始動・宗珊塾!

 和泉国堺。

 ある商家の主は息子を旅立たせるため、その子を自分の部屋に呼んだ。


「弥九郎、ええな、しっかりやるんやで」


「はい、父上」


 父親の前に座り、しっかりとした返事をする子供の名前は弥九郎。今年で5才になる少年だ。

 そんな年端もいかない少年を旅立たせようとしている父親の名前は小西隆佐、堺の豪商で堺会合衆のメンバーでもある。


「私らの目的、忘れたらアカンで」


「もちろんや、父上。池田様をキリシタンにするんやろ!」


 弥九郎はここから池田恒興の元へ奉公に出されるのである。その目的は恒興をキリシタンへと改宗させるため……。


「……いや、ちゃうで、それ。ついでの方やないか」


「あれ?違うたっけ?」


 ……ではなかった。父親の小西隆佐にそれはついでだとツッコミされて、弥九郎は首を傾げる。

 その様子に隆佐は少し不安になる。


(ほんま大丈夫かいな、コイツ。まあ、ええか、連絡取り合えば済む話や。それにしても上手い事ねじ込める機会が来るとは、正に神のお導きやな。神父様、もう少しの辛抱でっせ)


 隆佐は何とかしてこれから上洛しようとしている織田家と繋がりを持つ事を画策していた。そして思案している最中に、天王寺屋助五郎を経由して恒興からの依頼が届いたのだ。

 しかもその依頼は彼の店でさる事情により在庫を余らせていた品物で、取り寄せるまでもなかった。これを隆佐は神の導きだと感じ、依頼を受けると共に次男の弥九郎を奉公に出す事にした。

 その縁から織田家に影響力を持ち、彼の願いを叶えようと画策していたのだ。その願いに彼が匿っている『キリスト教の神父』が関連していたのである。


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「婿殿、持ってきたで」


「おお、早いですニャー」


 天王寺屋助五郎に恒興が機織り機購入の依頼を出してから2週間後、池田邸に大量の荷物と共に助五郎が現れた。大きな荷物を馬車に載せ、幾重にも長い列を作る程で池田邸前は大混雑していた。

 助五郎を出迎えた恒興も唖然とする程の馬車の数であった。だがそれも仕方無い、何しろ物が大きいので馬車1台につき一つしか載らなかったからだ。そのうちの2台の荷物が降ろされ、お披露目となる。

 恒興の目の前には繭を原料として生糸を作る『繰糸機そうしき』とその生糸で絹を織る『機織り機』があった。それぞれ30台づつあるらしい。


「小西はんが丁度、在庫抱えとってな。全部譲ってくれたわ」


「あの小西殿が在庫を、ですかニャ」


「せや。実は小西はんはコレを博多に卸そとしてたんやけどな。……博多は焼き払われてしもうたんや。で、仕方無く倉庫に眠っとったらしいで」


「何処も戦乱、ですニャー」


 1559年、博多は筑紫惟門により焼き討ちされた。原因は筑紫惟門の上納金要求に博多が応えなかった腹いせと思われる。

 徹底的な殺戮と放火があった様で、日の本最大の人口を誇ったとまで言われた大都市は灰塵に帰した。当時の博多を見た宣教師が「あの博多が20戸しかない」と書き記している。博多に居た商人も這々ほうほうていで肥前国唐津へ逃げており、博多の復興はまだ遠かった。

 小西隆佐はここに繰糸機と機織り機を卸そうとしていたのだ。博多で作られる『博多織』の職人達の依頼で。

 だが機材を仕入れてきた隆佐が見た博多は焼野原になっていた。職人達も何処かへ逃げており、もし見付けたとしても彼等に買う資金は既に無いだろう。隆佐は泣く泣く売れない商品の在庫を抱える事になった。

 それを今、恒興が求めてきたので全在庫を放出してきたのだ。


「てな訳でや、3年前の品物やけど最新型やで。見てみぃ、コレ」


「ニャんですか、この踏み板は?」


「コレを踏むとな。ほれ」


「おおおー!?上の仕掛けが回ったニャー!?どうなってんだニャー!?」


 助五郎が繰糸機の下に付いている踏み板を踏むと、上に付いている糸を巻き取るであろう仕掛けが回った。つまりこの仕掛けに糸を巻き取らせて、空いた両手で糸を紡ぐ装置なのである。

 現在の日の本の生糸製造は『座繰り繰糸』が主流だ。これは床に座って繭から糸を繰り、木製の板や糸巻きに手で巻いていくもの。熟練者なら速いのかもしれないが、これからやる素人の女性達には中々の重労働だろう。何しろ床に座ってずっと作業する事になるので、結構疲れる。

