あの辺の土地は平坦であるが故に重度の水害地域なのである。


「志登茂川、安濃川、岩田川だニャ。特に安濃津城周辺なんて岩田川と安濃川に挟まれた大きめの三角州状態だからニャ。安濃津の城と町以外は大体水没する」


 この時代の川は大体暴れている。特に安濃津(現在の三重県津市)の川は現代においてもまだ氾濫するくらいの暴れ川である。これを堤防造成技術を持たない大名家がどうにか出来る訳がない。

 結局のところは水が来ない場所に村や田畑を作るしかない。細野家の領民が北部に偏っているのは、南部が重水害地帯だからだ。


「成る程ね、納得だよ。という事は休伯殿の出番か」


「最近休伯の仕事が増えすぎて帰ってこニャいんですよねー」


「その原因作ってるの主に勝三じゃねーか」


「うるせーニャ。あの川がどうにかなったら、安濃津の石高は十数万石は上がるぞ。それは全部、信長様の物ニャんだよ」


 堤防が出来て水害が治まれば安濃津は20万石に届くかも知れないというポテンシャルがある。伊勢国でも最高の穀倉地帯というべき場所であり、更に安濃津という重要湊がある。更に更に伊勢国の中心部という立地を考えれば通商拠点としての価値も計り知れない。

 だから柴田勝家に5万石与えるなど、そんなに大した話ではなく、市姫も居るのだから死んでも死守しろと信長は言うだろう。因みに安濃津の町自体は信長の直轄地扱いである。

 信長にとっての重要財源となるであろう拠点を守る城主に妹を嫁がせたという体裁を取っている。


「権六のオッサンがお市様と結婚かー。似合わねー事この上ねーな」


「それは言ってやるなって」


 この時、三人は『美女と野獣』的な想像をしていた。勝家は市姫を大切に扱うと思われるのでその解釈は正しいと言える。市姫はツンデレではないが。


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 北畠家との和議が成立したという事で、恒興は家臣の一人と別れる事となった。滝川一盛である。彼は北畠家の内情に詳しい織田家臣という事で信長の次男・茶筅丸の附家老となったのである。

 主命であるので恒興は拒否出来ないし、本人にとっても大出世なので快く送り出すことにした。


「殿、今までお世話になりました」


「ああ、達者でニャ」


「済まなかったな、池田殿。ウチから出した家臣を返してもらう事になって」


「気にしないでください、滝川殿。痛手ではありますが、こうなるだろうと予測してましたニャ」


(と言うか、北畠内に立場があって織田家臣としても立場がある一盛以上の適任者なんて見つからニャいし)


 滝川一盛自体、出身が木造家であるので織田北畠両方に立場がある。そして木造具政と田丸直昌とも懇意である。その実績から南伊勢の調整役を務める事になる。こればかりは本人の能力だけでなく血縁地縁が最重要視された結果なので、誰も対抗馬になれない。

 恒興は泣く泣く優秀な備大将を手放す事になった。


 滝川一盛という優秀な家臣を失い、少し凹んだ恒興であったが、拾う神は居る様である。

 前田家から前当主・前田蔵人利久が恒興の元にやってきたのである。利久の嫡子である慶が池田家にいるので、その後見役として移籍した体裁となる。それは恒興も予想通りだったのだが、何故かとんでもないオマケまで付いていた。


「あのーだニャー、利久。その人は?」


永福ながとみ、挨拶を」


「はっ、元荒子城代・奥村助十郎永福に御座います」


 奥村助十郎永福。

 奥村家は代々前田家の重臣であり、永福は荒子城を預かる城代家老である。その彼が利家の前田家相続反対派50人余りを引き連れて池田家にやって来たのだ。


(おいおい、前田家前当主だけでなく、前田家家老まで来ちまったよ。コレ、今頃又左のヤツ、uryyyyyとか言って猛り狂ってんじゃニャいかな)


 家の重要部にいた家老に侍が50人ほど。前田家にとってはどう考えても強烈な痛手のはずだ。


「一応名義上ですが、私はただの隠居で永福はお慶の家老となります。ですが普通の家臣と同様に扱ってください」


「いや、待つニャ。流石にこれを受け入れると利家が怒るんじゃニャいか」


「……殿、この者達を前田家に残しても反対派だったという事で攻撃されかねません。それは内紛の種にしかならない。私は利家が憎くてこんな事をしている訳ではないのです。前田家前当主として、前田家を守る為なのですよ。殿も利家を焚き付けたのですから責任の一端は持っていただきたく」