 それを解消するためか、この繰糸機は机型であり、糸巻きを片足のみで出来る様に設計されているのだ。


「凄いやろ、これが南蛮の技術『くらんく』や」


「『くらんく』……凄いニャー」


『クランク』(crank)とは、回転する軸と、それとは芯のずれた軸を結ぶ柄からなる機構である。これは往復運動を回転運動に変換する、あるいはその逆の変換動作に使われる。

 古くは『漢王朝』で使われた形跡があるらしいが、広く使われるようになったのは13世紀、アラビアの数学者アル・ジャザリの揚水機からである。

 因みにこの技術は現代の自動車にも使われている、エンジン機構である『クランクシャフト』だ。これがエンジンピストンの往復運動をタイヤの回転運動に変えているのである

 日の本は大体、12世紀あたりから外国との国交が断絶、その後も細々としか貿易していなかった。そのため『クランク』の技術は日の本には知られていなかったのだ。

 この『クランク』が糸巻き機を回しているのである。


「で、気になるお値段やけど……」


「ゴクリ」


「一台10貫文や」


「あれ?普通ですニャー」


『クランク』という海外の最新技術まで盛り込まれた繰糸機と機織り機。一体どんな値段がするのか恒興は戦々恐々としたが、助五郎の提示額は至って普通であった。

 恒興は拍子抜けすると共に助かったとも思った。


「小西はんが余っとるもんやし、今回は卸値でええて」


「そうニャんですか?小西殿はやり手と聞いていたので意外ですニャー」


「初回の取引にはこういう事もあるで。末長く付き合いたい時とかな。……ま、キッチリ注文付けてきたけどな」


「え?」


 取引の最初にサービスしておくと言うのは商人の作法としては有りな話である。特に長く付き合いたい相手に行う事がある。最初に仲良くなって商売を拡大し、儲けは後で出そうというものだ。

 特に人脈を重視する関西系の商家にはよくある事だ。


「ほれ、こっちい。まずは挨拶や」


「はい!助五郎様!」


 とてとてと歩いてきた幼児は恒興の目の前に来てお辞儀する。その様子から恒興は商家の子供だと推測した。武家の子供なら跪いて挨拶しただろう。


「これから池田様のお世話になります。小西弥九郎、5才です!」


「『これから』?」


 可愛い笑顔を見せる幼児は小西弥九郎と名乗った。年齢は5才である。


「この子は小西はんの次男坊や。店は長男に継がせるよって、武士にしたい言うてな。小姓として傍に置いてくれって言われてもうたんや」


「はあ、ニャる程……?」


 恒興はイマイチ事態が飲み込めなかった。

 確かに恒興には商家出身の家臣がいる。重臣である加藤政盛だ、彼の父親が熱田の豪商・加藤図書助順盛となる。一応、加藤家は武士から商人に転向した家ではあるが。

 なので池田家では既に商家出身者が出世しているので、武士にしたいという話はおかしいという事はない。

 要は何故、堺会合衆の大物である小西隆佐が自分の息子を送ってきたかである。商家を長男に継がすと言っても、他の息子を追い出すほど小さな商家ではないはずだ。

 なのに5才でしかない次男を送ってくると言うのは、あからさまに他の目的があるのだろう。それが分からないのだ。

 ただ、今回は機材購入の話もあるし、小西隆佐という堺の実力者を織田家側に付かせるという点からも断る話ではない。恒興の目的とも合致しているのだ。

 恒興はそう判断し弥九郎を受け入れる事にした。


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 恒興は天王寺屋助五郎が帰った後、事の顛末を家老の土居宗珊に相談した。


「フム、小西殿は中々のやり手のようで」


「宗珊もそう思うかニャ」


「ええ、普通の商人なら足下を見る場面ですな。それが自分の息子を送ってくるとは、何処に狙いがあるのか」


 宗珊の結論は『小西隆佐はやり手』であった。目先の利益に囚われず、先々の何かを為すために息子を送ってきたのだろうと。何を狙っているのかは分からないが、そのために断れないタイミングと理由まで揃えてきたのだ。相当な戦略眼を持っていると宗珊は見た。