「うう、それを言われると弱いニャー……」


 流石にこれは利家に話を通さないとヤバイと恒興は思う。下手な対応をすると池田家と前田家の仲が拗れる可能性がある。

 利家に前田家の家督を継ぐ様に言ったのは、確かに恒興なので反論のしようもなかった。


「あともう一人、入りなさい」


「はっ、失礼致す」


「あれ?お前、才蔵か?何しに来たんだニャ」


「はっ、実はこの度、前田家を辞めてきたので池田様に雇っていただけないかと」


 恒興の前に現れたのは前田家の陣借者をしていた可児才蔵吉長であった。どうやら彼も前田家臣の池田家移籍に便乗して付いて来たようだ。一応、大河内城の戦いの時に恒興と直接の縁が出来ているので、それも見越した上でやって来た様だ。


「そんなポンポンと辞めるニャよ、お前」


「いやぁ、前田家って結構堅苦しいんですよ」


 前田家は昔から尾張の土豪であり、譜代の家臣がかなりいる。このため新参者が中々馴染めない状況となっており、才蔵も馴染めなかった様だ。

 恒興の前世の記憶でも才蔵とは会った事があるので知っている。この男はかなり仕える人間を選ぶと。本人が主君を選り好みしているという話ではない、合わない人間とはとことん合わないのだ。結局柴田家や明智家にも仕えるが合わず流浪を重ねる事になり、一番長く仕えたのが『森長可』となる。つまり恒興の婿であり、この時に恒興は才蔵を知った。(恒興は才蔵が福島正則に仕えた事は知らない)


「それは悪かったな」


「あ、いや、奥村殿じゃなくて……」


「何だ、村井のヤツか。悪いヤツじゃないんだが、確かに他所者には厳しめか」


「まあ、そんな感じです」


 自分の事かとジト目で才蔵を睨んだ奥村は、もう一人の家老格の村井長頼の事かと納得した。

 村井又兵衛長頼は前田家譜代の家臣で利家が前田家当主になる前から利家に付き従っている。このため利家は村井をどの家臣よりも信頼しており、彼の通称の『又兵衛』は利家の『又左衛門』の『又』を信頼の証として名乗らせたものだという。それ故に利家に近づく他所者には厳しめの対応をしている。


「そうか、分かったニャ。とりあえず後腐れしない様に利家に話してくる」


 これは利家と話をしないとマズイ事になると恒興は思う。

 利久達には少し待つ様にと言い、恒興は利家のところに使者を派遣した。


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 後日、前田家を訪ねた恒興は利家と面会する。とりあえず親友同士なので一対一で話す事になったのだが、人目を憚る必要がなくなった利家はいきなり恒興に頼み込む。


「勝三、頼む!奥村は返してくれ~」


「いや、ニャーにそんな事言われても。奥村はお慶の家臣であってニャーの家臣じゃないんだけど」


「くそう、アイツ、どこまで俺を祟る気だ!」


「流石に知らんニャ。ニャーだってお慶に5千石の給料払う破目になりそうだニャ、家臣が養えないから」


 前田利久は慶の後見役、奥村永福及び50名ほどの家臣は全て慶の家臣となる。つまりこの時点で慶は犬山前田家を立ち上げたことになり、部下を養わなければならない。現実的に不可能であるためこの者達には恒興から仕事を与え、恒興は慶に給料を渡さねばならないという事だ。


「お慶と直接話つけろニャ。ってそうだ、お前んとこの陣借者の可児才蔵まで来たぞ」


「ん?あー、アイツはいいや。勝三の好きにしてくれ」


「いいのかニャ?」


 才蔵の名を口にすると利家はどうでもいいと言わんばかりに返事をした。どうやら利家も才蔵とはウマが合わない様だなと恒興は見た。


「いいのいいの。才蔵のヤツ、一々口答えしてくるからよ。腕は立つが使いづれえ事この上ないぜ」


「お前自身が武辺者の癖に、何で武辺者の扱いが分からんのかニャ。お慶といい才蔵といい」


「だったら勝三はアイツ等を何で使うんだよ?」


 言われてムッとしたのか、利家は彼等の使い道を尋ねる。


「まず才蔵は『親衛隊長』に任命するニャ」


「じょ、冗談だろ!?」


「実力はあるし、ああいうヤツは直接話出来る場所に置いとくのが一番なんだニャ。まどろっこしいのを嫌うから、自分の意見を上役に、その上役に、そのその上役になんて面倒を特に嫌うんだよ。お前だってそうだろうが」


「いや、お前の親衛隊長って渡辺教忠じゃなかったっけ」


「それな、教忠はお慶にノされて以来、隊内での信望を失いつつあってニャ」


 池田家親衛隊は元々信長の親衛隊に近い性格を持っている。恒興自身が信長の親衛隊長みたいな性格を持っていたからだ。故に有事の際はその身をもって信長の盾となるため、武芸を尊ぶ者達の集団となっている。そのため慶に為す術無く惨敗してしまった渡辺教忠は隊内からの信頼が著しく低下していた。

 それ故恒興は槍術の達人である可児才蔵を後釜に据えて、教忠には別の任務を与えるつもりであった。才蔵ならば親衛隊員からの批判は実力で黙らせるであろう。


「慶次のヤツ、順調に勝三の事も祟ってるな」


「という訳で教忠には『新しい傭兵部隊』の編成をやらせる事にするニャ。お慶は部下もいるんだし、一盛の代わりに備大将をやらせる」


「いや、だから奥村は……」


「一応は言ってはみるがニャ。基本的にはお前が説得しろよ」


 奥村は返して欲しいと頼む利家を恒興は自分で言えと突き放す。と言うより恒興にはこれ以上やり様がない。彼は恒興が自由に出来る家臣ではないのだから。


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「はあああぁぁぁ!!」


 裂帛の気合と共に鋭い突きが繰り出される。

 恒興の目の前で前田慶次と可児才蔵の試合が繰り広げられていた。才蔵が親衛隊長になったので実力を見てやろうと慶が突っかかったのである。才蔵も特に嫌がることもなく、慶と槍合わせしていた。恒興はとりあえず「何でウチの庭でやるんだニャ、道場行けや」と思っている。

 慶の得物は自身の直槍に見立てた2mほどの棒。才蔵は1.5mほどの棒だが先端が十文字になっている、彼の十文字鎌槍を模した物となっている。

 二人の試合は恒興の目から見ても才蔵が優勢だった。慶が烈火の如く攻め立てているが、才蔵はそれを難なくいなしている。鎌槍の穂先の部分で相手の槍の軌道を上手く逸らしてしまうのだ。


「やるな!だが、まだ甘い!」


「ふん、そんな物、当たらないわ!……って、痛ぁ!?」


 反撃に転じた才蔵の突きを躱した慶だったが、才蔵が槍を戻した事で首の後ろに痛撃を食らってしまう。これが十文字鎌槍の特徴で槍を戻した時、鎌の様に相手の首を後ろから刈れるのである。故に鎌槍というのだ。

 一撃を食らった慶は首の後ろ押さえて痛みを堪える。


「はい、そこまで。才蔵の勝ちだニャ」


「つ~っ」


「だから甘いと言ったろ。腕磨いて出直してきな」


 首を押さえて蹲る慶に才蔵は修行不足だと宣告する。恒興もその様に感じる、慶は既に息が上がってきているが才蔵は全く息が乱れていない。それも差になって慶は鎌槍の戻しに対応出来なかったのだろう。やはり達人の強さは次元が違うなと感じた。