「まあ、今回は断る話ではニャいし。それは後で対処するしかないニャ」


「それで殿、我等を呼んだ理由もその辺で?」


「うん、以前から考えていた事があってニャ。敏宗と教明も関係するから呼んだんだ」


「はっ、何でごさるか?」


 恒興の部屋に呼ばれたのは宗珊だけではない。飯尾敏宗と加藤教明も呼ばれていた。

 既に恒興には弥九郎の身の振り方を決めてある。それに付随してこの三人を呼んだ。弥九郎の受け入れ自体は決定事項なのだから、彼を如何に武士に育てるかが問題なのだ。


「弥九郎をニャ、宗珊に預けて勉強させようと思ってニャー」


「某が預かるので?」


「通いだニャ。宗珊の屋敷は近いんだし大丈夫だろ。一応、ニャーの小姓だから面倒はウチで見る。それと同時に敏宗の嫡子のええと……」


「茂助です、殿」


 飯尾茂助。

 飯尾敏宗の甥で嫡養子となった5才である。彼には元服したら恒興の養女を正室として嫁がせる事を約束している。


「そう、その茂助と孫六も一緒に学ばせようと思ったんだニャー」


「成る程、将来の幹部候補生を育てよと仰せですな」


 恒興の考えは土居宗珊に小西弥九郎、飯尾茂助、加藤孫六の三人を預けて武士としての勉強をさせようという話だった。宗珊の元で育て、元服したら恒興の家臣にしていくという段取りだ。

 池田家家老の元で勉強するという事は、将来を嘱望されているという事に等しい。


「孫六もよろしいのでごさるか!?」


「不都合かニャ、教明?」


「いえ、有り難き幸せにごさる!」


「敏宗もいいかニャ?」


「もちろんで御座います。宗珊殿、厳しくお願い致す」


「敏宗、皆5歳の子供なのだから、気が早いというもの。まあ、任せておきなさい」


 飯尾家の次期当主として相応しくなるため、敏宗は厳しい指導を望む。それを宗珊が気が早いとたしなめる。

 ただ、宗珊もこの件はノリ気であった。多数の者達を育ててきた宗珊にとって、将来の幹部を育てるというのは願ってもない仕事である。それにこれを任せるという恒興の信頼でもある。家老の職務と兼任なので忙しくはなるだろうが。


「スマンニャ、宗珊。色々忙しいと思うが」


「ハッハッハ、あまり某をこき使うとポックリ逝きますぞ」


「いや、それ冗談になってニャいから!」


 最後に宗珊は笑いながら冗談を口にする。彼は冗談のつもりだろうが、恒興にとっては冗談ではなかった。


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 過日、宗珊は預けられた子供達を連れ、木曽川沿いにある田畑へと出掛けた。それは傍から見て、老人が孫を連れて散歩している様にしか見えなかったという。


「三人共、これは何だと思う?」


「田んぼです」


「田んぼです」


「田んぼです」


 宗珊の指し示した物に対し、孫六、茂助、弥九郎の三人は即答で答える。彼の指差した先には青々と育つ稲があるので、そのまま田んぼと言うしかない。


「そうだ、田んぼだ。他に気付く事はあるかな?」


 次に宗珊は周りを見渡して気付く事があるか聞いてみる。三人も宗珊に倣って周りを見てみる。


「うーん、あ、堤防が大きいです。こないな川の近くにも田んぼがあるんですね」


「確かここは開拓地だったと父上から聞きました」


「木曽川の近くなのに……飯尾家の昔の領地は木曽川が毎年暴れて大変だったと聞いています」


 最初に弥九郎が堤防が大きさを指摘する。この地で暮らしている孫六や茂助には当たり前の風景だったが、和泉国で育った弥九郎にはこの大きい堤防は珍しく映っていた。

 ただ堤防が出来たのも、ここ最近の話なので開拓や水害の酷さは彼らも知っていた。


「ウム、三人共よく気付いた。これは信長様や殿、大谷殿に沢山の人々の尽力によって出来た宝物だ。このお陰で犬山は、いや濃尾平野は人が餓えずに暮らせる土地となった」


「信長様は偉大ですね」


「お殿様だって偉大だとも」


「そんなの両方や」


 宗珊はこの堤防を見せるために三人を連れてきた。

 この堤防が如何に沢山の人々の尽力によって出来上がったかを教えたかったのである。これは当たり前に有る物ではないと。


「……某は最初、信長様や殿は守銭奴の様だと思っていた。それでも仕えると決めたのだから慣れなければなと」


「「「!?」」」


「だが、その認識は間違いだと直ぐに気付いた。某は武家の常識に未だに囚われていたのだと」


 宗珊の主君批判とも取れる発言に三人共驚く。

 この宗珊の考えは武家の常識と言えるものだ。『銭儲けは卑しい行い』というもので、大抵の武家が持っている考え方だ。そのくせ、資金は必要だと宣うのである。

 では銭儲けもせず、資金を確保しなくてはならない武家はどうするのだろうか。この答えが武家の更なる常識へと繋がる。


「博多が焼き払われたのは知っているかな」


「え!?」


「あの博多が!?」


「僕は父上から聞いとります。武家の争いで焼けてもうたと」


 博多を焼いた筑紫惟門は元々は大内家傘下だったが、主家が衰退すると博多利権を狙った大友家に制圧される。だがこれは忍従の日々だった様だ。と言うより、大友家当主・大友義鎮の統治のやり方に問題があった、と言うか問題しかなかった。故に大友家では内乱がたびたび勃発、筑紫惟門もこれに乗じ反旗を翻す。が、キッチリ大友家に制圧される。

 その後は領地から脱出、やはり博多利権を狙う毛利元就の支援を受けて再起した。そう、毛利元就は上洛して天下を狙う事はなく、ずっと博多利権を狙い続け大友家と戦い続けるのである。

 その時に毛利家の支援を受けた筑紫惟門は再起、大友家と戦うための資金を欲して博多に出資要求をした。これを大友家の支配下にあった博多は拒否。それならばと博多を敵地と見なし略奪放火したという顛末である。この放火で筑紫惟門は1万戸以上焼いたと言われている。

 因みに当時の岐阜の町(井之口の町)の人口は2千人ほどだという。どう考えても1千戸もない。1万戸以上あった博多の大きさが分かるだろうか。


「大半の武家とは焼いて奪うものなのだ。某も若い頃は戦に行って奪い、自分の領地に富を持ち帰っていた」


「宗珊様ほどの方がですか?」


「周りがそうだったと言えば言い訳だが、若い某はそれが正しいと思っていた。疑問など持つ余地は無かったのだよ」


 これが武家の更なる常識、『欲しいなら焼いて奪え』と言うものなのである。

 武家とは『一所懸命』で動くもの、『一所』とは自分の領地だけで他はどうでもいいという武家が大半なのだ。武田信虎も自分の『一所』であった甲斐国の事は気にするが、他の国の事は本気でどうでもいいと考えている。

 だから武家は他の領地から富を奪い、自分の『一所』を豊かにする事を至上命題としているのだ。自分の『一所』以外で起こっている事には関心が薄く、隣が全員飢え死にしようが人買いが横行しようが興味が無いのだ。

 それを子供の頃から教え込まれれば、土居宗珊とて疑問を持つ事は難しいだろう。


「だが家を継ぎ、歳を取って、それが過ちだと気付いたのだ。そう強く感じたのは『水害』の時だ。それまで集めた富を全て流され失ったのだ。あれは怒るよりも虚しかった」


 宗珊は自分の受け継いだ領地を豊かにするために戦った。だが活躍し出世して大領を治める様になると、次第にその考え方は間違っているのでは?と疑問を持った。富を奪って奪われてを繰り返すうちに全体が疲弊していっていると判ったのだ。

 そして治水の出来ていない川の氾濫によって、彼が今まで集めた富を使って豊かにした田畑は壊滅的な被害を受けた。長年の戦果を一瞬で押し流していく水害は、彼に虚しさを与えた。


「その時からだな、内政というものを深く学び始めたのは。齢40を越えてようやくそこに辿り着いたのだ」


 その時から宗珊は戦に依らない豊かさを求めるため、内政を学び、力を入れた。彼のその努力の結果、一条家に宗珊有りとまで言われる様になったのである。

 そんな彼だからこそ信長や恒興がやっている事が直ぐに理解できた。


「信長様や殿はあの歳で、もうその事に気付いておられる。余程、ご先代の教育が良かったのだろうな。殿が策を多用するのは焼かないためなのだよ」


「そうなんですね」


 嫡男の信長や義理の息子である恒興に経済の重要性を教えたのは織田信秀だと宗珊は思っている。本来であれば織田信秀こそが織田家隆興の祖と言っても過言ではない。ただ、信長が凄過ぎて霞んでしまったに過ぎない。その織田信秀が熱心に教え込んだ物が『経済の重要性』なのだ。彼はそれを学んだからこそ、織田家を1万石弱から尾張最大の勢力に育て上げ、他国にまで戦争を仕掛けるまでになった。それ故、織田信秀は『尾張の虎』とまで呼ばれる様になったのだ。