「も、もう一回よ!」


「残念だが時間切れだ。親衛隊の稽古をつけなきゃならないんでね。それでは殿、俺はこれで」


「おう、ご苦労さんだニャ」


 余裕の完勝で去っていく才蔵に悔しそうな慶が印象的ではあった。慶は既に次の対戦のためにああでもないこうでもないと独り言を言いながら槍を振り始めた。

 その稽古も一段落した頃に恒興は用意していたお茶を慶に渡す。一息付けさせてから話に入ろうという恒興の配慮である。


「ん、ありがと」


「それで話があるんだがニャ。奥村達の事だ」


 恒興は利家の話を慶に聞かせる。主に奥村達の処遇の話である。


「……という話になってニャ」


「ふーん、それで?」


「それでだ、お慶。奥村は利家に返してやってくれニャいか?」


「イ・ヤ・よ」


 短い言葉をわざわざ強調して慶は拒絶する。本当に憎たらしいヤツだなと恒興はちょっとムカついた。


「……テメエ、ニャーが優しく言ってやってるのに付け上がりやがって」


「ふんっ、そんな事言ったら奥村のヤツは出奔するわ。私はアイツ以上の頑固者なんて見たことないんだから」


「そんなに頑固ニャのか」


「篭城しろと命じれば、間違いなく餓死するまで城を守るわね。私が言ったところで戻らないわ、言うだけ損よ、そんなの」


「め、面倒くせえニャー」


 恒興は前田家が実は面倒くさい連中の巣窟だった事に少し嘆息した。

 そしてこの時、慶に5千石の給料を払う事が確定した。


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【あとがき】

一般的な占領方法。

勝家「今日からワシがお前たちの上司だ」

旧細野家臣「よろしくおねがいしまーす」

こうしないと勝家さんは部下が足りないのです。

旧細野家臣を取り込む事で統治の円滑化を図るのですニャー。



べくのすけの戯言


この小説はあまりIFに入れず、どこが史実と違うの?という指摘を受けた事があります。

これは指摘の通りで反論できませんニャ。


恒興があまりIFに入れない理由は……本物の『織田信長』さんが浅井家との同盟以外は正解を選んでいるからです。

べくのすけは経済から見た戦国を描いております。

その上で、

・濃尾勢、南近江という肥沃な農業地域を押さえる。(食べ物は基本です)

・津島、堺、敦賀という重要商業地域を押さえる。(金の成る木です)

・その道として近江国を完全に手中にする。(一番大事な通商路です。だから浅井家は家臣化しない限り邪魔なのです。べくのすけは浅井家の裏切りは織田家の家臣化せよという圧力に対する反抗で、朝倉家は関係ないと思ってますニャ。ただのタイミングの問題だと思います)

この3つが崩せないどころか崩す意義が見当たらないのです。

これを無視して三河、信濃、飛騨、伊賀に行く理由が出てこないのですニャ。


だから恒興は北畠戦で多気に行かず、そこそこで帰るという決断になるのです。


よく信長さんは信玄さんを怖がっていたという話を聞きますが、べくのすけの見解は違います。

怖がっていたのではなく、相手にしたくなかったのです。

信玄さんという名将を相手にしてまで甲斐、信濃に欲しい物が無いのです、この時点では。


べくのすけは金に大した価値は無いとしていますが、そう考えたのは実は信長さんの行動のみだったりします。

信長さんはある時を境にいきなり東に目を向けるのです。

それは信玄さんがお亡くなりになって、畿内という信長さんの財政基盤が落ち着き始めた頃です。

それまで西へ北へと進んでいたはずなのに。


信長さんは目的がハッキリした方です。朝倉家を滅ぼした時などはとても顕著で、越前の大半を放置しました。……実は『敦賀』以外要らなかったんですニャ。

でもそれが朝倉旧臣VS国人衆という対立を産み、加賀の一向一揆が流入する事態になります。

この一向一揆により『小京都』と呼ばれた一乗谷は再起不能なまでに灰燼となります。

ここまできて信長さんは「オレの敦賀がヤベー!」ってなって、越前の一揆を殲滅します。

その後、柴田勝家が統治を任され北ノ庄に拠点を築きます。

平地に城を構えるのが主流になってきたという事もありますが、一乗谷が壊滅していたのが大きいと思いますニャ。


よく信玄さんは怖いけど勝頼さんは怖くないので攻略に取り掛かったと言われます。

べくのすけはこのあたりで信長さんが「金スゲー、全部オレのもんにしてやるぜ」って考え始めたんだと思います。

この場合、信玄さんが居ようが居まいが関係ありません。

名将を相手にしてでも欲しい物があるのですから。

金とはかくも人を惑わしますニャー。


本能寺の変の一説として『信長さんは家康さんを殺そうとしていた』というのもがあります。

べくのすけは有り得ると思っています。

何しろ呼ばれたのが『徳川家康』さんと『穴山梅雪』さんですからね。

家康さんは甲斐国に中途半端に手を出しています。

穴山さんは領内に金山を持っています。

……金を独り占めしたい信長さんはこの二人が許せないでしょう。


本能寺の変の後、家康さんは脱出し兵を整え、明智討伐に行く……訳がなく甲斐国に行きました。

更に領内に金山を持っている穴山さんを伊賀越の途中でぶっ殺しました。

穴山さん殺害を家康さんは箝口令を敷いて隠しましたが、ある粗忽者が日記に書いてしまいました。

「穴山は切腹なり。二百人で囲んで腹を切らせた」と。(家康さん一行は約二百人で、名簿まで存在します)

穴山さんは野盗とか山賊に殺されたと言われておりますが、切腹は武士の作法で野盗・山賊がそんな事気にする訳がないのです。

金は人を惑わす、彼もまた金に魅せられた一人なのですニャー。


秀吉さんが家康さんに関東を与えたのも甲斐国から出て行って欲しいからかもと思います。


『金』だけでこれだけの事を妄想しております。

因みにべくのすけは学者ではありませんので、根拠を示せと言われても無理ですニャー。

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