 その考え方は『銭儲けは卑しい行い』という武家の常識とは相反するもの。必然的に信秀は『欲しいなら焼いて奪え』とは言わなかった。

 信秀が戦争を仕掛けた理由はいつも領土を奪うためで、富を奪う事ではなかった。占領した地域の市場を独占したかったのだ。まあ、それを手広くやりすぎて、周りには敵しかいないような状況になっていったが。


「見てみなさい、この濃尾勢を。殆ど焼かれずに織田家の支配地域となった場所を。民衆にとっては一番上が変わった程度の話ではない。信長様は堤防造りにとても熱心だ、巨額の資金も投入しておられる。おかげでこの地の民衆は水害の少ない生活が営める。また、開発開墾、道の整備など農業商業共に目覚しい発展をしておる。民衆の暮らしは良くなっていく、それが織田家の更なる収益に繋がっているのだ」


 織田家の支配地域となった場所はまず関所が撤廃される。これにより商人の往来が活発になり、商業が発展した。

 次に街道整備が進み、海上流通網が整備されたことで物流に掛かるコストが削減出来、流通が盛んになった。

 更に流民傭兵を使って土木作業をさせた。各地に優れた機能の堤防が出来て、しかも工事は傭兵がやるので地元住民には賦役(工事に駆り出される税)が殆ど無い。

 そして堤防により農地に出来なかった場所も開墾出来る様になった。ここには流民傭兵が土着する様になって濃尾勢の人口増加に拍車が掛かっている。

 農民達は賦役が無いので、空いた時間を思い思いに使える様になった。畑を増やす者、特産品作りに精を出す者、出稼ぎに行って稼ぐ者、様々である。そのため濃尾勢の生産力は目を見張る程に伸びていた。

 これらの好循環が巡り巡って織田家の財をしていたのだ。


「毛利家であれ、大友家であれ、他の大名であれ、儲かる物は欲しいだろう。だがそれは経済に強いとは言わぬのだ。ただ得られる物を重視しているに過ぎない。信長様や殿の真に偉大なところは『富を殖やす』事なのだよ」


 織田家が他の大名家と決定的に違う所は『富を殖やす』事である。

 とにかく大名は儲かる物を奪い合う、富を殖やすという事をしない者が大半なのだ。博多焼失はその象徴的な事件であろう。

 信長とて津島や熱田などの商業地域は欲しいし重要視もしている。だがそれだけでは利益が増えていかない事も知っていたのだ。だからその利益を殖やすためにも周りを、支配地域全体を発展させているのである。

 特に犬山の発展は目覚しい。城主の恒興が産業育成に熱心で、特に鉄鋼業は鍛冶屋を連れてきたため、かなり発達してきていた。更に今回、絹織物生産にも取り組んでいく訳だ。

 そして税率の引き下げもあり、人口の増加が凄まじかった。何しろ周辺の流民が噂を聞き付けて流入していたのだ。犬山なら仕事が有る、税が安い、暮らしていけると。

 そして『刺青隊』の噂も拡がり始め、逃げ出した小作人が犬山を目指す様になっている。因みに逃げ出した小作人への報復を行おうとする国人が来た場合、恒興は全力で潰す気である。それも『刺青隊』設立の目的の一つなのだ。だから治安警備は重要なのだ、才蔵が怒られたのはそういう事だ。


「だからこそ領地の発展には気を配らねばならぬ。古今東西、名将と呼ばれる者達は食というものを重視する。食を切らせた軍は如何なる名将が率いても勝てぬのだよ。食を切らさない事が名将への第一歩だと覚えておきなさい」


「「「はいっ!」」」


 いずれ恒興から領地を貰うであろう少年達に発展の重要性を説いた。それは決して富を奪う事でも、他国を焼く事でもないと。

 宗珊の話に三人は目を輝かせて大きく返事した。その様子に宗珊は満足気に頷くのだった。


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【あとがき】

べ「子供達の教育は宗珊任せなのかな?」

恒「ニャんで教育をニャーがせねばならんのか」

べ「秀吉さんの『長浜小学校』みたいにするのかと」

恒「長浜小学校って……。大体、子供達を育てていたのは『おね殿』だニャー。秀吉は元服してから使ってただけだニャー」

べ「そうなのかー」

恒「面白い話があるニャ。孫六は少年の時、勝手に従軍しておね殿を怒らせたんだニャー。秀吉に面倒見きれませんって訴えたらしい。秀吉は笑って許したらしいが」

べ「成る程、正室が面倒を見てたんだね」

恒「この時代の普通だニャー。孫六は羽柴秀勝(秀吉の長男)の近習だったから、近習のみだとは思うけどニャ」

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